帳簿の世界史

読んだ本の感想。

ジェイコブ・ソール著。2015年4月10日 第1刷発行。



以下は、「2000年間で最大の発明は何か」の記事へのリンク。複式簿記が重要な発明として選出されている。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-648.html

以下は、Wikipediaの「複式簿記」の記事へのリンク。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A4%87%E5%BC%8F%E7%B0%BF%E8%A8%98

序章 ルイ一六世はなぜ断頭台へ送られたのか
会計が倫理的・文化的枠組みに溶け込んでいる時は、会計責任がよりよく果たされる。

王家の財政の公表は、君主制の至上命題である秘密主義に反する。王家の収支と危機的財政が公表された事で、ルイ16世の神秘性は剥ぎ取られた。

第1章 帳簿はいかにして生まれたのか
ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスが、透明性の高い会計システムを保持しており、自らが施した勝利給を帳簿から記念碑に転記したとする。これは例外的事象だ。

古代の会計は商売のために行われる基本的な在庫管理に留まっていた。一定期間毎に利益や総資産を集計する発想は無い。ローマ帝国においては、現在の利益の把握や将来利益の予想は重視されなかった。

476年に西ローマ帝国が滅亡すると、国家は領主による個人的領土となり、会計監査は望むべくもなくなる。領主は神のみに従う建前。ゲルマン社会の従士精度とローマ帝国の恩貸地制度が融合して生まれた封建制度には、世代を跨ぐ内に所有関係が煩雑になる問題があった。

1066年のイングランド征服を果たしたウィリアム征服王には、必然的に複雑になる封建制度に代わる新たな制度を設計する機会が訪れる。1086年に制定された土地台帳は、明確な記録作成のための一元化された土地管理制度である。王家による認証を神の裁きと同等に位置付けた。

このように国家管理が重視されるようになると、会計記録(帳簿)が基本的な情報として作成されるようになる。

12世紀には、北イタリアの商業都市国家にて資本主義的な複式簿記が誕生した。イタリア商人は、仲間で資金を出し合う共同出資方式を採用しており、各人の利益を計算する必要があった。帳簿は、所有している物の記録でなく、出資者への利益配分を計算する記録となる。収入と支出の集計だけでなく、投資家に還元すべき利益剰余金の累計記録。さらに読み易いアラビア数字の伝達の影響もある。

しかし、複式簿記がイタリアを除く欧州に普及するには、財務規律の必要性と金勘定を忌避するキリスト教との衝突を打開しなくてはならなかった。

第2章 イタリア商人の「富と罰」
14世紀イタリアにて活動した商人フランチェスコ・ダティーニの話。ダティーニの時代の複式簿記は物理的に幾つかの帳簿に分かれており、帳簿から情報を転記する緻密さや、帳簿の関係性を理解する能力が必要だった。

著者は、ダティーニは富の追求と信心との板挟みになっていたと追及する。当時、金を扱う職業や会計慣行は教会法に反していた。

<中世キリスト教の教義>
中世キリスト教は神との契約に基づいていた。人間は神との約束に反すると最後の審判の日に罰せられる。約束を守った見返りは永遠の魂である。多神教では不十分な供物には即時に直接の罰が下る。

キリスト教に会計文化を持ち込んだのは聖マタイであるが、帳簿によって浪費を避けよとする一方で、富は悪だとしてメッセージは不明確。

14世紀には、善行と罪は帳簿のように消し込む事が可能になる。神に対して償うべき負い目について、免罪符を買う事で神の帳簿の帳尻を合わせる事が出来るようになった。

⇒信心とキリストの血で贖罪可能とするキリスト教の中心教義にも商取引のニュアンスが認められる

第3章 新プラトン主義に敗れたメディチ家
中世イタリアにおけるメディチ家について。

<新プラトン主義>
知的選良が社会を導く事を理想とする。人間の栄光は芸術、文化、政治的業績に基づくとされ、現実的・現世的商業は重視されなかった。

⇒数学を自然理解の神聖な学問とする思想は、商売の世俗的算術を不純とした?

○コシモ・デ・メディチ(1389年~1464年)
銀行家にしてプラトン学徒。人文主義教育以外に、メディチ銀行で会計実務も経験し複式簿記を修得。

⇒銀行預金を裏付けに手形を振り出す事が一般的になると、複式簿記以外では金銭管理が不可能になる。銀行は多数の預金を受け入れ、貸出や送金を毎日行うため、資産・負債を毎日集計する事が必要になる。

○ロレンツォ・デ・メディチ(1449年~1492年)
コシモ・デ・メディチの孫。新プラトン主義の学徒であったが、実務的な会計教育を受ける事は無かった。

⇒文化に傾倒した事により、銀行経営が疎かになる

第4章 「太陽の沈まぬ国」が沈むとき
スペイン帝国と放漫財政。

1494年に出版された『算術、帰化、比及び比例全書(略称:スムマ)』(ルカ・パチョーリ著)が複式簿記についての世界最初の教科書とされる。ラテン語でなくイタリア語で、多くの人間に知識が開かれた。

しかし、スムマが出版された時代のイタリアは、共和制の時代から騎士道の時代に移行しており、会計は身分の低い商人の技術として蔑まれるようになっていた。

1528年に出版された『宮廷人』(バルダッサーレ・カスティリーネ著)では、新プラトン主義的な騎士道精神を理想とした。ノンシャランス(無頓着)という美徳は、几帳面な会計理念と対立する。

***************

スペイン王 フェリペ二世は、1573年にホアン・デ・オヴァンド(1515年~1575年)を財務長官に任命し、会計改革を命じる。財務庁(財政運営と徴税を担当)、監査院、財務顧問院(財政政策立案担当)の3つの官庁に連絡が無く、業務が重複している事を問題視し、ナポリ王国の財務庁を範とした改革を実行しようとするが失敗する。専門知識を持つ会計官が不足していた。

1574年4月11日にホアン・デ・オヴァンドが作成した財務報告では、国王の年間推定収入は約564万ダカット、年間基本支出は約300万ダカット、債務総額は約7390万ダカットだった。

ホアン・デ・オヴァンド以降は、セビリア出身のペドロ・ルイス・デ・トレグロサ(1522年~1607年)が財務改革を行う。1580年代には元帳作成用の会計執務室が開設された。

しかし、複式簿記を理解する会計専門家が不足している状況に変わりは無く、改革は頓挫した。『スムマ』が教科書として活用される事は無かったのである。

第5章 オランダ黄金時代を作った複式簿記
以下は、「21世紀の歴史」の記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-703.html

「第Ⅱ章 資本主義は、いかなる歴史を作ってきたのか?」にオランダの都市が中心都市となった記述がある。

中世オランダは富裕であり、終身年金債を国家財政に活用出来た。オランダの税収は複式簿記で記帳されており、公的監査が義務付けられていたため、信用があった。

為替や株式市場の発達も会計への需要を生み、オランダの会計学校は16世紀に急増した。1543年には『スムマ』がオランダ語訳されている。期間損益計算の確立。

商人の職業倫理以外に、治水の伝統も影響したとする。低地のオランダでは水管理を支える自治組織が重視され、水管理委員会の資金が適切に運用される必要があった。

1672年にオランダ東インド会社の会長に就任したヨハネル・フッデ(1628年~1704年)は、東インド会社のバランスシートを作成すべく、資産と負債の分離を行い、輸送中の貨物損失のリスクも見込んだ会計原則を確立した?

第6章 ブルボン朝最盛期を築いた
    冷酷な会計顧問

ルイ14世を支えた会計顧問コルベールについて。

ジョンバティスト・コルベール(1619年~1683年)は、宰相であったジュール・マザラン(1602年~1661年)の財産運用で頭角を現し、フランス王室で重用されるようになった。ここでも『スムマ』を教科書として活用したらしい。「会社」を「国家」に置き換え、複式簿記を国王のために技術に作り直した。

それでも当時のフランス政府は大規模で、事務処理の大半が中世式に行われていたため、複式簿記を徹底出来なかった。

コルベールの死後、ルイ14世は代替となる会計顧問を任命せず、情報は遮断される事となる。

第7章 英国首相ウォルポールの裏金工作
17世紀の英国は政府の会計改革に着手していたが、議会による王家の財政監視が定着するまで約150年を要したとする。

1689年に制定された権利章典は、国王は議会の承認無しに課税を行ってはならないと明記され、国家財政公開の下地となる。ロバート・ウォルポール(1676年~1745年)は、第一大蔵卿、初代首相となり、21年の長期政権を築いた。

減債基金(元本を段階的に返済する事で利払いの膨張を防ぐ)を活用した金利引き下げ(5%)を1717年に行ったとする。1720年に発生した南海株式会社のバブル崩壊では、政府介入による救済案を策定し混乱を防いだ。

第8章 名門ウェッジウッドを生んだ帳簿分析
陶磁器メーカーの創立者ジョサイア・ウェッジウッド(1730年~1795年)は、会計による原価計算によって会社を繁栄させたとする。

18世紀における英国の非国教会信徒は、数字による秩序、調和、進歩を進行し、多くの会計学校を経営したとする。こうした英国プロテスタントの実験や観察を通じて神を知ろうとする姿勢が、商業的カリキュラムを普及させたと考える。

工場生産によって固定資産が大きくなった製造業では、新しい会計技術が必要とされ、より正確な原価計算への取り組みが始まる。設備や生産過程の費用を把握する。ジェームズ・ワット(1736年~1819年)は、会計係不足を埋め合わせるために、複写機を発明した。

原価計算により、労働者種類毎の費用対効果を比較出来るようになり、過去の販売実績に基づいて生産計画を準備可能になる。確率の概念を導入して費用を分類し、順位付けし、発生し得る費用を予想する。

***************

ジェレミー・ベンサムの功利主義は、会計の影響を受けているとしている。快楽計算によって幸福度を算出し、複式簿記方式で評価する。簿記は利益計算から幸福を考える手段にまで到達した。

第9章 フランス絶対王政を丸裸にした財務長官
スイスの銀行家ジャック・ネッケル(1732年~1804年)による国家財政開示がフランス革命勃発の引き金となった。

1774年に即位したルイ16世は、1777年にジャック・ネッケルを財務長官に任命した。徴税請負人に正確な日記帳を記録する事を義務付け、監査を行う体制を構築する。国家財政を一つの感情で集中管理する。

1781年にジャック・ネッケルは『国王への会計報告』を公表する。総収入は約2億6000万リーヴル、経常支出は約2億5400億リーブル、兵士への給料が約6500万リーヴル、宮廷費用等が約2570万リーヴル。道路等の建設費が約500万リーヴル、貧民救済費は約90万リーヴルと偏った予算配分が明白となった。

上記からは、軍事費等の約5000万リーヴルの支出が除外されており、意図的に黒字に見せるようとしていた。

以降、フランスの新聞は会計報告について報道するようになり、会計が大衆に訴えかけるようになる。そして、フランス革命後は国税庁の設置等の会計改革が行われる事となり、定期的な会計報告が義務付けられるようになる。

第10章 会計の力を駆使した
     アメリカ建国の父たち

米国初期の歴史は債務管理の歴史だった。会計の原則を学ぶ事はプロテスタント的職業倫理の一つと言える。

ジョージ・ワシントンは、個人帳簿の公開さえした。

ロバート・モリス(1734年~1806年)は、1781年から財務最高責任者になり、1782年から会計報告を公表するようになる。アレクサンダー・ハミルトン(1755年~1804年)は、1789年に初代財務長官として財政システムの設計に貢献し、合衆国憲法には国家支出は法律で定める歳出予算によってのみ行う事が明記される。

第11章 鉄道が生んだ公認会計士
鉄道の登場により、財務会計は複雑化した。

19世紀における鉄道の普及は、莫大な資本や会計業務効率化を必要とした。関連する業務に携わる人員の賃金、膨大な量の貨物を広範囲に渡って管理しなくてはならない。

鉄道会社は区間毎に会計チームを編成し、ルーズリーフ方式を採用して会計報告を本社に送った。形式を統一し複製の手間を省くため、帳簿、仕訳帳、領収書等の書式は大量に印刷され配布された。

鉄道は収支を計測するだけでなく、時間自体を計測、標準化して列車を運行させた。経営効率を表す営業係数(営業収入一単位を得るために必要な営業費用)という概念も生まれる。鉄道は固定資産の比率が大きいため、減価償却の概念も重視された。

巨額資本を調達する鉄道経営では、会計不正の余地が大きく、1887年には米国公認会計士協会が設立され、監査が行われるようになった。

第12章 『クリスマス・キャロル』に描かれた
     会計に二面性

チャールズ・ディケンズ(1812年~1870年)が描いた会計責任について?

1843年に出版された『クリスマス・キャロル』では、会計に精通する人物が登場し、主人公のエベネーザ・スクルージは悪行を善行で相殺しなくてはならない。

他作品にも会計の論理や比喩が多用されているとし、哲学や科学への影響もあるとする。

トーマス・マルサスは、1798年に出版された『人口論』にて人口統計という新しい概念と、均衡や決算という古い概念を用いて、人間の存続は「罪悪や窮乏」によって帳尻が合うと発想した?

チャールズ・ダーウィンの進化論も、進化過程をバランス・システムと理解している?チャールズ・ダーウィンには、帳簿や日記帳をつける習慣があったらしい。

第13章 大恐慌とリーマン・ショックは
     なぜ防げなかったのか

複雑化した会計は、専門教育を受けた人間でなければ扱えない。

グローバル化による複雑化や、資産価格変動の影響等。物価変動は「貨幣価値は一定である」という取得原価主義の前提を揺るがす。時価主義会計の概念が導入され、市場の実勢価格を重視するようになるが、時価には裁量の余地があり不確実。

会計規則を厳格化しても、財務担当者の「工夫」によって監査法人は出し抜かれる事になる。複雑過ぎる会計は監査不可能。

終章 経済破綻は世界の金融システムに
   組み込まれている

会計の発展には一つのパターンがあるとする。最初に発展して成果を上げても、複雑性から蔑ろにされてしまう。

現代でも政府や会計士は変化し続ける金融技術に対処出来ていない。

日本版特別付録 帳簿の日本史(編集部)
日本の「帳簿史」は、律令国家成立とともに始まる。大化の改新においては中国の律令制を参考に帳簿が導入された。税として徴収された稲を正税帳に記録する。

この時代の帳簿は、収支を記録するだけのものであり、複式簿記ではなかった。

平安時代以降は中央集権的政治システムが機能しなくなり、各地の国司(受領)に対して、4年間の任期の中で一定額の税を収めれば、国内統治を一任する方式を採用するようになる。

江戸時代の商人は、独自の複式簿記を使用するようになったとし、損益計算書や貸借対照表、一部には減価償却の概念もあったとする。

明治維新以降に西洋式の複式簿記への移行が上手くいったのは、江戸時代に複式簿記を使用した経緯があったからとする。

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