排泄されていく憎悪

以下の記事の続き

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-2307.html

何かを認識する事 = 認識する主体を喪失する事

周囲を認識し、解釈する場合、認識している自分は解釈の対象に含まれない。

認識や解釈を「自らの内部にある長期記憶」と「取得した情報」の照合作業とすると、「取得した情報」の中に自らは含まれない事になる。

客観的な視点とは、解釈している自分の喪失であり、あらゆる因果関係から自らを排除する事が出来る。何か喜ばしくない事が発生している時に客観的視点を導入すれば、自分以外が悪 = 不幸の原因となる。

こうした客体化による憎悪の排泄が有効に機能しないのは、自己言及が発生する場合である。自らを解釈する主体の存在が自己言及の原因となる。

それだから、社会的階層関係を固定化し、自らの解釈が上位存在による承認を受ける事が重要になる。

「応」と「比」の関係であり、上位と応じ、周囲と比較する事で納得感のある解釈が得られる。

他者を攻撃する事は、憎悪を排泄する有効な手段であるが、社会常識による承認を得なくてはならない。

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