インド 解き放たれた賢い象

読んだ本の感想。

グルチャラン・ダース著。2009年3月8日 発行。

以下は、「インド哲学七つの難問」の記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-2156.html

以下は、「ビックリ!インド人の頭の中」の記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-2218.html

著者の二元論的思考や原因に対する拘りと、インド哲学とを合わせて読むと面白い気がする。

はじめに―賢い象
インドの経済的、社会的変革について。インドにて発生した出来事を個人的体験に重ねる。第二次世界大戦後のインドは、①輸入促進路線でなく輸入代替路線採用、②非効率で独占的公共部門、③民間企業への過剰規制、④外資を導入しない、⑤労働規制による低い生産性、⑥少女の教育を無視、によって自立的成長から遠ざかったとする。

著者は、インドが明治維新に匹敵する変革の中にあるとする。リベラル革命によるグローバル経済への各国経済統合、情報主導経済はインドに有利。

インドでは、肉体労働へのバラモン的軽蔑があり、労働を任された下位のシュードラは知識の所有を認められなかったため、知識と肉体労働が結び付かずに産業革命創出に失敗したとする。しかし、知識時代においては、ウパニシャッドの抽象概念と格闘したインドが有利となる?

インドでは、資本主義より先に民主主義を導入した。1950年に国民参政権と広範な基本的人権を持つ国家となったが、市場開放は1991年頃である。そのため、インドは束縛の無い資本主義ではなく、諸勢力間の対話を通じた進化になると予想する。

インドは、素早くはないが、重々しく進み始めた象であり、それ故にグローバル文化襲来に対抗してインド文明を維持出来る賢い象になる可能性がある。

第一部 希望の春(一九四二~一九六五)
第一章 英語で怒鳴り、サンスクリット語で詠唱する
著者が誕生したのは、マハトマ・ガンジーが1942年に英国に対する植民地解放運動を初めてまもなくである。インドはガンジーという聖人によって創造された民族と感じる人々がいる。

1942年は分水嶺であり、著者の家庭では日本と英国の戦争でどちらを支持すべきかという議論があったらしい。仮に日本がインド制圧に成功していれば、インドは他のアジア新興国と同様に、日本モデル(輸出主導型経済成長モデル)を採用していたかもしれない。

著者は、インド西北部パンジャブ州の中流家庭で育ち、父親は灌漑用水路を維持する技術者だった。専門職業を持つ都市型エリートの台頭は、地主階級の衰退を引き起こしたとする。ムガール貴族やイスラム、ヒンドゥー貴族。バラモンは知的独占を危うくされ、英語を学ぶ事で新中流階級に入った。英語で怒鳴り、サンスクリット語で詠唱する人々。

西洋型の教育はインドを変えたが、バラモン的遺産により、インド人は科学技術よりも純粋科学に魅力を感じるとする。そして、英語教育はインド人に自由主義的発想とフランス革命の理想を持ち込んだ。それは反植民地運動へと繋がる。

著者の父親は、昼間は洋服で英語を話し、夜はクルタを着てパンジャブ語を話したとする。文化的通勤者。英国統治は近代的価値観を伝えたが、インドの伝統には干渉しなかった。インドは英語により16の公用語を持つ同胞と会話出来るが、同時に英語を学んだ10%の選良とそれ以外を分けた。

インドはヒマラヤ山脈により北風が遮断され、農業が発達した。農業による富が侵略者を招き、温暖な気候が侵入者を引き留めた。アーリア人、トルコ人、アフガン人、ムガール人はインドに同化し、同化した人々を受容するためにサブカーストが作り出されたが、英国人はインドと同化しなかった。

第二章 バサールの匂い
著者の一家は、クシャトリヤに属すアローラというサブカーストであり、商業を軽視していたとする。1757年のプラッシーの戦いは、銀行家オミチャンドの密通により英国が勝利したとして、外国資本や商人への不信感の遠因となっている?

商人階級であるガンジーも、商業への疑念を変える事は出来なかったとする。しかし、パンジャブのラホール アナルカリにあるバザールには商業的ネットワークが形成されており、インドの機能不全の原因は混合経済によるとしている?

第三章 行き先のない列車
ネルーやインディラ・ガンディーが創出した社会システムが成長を抑制した事について?

インドの鉄道網は世界最大であり、英国資本による大規模建設はインドを近代化させなかった。1947年までに鉄道網の総延長は5万マイルになったが、波及効果は限られた。

インドにおける鉄道は民主主義を象徴し誰でも移動出来るが、同時に非効率も象徴し150万人の鉄道従業員は1㎞当りで先進国の7倍とする。

***************

著者は、紀元前326年のアレクサンダーによるインド侵略に、インド人のチームワーク欠如を見ている。アレクサンダー大王に敗れた理由は、結束力の弱さにある?カースト間の結束力の弱さ?大英帝国がインド軍を職業化し、1947年以降、インド軍は規律の孤島になっているとする。

心理学的意見として、男児を求められるインドの母親は息子を甘やかす傾向があり、父親と隔たったインドの男性は自己陶酔的になり弱い自己を持つとする。自己意識が弱いために権威の支持が必要であり、自分を認める年長の上位者を求める。人間関係は指示待ち型となり、横型で協力的な関係を持つ事が苦手になるとしている。優れたチームプレーヤーは自信家で、対等を基礎に気楽な人間関係を構築する。

⇒著者は歴史的、心理学的意見を危険とする。市場における競争が激しくなれば、利己的に振る舞う余裕は無くなるとする

第四章 あのとき盲目、そして今は?
ネルーによる民主化と、商業への偏見助長について。資本主義は不平等を広げ、社会蓄積を独占するという思想。

第五章 もしかつて豊かだったのなら、
    なぜ今は貧しいのか

ムガール帝国支配下の16世紀末、インドの富は西欧に劣らなかった。しかし、科学精神欠如のため、インド商人は国内の供給構造変革が出来ず、インド熟練工の技能は科学技術の代用とならなかった。

人口過剰のインドには安い労働力が大量にあり、技術導入のインセンティブが弱かった。英国がインド発展を抑制したという解釈は英国を過大評価しているとする。

第六章 新聞配達の道
1950年代半ばに、著者の一家が米国ワシントンDCに引っ越した話。

著者は米国での新聞配達を通じ、米国では顧客が重要な人間である事、米国が機会の地である事を学んだとす?インドでは、成功するには他者から奪わなくてはならないと考えたが、米国には十分な活動余地があったので隣人と一緒に前進可能だった。

著者は、機械を使用する授業に衝撃を受け?、肉体労働を軽蔑する発想との違いに気付いた?

米国には国家的過去が無く、未来に生きる。インドは黄金の過去という困難な問題に対処する必要があった。米国に移住した民族は英語と米国的生き方を学んだが、インドは多様性にカースト制で対処した。カーストはサブカーストに吸収される事を拒否するイスラム教徒流入まで上手く機能したとする。米国は「るつぼ」であり、インドは「モザイク」。

著者は、ハーバード大学にて、ジョン・ケネス・ガルブレイス(インドのような発展段階の国では民間企業が多い方が良いかもしれない)やジョン・ロールズ(平等についてのマルクスの概念への疑問)、ダニエル・インガルス(サンスクリット語)、ヘンリー・キッシンジャー(国際政治に関する超道徳的理解)の影響を受けた?

ロールスは、自由な個人は恵まれない者の状況改善のため等の一定状況において、自発的に不平等に同意するとした。これは効率性追求等の実利的訴えよりも満足出来る道徳的基盤とする。機会平等を目指す市場本位のリベラルな民主主義の基礎。

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米国とインドの違いとして、米国はあらゆる形の地域組織があるが、インドの社会生活は家族やカーストを中心にしており、社会全体を包括しないとする。1990年代にようやく地域民主主義を導入するための憲法改正が行われたとする。

著者の大学時代は、富の分配に注意を向けて、富の創出という主題を無視していたとする。当時の西欧は経済成長が著しく、経済成長を当然視していた。インドでの課題は異なり、まずは富を創出すべきだったとする。

著者は学生時代において、資本主義革命や創造的破壊が呼び起こす興奮を取り逃がした?

第七章 資本主義で富み、社会主義で貧する
学生時代の著者が、インドに帰郷した際、公共部門の非効率が問題になっている事を知った話?

英国統治下の自由放任でなく、中央による計画・統制への希求。しかし、混合経済は、社会主義の「規制」と資本主義の「独占」の混合という結果に終わり、資本主義のイノベーションと社会主義の福利は手に入らなかった。

第二部 失われた世代(一九六六~一九九一)
第八章 バザールの力
ハーバード大学を卒業した著者が、医薬品メーカーのインド子会社で働くようになる話。子会社における12人という少ない人数が、社内政治等の非効率を遠ざけたとする?

著者は、産業を軽蔑対象でなく、繁栄の象徴と見做すように変化していく。

バサールでは商人達が抜群のサービスを提供しており、競争の存在しない非効率とは対照を成していた。著者は、全従業員を年間で2日間バザールで過ごさせ、10人の消費者、小売業者に会って提案を含むレポートを書かせる事を経営委員会に提案し、実行させたらしい。

顧客を見ないようになると社内政治が盛んになり、社内での縄張り争いが激化するとする。従業員を訓練するのは良いが支配してはいけない。明確で野心的目的を与え、多くの指示を与えないようにする。

企業秘密漏洩を恐れずに従業員に情報を伝え、会社の任務と目的を従業員と共有する。特に評価基準に関する情報は、従業員の意欲を引き出す。

第九章 ≪レルマロホ≫と≪台中在来1号≫
インドの農村経済における自給自足性の高さ。カーストのための社会的責任の定義。地主達は英国統治の平和から恩恵を受けており、民族独立闘争は都市知識階級によって行われ、民族主義者はモティラル・ネルーのような法律家だった。マハトマ・ガンジーの偉業は都市と農村を繋いだ事にあるが、両地域の社会的違いは一致しなかった。

英国からの独立後は農業が無視され、1950年代初めにはインドは米国から定期的に小麦を輸入していた。

その後、緑の革命により、矮性小麦レルマロホにより、1967年~1977年に小麦の生産量は年率5.5%伸びた。緑の革命により農村が余剰労働力を吸収した事がインド人の65%が農村に住む理由とする?

稲の台中在来1号等の影響もある?ベルゲーズ・クーリエン博士による協同農業により、インドが牛乳生産国になった話もある?

第十章 カースト
インドにおける結束力の弱さは、カーストに起因しているかもしれないし、情報主導経済における成功の理由もカーストかもしれない。

インドでは、上位三つのカーストが人口の約15%を占め、半分が肉体労働をするシュードラで、さらに数百のサブカーストに分かれたとする。人口の約20%は不可触民と部族民で、マハトマ・ガンジーはその地位向上に努めたとする。

インドの寛容性や多様性はカーストによって保障されたのかもしれない。インドには、①農村文化、②都市のエリート文化の負圧があり、近代的専門職業人はカーストをほとんど考慮しないらしい。下位カーストが豊かになれると思えば、農村社会での自らの低い地位や伝統的依存関係を受容しなくなる。

著者は、ここでもインド社会の結束力の弱さをカーストに求めるべきか悩んでいるように思える。また、経済成長が格差を拡大させ、個人主義により家族や社会が分裂する事を心配している?著者は、カーストが階層でなく、民族性の象徴になると予想している。

第十一章 ゼロを掛ける
1966年に、ラル・バハドル・シャストリが死亡した事が一時代を終わらせたとする。仮にシャストリが生きていれば、経済政策はもっと上手く機能したと予想する?後任はインディラ・ガンディーとなる。

工業生産の伸びは、1951年~1965年の年率7.7%から、1966年~1980年の年率4%に低下した。国営企業の拙さや、電力・鉄道等のインフラ経営の失敗による影響。

第十二章 マルワリ商人
インド製造業は商人カーストに起源を持ち、1997年に上位20の財閥の内の15は商業カーストの所有であり、その内8つはマルワリ人に属していた。

マルワリ人は、マルワル(ラジャスタン州の旧ジョドプール藩王国)の出身であり、カーストはバニアで宗教的に派ヒンドゥー教ビシュヌ派である。

数世紀に渡りマルワリ人は、金融業者で、主要通商路がラジャスタン北部を通っていたので、東西交易の融資を助けた。マルワリ人は、カルカッタに集まり成功したらしい。マルワリ人が共同体内部に強力な互助システムを持っていた事が優位性の源?

第十三章 カブタルカーナの夢
ボンベイのバザールにある、ブレシュワルのカブタルカーナのアパートに住むディルバイ・アンバニが官許統治を利用して伸し上がった話?リアイアンスという石油化学製品でインド最大の会社。

化繊織物の取引から始まり、化繊織物の製造や原料調達等を行うようになった。

第十四章 許認可の憂うつ
1981年に38歳でリチャードソン・ヒンドスタンの代表取締役社長となった著者の話。子供は、10歳と8歳でメキシコからインドに戻った事でインド人となる勉強をする時期になる。

インディラ・ガンディーとの話し合いの機会があったが、許認可等に関する意見では話が噛み合わなかった。

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引退した著者の父親は、ラーダソアミ信仰の僧院に移り住み、古代ベーダンタてつがくに遡る禁欲的精神を実施する事になる。瞑想を通じた意識実験があり、出来合いの解決は無く、示唆だけがあり、信者は自力で答えを探さなくてはならない。

第三部 夢の復活(一九九一~一九九九)
第十五章 一九九一年「黄金の夏」
ナラシマ・ラオが1991年に開始した経済革命について。

1991年5月に、ラジブ・ガンジーが爆弾テロで暗殺され、国民会議派のナラシマ・ラオ(70歳)が首相に選出された。当時、湾岸戦争による石油価格高騰により、インドの外貨準備は危険なレベルまで減少していた。国際通貨基金との緊急救済計画の交渉により、経済改革の必要性。

マンモハン・シンが財務省となり、新内閣による改革が始まる。

①通貨ルピーを二段階で20%切り下げ
⇒通貨切り下げにより、輸出補助金が不必要になったとして廃止。財政赤字を0.4%削減

②通商改革
輸出許可制を解体するために?、市場で売買される輸出入証明書の発行?→1992年に輸出入許可証は廃止され、二重為替レートが導入された→1993年に単一為替レートが導入される。

⇒固定相場から単一変動相場制へ移行

⇒原材料や資本財を制限無しで輸入可能となる

③産業改革
多くの産業を許認可から外し、外資を導入する(外国人投資家による過半数の企業株式保有を許可)。銀行、航空、電力、石油、携帯電話等の事業を民間に開放。

④その他
関税を1991年の最高200%から1990年代半ばの最高40%まで引き下げ。所得税率を1991年の56%から1993年の40%まで引き下げ。複数の物品税を簡素化して従価税に変更。銀行に対する準備金要求を減らし、国債利回りが市場で決まるようにした。etc。

改革の結果、1990年~1993年に財政赤字はGDP比8.4%から5.7%に低下。外貨準備高は同期間に10億ドルから200億ドルに増加。インフレは13%から6%に低下。

著者は、危機が去った事で改革は停滞しているとする。公共部門の民営化や労働関連の改革、農業の解放等が必要とする?

著者は、改革を主導した人々にインタビューしている。彼等は一人も日記をつけておらず、インドの歴史に関する情報は外国の記録に頼る傾向があるとする?著者は、当時の政策立案者達は改革への熱意を持っていなかったとする。

異質的で異論の多い民主社会において、改革を叫ぶ事は困難?

第十六章 百万人の改革者たち
変化していくインドについて。

1994年に著者はP&Gwo退職し、人生の段階を変える事になる。

以下は、ヒンドゥーにおける人生の四段階。

①ブラマチャルヤ
学生、独身の生活
②グリハスタ(家長)
世俗的楽しみの生活。結婚して家庭を持ち、社会的責任を果たす。高級売春婦を含めてあらゆる形態の性的快楽が許される。
③バナプアスタ
子供が独立し、人生の俗事から解放され、人生の意味について探究する。
④サンヤス(解脱)
社会と快楽を捨て、絶対神との一体化に専念する。

著者はインドのデリーに住むようになる。ボンベイが商業都市を起源とし、優しいマナーがある都市とすると、デリーの起源は封建的、君主制的であり、官僚社会の階層的性格を持つとする。

階層ではゼロサム・ゲームであり、誰かが勝つには誰かが負けなくてはならない。商業のような互恵関係は無い。他人を打倒しなくてはならないデリーの商取引では権力と縁故に依存する?

著者はインドで様々な人々と出会い、人々の思想が変化しているとする。特に若年層は自分達の未来が裕福になる事を確信しており、金銭が権力に代わる。

インドは運命に従う不変の国でなく、国家を疑う事が新しい思想の一部になっているとする。

第十七章 ニューマネー
インドにおける起業家達。

情報技術産業においてインドは優位にあり、著者は様々な起業家の物語を記述している。

第十八章 オールドマネー
1991年の改革以来、財閥は尊重と権力を獲得した。

しかし、旧経済は新しい競争社会には対応困難とする。

インドには、①知識を基礎とする国際競争力を持つ企業、②同族経営の古い財閥があり、②の企業は破綻しかけているとする。

インドのビジネスにおける同族所有は際立った特徴である。同族企業は他国にも多いが、成功するには外部の専門家を導入しなくてはならない。所有と経営の分離。

日本の大企業も同族会社として出発したが、「番頭」と呼ばれる専門管理職が導入されている。こうした変化には、他人同士が自然に互いを信頼する社会資本が必要であり、個人主義が緩和される必要がある。

インドにおける旧来型企業には変革が必要?

第十九章 中流階級の着実な台頭
新・中流階級の台頭。

旧・中流階級:
19世紀に英語教育の普及によって出現。専門職業人として、教育と実力を基礎にする。一般大衆とは疎遠。

新・中流階級:
下流から中流になった。金銭、意欲、実行力を基礎にする。

インド独立時の中流階級は、人口の約5%だったが、1990年代半ばの中流階級は人口の18%程度。

著者は、旧・中流階級?の精神はインドと西洋に分かれ、どちらにも帰属していないとする。官僚制度の中で公務員として民主主義の不可避の産物である政治家に我慢する。

新・中流階級は西洋による承認を求めず、国家の品格に束縛されないとする。

この章の最後で、著者は人的技能への投資の有効性を説いている?歴史や文学に学ぶ事で、洞察力が身に付く?多くの事実を暗記するのでなく、正確な思考を習得するべき。

第二十章 近代と西洋
グローバル化する中で保護を求める気風について?

インドの伝統を失う恐怖は、西洋に対する劣等感の裏返しである。

独立後のインドには、近代的社会を必要とする同意があり、強力な国民国家と運営のための官僚機構を用意し、異なる宗教共同体の間で平和を維持するために世俗的になる必要があった。

19世紀以前のインド知識人の関心は自らの解脱だったが、次第に近代的であるための社会改良が関心事となる。

著者は幼少期より、西洋とインドの双方の教育体制の狭間にあったように思われる。

西洋の成功は人間理性の信望にあり、物理世界の問題を理性による検証の下に置いた。その結果、西洋は物質的繁栄を手にしたが、精神との接触を失ったという意見。著者の隣に住むハンダ・サヘブは、①世界の知識②自己の知識③神の知識の3種類があるとし、西洋は①、②に回答出来るが、③は書籍だけでは不十分で行動と合体し、経験しなくてはならないとする。

著者は、インドの迷信を軽蔑する不可知論的なインド人さえ、宗教的、哲学的問題に引き込まれるとする。

インドは、中流階級台頭等の経済の圧力や宗教的独自性への拘り等の葛藤を経験すると予想する?インドでは宗教の支配力が強いので、インド人が信仰心を早くに失う事は無いと信じているらしい。

第二十一章 まず民主主義、それから資本主義
インドでは民主主義が資本主義に先行した。

異質な集団を抱えるインドでは、自由市場や激しい競争への警戒感が強く、国家による保護が望まれ易い?

多くの国では資本主義の後に民主主義が興る。インドでは、人口の2/3が農村部に居住し、組織労働者は全体の10%以下、1980年まで中流階級は人口の10%に満たない状態で民主主義が導入された。

パイが焼ける前に再分配を試みた。そのため、民間経済が社会を変える前に複雑な規制が構築された。

インドにおける改革は既得権による妨害を受け、規律ある政党組織が不在とする。インドの指導者は選挙に勝つために個人的魅力に過度に依存し、支持者が少ないので政策の実行が難しい。巨大な力がネルー、ガンジー一族に集中したが、政策能力は低い。

1991年の改革は、雇用喪失等を含まず、①富裕な農民、②中級起業家、③中級専門職業人、④組織労働者、⑤貧困層等の主要利益集団と対決しなかったため実現したとする。

第二十二章 知識は富なり
知識経済におけるインドの優位性。

過去200年に渡り、国家の反映は通常、一つの産業部門によって推進された。英国の繊維、米国の鉄道、スウェーデンの木材、etc。インドは情報技術に優位性を持つとする。

この章では、情報技術、教育、インド映画等に関する著者の意見が記述されている。著者の情熱を感じた。

第二十三章 新しい国家
インドに変化が発生し、古い統制型国家からの移行が始まるとする。

産業革命を迂回して情報化時代に入る。新生インドは、競争と分権化の国となり、科学技術等により多くの人々が貧困から脱却すると予想する。

画一化的なグローバル化とインドの宗教・精神性を両立する事に葛藤がある?

追補
2000年版に、著者が2007年に追記。官僚制や精神的変化への不安を感じながらも希望をもっている。

インドについての二元論、上位カースト・下位カースト、都市・農村、インディア・バーラト、etcの中で英語話者とそうでない人の分断があったが、英語の民主化により大衆と支配層、南北で共通する言語が登場するかもしれない。

インドのイスラム征服者の隠語として使用されたウルドゥー語は、ペルシャ語とブハシャを混合して作られ、デカン高原に移入された。英語も同様にインド中に広まりつつある(ボリウッド)。

インド人社会は不合理な国家に対抗しながら自立していく?

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