掟の存在と率直な人々

インターネット上の記事からのコピペ。

世の中には、率直な人間 = 「思っている事をそのまま口に出す人間」への需要がある。

現代社会が人権への配慮等で率直な発言がし難いだとかで需要があるのだとか。

そうした人間は、9/10までは暴言で構わない。1/10に正しい観察があれば、確率が高い事になって一定の支持を受ける。

彼等が使用するのは形式論理的正しさだ?それは、ゲームのルールの範囲内での狡猾を擁護する事に近い。

スポーツ等のゲームは、ルールの範囲内で敵の裏をかき、審判の目を誤魔化す事を競い、詐欺的な手練手管を含めて楽しむ枠組みで、ルールの範囲内であれば何をしても構わない。

しかし、現実世界を支配しているのは、必ずしもルール = 法律ではない。最初に道徳があって、道徳を実現するために法律が定められるという順序でルールは形成される。

法哲学では、自然法が最初にあり、その後に成文法が出来る事を繰り返しているとある?人間社会は、道徳を実現するために法律を定めるという名目で建設されている。

現実社会の決まり事は、法律文書が曖昧に定義している法の網の隙間を、人間の「常識」と社会の「倫理」で埋める事で動いている。ゲームのプレイヤーがルールの裏をかいたり、対戦相手にフェイントをかけて繰り出すクリティカルな行為は、実社会では信頼を失う。

率直な人間 = 「思っている事をそのまま口に出す人間」が主張しているのはゲーム的道徳観念であり、それは無自覚的に自分がゲームのプレイヤーのように世界から隔離された存在である事を前提にしている。

スポーツ等のゲームでは、自分が理不尽に痛め付けられる事はあり得ない。その前提があるからこその率直である。

しかして、ルール = 法律は現実に追随出来ない。時代が変化したり、社会の構成メンバーが変われば、古い法律は新しい世界を制御出来なくなる。適法であっても、倫理的には許されない行為は、社会変化によって不断に生み出される事になる。

そのような状況において倫理(道徳)は、法によって守護されない脅威から身を守るための武器となる。

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