物語を生きている

今日、考えた事。

現実をそのままに捉える事は出来ないとしてみる。

以下は、「加害者は変われるか?」の記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-1915.html

加害者の主張として、以下のような物語があるとする。

「自らの暴力には理由があり、その理由は被害者にある、自分は我慢してきた」

上記の物語は有り触れたものであるが、正義の根幹を成すものである。

正義は承認された暴力としてみる。だから、誰か自分よりも弱い人間を虐待し、それが多勢から承認された場合、正義となる事が出来る。

自らよりも強い存在は打ち倒す事が出来ないため、悪として適切でない。

以下は、「責任という虚構」の記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-1931.html

秩序が乱れた場合、その象徴を破壊する事で秩序を回復させる事が出来る?

それは物語の一形態である。因果関係 = 物語は人間の本性に根差しており、「異常事態 = 結果」には、「倒されるべき悪 = 原因」が必要となる。

人間の生活が変化する以上、悪は必要である。

*******************

<現在の思考的課題>
◎悪の根源
世界は善意で満ちているという前提以外を人間は許容出来ないとしてみる。おそらく、それは正しい。ならば、人間は悪の誕生をどのように因果関係にて把握するのか?

善意しか存在しない世界から悪意が誕生する理由は何か?

あらゆるフィクションの中でも「悪」が誕生する理由を説明する事は困難であるように思える。

どのような悪人にも幼少期があったはずで、生まれた時から邪悪な存在というものを人間の論理構造にて仮定する事は困難。養育者に問題があったとしても、その養育者にも幼少期があったはず。

多くのフィクションでは、悪は最初から悪として登場しており、その根源が説明されたとしても、遡って原因を追究する事はされない。

◎役割分担
ほとんどのフィクションは、同じ役割を担った人物が登場するように思える。

どのような小説、漫画、映画、ETCも同種の人物達によるせめぎ合いが記述されており、おそらくは現実の人間関係の把握も同様に行われていると思われる。

階層があり、結び付きがある。

そうなのだ。全ての人間は、理解していない他者を理解している。役割を割り振っている。それは自らの内面を投影したものであり、現実はそれに合わせて改竄される。

以下は、役割について。

・神
許容する存在。絶対に怒らない。全てを許す事になる。奉仕欲求。物語中で虐待の対象となる。

・常識の体現者
社会通念を喧伝する。一般的にな善悪を告げる。本人の思惑を超えた社会全体の意志を守るべきものとして順守させようとする。

・利己の怪物
常識の体現者と対立する存在。欲望のままに生きようとするが、それは周囲の人間の欲望を代替するものである。

⇒高確率で、利己心をアピールしている怪物の行動動機が、周囲からの承認欲求である事が明らかになる

・犠牲者 = 悪
奪われる存在。適当に弱く、痛めつけるべき象徴して配置される。本当に強い存在は、悪には適さない。倒す事が出来ないからだ。

*****************

多くの物語は、常識と利己心の鬩ぎ合いによって成立しているとしてみる。物語の創造主は、一方では常識からの解放を願い、他方では社会通念による保護を望む。

それは相反する願望であり、神からの赦しを獲得し、犠牲者たる悪を生贄にする事で物語は完結する。

そして、王の存在をどのように考えるべきか?

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