人間関係における憎悪の有効性

以下はインターネット上の記事からのコピペ。

不満を糾合し、怒りの矛先を集め、怨念に出口を与え、分かり易い敵を提示する事で感情を煽る人間がいる。

そうした人間が評価される背景には、多数の無気力な人間の存在があるとする。

内向きになっている人間は、外界に毅然と対峙するように見える逞しい人間を求めるようになる?

階級が堅固である時や、秩序が溶解している時等の無力感を覚える状況では、「仲間」よりも「父」が求められ、妥協よりも決然が高く評価される。

以下のイメージ。

・人間として正直 = 悪口を堂々と言う
・逞しさ = 戦闘
・鋭いジョーク = 他人の悪口

上記のようなイメージの体現者に行動や言動の一貫性や具体的解決策は要求されない。現状への不満を分かり易い形式に変換する装置としての需要。

彼等は本当の意味では尊敬されない。社会と対峙する際の道具として評価されているのであるが、支持者も本人もその事に気付く事がない。

あらゆる共同体で、そうした人間が、入れ替わり立ち代わり登場する。

扇動者を必要とする構造が存在する。

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