ハプスブルク帝国の情報メディア革命

読んだ本の感想。

菊池良生著。2008年1月22日 第一刷発行。



欧州における15世紀以降の環境変化 = 大航海時代、宗教改革、初期資本主義等が情報技術の変化を引き起こした。

活版印刷:
情報蓄積メディア。

郵便:
情報伝達メディア。

上記2つの変化が同時期に発生した。

近代的な欧州郵便網は、ハプスブルク家のマクシミリアン一世により、当時の二大経済圏(ネーデルラント、北イタリア)を結び付ける目的で整備された。当初は公用郵便に限定されていた郵便は、やがて民間へも開放され、近代確立に大きな役割を果たす事になる。

以下は、Wikipediaの「マクシミリアン1世 (神聖ローマ皇帝)」の記事へのリンク。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B31%E4%B8%96_(%E7%A5%9E%E8%81%96%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E7%9A%87%E5%B8%9D)


マクシミリアン一世は、ブルゴーニュ公国(ネーデルラントを領有)のシャルル大胆公の一人娘マリーを后に迎え、彼女の死後にはミラノ公の娘を後妻とした。

1494年のフランス シャルル八世によるイタリア侵攻に代表されるイタリア権益をめぐるフランス王家との争いや、支配が盤石でないネーデルラントの情報を手に入れるための情報網が必要とされた。

マクシミリアン一世の政庁は、内陸のチロル インスブルックにあり、この地から欧州南北の情報を集める事になる。

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以下は、近代郵便の雛形。

◎アケメネス朝 ペルシャ
創始者であるキュロス大王により、宿駅制度が整備された。ヘロドトスの記述によると、ペルシャ王の伝令便は、スーサ(アケメネス朝の首都)とエクバタナ(メディアの首都)間の約450キロを一日半で踏破したらしい。

アケメネス朝にて構築された騎馬を活用した駅伝によるリレー式郵便システムの利用者は、王や官吏に限定されたという。

◎プトレマイオス王朝 エジプト
古代ペルシャに酷似した駅伝制度。公用に限定。

◎ローマ
以下の4種類の飛脚。
 ①地方総督の訓令兵
  ローマと地方を連絡
 ②国家の文書連絡係
 ③用益賃借人飛脚(国に営業権料を支払う)
 ④職業としての飛脚

上記③、④は民間が活用した。ローマの勢力圏拡大は情報需要増大の原因となった。やがてローマ帝国が崩壊する事で、情報インフラを維持する中央政府が無くなり、駅伝制度は維持不可能となる。

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欧州における中世定住社会では、国王の使者や飛脚、教会組織による情報伝達、大学飛脚制度等があったとする。

フランスとドイツの違い。

○フランス
「カペー家の奇跡」として、12世紀末~14世紀初頭にかけてのフランス王家は代々が長命で男子後継者に恵まれた。そのため、他国よりも早くから王権強化が為されたとされる。国家理性の思想。

⇒公的権力による飛脚制度の傍ら、商用郵便が行われた

○ドイツ
10世紀後半から13世紀後半にかけて、血統断絶により王朝が三度交代している(ザクセン朝、ザリエル朝、シュタウフェン朝)。シュタウフェン朝滅亡後は、大空位時代を経て、一代限りで王朝が変わる状態となる。

⇒諸侯領は独立国家に等しくなっていく

第三回十字軍を契機に1198年にローマ教皇の承認を得て成立したドイツ騎士団は、移住国家であったために土着勢力との戦闘が絶えず、情報網構築のために自前の飛脚制度を作ったとされる。

ドイツ騎士団は、バルト海貿易にも関与したため、騎士団の飛脚はハンザ同盟諸都市を頻繁に回り、北欧商業の潤滑油になったとする。

⇒経済的目的を主とする郵便制度?

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商業が盛んだった14世紀のミラノにて古代ローマ駅伝制度が復活されたとする。

以下は、Wikipediaの「ガレアッツォ1世・ヴィスコンティ」の記事へのリンク。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%84%E3%82%A91%E4%B8%96%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3

時刻伝票システムにより、配達物の時間管理が徹底され、それが近代的時間間隔の基になったとしている。やがてヴェネツィアやフィレンツェにおいても駅伝制度が整備されていく。

ヴェネツィアの商人飛脚にはベルガモ出身者が多く、タッシス家(タクシス家)という有力な飛脚問屋があった。タッシス家は、アルプス以北への事業拡大に乗り出し、1490年にマクシミリアン一世と郵便契約を交わす事になる。

タッシス家の郵便網は、ネーデルラントのリエージュとローマを40日間で往来したとされる。

マクシミリアン一世の嫡男フィリップ美王は、1505年にフランツ・フォン・タクシスと新しい郵便網構築のために郵便契約を締結した。

フィリップ美王の宮廷があるブリュッセルとインスブルック、パリ、スペイン宮廷を結ぶもので民間にも門戸が開放された。郵便網が数カ国に跨る事で、国際性を獲得した事になる。

フィリップ美王の長男であるカール五世の時代に郵便インフラが民間に開放される事が郵便契約(1516年)に明記される。

1522年のニュルンベルク帝国議会の最終議定書には郵便制度整備が盛り込まれ、1531年にネーデルラントのアントワープに証券取引所が開設されてからは定期便の需要が高まり、1534年にアウクスブルク ― アントワープ間、1538年にアウクスブルクを経由してヴェネツィア、ローマに通じる定期郵便コースが出来上がった。

⇒イタリアとネーデルラントが郵便によって連結した事により、フランス シャンパーニュ地方の大市が衰退したとする。『物質文明・経済・資本主義』第2冊(フェルナン・ブローデル著)。

カール五世の時代は宗教改革の時代でもあり、反宗教改革のための公会議やプロテスタントの情報を集めるためにも定期郵便が活用されたとする。

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<郵便危機>
国家事業としての欧州近代郵便制度が、財政危機に陥った事?

1556年のカール五世退位により、ハプスブルク帝国はスペイン・ハプスブルクとオーストリア・ハプスブルクに系統分裂した。ハプスブルク帝国の郵便制度はスペイン王となったファリペ二世が引き継ぎ、維持費もスペイン政府から支払われる事になる。

カール五世は1555年の「アウクスブルクの宗教和議」にて、ルター派を容認し、プロテスタント諸侯の存在を認めたが、スペイン王フェリペ二世は宗教和議を認めていない。ドイツ北部、西部のプロテスタント諸侯はハプスブルク帝国郵便との連結を断つ事になる。

さらに、スペイン王国は1557年、1565年の二度にわたり国家破産を繰り返している。郵便局長は年100フローリンの報酬が受け取れなくなり、郵便網が機能麻痺状態に陥った。

帝国諸侯だけでなく、商人達が都市共同事業により都市飛脚制度を整備していく事になる。

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<ルドルフ二世>

以下は、Wikipediaの「ルドルフ2世 (神聖ローマ皇帝)」の記事へのリンク。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%952%E4%B8%96_(%E7%A5%9E%E8%81%96%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E7%9A%87%E5%B8%9D)

ルドルフ二世は、郵便の国家独占の理論的裏付けを主張した。1597年に郵便事業は国王大権(国王に属した特権的収入源)に属するとしたが、分裂国家であるドイツで郵便を皇帝政府が独占する事は無理だった。

帝国郵便と領邦郵便の妥協と連結が進み、輸送量が増えた事で助成金無しでも事業維持が可能になっていく。

フランスにおいては1654年に郵便制度が王の直属となる。同時期のフランスでは、傭兵隊長の軍編制権を国王が奪取し、30万人の常備軍が確立している。1676年には郵便事業の賃貸契約システムが始まり、王政府が請負業者に郵便を任せるようになった。

英国では、1591年にエリザベス一世が郵便の国王大権を宣言。チャールズ一世の時代から公的郵便制度が機能し始めたとする。清教徒革命後の1657年には護国卿クロムウェルが郵便の国家独占令を公布している。
1680年にはロンドン市内に一ペニーで手紙を配達する「ペニー郵便」が民間により登場するが、1685年には国営化され、ロンドン郵便となる。

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<新聞>
新聞は郵便インフラを起源とする。

不特定多数の人間に情報を売るという意味での手書き「新聞」は、1480年頃からあったとされる。「新聞」の定期性は、1560年代のドイツ、イタリア、スペイン、ネーデルラントを巡る主要郵便コース整備と時を同じくして確立される。

1605年には、フランスのシュトラースブルクの印刷業者 ヨハン・カルロスにより世界初の活版印刷の定期郵便「報告」が発刊された。手書きから活版印刷に切り替わった事で、新聞情報の威厳性が増し、普遍性や公共性を帯びたとする。

ドイツでは、中央郵便局による新聞発行が行われ、ドイツ三十年戦争による情報需要増大により多くの新聞が創刊されたらしい。

17世紀のドイツでは、約200の新聞と60の印刷所があり、読者は20万人~25万人とされる。帝国政府は新聞検閲を行い、世論が形成されていく。

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情報量増大により、18世紀欧州には「手紙の世紀」が到来したとする。

ドイツ三十年戦争の終結時に締結されたウエストファリア条約では、国家主権が明記された。欧州が一つの正義を奉じるべきとする普遍主義では、カトリック普遍主義とプロテスタント普遍主義による戦争が終わらない。

帝国化するのでなく、分配システムが構築される。多数の正義、秩序の併存。

戦争も普遍主義から離れ、国家と国家の戦争に限定され、殲滅戦から限定戦に変質する。欧州世界「帝国」の代わりに、「経済システム」が全世界へと拡大していく。

欧州の総人口は、1600年の9500万人、1700年の1億3000万人、18世紀末の1億8800万人と増加し、増加分の大半が都市住民として郵便の利用者となった。

17世紀後半からの郵便事業は上納金を国庫に納める事が可能になる。事業化された郵便システムは経費節減のために最短コースを使用する必要があり、郵便契約によって国境が克服されていく事になる。

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活版印刷だけでは急激な社会変化は引き起こせない。郵便によって文書が拡散し、市場等で読み上げられた事で変化が発生したとする。

蓄積メディアと伝達メディアの複合。

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