図解雑学 ポスト構造主義

読んだ本の感想。

小野功生監修。2006年1月3日発行。



第1部 ポスト構造主義の背景
構造主義とポスト構造主義の関わりの概略と、近代を批判する思想の系譜。

第1章 ポスト構造主義とは?
ポスト構造主義は、構造主義の後としているだけなので、それだけでは内容は不明。単独のキーワードではポスト構造主義を表現出来ず、現実の複雑に対応しているとも言える。幾つかの思想を大雑把に一纏めにした名前?

1960年代に流行した構造主義を引き継ぎ、近代を批判する思想として1970年代に流行したとする。

構造主義では、「近代」を科学的な観点から不変の構造を見い出そうとしたが、ポスト構造主義では歴史意識が強く、歴史に無関係な真理を対象にしない。

第2章 現代思想としての条件
19世紀後半に現れた近代批判が理解されたのは、20世紀の世界大戦によって進歩に対する懐疑が発生してからとする。

認識論:
近代哲学の課題。自律した確固たる「人間」の正しい認識が如何にして可能であるかを問う。

存在論:
ハイデガー等。存在の意味を解明しようとする。

<現象学>
現象とは、人間の意識にとっての世界の現れである。人間の認識は先入観に染まっているが、印象に囚われずに本質を知ろうとする。フッサールは、後期において人間が介入する事によって事物の本質を決定出来るとした?弟子のハイデガーは、人間との関係で事物が「ある」の性質を変えるとして、自分が何者であるか分からないまま現実にある人間観を提唱?

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マルクス主義は歴史法則を信じるが、マルクス自体の思想は偶然が人間にとっての自然とする。自然と現実の在り方であり、人間は自然によって決まる自然物とする。

ニーチェは生物の目的を生きる事自体として、そのために混沌とした世界の現状を自らの図式に当て嵌めなくてはならず、世界と対話しながら自分と世界を作り変えるとした。図式化とは、世界をそのまま認識するのでなく、必要な条件のみを認識する事であり、理性は認識のためでなく、図式化のために必要とした。

しかし、西洋の歴史は自らの外部に理想と世界を作り、生きる現実と関係の無い道徳で自らを縛っているため、人間が生きる事に疲れたとしている?

第3章 構造主義の衝撃
構造主義は近代を批判した。近代は、西洋を基準に全世界を観測し、他の文明を劣位としたが、構造主義は未開の観点から西洋を批判した。文化は独自の秩序を持っており、その内側にいると全体像が見えない。

西洋が進歩しているという思い上がりへの批判?

<バタイユ>
前近代的な社会の仕組みについて考察し、無駄な消費を社会的に強制する仕組みについて明らかにした。自然から逸脱した人間は生きるのに不要な物を貯め込み、それを一度に消費する事を繰り返すとする。これは、普段は不要な服を着込み、裸になった時のエロティシズムを作り出す人間の性の在り方と同じ仕組みであるとする。

人間は帰属する文化によって規定されており、個人による思考が人間本来の思考とは限らないとする。思考とは意味を持つ記号の運動であるが、記号が自らの法則を持ち、自力で動くため、自分で考えていると勘違いしている。

第2部 ポスト構造主義の登場
構造主義の不足店。とポスト構造主義の思想内容。

第4章 構造主義の彼方へ
構造主義は、現実の多様性より共通性に注目する。人間は言語によって混沌とした現実を再定義し、安定した人為的世界を構築している。現実と直に接しているのでなく、言語や文化によって構築された人工的世界。

構造主義では、不変のパターン = 構造の存在を前提にしているため、変化する現実を説明出来ない。

構造主義では数学の理論が重要な役割を果たしており、数学は原理をモデル化する学問であるから、現実を単純化するもので、多様性や変化を拒否するのかもしれない。

⇒構造は、異なって認識される多くの社会の根底にある不変なものとして想定されており、それでは多様性や変化を捉えきれない

人間が文化によって規定されているのなら、それに向き合うのは政治(人間社会における闘争であり変化の要因?)であり、構造主義が背を向けた政治や実践に取り組む事がポスト構造主義の課題である?

第5章 ポスト構造主義の思想(1)
構造主義による批判が政治参加に積極的だったサルトルに向けられた事により、構造主義には積極的な政治参加に冷淡であるという印象があった?

不変の構造を想定する構造主義は、現実を眺めるだけという態度に結び付き易い。現実には、個人の意識に上る事の無い不可視の仕組みが変化を引き起こす可能性を想定するが、そのように世間に思われる事は困難だった。

進歩への幻想とは別に、近代主義で失われた未開に対するロマン主義的心情。

<ロマン主義>
現実世界が無味乾燥であるため、現実から遠いものへの志向が強い。遥かな過去や異世界を求める心情がロマン主義である。現実とは異なる事が重要で、現実から逆規定された夢想である。過去の美化はこうした心情の産物とする。

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課題に対処するため、アルチュセールは、現実は複数の要因が複雑に関係しているとし、それぞれの要因が独自の構造を持っているとした。一つの原因や目的を見い出す事は不可能とする。

弟子のフーコーは、複雑な現実を捉えるには、目前の細部に丁寧に付き合うべきとする。これはアルチュセールのマルクス読解方法(徴候的読解)であり、マルクスの著作が読み難いのは、複雑な現実を単純化しなかった証拠とする。

⇒認識においては、知っている事は簡単に知覚可能であり、人間を安心させるが、それは既に知っている事を確認するための儀式でしかない。徴候的読解では、知らない事を読み取る事を目的とし、構造主義やポスト構造主義は世界を丁寧に読む方法であるとする

フーコーにおいては、現代の視点から過去の歴史を眺めている限り、分かり易い事象しか知る事が出来ないとする?フーコーは、過去の言葉遣いの些細な癖等に注目し、現代人が馴染んでいる思想は200年程度の歴史しかないとした?

⇒従来の単純化された歴史観から離れ、細部に注目

人間の日常生活を構成する些細な人間関係こそが権力であり、些細な関係が積み重なる事で秩序が保たれるとする。人間の日常生活は政治である。

第6章 ポスト構造主義の思想(2)
ポスト構造主義という分類は、米国の文芸批評の場で用いられ始めたとする。フランスや哲学には囚われない観点。

<形而上学:メタフィジカ>
アリストテレス以来の用語で哲学の中心的課題。現実は現実を超えた何かに規定されているという思想であり、肉体的感覚によって知られる世界は影に過ぎず、理性によって知られる真の世界が重要とする。

形而上学は支配の正当性を語っており、形而上学批判は支配に対する批判的検討を意味する。哲学的原理が世界を支配するという思想は現代にも生き残っている。

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デリダの「脱構築」では、書き手の意図(形而上学)を無視し、読み手の側から意味を構築するべきとする。解釈学的循環を読解の障害とせずに積極的に利用すべきとする。

解釈学的循環:
あらゆるテクストにおいて、部分の意味は全体の中で決定されるため、全体の意味を知らなくてはならない。しかし、全体の意味は部分の理解を積み重ねなくては知る事が出来ない(例:全体が「磯野家」、部分が「サザエとカツオ」では、全体の意味と部分が揃わないと解釈学的循環に陥る)。

形而上学には、存在論という主題があり、事物が永遠に変化しない在り方を示す。変化を虚しいものとして永遠の真理を目指す事が西欧哲学の伝統である。ニーチェは、存在論は変化し続ける生命には相応しくないとして古代ギリシアのヘラクレイトス等の思想を参考にした自然哲学を提唱したとする?

自然哲学は、生きた世界という世界観を唱え、形而上学による存在に支配された変化しない世界へのアンチテーゼとする?歴史の進歩という概念は、一方向への変化しか想定しないため、多種多様な変化を捉えられず、人間性の本質という思想は様々な生き方を否定するとする。

<ガタリ>
反精神医学運動の後継者。人間を特定の枠に当て嵌めるべきでないとする。医学の観点で患者を病気と分類する事で、病気という社会現象が作り出されていると批判。

<ネグリ>
全体を見通す立場からの大きな変革でなく、個々の現場での都度の多様な在り方を肯定。現代の社会秩序は、支配される側が自発的に支配に協力する仕組み = 帝国であるとする。

<ベルクソン>
カントの認識論を批判。カントは、人間が世界を理解するための条件を時間と空間という数量的形式としたが、時間的経験は数量化出来ない。数量化とは、全体を外部から眺めた比較で、経験した時間経験の直接性が失われている。
生物には、自らを変化させて新場面を作り出す力があるとして、その創造性が進化の原動力とした。

第7章 ポスト構造主義の多様性
ジラール、リオタール、ボードリヤール、クリストヴァ等の紹介。

構造主義は、不変の構造を想定するために、以下の問題があったとする。

・理念を通じて現実を見る近代哲学の観念論的発想
・変化を抑え込む政治的効果

構造とは合理性(理性による認識)の現代的解釈であり、世界が合理的に構築されている前提がある。

科学も形而上学的に世界を合理的なものと見做す試みであり、流動的現実を外部から固定している。科学は近代特有の自然観に基づいている。世界の現実と人間の認識が一致する事が科学の前提であり、ポスト構造主義により批判されている?

第3部 ポスト構造主義の展開
ポスト構造主義は、歴史に参加するという態度の思想である。

歴史を闘争の現場と認識し、歴史は目標に向かって進むのでなく、闘争の渦巻く方向性の定まらない現実とする。

理論と実践を区別せず、何かを言語化すること自体が現実を作る実践の一つとする。理論と実践の区別は、現実を変化させない誤魔化しである?

同様に、日常と非日常という区分けも誤魔化しであり、個人的な事を日常の中に閉じ込めている事が政治的仕組みとする。個人の世界と政治の世界という区分けが、政治的な問題を個人の領域に押し込めて問題を隠蔽しているとする。

第8章 男性と女性 : フェミニズム
性別は、自然現象ではなく人為的制度とする。

男と女の利害が対立しないように、日常的な男女関係が自然であるように制度化されている。男は○○である、女は◆◆であるというステレオタイプは社会に根付いており、生物学的特徴として認識されている。

社会の認識が「男」、「女」を作り出しているという見方は構築主義と呼ばれる。

歴史的には、男が文化を象徴し(遠く、高く、地面 = 自然から離れていく)、女が自然を象徴したとする(身近な日常)。文化が自然の上にあるという理解や、理性が感情を制御するという価値観。

その最大の理由は、人間のとっての最大の自然である出産が女にしか出来ない事にあるとする。出産によって人間は自然物であると明確に示される。人工的な社会関係の中で人間は誕生するため、人間になる前のヒトと関わる事が文化以前の自然として区別される理由?

古代ギリシアでは昼の秩序の世界を男が支配し、夜の闇の世界は女が支配した?歴史的には、文化的秩序が自然を支配する方向で進んだとされる。

第9章 西洋近代と国家
近代になって、世界は西洋を中心に編成されたとする。

東洋は、西洋による造語であり、多様な地域を一つの用語で纏めている。さらに西洋からの一方的な印象が押し付けられたとする。

サバルタン:
自分の立場を語れないほどに従属的立場に置かれた人々。スピヴァク等の著書。従属的立場が固定すると、従属者でもそうした役割を受容するようになる。自分の言葉を失い、自分から見ても自分が他者になってしまう。

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一つの文化とは、国家によって作り出されたように思えてしまい、国家があるから文化があるように思えてしまう。国家内の一部の人間が行っている文化でも、全ての人間が行っているように思える = 差異の消滅。

民族とは、同じ文化を共有する人間集団であるが、そのような集団は近代国家が整備されるに従って多様な人々が均質化されて認識されるようになっただけとする。

一つの文化と思われているのは、多様な文化の闘争の場であり、一方が他方を飲み込もうとする統一と、統一から逃れようとする動きの場とする。

人類学者 ピエール・クラストルは、南米原住民の社会研究を通じて、統一国家を作らない社会は集団の多様性を維持する知恵があったとする(国家に抗する社会)。

第10章 ポスト構造主義批判
ポスト構造主義は一つに固定にし難い多方向な思想である。今後、完成されるかどうかも分からない。そして、安易に近代を否定し過ぎているという批判がある。

<ソーカル事件>
1996年に、米国の物理学者 ソーカルが、ポスト・モダンと呼ばれる思想家達の著作を適当に引用し、不適切な数式を散りばめたパロディ論文を学術誌に投稿したところ、掲載された。

⇒思想書が言葉遊びをしている可能性

近代的思想には、人間が世界を統一的に理解出来るという自信があり、暴力性の克服を思想的課題とした。合理的思考への批判は、理性自体が多様性を切り捨てる暴力であるという認識がある。多様な現実は比喩的にしか理解出来ないが、近代科学は数学によって世界を一つの視点から把握する。ポスト構造主義の課題として、唯一解を押し付ける暴力性に代わって比喩の多様性を復権させる。

<ハーバーマス>
近代は未完のプロジェクトとする。近代は理性的に生きる事に価値が置かれたが、それは未だに実現していない。批判する前に近代を実現しなくてはならない。

各人の理性によって様々な現象を統一して把握する方式だと、様々な主観性を持った個人の認識が合わない。合理的で公共性のある社会空間を作り、個々の主観に頼らずに合意によって合理性を形成すべき?

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フランスでは、フランス革命による理性の支配により、多様性が弾圧されたため、フーコーやデリダは理性を暴力的としたが、ドイツでは前近代が侵入する形でナチズムが到来したため、ハーバーマスは近代を未完のプロジェクトとする?

構造主義が近代以前へのノスタルジーを感じさせたのに対し、ポスト構造主義では近代後にしか向かわないという歴史意識が明確になっている。この歴史意識は近代思想と共通かもしれない。

ポスト構造主義の今後の展開として以下を予想している。

・伝統的共同体思考には回帰しない
・近代思想により、近代以降の思想的展開の
 可能性を探る
・思想として完成を目指さず、不定形の思考となる
・現実の変化に楽天的になる

多方向に拡散するポスト構造主義では、中心となる一部の人間が方向性を全て決定して、他が従うという社会モデルは採用出来ない。全て個々の現場で考えなくてはならない。

第11章 日本のポスト構造主義
国内の権力維持のためには、古代から外国という超越性が必要だったとする。外国の権威を自らの権威とする。

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モダン・デザインを機能重視の芸術とすると、ポスト・モダンでは芸術の多様性を復活させた。ポスト・モダンはモダンが最高度に達成された事で可能になり、20世紀後半の日本は条件に当て嵌まったとする。

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