熊から王へ

読んだ本の感想。

中沢新一著。2002年6月10日 第一刷発行。



神話的思考から考える「国家」の誕生。

自然と文化との対称性を作り出していた神話的思考の変化により、共同体の上の「国家」が生じたとする。

野生の思考 = 象徴表現を組み合わせて思考する
宗教的思考 = 超越的存在への注目

<現代の性質>
現代を規定している「科学」は原始的野生に基づいている?新石器革命時に人類が獲得した知的能力の中に、近代科学が駆使した思考様式はすべて用意されている。

かつて宗教?が齎した形而上革命は、新石器革命的文明の大規模な否定や抑圧の上に成立しており、科学は抑圧された野性的思考の復活と言える。

現代社会では、科学の限界 = 生命科学の機械論的凡庸、分子生物学と熱力学の結合の不十分、量子力学的世界観の拡大を阻む西欧型資本主義等が認知されており、一神教の開いた地平を科学的思考によって変革する、宗教、科学に次ぐ三度目の形而上革命が遥か遠い先に発生する事が予期される?

序章 ニューヨークからベーリング海峡へ
原初的社会において語られる神話では、人間と動物は対称であり、一方が優位に立つ事は無いとされる。人間の文化と動物の自然の対称。

神話における動物と人間は対称的であり、夏には人間が動物を狩猟によって殺すが、冬には動物の精霊が人間を殺す事が神話や儀式によって表現されたりする。

人間は捕食し、捕食される連鎖の一員という事になる。それに対して神話を否定した現代社会における人間と自然の関係は、人間優位の非対称なものとして認識される。

第一章 失われた対称性を求めて
「神話的思考」と「対称性の社会」を同一の意味とする。自らの世界から非対称の関係を無くすために、神話の思考を用いる。神話的思考は、非対称の解消にこそ能力を発揮するが、現代では社会秩序の正当化に使用されている?

神話の中では、人間が動物になり、動物が人間になる。自然と人間のどちらかが優位になる事はない。

神話的思考は「交換」という概念が基盤になっている?動物を捕食する理由付けがあり、その対価を支払わなくてはならない。異種間婚では、夫婦となった動物が人間が離れ々れになり、動物社会が人間社会に借りを作った事が狩猟の根拠になったりする。

第二章 原初、神は熊であった
1917年にスイス アルプス山脈の洞窟から、ネアンデルタール人の旧石器と一緒に、熊の頭蓋骨や大腿骨が見つかった事例。熊の骨は並べられており、宗教的対象物だった可能性がある。

アイヌにも「熊送り」という儀式があり、熊の頭蓋骨に化粧をして、霊の世界に送る。

神話では人間が熊に変容したり、熊と人間が結婚したりする。人類の象徴的思考は、分野の異なるもの同士の間に共通点を見い出し、異なるものを理解しようとするとする。

人間と熊の対称性は、言葉の象徴化能力 = 詩的思考能力の表れであるのかもしれない。

第三章 「対称性の人類学」入門
言語は、隠喩の軸(パラディグマ軸)と換喩の軸(シンタグマ軸)の組み合わせであるとする。言語を可能にする比喩の能力が人間の徴であるとする。

神話は、比喩を活用し、世界を象徴的に表現可能とする。

神話の思考では、補償対象である動物は獲物であるだけでなく、人間と対称となる兄弟や夫婦にもなり得る。

第四章 海岸の決闘
シャチをめぐる神話について。

海の動物であるシャチが鋭過ぎる武器を入手すると、対称性が崩れる。中世以来、アムール川流域やサハリン島との交易に刀等が用いられるようになり、狩人の世界にも変化が発生した?

強過ぎる人間は自然から一方的に奪うだけの搾取者になってしまう。

サハリン島のウルチの神話に、人間とカレイの間に生まれた子供が、シャチに出会って剣を手に入れる話がある。



神話の中では、人間とカレイとの子供は、剣で熊を次々と殺すが、最後には熊と素手で決闘する。これは非対称を否定し、対称性を回復する話?

対称性 = 贈与の関係が崩壊すると、自然が人間に富を齎さなくなるとする。自発的な贈与ではなく、自然を開発の対象として収奪する事が現代的思考?

第五章 王にならなかった首長
原初の世界でシャーマンになろうという志願者は、冬眠中の熊のように何も食べないで精霊を待ったとする。シャーマンは、熊になる事の出来る人間である。

シャーマンは、熊になる事によって自然の力の源泉に触れるが、一方では高エネルギーで危険な存在でもある。シャーマンは対称性を破壊する可能性があるため、社会の周縁部でいて、権力の中心に近づく事はない。

対称性社会の首長は、文化の原理を自らの拠り所とする。シャーマンの自然の原理のような流動的領域ではなく、文化的な規則や良識に随って社会を平和に保つ。

首長には「王」と異なり、絶対的権力は無い。

以下は、米国の文化人類学者ローウィが南北インディアン社会を観察した結果としての首長の特徴。

①集団の緊張を和らげる
部族間の戦争においては、主張とは異なる人物が戦争の指導者となる。戦時の政治原則と平時の政治原則は異なる。文化を成り立たせる言葉よりも、自然と渡り合う技術を重視する将軍の存在。将軍は強制力を行使する事もある。

②自分の財物について物惜しみしない
自らの貪欲を抑え、他者の欲望に応える文化的原理の体現。

③弁舌爽やか
歌い踊る事も含める。現代社会でも音楽家がカリスマとなる事がある。

第六章 環太平洋の神話学へⅠ
自分から国家を作り出さなかった民族が、太平洋を取り巻いて存在しているという意見。北米インディアンと縄文文化等の関連?

縄文時代の社会にも富の多寡による階層が存在したと思われるが、思想や倫理によって国家発生を防いでいたのかもしれない。

第七章 環太平洋の神話学へⅡ
民俗学者 折口信夫の意見。

冬は、冬至を挟んで秋の終わりから初春までの期間を指し、この期間に冬の祭り(霜月祭り)が行われる。

冬(ふゆ)は、「ものがふえる」という意味を表すとする。増えるのはタマ = 霊魂である。

上記の意見は、日本の祭りの調査や北西海岸インディアンの調査に基づくとする。

<クワキウトゥル族の生活>
季節に応じて、以下のように生活が変わる。

夏:世俗的活動の季節
共同のテリトリーで最終活動を行う。ヌマイマという地縁集団に分かれて、拡大家族のような集団が分散して生活。首長が指導者となり、掟を破らないようにする。

冬:聖なる期間
分散していた人々が一つの場所に集まる。家族中心の生活が、秘密結社に帰属する生活に代わる。日本の冬の祭りでは「講」、「座」と呼ばれる。首長ではなく、秘密結社毎の指導者が祭祀の主導権を持つようになる。

北西海岸部のインディアンには、「ハマツァ」 = 「人食い」の儀式があるとされる。人食いの精霊に食べられる事により、カンニバルに生まれ変わる。優れた性質の持主は、人食いの性質を持っている事になる。

⇒夏は狩猟の期間であり、人間が動物を捕食するが、冬には人間が「人食い」に儀式として食べられるとする?冬は自然権力が人間社会を支配する期間である。

祭りと戦争は似た行為とされ、優れた戦士は強力な人食いである。

**************

以下の4つの指導者があるとする。

①首長
夏(狩猟の季節、世俗的な季節)を指導する。法律、道徳、経済、政治。弁舌と理性でSH河相に平和を齎す。

②秘密結社の指導者
冬の季節を指導する。普通の社会的人家鵜を否定して、超越的な性格の哲学を追及する?

③将軍
普通の暮らしでは危険である力の領域で活躍する。

④シャーマン
理性の踏み込めない動物の領域。予言や治癒等を行う。

首長以外の指導者は冬を中心にしており、理性の限界を超えた領域で行われる活動に関わる。夏には文化と自然が対立するが、冬になると区別が無効化して文化に自然が流れ込む。

王とは、冬の季節に自然の力を取り込んだ指導者達が、世俗的な首長と一体化した姿とする?王は、自然のものであった力を人間である自分に取り込んで、社会がある限り君臨し続ける。

第八章 「人食い」としての王
人間は、思考の断片を組織化し、神話や儀礼を整える。

人食いは、具象的な形態を呑み込んで破壊し、抽象的な流動体に変える働きをもったものを表現しようとした原始的概念?

象徴的思考と超越的思考のバランスを取るために、冬という限られた季節にのみ、超越者が発現出来る期間、空間を限定した?流動的知能に由来する超越的存在への思念は、冬の終わりによって消失させなくてはならない?

古代のある時期に、自然のものであった権力が特別な人間に帰属すると主張された事があった?冬という特別な期間にのみ許された指導者が、常に社会の中に存在する事になる。

冬の祭りの間のみ、人間より大きな権力に呑み込まれており、それ以外は首長の文化によって指導されていたが、自然権力を体現したと主張する王によって、冬の祭りにおける個体性の否定が日常生活の中でも発生する。

⇒具体的な人間関係よりも大きな、社会を超越する権力 = 国の出現

王権 = 社会内部に取り込まれた自然権力

首長の権威は理性によって支えられるが、王の権力は宗教的儀式によって演出される。

終章 「野生の思考」としての仏教
原初の世界では、文化によって権力が抑えられていた?

仏教やキリスト教は、巨大な国家に対抗するために生み出されたのかもしれない。

ゴータマ・シッダルタの生国は、サーキャ族というモンゴロイドの民族によって立てられたとする。インドの宗教とは異なる共和制に近い宗教があったのかもしれない。

カースト制は社会を非対称の原理に従って作り上げる。人間を分類し、階層に固定して社会を作る。カーストでは観念性や抽象性に優位が与えられ、具象性から離れるほど階層上位になる。

王の権力は共同体を呑み込むが、仏陀は王の権力を否定し、智慧によって導こうとする。仏教は権力を無化する思想となる事で、文明圏に対称性を構築しようとしたのかもしれない?

「熊」は、仏教以前の「菩薩」の概念の体現者だったのかもしれない。

チベットの仏教徒は、動物を見て自分の母や兄弟と思えるまで瞑想を繰り返すとされるが、それは熊の神話と似た発想である。輪廻は古代神話の読み替えなのか?

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