肉と石の心

読んだ本から。

他人の心が存在する事を論理的に証明する事は出来ない。

自らの使用する言葉と、周囲の全ての人間が使用している言語が、発音が同じだけの別の言葉であるとする。

その場合、周囲の人間との意思疎通が成立しているように感じられるのは、偶然と勘違いの連鎖が数十年も継続しているだけという事になる。

誰もが誰とも異なる言葉を使用している事に気付かないまま、偶然の一致の積み重ねによって、意志疎通の行われないまま、言葉を理解して伝えられると信じ続ける。

それは自らに対する信頼であり、自分が特別であるという感覚に根差す。自らが特別であるという感覚は、他者に論理立てて証明出来ない。感情は証明不可能。

他人の心の認識は、思考が歪むから可能になると考える。

思考の歪みを前提にすると、人間と機械との違いは無くなる。

まず、全ての人間の腕を機械化する。腕が機械化しても、人間と認識される。

次に、全ての人間の足を機械化する。腕と足が機械化しても、人間と認識される。

そのようにして、顔、胴体、内臓、血、肉、骨、神経、ETCの全てを機械化する。それでも人間は人間であるのかもしれない。

そして、機械化した人間から情報を発信する機構を取り除く。情報を受信するだけで、話す事も動く事も出来ない認識し思考するだけの機械。

外部から見ると、情報を発信出来ないのだから、思考する機械と思考しない機械の区別は着かない。

考えて感じるだけで、人間であるとするならば、機械の中に「心」があると信じていれば孤独ではないのかもしれない。

自らの世界は自らの中にだけ存在する。

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