図解「墨子」のパワーを身につける

読んだ本の感想。

岡本光生著。2001年5月7日 第1刷発行。



以下は、Wikipediaの「墨子」の記事へのリンク。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%A8%E5%AD%90

墨子の思想は、中華が秦によって統一される以前に流行した。その後は社会から忘れられたが、清朝末期に再び甦る。

人間のありようを労働に求め、分業と交換を否定し、農民だけからなる社会を構想する。外敵の侵略は民衆とともに撃退する思想は、民衆を味方にしてのゲリラ戦という毛沢東の思想と似ているかもしれない。

そして、墨子の思想は秦が中華を統一した時同様に、「中国」が成立すると忘れ去られるかもしれない。中華の危機の時のみに必要とされる思想?

梁啓超(1873年~1929年)は、その著書である『中国の武士道』の中で、墨子の思想を中国の武士道としている?

以下は、Wikipediaの「梁啓超」の記事へのリンク。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%81%E5%95%93%E8%B6%85


********************

墨子は、人間同士が争う原初状態から、兼愛(全ての人が愛し合う)、尚同(人材育成)、非攻(非戦論)によって平和を実現するとする。そのための組織として尚同体制(自給自足による経済や人材育成)を志向し、その根拠は意志ある天である?

天は意志を持っているのだから、人間は天の意志を動かす事が出来るとし、儒家の宿命論は怠惰を促すとする?

儒教の思想は欲望の肯定であるとする。欲望を洗練された形で充足するのが「礼」であるとする。食事や住居、立ち居振る舞いに直接の目的を超えて美を求める。

墨子の思想は実用重視であり、余計な装飾はいらないとする。過剰な葬礼儀式(厚葬久喪)や音楽の否定。勤労と節約の推奨。

<墨子の論理>
墨子の論理は、必然を是とする。

1.聖人ならば聖王である 且つ 聖王ならば聖人である
    ↓
2.墨子は聖王でないので、聖人ではない

<孔子の論理>
孔子は「勢」の介入を認める。

1.聖王であれば聖人である しかし 
  聖人であっても聖王とは限らない
    ↓
2.孔子は聖王ではないが、聖人である

墨子は「意志を持つ天」を前提にして、天は自然現象を通じて人間社会に介入し、人間は天の意志に働き掛ける事が出来るとした。儒教は、天の領域(自然)と人間の領域(社会)を分離し、相互不可侵とする。

墨子は絶対的な天を想定して、必然的である事を前提にするが、儒家は善意も悪意も持たない勢(意志を超えた自然の勢い)を想定し、自然現象に意味は無いとする?

墨子の墨経の中に以下の言葉がある。

小故:必要条件
小さい根拠。それだけでは結果を導き出せないが、それが無ければ結果を導き出せない。

大故:必要十分条件
大きい根拠。それがあれば必ず結果を導き出せ、それが無ければ結果を導き出せない。

凹面鏡:
影像が物体よりも小さくて倒立する場合があり、影像が物体よりも大きくて直立する場合がある。物体が焦点の外にあるか、内にあるかによる。

<墨子の経済世界>
墨子は生産の仕組みを「男が耕し、女が紡ぐ」とする。
⇒農民家族が生産の中心単位・

対して、孟子や荀子等の儒家は、農民、手工業者等からなる分業の世界を想定する。社会を交換の体系とする。

墨子は貧富の格差を以下の二種類の方法で解消しようとする。

①爵位
豊かな者に爵位を与える事で、貧しい者に富を配分する

②交相制
関係がある者同士での助け合い

孟子は、交換を市場という見知らぬ不特定多数がである場で行うとしたが、墨子は見知った特定人物同士の絆を重視した?与え与え返す兼相愛の思想。

墨子の世界では、富者から貧者への一方向の財の流れが常態化する事になるため、状態を維持するために「君主」が主導権を握らなくてはならないとする?

<墨子の人口増加策>
墨子は封鎖された国家内における人口増加を志向した。女性の妊娠可能期間を15歳~35歳として、結婚を推奨する事による人口増加政策を唱える。

対して、孟子は善政を行う事による他国からの人口流入を唱え、商鞅は爵位や租税免除による他国からの人口流入を唱えた。韓非子の場合、人口増加は相対的に富を減少させるとして、人口増加を図る必要は無いとした。

人材育成に関する思想も同様で、他国から呼び寄せるとする孟子に対して、墨子は自国内での育成を重視する。賢である事は全ての人間に開かれており、外部から調達するよりも、総量としての賢者増加を重視している?

<墨子の秩序論>
墨子は人間は権力組織の中で生活するとする?人間は、それぞれに自分の「正義」を主張して傷つけ合う存在である。秩序は自生せず、外部(天)から政長による力によって与えられるとする。

以下の思想家との比較:

○孟子(性善説)
人間同士の関係を財の交換を通して考えており、納得ずくの調和を考える。強制の必要は無いので、組織論や権力の問題を考える必要は無い。

○荀子(性悪説)
分業を前提にするが、人間の欲望は無限であるとし、「礼」によって矯正する事で欲望を有限化する。孟子のような自動調節機能を前提にしない。

世界中から賢者を選んで天子として、さらに天子の補佐役となる三公を選ぶ。以下のような階層。

・天
 ↓
・天子(三公)
 ↓
・諸侯
 ↓
・郷長
 ↓
・里長
 ↓
・民

天子を選ぶのは天であり、人々は天に同一化すべきとする。民を直接支配するのは里長であり、統一された里が纏まって上位の郷に統一され、幾つかの郷が上位の国に統一され、さらに幾つかの国が上位の天下に統一され、その首長が天子である。

墨子の組織における最高統治者は「天」であり、「天」は自らの意志を大風等の自然現象に込めて天下の民に示すとする。天子による上からの一元化と、里を基礎に積み上げていく下からの一元化。

天子は天の支配下にあり、無制約な存在ではない。君主は直接に民を支配せず、国、郷、里という中間的な存在がある。中央集権的発想とは反対であり、農村の村落共同体内部までは権力を浸透させる事が出来なかったのかもしれない。

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No title

中国の古代の思想は、現代から見たら不完全である。
でも、この思想を踏まえることすら出来ていないのが現実であろう。

墨子、孔子にはそれぞれ良い部分というか、あることを指し示すプロトタイプを表してる。まぁ、現代的には、そういうことを説明するのに引用することで、事象を美しく説明できることが有難い。

儒教のいうところの美の追求では、形骸化していくだけで本質を見失う。
この美の追求だけが、ヒトではなく「人間」の生きる目的なのだが、墨子には欠けているのに、手段として形骸化しないためにはこういうことを学んでおく必要があるという不思議さ。
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