中華帝国とEU

読んだ本から。

中国における少数民族による支配王朝は、巨大事業整備のために発生したと考える事が出来る。歴史的に、人員を大量に動員すべき事業が発生した時に、社会システムの要求に応じて独裁体制が志向され、やがては継続的に人員を分散する方式に変化していく。

<秦>
以下は、Wikipediaの「秦」の記事へのリンク。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6

秦の祖先は、甘粛省天水一帯に居住し、遊牧生活をしていた。『史記』秦本紀では、瞬は秦の先祖 大費が鳥獣を飼育する事に功績があったので、「嬴」の名字を送っている。

周の孝王は、馬の飼育に功績があった大費の子孫である非子に甘粛省清水県付近の地を与え居住させ、その地が秦となる。

始皇帝兵馬俑にて発見された騎馬俑で発見された馬の像は、高さ172㎝~174㎝、長さ210㎝程度で、漢の天馬より大きい。体高(肩骨までの高さ)は140㎝前後でサラブレッドの約165㎝より小さい。

家畜化された中国の馬としては蒙古馬(体高130㎝)と、河曲馬(体高141㎝)があるが、始皇帝兵馬俑の馬は河曲馬に近い体型らしい。

⇒モンゴル方面とは別の西域部族による中華統合?

⇒秦による短い統合期間に交通網が再編された。統一の翌年である紀元前220年には馳道という国有道路の建設が始まり、燕、斉、呉、楚の沿海に延びたとされる。

秦が滅びた後も、秦による社会システムは継続し、郡県制は漢による群国制に引き継がれる事になる。おそらく「中華」という社会システムを構築するには西域部族の力が必要だった。

<唐>
以下は、Wikipediaの「唐」の記事へのリンク。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90

唐の太祖は、漢人とトルコ系の混血貴族 李淵とされる。王朝を打ち立てる際に、トルコ系の東突厥と軍事同盟を結ぶ。突厥族は唐の太宗に「天河汗」の称号を贈っており、唐の皇帝が中華皇帝兼トルコ系遊牧民族の君主であった傍証とされる。

⇒この構造は清朝と似ている。

唐の時代に行われた事業は主に以下の3つ?

①仏教の流行
②科挙制度の導入
③シルクロードの開発

⇒全て非漢人系の唐でなければ不可能だった?中国産の道教でないインド産の仏教の流行。伝統的な貴族の力を削ぐ科挙導入。遊牧民の機動力を活かした中央アジアでの通商路整備。

唐における仏教の流行は著しく、845年の「会昌の廃仏」が発令されるも、1年後には覆されてしまう。

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歴史が国家戦略に及ぼす影響について。

EUにおける移民問題の本質は、EUがローマ帝国を参考に、「国家」による統合を目指している事に問題があるとする。

「異民族の支配層に権利や名誉を与える事で滅ぼす戦略」

ローマが異民族との平和協定を締結する際には、以下の2つが重視された。

①ローマ以外の都市とは商取引を行わない
②ローマに軍隊を提供する

EUも各国の政府を通じて「統治」を実現しようとしている。

問題は、移民問題への対処が出来ない事。EU圏内の人の移動は想定されているが、EU圏外からの流入者は想定されていない。

そのため、EU圏外からの流入者が独自共同体を形成してしまい、国家内に別国家が形成されてしまう。支配層を買収する戦略が使えない。

一方で高技能人材の取り込みには失敗しており、2006年末の段階でドイツにおける技術職の求人の内、前年比で約30%増の2万2000件が空席のままである。

⇒EU圏外からの移民には市民権を認めない等、高技能人材を取り込む政策が不徹底。

問題になっているのはイスラム教徒であり、高技能人材を積極的に受け入れている米国のイスラム人口は全体の1%~2%であるが、欧州のイスラム教徒は人口の10%以上とされる。

欧州社会に同化しようとしないイスラム教徒の存在は脅威と受けとめられており、ますます移民達が閉鎖的共同体に閉じ込められる事になる。

反移民感情が強い欧州においてイスラム教徒が増加し、移民国家であるはずの米国においてはイスラム教徒はそれほど増加していない現象は注目すべきで、人材獲得競争では米国が優位にある?

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