王安石と議論

以下は、Wikipediaの「王安石」の記事へのリンク。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E5%AE%89%E7%9F%B3

11世紀頃の古代中国の官僚。彼の実施した政治改革は、「新法・旧法の争い」という政治的争いを引き起こす事になる。

以下は、Wikipediaの「新法・旧法の争い」の記事へのリンク。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%B3%95%E3%83%BB%E6%97%A7%E6%B3%95%E3%81%AE%E4%BA%89%E3%81%84

中国における独裁政治は中世末期に、社会的要請から発達したものとされる。権限と財政の中央集権化は、貧富の格差拡大を海、王安石の新法は社会的中堅層の育成を企図したものとされる。

結局、地主や官僚を背景とする官僚の地盤を崩せず、以後、独裁政治に纏わる問題は王朝を変えて継続する。明の張居正、清の雍正帝は、王安石と共に中国中世における三大改革者とされるが、問題を抜本的には改革出来なかった。

以下が、独裁制の基礎?

<科挙制度>
隋唐の時代から科挙制度が施行されるようになる。宋の時代には、最終試験にて皇帝自身による殿試が行われるようになり、官僚の身分保障の根源は皇帝による承認となる。

⇒皇帝と官僚との上下関係の確立

<兵制の変化>
唐の中葉から軍人の職業化が進む。宋の太祖は、軍の直接掌握し、以後、統帥権と指揮権を皇帝が統括する事となる。

⇒平時から多数の兵を皇帝が管理する

**************

<均輸法>
地方から中央政府に賦税を運ぶ場合、遠隔地ほど労力が多いため、輸送の労逸を等しくする事を趣旨とする。発運司という役所が、流通計画を策定し、必要な物資を必要な数量、必要とされる場所に近い場所で調達させるようにする。

⇒諫官 李常による批判。皇帝であった神宗に、均輸法について質問されるが正答出来ない

<青苗法>
農家に小口の融資を行う。当時は、収穫期前の資金不足から小作人に転落する農民が多く、自作農の保護を目的とする?

⇒反対派の意見には、唐代の青苗銭(附加税)と混同する者が多く、的外れが意見がある。

<保甲法、保馬法>
傭兵制度から民兵養成への転換を狙う。傭兵制度は、常に軍隊を維持しなくてはならず、維持負担が大きい(北宋中期以後の財政の8割は軍事に費消された)。

<募役法>
財力を自弁して奉仕しなければならない諸種の役について、希望者を募り、給料を与えて仕事をさせるようにする。その財源は、これまで役の義務を負わされた物から、富力に応じて徴収する。

⇒都市と農村の労働負担を均等にする事を目論む

*************

「新法・旧法の争い」の特徴は、争いの全体像を誰も理解出来なかった事にあるのかもしれない。本を読んでいると、論者の大部分は新法の内容を理解出来なかったとある。

当時は皇帝による中央集権が強化された時代であり、新しい政治システムが導入されると、それに関係した官僚が抜擢される。それでは旧来の政治システムに依拠していた官僚が割を食う事になる。

旧法党の出身者は北部出身者が多く、新法党の出身者は南部出身者が多いとされる。

誰にも理解出来ない問題を、多くの人間が議論しなくてはならないのだから、単純な派閥的思考を選択した方が合理的だったのかもしれない。人間はそれもど賢くない。

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