易経について

読んだ本からのコピペ。

以下は、Wikipediaの「易経」の記事へのリンク。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%93%E7%B5%8C

「易」の字は、蜥蜴を側面から見た象形文字で、「日」は頭部、「勿」は足と尾とされる。蜥蜴が体色を変化させる事から、易の文字は変化するという意味を持ったらしい。

初期には運勢を判断する言葉を集めただけだったが、後に注釈や統一理論が展開され、一種の哲学となる。

⇒当初は神意を聴くための原始的呪術だったが、神秘性が排除され、人間自身による問題追及となる

⇒呪術の人間化

易経は、変える事の出来ない宿命を知るのでなく、従うべき法則を見つける事で運命開拓を行う。

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原始的社会においては、神託に従う事で自らの思想・行動を正当化し、部族全体の意志統一を得る。

古代中国においては、「亀卜」と「筮占(易経の原型)」が神意を示すとされた?

<亀卜>
紀元前13世紀頃の殷王朝の時代に盛んに行われた。聖獣である亀や水牛の甲羅や骨に神意が宿るとした。亀甲に穴を開け、裏面から焼く事で罅割れを作り、その形や光沢によって吉凶を判断する。

<筮占>
周王朝(紀元前11世紀から紀元前8世紀頃)において発展した。多年生の草や竹の本数を数える事で吉凶を判断する。

⇒、「亀卜」と「易経」は、両方とも原始的呪術信仰から生じたが、大きな相違がある

「亀卜」は霊性に依存する度合いが大きいが、「易経」は数理を基礎としており、論理的に発展する余地があった。「易経」が盛んになり、「亀卜」が廃れた背景にあるのは農業技術の発展による人間の力への確信と思われる。

農耕に関連する季節・気候・天文・暦数についての知識が蓄積された結果、自然現象に一定の法則がある事が分かり、神の存在は疑われるようになる。法則に順応する事によって運命を開拓するという思想の根源。

「易経」の思想的裏付けは、春秋戦国時代から秦漢に渡る時期に完成されたとする。古代封建制・宗族制から郡県制・家父長制への移行期であり、伝統的権威が失墜していく過程で変化を説明する哲学としての「易経」が必要とされた?人間に関する法則を見つけ、変化する事象を支配する欲求?

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「易経」は儒家の経典(六経)の一つとされ、漢代になって儒家思想が国家統一の学問となると非常に盛んになり、初期には六経の末であったのが、遂には他の五経を統括する地位となる。

漢代の「易経」は、象数易と呼ばれ、天の運行や天変地異を説明した。

王弼(226年~249年):
道家思想の立場から、漢代象数易を一掃し、老荘思想に基づいて解釈し、哲学的意味を見出す。

孔穎達(574年~648年):
「五経正義」に「易経」の解釈を載せる。

朱熹(1130年~1107年):
道家的解釈の排除。儒教哲学としての「易経」の体系化。

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