危機の二十年

読んだ本の感想。

E.H.カー著。1952年1月30日 第一刷発行。



1919年~1939年の国際政治に関する概観。

正義について考えた本だと思う。

第一部 国際政治学
第一章 新しい学問の始まり
第一次世界大戦後、国際政治を一般的に理解しようとする欲求によって国際政治学は誕生した。人間の精神は、分析に先立ち目的が必要である。

人間が新分野にて行動するためには、願望や目的が強く、事実や手段を分析しようという傾向が弱い段階が最初に現れる。ユートピア的段階。目的に対する熱望の強い初期段階が人間の思考の本質的基盤であり、願望は思考の父である。

次の段階は、分析。ユートピア的時期の終わりを告げるのはリアリズムである。リアリズムは、事実認識と原因結果を分析する。リアリズムは、目的を軽視し、思考の機能は変革不可な事件の生起を研究するとする立場に陥りがちである。

客観的に考えて、抵抗勢力の強さや必然性を認めると行動を否定する事になる。

第二章 ユートピアとリアリティ
ユートピアとリアリティは思索の二面性を象徴する。

ユートピア(自由意志、理論、左翼):
意志の力によって現実を否定する。理論を現実が従うべき規準とする。思考が外部条件に制約される事を拒絶。一般原則を確立し、それによって特殊を検討する。絶対的な倫理基準への希求。

リアリティ(決定論、実際、右翼):
変える事の出来ない因果関係に従う。理論をもって現実を法典に編み込んだものとする。意識的に行う推論でなく、経験的に生まれる直観に従う。一般は無い、あるのは特殊だけである。倫理は相対的であり、普遍的ではない。

現実主義者としての官僚は、現行秩序を守り、行動基準としての先例を義務とする(経験は学問よりも価値がある)。理想主義者にとって一般原則は簡明であるが、経験主義的な官僚にとっては実現困難。左翼が官僚を非難する所以。左翼は政治行動の原理を考え出す事が出来るが、実際的経験に欠ける。

リアリティによってユートピアの基盤を明らかにしていく事は準備として不可欠であるが、リアリティは目的を諸事実から機械的に生み出されるものと見なしがちで変革を主導出来ない欠陥がある。

第二部 国際的危機
第三章 ユートピア的背景
近代ユートピア的政治思想は、神の権威に支えられた中世の体制が崩壊した頃にまで遡る。

ルネッサンス期のリアリスト達が倫理は政治の手段として、教会に代わる道義の裁定者として国家を押し立てたのに対し、権威に支配されない倫理基準が求められた。

ギリシア人が提示したような、人間の直覚に基づく自然法の理論。17世紀、18世紀に科学の分野において諸原理から物事を演繹する方法論が確立し、それが人間性にも応用されるようになる。人間の良心 = 理性が道徳法則を決定し、啓示に代わるとする。

ジェレミイ・ベンサム:
世論による救済の理論を作り出す。最大多数の最大幸福。人間の数だけ正邪の基準があるとする見解を無政府的とする。
①善と幸福を同一視
道徳的自然法則が理性的に決定されると、人間は必ず従うとする推定を裏書
②理性主義、個人主義の地盤を拡大

ジェイムズ・ミル:
ベンサムの弟子。世論が間違いない事を主張。

自由主義の本質的な基盤をなすのは、世論が理性的な態度で訴えられた問題について正しい判断を下すとする信念である。

<19世紀の楽天主義>
①善を追求する事は理性の働きによる
②知識の普及によって全員が理性的になる
③理性的な人間は正しく行動する

⇒ルソーとカントは、戦争は君主が自己利益のために行うものであり、世論が支配する共和政では戦争は起こらないとしている。

こうした思想が第一次世界大戦後の国際政治において適用され、19世紀の経済発展段階において有効に機能した理性主義を発展段階の異なる国々適用した事で問題が発生したとしている?抽象的な一般原則を六十にもなる国々に標準として適用する事は紛糾の種となる。

世論への自由民主主義的信念は以下を前提にしている。

①世論は勝つ
②世論は正しい

しかして、世論に訴える事で戦争を防ぐ事が出来るとした国際連盟は第二次世界大戦を防げなかった。人間が愚鈍であるのか、それとも邪悪であるのかユートピアンは悩む事になる。

第四章 利益の調和
社会は、人々が一定の行動規準に従わない限り存立出来ない。そして、人々が規準に従う理由が政治哲学の基本問題である。以下の二つの理由付け。

ユートピア:政治を倫理の機能とする
私欲よりも公共善を優先する事は個人の義務である。

リアリスト:倫理を政治の機能とする
強者には従うべきである。

上記二つの答えには異論の余地があり、理性と義務が衝突すると信じる気にはなれないし、単純な強者の正義には満足出来ない。

18、19世紀のユートピアニズムは二つの異議への回答に一見成功した。最大多数の最大幸福の理論やアダム・スミスのような自由放任の理論を活用し、個人の自己利益追求と共同体の利益増進を同一視した。利益調和の理論。

「共同体における善は、各個人にとっても善である」

アダム・スミスが、各個人が自己利益を追求すると、「神の見えざる手」によって共同体の利益も増進するとした形式は、18世紀の経済構造に的確に当て嵌まった。生産が高度に特殊化されていない小生産者と商人の社会。

しかし、産業資本主義と階級組織が社会構造として認知されると、有力団体が自らの利益を全体の利益と強調するようになる。利益調和の理論が存続したのは、生産と人口と富が膨張したためである。新市場が利益を齎したので、世界は自然的調和という理性的プランに基づいて秩序立てられているという信念が説得力を持った。

⇒市場が無限に拡大する事が利益調和の暗黙の前提である。

各個人が自己利益を追求する事で共同体全体の福利を無意識に作り出すとする思想を国際政治に応用すると、民族間の分業に行き当たる。各民族が特有の適性によって特定の任務を遂行する事が人類の福祉への寄与となるとする。1918年までは、こうした理論によって諸民族がナショナリズムを伸ばす事で国際主義の目的を増進させる事が出来ると信じられていた?

⇒第一次世界大戦後に民族自決が世界平和の鍵となるとされた理由であるらしい。

19世紀になると、自由貿易は工業的に優位に立つ国にとっては正しい政策であるが、弱小国は保護貿易によって発展すべきとする思想が普及し、関税によって国内産業を保護した米国とドイツが台頭する。自由放任は経済的強者の楽園であり、保護関税は経済的弱者の自己防衛とする。

<ヘーゲルの哲学>
現実を諸観念の永遠に繰り返し続ける衝突と同一視する。
  ↓
マルクスは、ヘーゲル的衝突を唯物論的に経済上の利益集団の階級闘争の形で示した。資本家と労働者の利益調和の信じない労働者政党の出現。
  ↓
ダーウィンの進化論は、絶え間ない生存競争と適応し得ない者の消滅による進化を提唱した。

上記の理論が導入されると、自由放任による共同体の利益とは、闘争に勝ち抜いた者達の福利という事になる。国際政治においては不適性国家の消滅による進歩の信念が帝国主義に内包されている?

それまで、共同体の利益が個人の利益であるとする口実で奉仕を強いられてきた人々の地盤が変動する。自由主義の動員力は弱まり、弱者の利益に目を塞ぐか不均衡を是正する来世を仮定するか。

こうして時代遅れとなりつつあった理論が、米国から第一次世界大戦後に登場したのは、米国で自由放任の歴史が特殊展開した事による?米国は保護関税を是認したが、広大な国内市場を持ち、国家による人為的調整を必要としなかった。

全ての国が平和において一致する利益を持ち、平和を攪乱しようとする国家は理性を持たない道義の無い国家である。こうした理論を戦争によって独立した民族や領土を獲得した国々に納得させる事は困難。現状維持を願う国家と変革を願う国家が存在するという好ましくない事実。

19世紀までの個人と共同体との利益相反は、未開地域に進出する事による新市場開拓によって解決していた。開発余地が無くなる事により、個人と共同体、国家と国際社会との利益相反が目立つようになる。理性と徳行との合一は信用されなくなる。

第五章 リアリストからの批判
「正義とは強者の権利である」というテーゼは理論と実際の違いに困惑した無力な少数者の抵抗の言葉であるとする。マキャヴェリを最初の重要な政治的リアリストとする。以下の信条。

①歴史は原因と結果の連続
歴史過程は分析され理解出来るのであり、「想定」によって方向づけられるのでない。
②実際が理論を創る
良い意見は君主の英知から生まれるのであり、良い助言から生まれるのでない。
③倫理が政治の機能
人々は強いられて正直であるようにされている

16、17世紀のリアリズムと20世紀のリアリズムの違いは、進歩を受容した事にあるとする。ユートピアニズムでは、静止した絶対的倫理基準を信じながら進歩を信じるが、リアリズムは動的な相対主義であり決定論的である。

リアリストによると倫理観念は原因でなく結果である。環境が意見を作る。理論は事態を説明するために考えられるのであり、事態の進行過程を作らない。

リアリストは思想が相対的なものであるとし、固定的絶対的正義を主張するユートピアンと対立する。ユートピアンが利益調和の理論を説く場合、自己の利益を普遍的利益のように装い、自己利益追求と共同体の利益追求を同一視するとする。しかし、同様の主張が他者から成されると、そうした合致は信じられなくなる。

社会道義の理論とは強者が自己と全体を同一視し、自己の世界観を共同体に押し付けるために作り出すとしている?やがて弱者が力をつけると自然的調和でなく、人為的な方法による調和が志向される。

19世紀において英国が圧倒的に優位にあった時の自由放任は、非特権的国家群には信用されない。英国による世界市場支配が終わると、国際経済的道義に関する思想は混沌とする。国際平和は支配的強国特有の既得権である。

国内政治における国家的団結の訴えは、団結を利用して自己の統制力を強行出来る支配的団体から為される。世界連合の主張は、結合した世界を統制出来る支配的国家から出される。支配的国家群の中に入ろうとする国家は、自然に国家主義を拠り所として支配的国家の国際主義に対抗する。国際的秩序とは、それを他の国家に押し付ける強味を感じる国のスローガンとする?

リアリストによると、ユートピアンの絶対的普遍的原理は、実際には特定時期の特定利益についての特定解釈を無意識に反映したものとなる。ユートピアニズムの破綻は、絶対的で公平無私の基準を提供し得ない事による。そしてユートピアンは、基準の挫折に当面すると、非難する事に逃げ口を求める?

第六章 リアリズムの限界
リアリズムは行為の源泉を提供出来ない。

一定の事実が変更出来ないと信じるのは、その事実を変更したくない事の反映である。一貫したリアリズムは以下の四つを考慮していない。

①限定された目標
政治を無限の過程と考える事は人間の心に合わない。政治の考察者は有限の目標を考えるしかない。リアリストは自らの根本原理を否定して、歴史的過程の外に究極の現実を想定する。マキャヴェリは蛮族からのイタリア解放、マルクスは階級無き社会(プロレタリアートの勝利による弁証法的唯物論の過程が終わるとする)、ヘーゲルは自らの弁証法を絶対の真理とする。
②心情的な訴え
世界大戦は最後の戦争と思うから耐えられた。
③道徳的判断の権利
正しく包括的、決定的な解決策への確信
④行為の根拠
あらゆる宗教は完璧な至福の状態を想定する。

ユートピアニズムの超理性的な願望と情熱が無ければ、挑戦は出来ない?一貫したリアリズムは、歴史的過程全体を受けとめ、過程に対する道徳的判断を除外する。しかし、成功するなら正しいとする信念んは目的ある思考を空虚にし思考破壊を齎すとする。「~でなければならない」という言葉の無意味を示唆するリアリズムはどの時代でも受容されない。

社会は理想(ユートピア)と制度(リアリティ)の鬩ぎ合いによって成り立つとする?理想が制度として具体化されると、理想的でなくなり、新しい理想によって打倒される。そうした相互連関が政治を織り出すとしている。

第三部 政治・権力・道義
第七章 政治の特質
古来より人々は半恒久的集団を形成しており、そこで人々の行動に関わり対処するのが政治である。以下の二つの姿勢。

①利己心
他者を押さえて自己を主張する意志。
②社交性
他者と協力する。

大部分の人々が協力しない限り社会は存立しない。社会を維持するための団結を維持するための制裁が必要になる。制裁は、社会に代わって行動する支配的グループ、個人によって行使される。大抵の社会では構成員となるのは自由意志により、最終的な制裁は追放である。国家は構成員である事が義務付けられており、強制が支配層によって規則として行われる。強制は、支配層が被支配層を利用する事を意味する。

国家は良心と恐怖によって成り立つ?政治行動は道義と権力の整合の上にある。権力を道義化する事も、政治から力を取り除く事も出来ない。無抵抗や無政府主義は失望感を抱く場合に限って受容され、道義と権力を区切る思考は人間の願望に逆らう。

理想は制度化されないし、制度は理想化されないとする。

第八章 国際政治における権力
権力の衝突が解決すれば、それは行政上の手続きに従う事項になる。権力は政治の本質的要素であり、政治的問題を理解するには、問題の争点を知るだけでなく、当事者間の力関係を知る事が肝要である。

第一次世界大戦後に自由主義の伝統が国際政治に持ち込まれると、ユートピアンは、国際連盟設立によって国際関係から権力を駆逐し、討議が活用されるようになると真面目に信じた。しかし、それは現状維持を利益とする大国が権力独占を享有していた事情による。大国の絶対支配は国際政治における自然法則を構成する事実である。ドイツの軍事力がフランスを凌駕すると、多数の小国はドイツの側についた。

統治を国際化するには、権力を国際化しなくてはならない。その点で、ヴェルサイユ条約によって行われた国際的統治は一時的性質のものであった。国際分野における政治的権力を以下とする。

①軍事力
軍事力の強さは政治的評価の分かり易い基準である。軍事能力は政治的地位に反映する。権力の行使が常により協力になることへの欲求を生むのはそのためとしている。生きる意志と権力への意志の間に一線を引く事は不可能。国家的統一によって目標を達成した国家主義は自動的に帝国主義へ発展する。人間は他者からさらに何かを獲得しない限り、現在持っている物を安全に保持していると思えない?
②経済力
経済力は軍事集団と結び付く事で役立つ。
重商主義:
国内における生産を奨励し、国外から購入しない事で貴金属として富を蓄積する事が国を強大にするとした。
自由放任の理論:
政治と経済の理論的分離。政治的機能が最小の時に最大の利益があるとした。

著者は、19世紀の自由放任を経て、経済を政治の一部とする時代になったとしている?第一次世界大戦においては、交戦国の経済が政治的機能によって組織された。軍事力の代わりに、経済的進出や資本提供によって優越者の強さを示す事が可能。

③意見を支配する力
説得する術は政治的指導者に必要な素養。政治的に重要な意味ある意見を持つ人の数が増大した事で、宣伝が必要になる。説得の方法は、彼らの意見に適応するものである。現代の政治は広範な大衆の意見に依存する。

大量生産、準独占、価格統一等の経済的条件で発展したマスメディアは意見の中央集権的統制を容易にした。意見の国有化は産業の国有化と同一歩調で進む。

国家権力から分離された国際的世論に実効性は無く、意見を支配する力は軍事力、経済力から分離され得ない。

①意見は身分と利害関係によって条件付けられる。
②支配者は容易に自説を押し付ける事が出来る。

そして、宣伝には以下の制約がある。

①事実と合致する必要がある
意見生成に必要な客観的事実が存在する。
②ユートピアニズムによる制約
人間は、力が正義を創るという説を結局は容れない。圧迫は犠牲者の意志を強くする。

強者が弱者の犠牲において意見を統制出来るというんは真実でない。

国家による宣伝が国際性を自称するイデオロギーで装って行われる事は、共通の諸理念の国際的根幹 = 国際的道義が存在する事を示している?

第九章 国際政治における道義
道義に関する以下の問題。問題を不明瞭にしている。

①道義は以下の三つの事柄を含めて用いられる
(1)哲学者の道徳律
(2)普通人の道徳律
(3)普通人の道徳姿勢

(2)と(3)は相互的であり、人間の態度は道徳律によって影響される。普通人の政治的道義が論じられる事は少ない。ユートピアは既得権の道具となり、現状を攻撃する人間を叩く武器となる。

②範囲指定の問題
国家の道義と個人の道義か判然としない。

専制的個人支配の時代は、個人の道義と国家の道義は区別されなかった。国家の行為には君主が個人的責任んを負った。国家機構が複雑化し、立憲政治が発達すると、人格が君主から国家に移る。国家が人格を持つとするから自然法を基盤に国際法を作り出す事が可能になる。

諸国家を人間のように擬制する事で相互に義務を負うとする。それは国家に権利を与える事が容易になる事であり、個人に対する国家の無制限な権利主張と結び付く。

国家の人格性は要請された性質であり、真偽は議論の対象とならない。発達した社会構造を取り扱うために人間精神が案出した道具。政治的発展が国家の団体責任という擬制を必要とした。

そして人格化は制度の継続性を表す思考の部類に入る。国家の責任性を仮定する事は、国際関係について明確に考えるために必要な思考空間に立つ条件である。

そして国家の道義は擬制として成文化した法規に近いのであって、愛他心のような本質的に人間的な性質を普通んは期待されない。そうした道義的義務に絶対的とされるものがないと、共通の基準を全ての国家に順守させる事は困難。

個人が良心を作るには社会を必要とし、国際道義を作るにはどのような社会が必要か?国際秩序においては力の果たす役割が大きく、道義の役割は小さい。

第四部 法と変革
第十章 法の基盤
国際問題に関する政治と法の関係。法を政治から独立したものとして、倫理的優位を確立する事は可能か?

国際法は、国内法の基本要素である以下の制度を欠いている。

①司法
共同体全体に拘束力が承認されている裁判所が無い。自ら従おうとする国家に特定の義務を負わせるのみ。
②執行
法の順守を強制する権限を持つ機関が無い。被害者側の権利は自助の権利である。
③立法
原始共同体のように慣習のみを源泉とする。先進の諸国家共同体においては直接の立法が法源である事が多い。

こうした国際法の欠陥は、法としての資格を国際法から奪わない。法の基本的性質を国際法は備えている。法の権威の根源を倫理(ユートピアン)とするか力(リアリスト)とするかの問い。

ユートピアンは自然主義者として自然法を法の権威とする。リアリストは実証主義者として国家の意志を法の権威とする。

◎自然主義者
原始共同体では法は宗教と結び付いており、自然法は神の法と同一視された。ルネッサンスを経て、非神学的倫理基準となる。自然法と理性の同一視。近代国際法は、そうしたユートピアンの系譜を引く。
過去の自然法観は、静的で一定不変の基準だったが、19世紀末から変遷する自然法という概念が登場。特定の時、場所で人々が感じる正しさを拠り所とする。

◎実証主義者
法を命令として定義する。強制する権威の存在が法の拘束力の根源。法は、固定した倫理基準の反映でなく、特定の時期における特定国家の支配集団の政策と利益を反映する。

法と政治社会は不可分の関係にあり、国際法も国際共同体の一機能であり、その欠陥は機能する共同体の未発達な性質に基づく。国際法は、他の法よりも力の要素の優位が際立つ。

社会は法だけでは成立せず、現行を維持したい保守派と、変革したい急進派の闘争の場である。法規は政治的合意の所産であり、法の権威は政治を源とする。

第十一章 条約の不可侵性
私的契約上の権利を守る事は、法の機能の一つである。

諸国家の唯一の成文上の義務は条約に定められたものであり、国際法上の条約の地位は国内法における契約よりも高いと見なす。

条約は原理上法的拘束力を持つが、当事国間の実力関係が変化すれば条約は消滅するという考え方もある。諸条約の違反は、国際法の軽視でなく、以下のように道義的妥当性を欠いている事を根拠とする事が多い?

①強迫下に署名された条約
②不公正な条約

そして国際条約自体の道義的拘束性を否定する意見。条約を力の道具として見る。法を倫理から分離された力の手段として見るリアリストの見解。

国際法の尊重が維持されるのは、国際法が自らを修正・改廃する政治機構を認知する事?それは政治の仕事としている。

第十二章 国際紛争の司法的解決
国際法には紛争解決のための強制力を持つ裁判管轄権は認められていない。19世紀末まで、国際紛争に適用される司法的手続きは、特定の紛争を仲裁裁判官に付託し、特別の合意を取る形式を取った。

国内法では全ての紛争が理論的には裁判所に付託し得る。国際法の場合、当事国が法の拘束力を認めない限り裁判の権限は無い。紛争の司法的解決は、法の存在を前提とし、法の拘束力が認められている事を前提とする。拘束力は政治的事実から生まれる。国際関係における合意は、国家の安全に影響しない諸分野に限られる傾向があり、紛争の司法的解決が有効なのはそうした分野である。

政治的合意は時や場所によって変化する。そのため立法者は法の下に起こる全てを予見出来ないため、司法上の自由裁量の余地を認めなくてはならない。感覚的正しさの余地。それは社会状態の変化に対応して変わる。

国際法の場合、個々の構成国の利益に優先する全体の福利という思想が広く認められていない事が問題となる。

第十三章 平和的変革
道義的判断の基準は、戦争の侵略的性質や防衛的性質でなく、変革の特質によらなければならない。

政治的変革に力は不可欠の要素である。労働階級の不満を解決する社会立法の発達は、労働者が革命やストライキで実力を行使したから?

国際政治における変革は、国際共同体が組織化されていないため複雑な問題になる。立法過程も司法過程も政治的秩序の存在を前提にする。

立法府確立には、政治社会に実在する同意と強制の組み合わせを必要とし、国際政治においては統合された国際政治秩序が条件となる。対応する国家を持たない社会。

紛争当事国を平等に扱う司法的手続きは、力の要素を認められないため国際紛争を取り扱う事に適さない。立法手続きは力の要素を認める事は出来るが、国際的変革には適用され得ない。拘束力を持つ立法権能が無い。

しかして、力の要素を除去して、共通感覚に基づいて平和的変革を基礎付けようとする願望はある。共通感覚と機械的調整という考えとの折衷による変革の達成?

結論
第十四章 新しい国際秩序への展望
1919年~1939年の危機は、前半の十年に夢見られた期待が、後半十年には諦めに変転し、ユートピアからリアリティへ変わった。

1920年代の期待は、18世紀までの英国主導による治安が保たれ、開拓が拡張する事で衝突が調和され、個人の福利と共同体の福利が同一で、経済的正しさと道義が一致した時代の面影を引いた幻想だった。

以下は、ユートピアの悲劇

①見苦しい崩れ方と絶望感
国際関係を理性的に説明する事は不可能になった。非文明人のものであったはずの残虐行為が、文明人相互で行われた。
②理性の終わり
利益調和が破綻し、ユートピアが既得権の道具となった。

全体の福利を適者の福利と同一視するダーウィン理論や、自然的利益調和の理論が全体の指示を集める事は出来なくなった。

国際政治は国民国家を単位として展開される。フランス革命に端を発する個人間の平等への要求は19世紀に入ると社会的集団間の平等への要求に変わる。それは特権階級と非特権階級との衝突が国際社会に移行する事を意味する。

世界的動乱の原因となった不平等は国家間の不平等だった。自由放任主義者の個人間の平等や、マルクスの階級間の平等ではない。

国家に代わる諸単位を考えると、以下の問い方になる。

①政治的諸単位を領土的性質にする必要はあるか
②領土的性質であるなら、国民国家を選ぶ必要はあるか

かつて国境は今ほど厳密でなく、軍事や経済の技術が権力と領土を溶接した。政治的単位の境界線を越えた思想への訴えは持続的に行われている。それに関する二つの傾向。

①集中化
拡大する政治的、経済的単位の形成。情報組織、技術的手段の進歩や大規模資本主義発達と関連する。
②分解
拡大する政治的単位にも限界や規格がある。

主権の概念は将来において不鮮明で曖昧となる可能性。主権は、中世紀体制崩壊後に、諸国家によって主張された権能の独立性を表明するために考え出されたもの。それは便宜的ラベルであり、政治、法、経済における主権の区別、内外での区別が為される時に単一特定の現象を明示するラベルの機能を果たし難くなった。

優位に立つ国家の支配力に国際秩序を基づかせようとすると、最強国の権利を是認する事に行きつく。道義的争点に関わらず、力の問題は厳存する。

しかして道義を無視する事は出来ない。国家は被治者の同意ちおう道義的基礎を必要とする。国際秩序も一般の同意を前提にする。新しい国際秩序の成立は圧政的であるが、それは道義的正統性に基づく?

衝突は避けられず、経済再建に調停への望みがあるかもしれない。大規模投資は雇用を作り出す社会的目的による。その核心は経済的な実質利益の放棄であり、雇用や社会的安定が利益や消費より重視される事は社会的変革の原因となると思われる。

力が国際関係を支配すると軍事的必要に利益が従属し危機が激化する。道義や回復すると情勢に希望が現れるとする。社会目的が国境によって制約されない事が理解されるようになる。

連邦等の高度な上部構造を考えるには、それを構築する地盤を知る必要がある。

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