縄文数学や地動説導入とか

『「理科」で歴史を読みなおす』(伊達宗行著)から適当にコピペ。

○縄文尺
元富山市埋蔵文化財センター長 藤田富士夫氏が、青森県 三内丸山遺跡や富山県 不動堂遺跡等の大型竪穴住居跡を調査し、縄文人は35㎝を単位とする物差しを使用していたと立証した。

一つの村だけが統一的縄文尺を使用していたのでなく、広範囲に渡って統一基準が使用されていたらしい。

青森県 三内丸山遺跡のシンボルである六本柱の一辺は約4.2mであり、35㎝の12倍である。

○十進数と十二進数
古代から指の数を単位とする十進数と、月の満ち欠け12回で一年となる十二進数の2つが数の基準?

古代オリエントでは暦法に十二進数が取り入れられ、十二進数と十進数の整合性を考慮した六十進数が計時法に使用された?

秋田県 大湯 環状列石、富山県 上野遺跡、平榎遺跡、青森県 三内丸山遺跡からは、一~十二の数の表現が見いだせる土製品が見つかっており、数字の意識は縄文時代にも存在した事を伺わせる。

大湯土版には、三、五、四の数列が刻まれている物があり、354は太陰暦の一年の日数である。照明の乏しい古代では月の満ち欠けが重要な意味を持っており、縄文人は太陰暦を使用していたのかもしれない。

○日本における地動説

以下は、『やる夫たちと学ぶ江戸時代 54 「林羅山 対 キリスト教修道士」』へのリンク。

http://yaruok.blog.fc2.com/blog-entry-4951.html

1606年の新南蛮寺論争について。林羅山(24歳)が東洋の天動説によって、西洋の地動説を信じるハビアン(41歳)と論争した話。この時の論争では、天動説が優勢であったらしい。

日本で地動説を奉じる活動が活発化するのは、1780年代らしく、麻田剛立(1734年~1799年)なる医者が、弟子の間重富が入手したイエズス会の漢訳書 暦象考成を読み、弟子の高橋至時(後に江戸の天文方となり、寛政暦を作る)と共にケプラー天文学をマスターした事が契機らしい。

彼等の活動により、日本でも地動説が広まり、志筑忠雄、山片蟠桃等が地動説を解説した本を出版するようになる。他に、三浦梅園(1723年~1789年)の哲学的地動説理解?

以下は、「天地明察」についての記事へのリンク。これだと、もっと早い時期から地動説は採用されていたように思えるが?うーん。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-1246.html

1822年(文政5年)に出版された天柱記(佐藤信淵著)には、カント・ラプラスの星雲説(1755年、1796年)が引用されており?太陽系の成因は、卵のようにどろどろしたものが分離、固化して惑星が出来、太陽が中心に凝固したと説明している?そして、日本神話の国生みの話におけるイザナギ、イザナミの掻き混ぜる天沼矛からしたたる塩がおのごろ島を創ったという逸話が最も真相を突いたと強調しているらしい。

⇒科学的理解においても宗教や神話が活用されている?

以下は、『やる夫たちと学ぶ江戸時代 55 「羅馬人との奇会」』へのリンク。

http://yaruok.blog.fc2.com/blog-entry-5076.html

1709年に新井白石がイタリア人の宣教師 ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッチと面談した話。

この話で興味深かったのは、新井白石がキリスト教の倫理を儒教倫理に反するものとし、社会的混乱の原因となるとしている?点。

全ての人間が唯一神を敬うと、親や上司が敬われなくなる。最高指導者の仕事には、神を祀る仕事も含まれ、各人は各々の身分から見た目上の者を敬うべきである。

⇒19世紀頃の西洋では、神を信じなくなる事によって社会的混乱が発生するとの論争があったはず。神を信じなくては、罪を恐れないという理論は、少なくとも18世紀の日本では通用しなかった?

⇒特定地域にて規律を齎すとされた論理が、同時代の別地域においては社会混乱の原因とされる?

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