正義について

以下は、インターネットの掲示板の記述を適当に変えてコピペしたもの。

「正義」は何故求められるのか?

人を救うためには、正義 = 理由は必要無い。他者を傷付ける行為にこそ、正義という理由が必要だ。正義は他者を弱体化し攻撃するための手段である。正義を振りかざす人間の目的は、向上や改善ではなく、弱体化である。

彼等が求めるのは他者を低位にするための格付けであり、信頼ではない。効率良く他者を操作する為には、信頼を獲得する事が最良であるが、弱点を攻め立てる事 = 正義は周囲にアピールする力を持つ。正義は強大であり楽に活用出来るため、逆に質が悪い。

そうした正義に対するために事実は無力かもしれない。仮に障害者に対処する効率良い方法論が開発され、実証実験による成果とともに世界に公開しても、現状の偏った一般的見解は変化しない?

原始より、勝者が弱者を略奪し、殺し犯す行為は当然の権利だった?時代が進み、人間が動物から「人間」になるに連れて、殺し犯す行為には「正義」の裏付けが必要とされるようになる。

それだから、役立つ解決策が公開されたとしても、多くの人間は思考や議論も無しに以下のように考える。

「障害者だから出来ないとなると、自分は障害者であるから出来ないと言い訳をするようになる」

現状、あらゆる所で日常的に発生している虐待は「正義」によって正当化されているため、上記のような思考によって解決策は拒絶される?これは弱者への罰の一環であるのかもしれない。

「お前が気持ち悪い事は許してやる。悪役として贖罪意識を持って生きろよ。自分が存在している事が申し訳が無いと周囲に表現しろ。そうでなければ俺の中の嫌悪感が正当化出来ない」

だとすれば、純真に「実証主義」によって理論や学びを提唱しても、受け入れて貰えないのかもしれない。

**************

上記の意見は、障害者が障害者として社会の一部になるための方法論が存在していると仮定している。

そうした方法は存在しないか、存在したとしても調べる事が難しいのかもしれない。

優しさや思いやり、同情心は誰も救わないと思う。

そうした事に左右されない生き方は見つけられないのかもしれない。

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