蛍光灯が切れた

部屋の蛍光灯が切れた。タイミングが悪いと思う。

『危機の二十年』を未だに読んでいる。

『正義』には、「理想」と「現実」の二種類があると考えてみる。

<例:>
理想:「如何なる状況でも虐めは良くない」
現実:「二人以上の人間が集えば虐めが生じる」

現実の方が真実を捉えているように感じられるけれど、理想は局面によっては強大な力を持っていると思う。

学校や職場における人間関係においては、現実が優先されるが、例えば教職員と保護者の間における話し合いでは、理想を優先させなければいけない。

「誰にでも合わない人間はいる。一つのクラスに何十人もいるのだから、気に入らない奴もいるだろうが、気に入らないなら関わらないようにしろ」

上記のような意見を教え子に伝えた教師が、保護者に追究され、謝罪に追い込まれた話を読んだ事がある。

「人間は優しさや思いやりを持ち、誰とでも仲良くなる事が出来る状態を目指さなくてはならない」

上記のような意見は空辣だが、公における議論においては強力だ。現実における正義は、公の場では非常に弱い。現実的な意見は、状況次第で非現実的になる。理想は無力だが強大だ。

優しさとか思いやり等は、現実の場では誰も助けないけれど、少なくとも「公」においては全ての人間を助けている事になっているし、尊重しなくてはならない事になっている。

*******************

「正義」を知るには、文献や経験による情報集だけでは足りないと思う。確かな方法論は存在しない。『意見』は必要無い。この辺りが難しい処で、思考や直観、話し合い等では何も分からない。適当な解釈のみしか無いかもしれない。

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『危機の二十年』には、戦争放棄とか平和の追求等の理想が必要とされる現実が記述されていると感じる。

現実主義者からみると、間違いだらけであるし、問題を解決しないが、何らかの道徳的目標を掲げ、尊重しなくてはならない事になっている。大規模な共同体は大規模な理想を必要とする?

理想は、とても理論的であり抽象的。あらゆる問題を容易く解決出来る事になっている。それだから、公の場における議論においては理想論を現実論で退ける事は困難。議論にはおいては文章化出来ない問題点等は俎上にあげる事が出来ないのだから、簡単に解決出来る問題とされてしまっては太刀打ち出来ない。

理想に打ち勝つには、別の理想を作り出さなければならない。

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