罰を与える物語

昨日か今日で自分の中の何かが変わった気がする。

以下、考えた事。

多くの犯罪者を処罰する事によって、社会全体の倫理観を高めようとする物語がある。

それが上手く機能しないと思う理由は、以下の通り。

①効率
一日に、多く見積もっても100人くらいしか処罰出来ないような設定。確率的にはほとんどの犯罪者は処罰出来ない。

②確実性
冤罪の可能性を排除出来ない。ルールやら法則やらを発見されると、悪用する人間が出てくると思う。

③文化の違い
加害者・被害者の関係は文化によって違うと思う。略奪婚やら児童への身体改造やら、信じられないような常識がある。誰もが納得出来る正義は存在しない。

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処罰する事によって人間を操作出来るという思考パターンは、どこからやってくるのか?

芸事においては、処罰されるだけで技能向上が見込めるとは思えない。人の話を聞く事や調べる事、試す事や考える事、ETCが大切だと思う。罰せられるだけで何かが上手くなるとは思えない。

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論理的思考が悪意を見つけ出す事について。

論理とは、主張と根拠からなる。

ある主張に対応する根拠が、納得感を与えるものであれば、主張の正当性が増す。納得感を与える根拠は、一貫性を持つものとする。

空間や時間に妨げられる事のない、一貫性のある根拠の提示が論理的思考の前提としてみる。

主張 = ライオンとシマウマを同じ檻に入れてはならない
根拠 = ライオンは縞馬を食べてしまう

上記の根拠が常に成立するものとする。根拠を成立させるためには、「ライオン」、「縞馬」という分類を必要とする。具体的な存在を抽象的な分類に落とし込み、同一分類の存在は全て同一と見なす。

論理によって構成された世界は、単純化された完璧な世界であるが、現実世界はそうではない。論理を認識の基軸にすると、減点方式で世界を認知する事になる?

思うように動かない事象に対して、悪意という説明付けをする?

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模倣という要素も重要で、人間行動の大半は、模倣によって成立していると思う。

意識的、無意識的に他の人間の影響を受ける。

自分の目的は、考える事を止める事。そのためには、自らの信念体系に合致する理論を構築しなくはならない。そのために本を読む。しばらくは、療養を兼ねて本を読むのだと思う。

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