グローバル化と銀

読んだ本の感想。

良く分からない。

デニス・フリン著、秋田茂/西村雄志編。2010年5月20日 第1版第1刷 印刷。



銀の流通からみた世界史の構築
デニス・フリンは、スペイン帝国がフィリピン諸島にマニラを建設した1571年をグローバル化の開始と主張する。マニラの建設により、メキシコのアカプルコとマニラを結ぶ太平洋を組み込む大陸間貿易が始まった。

太平洋を跨ぐ貿易で取引されたのは、スペイン領アメリカで産出された銀と、中国産の絹である。

<ジェフリー・ウィリアムソンとケビン・オルークの反駁>
グローバル化は、1820年代に環大西洋世界、西欧州と北米で物価水準が一つに収斂する過程で出現した。

<ケネス・ポメランツが提唱する大分岐>
1750年頃まで、世界の中核地域であった中国の長江流域、日本の畿内・関東、西欧州の経済は、平均寿命、一人当たり綿布消費量、識字率等の点で同程度のレベルであった。スミス的成長 = 商業的農業とプロト工業に支えられた市場経済の発展。

これらの中核地域は、18世紀半ばまでに、人口増加に対する土地の制約に直面したが、西欧州は、炭坑地帯からの石炭の利用と新大陸との貿易の拡張によって危機を克服した。

************

16世紀は世界的に銀の流通量が飛躍的に伸びた時期であり、その背景にはスペイン領アメリカや日本の銀がある。大量の銀は中国に吸収された。

明朝は北方勢力との戦費のために莫大な銀を必要とした。明朝成立初期の徴税システムは穀物等の現物徴収を基盤としたが、軍隊が各地に展開される中で、穀物輸送の困難から、銀を徴収し、現地で軍需物資を調達する方法が確立された。

大衆は納税のために銀を調達しなくてはならず、徴収された銀が北方に運ばれた結果、中国では恒常的に銀不足が生じる事となる。

グローバル化は1571年に始まった
グローバル化:
日々の生活状況が世界中で同じ様な形になってく過程。世界レベルでの単一化した文化。生産は国際化され、消費行動が均質化する。

1571年にマニラが建設され、アメリカ・アジア間に直接の交易ルートが作られ、系統立った世界市場が構築された。

16世紀・17世紀の日本は、スペイン領アメリカ全域が生産した半分に相当する銀を産出し、その多くが中国に輸出された。一方で、日本は中国から金を輸入した。
1600年代を通して、太平洋を横断して毎年50トンのアメリカ銀が中国に運搬されたが、同時期に金が中国からアメリカに運搬された。

⇒銀が中国に流れ込んだ理由は、中国の銀価格が世界の他地域の二倍であったからである。中国では少なくとも11世紀以来紙幣が存在したが、15世紀中葉には紙幣乱発によって明朝の紙幣制度は破綻した。その結果、商人達が決済手段として銀を用いるようになった。

⇒明朝は銀決済化の流れに抵抗出来ず、1570年代に一条鞭法として制度化した。銀でのみ支払う税制が確立された。当時の中国は世界人口の1/4の人口を抱えていたため、銀ベースの支払い手段と財政制度への変換は世界的影響を引き起こした。

以下の2回の銀ブーム。

<ポトシ・日本銀ブーム>
1540年代~1640年代。ボリビアと日本の銀が突出した生産量を記録した。世界中から中国に銀が流れ込み、中国における銀価格は1640年までに国際価格まで下落した。

<第二次銀ブーム>
1700年頃~1750年頃。メキシコが爆発的銀生産を記録。その多くは中国市場に向かった。

⇒第二次銀ブームの理由は、中国の人口増加?新大陸からの新作物導入により、18世紀に中国の耕作面積が50%増加した時期がある?人口爆発が銀需要を増加させた。

徳川幕府とスペイン・ハプスブルク帝国
17世紀を通じてアメリカ大陸で産出された銀は年平均300メトリック・トンであり、同時期の日本の規模は年平均200メトリック・トンである。その多くは中国に流れ込んだと推測される。

ここでミクロ経済学的分析?銀を中国に売り、中国から金を買う流れ。中国では銀が過大評価されており、金との裁定取引が成立した?価格差が収斂するまで一世紀が必要だった?

銀ストック全体の増大により、一世紀に渡り毎年1%~2%の割合で銀価格は下落し、銀の購買力が1/3の水準まで低下した事で、1630年頃~1640年頃には銀換算による価格革命は終焉したとする。

<スペインと日本の違い>
権力基盤が銀によって支えられていた日本・スペインにおいて、スペインだけが銀の利潤が終わる時期に急激な経済的衰退を経験した理由を以下の3つとしちえる。

①代替資源の存在有無
日本は銅の主要輸出国でもある。スペインには代替品が欠如していた。1672年~1675年の最盛期には、オランダによる日本銅の輸入は、当時のスウェーデンの銅輸出額の半分の規模に達した。
さらに日本には金山があり、1598年~1696年には27の金脈が発見され、少なくても20の金山は1720年代~1730年代に活発に活動していた。
②戦争
スペインは世界戦争による浪費があり、国内のインフラ整備が未熟だった。
反対に、日本では、1550年~1650年の間にコメの生産量が二倍となり、781年~1864年までの間に実施された主要な開墾事業の34%がこの時期に行われた。日本は、リソースを戦争でなく開発に使用した。
③水路
日本は航行可能な水路を数多く有していた。安価な輸送手段を容易に利用する事で商業が発展した。スペインは、内陸輸送に不利な地理的条件だった。

貨幣と発展なき成長
16世紀~17世紀における中国の銀需要は、スペイン帝国と日本の徳川幕府を受益者とした。

ここで大量の銀輸入が中国の経済発展を阻害したという意見?消費用でない貴金属を輸入するために、希少な消費物資を使用しなくてはならない。

貴金属による貨幣を紙幣によって代替する事は、貴金属の生産にあてられた資本投下を不要にし、非通貨部門への資源投下を促す。そのため、商品貨幣を紙幣によって代替した国家の生活水準は向上する。資源制約解消のメカニズムにより、貨幣に使用されていた資源が、経済発展に使用されるからである。

明朝においては、紙幣乱発による紙幣の信用崩壊により、銀が統一通貨となった。大量の銀を購買するために、巨額の輸出品が必要となり、1630年代中頃には、絹が日本向け輸出総額の90%を占めた。絹は欧州向けにも主要輸出品目であり、銀の大量輸入と絹産業の発展は表裏一体。銀輸入は経済発展を阻害したが、経済成長を促した。

経済が成長しても、投入された資源は外国銀輸入のための絹製品輸出に用いられ、国内消費に向けられる資源は減少する。

全般的にはっきりしない書き方だった。

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