米澤穂信先生の本を読んだ

米澤穂信先生の本を何冊か読んだ。「折れた竜骨」、「リカーシブル」、etc。

以下は、Wikipediaの「米澤穂信」の記事へのリンク。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E6%BE%A4%E7%A9%82%E4%BF%A1

米澤穂信先生の作品のテーマは「全能感」であり、思春期における全能感の揺れ動き、変化していく過程を書いてきたらしい。

作品には、以下のようなパターン?が散見されると思う。

①無気力(臆病?)な登場人物
無気力だったり臆病であるため、主体的に動こうとしない人物が、他者の働き掛けによって仕方無く行動するパターン。主人公を無気力にする事で、周囲の人間が主人公に傅いて意欲を喚起する場面を描写し、主人公の優位性を明示する。他方で、主人公が積極的な場合、無気力な身内を疎ましく思う描写がある作品もある。
読者を接待するために、承認欲求を満足させる物語を作らなくてはならないが、そうした描写に矛盾を感じているのかもしれないと勝手に想像している。

②世界との対峙
学校等の閉鎖空間の描写。排他的で伝統がある。登場人物達は、前例踏襲式に過去からの行動パターンに従うか、新しい何かを積極的に探すかを選択しなくてはならない。
消極派と積極派との比較において、身近な人間関係等のミクロの視点では消極派が正しいように思え、共同体全体からのマクロの視点では積極派が正しいのかな?

③投影的人間理解
登場人物達は、自らの内面を他者に投影する事で他者の心理を推測する?

以下のような論理。

・X氏が○○という行動をした
     ↓
・私が○○という行動を選択する時は、■■と考える
     ↓
・よってX氏は■■と考えている

実際にどのように考えているのか、当人に確認する事無く仮定が真実として話が進む場面がある。あらゆる事柄が個人の中で完結している。

*****************

作品群の中で、最も上手くいく戦略は、巻き込まれる形で積極的な人物に加担する事なのだと思った。成功した場合は協力者として感謝され、失敗した場合は巻き込まれただけと抗弁出来る。

敗者のゲーム。

現代は、あらゆる事柄が研究され、素晴らしい成功を収めるよりも、失敗しない事が大切な時代になっている?

例えばチェスにおいては、20世紀初頭のグランドマスターよりも、21世紀初頭の中学生プレイヤーの方が強いと聞いた事がある。チェスという競技が天才達によって研究され尽くされた結果、定跡を記憶する事で一定の強さに到達出来る?

戦法を記憶し規律に従う事によって、創意工夫に優れた人間を打ち負かす事が可能?

チェスが創意のゲームでなく、記憶のゲームになったからこそ、計算機械の優位が確立されたのかもしれない。20世紀初頭に、21世紀初頭と同程度の計算能力を持つ計算機械があっても、情報不足から強いチェスプログラムは作れないのかもしない。

世界は完成されてしまった。

あらゆる事柄が定められ、ルールに従う事が求められる。社会を創造したのは天才とされ、個性的であったり創造的である事が尊ばれるが、現実には失敗しない人間の方が得をする。

多勢に従っていれば、大成功しないが大失敗もしない。そうした戦略を多くの人間が採用せざるを得なくなっている?

*****************

米澤穂信先生の作品では、積極的に行動する動機として、外敵の出現や若者特有の全能感等があるように感じた。
 
そうではなくて、ルールに従おうと思っても従えない人間の話はないものかと思った。

目立ちたいから新しい事をするのでなく、当たり前の事が出来ないから結果的に何かを発見してしまう。才能ある人間と目されるのは、そうした人々なのかもしれない。

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