キャラクター小説の作り方

読んだ本の感想。

大塚英志著。二〇一三年一〇月二四日 第一刷発行。



勉強になる内容だと思ったけど、著者の政治的主張が混入している気がする。純粋な創作サポートは出来ないのかな?

第一講 キャラクター小説とは何か
ライトノベルとは、漫画やアニメ、ゲームを写生した小説としている?自然主義文学との対比。

・アニメや漫画のような原理で成立する物語
・作者を反映した人物でなく、キャラクターとしての人物

自然主義文学:
現実を写生のように写し取る文章の書き方。現実を正確に再現しようとする。

以下は、Wikipediaの「蒲団 (小説)」の記事へのリンク。自然主義文学の例。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%B2%E5%9B%A3_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)

⇒架空の人物を書くにしても、現実の肉体や思考を基準にする。描写が現実を逸脱した場合は、それが成立可能な論理を現実の論理の延長で考える。

キャラクター小説:
アニメや漫画が内包する仮想現実の原理原則に従って表現する。

以下は、Wikipediaの「新井素子」の記事へのリンク。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E4%BA%95%E7%B4%A0%E5%AD%90

⇒著者は、新井先生がアニメが与えてくれる印象を文章で再現しようとしたとしているけど、Wikipediaでは否定されている?ううーん。

**********

自然主義文学は、写生する対象を自己の内側にも向け、「私」という存在を作り出したとしている。作者自身の意図を反映した「私」。ライトノベルでは、キャラクターの中に配置された「私」が存在し、自己の内側に宿る「私」は存在しない?

第二講 オリジナリティはないけれどちゃんと
     小説の中で動いてくれるキャラクターの作り方について

キャラクターの作り方について。

以下のようにキャラクターのコンセプトを要素として考える。

登場人物A = 多重人格、美形、元刑事、etc

他作品のキャラクターについても、上記のように要素に分解する。その上で、要素数を減らして、固有性が消滅するレベルまで抽象化する。そして改めて外見や名前、時代背景等の要素を与える。

キャラクターに与えた要素とストーリー展開を結び付ければ世界観と人物を噛み合わせる事が出来る。キャラクターの設定から物語を論理的に導出する。

第三講 キャラクターとはパターンの組み合わせである
手塚治虫先生の意見。漫画絵は記号であり、パターンである。漫画家は、画を書いているのでなく、特殊な文字を書いている。同様に小説でもパターンを組み合わせる事でキャラクターを作り出す事が可能。

①基本型
顔立や体型。
②具体化
髪型、服装、小道具等でキャラクターの性格付けを具体化する。
③演技
キャラクターを動かす時の表情や動作のパターン。

**********

古典文学もパターンの組み合わせとしている。中世の語り部達は、物語を全て暗記していたのでなく、あらすじを記憶し、場面毎に対応する決まり文句を当て嵌めていた。

俳句の季語や短歌の枕詞等、この時にはこの言葉で表現するという約束事が創作の基本であった?

近代になると、自然主義文学 = 写生文が導入され、新しい小説の形式になる。別々の類似した行動を同じ決まり文句で表現するのでなく、別々の言葉で表現する。

⇒文芸の歴史が写生文に駆逐される事で、パターンは否定されるべきものという思想が生まれる?

写生文的リアリズムと記号的パターンの組み合わせが、現代の物語?

以下は、「TINAMI」へのリンク。検索エンジン。オタク系キャラクターを構成する要素のリストとして使用出来るらしい。

http://www.tinami.com/

今まで全く存在しなかったキャラクターを創る事は、限られた天才にしか出来ない。過去作品からキャラクターを構成するパターンを発見して活用する方が現実的?

第四講 架空の「私」の作り方について
『手紙魔まみ、夏の引っ越し(ウサギ連れ)』という本について。1962年に生まれた男性が、少女として短歌を書いている。存在しない人物の主観が記述されている。キャラクター小説と同じ技法。



こうした傾向は、近代以後の日本では珍しい?しかし、近代以前には和歌にもお手本集があり、参考にする事で恋愛経験の無い人間でも別の「私」に成り済ます事が出来たらしい。写生文以前の文学には、架空の「私」を創るジャンルがあった?

現代の日本語は、明治三〇年頃に出来上がったらしいが、その際に以下の2つが発生したとしている。

①言文一致
話し言葉と書き言葉が質的に近付いた。それまでは、話し言葉とは異質の古文や漢文による書字が行われていた。
②リアリズムの導入
描写される対象をあるがままに写生する文章の普及。それまでは、約束事や決まり文句を当て嵌める形式が一般的だった。

『ハリウッド脚本術』(ニール・D・ヒックス著)について。



作者が架空のキャラクターになりきる方法について書いている?そのために登場人物の目的を設定すべきとしている?それは具体的で観客に識別出来るものでなくてはならない。主人公は欠落を抱えており、物語の進行によって不足から解放される。

達成出来る目的の有無は、物語の人物と現実の人物の相違点である。現実世界での目的は、達成されない事が多い。

第五講 キャラクターは「壊れ易い人間」であり得るか
フィクションである小説において、如何にして「死」を表現するか。フィクションによる悪影響を懸念する声に対応するためには、「痛み」の表現への態度を明確にする必要がある。

スニーカー文庫のような小説の3つの起源。

①ジョブナイル小説
1970年頃?の中学生、高校生向けの小説。時をかける少女、ねらわれた学園。
②少女小説
10代の少女向けの愛と性を扱った小説。氷室冴子、久美沙織、折原みと、etc。
③ファンタジー小説

********

取り替え子(大江健三郎著)では、映画とは壊れない人間を描いてきたジャンルとしている?フィクションは、記号的でない死を表現可能か?

フィクションの影響が現実世界に及ぶ場合、文学も映画のような小説になってしまう?石原慎太郎の小説が、不必要な暴力に溢れ、描写がエスカレートするとしている。

表現技法に関する限界は、常に意識されている。戦前の推理小説は近代小説のリアリズムの外にあって名探偵や暗号等のパズルゲームの様相を呈していた。その反動として、社会や人間をリアルに描く社会はミステリーが登場し、その反動として、新本格が登場した?

第六講 物語はたった一つの終わりに
     向かっていくわけではないことについて

破綻の無い話を比較的容易に可能にする日程表について。以下の2つを用意。

①情報カード
B6くらいの大きさの紙を50枚ほど用意し、場面を書いていく。
②400字~800字くらいのプロット
構想を短く纏める。

上記を使用して場面を組み合わせる。同じ場面を無意味に繰り返さない、不要な場面の削除、伏線となる場面の嵌めこみ、etc。ある程度、場面が組み合わさったら時間軸を調整し、場面毎のセリフや小物等を嵌めこんでいく。

練習として、他の人が書いた小説の場面を一つ一つカードに記入する方法がある。一本の小説に必要な場面の数や、組み立て方の参考になる。

第七講 テーブルトークRPGのように小説を作る、
     とはどういうことなのか

以下は、Wikipediaの「テーブルトークRPG」の記事へのリンク。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AFRPG

『ロードス島戦記』という小説は、テーブルトークRPGを描写したものであるらしい。

ちなみに、やる夫スレの『やる夫「TRPGやるお!」』という話が、TRPG関係のやる夫スレでは一番面白いと思う。未完だけど、完結しないだろうな。以下はリンク。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read_archive.cgi/otaku/14504/1401548269/-100

TRPGを創作として見ると、以下の役割がある。

①ゲームデザイナー
世界観、ルールを作る。
②ゲームマスター
物語の進行を管理する。
③キャラクター
役割を演じる。

上記三者の相互作用によって物語が形成される。若い世代では、ゲームデザイナー的に世界観やキャラクターの設定をする能力が高い傾向があるとしている。コンピュータゲームのプレイによって、物語の背景を攻略本的に読み取る事に慣れたため?細かい整合性を追求する。

上記①~③の能力の内、自分の得意・苦手を把握し、創作についての戦略を練る事が必要?世界観の設定に特化した例を清涼院流水、ゲームマスターとして優秀なのが恩田陸としている?能力に偏りがあっても良い。

第八講 お話の法則を探せ
日本の近代小説は、私小説という作者の体験を描く形式を発明している。欧米では、自伝として扱われる。ライトノベルは、小説世界を現実とは切り離した架空の世界観の下に置く。それは他人の私生活を覗き見る「事実」の面白さでなく、以下のようなパターンから生まれる面白さである。

①欠落
②課題の提示
③課題の解決
④欠落からの回復

昔話や民話には、上記のようなパターンが豊富に含まれているとしている。

第九講 「世界観」とはズレた日常である
世界観とは世界の観方である。西欧で生まれた民族学は、自らと異なる価値体系を他の社会にて発見し、自分達の社会も一つの世界観に過ぎない事を見つけた。

架空の世界に現実性を持たせるには、架空の世界に根差した思考や行動を選択するキャラクターが不可欠であり、キャラクターをリアルに表現するには架空の世界との関わりが必要である。

キャラクターと世界の相互作用を考える。

練習として、現実とは少しだけ異なる世界を創り出し、他の創作者と共有する方法がある。世界観という思想を身に付ける。ラヴクラフトの「ク・リトル・リトル神話」が有名。

第一〇講 主題は「細部」に宿る
2000年代は、アニメや漫画の分野で細部での整合性に必要以上に注意を払って作り込む傾向が加速した時代であるとしている。世界観や設定という概念が普及し、それらと矛盾の無い表現が心掛けられる事になる。

「木更津キャッツアイ」を例にして、大人になりたくない人々をテーマに、細部が作り込まれる創作の説明。主人公は高校卒業後も故郷の街から出た事が無い、スナックには完結しない野球漫画、etc。閉じた世界の中で成長を留保され続ける人々というテーマ?
漫画やアニメのように現実的な死が存在しない世界は成熟を強制しない。しかし、終盤には現実的な死が描写され、主人公は木更津から連れ出される。記号的身体をドラマで表現し、成長を留保する世界の外側にある「人間が成長し、死んでいく現実」の所在を示して木更津キャッツアイは終わる。

作者は、主題が宿る細部と、そうでない細部を区別し、不必要な細部に囚われ過ぎて身動きが取れなくなる事を心配している?

第一一講 君たちは「戦争」をどう書くべきなのか
現実に発生する事件によってフィクションの世界が攻撃される事について?現実世界がフィクションの世界のように認知され、人々を動かす傾向?

『ハリウッド脚本術』(ニール・D・ヒックス著)には、ストーリの構成要素として以下を上げる。

①背景
②内的欲求
③契機となる事件
④外的な目的
⑤準備
⑥対立(敵対者)
⑦自己の明確化
⑧オブセッション
⑨闘争
⑩解決

現実の戦争も上記のような経過を辿ってしまう?

最終講 近代文学とはキャラクター小説であった
蒲団 (小説)についての再考。

キャラクター小説とは、仮構の世界に仮構のキャラクターとしての「私」を立ち上げるジャンルと定義し、アニメ絵や漫画絵を連想させるキャラクターが登場するとしてみる。

『蒲団』にも同様の要素がある?

『蒲団』が描かれた時代は、写生文 = 自然主義文学を必要としていた。人間の存在を遺伝や進化論的立場で、生物としての人間存在を観察して科学的に描写する方法論。

日本では、夏目漱石等によって西欧の文学にあった概念を日本に接ぎ木した。明治日本は、西欧を手本にして現実を作り変える過程にあり、概念が先行していた。日露戦争では、多くの人間が徴兵され死傷しており、人々は国家や個人の問題を実感する。抽象的概念であった「私」、「社会」、「国家」が具体的な現実となる。

それまでの一定の約束事のサンプリングからなる、書式が定められた文学や言葉では「現実」を表現出来なくなり、自然科学的リアリズムが必要とされるようになる。

日本の文学が立ち上がった明治三〇年代は、人工的な新しい現実を、人工的な新しい日本語が記述し始めた時代であった。

『蒲団』が記述された明治三〇年代に、作者である田山花袋は雑誌「中学世界」の編集者兼作家として、言文一体という文体や文学を警報する仕事をしていた。

『蒲団』に登場する芳子の手紙には『私』という言葉が主語として多用される。このような「私」は、言文一致体や文学論によって可能になったとしている?しかし、『蒲団』の主人公は、芳子が実際に自己を主張すると狼狽する。自立した個人を主張しながらも、それは仮構の世界の中でのみ実現されるはずとしていた?

芳子は親に連れ戻され、その後に芳子から送付された手紙は「言文一致」体でなく「候文」で書かれている。

⇒西欧から導入された自立した「私」を推奨しながら、実際には仮構の世界の中でしか「私」は成り立たなかった?

文学は現実的な「私」を保証せず、キャラクターでしかないとしている?

西欧の概念が入ってきた事による仮想現実をあるものとして、その中にある仮構の自分を描いたものが近代文学とすると、文学とキャラクター小説は同時に誕生した事になる。

補講 もう一度、キャラクター小説とは何かについて考える
    -吾妻ひでおと森鴎外

明治四三年に書かれた『ある女の手紙』(水野葉舟)について。「候文」で書かれた手紙が「言文一致」体になっていく。その特徴は内面の叙述である。

自然科学をベースとする観察の手法が一般化していった?著者は、『ある女の手紙』は萌えの元祖みたいな部分があるとし、脳内妹が出てくるのだとか。

⇒「候文」は明治の女子として家に縛られた現実であり、
 「言文一致」は仮想的な自己である。

言文一致は、私や内面を作るツールやアプリのようなものであり、明治期の文芸誌は、それを第三者に発信するインターネットに例えられる。

言文一致による私とキャラクターに私を代入する思考は、日本近代史に形成され、無自覚的に学習されている。

現代においても、キャラクターという器に自分を代入し、自分もキャラクターの一種である事を自覚する必要がある?

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