社会不適合者である事

以下、色々と考えている事。

僕のブログが、経済評論家 三橋貴明氏の名前で検索される事が未だにある。ある意味ではブログの中で最もホットな記事なのかもしれない。

僕はもう野次馬ではないけれど、断片的に閲覧している情報のみから判断すると、事実の共有は本当に難しいのだと思う。何年か前の選挙に立候補して落選した話。選挙期間中に不倫した話。ブログのコメント欄で自分を論破した人間を荒らし認定してアクセス禁止にした話。ETC。

そんな話があって、しばらく前までは、インターネット上の掲示板で多くの人々が情報を共有していた。今では何が事実で何が虚偽なのか曖昧になってしまっている。

当人の中に世界観があり、それに不適合な情報は弾かれてしまう。客観的な唯一の真実があり、議論や思索によって事実を共有出来るという思想は誤っていると思う。

僕自身のブログを書いていて、怒りのコントロールが難しい時がある。それは日常生活においても同様で、怒らない事が難しい。しかも、僕の怒りの対象は、何十年も前の事だったりするから、周囲の人間は意味不明だと思っている。

その原因が脳内の構造に由来するのであれば、何らかの対処が可能かもしれない。

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社会や歴史に段階があるという考え方を本で読んだ。

新しい技術が社会に導入される場合、当初は英雄達が持て囃される。他の人間が使用しない技術を使用して優位を示す。格差は拡大する。グローバル化や情報技術の進展は、起業家や投資家として革命に参加出来る人間とそうでない人間の格差を拡大した。

能力や努力による差異ではなく、運が良い事、知能構造が情報技術に向いている、企業投資に投入する資金を持っている、ETCが差異の理由となる。

社会構造が構築されると、持てる者と持てない者の格差は広がる。

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そして新技術が社会に広まると状況は変わる。特権階級達は自らにとって有利な世界を維持しなくてはならない。中世において、軍事技術によって虐殺を行ったモンゴル軍が、自分達の帝国を築いた後は治安維持や商業の振興を行っている?

それは歴史のパターンで革命が終わってしまうと、新しい秩序が必要になり、それは多くの人間が納得するものとなる。

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自分が何のために生きているか分からない時がある。20代の時は社会的信用が欲しかった。そして、お金を持っていれば安心出来ると思っていた。周囲の人間関係は何となく続いているような気がしていた。

仕事を一生懸命頑張ろうと思っていて、関連する資格を取得したり、働きながら専門学校に通ったりした。それが目標を達成する手段だと思っていた。

現在の僕は正規社員であり、障害者手帳保有者としての社会的信用があるのだと思う。そして一定額のお金がある。

10年前の僕が望んだ事を、目標とした期間に手に入れた事になる?昔の僕の目標は達成されていて、それでも何かが違う気がする。これで良かったんだろうか?僕は今でも不安定で、明日、どうなるか分からない。お金や人間関係も霞のようなもので頼りにならない。

自分の感覚が変わってきて昔の僕ではないと思う。あまり人と交流しなくなり、それを後悔するのかもしれない。

それでも、こうなるしかなかったんだと思う。

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