『大きな物語が終わった』というのは大きな物語ではない

「天帝のやどりなり華館」(古野まほろ著)のP75~P76に、以下の文言が記載されている。

「リオタールのいう『大きな物語』が終わったというのは大きな物語でないのか」。

以下は、Wikipediaの「ジャン=フランソワ・リオタール」の記事へのリンク。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AB

以下は、Wikipediaの「ポストモダン」の記事へのリンク。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A2%E3%83%80%E3%83%B3

僕の考えでは、『大きな物語』が終わったというのは大きな物語でないと思う。『大きな物語』というのは、社会的な状況を記述した言葉であり、大勢の人間が政治的?な理想を共有可能な状態を指すと思う。

近代以前は、固定された階級構造が存在している。近代は、身分制度が崩壊し、大勢の人間が社会構造の上部を目指す事となる。多くの人間が社会構造についての意識を共有し、その中で競争が発生する。それを大きな物語と考える?

『大きな物語が終わった』とは、様々な思想が定着し、大勢の人間が単独の社会的思想を共有出来ない状況を指す?小集団に分化した社会構造。

僕の理解は、上記のようになる。かなり間違っているはず。

『大きな物語』が終わったというのは、社会的な状況を表現する言葉であり、その言葉自体を規定する論理や思考自体を表現する言葉ではない。だから、リオタールのいう『大きな物語』が終わったというのは大きな物語でないと考える。

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古野先生の記述の背景にあるのは、「百科事典のパラドックス」の考え方の社会学の思想への応用だと感じる。

<百科事典のパラドックス>
全ての本の題名が記載されている百科事典が存在したと仮定する。その場合、その百科事典自体の題名を、百科事典の中に記載してもしなくとも矛盾が生じる。

・パターン1:百科事典の中に、百科事典自体の名前を記載しない
全ての本の題名が記載された百科事典とは言えなくなる。

・パターン2:百科事典の中に、百科事典自体の名前を記載する
異なる記述内容の『全ての本の題名を記載した百科事典』を無限に作成出来てしまう。「全ての本の題名を記載した百科事典の題名 + 新しく作成した百科事典の題名」 +  新しく作成した百科事典の題名 + 新しく作成した百科事典の題名 + 新しく作成した百科事典の題名・・・・・・のように、百科事典の題名を付け加える作業が終了しない。
⇒自己言及のパラドックス。

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上記の問題が真剣に検討されるようになったのは、19世紀の後半からだったと思う。当時は、言葉や概念を扱う論理学と、数字を扱う数学の統合が試みられた時代だった?

言葉ではなく、記号や数式を用いて論理を計算する記号論理学の登場。

人間の思考や議論によって行われる推論を、数学の証明問題のように記号を使用して行う。

百科事典のパラドックスは、人間の言葉を記号で表現する際の矛盾に関わる?「集合論」の問題。集合 = 数の集まり。あらゆる数を法則や理論によって群れとして定義出来る。

集合論を考えた際の矛盾の代表例が、百科事典のパラドックスのように、全ての集合から構成される集合を構成出来ないという矛盾だ。全てを包括する集合を考えると、その集合自体を定義不可能になる。

古野先生の記述は、社会学の言葉を、数学の理論のように扱った所から生じている?

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19世紀後半~20世紀初頭にかけて、数学をどのように扱うかで、以下のような思想があった?

①形式主義:ヒルベルト
数学を規定するのは数学自身である。論理は思考の規則であり、数学の基礎付けでは無い。

②直観主義:ブラウアー
人間の思考は当てにならず、論理は不確実である。そのため、論理は数学の基礎付けにはならない。

③論理主義:フレーゲ、ラッセル
数学を基礎付けるのは、論理学である。数学は、論理学の一部であり、数学的な手続きは論理学の手続きで構成可能?

⇒上記①~③は、どれも間違っておらず、正しくも無いという話になったんだっけ?各派の論争が現代の論理学や数学を規定していたはず。

そして、当時の数学者や論理学者達が考えた事は、現代では一般人の問題になりつつあるのだと思う。

言葉で表現される人間の思考を、記号によって記述する計算機械の普及。

プログラミング言語 = 記号で記述される仮想世界は、論理 = 人間の言葉で記述される現実世界を代替するのか?

多くの人間が問題に直面するのは、人間と区別出来ない思考機械が誕生した時か。哲学的な問題が現実世界に出現する。

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古野先生のオタク本格は、読むのが難しいので、誰か注釈を作ってくれないだろうか?

・コジェーヴの言う通り歴史は終わったのか
・プラトン主義の脚注、といった命題について、
 ホワイトヘッドとデリダはどう違うのか
・ドン・ホセはカルメンの浮気をむしろ希求していたのでは
・ブルトンのエクリチュールに感じる速度
・『こころ』では何故先生の奥さんが霧の向こうにいるのか
・ドストエフスキーの展開する超人哲学のルーツ

何なんだ?

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