元商社マンが発見した古代商人たち

読んだ本の感想。

布施克彦著。2012年2月8日 初版発行。



古代日本に、商社のような商業組織が存在したという著者の仮説?

【序章】弥生時代、日本列島に「商社」が誕生した?
商社:
広範囲の商品、多種類の事業を手掛け、多機能を有する業態。著者は、商社は日本にしか存在しないとする。自給自足可能でありながら、海外との活発な交易を行う日本の特殊性が商社を生んだとしている?

農業共同体を背景にする政権担当者や一般人は内向きであり、交易は特定の専門集団に任せる伝統。

古来、中国江南地方の漁撈民達が、分散拡大し、一部は日本に到達する。彼等は、鮫等の襲撃を防ぐために入れ墨の伝統があった。やがて漁撈民は陸上社会との運輸交通を手掛けるようになる。

【第一章】古代商社の機能と拠点
古代商社の活動は、紀元前108年に前漢が楽浪郡等4群を朝鮮半島に置いた事を契機に活発化したとする。中国人と倭人との取引の拡大。鉄や青銅器等の物品の交易だけでなく、技術移転や開発造成も行ったと著者は推測する。

ビジネス拠点:

①那津
博多湾の都市。後背地に奴国(須玖岡本遺跡)。交易を行った阿曇氏の本拠地とされる阿曇郷が湾の東側。

②鐘崎
交易を行った宗像市の本拠地。福岡市近辺。宗像氏は沖ノ島信仰を利用して大和政権に食い込んだとしている。

③筑後川流域
有明海に面した江南貿易の拠点。玄界灘ルートと異なり、対馬海流を遡上しない。福岡県大川市風浪宮は、阿曇姓を名乗る宮司が務めており、200年頃に博多北部の志賀海神社から分祠される。風浪宮から花宗川を降ると、筑後川の河口に合流。宗像氏の拠点は、阿曇氏の拠点を遡った三潴一帯と推測。宗像女神を奉じる水間氏。

④恵曇
島根半島北部。恵曇湾から佐陀川を遡ると佐太神社がある。出雲の物流拠点?恵曇は、江角とも呼ばれ、阿曇と語感が近い。

⑤牛窓、高島
岡山県、広島県の東部。同地に栄えた吉備王朝の拠点。

⑥阿多
鹿児島県薩摩半島西南群。阿多の隼人の活動拠点。

⑦対馬
九州と朝鮮半島の架け橋。ワタツミの神を祀る和多都美神社、住吉神社。

⑧五島列島
長崎県。揚子江、江南地方との交易の拠点。遣隋使、遣唐使は同地を経由。

⑨難波津
大阪市中央区大川周辺。大和朝廷の物流拠点。5世紀中頃の仁徳天皇の時代に建設。

【第二章】古代商社の事業戦略の変遷
以下は、扱う商品の変遷。

①黒曜石
金属器が出現する以前の後期旧石器時代から縄文時代にかけて、黒曜石は貴重な素材だった。隠岐、伊豆、大分県、佐賀県の離島等で産出された黒曜石が本州、シベリア、朝鮮半島等で発掘されている。黒曜石は、火山活動で噴出したマグマが変化したもので、火山の中腹域で採掘される。

②貝
縄文時代後期から弥生時代前半にかけての西日本各地の遺跡から貝類を材料にした腕輪が良く出土する。材料となるゴホウラ、イモガイ等の大型巻貝は沖縄諸島等でなければ採れない。
鹿児島県の高橋貝塚からは、巻貝で作った腕輪の完成品、未完成品が出土するため、南西諸島で採取された巻貝が薩摩半島で加工されたと推測出来る。

⇒黒曜石と比較して、巻貝の採掘地は島々に分散している。また、高度な加工技術が必要であり、一貫性のあるビジネスにするには難易度が高い。

③玉
翡翠、瑪瑙、琥珀、碧玉、etc。翡翠の日本唯一の産地は、新潟県姫川流域である。縄文時代には北陸が中心だった翡翠製品の交易は、弥生時代になると西に広がり、朝鮮半島の遺跡からも出土する。
姫川流域には、高志(越)の国が存在し、同国の沼河比売が、出雲の大国主に嫁いだ記録が古事記にある(弥生時代後半)。やがて姫河流域の翡翠は枯渇し、弥生時代後半から古墳時代前半には別の地域の翡翠が出回るようになる。
また、古墳時代中期からは、出雲の花仙山で産出する碧玉で作る勾玉が各地で出土するようになる。
勾玉の需要は、7世紀以降に仏教に台頭によって衰えたとされる。

④青銅器
朝鮮半島から日本列島に青銅器が齎されるようになるのは、弥生時代前期中頃(紀元前3世紀~紀元前2世紀頃)とされる。鉄器も同じころに流入する。青銅は祭祀用具として使用されたらしい。北九州では銅剣、銅矛。近畿地方では銅鐸。著者は、日本で銅鉱石が始めて産出された年代を続日本紀を根拠に698年頃とする。それ以前の銅は大陸から持ち込まれたと思料。古代商社が大陸から銅をかき集め、鉛の量からの分析では、朝鮮半島産の銅から大陸北部、南部産へ移行している。
日本列島から出土する青銅器鋳型の半分が福岡平野一帯から出土するため、近辺に青銅器鋳造の中心地があったとされる?

⑤鉄
弥生時代前期から日本列島に鉄が流入する。鉄器の普及が本格化したのは、弥生時代中期から後期(1世紀~2世紀頃)。弥生時代初期には、武器類の輸入が中心だったが、弥生時代後期には農器具が加わる。
弥生時代中期から後半にかけて、鍛冶の技術が日本に持ち込まれる。弥生時代後期から古墳時代にかけて、鉄鋌と呼ばれる10㎝~60㎝程度の鉄の平板が朝鮮半島南部や近畿地方の遺跡から出土している。日本の鍛冶技術の発展に伴い、半製品として輸入されたという見方。
本格的な日本列島内での製鉄開始は、5世紀後半が定説である。日本列島に鉄が流入して製鉄業が起こるまで600年~700年がかかっている。日本列島の原始製鉄の主流は砂鉄を原料とする「たたら製鉄」であり、大陸側の製鉄は鉄鉱石によるものであったため、技術移転が困難だった可能性?

【第三章】古代商社ビッグ2の実像に迫る!
代表的な2つの海人集団。

①阿曇
ワタツミの神(神武天皇の祖母である豊玉姫の父)の子孫を名乗る。博多湾一帯を根拠地とする。ワタツミ系の神社は福岡県と対馬に集中している。朝鮮半島と九州の交易を仲立ちする事で栄えたとする
日本書紀 応神天皇紀には、4世紀後半頃?に全国の海人が騒ぎ立てたため、阿曇大濱宿禰が、海人の宰相に任命されたという記事がある。その2年後に海人部が置かれ、政権に水産物を貢納するシステムが確立する。
この当時、阿曇が支配する対馬、壱岐を通じた朝鮮半島との交易ルートよりも、東側の沖ノ島を中継する交易ルートを支配する宗像氏が台頭しつつあった。
日本書紀では、履中天皇時代の5世紀前半に阿曇連濱子が謀反を企て逮捕されている。推古天皇時代には、阿曇連が新羅から賄賂を受け取っていたという記述があり、勢力減退が伺える。
摂関政治の移行と伴に阿曇氏は歴史から消えるが、信州には安曇群が残り、海人集団から転換したのかもしれない。

②宗像
大国主命六世の孫、吾田之片隅命の子孫と名乗る。福岡県宗像市を根拠地とする。出雲や瀬戸内海への進出に熱心であり、宗像神社は吉備にも存在する。奈良県桜井市の宗像神社は、7世紀後半に天武天皇と宗像君徳善の娘との間の子である高市皇子によって勧請され、宗像氏と大和政権の結び付きを伺わせる。
朝鮮半島との交易が減少するに連れ、宗像女神は国津神に変貌していく。その後、武士化して小大名となるが、1586年の当主 宗像氏貞に後継がいなかったため、領地を没収されている。

⇒両氏族とも、白村江の戦い(663年)の敗北により、大和政権が朝鮮半島における基盤を失った事が交易上の障害となり、衰退したとしている?

【第四章】時代順にビジネスの実態を推理する
著者の商社マンとしての経験を当て嵌めた古代ビジネスの想像。あまり根拠が無い気がする。

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