殺しても良い人間がいる

以下、上手く書けないし伝わらないだろう話。

変化が齎す概念上の発見について。

日常生活を円滑にする概念的なフィルターがあると思う。可能性が低い事は発生してはならず、誰かに危害を加えたり、他人から危害を加えられる事は発生しないと思い込む事が出来る。

全ての出来事は予測可能で、介入によって変更出来る事になっている。

新しい概念や創造物は、フィルターを外す。

例えば、自動車の無人運転を巡る議論では、自己責任の話になる事がある。機械は人間のように責任感を持たないため、事故が発生した時に対処出来ないというようなものかな?

現実に問題になっているのは、多くの人間が特に何も意識せずに自動車を運転し、又、外出している事実だと思う。自分が交通事故の加害者になるとは思ってもみないし、被害者になるとも思わない。そうした事は特異な事象である。

自己責任の感覚とは、自分は安全であるという妄想に繋がっているのだと思う。交通事故の加害者になる人間は責任感覚の弱い人間であり、自分とは違う。だから、自分は加害者にならない。

そして、罰による脅しは責任感を呼び覚ますから、自分は安全である。

*************

世界は安全であるという感覚は、自然に発生するものだと思うから、上記のような理屈を考える人間は少ないと思う。無人運転という新しい創造物が、無自覚のフィルターに揺らぎを与え、社会構造に関する論理を構築させる。システム1からシステム2への移行。

これから、人間生活が仮想空間に移行するに連れ、自分が意志疎通する相手が人間なのか機械なのか区別出来ない世界が実現していくはず(変化が感じられるのは30年後?)。

そうした状況では、無人車や無人兵器に関する『責任』の議論と同じように、『愛情』だとか『思いやり』だとか『共感』の議論が発生するかもしれない。

機械は人間のように暖かい感情を持たない。人間とは異なる。そのような存在が人間と区別出来ない状態を懸念する議論かもしれない。

しかし、問題の本質はそうでなく、現在の世の中に殺しても良い人間が存在している事が問題なのだと思う。

コメント欄で、時たま、僕が会社員をしている理由を尋ねられる事がある。理由の一つは、無職は傷つけても良い人間であるとされるからだ。会社員であるだけで、概念的な護りを獲得出来る。僕が私服で日中の住宅街を徘徊していると怪しい人間と思われるが、スーツを来て会社という目的地を持っているだけで、社会が僕を傷つける可能性は大幅に減る。少なくとも僕を傷つける行為は社会的正義ではない。

何をして稼いでいるかは誰も気にしない。外面が重要だ。

障害者認定を取得した理由も同じようなもの。障害者である事を前提に僕を雇用しているのだから、僕が雇用契約を満たしている以上、僕を痛めつけるには理由が必要になる。正義とはそのように不健全で気持ち悪いものだ。

周囲の人間が自分を迫害しないと思う事は未だに出来ない。僕の状況は不安定だ。

人間に優しさがあって、社会は愛によって保たれているという神話を信じる事が出来る人間は本当に幸福だと思う。現実にはそうではなく、殺しても良いと思われている人間は沢山いる。

社会構造が大幅に変化した時、その辺りの認識も変化するはずで、何が発生するか興味がある。僕が死んだ後の事かもしれない。

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でもやっぱり、人が恋しい。ということなのでょうかね。
理解されないものでも。
でも、それなりのお付き合いがあるセンパイとかが居るみたいですから、救いはあるのではと。
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