強者の倫理、弱者の倫理

善悪が変化する事について。

自らが優位にあるか、劣位にあるかによって善悪は変化すると思う。

●優位にある場合、父性的な善が選択されている?

①正義
自らが絶対正義であり、他者を矯正する権限があるという前提。相手が自らの思い通りに動かない事が許せない。

②絶対知
自らが全てを知っているという前提。質問による詰問が多用される。自分の中に正解があり、相手が自分と同じ結論に至るまで質問を繰り返す。質問は情報を獲得するためでなく、相手に過ちを認めさせる攻撃手段である。

③信念の強調
自らに強い意志があり、嫌われる事は問題で無いと思っている。強烈な自己確信を現実に感じる。

●劣位にある場合は、母性的な善が選択される?

①受容
相手の話しを聞く事をアピールする。自らの非を認め、相手の言い分を聞く事で自らの善良性を見せようとする。

②無知の強調
知らなかった事を強調する。相手の気持ち、状態、外部環境、etc。情報不足により適切な行動を選択出来なかった事を自覚する。

③優しさ
自らの中に優しさや思いやりがある事を感じる。善とラベリング可能な感情を自覚する事で自らの正当性を担保する。

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調べていないけれど、心理学の本に書いてある内容かもしれない。善悪は変動する。同一人物が異なる環境下で異なる倫理基準を採用している。しかも本人は自らの変化を自覚していない。

以下は、『共感する女脳、システム化する男脳』の記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-1533.html

性別によって思考形態の傾向が変わるという意見は面白いが、状況によっても思考形態は変化すると思う。

論理とは、自分と世界との分離であると考える。自らを観測者として、世界の外部に置く。その上で原因と結果を見出し、あらゆる場面で適用可能な法則を作り出す。

父性的な善とは、自らを観測者とする思考形態であると考える。批判を許さない絶対者であり、世界を動かす法則を見出す。無自覚的に自分を神であると見なす。神である自分は弱者を導く権利と知性がある。見出した法則は100%上手くいくものではないから、時には失敗するが、自分は失敗を恐れずに確率的に上手く作動する法則を適用していく。

論理に相対する理は、感情ではなく無限であると考える。

母性的な善は、自らを世界の一部であると考える。世界の一部であるのだから、何かに動かされる存在である。絶対的な知を持つ訳ではなく、部を弁えている事が美徳である。あらゆる存在は並列であるのだから自らを突出した存在であるとは考えない。

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周囲の人間と上手に関わる方法について考えてきた。考えても結論は出ない。必ず上手くいかないし、脅威を排除する事は出来ない。僕は簡単に屈するし、簡単に洗脳されて操作される。他人の意図を見破って対処する事が出来ない。さらに様々な事を忘れる事が出来ない。何時までも憶えている。

ほとんどの人間は、自分が社会正義の保護下にいると確信出来る。誰かが自分を傷つけるからには理由が存在し、話しあう事が出来ると思っている。基本的に社会が善意によって運行されていると思える事は幸福だ。

僕には正義の存在が感じられない。善悪は常に変動している。

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