憎悪の根源について

以下、適当に書く事。

『憎悪のパレード 池袋ウエストゲートパークXI 』を立ち読みした。1997年にシリーズが開始した時は、マイノリティ的存在だった主人公の誠君が、既得権を代表する存在になってしまっている。作者である石田先生が50歳を過ぎている事を感じさせる。

以下は、Wikipediaの「池袋ウエストゲートパーク」へのリンク。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E8%A2%8B%E3%82%A6%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AF

『憎悪のパレード 池袋ウエストゲートパークXI 』には、ノマドやビットコインらしき存在について言及している作品があるけれど、偏った意見が掲載されている。石田先生の中に新しい存在に対する恐怖があり、ノマド = 自己啓発セミナーの教祖、仮想通貨 = 鼠講、という解釈になっていないかな?

表題作である「憎悪のパレード」については、多分、石田先生は外国人へのヘイトスピーチを批判したいのではないかと感じた。出来れば反ヘイトスピーチ派に肩入れしたい。

しかし、反ヘイトスピーチ活動をしている人間もヘイトスピーチをしている人間も根本的には変わらない事を知ってしまった。そこで、「綺麗な反ヘイトスピーチ活動をしている人間」と「汚い反ヘイトスピーチ活動をしている人間」という2種類の区分けをしてしまったのではないか?作品をちゃんと読んでいないけれど、そのように思った。

主人公である誠君は、ヘイトスピーチをしている日本人によって、日本がアジアの繁栄の恩恵に与れない事を懸念している?作品内での解決策は、「ヘイトスピーチをする汚い日本人」という分類を作り出し、そうではない「綺麗な日本人」という分類を作り出す事であるように感じた。

誠君が中国の要人達に貸しを作るためには、「ヘイトスピーチをする汚い日本人」に愚かさを押し付ける必要がある。作品世界では、ヘイトスピーチをしている人間達が日本と外国との友好に貢献している。愚かで悪いのは「ヘイトスピーチをする汚い日本人」であり、誠君を代表する普通の日本人達は賢くて正しいという理屈だ。

こうした方式は、20年前までなら上手くいったかもしれないが、グローバル化やインターネットの普及が進んだ現代では通用しないと思う。

*********************

僕が、石田先生に取り上げて貰いたいのは以下の2つの視点だ。

①グローバル化の影響
ヘイトスピーチが行われる背景として主張されるのは、外国人による日本人に対してのヘイトスピーチだ。外国人が日本人をヘイトする事が許容されるのは何故か?仮に日本人が黙っていても、ヘイトスピーチによって日本人であるだけで罵倒される状況が作り出されているのではないか?
外国人と接触する機会が増加した事が悪意に気付く機会を増やし、反射的に悪意が増殖しているという考え方だ。

②ヘイトスピーチに参加する外国人の存在
海外のテレビ局で、日本国内での在日朝鮮人に対するヘイトスピーチ活動に参加する在日朝鮮人の特集がされた事があるらしい。日本において民族活動に従事する人間の中には日本国籍を持たない人間が多いと聞く事もある。
こうした問題を深く掘り下げてくれないものかと思う。

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作品世界の中では、中国に対するヘイトスピーチになっていたけれど、実際には韓国に対するヘイトスピーチが問題になっている。

僕の韓国に対する印象は複雑で、株式市場や通貨への投機は面白いと思う。多分、日本の株式市場や通貨に投機するよりも利益が出るのではないか?

しかし、各種の本で気持ち悪く褒められるのを読むと現実の投機活動には躊躇してしまう。何故、日本と比較する形で韓国を持ち上げ無ければならないのか?

以下は、「ブレイクアウト・ネーションズ」、「冒険投資家ジム・ロジャーズのストリート・スマート」を読んだ時の記事。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-1100.html

ジャック・アタリの「危機とサバイバル――21世紀を生き抜くための〈7つの原則〉」の序文でも日本と比較する形で韓国を持ち上げている。情報工学や都市工学の分野では日本を追い抜いているかもしれず、2025年にはアジアで最も勢いのある国家であると予想している。

インターネットで嫌韓活動をしている人達が、こうした意見に正面から反論している文章を読んだ事が無い。ジャック・アタリは集団としての日本人は共感性が足りないような事を書いていて、それが隣国との関係を難しくしていると書いている。

意見が乖離する原因は何なのだろう?

*********************

国家という枠組みが21世紀中に崩壊する事を予見している?ジャック・アタリでさえ「民族」や「共同体」という概念の呪縛から逃れる事が出来ない。

以下は、7/7にコメントしてくれた人の意見へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-1519.html#comment265

古代史を考える上で難しいのは、僕達の思考がナショナリズムや民族概念に呪縛されており、且つ、自らを縛る固定観念を認識する事が出来ない事だと思う。

天皇家が百済由来であるという解釈は確かにあり得るかもしれない。同時に、三国史記には倭種が新羅の王になったという記述があるらしく、解釈次第では倭人が朝鮮半島に王国を建設したという解釈もあり得る?

『古代七つの金石文』(林順治著)には、大日本帝国陸軍による好太王碑文改竄説について記述されていたけれど、それは否定されているはずだ。林先生は、それについてどのように考えているのだろう?

以下は、Wikipediaの「好太王碑」の記事へのリンク。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%BD%E5%A4%AA%E7%8E%8B%E7%A2%91

倭も百済も新羅も高句麗も、現代に生きる日本人や韓国人は異なる民族であるはずだ。にも関わらず、現代人の感覚を無自覚に投影し、自らの偏見を自覚する事は出来ないのだと思う。中立はあり得ない。僕の思考は絶対に間違っているし、間違いに気付く事も出来ない。

*********************

僕自身の感覚では、憎悪というのは恐ろしいものだ。ある時、誰かが僕を殴る。周囲の人間はそれを賞賛する。そうした事が起こり得る感覚がある。

僕は気持ち悪いから殴って良いのだ。

最近、そうした感覚がどこから来るのか言語化出来るような気がしている。同時に、言葉で説明出来ても何も変わらない事を確信している。

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【古代史は石渡信一郎から始まる】

【古代史は石渡信一郎から始まる】
と信じています。ぜひ 以下の文 感想聞かせてください。。

『大和民族大移動』
*日本書紀編集者の良心の呵責を見抜いた石渡信一郎と林順治*

失礼無礼きわまりない話ですが、あなたが家系図を作成するとして、
実は、あなたのおじいさんが泥棒だったら、あなたはどうしますか?
昭和18年に隣の酒屋から酒5升盗んだ人だと正直に書けないですね。
でも、良心の呵責から、なんとかして泥棒行為を書き残したいですよね。
簡単です。じいさんに弟があり その架空人物が、盗んだ事にしましょう。
おっと、じいさんの弟はお墓が無くばれますね。では干支60年古くして
明治16年に、ひいひいひいじいさんの妹の夫が盗んだ事にしましょう。 

書紀は天皇様の見事な万世一系の家系図を書いた推理小説です。
太古から日本を統治していた事としたい。でも本当の事も書きたかった。
そのため、架空人物を多数創造した。時代も原則60年単位で古くした。
これが、真実を残すために書紀が取らざるを得なかった編集方針です。
もちろん、真実そのままの事も、どうしても書けない真実もありました。

では、架空実在人物が新旧入り混じった小説からの真実の救出法は?
 ①実在したご先祖のお墓や使用物の年代を正しく求めましょう。
 ②貴重な金石文を正確に読みましょう。
 ③地名や人名の語源を冷静に考えましょう。
この3つを追求整理したあとで 初めて日本書紀を読むべきですね。

石渡信一郎は、まず先に、上記①②③を 徹底的に、探究しました。 
①古墳や須恵器・土師器・埴輪の絶対年を正しく定めました。
 (過去の気象や磁気の変化を考古学の原則で追及した後に)
 例えば、弥生後期(5期)は260年頃から350年頃までとしている事
  及び 稲荷山古墳550年頃 で、鉄剣の辛亥年=531年
②七支刀・隅田八幡鏡・武寧王陵碑・稲荷山鉄剣を正確に解読した。
 (すみません。解読結果詳細は石渡氏と林氏の本を読んで下さい。)
③地名人名の語源を音韻変化の基本原則にのっとり追求しました。
 韓(カラ)⇒加夜(かや)・軽(かる)・茶屋(けや)・秦(はた)
大韓(カカラ)⇒大軽(おおかる)・各羅(かから)
南韓(ナムカラ)⇒難波(なには)・長柄(ながら)・中(なか)
東韓(スカラ) ⇒菅谷・早良(さわら)・日十(そか)・蘇我(そが)
大東韓(カスカラ)⇒飛鳥・春日・足柄・橿原・八幡(はちはた)
大東韓(キスカラ)⇒一須賀・石川・鬼前(きせ)・去来紗(いざさ)
大東韓(クスカラ)⇒樟葉・太秦・宇治(うじ)・太(ふつ)
昆支(コンキ)  ⇒誉田(ほむた)
  
今では信者のむらかみからむですが、石渡論の理解に半年以上です。
通説の古墳年代の根拠を知らず、通説年代は当たり前の事でした。
即ち、誉田山も大仙古墳も5世紀初頭と 無意識に思っていました。
さらに、百済皇子余昆が書紀では昆支だという事を忘却してました。

その昆支が倭の5王の武で、誉田山古墳に眠る応神でもある。
その弟が継体であり仁徳でもあり仁徳から武列までは架空である。
獲加多支鹵は欽明であり継体の子ではなく昆支の子である。
その息子がアメノタリシヒコで用明で蘇我馬子で聖徳太子でもある。
とくれば、なんでもありの飛んでも説をよくもここまでまじめに書くなあ。
石渡信一郎も林順治も トンデル人だ。と思ってしまいますよね。

しかし、音韻変化の原則から『飛鳥の語源は大東韓(かすから)だ』
の説明を熱心に 語っている文章の迫力には心を打たれました。
で、稲荷山鉄剣の辛亥年=531年で古代史を語る人は誰もいない。
の文章を読んだ時、この理論が他説を圧倒する事に気づきました。
通説の古墳年代を無意識に受け入れていた私がトンでいたのです。

なんと、小6の私の息子の社会の参考書にも書いてありましたが、
通説は稲荷山鉄剣の獲加多支鹵大王を書紀の中の雄略大王として
辛亥年=471年としてた。これを絶対基準に古墳年代を決めていた。
ワカタケルは大泊瀬幼武じゃない可能性の追求が甘いままでした。
おかしな話ですよね。書紀の記述が真実かどうか検討しているのに
書紀の記述の大泊瀬幼武の実在は真実からスタートしていたなんて。

結果的に、通説での全古墳の絶対年は60年以上古すぎたのです。
4世紀前半は弥生時代で、古墳時代はAD350年からなのです。
これは寒かった弥生後期5期が260年~340年頃でも裏付けれます。
『通説の古墳年代を 60年以上新しくして古代史を見直すべき』
との提案が石渡説の基本で他説との相違点で最重要ポイントです。
これが理解できないと石渡論はトンでる空想物語になります。

では、531年の根拠は?『完本聖徳太子はいなかった760円』より
①草冠ぬきの獲の字は 中国でも6世紀に初めて使用した。
②発掘関係隊長の斎藤忠も副葬品(銅わん等)から 531年説。
③稲荷山古墳と同年代の野々上窯の熱残留磁気測定結果。
④少し新しい江田船山古墳履が武寧王の墓の履と文様が似る。

石渡論は辛亥年=531年で須恵器や土師器や埴輪の年代を求めます。
典型例は『須恵器大成(田辺昭三)』を60年新しくしている事です。
で、全国の主要古墳年代を通説より基本的に60年新しく求めます。
さらに古鏡&刀の金石文と中国の文献で実存した人物の中から
その生存&死亡時期と照らし、各々の古墳披葬者を選び出します。
これで書紀に全く頼っていない石渡論の基本年表が完成します。

古墳------年代----被葬者
①箸墓-----385年頃-倭王旨(七支刀)   
②渋谷向山古墳-410年頃
③行燈山古墳--430年頃-倭王讃(宋書)
④五社神古墳--440年頃-倭国王珍(宋書)
⑤中ツ山古墳--450年頃-倭国王済(宋書)
⑥石津山古墳--475年頃-倭国王興(宋書)
⑦誉田山古墳--510年頃-倭王武・余昆(宋書)・日十(隅田鏡)
⑧大仙古墳---520年頃-男弟王(隅田鏡)
⑨見瀬丸山古墳-570年頃-獲加多支鹵(稲荷山鉄剣)
⑩太子西山古墳-585年頃
⑪石舞台古墳--620年頃-阿毎多利思比孤(隋書)
⑫天武陵(旧)-645年頃-ワカミタフリ(隋書)
⑬持統陵(旧)-645年頃

で、ここから初めてこの年表を書紀の記述と照らして検証していきます。
このとき、先述の音韻変化の原則から求めていた語源が役に立ちます。
コンキ⇒ホムタ や スカラ⇒ソガ や ウズ⇒フツは典型例でしょう。
こうして以下の本当の大王様の家系図の一覧表が探し出せました。

古墳---被葬年-本名-書紀の中の名前【家系図】
①箸墓---393-旨-ミマキイリヒコ【初代】
②渋谷向山-409-?-イクメイリヒコ【①の子】
③行燈山--438-讃-イニシキイリイコ【②の子】
④五社神--442-珍-ワカキニイリヒコ&ワカタラシヒコ【③の弟】
⑤中ツ山--462-済-ホムタノマワカ&尾張連草香【③の孫】
⑥石津山--477-興-カワマタナカツヒコ&凡連【⑤の子】
⑦誉田山--507-武・日十・余昆-昆支&ホムタワケ【⑤の子の婿】
⑧大仙---531-男弟-ヲホト&オホサザキ【⑤の子の婿。⑦の弟】
⑨見瀬丸山-571-ワカタケル-アメクニオシヒラキヒロニワ&蘇我稲目【⑦の子】
⑩太子西山-585-?-ヌナクラノフトタマシキ【⑨の子】
⑪石舞台--622-アメノタリシホコ-タチバナノトヨヒ&聖徳&馬子【⑨の子】
⑫旧天武陵-645-ワカミタリフ-善徳&蘇我蝦夷【⑪の子】
⑬旧持統陵-645-?-蘇我入鹿【⑫の子】

大和民族は『うるわしの土地』を求め大陸から大量に移動してきました。
まずは西暦330年頃から半島南部を、460年頃からは百済を通って。
1回目の代表は旨(崇神)、2回目は武(応神)&男弟(継体)です。
で、各々の起因は1回目が楽浪郡の崩壊、2回目は高句麗の南下です。
書紀の隠したこの事実は、現代日本人には小説(書紀)よりも奇です。
というより、受け入れがたく、石渡論を無礼者と思いますよね。

しかし、考えようによっては当たり前だったのではないでしょうか?
大陸は寒かった。温暖な飢えない日本列島は『うるわしの土地』だった。
新羅を置き去り、自ら大和民族大移動し、海を渡り来ていたのですよね。
さあもう21世紀です。石渡論が世に出て4半世紀も経ってしまった。
ぼちぼち古墳を60年新しくして、真実を考え、受け入れませんか?。

隣家の酒樽から酒5升分のお金が入ったじいさんの名前の財布が
見つかった。稲荷山古墳の鉄剣・隅田八幡鏡・七支刀のことですよ。
じいさんはお酒を飲んでお酒を買いに行き転んだ。よかった。無実です。
ひいひいひいじいさんに妹夫妻はいなかった。雄略大王もいなかった。

まだまだまだまだ書きたいことありますが 最後にまとめを書きます。

石渡論は古墳年代を正しく求めスタートします。そのあとで書紀です。
ところが 不幸な通説は架空雄略大王の実在からスタートし迷走中。

石渡信一郎が真にすばらしいのは 日本書紀編集者たちが持つ
・ひとりの実在人物をふたり・さんにん・・と分けざえるを得ない苦悩。
・架空大王をひとりふたり・・30人31人と創造せざるを得ない苦悩。
・時代を60年120年180年240年・・神話へと古くせざえるを得ない苦悩。
すなわち、『真実が書きたい』と言う叫びを痛切に理解している事です。

見事な万世一系の筋書とは異なる飛んでた真実があるのだから
書紀は真実を書けば書くほどでたらめになる自己矛盾を持つ。
書紀は でたらめではない。でたらめにならざるを得なかった。
石渡説がトンでるのではない。飛ばされた真実を探しているのです。
『飛ばして申し訳ないという良心の呵責を持った家系図』も眠るはず。
これを見抜き信じるから、真実が救い出せるのです。すばらしいです。

私は近日、以上を前書きに『大和民族大移動』という本を買きます。
石渡信一郎を東大か京大の古代史教授に推挙するために。。で、
副題は『書紀編集者の良心の呵責を見抜いた石渡信一郎と林順治』


で、聖徳太子と蘇我馬子と用明大王 そして アメノタリシホコは
すべて たった一人の人物です。その人を分けて書いているのです。

とにかく皆さん 両先生の本 読んで古代史考えましょう。で、早いのは、
『古代史の謎を探る』か『倭韓交差』か『むらかみからむ』でネット検索。
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