何となく元気が無い

今日も疲れ易い気がする。仕事が少なくて暇な事が影響しているかもしれない。帰りがけに何冊か本を立ち読みした。

さて、一昨日の記事に以下のコメントがありました。長文のコメントなのでビビってしまいました。次からはコメントに返信しないかもしれないです。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-1519.html#comment265

自分は歴史にうとく、又、学説も正しく理解していないので、間違った解釈しか出来ません。その上で感想を書くと、大和民族大移動には二つの解釈が可能であると思います。一つ目は、日本列島に居住していた民族が朝鮮半島に移住して百済王権を樹立したという解釈、二つ目は、大陸側から移住した民族が大和朝廷を樹立したという解釈。

古墳や発掘物が造られた年代を正確に調査出来ない以上、大和が先か百済が先かという2通りの考え方が出来てしまいます(ちゃんと読めば違うかな?)。

遺跡や文献による解釈は恣意性があるため、どうしても理解には個人差が出てしまう。数十年後には、DNAによる調査を通じて、古代史における民族分布や勢力関係を明確に記述出来るようになると期待しています。

***************

以下は、本屋で立ち読みした本の感想。内容理解度は5%くらいだと思う。

『バカが多いのには理由がある 』(橘玲著):
著者自身がバカの思考に陥っているように読めた。自らが日本人である前提で書いている。日本人がヘイトスピーチをしたり、自虐史観や自尊史観を持つ理由を歴史的観点?から書いているが、それでは他国にも同様の思考パターンを持つ人間が沢山いる理由を説明出来ない。

著者は以下のような思考の罠に嵌っているように感じる。

自分は日本人である
    ↓
日本人を批判する事は自己批判する事である
    ↓
日本人を批判している自分は自己批判出来る人間である
    ↓
自己批判出来る人間はファースト思考に陥っていない
    ↓
よって自分はスロー思考している = 馬鹿ではない

この本を批判する人間は、著者が日本のネット右翼?をヒトラーに例えているが、中国や韓国に存在する同様の人間達をヒトラーに例える事が出来ない事を批判すると思う。

共同体による帰属意識から逃れる事は出来ない?自分を馬鹿よりも高い位置にしようとする思考が感じられてしまうのが弱点?

仮想通貨関連の本:
『仮想通貨革命---ビットコインは始まりにすぎない』( 野口悠紀雄著)、『これでわかったビットコイン: 生きのこる通貨の条件』(斉藤賢爾著)、『ヤバイお金 ビットコインから始まる真のIT革命』(高城泰著)。

何冊か読んだけれど、やっぱり仮想通貨の購入は難しいと思った。マウントゴックスは破綻したが、Payびっと、bitcheck、BtcBOX等の日本において仮想通貨を売買出来る「場」は 存在している。難しいのは、どの仮想通貨をどのような思想に基づいて購入するかだ。

今週号のSAP!でも仮想通貨について書いていたけれど、罫線分析の結果を根拠にしていては信用出来ない。仮想通貨自体を購入するよりも、仮想通貨が広まる事によって利益を得る商売を保有するべきなのだと感じる。株式投資ではない別の方法論があるはず。

不動産投資アービトラージ(西村明彦著):
内容は理解していないが面白かった。ちゃんと読んでみたい。株式投資の方法論を不動産投資に応用する方法?

神話のマネジメント(神田昌典著):
最近、神田先生の本が沢山出版されている気がする。面白いと思うが買いたくない。何故だ?

リライト(法条遥著):
この本を読んでいる途中で力尽きた。何冊か連作しているらしい。やっぱり買いたくない。図書館で借りよう。

***************

「知っている」という感覚にどのように対処するか?

以下は、かなり前にブログにあったコメント。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-154.html#cm

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-300.html#cm

批判したいのではないけれど、こうした「自分は発達障害を知っている」という感覚を持っている?人達と話し合うにはどうすれば良いのだろう?

例えば、花粉症の人間が身近に存在したとする。その場合、「花粉症の人間は◎◎という傾向がある」とか、「私自身は花粉症というものを理解しているつもりです」とは考えないと思う。

業務に支障をきたすレベルでの花粉症であった場合、病院に通院させたり、職務転換を斡旋したり、専門機関に相談したりと「知らない」という感覚を前提に行動するような気がする。

コメントをしている人達が特殊なのでなく、全体的に自分は発達障害について知っているという人達が非常に多い。本を読んだ訳でも、専門家に話を聞いたのでもないのに「知っている」という強烈な感覚があるように感じられてしまう。

以下は、それによって困っている事。

①意見出来ない
「発達障害者は◎◎である。だから◆◆する」という考え自体に問題があるのではない。問題なのは、上手くいかない原因を僕の甘えや怠けにあるとされる点だ。怒鳴られた所で出来ない事は出来ない。

「発達障害が原因で出来ない事と、性格が原因で出来ない事がある」

どのような基準で区別しているか知りたい。聞いたところで理解出来ないかもしれないが。

②観測する事と観測される事
僕の周囲の人間は、僕の事を観察したがる。何をするか分からないから、一挙手一投足を詳細に観測する。行動の予定表、一日の日報、誰かと話した場合には何を喋り、どのような返答があったかを細かく知りたがる。

専門書を読んだり、専門医の意見を聞く事は無い。そうした学習をしても分からない事が分かるだけであり、詳細な観察をしても原因や解決策が見つかるとは思えない。アルコール中毒者の行動を詳細に観察したところで、行動改善には結び付かないと思う。

一番の難点は、彼等が医者の質問から逃げる事だ。僕に対しては詳細な情報を求めるが、医者が彼等自身の情報を求めると逃げ回る。

この辺りは謎だ。

◎どのように考えるか?

・心理学によるアプローチ
医者やカウンセラに相談したが、有用な解答は無かった。発達障害自体が一時的な概念であり、絶対的な思想ではない。脳科学の進歩は希望を齎すが、結果を出すには100年は待たないといけないと思う。また、僕の頭の程度では難し過ぎて理解出来ない事が多過ぎる。

・哲学的アプローチ
広く流布している常識 = 思想 = 哲学が知りたい。目前の情報をそのまま受け止める人間は存在しない。何らかの概念によって情報を取捨選択している。

発達障害が難しいのは、それが別の概念と混同されているためであると考える。性格、人格、自我概念の一種として理解されている?

現状は、「自我」とはどのように理解されている概念であるかを知りたい。そのために哲学史の本を読む。全ての人間は、自分の認識を規定する概念について無知だ。

知っている事を知らない事を理解し、その上で自らの理解の根底を言語化したい。

人気ブログランキングへ
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ABCDEFG

Author:ABCDEFG
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード