古代アンデス 権力の考古学

読んだ本の感想。

関雄二著。平成18(2006)年1月15日 初版第1刷発行。



権力の三要素の所で、以下の記事で書いた『21世紀の歴史』に似たような記述があった事を思い出した。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-703.html

序章……古代アンデス文明に迫る新たなアプローチ
古代アンデス文明:
15世紀前半にスペインに滅ぼされるまで南米の太平洋岸に栄えた古代文明。

中央アンデス地帯に出現する社会における社会の複雑化、中央集権化、権力の掌握方法と過程について考える。

1 文明の形成過程をめぐる議論
<文化生態学的モデル>
新進化主義の一派。社会がバンド→部族社会→首長制社会→国家と複雑に進化していくとする思想と、文化体系が環境に適応するという思想を合わせ持つ?

<統合理論(自発的理論)>
社会進化の過程で、自然発生的に社会を統合する欲求が生まれると考える。異なる集団を調整する機関の魅力。

<闘争理論(強制理論)>
中央集権化は競争に由来すると考える。社会的不平等を維持するために組織が必要とされる。

<環囲環境理論>
統合理論と闘争理論の折衷案。利用可能な資源が限定された環境において、閉鎖的な空間における闘争が政治的発展を齎すと考える。闘争の勝者が敗者に税の徴収や方の遵守を強要する。

2 国家形成への新たなアプローチ
上記の理論は、社会が段階を経て進歩する事を前提にしている。しかし、考古学的な観点からアンデスの古代文化を考察すると、統合、拡大、瓦解のサイクルを繰り返している。
本の中では、多様な構成員からなる社会における支配者と被支配者間の動向を考古学的データを通じて考える。

第1章……権力と権力資源
1 権力とは
他者を意図に反して従わせる事を権力と呼び、権力は従わない者を制裁する事で証明される。社会内に多数の権力が併存している状態を社会権力の段階と呼び、唯一の正当性が一般的に了解された権力を政治権力と呼ぶ。

<実体説>
権力は、社会において追求される希少資源の剥奪と付与を独占する事によって生じる。

<関係説>
権力は、支配者と被支配者の関係性に依存する。
⇒人間は、複数の目標を持つために、複数の権力網を作り出す。
⇒社会は複数の権力網によって構成されると考える。

以下の4つの権力網が社会的協同を作り上げる点で秀でているとしている。
 ①イデオロギー
 ②経済
 ③軍事
 ④政治

2 三つの権力資源
経済、軍事、イデオロギーの側面から権力について考察する。相互依存的に存在する権力の三要素。

①経済
人間が基本的欲求を満たす手段。生産物や生産手段、対象へのアクセス操作等。
 ・主要生産物財政 
  農産物等の主要生産物の操作。
  物資の重量が、移動や支配の範囲を限定する。
 ・富の財政
  威信財や貨幣等。上下関係を象徴的に顕在化、固定化する。

②軍事
強制的な権力行使を展開する。
③イデオロギー
権利や義務の存在理由を示す。以下の4つによって可視化出来る。
 ・儀礼的イベント
 ・象徴財
 ・公共的記念物
 ・文字システム

第2章……中央アンデス地帯の環境と古代文化の盛衰
1 多様な生態環境
<コスタ(海岸)の環境>
中央アンデス地帯の太平洋岸は、赤道直下の乾燥砂漠である。アンデス山脈西斜面を源とする大小50の河川流域が人間の居住区域となる。
丘陵の海抜600m~800m辺りでは、湿潤季に発生する霧によって緑地帯が発生する。

<シエラ(山岳地帯)の環境>
中央アンデス地帯は、6000m以上の高度差の中で多様な生態環境を抱える。
 ・海抜500m付近(ユンガ)
  年間降水量250ミリ程度、年平均気温17度~19度。
  果樹や薩摩芋の栽培等。
 ・海抜2300m付近(ケチュア地帯)
  年間降水量250ミリ~500ミリ程度。年平均気温11度~16度。
  玉蜀黍、豆類の栽培。
 ・海抜3500m~4000m付近
  年間降水量800ミリ程度。年平均気温1度~7度。
  じゃが芋等の高地性根菜類等の栽培

2 古代アンデス文明の生成過程と生態環境
基本的にアンデス文明は、コスタ(海岸)とシエラ(山岳地帯)を中心に展開したとしている。海岸と山岳地帯は相互関係を保ちながら発展していたと思われ、政治的に統合しようという動きがあったとされる。

3 古代文化の編年
中央アンデス地帯に人類が登場したのは、紀元前9000年頃とされる?本の中では、農業や牧畜の比重が高まりつつあった紀元前2500年頃から紀元0年頃を文化の胎動期(形成期)と考え、早期、前期(紀元前1500年~紀元前1000年頃)、中期(紀元前1000年~紀元前500年頃)、後期(紀元前500年~紀元前250年頃)、末期の5時期に細分し、前期から末期にかけてを分析する。

第3章……祭祀活動の萌芽―形成期前期の社会
1 カハマルカ盆地の調査―ワカロマ遺跡
ペルーにおいてエクアドル国境に近いカハマルカ県 ワカロマ遺跡での調査。ケチュア地帯にあたり、玉蜀黍やじゃが芋が栽培されたとしている。

紀元前1500年~紀元前1000年頃を前期ワカロマ期としている。他の時期と比較して遺跡数が少なく、祭祀に特化した空間構造は見当たらない。比較的平等な社会であったと推測される。

2 前期ワカロマ期における権力資源の操作
社会集団の差異が顕在化しておらず、権力資源の操作の痕跡は少ない。

3 形成期前期のアンデス諸社会
形成期前期におけるラ・ボンバ遺跡、モンテグランデ遺跡等のワカロマ遺跡以外での調査について。モンテグランデ遺跡においては、長距離交易によって入手したウミギク貝が出土しており、大規模な祭祀建造物や、祭祀空間と一般住居の分離等のイデオロギー操作の痕跡が見られる。

形成期前期の社会の複雑さは、地域によって異なるとしている。

第4章……イデオロギーの隆盛―形成期中期の社会と権力
1 後期ワカロマ期の遺構と遺物
カハマルカ盆地で大型の祭祀建造物が登場するのは、後期ワカロマ期(紀元前1000年~紀元前500年頃)である。装飾を施した多色の鉢等の出現するようになり、多様な加工物が作られるようになる。

2 後期ワカロマ期における権力資源の操作
農業は行われていたのもの、大規模な灌漑設備は無い。海産のチリイガイの出土等、儀礼用具の交易が行われていたらしい。巨大な祭祀建造物の更新活動が行われている事から、祭祀面を強化する事によるイデオロギー伝達の強化が発生してと推測している。

3 形成期中期のアンデス社会
他の地域でも祭祀建造物が建設されており、イデオロゴギー操作が盛んに行われていたらしい。

ワカ・デ・ロス・レイエス遺跡に存在する祭祀建造物は、4,1250立法mの体積があり、その1/3が改築時に完成されたとしている。建設に必要な労働力を計算すると、50人で23.33年、100人で11.66年、1000人で1.66年の建設期間が必要であるらしい。
遺跡周辺の潜在的耕地面積から1200人の人口があったと考えられ、成人男性200人が年に二カ月程度の労働に従事する事で23年ほどで祭祀建造物が建設された?

ワカロマ遺跡における後期ワカロマ期の人口は3000人程度とされ、さらに大規模な祭祀建造物の建設が可能であったとしている。

第5章……階層社会への道―形成期後期の社会と権力
1 形成期後期のカハマルカ盆地
ワカロマ遺跡では、巨大な祭祀建造物の機能が停止する。建物の破壊や織物関係の活動の低下が観測されている。鹿の狩猟に代わって駱駝科動物の飼育が行われるようになっている。集団の規模が縮小した可能性。

2 EL期における権力資源の操作
イデオロギー面の操作が弱体化し、祭祀建造物が放棄されている。権力の弱体化。

3 クントゥル・ワシ遺跡とカハマルカ盆地
形成期後期に大規模な建築活動を展開するクントゥル・ワシ遺跡について。同時期のワカロマ遺跡と比較して社会内部の差異化が進んでいる。象徴財の豊かさの違い。

4 チャビン・デ・ワンタル遺跡
形成期後期を代表するチャビン文化について。海洋資源が枯渇した事により、海岸の祭祀建造物は放棄されているが、チャビン等の山岳地帯は繁栄している。

第6章……権力の再編―形成期末期の社会
1 祭祀空間の変貌
カハマルカ盆地の遺跡数が3倍に急増する(紀元前250年~紀元前50年頃)。

2 ライソン期の祭祀建造物
ライソン期(紀元前250年~紀元前50年頃)における石英質砂岩を利用した建造物。それまで半々だった鹿と駱駝科動物の相対比率は、駱駝科動物が9割以上を占めるようになる。飼育の本格化。

3 ライソン期における権力資源の操作
<人骨の調査>
遺跡内の人骨から、食用解析を行った。骨の組織に蓄積された蛋白質の炭素と窒素の同位体(化学的に同一だが質量の異なる元素)比を測定する。
植物を以下の2種類に分ける。
①質量数13の炭素を多く含む
 乾燥した日のあたる場所に適応した植物。
 玉蜀黍、魚介類等。
②質量数13の炭素を多く含まない
 樹木や米や麦等の農産物、自然状態にある大半の植物。

人骨試料を解析し、上記①の比重が高ければ、食性における玉蜀黍か魚介類の相対的比率が高かった事になる。解析の結果、形成期後期からカハマルカ地方における玉蜀黍の利用が始まったと推測される。

また、ライソン期から展望が開けた場所に立地する遺跡や武具等の軍事の証拠が出土するようになる。イデオロギーの面では、具象的なシンボルを用いたイデオロギー操作でなく、チチャ(玉蜀黍の醸造酒)を用いた操作を行うようになったとしている?

4 形成期末期のアンデス社会
玉蜀黍栽培、海岸部での祭祀建造物の建設活動衰退等の変化があったと推測される。山岳地帯においては祭祀建造物の建設や玉蜀黍栽培や牧畜を盛んに行っており、海岸部においては灌漑水路の建設や分散していた集落が統合されるようになる等の闘争の増加が推測される。

第7章……アンデス最初の国家モチェ
1 比較のメリットとデメリット
アンデス最初の国家モチェの分析を行うのなら、モチェのあるペルー北海岸の歴史を研究するのが自然であるが、モチェの情報は、カハマルカ盆地の発掘情報と比較すると見劣りする。データ密度の薄さを補うためにカハマルカ盆地とモチェ遺跡の比較作業を行う?
形成期(前国家段階)とモチェという国家段階の比較。

2 太陽と月の神殿―モチェの都―
モチェは紀元0年~700年頃にペルー北海岸の南北600キロに渡って栄えた初期国家とされる。100年頃に太陽と月の巨大な神殿を建設したとされる。

3 モチェの編年と拡大過程
土器の形態分類や墓の発掘によるモチェの拡大過程について。確証のある見方は無いようだ。

4 モチェの崩壊
562年~594年にかけて乾燥気候が続いた事がモチェを崩壊させた?

5 モチェにおける経済的側面のコントロール
モチェが階層社会であった事について。巨大な灌漑設備や駱駝科動物、天竺鼠の飼育等。長距離交易の活発化。

6 モチェにおける軍事面のコントロール
城塞の数は減少するが、形成期と比較すると相対的な数は多く、緊張関係が存在したと推測される。土器等に描かれる軍事的側面の表象は増殖傾向にあり、権力資源としての軍事操作が行われていたと推測される。

7 モチェ社会におけるイデオロギー面のコントロール
祭祀建造物において、壁画やレリーフ等の装飾が盛んになる。イデオロギーを可視化する意図?

第8章……権力資源の操作と社会発展 
時代が下るに連れて、祭祀建造物における視覚的表象は限定的な場に描かれるようになる?少数の支配者層が特定の空間内でイデオロギー的表象を独占していた可能性。

経済、軍事、イデオロギーは密接に関連するようになる。巨大な祭祀建造物を建設するエネルギーや軍事力を維持するには労働力を確保しなくてはならず、集団を統制する階層が必要となる。

社会の巨大化は、従来の意志疎通方法が機能し難い状況を生み出し、観念を伝達する媒体として宗教的図象が多用されるようになる?社会全体が宗教的媒体を通じて観念の面で統合される。

アンデス地方の歴史を紐解くと、農業に依存せず軍事的にも未発達だった社会が神殿の建設や更新によって統合されていった可能性がある。宗教的情熱が人口や食料の増産、各種の発明の源であったのかもしれない。

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