戦後日本経済史

読んだ本の感想。

野口悠紀雄著。2008年1月25日発行。



以下の本の内容を補完する本だと思う。

『100年予測』
第5章において、高度経済成長期の日本が低利で資金調達出来た記述がある。
http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-796.html

『貯蓄率ゼロ経済』
日本における生産至上主義や膨大な貯蓄の原因について。
http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-975.html

『なぜ豊かな国と貧しい国が生まれたのか』
第九章に書かれている日本における「ビッグプッシュ型工業化」の詳細。
http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-1465.html

◎戦時経済体制(1940年体制)とは何か
第二次世界大戦時の日本において確立した中央集権的な経済システム。全ての経済組織が単一の国家目的に奉仕するものとされ、統制された金融機関が重化学工業に資金を供給する仕組みが中心となっている。

情報技術の進歩に伴い、分散型経済システムの優位性が高まった昨今では、システムの問題が発現していると著者は考えている?

①財政金融制度
 (1)間接金融方式
 (2)金融統制
 (3)直接税中心の税体系
 (4)公的年金制度
②日本型企業
 (1)資本と経営の分離
 (2)企業と経済団体
   戦時中に成長した企業が戦後日本経済の中心となり、
   統制会の上部機構が経団連になった。
 (3)労働組合
   戦時中に形成された「産業報国会」が
   企業別労働組合の母体である。
③土地制度
 (1)農村の土地制度
   戦時中に導入された食糧管理制度が農地改革を可能にした。
 (2)都市の土地制度
   戦時中に強化された借地借家法が戦後の都市における
   土地制度の基本になった。

第1章 焦土からの復興
日本における経済制度、教育制度、土地制度等、様々な制度が戦時中の制度を引き継いでいるという意見。日本は1940年前後に不連続な変化を経験しているとしている。日本の高度経済成長は、戦時体制の継続によって齎されたとしている。

◎傾斜生産方式
1947年から実施された政府主導の増産計画。輸入重油を鉄鋼生産に集中投入し、増産された鋼材を炭鉱に集中投入する。そうやって生産した石炭を鉄鋼業に投入する。こうした拡大再生産によって、石炭と鉄鋼の増産を図る事が政策の目的である。
以下の手段を使用する。
 ・価格差補給金
  政府が補助金を交付し、石炭や鋼材を安価に調達可能にする
 ・復興金融金庫
  石炭、鉄鋼等の重点産業に傾斜的な融資を行う

⇒傾斜生産方式はインフレを引き起こした。1940年に1.64だった物価指数は1945年には3.5だったが、1946年に16.2、1947年に48.1、1948年に127.9、1949年に208.8と高騰した。

インフレによって国債の実質価値は激減し、一般会計総額に対する倍率で、1940年には5倍だったが、復興後は1/4まで低下している。資産保有階層が打撃を被ったものの、事業主や労働者はインフレによって利益を得ている。

傾斜生産方式は、軍需生産から復興へと目的が変わっただけで戦時期に導入された制度を使用している。

◎農地改革
1942年に制定された「食料管理法」が基になっている?小作人は地主でなく政府に米を供出し、地主には小作料を支払う事になった。小作料は名目で据え置かれたため、実質価値は減少した。1940年に収量の50.5%だった小作料は、1945年には18.3%に低下し、小作制度は形骸化した。
また、政府は小作人から割高な値段で米を購入(二重米制度)したため、地主の地位が低下した。

◎借地権
1941年に、借家人保護を目的として、「借地借家法」が改正された。解約には「正当な事由」が求められる事になり、貸せば売却した事と同じになった。新規の借地契約は減少し、零細土地保有者を増やす事となる。

◎間接金融
戦時に形成された銀行を中心とした企業グループは、戦後も温存された。戦前の日本では、資本市場から資金を調達する直接金融が中心であり(1931年には86%)、軍需産業に資金を集中されるために銀行の強化が図られた(1945年には93%)。銀行の総数は、1926年に1492だったのが1945年には61になった。
家計の貯蓄が銀行預金となり、銀行が資金配分を決定し、大蔵省と日本銀行が銀行を統御する体制が構築された。

第2章 高度成長の基盤を作る
◎ドッジ・ライン、シャウプ勧告
1949年に、ジョゼフ・ドッジとカール・シャウプによって実施された財政改革。価格差補給金と復興金融融資を停止し、均衡財政を実現する事を求めた。

◎直接税
1940年度税制改革によって、日本の税制は直接税中心の体系となった。軍事費調達のために法人税が新設され、給与所得に対する源泉徴収制度が導入された。製造業等の近代的産業に対する課税が可能になった。

給与所得が源泉徴収で決定されるため、確定申告を納税者が実施せず、労働者が税制に関心を持たなくなったとしている。

◎金融統制
1932年の「資本逃避防止法」を引き継いで、1949年には「外国為替及び外国貿易管理法」が制定される。日本銀行が銀行貸し出しを統制するよう、銀行に資金の割り当てを行い、企業による海外市場での資金調達を困難にした。

最も弱い金融機関でも存続出来るように、貸付利率等の条件が決定されるため、体力のある銀行には超過利潤が発生する。郵便貯金等を原資とする資金運用部は超過利潤を得る必要が無いので、銀行よりも低利の融資が可能。こうした資金が財政投融資計画として活用された。

財政投融資計画によって、均衡財政を維持しつつも重化学工業を育成する資金が調達される事となる。

第3章 高度成長
戦後、国内市場拡大によって日本経済が高度成長を遂げた事について。製造業の出荷額は、1950年~1960年に6.5倍になり、それから1970年までに4.4倍になった。国内総生産は、1955年~1970年に5年毎には約2倍になった。
これ以降の生活水準は、あまり変わっておらず、この頃が日本の原点となっている。

高度経済成長を支えた企業は戦時期に形成されている。

・電気事業
1939年に各地の電力会社を統合して国策会社である日本発送電が設立される。既存の電力会社が解散され、戦後まで続く9電力体制が確立された。

・自動車産業
1936年に「自動車製造事業法」が制定され、自動車関税が引き上げられ、自動車製造業を許可制にした。許可を得たのは豊田自動織機製作所と日産自動車でああり、営業税・輸入税免除や資金調達における優遇等が行われた。

・電器産業
東京芝浦電機、日立製作所、松下電器産業は軍事経済を背景にして成長した。

戦後、電力会社や製鉄企業の社長、副社長には、通産省の幹部が多数就任し、日本の大企業は通産省や金融機関と一体になった。

◎労使協調路線
日本型企業の特徴とされる労使協調路線について。

①内部昇進者が社長になる。
戦時期の企業改革によって大株主の影響が排除された結果、大企業経営者のほとんどが内部昇進者になった。労働組合との協調を考える経営者の増加。
②企業別労働組合
1938年に作られた産業報国会は事業所別の組織であり、他国のように産業別に組織されていなかった。経営者と対決するよりも、協調して企業を成長させようという意識が強い。

第4章 国際的地位の向上
間接金融中心による資金調達方式のため、日本においては資本家階級の存在しない効率の良い社会主義経済が成立した話。

著者は、以下の2つの政策を問題視している?

①年金制度
1972年に、厚生年金の給付額を2万円から5万円に引き上げた。年金制度が財政を圧迫する下地となる。
②所得税の減税
1973年に、給与150万円まで20%だった給与所得控除を40%に引き上げた。1974年の所得税収見込みは6.2兆円だったが、減税によって1兆7270億円の減収が発生したとされる。

第5章 石油ショック
1973年に発生した石油ショックについて。1974年の消費者物価上昇率は23%にもなった。

日本においては賃金上昇圧力が低かったため、諸外国よりも輸出において有利であり、経常収支黒字増大による通貨高によってインフレを抑制出来たとしている。

企業別労働組合による統制が有効に機能し、日本型経済システムへの信頼性が高まった。仮に、日本型経済システムの信頼性が高まらなかった場合、統制型金融システムは直接金融に移行し、米国型の金融市場が実現していた可能性がある。

その場合、産業構造が製造業に偏ることなく、バブルも発生していなかったかもしれない。

第6章 バブル
1980年代の日本において、日本型経済システムへの過信から根拠の無い値上がり期待が蔓延した事について。

プラザ合意後の円高に対応するために、大規模な金融緩和が行われる。当時、大企業の設備資金は株式市場から調達出来るため、銀行が資金を融資する戦時金融体制は大きな矛盾に直面していた。

銀行は本来の役割を離れ、中小企業や不動産向けの融資を行う事となり、バブルが発生する。

◎戦時経済体制と土地神話の形成について
日本において、直接金融が発達しなかったため、株式によるインフレ対策は一般化しなかった。

日本の地価が上昇し易かった理由は、以下の3点?

①税負担の軽減
相続税の軽減や、市街化区域内の農地への保護等、税制による優遇のため、土地は相続のための通貨となっていった。
②借地借家法
借地権が物権化したため、借地の供給が減少した。
③株式投資の減少
株式発行量が少ないため、家計が保有出来るインフレ対策資産は土地しかなかった。

仮に、直接金融が発達していた場合、家計は株式によってインフレ対策を行い、地価の上昇は緩和されていたと考える。農地解放等によって、戦前は大地主が保有していた土地が多数の人によって保有されるようになった事も影響している?

第7章 バブル崩壊
バブル崩壊によって、日本経済の中心が裏社会に蝕まれている事が明らかになった事についての記述。

著者による以下の考察。

①社会からの圧力
有力者を押さえていても、社会全体の暗黙の了解が無ければ、失敗する
②理論的な正しさ
暗黙の了解 = 社会的信認を獲得するには、道徳的な潔癖性だけでなく理論的な正しさが不可欠である

第8章 金融危機
山一証券や長期信用銀行の破綻について。

同時期に米国や英国の金融機関は「市場の力」によって変革された。しかし、日本では「戦時体制」によって市場が否定され、影響力が遮断されているとしている。

第9章 未来に向けて
バブル崩壊によって戦時経済体制の中核的部分は破壊されたが、大企業の構造や人々の考え方は変わっていないとしている。

高度経済成長期と同じく、「成長促進」等の単一の国家目標が唱えられ続けている。

1940年度の税制改革を通じて、給与所得と法人に対する課税を中心とする税制が確立された。そのため、国の財政力が強化され、地方や低生産部門への所得補助の原資となり、平等社会が形成された。

巨額の赤字を国が抱える状態では、補助は出来ないが分配面での平等社会への執着は根強い。

戦時経済体制が確立された時代の日本では、大量生産型の製造業が育成段階であり、創意よりも規律が重視され、全員が共通目標の達成を目指す事が望ましかった。

未来に向けた産業育成に適合していないシステムを如何にして変えるかが問題なのだろうか?

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