正義について考えてみる事

考えているが、纏まらない事。

以下、断片的な記憶やら考察やら

①柔道有段者の同級生
高校の同級生にC君という人がいた。柔道の有段者だったが、周囲の人間から嫌われていた。

<記憶例>
クラス内で何人かが話している。

A「ジャニーズ事務所ってIQ70以上は採用しないんだってさ。
  あんなフリフリの恰好は普通は出来ないもんな」
(会話にC君が入り込んでくる)
C「何でそんな事が分かるの?どうやって調べたの?」
A「誰も、お前に話してねーよ。根拠なんて知らねーよ」
C「ほー。自分は何の責任も取らなくて良い発言だ」

(1時間後の昼休み)

A「Cの奴、本当にムカつくぜ」
B「でも、お前何も言い返せなかったよな」
A「だって、あいつは柔道で県大会3位なんだぜ」

***************

C君は、嫌われ者だったが虐められる事は無かったと思う。僕はC君が好きでも嫌いでもなかった。彼は熱心に体を鍛えていた。

発達障害者の中には、異常に体を鍛える人間がいると思う。人間関係が苦手なので、強くなる事で身を守ろうとするのかな?強くなくては殺されてしまう。極度に攻撃的な発達障害者を見ると、そのように思えてしまう。僕はひ弱なので、そうしたアプローチをする人間が苦手だ。

しかし、強くなっても、それだけで正義になる事は出来ない。正義は、社会の暗黙の前提に則っていなくてはならないし、目に見えない暗黙の基準を満たしている必要がある。そうでなくては多くの人間の賛同を獲得する事は出来ない。

社会的な基準に違反する人間を痛めつける行為は正義であり、多くの人間の欲望を体現している。

②弱者であるか強者であるか
自らが人道を守る優しい人間である事をアピールする時は、自分の劣位を感じている時なのだと思う。

インターネットの掲示板上では、弱者に対して攻撃的な意見が多いような気がする。匿名性によって、安全圏から他者を攻撃出来るからかな?

休職する直前に、職場の上司は僕の休職を演技によるものと言った。そうした発言は、僕の事を思っての発言であり、自らは強い信念を持っているから恨まれる事を覚悟で厳しくしているらしかった。

数ヵ月後に、精神科医が上司の意見を聴くと逆の事を喋る。僕に対する不満は封印され、多くの人間が僕の復職を待ち望んでいる事になってしまう。

***************

自らの優位や安全を確信している状態では、必要以上に攻撃的になるのかもしれない。それは厳しさや信念という肯定的な動機付けによる行動と認識され、自己イメージを向上させる事が出来る。

状況が一変して自らが劣位にある事を感じると、正義は変化してしまう。厳しさや信念等の父性的なアピールでなく、自らの母性をアピールするようになる?

そして、自分の判断基準が変化している事を知る事は出来ない。記憶は改竄されるし、自己イメージは流動的だ。

③標準の誕生について
人間社会において「努力」、「克己心」、「向上意欲」が過大評価される背景には、人間の判断が自らの過去や狭い集団から成立しているからなのかもしれない。

交通事故を引き起こした運転手の多くは、自らの運転技量を並以上と判断する。車の運転を習得する以前の自分の技術と、現在の自分の技術を比較すれば自分は進歩している。さらに、自らの知る狭い集団の中で自分の位置を考えると、自らは平均以上の技量を保持していると考えるのかな?

社会全体の標準を計測する事は不可能であるし、運転技量を数値化する事は困難である。僕達が感知する標準、平均、普通は歪んでいる。

発達障害という概念自体が人工的だけれど、人間関係が上手くいかない場合、ほとんどの人間は自らが平均であり、苦手な人間を異常値 = 発達障害者と考える傾向があるように感じる。

インターネット上の仮想空間においては、多くの人間の行動・思想を数値化し、本来の意味での標準を可視化出来る可能性がある。

おそらく、完全に平均的な人間は存在しないはず。全ての人間が異常者となる。

***************

人間の階級意識と絡めて考える。さらに、自己イメージが外部環境と結合する状況について考える。自己が外部環境によって規定されるのならば、身体が崩壊した後も仮想的な自己が存続する可能性がある。

既に不死は実現しているのかもしれない。生き続けるのは、概念を超えた何者かだ。

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