国家はなぜ衰退するのか

読んだ本の感想。

ダロン・アセモグル&ジェイムズ・A・ロビンソン著。
2013年6月20日 初版印刷。





貧しい国家と豊かな国家が生まれる理由について。収奪の制限、創造的破壊の促進、権力を分配する政治制度、etc。国家の貧富は、経済制度によって左右される側面が大きい。経済制度は、政治制度によって規定される。政治制度は歴史的過程によって育まれる。偶発的な歴史的事件によって各国の発展は左右される?

人々が、法律を信頼し、財産権が確立されており、政治制度によって安定性と継続性が保証されている必要がある。国家が、法と秩序、私有財産、契約を強制する存在、公共サービスの提供者として経済制度と結び付く事になる。

以下の3つの制度の違い。

①収奪的制度
限られたエリートに権力が集中する。特権階級が、他の階級から収奪するよう設計されている制度。多数の資源を少数が搾り取る構造。

②包括的制度
大多数の人間が経済活動に参加出来る制度。財産権や公平な法体系、公共サービスの提供を特徴とする。市場の倫理。所有権と平等な機会を保障し、技術投資を促す。

③無秩序
人々の行動を支配する実質的な権威が存在しない状態。

⇒包括的制度と無秩序は異なる。
 秩序を保つために、国家の中央集権が必要とされる。
⇒収奪的な経済制度は、収奪的な政治制度から生まれる。

経済成長は、勝者と敗者を入れ替える。創造的破壊への恐怖から、支配者は変化を厭う。集権的な権力は秩序維持に必要だが、権力を行使する側の力を配分しなくては経済成長は実現し難い。

◎北米と南米の違い
北米と南米の経済格差は、欧州からの植民者の戦略の違いにあるのではないかという話。

南米:
16世紀からの欧州人の植民地化戦略は、現地の指導者を捕らえ、現地社会のエリートとなり、徴税や労働を強制する既存の方法を支配する事にあった。
 以下は、インカ帝国を支配したスペイン人の制度。
 ・エンコミエンダ
  先住民をエンコメンデロと称されるスペイン人に与える。
  先住民は、エンコメンデロに貢物と労役を提供する。
 ・ミタ
  強制労働制度。
 ・レドゥクシネオス
  労働力を搾取するために、先住民を新しい村に移動させる。
 ・レパルティミエント
  スペイン人が決めた価格で商品を先住民に売りつける。
 ・トラジン
  荷物の運搬に先住民を使用する。
 ⇒成人男子は、銀で納税しなくてはならないため、労働市場に
  人々が流入し、賃金に低下圧力が働いた。

北米:
17世紀頃から欧州人による本格的な植民が始まる。現地の人口密度が低く、搾取すべき現地人がいない。現地には支配体制が確立されていなかったため、入植者を搾取する事も出来ない。植民者達の勤労や投資を促す制度を採用する事になる。

歴史的経緯から、北米では各人の財産権を重視する下地が確立された。一方、南米では特権階級が存在するため、搾取や独占が社会の土台となる。

◎東欧と西欧の違い
14世紀に欧州にて流行したペストが齎した影響の違い。

ペストの流行前に欧州を支配していたのは封建的な秩序だった。農民は無給労働に従事する奴隷であった。ペストの流行によって生じた労働力不足が封建的秩序の土台を揺るがす事になる。その影響は、東欧と西欧によって異なる。

東欧:
封建領主による農民支配のインセンティブが強まる。

西欧:
包括的な労働市場が誕生する。

⇒中世の封建制によって、以下が達成されたとしている。
 ・奴隷制の崩壊
  農村の住民が農奴となる事で、別個の奴隷階級が無くなった。
 ・独立した都市の誕生
  地方分権的な体制の下で生産・通商を行う都市が繁栄した。
⇒奴隷が存在しない多元的社会の基礎となる。
⇒1500年以降、東欧の農作物が西欧に輸出されるようになる。
 農作物の供給を増やすために東欧の農民支配は強まり、
 西欧側では農奴の需要が低下する?

◎ソヴィエト連邦の経済成長
収奪的制度の下での経済成長が持続しない事について。

ソヴィエト連邦では、1921年に創設された国家計画委員会によって、第一次五カ年計画が1928年~1933年に実施された。政府主導で工業を育成し、そのための資源は農業に重税を課す事で調達する。

ソヴィエト連邦における重工業部門の生産性が低かったため、農業から工業に労働力を再配分するだけで高い経済的成長率を実現出来た。1928年~1960年に国民所得は年率6%成長した。

しかし、以下の理由から収奪的制度の下では技術的変化が継続しない。

①経済的インセンティヴの欠如
②支配者側の変化に対する抵抗

具体的には、以下のような事象があった。

・無計画
五カ年計画は変更や改正が施されたり、無視された。最終版が見つかった計画は、1939年の軽工業計画しかない。権力者による裁量で産業が運営されていた。

・インセンティヴ制度の欠陥
1930年代以降、設定された産出目標を達成した労働者にボーナスを支払った。また、企業利益の一部留保や1946年に導入された新技術の発見者へのボーナス制度等もあったが、既存産業の枠組みの中での報酬制度であったため、新規産業を育成する事が出来なかった。逆に新産業への投資が既存産業からの資源流出の原因となるため、意欲阻害要因となる。確実に達成出来なければ報酬が貰えないのであれば、動機付けは機能しない。

・懲罰
1940年以降、仕事を怠ける事が犯罪とされ、懲罰の対象となった。1940年~1955年には成人人口の1/3に当たる3600万人が怠惰による懲罰の対象になったとされる。脅迫によって創造性を解き放つ事は出来ない。

⇒収奪的制度を放棄すれば、支配者達の利権が失われる事が改革を阻んだ。1987年以降の収奪的制度からの脱却によってソヴィエト連邦は崩壊している。

⇒収奪的制度は、一定の秩序と経済成長を齎すが、
 技術的進歩を刺激出来ない。
 そのため、経済成長は短命なものとなる。
⇒また、収奪的制度は支配者の利益を奪うための闘争を引き起こす。
 階級間闘争によって中央集権化が逆転し、
 秩序が崩壊する傾向がある。

◎英国の歴史
各階層間での権力闘争を如何にして乗り越えたか。

1215年:
ジョン王がバロン階級によって、大憲章に署名させられる。国王が評議会の決定を順守する義務が生じる。

1265年:
初の選出議会。英国議会は以下の特徴を持った。
①幅広い階級の人間が議員となる
②議員の多くは君主の権力拡大に抵抗した

以下の2つのプロセスが進行した。

①中央集権化
1485年以降、ヘンリー7世は貴族を非武装化して中央国家の権力を拡大した。1530年代には初期官僚国家体制が導入され、国家は恒久的制度の集合体となっていく。

②多元化
15世紀後半~16世紀には、バロン階級等により、集中した権力の用途について発言権を求める動きが盛んになる。

17世紀には、王と議会との対立が鮮明となる。1642年には内乱が発生し、議会派が王党派を破った。1688年の名誉革命以後は、絶対君主ではなく議会が生み出した立憲君主による統治が明言される事となる。

その事による影響は以下の通り。

①多元化の促進
幅広い階級に権力が分散した。誰もが議会に請願し、所有権が強化され、金融市場が整備される事になる。強権的な支配者が存在しない事が財産蓄積の動機付けとなる。

②政治的中央集権化
議会による国家機能強化。1688年以降、議会は税金を通じて収入を増やす力を強化した。近代的官僚組織の下で国家が社会を監視するようになる。国王から議会へのパワーシフトが発生した結果、人材登用や増税を実施する能力が強化された?

⇒英国では、多様な利害関係者に幅広く権力が移譲された。
⇒利害関係者数が多い事が独裁を防いだ。
⇒創造的破壊を抑制する権力者の力が弱い事が、
 産業革命の一因となる。

⇒スペインでは、1520年のカルロス一世と身分制議会との
 闘争の結果、国王側が勝利し、
 1664年以降、身分制議会は招集されなくなった。

⇒英国とスペインは、米国大陸の発見という同じ事件に遭遇したが、
 異なる体制を持っていたため、異なる社会的影響が発生した。

⇒包括的制度を確立する方法としては、以下があるとしている。
 ①革命
 ②新国家の樹立(米国や豪州等)
 ③国家間の戦争(フランス革命後の欧州間戦争)

◎欧州の経済発展が他地域の後進性の原因となる?
欧州の商業的発展と植民地拡大が、他地域の統治組織を破壊した事例について。

東南アジアにおいては、1602年のオランダ東インド会社設立後、欧州人による香辛料貿易独占が進行し、現地の商業的発展を妨げた。植民地体制の下で原住民が強制労働に従事する事になる。

アフリカは、奴隷供給源となり、多くの統治組織によって奴隷貿易を産業の根幹とする体制が形成された。欧州での奴隷貿易廃絶は、奴隷の配置転換を招き、1900年になっても西アフリカ人口の30%は奴隷のままだった。

意図的に教育や財産権を否定された結果、安価な労働力の供給源となってしまう。

収奪的制度をが確立すると、支配者層を入れ替えても別の収奪者が誕生するだけになってしまい、悪循環が発生する。包括的制度の下では富が集中しないため、権力にしがみ付く支配者が誕生しない?

◎旧弊を如何にして打破するか?

以下は、やる夫Wikiの「やる夫はアフリカで奇跡を起こすようです」のページへのリンク。

http://yaruo.wikia.com/wiki/%E3%82%84%E3%82%8B%E5%A4%AB%E3%81%AF%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%A7%E5%A5%87%E8%B7%A1%E3%82%92%E8%B5%B7%E3%81%93%E3%81%99%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%A7%E3%81%99

ボツワナにおいて高度経済成長が実現した事例について。現在のボツワナの一人当たりの収入は、エストニアやハンガリー等の東欧の発展した国と同レベルである。ボツワナは、ある程度は中央集権化され、多元的な部族社会が形成されていたために包括的制度を確立出来たとしている?

著者は、中国における経済成長に着目しているように思える。1980年代からの包括的制度を目指す動きが、中国の発展の原動力であるが、依然として中国では収奪的制度が横行している。

中国における成長の基盤は創造的破壊ではなく、既存技術の利用と投資である。中国共産党による経済支配が創造的破壊を阻んでいる。

包括的制度は設計出来ない。幅広い権限移譲による多元主義の育成が重要としている?そのためには、社会運動が無法状態に陥らないための政治制度が必要である。そうしたシステムは、歴史的に規定された緩やかな変化によって用意するしかない?

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