東大のディープな日本史2

読んだ本の感想。

相澤理著。2012年12月25日 第1刷発行。



第1章 古代
1 「日本」はいつから始まったのか?
「天皇」、「日本」号は、7世紀の天武朝に定められたという説が有力。

日本は、隋による中華統一を受け、7世紀初めには皇帝に臣従しない形式で中国と国交を回復(5世紀に倭の五王が南宋に朝貢して以来)し、7世紀後半に遣唐使を中断するものの新羅統一によって朝鮮半島情勢が安定すると8世紀初めに遣唐使を再開して律令制を再開。以降、定期的な朝貢を通じて文化交流を行う。

2 朝廷はなぜ巨大道路を建設したのか
古代の朝廷が建設した道路は、駅路によって都と各国府を結ぶもので、中央集権体制を支えた。特に大宰府と都を結ぶ山陽道(幅12m)は、外交使節の歓待や威勢誇示の役割を果たす。

駅路は30里(約16㎞)毎に駅が設けられ、班田農民から選ばれた駅長・駅子が管理した。駅は駅鈴と呼ばれる乗用資格証明を持つ役人のみが使用出来た。

駅子は庸・雑徭を免除されたが、駅使への食糧供給や宿舎提供の負担があり、律令制が動揺し、個別人身支配(戸籍による管理)が緩んだ9世紀には駅子の逃亡が増加した。

3 貨幣とはなんだろうか?
日本では、8世紀初めに銭貨の発行を政府が開始し、蓄銭叙位令(10貫につき1位を朝廷に納めれば位階がもらえる)を発し、官人への給与を銭貨で支払う事とし、物品や租税との交換比率を定め、地方への普及を図った。しかし、生産力に乏しい地方では流通せず、逆に需要の高い畿内(京都は、全国から庸調として産品が集まる)では不足したため、8世紀末には地方の銭貨を畿内に回収する政策に転じた。

4 奈良の大仏はどのようにして造られたのか?
聖武天皇は鎮護国家の仏教に頼って国分寺建立や大仏造立を傷下。班田農民の支持を集めた行基は動員力を利用され、さらに大仏建立には戸籍支配から離脱した班田農民を取り込む意図もある?

〇行基(668年~749年)
百済系渡来人の子孫として668年に生れる。15歳で出家し、法相宗を修める。710年頃から民衆への布教を開始し、民間布教を禁じた朝廷から弾圧されるも、多くの信者を獲得。743年からの大仏造立に協力し、大僧正の位を贈られる。大仏開眼の供養会は752年。

743年は墾田永年私財法によって開墾が奨励された年で、先立つ723年に三世一身の法が出されると、行基は畿内近国で開墾の指導を行っている。

5 古代の役人はどのようにして私腹を肥やしていたのか?
奈良時代の調は成年男子に対して課される人頭税で、納められた特産品は運脚(班田農民が自ら納める)によって都に運ばれた。平安時代の調は名田(公田の区分単位)の面積に応じて課される土地税で、朝廷から一定額の徴税を請け負った国司が自由に税率を決定し、他国の粗糸を買って納入に充てるなど、蓄財の手段にもなった。

税のうち、租は田地1段(約12アール)につき2束2把(収穫量の3%)で農村における初穂儀礼に由来しており、神に捧げる米により共同体の結束を固める意味があった。ために徴収された租は都には納められず、国衙(国司が政務を行う役所)の財源として蓄えられた。

律令税制崩壊は9世紀頃で、902年に醍醐天皇が行った延喜の荘園整理令による班田が記録上最後の班田となっている。醍醐天皇・宇多天皇による寛平・延喜の国政改革では、国司に地方支配を一任するかわりに一定額の税の納入を行わせている。

第2章 中世
6 御成敗式目を制定した意図は?
御成敗式目は、1252年に3代執権 北条泰時が制定した51条からなる武家社会の基本法。所領紛争が増加する中、御家人を対象に裁判を公平に行うための基準を明文化。
朝廷との協力も必要な鎌倉幕府は、御成敗式目の大将が荘園や公領以外で公家法が本所法を侵すものでないと説明する必要があった。

泰時消息文は、北条泰時が御成敗式目を制定した趣旨を京都の六波羅探題にいた弟の北条重時に宛てて書いたもの。

7 幕府はなぜ次男の言い分を認める判決を下したのか?
北条泰時が行った裁判について。父の所領が全て次男に譲られた事案について、次男の相続承認を認めている。当時の武家社会は惣領制で、一族の長である惣領の命令に庶子が従う形で、血縁の絆で結ばれた。惣領には次期惣領の指名権もあり、父(惣領)が親権において次男を跡取りに指名したとする。

鎌倉幕府にとって惣領制の血縁的結束は政治的・軍事的な基本単位であり、その維持を図らなくてはならない。

8 鎌倉仏教が爆発的に流行したのはなぜか?
法然や親鸞による念仏を用いた往生という日常生活で実践出来る平易な教えが、内面的な救済を求める武士や民衆に広まった。国家的事業としての旧仏教は戒律や学問を重視する立場から朝廷の力で圧迫し、社会事業を通じて民衆救済も行った。

鎌倉仏教の特徴は、専修、選択、易行の三点で、念仏(南無阿弥陀仏)・唱題(南無妙法蓮華経)、座禅という修業方法から一つを選び、それに専念する。

9 南北朝の争乱はなぜ全国化・長期化したのか?
南北朝時代は、1336年に後醍醐天皇に反旗を翻した足利尊氏が京都に入り、1392年に南朝の後亀山天皇が北朝の後小松天皇に譲位するまで60年近く続いた。

当時は単独相続への移行によって一族内で所領紛争が生じ、武士は惣領の親権に従わず、有利な陣営についた。強固な血縁的結束を誇った惣領制が解体する中で、嫡子と庶子が一体化しなかったために争乱は長期化した。観応の擾乱(1350年~1352年)では足利尊氏、直義双方が南朝を利用する等、室町幕府も調停者としての役割を果たせていない。

〇観応の擾乱
1349年に高師直のクーデターによって引退に追い込まれた足利直義は、1350年に南朝と和睦(後村上天皇の綸旨を得た)して京都を制圧し、高師直を滅ぼす。その後、足利尊氏によって足利直義は毒殺される。
鎮静化のために足利尊氏は1351年に北朝の崇光天皇と皇太子直仁親王を廃して後村上天皇を京都に迎え、元号も南朝の「正平」に統一している(正平の一統)。

統一は一時的なもので、南朝は京都から撤退し、その際に北朝方の上皇と直仁親王を連れ去ったので、北朝は天皇・上皇が不在という事態を迎える。

10 続・貨幣とはなんだろうか?
958年に皇朝十二銭の最後となる乾元通宝が発行されて以来、宋銭が日本で流通した。農産物や手工業品が多くなると、市が成立し、貨幣需要が増す。

国内に銭貨を管理する一元的権力が不在な状況(鎌倉幕府は公武二元支配、室町幕府は弱体)では中国銭が多用される。後に統一権力として成立した江戸幕府は、金・銀・銅の三貨体制を確立する。

第3章 近世
11 豊臣秀吉がキリシタンに感じた脅威とは?
宗教的結束に基づく自立的権力に脅威を感じた。豊臣秀吉のバテレン追放令は1587年。

キリスト教宣教師は布教と貿易を一体化する形で大名を取り込み、大名の支配力を利用して家臣や領民を強制入信させた。1549年にフランシスコ・ザビエルが来日してから40年ほどでキリシタン信者が20万人に達した推計がある。

〇蓮如
本願寺8世法主。室町時代後期に一向宗の勢力を北陸の農村に拡大。延暦寺によって京都を追われた後、1471年に越前吉崎(福井県あらわ市)に拠点を移す。
惣村の指導者である名主・乙名の支持を取り付け、彼等を核に講(門徒の寄合)を組織した。

12 支配者は農民をどのような目で見ていたか?
本百姓からの年貢収入を財源基盤とした幕藩は、自立した小農を保護すべく、田畑永代売買の禁(1643年、田畑の権利売買を禁止)を発する等、小農が貨幣経済に巻き込まれて没落するのを防ごうとした。

13 江戸時代に蝦夷地が果たした役割とは?
耕地に恵まれない蝦夷地は、松前氏が幕府からアイヌとの独占交易を認められ、参勤交代の形で朝貢する事で華夷秩序に組み込まれた。18世紀には家臣に交易権を与える商場知行制から和人商人による場所請負制に移行し、アイヌに対する経済的支配が強まった。

蝦夷地には、漁獲物、毛皮、木材、肥料用〆粕等が入手出来たとする。

1789年にクナシリ・メナシの乱が起こると、ロシアとアイヌの合一を恐れた徳川幕府は、1797年に近藤重蔵等を派遣して択捉島に「大日本恵登呂府」の標柱を立てる。これは現在の日本政府が北方領土を主張する根拠にもなっている。

14 琉球王府が語った架空の「トカラ島」とは?
1846年に琉球政府は、トカラ島という架空の島を持ち出してフランス海軍提督の通商条約締結願いを断っている。トカラ島は、吐噶喇列島とは違う。琉球は、中国への朝貢品や輸出品、必需品を日本のトカラ島で買う以外なく、フランスと友好通商条約を結ぶと、トカラ島の商人達は日本の法律によって来る事が出来なくなるとする。

琉球政府は日中両属関係を維持し、薩摩藩との密貿易を利用する意図があったため、フランスとの友好通商条約を断ったとする。

〇琉球国家建設
12世紀頃に大陸から穀物栽培や鉄器文化が齎され、各地に按司と呼ばれる首長が出現し、グスク(城砦)を構えて抗争が始まる(グスク時代)。

14世紀には北山、中山、南山の三つの勢力圏に統合され(三山時代)、中山王となった尚巴志が1416年に北山、1429年に南山を滅ぼして琉球王国を成立させる。

1469年に7代国王 尚徳が亡くなると、貿易責任者だった金丸(尚円)がクーデターを敢行し王位を奪っている(第二尚氏王朝)。金丸の子の尚真の時に各地の按司が首里に集められ、王権の基盤が確立。

1609年には島津家久に首里を占領され、薩摩藩を介して徳川幕府に慶賀使を、謝恩使を遣わすようになる。

15 民衆はなぜ「御蔭参り」に熱狂したのか?
1830年に約500万人が伊勢神宮に参詣した(当時の日本人口は約3200万人)。19世紀前半には交通網の発達や大御所時代(11代将軍 徳川家斉が実権を握った時代)の好調経済を背景に寺社参詣が流行したらしい。

伊勢神宮への参詣は、1705年、1771年、1830年と60年おきに流行したらしい。

第4章 近代
16 伊藤博文が憲法制定を急いだのはなぜか?
不平等条約改正のために、領事裁判権撤廃の条件として列強から求められている、近代的諸法典の整備を急ぐ必要があった。また、国内の自由民権運動に対抗する形で明治14年に国会開設の詔を発布し、明治23年の議会開設を約束して政府主導による立憲君主制を実現しようとした。

17 日露戦争で国際関係はどのように変化したか?
日露戦争は満州・朝鮮権益をめぐって争われたが、講和によって日露間の勢力均衡が回復された。日本が南満州鉄道の共同経営提案を拒否した事から、中国での門戸開放を求める米国との関係が悪化したが、日露協約によって対抗している。

以下は、ポーツマス条約の内容。

①韓国における日本の指導権の承認
②旅順、大連の租借権の日本への譲渡
③長春以南の鉄道利権の日本への譲渡
④南樺太(北緯50度以南)の領有権の日本への譲渡
⑤沿海州、カムチャッカ沿岸における漁業権の日本への付与

18 地租改正と農地改革の意義は?
地租改正では、租税が金納になるとともに、地主に土地所有権が認められる事で近代的土地所有制度が確立した。税額基準が生産高(石高)から地価に移行し、納入者が耕作者から土地所有者に変化する事で豊凶に関わらず一定額の税収を確保可能になる。一方で、小作人が高額な小作料を物納する形で寄生地主制(小作料だけで生活出来る地主は耕作から離れる)の発達が促された。

地租は金納となっても小作料は物納のままで、生産高の六割を持っていかれるため、小作が自作農になる可能性は低かった。1890年代には小作地率は40%台に達し、寄生地主は株式等に投資したため、鉄道・紡績を中心とした企業勃興が見られた。

農地改革では小作地を国が直接買収するという方法により自作農が創設された(自作値は全耕作地の90%に達した)が、零細農家の増加という問題も発生した。

以下は、GHQのダグラス・マッカーサーが幣原喜重郎に指示した五大改革の指令。

①婦人解放
②労働組合の結成奨励
③教育制度の自由主義的改革
④圧政的諸制度(治安維持法、特高警察等)の撤廃
⑤経済機構の民主化

19 高橋是清はいかにして恐慌から脱出したか?
金輸出再禁止を行って為替相場の下落を誘発し、積極財政と合わせて輸出を拡大した。その前の井上蔵相の緊縮政策、産業合理化、金輸出解禁等によりリストラが進めらた下地もあるとする。

20 日本国憲法は本当に<民主的>なのか?
日本国憲法では、国民主権を原理に、内閣の議会解散権、国会の内閣首班指名権、裁判所の違憲立法審査権等、各機関の均衡による権力抑制が図られている。

以下は近代憲法の原理。

①立憲主義
憲法による国家権力抑制。

②権力分立
権力を分割して異なる機関に担当させ、抑制と均衡を保つ。

憲法に明記されているから人権が守られるのでなく、国民の不断の努力によって自由と権利は保持される。

人気ブログランキングへ
スポンサーサイト

東大のディープな日本史

読んだ本の感想。

相澤理著。2012年5月17日 第1刷発行。



第1章 古代
1 古代の朝廷はなぜ白村江の戦いに臨んだのか?
朝鮮半島における拠点確保と、軍事動員により権力を集中させ中央集権国家建設を目指した。

589年に中華を統一した隋は、度重なる遠征による疲弊が一因となり618年に滅びている。次の唐は律令を制定し、貞観律令を整備した二代皇帝太宗の治世は「貞観の治」と呼ばれる。こうした足場を固めた上で、唐は周辺国へ出兵している。

日本では646年に四カ条からなる改心の詔を発した後に、大宝律令が制定されたのが701年で、守旧派の抵抗によって改革進展が遅れていたものと思われる。

2 古代の朝廷の外交の「たて前」と「実際」とは?
唐を模倣して律令を完成させた日本朝廷は、建前上は唐の冊封を受けなかったが、実際には唐から朝貢国の扱いを受けた。

遣唐使 大伴古麻呂は、唐の玄宗皇帝の元日朝賀において、日本と新羅が席次を争ったと報告している。779年に唐から答礼使が来日した時は、光仁天皇が御座を降りて国書を受け取っている。

新羅との関係では、743年に新羅使が、それまでの調という貢進物の名称を土毛(土地の物産)に改めたので、日本の朝廷が受け取りを拒否する事例が発生している。しかし、新羅や渤海との交流は盛んであったらしい。

3 群司は地方支配にどのような役割を果たしたか?
群司は実質的な在地支配力を有し、地方豪族が慣習的に世襲していた。律令制では郡司は中央から赴任した国司の監督下に入り、戸籍・計帳の作製、刑の執行等の末端実務を担い、中央集権的地方支配に貢献した。

天武天皇の時代(673年~686年)に設定された行政区画では畿内と七道の行政区の下に国(国司が管轄)・群(地方豪族の勢力範囲に応じて設定)・里(班田や徴税のために設定)が設けられ、8世紀後半には66国が設けられている。

4 平安初期に律令国家や文化はどのように変化したか?
長岡町遷都(784年)、平安京遷都(794年)を行った桓武天皇の画像は、顎鬚をたくわえ、玉座に座る中華皇帝を思わせる。このように平安初期には令外官(律令の規定外の官職。検非違使や蔵人頭等)や格式・令義解の編纂等によって実情に即した律令制が再興されると同時に、唐風文化を導入して威厳を飾る動きがあった。勅撰漢詩集や宮廷義式(郊祀祭天の儀として、冬至の日に先祖を祀る中国の儀式。桓武天皇は785年から父 光仁を始祖として行った)等。

天皇を頂点とする国制が完成すると、太政官制に依拠した政治形態への道が開ける。

〇嵯峨天皇(在位:809年~823年)
平安宮の門や建物の名称、宮廷義式に唐風を採用。漢詩文集『凌雲集』、『文華秀麗集』を勅撰。漢文学流行に彩られた弘仁・貞観文化を開花させる。

5 摂関政治と院政の違いは何か?
摂関期には天皇家との外戚関係が重視されたため、摂政・関白よりも娘や妹が皇太后となった者の方が後見人として官吏の任免権を握った。院政期には上皇が政治を行い、法や先例を打破していった。

866年に藤原良房が人臣として初めて摂政(幼少の天皇に代わって政務を行う)となる。884年に藤原基経が光孝天皇の即位に祭祀て関白(成人した天皇の後見人)となり、887年に宇多天皇の詔で関白の語が初めて用いられる。

摂政・関白は律令における規定は無く、天皇の個人的輔弼者という位置付け。藤原道長は関白にはならず、左大臣(太政官制における最高責任者)と内覧(天皇に奉る文書に事前に目を通す)の地位に就いていた。

藤原道長の子 頼通が天皇の外祖父となれないまま1067年に関白の座を辞すると、1068年に摂関家を外戚としない後三条天皇が即位し、1086年に白河上皇が院政を開始する。

院政は明治維新まで続き、嫡子不在を理由に皇位継承問題が発生する事を防いだ。

第2章 中世
6 平氏はなぜ政権を奪取できたのか?
法が機能したい院政期に、荘園と公領の確定、僧兵の鎮圧、紛争解決に武士の力が必要になった。平氏は娘を入台させ(平清盛は娘 徳子を高倉天皇の中宮として、1180年に孫の安徳天皇を即位させている)、天皇家と外戚関係を築く事で官職を独占する等権力を掌握した。

7 北条氏はなぜ将軍になれなかったのか?
中世の武士には天皇を頂点とした血筋を重視する意識があり、将軍は貴種である事が絶対条件だったとする。伊豆国の在庁官人だった得宗(北条氏嫡流)は将軍になれなかった。

また、北条氏は将軍という天皇の直臣とならなかった事で武家政権としての独自性を発揮出来たという意見もある。源頼朝直系の血筋が途絶えた後は、北条氏は摂関家から頼経を鎌倉殿に迎え、1252年には天皇の兄である宗尊親王を戴いている。

8 元寇で武士たちは「国」を背負って戦ったのか?
惣領に率いられた血縁的武士団が、幕府からの恩賞を目当てに個別で参戦した。モンゴルは高麗軍を海上戦に従軍させようとしたが、結束力欠如から日本遠征は失敗した。

9 一揆の団結力のみなもとは何か?
一揆では血縁関係よりも地縁的結束が優先され、参加者全員で行う合議による決定と誓約による拘束があった。署名者全員が対等な立場で、神前で一味同心である事を誓う等、神が結束の核となった。

鎌倉後期には分割相続の繰り返しによる所領細分化より困窮する武士が増加し、嫡子単独相続への移行が進んだ事で、血縁的結束に綻びが生じ、惣領制から切り離された武士が自立して在地の国人になっていったと考えられる。

10 能や侘び茶はどのようにして生まれたのか?
室町時代には、諸産業や流通の発達による民衆の経済的成長を背景に惣村等の自治組織が形成され、これを基盤に民衆芸能が生まれた。猿楽能、喫茶、連歌等が流通の中心である京都に集約され、諸文化の融合が進んだ。

血縁や個人の利害を離れた個人が、対等な立場から一つの目的を共有する姿勢は、一揆や能の一座、茶の湯の一期一会の精神でもある。

〇猿楽
中国から伝わった散楽に由来する滑稽芸、田植え時に豊作を祈って行われた歌と踊り等を起源とし、歌舞の要素が強調された。室町時代になると、能楽師で構成される一座が寺社の保護を受け、興福寺を本所とする大和猿四座(円満井座(金春座)、外山座(宝生座)、結崎座(観世座)、坂戸座(金剛座))が栄えた。

結崎座(観世座)からは観阿弥・世阿弥が出て能を作り上げた。

〇侘び茶
南北朝期に経済的に成長した民衆の娯楽として喫茶が行われるようになる。闘茶が婆娑羅(新奇や放蕩を好む新興武士)の間で流行したが、足利尊氏が制定した建武式目(1336年)で禁止されている。

村田珠光は、集まって茶を飲むという本来の目的に立ち返った侘び茶を創始した。

〇連歌
上の句、下の句を一座に集まった人々が詠み継いでいく文芸。平安時代当初は貴族の遊戯だったが、連歌の指導をする連歌師が各地を遍歴すると民衆の間にも浸透していく。

第3章 近世
11 豊臣秀吉が天下統一に向けてとった手法とは?
自力解決を否定し、関白に任じられる事で天皇から全国支配を委ねられたとして、領地確定に関しては自分の裁定に従うよう命じた。全国の領主権を握る豊臣秀吉が諸大名に石高を基準に知行地を与え、それに見合った軍役を負担させる。

惣無事令(戦闘停止と領地確定)、海賊取締令、喧嘩停止令(村同士の境目争いの禁止)等。

豊臣秀吉は、1586年に後陽成天皇から豊臣の姓を賜り、1588年には京都に造営した聚楽第への後陽成天皇の行幸を実現し、諸大名を聚楽第に呼び寄せ、関白に従うという起請文を提出させている。

12 江戸時代の幕府と朝廷の関係とは?
徳川幕府の地位は、朝廷からの征夷大将軍任命によって保障された。徳川幕府は、禁中並公家諸法度によって公家勢力の政治的発言力を抑制する一方、伊勢例幣使の再興等で朝廷を経済的に支援して融和を図った。

既存組織を利用する徳川幕府の方法。

〇村方三役
名主、組頭、百姓代。村民と代官を結ぶ窓口となる。

〇本山・末寺の制
全国の寺社を宗派毎に組織し、民衆は必ず檀那寺を持つ事にした(寺請制度)。

13 徳川吉宗は出したくて上げ米令を出したのか?
文治政治転換に伴う人件費増加や米価低迷、貨幣経済発達による階層分化での本百姓制動揺によって幕府財政は悪化し、封建的主従関係を確認する参勤交代を緩和しながらも政府収入を増やした。それは統制力を弱める事に繋がる。参勤交代には江戸に長く滞在させる事で、諸大名の割拠性を弱める役割があった。

1722年の上げ米令によって、参勤交代の江戸在府期間を半減する代わりに、石高1万石あたり100石を徴収し、年間19万石(年貢高の一割以上)の一時的収入を得ている(年貢増徴策によって、連年150万石前後の年貢収納高が確保された8年後に廃止)。

享保の改革では、他に役職毎に役高を定め、在職時にのみ家禄の不足分のみを支給する足高の制を採用して人件費を抑制している。

14 「鎖国」下の幕府の外交能力とは?
長崎の出島、対馬の宗氏、琉球、松前等、海外との窓口を制限する事で、外部情報と貿易利潤を独占した。

15 化政文化はなぜ農村まで広まったのか?
化政文化は江戸の経済的発展を背景にした町人文化だが、出版の発達や商人・文人の交流活発化により、経済的に余裕の生じた豪農層にも受容された。

〇元禄文化
17世紀後半に上方(大阪・京都)の町人達が担い手とした。

〇化成文化
19世紀前半に江戸町人を担い手とした。

第4章 近代
16 明治新政府が内外に打ち出した方針とは?
開国の方針を示して列強を支持を得て、国内で根強い攘夷運動鎮静化を図った。儒教道徳を遵守させ、キリスト教を禁止する等もしている。

17 大久保利通が描いた日本の将来像とは?
不平等条約改正を目標に、富国強兵に務めて列強に並ぶ国力を養う。大久保利通は民主政治を理想としたが、当面は君主権の下で政府主導で近代化を進め、民度を高めていく君民共治が良いと考えた。

大久保利通は自らが内務卿として、内治の整備を進める内務省を管轄した。しかし、1878年に紀尾井坂の変にて49歳で死んでいる。

大日本帝国では、天皇の統治権について規定した第四条では、統治権は憲法によって抑制されるべきとあり、大久保利通や伊藤博文が理想としたデモクラシーの精神が埋め込まれている。

18 明治日本が産業革命を達成できた原動力は?
主要輸出産業である製糸業が、甲信地方を中心に発達し、外貨獲得産業になった。一方で紡績業は関西を中心に大工場生産が発達したが、綿花はインド・中国、機械は英米からの輸入であったため、貿易収支は赤字だった。

日清戦争前後を繊維業を中心とする第一次産業革命、日露戦争前後を重工業を中心とする第二次産業革命とする。

古代に中国の律令や文化を形として受容したように、明治時代にも欧米の政治制度や科学技術をそのまま形として導入した。江戸時代後期の寺子屋の発達等、民衆レベルで近代化を受け入れる下地があった。

19 協調外交以外に日本に道はなかったのか?
戦後恐慌の中で、国内市場が狭く、国際競争力も無い日本は、資源供給地や輸出市場としての満州を手放せなかった。そのため、対米英協調の方針を堅持する事で、列強の一員として満州権益を確保していた。

〇ワシントン会議(1921年~1922年)
第一次世界大戦後の軍縮体制構築と、アジア・太平洋問題解決を目的に開かれた。

日本の首席全権 加藤友三郎は以下の方針を政府から伝えられた。

①軍縮
列強同士の建艦競争を終了させて軍事費膨張を抑制する。
②米国との円満な関係維持
③満州の権益確保

四カ国条約(太平洋における勢力の現状維持)、九カ国条約(中国の主権尊重等を規定)、海軍軍縮条約(補助艦の保有量制限を定める)が結ばれ、こうして構築された国際秩序をワシントン体制と呼び、1920年代の日本は、対米英協調と対中国不干渉主義を堅持していく協調外交を選んだ。

20 「憲政の常道」はなぜ終焉したのか?
政党内閣は明治憲法によって制度化されておらず、昭和初期に元老 西園寺公望の推挙によって慣例的に二大政党時代が続いていただけだった。慢性的不況に解決策を打ち出せない中、満州事変を機にテロ・クーデターが相次ぎ、政党内閣の終焉後には軍部と官僚が手を組んで内外の危機に対応する体制が作り出された。

元老は天皇に首相の推挙も行っており、大日本帝国の民主的運用には、加藤高明を首班に指名した元老 西園寺公望のような憲法外の存在を必要とした。

〇憲政の常道
憲法に基づく政治として、正しい道と信じられるもの。

具体的には以下のよう。

①組閣
民意を反映した衆議院で第一党である政党が組閣して政権を担う。
②禅譲
内閣が失政によって倒れた場合は、第二党に政権を禅譲する。

第二次護憲運動によって加藤高明内閣が成立(1924年)したから犬養毅内閣が五・一五事件(1932年)で倒れるまで二大政党による政権交代が実現していた。

人気ブログランキングへ

血の季節

読んだ本の感想。

小泉喜美子著。2016年8月18日 第1刷発行。



【登場人物】
殺人犯(昭和3年:1928年~):
昭和5X年に発生した「青山霊園幼女殺人事件」で五歳の幼女を殺害する。幼女の持っていたドイツ人形が欲しくなったらしい。

フレデリッヒ(1926年~):
駐日ヘルヴェティア公使館大使の息子。自衛軍幕僚としてチューリッヒに在住しているらしい。

ルルベル(1929年~):
駐日ヘルヴェティア公使館大使の娘。アルプス山中の療養所に入院中らしい。

ラドラック二等書記官:
ヘルヴェティア公使夫人と不倫関係にあったと噂される。日本で死亡したという説と、帰国後にルーマニアに赴任したという説。

警部:
昭和五十×年で30代半ば。既婚だが子供はいない。「青山霊園幼女殺人事件」を捜査する。

***************

以下の二つの世界戦。

①青山霊園幼女殺人事件
昭和5X年に発生した「青山霊園幼女殺人事件」を捜査する。殺人犯は自らを吸血鬼と主張する。精神科医は、空襲中にルルベルに咬まれたという主張を荒唐無稽として、当人の願望を表したものと解釈するが、後の調査で空襲中にヘルヴェティア公使館が救助のために開かれた事を知り、死刑になった殺人犯が復活する可能性を恐れる

②犯人の回想
「青山霊園幼女殺人事件」の殺人犯の回想で、1937年(昭和12年)~1945年(昭和20年)の話。

9歳だった殺人犯が、公使館でフレデリッヒ、ルルベルと知り合って友人になるが、1941年の日米開戦以降、音信不通になる。1941年に17歳となった殺人犯の友人Kが、公使館でルルベルらしき女に咬まれるが、Kはその後の空襲で死ぬ。殺人犯自身も東京大空襲で死にかけるが、ルルベルに咬まれる事で生き残ったと主張する。

人気ブログランキングへ

お茶の歴史

読んだ本の感想。

著者:ヴィクター・H・メア/アリン・ホー。
2010年9月20日 初版印刷。



第1章 植物学の寄り道―茶のライバルたち
アルカロイド群は窒素を含む塩基性化合物で、現在では4000種を超える植物で1万種を超えるアルカロイドが同定された。その一種であるカフェインは1820年に同定された。茶はカフェイン飲料の一種。

以下は、浸出液として活用された茶以外の植物。

〇麻黄
紀元前2000年頃のタクラマカン砂漠に埋葬された青銅器時代のミイラの副葬品から見つかる。

〇コカ
アンデス山脈では、コカと石灰を混ぜて、葉に含まれる活性アルカロイド化合物を遊離させる。

〇檳榔
南アジア、東南アジアで使用される強壮剤。

2004年~2005年現在ではコーヒーの生産高は720万t、茶は320万t。カップ一杯をいれるのに必要なコーヒーは15gで、茶葉は5g。

第2章 国の威信のよりどころ―東南アジアと茶の起源
茶の自然分布の中心は、インドのアッサム州のブラマプトラ川上流一帯、ビルマ北部、タイ北部、インドシナ半島、中国南西部とされる。

茶樹は以下に大別される。

①カメリア・シネンシス・シネンシス
中国南部に自生。耐寒性で0.9m~5.5mに育ち、高地でも栽培出来る。繊細で緑茶・烏龍茶・高級緑茶の製造に適している。

②カメリア・シネンシス・アッサミカ
南アジアと東南アジアの湿潤地に自生。中国、アッサム地方、スリランカで栽培される。14mまで育ち、霜に耐えられず、収穫量が多い。

初期人類は、紀元前5万3000年頃には茶樹の生育地に到着したものと思われ、中華神話における神農は紀元前2737年~紀元前2698年に国を治め、100種類の植物を味見し、茶樹が彼を癒したと伝える。

四川省の四川盆地に住んだ巴族は、茶樹の利用が記された最初の民族とされる。『華陽国志』は巴が周に茶を贈ったと思われる記述がある。

同じく四川省に住んだ蜀族も楽山地方で茶を栽培している。17世紀に顧炎武が著した『日知録』では、秦が茶の飲み方を知ったのは、紀元前316年に蜀と巴の領土を獲得してからと記している。

第3章 酪の奴隷―一世紀から六世紀までの茶
1世紀~6世紀で茶の知識と消費、栽培は揚子江下流域へ広まったとする。それまでの中国における代表的飲料はアルコールだったが、道教哲人が調合した薬草の中に茶があった。

しかし、中華北部には飲茶の風習が広まり難く、5世紀~6世紀に北方を支配した北魏の孝文帝(在位:471年~499年)は漢化政策を行ったものの、飲食物にまでは政策が広まらず、拓跋部の支配者達は羊肉と発酵馬乳を主食としたらしい。

第4章 喫茶去!―唐代
610年に揚子江と黄河を結ぶ約1770㎞長の大運河が完成する。中国南部から茶が黄河流域や長安に運ばれ、茶の湯を沸かす事は大都市での衛生向上に寄与したかもしれない。

則天武后(在位690年~705年)の治世に肉食禁止令が出るが、仏教が盛んなこの時代に酒を飲む事が許されない僧侶にとって茶は不可欠の要素となった。

733年に生れた詩人 陸羽が著した茶経は、製茶、喫茶に必要な道具や器具、方法、逸話を現代に伝える。

782年に茶は竹、木、漆と並んで収益の上がる商売になったので、10%の税が課される。徳宗(在位779年~805年)の治世の間、茶税の歳入は青銅銭4000万枚ほどだった。文宗皇帝(在位826年~840年)の時に宰相を務めた王涯は茶の栽培、販売を政府独占にする。

804年の遣唐使によって渡来した最澄と空海によって、茶は日本にも伝わる。

<チベットへの普及>
ソンツェン・ガンポ(581年~649年)は、中華皇帝 太宗(在位626年~649年)から王族である文成公主を嫁入りさせてもらい、チベットは仏教国に改宗し、獣皮の衣服が絹に換わる。嫁入り道具の中には餅茶があったらしい。

<唐代の茶の産地>
①蒙山
四川省 成都の東。漢の宣帝の甘露時代(紀元前53年~紀元前50年)に茶が植えられたとする。唐代から清代まで、吉祥蕊茶が皇帝への献上品として贈られた。『本草綱目』には茶は一般に体を冷やすが、蒙山の茶は体を温める性質があるとした。

②浮梁
江西省にあり、唐代には年間に騾馬の積荷として700万頭分の茶を生産したらしい。

③顧渚山
太湖西側の宜興に近い。代宗皇帝(762年~779年)が771年に皇帝茶園を作り、785年には三万人が動員されて茶摘みと製茶を行った。

第5章 兎毫盞のなかの雲脚―宋代
10世紀には小氷河期によって中国の平均気温が2度~3度下がったため、冬には江蘇省の太湖が凍結し、顧渚山の茶樹は大量に枯死した。977年に皇帝の茶園は顧渚から福建省の南東沿岸の北苑に移される。

唐代には挽いた茶に一つまみの塩を加えて鉄鍋で煮て、瓢箪で作った杓子で茶碗に注いだ。宋代になると、鉄鍋に代わって、蓋と注ぎ口のついた陶器の水差しを使用し始める。

福建省では闘茶として、茶で細かく長持ちする泡を立てる競争が行われた。表面の泡が潰れたり、茶碗の縁から離れると、雲脚があるとして、一番早く茶に雲脚が認められた競技者が負けとなる。雲脚の判定に便利なように、福建省の窯元で焼かれた黒釉の茶碗が多用された。兎毫(兎の毛のような細かい縦筋)、建盞(福建省で作られた茶碗)等の用語。

12世紀には中国全土の2/3の府州県で茶を栽培するようになる。1125年に宋北部が女真族に占領されると、飲茶の風習が女真族にも広まり、金の尚書省が1206年に提出した覚書には茶に関する一年間の出費が100万貫文(年間予算1500万貫文)と記されている。その後、章宗皇帝は、官位七品以上の役人の家庭にのみ飲茶や販売、授受を許可している。

第6章 極上の飲み物で平和を買う―茶馬交易
中華の歴史を通じて、遊牧民族と戦うための馬を調達する事が防衛戦略の要石になっている。国力が強い時期は遊牧民族から貢物として馬を受け取り、弱い時期は銀や絹で馬を買ったが、やがて茶と交換するようになる。

唐は76万頭ほどの馬群を持ったが、10世紀後半の宋は20万頭程度(敵対する契丹族は180万頭)しかなく、黄河中流域の首都開封に近い牧草地で馬の飼育を試みたものの失敗した。

宋は1055年にチベット人から銀10万両(年間生産量の半分)で馬を購入している。1074年に宋は四川の茶で馬を買う事を目的に茶馬司(茶馬交易を管理する役所)を設置。

1078年にチベットの馬一頭の値段は四川の茶100斤で、宋は1万5000頭の馬を入手した(1085年の四川での茶生産量は2900万斤)。1126年に北部が女真族に占領されると、北部の馬市場が奪われ、茶の価格が急落し、体高約135㎝の馬の値段が茶700斤にまで急騰した。

その後、明朝の朱元璋はチベット人との茶馬交易を防衛戦略の軸として復活させ、年間100万斤の四川茶を占有したらしい。成化帝(在位1464年~1487年)は茶税に変えて、栽培者に銀での支払いを義務付けて、銀で馬を購入したが、後に茶馬交易を復活させている。

政府の力が弱まるとともに政府による茶の独占は困難になり、遊牧民族は民間商人から茶を買えるようになると、中国政府に馬を渡そうとしなくなる。

<湘南茶>
茶がチベットに運ばれるまでに何か月もかかるため、緑色だった固形茶が後発酵によって赤褐色になる。16世紀初頭に湘南省安化県の製茶業者によって合理化され、茶葉を高温多湿の部屋で積み重ね発酵させて乾燥させた。

第7章 禅の味は茶―十二世紀から十五世紀までの日本
明庵栄西(1141年~1215年)が1191年に禅と茶を紹介してから、日本の茶文化が本格的に発達する。京都の明恵上人に贈った茶の種は宇治に播かれ高級茶である本茶として知られるようになる。

禅僧 道元(1200年~1253年)が著した『永平清規』には茶礼という茶を供する際の儀式が書かれている。1223年に中国に渡った加藤四郎左衛門は宋の陶器製造技術を学び、尾張の瀬戸に工房を構え、藤四郎焼という茶入を作った。1267年には南浦紹明が中国の径山寺から台子(茶道具を収納するのに使用される茶棚)を持って来た。

室町時代には闘茶も行われるようになり、茶の飲み分けが競われた。後に闘茶は廃れ、村田珠光(1422年~1502年)や弟子の十四屋宗悟、武野紹鷗(1502年~1555年)によって侘び(不完全の美を認める)や一期一会という精神性が重視されるようになる。

第8章 茶聖 千利休―日本の茶道の完成
千利休(1522年~1591年)は、侘びの茶を完成させた。

織田信長と千利休の最初の「茶の湯会談」が開かれたのは1574年で、自らの権力を見せつけ、戦勝を祝すために使用されるようになる。豊臣秀吉は、織田信長にならって豪奢で華美な茶の湯を政治手段として利用した。

1585年に豊臣秀吉は正親町天皇のために茶会を開催し、正式な茶会に出た経験の無い天皇に秀吉が茶を点てて出した。

茶道は、政治的で豪奢な茶会と観想的な個人的嗜好との間で生まれたとする。

<煎茶>
16世紀後半に日本に齎された煎茶の最初の師匠は売茶翁(1675年~1763年)で、1735年頃に京都で煎茶を供したらしい。熱湯と茶葉を急須に投入するだけ。

第9章 韓信天兵―明代と清代の茶
明代の中国で散茶が飲まれるようになる。加熱法として、摘みたての葉と芽を高温で加熱して酵素の働きを止め、茶の新鮮さを留める。散茶を浸出させて飲む方法は、急須を生んだ。

この頃の茶の生産は北苑の蠟茶の終焉とともに、福建省の北西端の武夷山に移る。ここで烏龍茶が誕生し、茶葉を乾燥させて擦り軽く傷つけて茶色にする半発酵とする。完全に発酵したのは黒茶。

西洋では濃厚な紅茶が好まれ、武夷産の茶の名称に過ぎなかった功夫や小種等が欧州で販売される二種類の最も一般的な紅茶の名前に変わったという説がある。

明代、清代には他に白茶、黄茶が出現し、中央アジア奥地にまで茶が伝わった。

第10章 ダライ・ラマの名前の由来―チベットとモンゴルの磚茶
チベットの海抜1860mの高地は低地の二倍の水分を汗によって発散する。そのため茶は必需品となる。

1578年にアルタン・ハーン(モンゴル族トゥメット族首領)とソナム・ギャツォ(デプン僧院、セラ僧院の座主)が会談し、モンゴル語で海を「ダライ」と呼び、「ギャツォ」はチベット語で海の意味なので、ソナム・ギャツォはダライ・ラマと呼ばれた。

ソナム・ギャツォは、仏教ゲルク派の化身ラマの三回目の生まれ変わりだったので、初代と二代にもダライ・ラマの尊称が与えられた。

モンゴル仏教の最高権威者ウンドゥル・ゲゲーンは1650年頃にチベットで教育を受け、茶の儀式を確立したらしい。この頃には茶はチベット人に不可欠になっていたらしい。

第11章 われわれだって、サモワールを発明したじゃないか
     ―ロシア隊商の茶貿易

1727年のキャフタ条約でロシア=中国の国境が画定すると、二国間の貿易主要市場がバイカル湖南のキャフタに設置された。この頃にはロシアにも茶が輸出されるようになる。

ロシアでは茶を沸かす道具としてサモワールが作られた。19世紀初頭にはサモワールを手に入れる事が家の経済事情を示す証拠になった。

1869年にスエズ運河が開通すると、黒海のオデッサ港経由で手に入る茶の方が、キャフタ経由よりも安くなり、1903年に遼東半島に到達したシベリア横断鉄道開通によってキャフタ交易は廃れていく。

第12章 新たな地を征服する―イスラムの茶の世界
16世紀後半にモンゴルの脅威が弱まると、茶馬交易のための専売制も緩められ、ブハラ人商人によってペルシアの首都イスファハーンに茶が運ばれるようになる。

飲酒が禁じられたイスラム教では、神秘主義のスーフィーが15世紀半ばからコーヒーを引用しはじめ、17世紀から茶が導入されていく。

保守的なワッハーブ派がコーヒーを禁じると、茶の消費増大に弾みがついた。19世紀末のモロッコ国王ムーレイ・ハッサンが煙草を全面禁止すると茶の輸入が急増している(1880年の43万ポンドから1910年の550万ポンド)。

茶の値段が比較的安い事や喉の渇きを癒す性質によって、1960年代までに北アフリカと中東では、アルジェリアとイスラエルを除き、コーヒーより紅茶を多く飲むようになり、世界の茶輸入量の1/4を占めるようになっている。

第13章 医者のお墨付き―ヨーロッパへの茶の到来
欧州で初めて茶に言及した例は、1544年に出版された『航海・旅行記集成』であり?、ヴェネツィアでペルシア商人ハジ・マホメッドが健康に良い飲み物として言及している。

記録されている限りでは、1607年にオランダ東インド会社の船が初めてマカオからジャワまで茶を輸送している。17世紀中頃から欧州のコーヒハウスや薬屋で茶が販売されるようになる。

1730年頃にはロンドンのコーヒー熱が冷めて、イギリス東インド会社の独占によて大量の茶が運ばれたために、コーヒーは押し出される事になる。

19世紀にはヂンドでは木綿製造業の崩壊を茶栽培によって取り返そうとし、茶がインドの主要輸出産業となっていく。

第14章 この有名な植物がたどってきた道―茶と阿片戦争
英国は七年戦争(1756年~1763年)や米国独立戦争(1775年~1783年)によって財政危機に陥り、1779年~1785年まで英国から中国にスペイン銀貨は一枚も輸送されなかった。

茶税の引き上げられ、1772年の64%、1777年の106%、1784年の119%となり、1770年代には申告された500万ポンドに対し、700万ポンドが密輸されたらしい。

1784年に英国首相ウィリアム・ピットが断行した「茶と窓」法では茶税を12.5%に引き下げ、減収を一世帯の窓の数に従って課税する窓税によって埋め合わせた。それによって税関を通る茶の売上が、1784年の500万ポンドから1785年の1300万ポンドに跳ね上がった。ナポレオン戦争によって茶税は1806年に90%になるが、密輸業者は立ち直れなかった。

銀の代りに阿片が中国との交易に使用されるようになる。

19世紀初めの10年間は、中国は年間2600万ドルの対外貿易黒字を享受していたが、1820年代に阿片消費量が急増し、1828年~1836年にかけて3800万ドルの貿易赤字を積み上げた。

第15章 名ティーポット職人の真夜中の騎行―アメリカの茶
米国への茶の輸出は1720年代に始まり、その3/4はオランダからの密輸だった。

18世紀半ばまでイギリス東インド会社は世界一豊かな会社となっていたが、それは茶貿易独占のためで、茶によって利益の90%が生み出された。茶の輸入税が高くなると密輸によって同社の利益も下がり、やがてボストン茶会事件に繋がっていく。

ポール・リヴィアが真夜中の騎行によって、マサチューセッツ民兵に英国軍による武器欧州を警告したのは1775年とされる。

第16章 FTGFOP―十九世紀のインドとセイロン
1833年に東インド会社が極東での通商独占権を失うと、1834年に東インド会社によってインドでの茶栽培が検討されるようになる。1836年にジェームズ・ゴードンが中国で入手した種子からカルカッタ植物園で育てた二万本の茶樹がサディヤに届けられ、二万本がパンジャブ地方に、二千本がマドラスに送り届けられた。

1841年にダージリンでの栽培が始まり、インドから英国への茶交易は非課税だった事もあって茶生産が急速に伸びた。

<セイロンでの茶栽培>
セイロンではアラビア人によって齎されたコーヒーが主要換金植物だったが、1869年からのサビ病菌流行によってコーヒーが全滅し、解毒薬キニーネの原料となるキナの木が栽培されるようになる(1884年に年間生産量1180万ポンド)。
しかし、キニーネは供給過剰によって値崩れが発生し、1867年頃から栽培される茶が主要換金植物となっていく。土着のシンハラ族が茶園での労働を拒んだために、南インドからタミル人労働者が導入され、現在の民族紛争の原因になっている。

第17章 クリッパー船の全盛期―イギリスの茶
イギリス東インド会社による中国貿易独占が1834年に終わるとティー・クリッパー(大型商用帆船)の真価が始まる。

1834年には十月前に茶が広東に届く事は無かったが、1848年には七月末に広東から出帆し、三ヶ月~四か月で英国に到着した。

英国の人口は、1801年の1050万人から1911年の4080万人に急増しているが、その一因としてコレラのような水媒介性の伝染病を根絶する茶のような煮沸する飲料の普及があげられる。同年間に、茶の公式輸入量は年間2370万ポンドから2億9530万ポンドにふえている(値段は5シリング10ペンス = 約70ペンスから8ペンスに低下)。

第18章 地球村からの点描―私たちの時代の茶
世界中の茶文化紹介。

1950年代に書かれた中国近代文学『茶館』では20世紀前半の茶館が描かれている。20世紀前半には茶の生産地として東アフリカも登場し、ケニアが世界最大級の茶輸出国となった。紅茶が東アフリカの伝統文化に組み込まれていく。

日本では明治維新以後、女性でも茶道を習う事が許されるようになり、花嫁修業の一環として重視された。

人気ブログランキングへ

LDを活かして生きよう

読んだ本の感想。

上野一彦著。初版発行 2009年10月10日。



学習障害(LD)は、聞く、話す、読む、書く等の学習する基本能力の中に習得し難さを持っている。文部科学省が2002年に実施した調査では、子供全体の6%程度になるらしい。

『アルジャーノンに花束を』の感動や、『模倣犯』 に登場する高井和郎、『少年計数機』に登場するヒロキ、『1Q84』に登場する深田絵里子、『イン・ハー・シューズ』について。

高井和郎は、左眼が機能しないために知覚に歪みが生じ、正しく読み書き困難。ヒロキのセリフに「ねえ、マコトもLDなの」というものがあり、作中でLDが説明される。深田絵里子は読字障害者として登場する。

他に小説家の市川拓司との対談等。

人気ブログランキングへ

わざわざゾンビを殺す人間なんていない。

読んだ本の感想。

小林泰三著。2017年7月5日 初版発行。

以下、ネタバレ含む。



ゾンビが実在する世界の話。

〇遺体活性化現象
20年程前から始まった現象で、ゾンビウイルスという感染性病原体に罹患した人間が死ぬと死者の状態のまま活動する。復活すると目が白濁し、全身の筋肉の動きが鈍くなり、知能は昆虫程度まで退化する。周囲にいる人間を無差別に攻撃し始め、ゾンビに噛まれた人間が死亡すると新たなゾンビになる。

作品世界においては、病院で患者の死亡が確認されると即座に拘束処置が取られ、土葬の場合は中枢破壊と筋肉断裂処理が義務付けられている。

家畜飼育が困難になったため、ソンビ肉を食する人々もいる。

〇パーシャルゾンビ
人体の一部分がゾンビ化する現象。例えば、胴体の大部分をゾンビ化し、脳を人間のままにしておけば、知性を保ったまま撃たれても生きられる人間を作る事が出来る。
密かに研究が行われており、臓器移植等により、10年後には多くの人間がソンビ臓器を使用しているかもしれないらしい。

【登場人物】
八つ頭瑠璃:
私立探偵。結合双生児で姉の沙羅と肉体を共有していたが、10年程前の事故によって姉の脳が死亡しており、部分的ゾンビ(パーシャルゾンビ)として生き残る。結合双生児の脳がある腹部の特定個所以外の多くがゾンビ化しており、頭部や心臓を損傷しても死なない。

有狩一郎:
アルティメットメディカル社 執行役員。50代半ば。パーシャルゾンビの技術を独占し、他社へ売却するために葦土健介を殺害する。

葦土健介:
アルティメットメディカル社 研究員。パーシャルゾンビの研究をしていた。

葦土健介の殺害方法は、技術披露のためと騙して葦土健介にパーシャルゾンビ化施術を施し、報道陣の前で部分的にゾンビになった腹部を狙撃し、その前に殺害された事を印象付ける。

ゾンビになったと誤認させた葦土健介を邸宅外に逃がし、誰もいない場所で喉を切って殺す。報道陣の前では背広に血が付着していなかったため、一時的に背広を脱がしたため、自殺か他殺か判別困難になった。

人気ブログランキングへ

RPGツクール

読んだ本の感想。

早坂吝著。2015年8月5日 第一刷発行。



以下、ネタバレ含む。

RPGとか超能力者殺人事件とか主人公の因縁が溶け合って良く解らない話になっている。

超能力が実用化されている世界での殺人事件。

松江さくら高校に超能力の体験学習のために訪れた超能力者 時野イマワが殺害される。彼女は自らが殺される可能性を予知で予測しており、自分が死んだ場合は死後念力によって犯人を逃がさないよう、学校全体が閉鎖空間になる。

時野イマワの超能力に、全校生徒の願望が混じり、モンスターが学校内を闊歩し、生徒達各々が特殊能力を使用出来る空間が学校内に現出する。現実に戻るために、全校生徒の願望が集合した怪物を倒す。

そして、時野イマワを殺した犯人を探る。

時野の法則:
全ての超能力は原則、目視している対象にしか作用出来ない。

【登場人物】
剣先尚也:
主人公高校一年生。中学校の時に剣道で全国ベスト4になったが、幼馴染の小出間を目前で暴漢に殺されたショックから剣道を辞める。

時野イマワ:
国立超能力研究所所長。28歳。強力な超能力を持ち、超能力探偵として活躍しているらしい。

美鏡ミラ:
国立超能力研究所に所属する超能力者。18歳。時野イマワが超能力者を軍事利用する未来を予測し、時野イマワを殺害する。具体的には自らの発火能力で蜃気楼を作り出し、本来は目視出来ない校長室にいる時野イマワを念力で殺す。

呉石黒嗣:
国立超能力研究所副所長。防衛大臣 呉石黒幕の息子で、時野イマワを活用していた。RPGツクールの世界を現出させた強力な超能力を探す。

六角ロック:
国立超能力研究所に所属する超能力者。RPGツクールの世界で、超能力によって時野イマワの人形を作り、ともに行動する。

変人探偵:
松江さくら高校に所属する亦吉と久本心美の二人組。名字を合わせると恋人や変人と解釈出来る。

人気ブログランキングへ

ぼくは愛を証明しようと思う。

読んだ本の感想。

藤沢数希著。2015年6月30日 第一刷発行。



弁理士の渡辺正樹(26歳~28歳?)がファンドマネージャーの永沢圭一(30代半ば)にナンパ技術を教えられる話。

女性に好かれる行動を実践していると、素の自分がどこにもいなくなっていく。作者自身が話の落としどころが見えなくなったようで、終盤になって主人公がセクハラで訴えられて職を失い、一人の女を愛する事を学びたいと言い出して終わる。

モテ = ヒットレシオ × 試行回数

大勢の異性と出会い試行回数を増やし、確率を向上させる事でセックスする事を目指す。

〇非モテコミット
一人の異性に必死にアプローチする事で好かれようとする。気持ち悪がられるか搾取される。フレンドシップ戦略として、親切にして友達になろうとする方法は友達としてカテゴライズされてしまうため、有効でないとする。

女は自分を一途に愛する男より、他の女が身を委ねる品質が証明された男を勝ち取りたいと思っている。モテスパイラル現象として、人間以外の動物でも、他の女に好かれている男が好かれる。だから一途な態度でなく、自分は女にモテモテという顔をした方が好かれる。

〇恋愛工学
統計的アプローチとして、多くの異性を誘う。スタティスティカル・アービトラージ戦略として、多くの女に同時にアプローチするため、街コンやクラブ等で女性をナンパし、確率の高い相手と同時並行的に付き合う。

ACSモデルとして、以下の段階を踏む。

①A(Attraction)
相手を魅了する。性的無関心を装い、適度にディスって(蔑む)舐められないようにして、自分の魅力に気付かせる。所要時間は10分~30分。

②C(Comfort-Buildig)
信頼関係を作り上げる。連絡先を交換する前後で始まる。ラポール(信頼関係)の形成。Aを経ずにCに移行すると友人になる。

③S(Seduction)
性的誘惑。Cから時間的には連続するが、空間は密室に変える。相手に自由に動ける空間や考える時間を与えない。

以下の技術。

①イエスセット
相手が「イエス」と答える質問を多くし、自然と「イエス」と言える肯定的雰囲気を形成する。イエスの慣性の法則として、イエスを言い続けると自然に信頼関係が形成される。

②ディス
笑える範囲で相手を馬鹿にし、恋愛対象として興味が無いように振る舞う。

③ルーティーン
会話を弾ませる時に繰り返し使う台本。初対面の人に話しかける台本はオープナーと呼ぶ。

④タイムコンストレイントメソッド(時間制限法)
話しかける前に、「用事があって20分しかない」等と言って、相手にしつこく付き纏う不安を取り除く。忙しさを演出すると、自分を重要人物と錯覚させる事が出来る。

⑤ダブルバインド
「今度、○○で会いたい。いいよね?駄目だったらお茶か夕食でもいいけど、どうする?」⇒最初の誘いを断っても、デートする事になる。どう回答してもまた会う事にしかならない問い。

⑥ペーシング・ミラーリング・バックトラック
相手の話す速度に自分の話す速度を合わせ、話の中身も相手の関心がある事に合わせる。ミラーリングでは仕草等の身体的動作も相手を真似て同期させていく。バックトラックは鸚鵡返しの事で、相手が言った事を繰り返す。

⑦ボーイフレンドクラッシャー
彼氏以外の過去につきあった男を思い浮かべさせる事により、今の彼氏を裏切るシミュレーションをさせ、浮気の罪悪感を緩和する。今の彼氏への不満も思い出させておく。昔の男とは別れてしまったので、今の彼氏への愛情も一時的と思わせる。

⑧フレーム
自分は選ぶ立場にあるという心理的枠組みを自分の中にセットし、相手も同じような枠組みを持つよう誘導し、自分がテストを課す側になる。

⑨動学的相対価値モデル
堂々と振舞い、上位階層との交流を見せつけ、相手を蔑む事で相手の価値を下げ、自分の価値を相対的に向上させる。

P227~P228:
彼氏に対して一途であることと、昨夜クラブで出会ったばかりの僕とセックスしたことは、彼女の心の中では、おそらく何の矛盾も生じていない。このころになると、僕は女の人が言うことと実際の行動とが、いかに矛盾しているかということを理解しはじめた。問題なのは、彩夏は特殊な女というわけではなく、ほとんどの女が、言うこととやることがてんでんバラバラで、彼女たち自身、その言行不一致に気がついてもいないということだった

P238:
人間の脳は、否定形の文章を本質的には理解できない。たとえば、いまから黄色を想像しないでください、と言っても脳の中に黄色のイメージが強く浮き上がる。セックスしない、というのは女に強くセックスの快楽をイメージさせると同時に、偽りの安心感まで与える

P240:
女はやさしい男も、誠実な男も求めちゃいない。驚くことに、イケメンや金持ちといったこともさほど重要な要素ではなかった。女は、単に他の女とセックスできている男が好きなのだ

P296:
自分の恋人がいかに素晴らしいかをとうとうとしゃべることはよくあることだ。その場合は、ほとんど例外なく、ふたりの関係にまるで満足していないことを意味していた
(中略)
恋人がいるということをしっかりと伝えたのに、それでも迫られてセックスしてしまったのなら、もはや私の責任ではない。相手の男が強引に誘惑してきたので、貞操観念がしっかりした身持ちのいい私でもそうならざるをえなかった、わたしは決して尻軽女ではない、という言い訳を心の中に用意しておきたいのだ

P314:
女を家やホテルに誘うときは、適切な言い訳を用意してやる必要がある
(中略)
女はセックスの責任から逃れられる。最初のセックスは、あくまで交通事故のようなアクシデントとして起こらなければいけない

人気ブログランキングへ

ガーデン・ロスト

読んだ本の感想。

紅玉いづき著。2010年1月25日 初版発行。

放送部に所属する四人の高校三年生が話の主体。1999年頃が舞台であるらしい。自分に嘘をつく人達の話。



【登場人物】
草野江夏(エカ):
他人に厳しく出来ない性格。有里朋子(ユーリ)という九州人と中学校の時から文通しており、ユーリと同じ筆跡の春日井が実在するものとして恋をしている。加藤満との共依存関係。

加藤満(マル):
放送部のマスコット。父子家庭で、親との関係が悪く、色々な男と遊ぶ。柴奈保子の幼馴染 高良潤と付き合うようになる。

小津梨々花(オズ):
演劇部にも所属。男性のような短髪だったが、女性を意識するようになる。

柴奈保子(シバ):
母の希望で高偏差値大学入学を目指している。精神が体調に影響し、常に弱っている。

第一章 春の繭
草野江夏の話。

文通相手が演じる架空の男性 春日井に恋している事について。

P57:
嘘は強い。信じる限り、誰よりもなによりも強い

P62:
私の優しさには最初から目的がある。優しさの対価は優しさでしか払えないから、その前払いをしているだけ

第二章 チョコレートブラッド
加藤満の話。

色々な男と遊び、夏祭りで柴奈保子と高良潤の二人連れに助けられる。

第三章 echo
小津梨々花の話。

隣に住む栄太郎(28歳)が東京に行く前のライブに、柴奈保子と一緒に行く。

第四章 ガーデン・ロスト
柴奈保子の話。

母親の薦めによって高偏差値大学入学を目指すが、入試中に体調が悪化し、後期試験を頑張る事にする。

P201:
優しさを持つことが恥ではなく余裕のある格好いいことだと気づいたのだろう

人気ブログランキングへ

未来に先回りする思考法

読んだ本の感想。

佐藤航陽著。2015年8月30日 第1刷。



以下は、「株式会社メタップス」のWebサイトへのリンク。

http://metaps.com/ja/

変化に対応する思考法は古いとする。現在の景色という点に囚われるのでなく、未来という線をイメージすべきという提言。

以下は、テクノロジーの本質。

①人間の拡張:人間の持つ機能を強化する
②人間への教育:生活スタイルを変える
③掌から宇宙へ:物理的に離れた空間へ向かう

現在、主流となっている技術は、大量情報を処理するための人工知能である。知性があらゆる物体に行き渡る未来が予想され、近代社会のように代理人に情報を集約せず、それぞれのノードに情報を分散させるようになる。国や会社の内と外、自分と他人の区別の崩壊?

資本主義においては「貨幣」を集める事が重視されるが、著者は未来においては様々な価値が数量化可能になり(他人からの評価等)、情報が重視される価値主義の時代になると予想する。

以下は、著者が考える未来予測のポイント。

①原理から考える
システムがどのような必要性を満たすために生れたか、歴史を踏まえて考える。

②テクノロジーの現在地を知る
技術を使用し、可能性や原理を理解し、作り方を知る。

③タイミングを見極める
変化が発生する時節を予測する。

P30:
人間は課題を解決するテクノロジーを発明します。そして、時を経るにつれてそのテクノロジーは社会構造に深く組み込まれていき、いつしかそのテクノロジーの存在自体が人間の精神や行動を縛るようになります

P143:
あるシステムは、社会に浸透してしばらく時間が経つと、「どんな必要性を満たすために生れたのか」という目的の部分がかすんでしまい、そのシステム自体を維持することに目的がすり変わってしまう

P173:
私たちは、人間のことを思っているより知りません。脳という人間を人間たらしめる機能でさえも、まるでその構造を再現できていません。私たちは、ブラックボックスを残したこの生命体を、ざっくりと「人間」と呼んでいるにすぎないのです

P226~P228:
私たちにできるのは、目の前にある手持ちの材料を混ぜ合わせて、自分も周囲も納得できるような「その場しのぎの合理性」をつくることだけです
(中略)
ロジックと結果は明らかに連動していないのに、すべての意思決定は常にロジックに依存して動いているというジレンマは、様々な形で見られます

人気ブログランキングへ

湖賊の風

読んだ本の感想。

高橋直樹著。2001年8月10日 第一刷発行。



応仁の乱勃発前後の1465年~1468年頃の琵琶湖付近が舞台。

もぐりの船荷運び屋 魚鱗を主軸に、琵琶湖水運支配を目指す比叡山延暦寺(山門)と、本願寺、琵琶湖沿岸の商工民達の戦いを描く。

【登場人物】
魚鱗:
琵琶湖沿岸の漁師出身。幼少期に、生臭いと差別された悲しみから、漁師を辞めて凄腕の荷運び屋となる。琵琶湖水運の支配権をめぐる戦いに、本願寺・商工民の側で参戦し、比叡山延暦寺の湖軍を破る。
琵琶湖全体の水運業者の頭目となる事を目指すが、堅者隆拓の差し金によって行きつけの茶屋の娘に刺され、死の間際に堅者隆拓を道連れにして死ぬ。
自身の生臭さを消すために伽羅を焚き染める。

堅者隆拓:
比叡山延暦寺の有力坊院 護正院の独裁者。琵琶湖水運を扼する堅田の町を直務代官によって支配し、関税収入を独占するために堅田の商人達と戦う。

法住:
堅田の全人衆(商工民)を束ねる本福寺の住職。蓮如に従う本願寺門徒の有力者。魚鱗を味方にして延暦寺の軍と戦う。

P11:
将軍足利義教が暗殺されてより幕権は安定をうしない、応仁の乱へと進む世上の不安は高まりつつあったが、貨幣経済の定着による各地の交易は活発さをいよいよ増していた。
西国の物資は瀬戸内海から、そして東国と北国の物資は琵琶湖によって京都に運ばれた

P71~P72:
琵琶湖の周縁に幕府の権力が強固に根を張っていれば、一港町にすぎない堅田など、四方八方をその権力に包囲され、手も足も出ないだろう。しかし、周縁が無政府状態―多くの小国家に分断されたような状態―になれば、琵琶湖の喉もとを押さえる堅田は手ごわい。
「琵琶湖は日本のヘソだよ。京都へ通じるヘソだ。京都のまわりはどこもかしこも山ばかり。重畳と行く手をふさいで取り巻いている。平たいのは琵琶湖のみ。交易の品々は難路をのがれ、ひろびろとした琵琶湖へやって来ざるを得ないのだ」

P76:
塩合物や干魚をつくるたくさんの塩を手に入れるには、魚鱗の殿にお願いするよりないのです。西国の塩はとてもむり。無数にある淀川の関の眼をごまかすことはできませんからね。でも若狭の塩なら堅田関さえ抜ければ、運びこめます。木幡塩座の眼を盗んで大量の塩を入れる手は、ほかにありません

P125:
他力にすがる者は自力のみで生きる者より弱い。だが弱いゆえに他力は大きく集う。集う他力に限界はない

P149:
宗教には信仰心を一ツ所に集中させる「ご神体」が不可欠である

P161:
宗論の場に臨む者は「何々の経典にはこれこれと書かれている。だから自分が正しい」というふうに、自説の根拠を経典に求めて証明しなければならない。つまり膨大な経典に通じていることが必要だ

人気ブログランキングへ

ハタケと日本人

読んだ本の感想。

木村茂光著。1996年12月10日印刷。



日本古代・中世における畑作について。

<ハタケという漢字>
「畑」や「畠」は漢字(古代中国で創出された)でなく、漢字の影響を受けて日本で作られた国字である。

中国での広大な畠作地は「田」と書き、耕地一般を意味し、日本のように水田に限定された意味ではない。朝鮮では「田」は畑を意味し、水田を意味する「畓」という字を作った。

古代社会において「畑」という字は使用されず、鎌倉時代に焼畑を意味するようになり、17世紀前半に検地帳の中で畑と畠が混在するようになり、寛永期(17世紀第二四半期)に「畑」で統一されるようになる。

<律令制度における畠>
豊臣秀吉の太閤検地によって畠地を支配の対象に組み込むまで、水田以外の地種は収奪の対象として位置づけられる事が少なく、国家による収奪が為される場合は、田地に換算されて編成されたという意見がある。

著者は、江戸時代に石高制が定着するまでは、畠作物も租税として徴収されていたと主張する。

律令制以前の段階は、日本神話等から五穀の栽培を前提にしたものと思われる。律令の不足を補うために発せられた格(単行法令)では五穀という言葉が見られる。

715年に発せられた詔では飢饉対策のために粟を栽培させている。これは臨時的政策として粟を租税対象にしたためかもしれない。そして、720年代前半~820年代頃までは大麦小麦(冬作物)の栽培が奨励され、その後は雑穀栽培が奨励される。

東西の違いでみると、古代~中世には西国は米、東国は衣料繊維によって税を納める傾向がある(西舟東馬)。

人気ブログランキングへ

暗号少女が解読できない

読んだ本の感想。

新保静波著。2012年10月30日 第1刷発行。



暗号がつまらない。

東京から真昼ヶ崎という土地に、両親の再婚によって引っ越した主人公が様々な女性から好かれまくる話。

沢渡遥(メインヒロイン、暗号好き)、野々崎岬(後輩)、西村知子(中学二年生、妹)、中瀬和希(幼馴染)とヒロインが五月雨式に登場する。

セリフの、「一番最初の文字」と「一番最後の文字」を抜き出して繋げるとか、文章の斜め読みとか、回文で一つしかない文字を抜き出して繋げるとかの手間がかかる割に、爽快感の無い暗号をひたすら解き続ける。

そのため、主人公は驚異的な記憶力によって、セリフを全て記憶している設定。

人気ブログランキングへ

愛原そよぎのなやみごと

読んだ本の感想。

雪瀬ひうろ著。2017年3月30日 初版発行。



主人公 渡辺幸助は、魔法少女として敵と戦っているらしい同級生 愛原そよぎ(運命を操作する魔法)の相談相手になり、「時を止める能力者」や「触れただけで物を壊す能力者」と戦うアドバイスをする。

かなり序盤から話がグダグダになっていき、最終的に主人公は魔法少女同士の戦いを監視する監視員だった事になり、愛原そよぎを守るために能力に関して肉体強化という虚偽報告をしていた事になる。そして愛原そよぎと好き合う事になる。

P92の汗牛充棟、P167の沈魚落雁と難しい単語が時々出てくる。

P297:
デウスエクスマーキナーとは、ギリシャ演劇における一つの手法だ。舞台が混迷を極め、通常の方法での事態の収束が困難になったときに現れる超越的存在。バラバラの場所にいる登場人物を問題解決のために強制的に一堂に会させたり、戦争に敗れかけた国のもとに突如援軍を呼び込んだり。

人気ブログランキングへ

彼方なる君の笑顔は鏡の向こう

読んだ本の感想。

持崎湯葉著。2016年9月30日



ハーレム系作品を書きたかったんだと思う。

主人公 兎下詩歌(高校一年生)の幼馴染 音和彼方は両親の死後、義理の親に引き取られ、だらしない自分を兎下詩歌の前でのみ見せるようにしている。

近所にある稲荷神社の鏡を割った呪いで、音和彼方の恋心、記憶、食欲という三つの分身が生まれる。終盤で独占欲を担当する四つ目の分身が登場し、戦い、四つの分身の心が一つになった事で音和彼方は元に戻るが、分身達が消滅するのが辛いので、呪いを再発動させて分身達を復活させる。

作者は、ハーレムを収束させる事が出来なかった。

人気ブログランキングへ

あなたは半年前に食べたものでできている

読んだ本の感想。

村山彩著。2013年12月5日 初版発行。



末尾に掲載されている「みんなの「3年以上夢中になったこと」をシェア」のリンクに接続したら、愛人契約のWebサイトに接続されてしまった。

以下は、著者のブログへのリンク。

http://ayamurayama.jp/

https://ameblo.jp/ayablue2277/entry-11506375544.html

本来、人間は食べたい物を食べたいだけ食べていれば健康でいられる。ストレスで食欲が曇ると不健康になっていく。

食欲センサーを正常化するために、以下を推奨。運動をすれば体に必要な栄養素が自然に判る。

①20分の、汗をかく程度の運動
②運動で失った栄養素を補う食事

以下は、日本人の総摂取カロリー数(一日)推移。

1946年:1903Kcal
1950年:2098Kcal
1970年:2210Kcal
1975年:2226Kcal(ピーク)
2000年:1948Kcal
2011年:1840Kcal

一日の総カロリー摂取数が戦後の食糧難期より少ないのに肥満が増えている。カロリー制限によっては肥満を防止出来ない。

〇PFCバランス
プロテイン(蛋白質)、ファット(脂質)、カーボハイドレイド(炭水化物)が悪ければ、カロリーを減らしても肥満になる。野菜は潤滑油のような存在で、PFCを円滑に働かせる役割を担う。

<正しい食事>
一汁三菜を基本に、以下のバランス。

主食:
一日に飯二杯、食パン一枚、おにぎり一個。

主菜:
卵一個、魚1/2匹、肉一枚、冷奴1/4。

野菜:
サラダ大皿一杯、煮物椀一杯、おひたし小鉢一杯、味噌汁一杯。

果物:
林檎半分、蜜柑一個。

乳製品:
チーズ一かけら、牛乳1/2杯。

栄養価が分からなければ、おかずの色をカラフルにする。片寄った食事をした場合は二日間でバランスを取るようにして、肉中心の日の翌日は野菜を中心にする。

人気ブログランキングへ

ADHD児を救う愛の環境コントロール

読んだ本の感想。

平山論著。2001年7月15日 初版第1刷発行。



子供の発達は、「個性的になる事」と「社会生活を営めるようになる事」の最大公約数を目指すべき。

そのために不必要な刺激を減らし、必要な刺激を強調する環境を構築する。

ADHDにおける以下の問題。総合すると想像力が弱い事が問題と思われる。

①注意の問題
刺激の選択力が弱く、目の前にコップがある事に気付かず、別のコップを取りに行ったりする。図―地知覚(本を読む時に、区切りを持った言葉を選択し、他の言葉を背景とする認知)が弱い。
また、中位の持続力にも問題がある。これは、大脳新皮質の前頭葉の働きが不十分であるためかもしれない。

②記憶の問題
短期記憶が弱く、少し前に話した事を忘れたりする。一時記憶は前頭葉の前頭前野で扱われており、これが弱いと予測や計画が苦手になる。

③知覚の問題
感覚情報と記憶を照合して意味付けする能力に問題があると、時間経過に合わせて自分の行動を構造的に把握困難になる。それは整理整頓が苦手である事に繋がる。
体を環境に合わせて調整する事が苦手な傾向があり、通常の発達では4歳6ヶ月頃に自分の体の左右の感覚が分化するが、ADHD児はこれが遅い傾向があり、字をノートの左端でなく真中から書き出したりする。

④抑制の問題
少し待って過去の同様な出来事を考えるのでなく、行動してから周囲の反応を見て社会的意味付けをする。これは2歳~3歳の児童が反応して思い付いた事を反射的に喋る外言の状態に似ている。落ち着きの無さは、通常児童の場合、6歳~7歳をピークに減少する。

想像力の弱さは、変化に対応する力の弱さに繋がり、自分の思考や行動を持続させようとする。

<前頭葉>
ADHDを説明するために重要な脳領域。注意力や行動抑制を司る。好き嫌いの判断を生み出す扁桃体を操作し、衝動的行為を抑える。衝動的行為は、視床まできた外界の情報が大脳新皮質に辿り着く前に辺縁系の扁桃体に送られ、そこで感情が生まれて発生すると思われる。
衝動的行為を覚えていないのは、新皮質(前頭葉)を使用していないためと思われる。

*******************

以下の環境操作例。

①ウォーミングアップ
指示されてすぐに課題を始めない場合は、最初に課題内容や所要時間を知らせて心構えを作り、簡単なクイズ等で事前練習する。

②注意が逸れる
周囲に余計な聴覚・視覚的記憶を置かない。小休止を挟みながら作業する。

③紛失
収納方法を工夫し、同じ道具を複数準備し、別々の場所に収納する等する。

④作業
複雑な作業を説明する場合は、手順を書いた流れ図等を利用し、幾つかの部分に作業を分けて提示する。

指導については母性愛を基本にしながら、父性愛として理想を語り、良心・道徳・責任等の価値基準提示や、原理原則に基づく思考・行動を示す事も大切。

人気ブログランキングへ

碓氷優佳シリーズ

読んだ本の感想。

石持浅海著。

以下、ネタバレ含む。

後味の悪い話が続く。ナルシストな優男が不幸になるパターンがあり、作者が恨みのある知り合いを小説内で不幸にしているように思えてしまう。

碓氷優佳(1980年?~)が探偵役を務める。

扉は閉ざされたまま
平成17年5月30日 初版第1刷発行。



【登場人物】
慶應大学在学中に、軽音楽部内の有志が結成した『アル中分科会』という集団を中心とする。

伏見亮輔(切れ者):
30歳。医療関係のベンチャー企業に勤める。

安東章吾(坊ちゃん):
30歳。翻訳家。アル中分科会の同窓会のために、兄 秀和が経営するペンションを提供する。

新山和宏(スナフキン):
29歳。北海道在住の公務員。重度の近眼で銀縁眼鏡をかける。

石丸孝平(丁稚):
28歳。研究室助手。

上田五月:
31歳。つくば市で研究員をしている。

碓氷(大倉)礼子:
29歳。二年前に会社の同僚と結婚して大倉姓になる。

碓氷優佳:
25歳。東工大学出身。博士課程で火山学を専攻。伏見亮輔に懸想している。

【あらすじ】
伏見亮輔が、後輩である新山和宏を殺害する。理由は、「臓器提供意思表示カード」に登録した新山和宏が、東南アジアで買春して性病に感染したために、心身清廉でない人間が臓器提供者とならないようにするため。

睡眠薬を飲ませ、風呂場に沈め、事故を装う。ドアストッパーに米粒を付着させて鍵がかかっているように見せ、死後10時間以上が経過し、臓器提供に適さない身体になるまで、放置するようにする。

死亡したペンションが古い希少な物であるために、ドアを破壊して入るのは困難であり、世間体があるために窓から押し入るのは躊躇われる。

結局、10時間以上が経過したところで、伏見亮輔が窓から入り、米粒やドアストッパー等を処理する。

しかし、部屋に入る事を止めようとした事や、合鍵を使用せずにドアストッパーを使用した事(家主代理の安藤は必要無い)から碓氷優佳に怪しまれ、新山和宏の眼鏡を浴室でなく枕元に置いた事を指摘され、敗北を認めて碓氷優佳と婚約する事になる。

P161:
冷静で冷たい優佳は、新山の生き死ににあまり興味がないのだと思っている。新山の生死よりも、なぜ新山が鍵をかけたのか、それを知る方が重要だと考えていたとしても、不思議はない

君の望む死に方
平成30年3月30日 初版第1刷発行。



前作から二年後。どちらが死んだのかは明示されない。

【登場人物】
日向貞則:
ソル電気社長。膵臓癌で余命半年程度であり、梶間晴征に殺されようとしている。

小峰哲:
ソル電気秘書課長。40代前半。研修の仕切り役を務める。

<研修参加者>
研修の真の目的は、会社主催の合同コンパで、社内結婚した有能社員が辞め難くなる事を狙っている。

梶間晴征:
30歳。ソル電気創始者 境陽一の息子。研究開発部門に所属し、欧州研究センターに赴任する予定。

園田進也:
27歳。企画部所属。堀江比呂美の友人 西田奈美を嫌がらせによって退社に追い込んだらしい(退社後は東亜フライホイールに)。

堀江比呂美:
営業部で顧客管理を担当。研修途中で園田進也と喧嘩する。

野村理沙:
広報部。

<研修ゲスト>
脈ありと思われる男女を煽る事が裏の目的。

安東章吾:
日向貞則の甥。父である安藤豊は、日向貞則の妻の兄。

国枝真理子:
雑誌編集者。安東章吾の婚約者。

碓氷優佳:
前回の研修に、伏見亮輔と参加したらしい。

【あらすじ】
余命僅かな日向貞則は、殺した友人 境陽一の息子 梶間晴征に殺害される事を決意する。

境陽一の妻 梶間由美子と一度だけ不倫し、その後、事故で殺してしまうが、その際に境陽一にスーツを掴まれ、付着した油を見咎められていた。

自分に近付き易いように、少人数で社長に対する研修に招き、掛け時計の下の椅子、アイスピック、外部から侵入可能であるよう外されたクレセント錠、空の花瓶等の殺害道具が用意された研修施設で二日を過ごさせる。

碓氷優佳に殺人教唆を見抜かれるも、無抵抗であるのは不自然とされ、武器となる酒瓶を渡される。深夜になり、梶間晴征が部屋にやって来て、どちらかが死んだらしい。

P235:
恨みの重さ、憎しみの重さ、罪の重さ。皆個人個人で秤をもっています。そしてその目盛りは、人によって違うのです。違う目盛りで他人の心を測ることはできない

彼女が追ってくる
平成23年11月10日 初版第1刷発行。



花村良太氏が気の毒だった。

貿易会社社長達が交流する箱根会で殺人事件が発生する。

【登場人物】
中条夏子:
マレー・マジック社長。30歳。黒羽姫乃を殺害する。

黒羽姫乃:
鉢植えユーカリ社長。30歳。

山懸一二三:
横浜レアメタル社長。

山懸邦恵:
横浜レアメタル副社長。

堀江比呂美:
横浜レアメタル社員。

花村哲子:
花村貿易社長。

花村良太:
花村貿易専務。27歳?

寺田善行:
寺田商会社長。30代半ば。

ファリード・チャン:
二年半前に亡くなる。シンガポール人実業家で、横浜レアメタル社員だった中条夏子と黒羽姫乃に起業資金となる遺産を残す。

碓氷優佳:
火山学者。

【あらすじ】
中条夏子は、自分と同じくファリード・チャン(故人)の愛人だった黒羽姫乃を殺害する。黒羽姫乃の方が愛されていたため?死の直前にかけた電話は黒羽姫乃宛てだったらしい。

しかし、コテージで見つかった黒羽姫乃の遺体は、花村良太のカフスボタンを握っていた。このままでは花村良太が容疑者となってしまうため、花村哲子の要請により通報を二時間ほど遅らせる。

碓氷優佳は、中条夏子にのみ推理を語る。

碓氷優佳は、犯行時刻近辺は、眠れなかったために出歩いていたという中条夏子の証言を、飲み会終了後、約三十分後に出歩いた事と矛盾するとして、中条夏子が犯人と推察。

黒羽姫乃の方でも中条夏子を殺害しようとしており(ファリード・チャンの死を喜んだため?)、カフスボタンは花村良太を共犯者に仕立て上げるために盗んだものとする。中条夏子殺害後に花村良太のカフスボタンを遺体に握らせ、容疑者となる可能性を示唆して花村良太を共犯者に仕立て上げ、自動車事故を装って遺体を処理するつもりだった?

自らが殺害される可能性も考慮し、花村良太から二つ盗んだカフスボタンの片方は、中条夏子のポケットに忍ばせていた。

碓氷優佳は、他の人間には推理を語らず、中条夏子は帰宅しようとするが、黒羽姫乃によって自動車に細工がされており、ブレーキが利かず、事故にあう(生死不明)。

P126:
こちらは経済の最前線で地べたを這うような仕事をしているのだ。象牙の塔の住人に、上から目線で見られたくない

P167:
完全に価値観がずれている。姫乃が殺害されたことや、良太が逮捕の危機に陥ったことよりも、友人が恋人と出会うことの方が重要だと言っている

P183~P184:
殺意の前駆体を。もうひとつの工程を経さえすれば、強烈な殺意に変貌する感情を抱えていた

わたしたちが少女と呼ばれていた頃
平成25年5月20日 初版第1刷発行。



短編集。碓氷優佳の高校生(私立碩徳横浜女子高等学校)時代の話。

赤信号:
同じクラスの上杉小春と友人になる。上杉小春の姉が、京都大学入試に失敗した事をネタに、学校前の交差点赤信号で止まると試験に失敗するという噂を煽って事故を引き起こし、妙な言い伝えに学校が振り回されないようにしようとした可能性。

夏休み:
同じクラスの東海林奈美絵が予備校講師と交際して成績が上がり、クリスマス頃に別れる。

彼女の朝:
学級委員長の岬ひなのが、小説を読んで泣いている事を誤魔化すために酒飲の二日酔いを装っている話。

握られた手:
同じクラスの平塚真菜、堀口久美が手をつないで歩いているために同性愛を疑われる話。平塚真菜の弱視を補助するためと指摘。

夢に向かって:
漫画家を目指す柿本千早が、プロ漫画家への道が開け、受験勉強をする振りをして浪人しようとする話。急ぐ必要は無いと諭す。

災い転じて:
同じクラスの佐々温子がセンター試験前に右手を骨折するも元気な話。ギブスを利用したカンニングの可能性を指摘するも、彼氏からの寄せ書きがギブスに書かれていた。

優佳と、わたしたちの未来:
卒業時の話。

柿本千早は公徳大学医学部、平塚真菜、堀口久美は関東理科大学、上杉小春は横浜市立大学医学部、碓氷優佳は東工大学、佐々温子は早稲田大学に合格。岬ひなのは京都大学入試に失敗。

上杉小春は三年間を振り返り、碓氷優佳が主体的に他人を救わない事に気付き、碓氷優佳と距離をとる事にする。

P193~P194:
優佳は、自主的には友人たちを救ってはいない。彼女は問題を自ら発見し、本質を捉え、解答を導き出すことができる。しかし優佳にとっては、それで終わりなのだ。問題がもたらす結果については、関心の外だ。結果が級友を滅ぼすものであったとしても
(中略)
自分が他人に何の関心も持っていないことにすら気づかない。イノセントに残酷な人間

人気ブログランキングへ

なぜ、大航海時代に戦国の世は統一されたのか

読んだ本の感想。

村井章介著。2013年2月25日 第1刷発行。



江戸時代初期から戦国時代までを遡る。

室町幕府という中央権力が弱体化する中で、倭寇の働きが活発化し、やがて徳川家康という天下人による統一が起こる。豊臣秀吉の唐入りは、日本統一戦争とシームレスに繋がっている。

日本統一に必要な武器(鉄砲)や資金(灰吹法による銀採取)は倭寇による海上活動により伝来した。

第1章 家康 親善外交への転換
徳川幕府は、豊臣秀吉によって乱された冊封体制(中華皇帝が冊 = 文書で臣下を領土の一定部分に封じる体制)を再構築し、日本と大陸の国際貿易関係を復活させ、自らの正統性を立証しようとした。

日本では朱印状という貿易許可証があったが、明でも税金納入と引き換えに文引(渡海許可証)を与え、ポルトガルにもカルタスがあった。

結局、朝鮮とは朝鮮通信使が徳川将軍の代替わり事に江戸を訪れ、明とは正式な外交でなく中国商人との経済交流を進展させていく。

第2章 秀吉 強硬外交の衝撃
豊臣秀吉の朝鮮出兵は、それまでの日本攻略の延長にあり、対馬を介して朝鮮を、薩摩を介して琉球を従わせるものだった。関白秀次宛てに送った三国国割構想では、中華占領後の豊臣秀吉の居場所は首都 北京でなく寧波であり海上交通の要を支配する事が目的だったのかもしれない。

朝鮮政府に宛てた外交文書には、自らの母が妊娠中に日輪が懐中に入る夢を見た逸話が挿入されており、太陽の子としての神話を流布する事で支配権をアジアに広げる意図があったものと思われる。

第3章 鉄砲伝来 日本を変えた南蛮貿易
鉄砲が天文十一年(1542年)に伝来した話。

最初に伝来した種子島は、砂鉄資源と木材に恵まれ高度な技術を持つ刀鍛冶がいた。

第4章 寧波の乱 貿易実権をめぐる争い
1523年の寧波の乱によって勘合貿易が大内氏(博多商人)に独占された話。

室町幕府による勘合貿易は、当初は将軍家によって独占されていたが、財政難によって有力守護大名に勘合を売るようになり、大内氏は1453年に勘合貿易に加わり、1万8000貫文弱(現在の消費者米価で10億8000万円)の利益を出したとする。

対抗馬となるのは細川氏(堺商人)で、斯波氏、畠山氏ととも室町幕府の三管領家の一つであるために、大内氏に勘合を与えないよう画策し、1468年以後、大内氏は勘合貿易に参入出来なくなる。

<明応の政変>
1493年に細川政元が起こしたクーデター。第十代将軍 義稙は大内義興とともに1508年に上洛し将軍に復職。大内義興は管領代として実権を握り、細川氏の遣明船派遣の実権を奪い取る。

1518年に大内義興が管領代を辞して周防に帰国すると、実権は管領 細川高国が握るようになる。1521年に義稙が細川高国の専横に反発して淡路に出奔すると、前将軍義純の遺児 義春が第十二代将軍となる。

1523年に細川高国は新将軍 義春に働き掛け、大内氏の「正徳勘合」とは別に既に無効になっていた「弘治勘合」を用いた勘合船を派遣する。

大内氏の船団は、自らよりも先に入国手続きを済ませた細川氏の船団を焼き払い、指揮使の袁璡を博多まで連行している。

この事件以後、明は日本との貿易を断絶するが、大内氏は袁璡の送還を外交カードとして利用し、細川方の交鈔ルートを遮断し、1538年の第十八次遣明船派遣を独占し、厖大な利益をあげた。

<大内氏の滅亡>
1551年に大内氏の重臣 陶隆房が謀反によって大内義隆を自害に追い込み、1555年に毛利元就が陶晴賢(大内義隆の甥)を滅ぼし、1557年には大内義長を自害させて大内氏は滅亡する。

これは日本と明の正式外交関係断絶を意味し、倭寇の動きが活発化する。

人気ブログランキングへ

お金の流れで見る戦国時代

読んだ本の感想。

大村大次郎著。2016年9月10日 第1刷発行。



戦国時代における経済について。

以下は、「ドリフターズで学ぶ本能寺の変. ノブさんの猿でもわかる中世経済講座」へのリンク。本書を参考にしたものと思う。

http://iitokolo.blog.fc2.com/blog-entry-3858.html

<室町幕府の問題>
室町幕府の財政基盤は、南北朝時代に武士達を北朝に引き寄せるために直轄領を分与したために非常に脆弱であり、後半には日明貿易も出来なくなった。1434年の遣明船の記録では、1隻の経費が1500貫文であり、朝貢費も合わせると1万貫以上(5万貫で50万石程度の大名の一年分の年貢収入)が必要だった。明の皇帝1代で100隻分の勘合符が支給されたが、8代将軍義政の時代には、勘合符1枚当たり300貫文で売っている。

3代将軍義満は、財政を安定させるために、1393年に酒屋土倉から税を徴収するようにしている。室町幕府の権威は低下していき、応仁の乱が起こったあたりから、全国で年貢未納が多発している。土地調整機能も低下し、土地争いを裁定する機関が無くなった事が戦国時代の到来を招く。

<織田信長の経済>
織田信長の祖父 信定は大永年間(1521年~1528年)に津島を支配するようになる。津島は東西の中間に位置し、木曽川の支流 大川と天王川の合流点の物流拠点。さらに尾張、美濃地区で日本陶器の6割のシェアを占めた(瀬戸、常滑焼)。さらに成岩、豊浜等の塩田がある。

占領地においては、領地の権利関係を簡略化し、所有者を明確にする事で税の多重搾取を無くしたとする。他に楽市楽座や関所撤廃、天竜川の橋等。

1568年には堺の管轄権を手に入れ、今井宗久を重用した。

<武田信玄の経済>
農地として豊穣でない甲斐で軍事力を維持するため、信虎の時代(1522年)には棟別銭(家屋や家族にかえる税金)を徴収している。信玄の時代の1542年には棟別帳(固定資産台帳)を作成し、徴税を強化。当時の棟別銭の相場である年間50文~100文を上回る年間200文を徴収した。

<上杉謙信の経済>
柏崎と直江津の二つの港を支配し、年間4万貫の関税収入があった。他に鶴子銀山や西三川砂金山、高根金山等があり、越後上布という麻織物も産した。
しかし、上杉謙信は二度の上洛の際には関東管領への就任を求めており、室町時代の価値観から脱却して天下統一が出来なかったとする。

<毛利元就の経済>
瀬戸内海と石見銀山(1582年に3万貫以上の収入)を手中にしていたが、1563年に室町幕府に石見銀山を献上している。公の権威を用いて岩見銀山を守る思想であり、足利義輝等に銀を催促されている。瀬戸内海でも村上水軍を完全には統率出来なかったとする。

<島津家貴久の経済>
琉球を通じて外部と貿易を行ったが、貴久の子 島津義久が島津家の旧領を制圧出来たのは、1576年でスタートが遅過ぎたとする(島津家は薩摩、大隅、日向の守護を務めていたが、戦国時代にはその一部を支配するだけだった)。

<長宗我部元親の経済>
土佐は九州から太平洋岸を伝って近畿に入る航海ルートの中継点で、浦戸港という良港があった。しかし、四国制覇が遅過ぎて織田信長の四国征伐(1582年)が発生したとする。

****************

織田信長の特徴は直轄領が少ない事にあり、家臣に与えた土地は管理させている認識だったとする。これは武家を土地から切り離す改革 = 封建制の否定とする。各土地がその所有者によって支配されていると、中央政府の管理が出来ず、各地が治外法権になり、土地所有権をめぐる争いが絶えない。政府が国全体の土地を一括管理し、方針を行き届かせるために代理を派遣する。

武家 = 土地所有者という図式を否定する思想が、本能寺の変を引き起こしたとする。

****************

後継者の豊戸秀吉は直轄領222万石程度を支配していたが、徳川家康の関東転封によって250万石程度という自身を上回る領土を与えている。これは石高以外の金山銀山等で他に300万石程度の収入があったためとする。

兵の供給場所としての領地の価値を分かっていなかった?

天下統一後の徳川家康は800万石を一族で支配し、三貨制や枡の統一、街道整備等の信長路線を継承しながらも、「政府による国土一括管理」は行わなかった。

人気ブログランキングへ

鎌倉幕府の滅亡

読んだ本の感想。

細川重男著。2011年3月1日 第一刷発行。



鎌倉幕府において、征夷大将軍の前では平等だった武士層が、徐々に階層化していき、中央集権制では日本全土を掌握出来なくなり、崩壊していくまでを書く。

<源頼朝の武士団>
血縁や主従関係を根幹とする戦闘組織であり、構成員を武士と呼ぶ。鎌倉幕府の創始者 源頼朝は御家人制によって武士達を統率した。具体的には武士団の家子(部下)を惣領(主人)と同等に御家人として主従関係を結び、御家人以外と差別した。

源頼朝は、1190年~1199年に、以下の二つの政策を行っている。

①西国再点呼
奥州合戦に参加した西国御家人に、改めて御家人となるか、他者の従者になるか選択させた。

②京都大番役
諸国の武士が交替で皇居の警備を行う制度。御家人のみが警護役を課される事とし、御家人を国家的身分にした。

⇒御家人の範囲が確定し、国家的身分として他の身分と峻別された

鎌倉幕府は六波羅探題への人事権や判決権(審理のみを六波羅探題で行う)を持ち、各国の守護には大犯三箇条(謀反人の追捕等)以外の人事権や裁決権を認めなかった。

⇒中央集権制

<階層化へ>
源頼朝の死後、幕府の権力は将軍の外戚から、役職就任者が握るように変化していく。侍所(御家人と統率と軍事を所管)、公文所(行財政を司る)、問注所(訴訟を担当する)は、戦が無くても平時の事務作業にて手柄を立てる事が可能。

1225年には連署(副執権として幕府公式文書に署名)、評定衆(最高議決機関)が設立される。1249年に創設された引付方(引付衆)では訴訟の予備審理が行われる。

役職は50家~60家(全御家人の2.5%~3%程度)ほどで独占されるようになり、大半は鎌倉意外に拠点を持たず、幕府高官である事によって所領を維持出来た。当時は分割相続であるため、遠隔地にある所領は複雑に分割されていき、現地の代官支配に任せるしかなくなっていく。

<北条時宗>
1264年に14歳で連署に就任。その4年後に執権就任。34歳まで鎌倉幕府の独裁者として、御恩沙汰(所領給与)、官途沙汰(官職推薦)を掌握した。
執権として将軍権力の完全代行者となり、将軍を制度的に棚上げした。

〇寄合
北条時宗の時代に置かれた機関で、私的会議として重要政務を議論。本所一円地住人(非御家人)の軍事動員も決定し、主従関係を有さない御家人も支配した。

北条時宗個人を頂点に位置付ける制度を築き、蒙古襲来に対応。1284年に北条時宗が死んだ後は、個人的諮問機関だった寄合が最高意志決定機関になる。

<寄合合議制期の推移>
①寄合合議制成立期
1284年(北条時宗死去)~1293年(平禅門の乱)まで。さらに霜月騒動を境に安達泰盛執政期1年半と、平頼綱執政期7年半に二分される。

弘安徳政:
安達泰盛による幕政改革。北条時宗の時代に対蒙古を理由に幕府統制下に組み込んだ西国の御家人を正式に御家人にしようとする。この時代に持ち込まれる訴訟は既に幕府の処理能力を超えており、御家人を増やす事は地方支配機関への分権しかない?

1285年の霜月騒動によって、安達泰盛は平野頼綱に敗れ、徳政は失敗する。1287年の追加法第六0九条では御家人を源家三代将軍期の御家人の子孫に限定している。

②寄合合議制成長期
1293年(平禅門の乱)~1305年(嘉元の乱)まで。

平禅門の乱:
北条貞時が平頼綱とその一派を滅ぼす。北条貞時は、七人の執奏を設置し、執奏を通じて訴訟を全て自身で裁決しようとするが失敗し、一年で執奏は廃止される。

③寄合合議制完成期
1305年(嘉元の乱)~1333年(鎌倉幕府滅亡)まで。

嘉元の乱:
超訴頭人の北条宗方が、連署の北条時村を殺害し、北条宗宣(引付頭人)が北条宗方討伐の大将になる。北条宗方は滅ぼされた。著者は、北条貞時が抵抗勢力を一掃するために北条宗方を手を組み、反発が激しかったために北条宗方討伐を命じたと考える。

<分権と統制>
六波羅探題(西国統治機関)では、文永年間(1264年~1275年)に、機構整備が進み、引付頭人・評定衆・奉行人等の鎌倉中枢と同様の体制が整えられた。鎮西探題(九州統治機関)も同様。

一方で鎌倉幕府の中央集権も残存しており、文永年間までの六波羅探題は北条重時(建立した寺院から極楽寺流と称す)の子孫による家職化している。職員の人事権も鎌倉幕府中枢による。

御家人間の所領争い増加や、王朝の統治能力低下によって、鎌倉幕府に持ち込まれる訴訟は増加しており、地方分権は必然であったが、当時の武士が地域権力として成長していない矛盾があった。さらに、地方機関への権限移譲は、鎌倉幕府中枢(特権的支配層)の権力低下も意味した。

<鎌倉幕府の崩壊>
鎌倉幕府は東国の地方政権以上の存在ではなかったが、国家の治安を維持する軍事権門として自己を規定したために、朝廷の権力低下や蒙古襲来に対応しなくてはならなかった。

源平合戦は、所領分割の行き詰った武士社会における新秩序構築のための殺し合いであり、勝者が敗者の遺産を総取りして再分割し、殺し合いを停止するために鎌倉幕府を構築した。

充分な見返りが与えられなくなった現実に対しては、全国の武士階級を全て鎌倉幕府に取り込み、訴訟等に迅速対応するするための地方分権(室町幕府的体質)への転換が必要だった。

室町幕府においては地方分権による間接統治の体制を取り、支配権を大幅に認められた守護が自国に住まう武士を組織していく。

人気ブログランキングへ

古代・中世の超技術38

読んだ本の感想。

小峯龍男著。1999年8月20日 第1刷発行。



1 神殿の自動ドア
紀元前1世紀頃のギリシャのヘロンが興さん。燭台で空気を燃やし、膨張した空気が水槽の水を押し出し、重さの変化で定滑車を回す。

2 砂時計と重力エネルギー
紀元前1世紀頃。上記で重りの落下速度を調整するために、砂容器の上に乗せ、下の穴の形状を調節する事で落下速度を調整可能。

3 聖水の自動販売機
紀元前1世紀頃のエジプトの神官の発想。コインを投入すると、梃子の原理で弁が開く。

4 アルキメデスの揚水ポンプ
紀元前3世紀頃。螺旋を利用して水を掬い取る。往復式ポンプのような脈動が少なく、泥上の流体を送り出す事も出来る。

5 アルキメデスの熱線砲
紀元前3世紀頃。凹面鏡で太陽の光を集めて敵艦を焼いたとする。

6 古代の消火ポンプ
紀元前2世紀頃のクテシビオスの発明?圧縮した空気を使って水を押し出す。

7 ヘロンの噴水
サイフォンの原理を利用し、壺の中から水が噴き出す。

8 戒めの盃
紀元前1世紀頃。サイフォンの原理を利用し、一定量以上に注ぐと、管から水が流れ出る。

9 自動噴水盆
容器の盃部分に水を注ぐと、水が噴き出す。

10 古代ギリシャの空気銃
ヘロンの師 クテシビオスの作品。圧縮した空気を使用。

11 古代ギリシャのジェットエンジン
ヘロンの「エオリアの球」。水を入れた釜を密閉し、導管で回転できるように固定し、噴射管を設けて熱すると、水蒸気によって回転する。

12 古代ギリシャのタクシーメーカー
ヘロンの「機械学」で紹介されている距離計。刻みの大きさが違う歯車を組み合わせる事で、長距離を記録出来る。刻みが10倍違うと、一方の歯車が10回転するのに、もう一方は1回転する。

13 ランプの芯の自動調節
油に浮かせたフロートが移動する事で、フロートに括り付けたランプの芯が、油の量に合わせて移動する。

14 古代ローマのスパランド
カラカラ大浴場(212年~217年頃に建造)。フィポガウストという炉が浴槽を直接過熱し、燃焼ガスが壁の裏側や床等を通って欲情施設を循環する。

15 古代ローマの噴水
ローマ帝政末期には11本の水道が設置され、1000を超える噴水があったとする。サイフォンの原理を使用。水平面を作り、僅かに傾ける技術が評価されている。

16 古代ローマの算盤
0が発見される以前から使用されていた。

17 半分しかない歯車
16世紀中世の歯車。イタリア人アゴスティーノ・ラメッリが1588年にパリで出版した『種々の巧妙な機械』で紹介。半分しか歯がついていない王冠状の歯車を2つの歯車と組み合わせる事で、冠歯車の回転運動を、往復運動に転換出来る。

2つの歯車をA、Bとすると、Aが冠歯車の歯と噛み合って時計回りに回転する時、Bには冠歯車の歯が無い部分が接地し回転しない。Bが冠歯車の歯と噛み合って反時計回りに回転する時、Aには冠歯車の歯が無い部分が接地し回転しない。

18 機械式時計の脱進機
一気に歯車が回転しないよう、断続的に重りを落下させる。振り子上部の穴に、歯車に付けたカムを噛み合わせ、振り子が動く速さでしか歯車が回転しないようにする等。

19 和時計の技術力
機械式時計は、1549年に来日したフランシスコ・ザビエルによって齎されたとする。

20 水運儀象台
時計と天文台を組みあわs田もの。1092年に宰相になった蘇頌が指揮し、韓公廉が設計したとされる。高さ12m、一辺が6mで時間を知らせる。さらに水車に連動して回転する天体模型と、実際の天空を比較する役割もあったらしい。

21 ラチェット(=つめ車)
歯車を組み合わせて回転の方向を変える。

22 閘門式運河
1503年にレオナルド・ダ・ヴィンチが曲がりくねって航行困難なアルノ川を迂回する水路を計画。水位を調節する閘門を設ける。日本では1731年に埼玉県浦和市の見沼田んぼに、見沼代用水と芝川の3mの高低差を調整する閘門が作られたとする。

23 中世のフルタイム4輪駆動車
イタリア人フランチェスコ・ディ・ジョルジオが考案。

24 鉄をたたいて鍛える
中国では良質の鉄を溶かして鋳型に流し込む鋳造という加工法が紀元前からあり、幅広く厚く重い青竜刀が作られた。

日本では熱した鉄を幾度も叩いて鍛える。原料となる玉鋼(炭素量1~1.5%)は砂鉄の7%~8%しか取り出す事が出来ず、砂鉄を溶かす時に生じる酸化鉄や還元剤(木炭)が含まれる。

玉鋼を叩いて平らにした物を積み重ねて叩いて塊にし、その塊を折り返して叩く(下鍛え)。すると異物が外側に押しやられ除去されていく。出来上がった塊を、炭素量0.2%ほどの展延性に富む包丁鉄を折り込んで一体になるまで叩く(上鍛え)。

25 甲斐の猿橋
山梨県大月市にある。612年に百済の造園師 志羅呼が作ったとされる。猿の群れが互いの体を繋ぎ合わせて橋を作ったのを参考にしたという逸話がある。他に1486年に聖護院の一行が猿橋の詩文を残したという逸話。

橋脚を持たずに、川の両岸から突き出たはりによって支えられる。

26 錦帯橋のプレハブ工法
1674年に工期三ヶ月で完成。岩国の二代目藩主の架けた橋が1659年の洪水で流失してから、中国西湖の橋を参考に、アーチ橋を水の抵抗を考えた流線形橋台で繋げていく。

川床や橋台の基礎工事と並行し、一度全ての橋体を組み上げて、それを解体し、プレハブのように現地で組み上げたらしい。

27 古代中国の計算尺
目盛りを刻んだ数直線を組み合わせて計算する。

28 地動儀
張衡(78年~139年)が発明したとされる地震計。バランスを取って立ててある棒の慣性を利用し、地震を感知すると棒が倒れ振子が揺れて玉が動くとする。

29 古代中国の移動見張り台
巣車。長崎・孔子廟の博物館に展示されているらしい。ハンドルで小屋を高所に引き上げて見張ったとする。

30 ピラミッドの強さとかたち
クフ王のピラミッドは総重量約700万tとされる。底辺の一辺を230mとすると、1㎠あたり13.2kgの圧縮力がある。煉瓦積で許容される重量は1㎠あたり22kg程度とされる。

ピラミッド内部にある切妻屋根が、石材に加わる曲げる力を圧縮力に分散しているとする。

31 ピラミッドの建造技術
石灰岩に木製の楔を打ち込み、水をかけて膨張させて割ったという説。

32 水平面を作る技術
縦横の溝を掘り、水を流し込んで水面の位置に印をつけて水平面を決定し、水を排水して印をつけたところから上を削り取る。

33 自分で自分を支える石組み構造
アーチ構造。

34 古代の音響警備システム
紀元前6世紀頃、ペルシャ軍がリビアのバルケを包囲した時に、地下道を掘る敵を察知するために、青銅製の盾を地面に備え付けて振動を音として察知しようとした話。

35 5000年前のトラクター
紀元前3000年頃のメソピタミア。牛に引かせた鋤。

36 モアイの仮説
5世紀頃のイースター島。梃子や滑車、橇を使用したとする。

37 吹子の技術
踏み吹子として板を踏んで空気を送り出す。17世紀頃には天秤吹子によって公理宇tが向上したとする。中央に設けた天秤の作用で、一方の板を踏み込むと、もう一方の板が持ち上がって労力が軽減される。

38 蒸気ポンプと爆発ポンプ
1601年にイタリアのポルタ(1538年~1615年)が行った、密閉容器の中で水蒸気を凝縮させると圧力が減じ、水を吸い上げる事が出来る事象。

英国のラムゼイは、1630年に鉱山にて火力を利用して水を吸い出す方法の特許を取得している。

人気ブログランキングへ

東大のディープな世界史

読んだ本の感想。

祝田秀全著。2013年6月21日 第1刷発行。



第1章 地球まるごと世界史
1 “世界史の要衝”エジプトを通過した5000年という時間
エジプト文明は、ナイル川の沃土を基盤に、ヒクソスの侵入(紀元前1674年~紀元前1567年頃)を経験すると、エジプト新王国時代(紀元前1567年~紀元前1085年頃)にはトトメス3世(紀元前1504年~紀元前1450年)がシリアを奪取し、その後のカデシュの戦い(紀元前1286年)におけるヒッタイトとの衝突に繋がる。エジプト王国は紀元前31年のアクティウムの海戦で終焉を迎える。

その後、サラディンのアイユーブ朝(1169年~1250年)によってカイロの首都化が進み、マムルーク朝(1250年~1517年)にカイロは東西交易によって繁栄するも、欧州によってインドとの香辛料貿易路の独占が崩れると零落していく。

17世紀後半には英国、フランスによってインド港湾都市の植民地化が進行し、東西世界の結節点であるエジプトは英仏の係争地となる。スエズ運河は1869年に開通し、運河建設による膨大な債務と、南北戦争終結による米国産綿花の市場流入によるエジプト綿花産業への打撃等から、民族主義が高まり、1881年~1882年にはウラービー・パシャの反乱が起こる。

エジプト民族主義は、1956年のスエズ運河国有化に結実する。

2 弾圧と迫害のなかでキリスト教が広がっていったのはなぜか?
キリスト教は領土拡張の限界に達した3世紀ローマで伸長した。ディオクレティアヌス帝(在位284年~305年)は専制君主政を導入し、コンスタンティヌス帝(306年~337年)は、330年にコンスタンティノープル遷都を行い、332年の「コノヌスの土地緊迫令」による小作人の移動禁止(奴隷供給減少による労働力確保)、325年のニケーア公会議によるキリスト教教義統一等の対応を行った。

「来世は暗黒が支配される」と言われた時代に、「信仰を強く持つ事で、神の国に入る」というキリスト教は魅力的で、抑圧や恐怖に怯える人々は来世での解放を望んだとする。

3 近世に世界経済を統一した銀の力とは?
16世紀スペインのポトシ銀が欧州に大量流入し、国際金融が盛んになり、中国での税の銀納も可能になった。銀は欧州から中国に流入していたが、産業革命を契機に銀は西欧に流れる事になる。

4 世界経済を再編成したイギリスはなぜ衰えたのか?
以下の展開。

①初期
30年戦争(1618年開始)、英蘭戦争(1652年開始)。

②中期
名誉革命(1688年~1689年)、英仏2次100年戦争(1689年~)、グレートブリテン成立。

③完成期
7年戦争(1756年~1763年)、産業革命(1760年~)

英国産業革命が世界と結合する契機は、1846年の穀物法撤廃で、自由主義による安価な海外穀物の輸入を可能にした。1845年ンのアイルランド大飢饉がその理由であり、海外との自由な貿易が可能になった。

産業革命が他国においても発生する中、英国は優位を保てなくなり、1957年には米国の通告によって第二次中東戦争から撤退し、英国の終焉を証明した。

5 反帝国主義運動が各国に吹き荒れた理由とは?
1894年に露仏同盟が締結されると、フランスからの融資によってロシアの資本主義が育成され、ロシアの南下政策による列強との軋轢が各地で戦争を引き起こした。
1905年に終結した日露戦争は専制政治に対する立憲政治の優位を印象付け、立憲政治を目指す運動が青年トルコ革命等に結び付いていく。

6 「冷戦」の本当の原因はなんだったのか?
第二次世界大戦におるソヴィエト連邦の目的はロシア帝国再興であり、戦後は米ソの主導権争いが発生した。

第2章 中華文明ワールド
7 朝鮮王朝が禁止したハングルを福沢諭吉が
復活させた背景とは?

ハングルは諺文とも呼ばれ、1446年に朝鮮国王第4第世宗の時に制定されるが、16世紀初に使用禁止になる。漢字は真文であり、ハングルは俗文であるとされ、20世紀には清国の朝鮮支配を排除するために、複座諭吉門下の井上角五郎が発行した「漢城周報」では漢字ハングル文字が使用された。

8 近世の東アジアは倭寇のおかげでまとまった?
朝貢貿易に束縛されない倭寇は、元の滅亡を契機に伝統的貿易形態が崩壊した東アジアで活発化した。明国2代皇帝 建文帝(在位1398年~1402年)、1394年に征夷大将軍となり、1401年に建文帝から臣下の称号を拝受した足利義満、朝鮮建国の正統性を明に求めた李成桂は、朝貢体制再建(私貿易禁止)によって体制を再建しようとした。

9 朝鮮の歴代王朝は中国とどうつきあっていたか?
歴代の中華王朝は、唇と歯の相互安全保障システムとして、朝鮮とヴェトナムを覇権下に置いた?中華思想に基づく対外関係のため、明が滅びた後は、外交的には臣従するが、精神においては朝鮮が中華とする小中華思想があった。

10 明治国家にとって19世紀の江華島事件と琉球処分とは
なんだったのか?

中華思想に基づく伝統的国際秩序を解消し、近代外交サイトを樹立する狙い。

第3章 キリスト教文明ワールド
11 4世紀末にオリンピアの祭典が中止になった理由とは?
オリンピアでは紀元前776年以来、4年に一度祭典が開催されたが、ローマ皇帝テオドシウス帝(在位379年~395年)により、392年に全ての異教が禁止されると、393年にオリンピアの祭典はゼウスを祀る神事だったため禁止された。

12 イタリア統一の陰の功労者はマキャヴェリだったのか?
ローマ史論(共和制)と君主論(君主制)を書いたマキャヴェリについて。イタリア統一を望む現実論。

13 宗教改革のルターが19世紀ドイツ統一運動の
シンボルになった理由とは?

グーテンベルクがラテン語版聖書を印刷した1455年頃は、オスマン帝国の興隆によってギリシア系住民が欧州に移住し、1506年にイタリア留学をしたエラスムスは、1516年に『校訂版 新約聖書』(ギリシア語の対訳付き)を出版した。マルティン・ルターはこれに触発され、1517年に「95か条の論題」を出版し、大量印刷によって欧州中に広まり、多くの読者を獲得した。

1555年の「アウグスブルグの宗教和議」では宗教の決定権が君主から個々人に移行。

14 フランスの国歌とドイツの鉄血宰相が
EUの起源というのはなぜか?

フランス革命によるナショナリズム発生と、ビスマルクによるドイツ統一。独仏戦争の経験が、戦争を抑止するEUに繋がっていく。

15 イギリス産業革命がインドネシアから
始まったというのはなぜか?

1623年のアンボイナ事件により、英国がオランダによってインドネシアから後退した事で、1639年に英国はインドのマドラスに商館を建てインド進出に邁進する。

第4章 イスラーム文明ワールド
16 10世紀のイスラーム世界の
「天皇・征夷大将軍」問題とは何か?

8世紀半ばにイスラム教はスンナ派のアッバース朝(750年~1258年)を建て、カリフ(イスラムの指導者)を擁立した。10世紀に成立したシーア派王朝は二つあるが、ファーティマ朝(909年~1171年)はカリフを否定してイマームを宣言しエジプトを制圧して973年にカイロを建設。ブワイフ朝(932年~1062年)は946年にバグダード占領に成功するとカリフを保護して権威を借用した(大アミール)。

17 19世紀オスマン帝国のタンジマートがめざしたものは何か?
タンジマートは法治主義に基づいてイスラム国家から近代国家への移行を目指すもので、ミドハト憲法(1876年)に結実する。しかし、反動で専制政治が復活し、トルコ国民革命が発生する。

18 ケマル・パシャのトルコ革命がめざしたものは何か?
トルコ革命(1919年~1923年)について。トルコ民族を核とする国民主義運動で帝国の解体を阻止するために新オスマン人の完全平等社会を目指したタンジマートとは違う。

人気ブログランキングへ

テクテクノロジー革命

読んだ本の感想。

著者:藤村靖之、辻信一。2008年9月19日 第1刷発行。



消費を極大化するマインドセットに対抗し、非電化や地域化を普及する思想らしい。

〇非電化冷蔵庫
放射冷却を利用。乾いた土を断熱材にして、水を入れたペットボトルを中に入れる。気温が25度~30度あっても冷蔵庫は4度以下を維持したらしい。

モンゴルで羊二頭分(7000円程度)の予算で使用して貰い、他に非電化照明(2分間手動で蓄電し、1時間明るい照明)や馬力発電等も試したらしい。

〇地球を冷やす発電
煙突効果を利用。高さ4mくらいのガラスのピラミッドを作り、20mくらいの煙突のような筒を付けると、昼間は太陽熱で空気が温められて上向きの煙突効果により、風速10mくらいの風が煙突内に吹き、それを利用して発電する。夜は放射冷却によって逆に風が吹く。放射冷却は赤外線で送り出すため、吸収するガスが無く、宇宙に赤外線が抜けていくとする。

セネガルで大規模に煙突発電を計画しており、上下500mずつの煙突で昼は5万kw、夜は3万kwを見込んでいる。

人気ブログランキングへ

今日が最後の人類だとしても

読んだ本の感想。

庵田定夏著。2016年10月28日 初版発行。



コールドスリープから目覚めたユージ(19歳)が目覚めると、705年96日後の未来だった。未来世界は中世レベルの文明であり、亜人のみが存在し、純粋な人間は主人公を含め、コールドスリープから目覚めた七人しかいない。

コールドスリープ施設を管理する人工知能シドから、都市一つを破壊するミサイルを召喚出来る腕時計を渡され、劣等生三人の監督をする教師となった主人公は、腕時計の秘密が露見するも、腕時計を破壊し、生徒の超能力によって兵士達を脅迫し難を逃れる。

生徒は以下の三人。個性が分かり辛いので、一人にまとめて良かった気がする。

リン:
中等部二年。妖狐族。身体強化術が得意だが、獣人化すると別人格となるため、獣人化を忌避している。知り合いが多いと照れのためか獣人化し難いらしい。

エミイ:
初等学校四年。雪人族。周囲に雪が無いと魔法が使えない。父の躾により、頼み事を断れないため、同級生から奴隷のように扱われている。自分の魔法で作り出した水ならば、凍らせて魔法で操作出来る。

サーシャ:
初等学校五年。聖霊族。希少な種族で同族が自分一人のため、魔法の手本となる存在が無く、魔法が使えない。危機に陥ると竜を召喚可能であり、ユージを捕らえに来た兵士を撃退する。

人気ブログランキングへ

東大から刑務所へ

読んだ本の感想。

著者:井川意高、堀江貴文。2017年9月30日 第一刷発行。



堀江貴文(ライブドア社長だったが逮捕)と井川意高(大王製紙社長だったがカジノで100億円以上を使い込み逮捕)の対談本。

両者とも東京大学に入学し、社長になり、逮捕された共通点がある。

読んでいて感じたのは余裕で、社長であり政治家の友人がいるために、刑務所内で優遇されていたように思えてしまう。出所後も財の蓄積があるので困っていない。

本を書いたり、評論家として活動する事で印象を上書き出来てしまう。

P141:
僕とメチャクチャからみたがるんですけど、当然スルーしてます
(中略)
ムショで親しく話をしただけで、戦友か同士のような感覚になることはあるよね。そいつらとは、ムショという特殊な環境で円満に生きていくために仲良くしてただけであって、シャバではなるたけ元犯罪者とは関わり合いになりたくありませんな

⇒そう主張しながら、元犯罪者同士の対談本を出版している

人気ブログランキングへ

日本大王国志

読んだ本の感想。

フランソア・カロン著。昭和42年5月10日 初版第1刷発行。



以下は、Wikipediaの「フランソワ・カロン」の記事へのリンク。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%AF%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%AD%E3%83%B3

1619年~1641年に日本に滞在したオランダ人フランソワ・カロン(1600年~1673年)による日本紹介。全体的な印象として、当時の西欧人にとってのキリスト教の重要性を感じた。

第一問 日本国の大きさは如何に、また日本は島嶼なりや
関東から27日進むと津軽に至る。北の蝦夷に関する記述。

第二問 如何に多くの州を含むか
第三問 日本における最上支配者の有する特質と権力は如何に
第四問 陛下は如何なる住所・地位及び行列を有するか
第五問 兵士の員数と彼らの武器
日本全土の収入を約1840万石と推定し、動員兵力を歩兵36万8000人、騎兵3万6800人と推定している。

第六問 顧問官及び臣下の権力
第七問 諸侯及び領主の特質とその勢力
第八問 彼らの収入は如何に、またその収入は何より成るか
第九問 処刑の方法は如何に
第十問 如何なる罪科が厳罰に処せられるか
第十一問 住民は如何なる宗教を奉ずるか
第十二問 如何なる寺院を有するか
第十三問 如何なる僧侶を有するか
第十四問 如何なる宗派を信ずるか
第十五問 ローマ派耶蘇教徒の迫害
第十六問 如何なる家屋に住し、如何なる建具を使用するか
第十七問 何を以てまた如何に来客を接待するか
第十八問 結婚生活について
第十九問 子供の教育
第二十問 遺言なき時の相続は如何に
第二十一問 国民は信用すべきか、すべからずか
小倉王(細川忠興)が妻を豊臣秀頼に人質に差し出すも徳川家康側についた時、小倉王の妻が死を選択した事から、名誉を貴ぶ日本人を信用すべきとしている?

第二十二問 その国にては如何なる貿易が如何なる国民によって
      行われるか
第二十三問 如何なる内地商業及び外国航海を有するか
第二十四問 商業の利益
第二十五問 外国との交際
第二十六問 日本の物産
第二十七問 貨幣及び度量衡
第二十八問 鳥獣類
第二十九問 鉱泉
第三十問 如何に国王・諸侯・領主及び貴族は陛下に謁見するか、
     彼らは如何なる行列を有するか
第三十一問 彼らの言語・写字・計算の方法、
      子孫に歴史を公開するか

人気ブログランキングへ

天工開物

読んだ本の感想。

宋應星著。昭和44年1月20日 初版第1刷発行。



中国における技術の百科全書。明朝の1637年(崇禎丁丑)に出版され、日本では1771年に大阪で和刻本が刊行された。

穀類、衣服、染色、調製(脱穀)、製塩、製糖、製陶、鋳造、舟車、鍛造、焙焼(石灰の使い方等)、製油、製紙、製錬、兵器、朱墨、醸造、珠玉(宝石等)

P224:
火薬の成分のうち、硫黄は純陽のものであり、硝石は純陰のものである。陰陽の精たがいにつきあって音を出し、変化を起こすので、陰陽の力がたまたま不思議なものをつくり出したのである

P302:
硝石の性質は真直に飛ぶのが特徴である。だから直撃する火薬の成分は硝石が九で硫黄が一である。硫黄の性質は横にひろがるのが特徴であるから、爆撃する火薬の成分は、硝石が七で硫黄が三である

**************

最初に穀類の項があり、最後に珠玉(宝石)の項があるのは、農業優位の思想によるらしい。全体的に北(麦作、車を多用)と南(稲作、舟を多用)という対比がある。

『天工開物』は当時の支配階級に、生活必需品の生産過程を知らしめるために書かれたとして、科挙の勉強に偏重したインテリ層啓蒙書であるとする。

人気ブログランキングへ

子供の脳にいいスーパーメソッド

読んだ本の感想。

鈴木昭平著。2016年11月6日 第1刷発行。



何だか胡散臭い。

以下は、「エジソン・アインシュタインスクール協会」のWebサイトへのリンク。

https://gado.or.jp/

発達障害者の特徴の一つは、周囲のからの刺激に極めて敏感である事?右脳、左脳のバランスが悪いと、例えば音に関する感覚が強過ぎると小さい音にも反応してしまう。これは普通であれば反応しない僅かな刺激にも反応出来る事でもある。

著者の方法論は、脳の反応が良い部分に働きかけるため、雑音を拾えないほど高速で情報を入力する。高速道路を走っていると、標識や周囲の車は目に入るが些細な景色は見えないらしい。カードを高速で捲って見せながら、高速で読み上げる。

〇疲れ難い脳
人間の脳は水分を除くと六割が脂肪で出来ている。人間の体温よりも低い温度の水中を泳ぐ魚の脂は、少しぐらい低い温度では固まらないために血流に良いらしい。

発達障害者には便秘が多いとして、伝統的な和食によって食物繊維を摂取する事を推奨している。

脳内ではアセチルコリンが分泌され、糖鎖がアセチルコリンをキャッチする事で情報が伝わる。糖鎖栄養素は、大豆、果物、海藻、アロエ、鰻、穀物や果物の皮、蟹の甲羅、海老の殻、燕の巣等に多く含まれ、①納豆、卵黄、メカブを混ぜた物、②豆乳ヨーグルトにカエデ樹液を混ぜた物を推奨している。

そして、牛乳や小麦粉、安価な卵や白砂糖に注意している。

〇自信の付け方
人間の自信は他人から信じられる事で生じる。それだから教育においては子の可能性を信じなくてはならない。自信が無いと不安が多くなり、パニックに陥り易くなる。

〇体操
足を肩幅程度に広げて達、両腕を心臓よりも高く上げて、前に向かってグルグル5回~10回回す。その後に、両腕を下げて、手首を10秒間振り、さらに高速で10秒間振る。

人気ブログランキングへ

100の地点でわかる地政学

読んだ本の感想。

編・著者:パスカル・ゴーシュン/ジャン=マルク・ユイスー。
2011年10月5日 印刷。



第一章 パワーを発散する地点
大都市には権力が集中する。権力は慣性の論理に従って、同じ場所に留まる事を好む。

1 ニューヨーク
米国最大の都市。人口800万人。米国が体現する普遍的価値観の象徴。

2 ブリュッセル
979年に建設され、人口110万人。EU諸機関の首都。ラテン系欧州(ワロニー地域)とゲルマン系欧州(フランデレン地域)の境界にある。

3 ロンドン
人口750万人。大西洋関係の欧州の橋頭保。

4 パリ
紀元前600年頃にパリシイ族により建設。人口200万人。メキシコのポルフォリオ・ディアス大統領によって改造のモデルとされ、シカゴ派の建築家からも基準とされた。

5 ベルリン
1244年に町の名が出現。人口500万人。

6 ウィーン
紀元前6世紀に建設。人口170万人。西欧とドナウ川沿い欧州の交点にあり、バルカンを通る移民が最初に目指す。

7 ローマ
紀元前753年建設と伝えられる。人口270万人。ライン川地域から隔たった地中海方向に引き寄せられる。

8 サラエヴォ
1461年にトルコ人が建設。人口70万人。セルビア圏とイスラム圏の交点にある。

9 上海
紀元前6世紀に建設。人口1800万人。中国沿海部の中心。

10 エルサレム
紀元前1700年頃に建設。人口70万人。

11 メッカ
人口120万人に対し、年間巡礼者600万人。

12 バグダード
紀元前8世紀に建設。人口700万人。南北東西の要路が交わる。

13 アムリトサル
パンジャーブ(インド西北部)の都市。16世紀に建設され、人口350万人。シーク教徒の総本山で、インド独立運動の起点となる。

第二章 パワーが織り成される地点
14 ヨーロッパ
陸地の3%、世界人口の8%、GDPの23.2%(内EUが19.5%)。

15 北米
陸地の14.5%、世界人口の7%、GDPの24.5%。聖書や啓蒙思想を欧州と共有するも、最初の入植者は欧州から逃れた者と位置付けられる。

16 ラテン・アメリカ
陸地の15%、世界人口の8.3%、GDPの8.5%(メキシコを含む)。

17 東アジア
陸地の11%、世界人口の32.5%、GDPの24.1%。中国文化、日本経済モデル、米国の介入という三つの柱がある。

18 南アジア
陸地の3%、世界人口の22.5%、GDPの6%。インド一国で地域GDPの3/4以上。異教徒に再改宗を求めるヒンドゥー教のインド人民党と国民を統合しようとする国民会議派があるとする。

19 ロシア圏
陸地の15%、世界人口の4%、GDPの4.4%。

20 MENA
モロッコからイラン、トルコからスーダンまで。陸地の10.5%、世界人口の8.5%、GDPの3.5%。

21 ブラック・アフリカ
陸地の14%、世界人口の10.4%、GDPの2.3%。

22 地中海
250万㎢、東西4000㎞、南北最大700㎞。3000年に渡る交易と侵略の場。

23 大西洋
8000万㎢、東西8000㎞。分離の地中海に対して統合の大西洋とする。

24 太平洋
1億6000万㎢、赤道付近の幅2万㎞。多段階式の国際分業の場となっている。

25 インド洋
7000万㎢。イスラム教徒の拡大の場でもある。

26 北氷洋
1200万㎢。温暖化によって開発が有望視される。

27 南極
2048年まで開発を禁止するマドリード議定書がある。

28 宇宙
新興国による開発の可能性。

29 サイバースペース
自由と監視の相克。

第三章 パワーの鍵となる地点
30 ホルムズ海峡
世界原油の30%が経由する。

31 バーブ・エル・マンデブ海峡
アラビア半島とアフリカの間に位置する。最も狭い個所は2.5㎞。

32 スエズ運河
1869年に開通し、年間2万5000隻程度がつうかする。

33 喜望峰
スエズ運河が不安定になると重要性を増す。

34 BTC
2005年に落成したパイプライン。

35 ボスポラス・ダーダネルス海峡
トルコの優位性の一つ。

36 デンマーク
エーレンス水道とスカンゲラク水道からなる海峡。ドイツのシュレスヴィヒ地方にあるキール運河と競合関係にある。

37 日本
対馬海峡、宗谷海峡。ウラジオストクのロシア艦隊への備えになる。

38 マラッカ海峡
世界タンカーの3/4が通る。

39 台湾海峡
中国との緊張関係。

40 ジブラルタル
1713年のユトレヒト条約以来、スペインと英国の係争の場となっている。

41 オトラント水道
イタリアとアルバニアの間。

42 パナマ運河
世界海上貿易の5%が経由する。閘門式で悪天候の場合は輸送が滞り、5万t以下のコンテナ船しか通れない。

43 ビーグル水道
チリとアルゼンチンが争ったが、1985年に教皇庁の裁定で、チリが太平洋側、アルゼンチンが大西洋側に権利を持った。

第四章 パワーの対決地点―係争・紛争・妥協
44 ライン川
全長1350㎞。ラテンとゲルマンの境界線であり、輸送路としてミッテルラント運河(ベルリン)、モーゼル川の運河(ロレーヌ)等があり、1992年にはドナウ川に至る運河が開通した。

45 オーデル=ナイセ線
ドイツとポーランドの国境。1990年に統一ドイツによって再承認された。

46 ポメラニア
バルト海南部沿岸地域。

47 カリーニングラード
人口100万人(8割がロシア系)。ポーランドとリトアニアの間にあるロシアの飛び地。

48 バルカン
複雑に入り組んだ民族構成。

49 コソヴォ
人口200万人(9割がアルバニア系)。

50 マケドニア
人口200万人。1/3はアルバニア系であり、大アルバニア形成のリスクがある。

51 エーゲ海
ギリシャとトルコの軋轢の象徴。

52 キプロス
人口80万人。8割がギリシア系、2割がトルコ系。トルコ軍が北部を占領している。

53 マルタ
シチリア島とチュニジアの間に位置し、不法移民の入り口になっている。

54 アイルランド
北アイルランド独立紛争がある。

55 ベルギー
人口1000万人でワロン系とフランデレン系の対立がある。

56 カタルーニャ
人口700万人。アラゴン王国の跡地で、地中海経済圏に属す。

57 バスク
人口300万人。ぶんかの固有主義が強い。

58 米墨国境
全長3200㎞で移民問題を抱える。

59 キューバ
人口1130万人。ソヴィエト連邦による庇護、経済制裁の影響、欧州左派の支援等により反米が可能だった。

60 チアパス
メキシコ連邦の州で人口400万人程度。州人口の四割が先住民族で1994年以来、叛乱の拠点になっている(EZLN:サパティスタ民族解放軍)。

61 オリエンテ地方
ボリビア東部。人口330万人。2008年に自治権拡大が住民投票で可決され、資源国有化等の問題がある。

62 マルビナス(フォークランド)
英国とアルゼンチンの係争地。

63 南シナ海
350㎢。1974年に中国がパラセル(西沙諸島)から南越軍を追い出し、1975年からはスプラトリー(南沙諸島)の係争問題が発生している。

64 尖閣諸島
1972年に沖縄とともに日本領になる。

65 ミンダナオ島
人口1800万人程度(2000年)。モロというイスラム教徒(フィリピン人口の5%程度)が住む。1950年以降、カトリックが大量に流入し、争いが起こる。

66 インドネシア
1万7000の島と2億2100万人の人口(2003年)で、1998年のスハルト政権崩壊以後、政権弱体によって派閥争いが起こっている。アチェ(イスラム)、バリ島(ヒンドゥー教とイスラム教の対立)、マルク諸島(キリスト教とイスラム教の対立)、カリマンタン島(ダヤク人の叛乱)等。

67 竹島
日本と韓国の係争地。

68 千島
日本とロシアの係争地。根室海峡は冬季に凍らない重要地点。

69 三八度線
1953年の板門店休戦協定によって定められた非武装地帯。

70 豊渓里
北朝鮮の主要な核実験場。

71 チベット
人口700万人。チベットの独立は、マクマホン・ラインを定めた1914年のシムラ条約に由来する。

72 黄金の三角地帯
ビルマのサルウィン川河口、ラオスのルアンプラバン、中国の思芽に囲まれた3万5000㎢の地帯。1970年頃には世界のアヘンの85%程度を供給していた(現在は5%程度)。

73 マクマホン・ライン
19世紀に英国がインド北部国境を定めるために設定した分割線。ヒマラヤ山脈の尾根に沿い、ブラフマプトラ川の湾曲部を経て、ビルマ国境に至る。

74 カシミール
人口1000万人程度。イスラム教徒が多数派で、インドとパキスタンの係争地。

75 近い外国
ロシア外交によって、バルト三国を除く旧ソ連諸国に与えられた呼称。

76 セヴァストポリ
クリミア半島の海軍要塞。

77 沿ドニエストル
1992年に分離独立を宣言したモルドヴァ内の共和国。ロシア系マイノリティが集まる。

78 カフカス
黒海とカスピ海の間に1200㎞に渡って連なる山脈。

79 チェチェン
人口60万人。18世紀に征服されて以来、モスクワと紛争を繰り返している。

80 グルジア
人口440万人。総人口に占めるグルジア人の割合が2/3であり、モスクワに支援された分離運動に揺さぶられている。アジャリア、南オセチア、アブハジア等。

81 アルメニア
人口300万人。インド・ヨーロッパ語族の中で孤立した言語、三世紀にキリスト教化した古代王国、451年のカルケドン公会議を受けてのローマ教会からの分離等により固有主義が強い。ナゴルノ・カラバフ帰属問題をアゼルバイジャンと抱えており、1992年~1994年の戦争で、連絡路のラチン回廊とともに軍事占領している。在外者は欧米諸国に160万人おり、欧米はアルメニアの主要援助国となっている。

82 タタールスタン
ヴォルガ川流域の自治共和国。人口350万人。総人口の43%はロシア系。16世紀に征服された後、タタール人はロシアのアジア進出の先兵となっており、強制移住の対象ともなっていないため反ロシア感情は弱いとする。

83 アムール川とウスリー川
アムール川(シベリアからオホーツク海に至る大河)。支流のウスリー川はウラジオストク付近を源流としてハバロフスクに至る。2001年の善隣友好条約で中ロの係争点ではなくなった。

84 グリーンライン
1949年に設定されたイスラエルとガザ、ヨルダン川西岸を分割するライン。

85 ゴラン高原
1967年からイスラエルが占領する1800万㎢の高原。イスラエルの水源の15%を供給し、ダマスカスやガリラヤを見下ろす長射程砲の砲台となる。

86 シナイ半島
スエズ運河とティラン海峡を監視出来る位置にある。

87 クルディスタン
アナトリア東部、ザグロス山脈、トロス山脈の間の地帯。1920年のセーヴル条約ではクルド国家の建設が定められたが、1923年のローザンヌ条約でトルコの主権が認められた。並行してモースル地域はシリアからイラクに移され、4000万人のクルド人がに少数民族なった。

88 レバノン
人口400万人。

89 クウェート
人口310万人。1756年にサバーハ家の支配が始まり、1922年に主権を得た。

90 アフガニスタン
人口310万人。パシュトゥン族、タジク族が人口の1/3ずつで他に少数民族が住む。

91 カビール
アルジェリア北部。山岳の避難地帯となっており、人口は600万人~700万人で、総人口の1/4程度。7世紀にアラブ人が侵攻した際にはベルベル人の避難地帯になった。1980年には「ベルベルの春」を頂点とする騒乱が発生。

92 ダルフール
スーダン西郡。人口600万人。アラブ系とアフリカ系の紛争がある。

93 ヨルダン川
全長251㎞。ヘルモン山を源流とし、ティベリアス湖を経て死海に注ぐ。地域住民1300万人の主要水源。

94 ティグリス川とユーフラテス川
ティグリス川(全長1900㎞)、ユーフラテス川(全長2780㎞)。1970年代以降、南東アナトリア・プロジェクトを進めるトルコやシリアでの整備工事が流量を左右している。水資源をめぐる争いがある。

95 ナイル川
ウガンダとエチオピアの二つの源流があり、七カ国を経て地中海に注ぐ。

96 ルワンダ
人口900万人、面積2万6349㎢で、人口密度は1㎢あたり220人とアフリカ最高。1994年に民族虐殺が開始し、50万人以上が殺害された。2050年には人口2000万人に達する勢い。

97 コンゴ
人口は地域最多の6300万人。国語が5つで多様な民族を抱えており、騒乱が発生する。

98 エチオピア
人口7000万人。高地部は古代に伝播したコプト派キリスト教の名残があり、共産主義(メンギスツ政権:1974年~1991年)を経験。1896年には皇帝メネリクがアドワでイタリアに勝利している。周囲のイスラム地域であるエリトリアとオガデンを支配していたが、騒乱の原因となっている。人口の半分はイスラム教徒だがキリスト教国と見られている。

99 ギニア湾
サハラ以南のアフリカ総人口の1/3(二億人弱)と世界の原油産出量の5%を擁している。ナイジェリアだけで人口1億3000万人で日量200万バレルの原油を産出。

100 カザマンス
セネガル南部。人口80万人。ガンビアが間に挟まっており、宗教が異なる(アニミズムとキリスト教)ため地域から孤立している。1982年に叛乱が発生している。

人気ブログランキングへ
プロフィール

ABCDEFG

Author:ABCDEFG
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード