勝者なき戦争

読んだ本の感想。

イアン・J・ビツカートン著。2015年5月20日 第1刷発行。



戦争による勝利は四半世紀というスパンから考えると割に合わないという話。

<オーストラリアの近現代史>
オーストラリアは北半球に多くの人々が存在し、赤道地域と熱帯を意識している。一般的オーストラリア人は、自分達を孤立した島嶼に居住する孤立した同質的存在と感じている。

欧州人の初期定住期(英国が刑罰植民地を建設した1788年以降)から20世紀前半まで防衛を英国に依存し、第二次世界大戦以降は米国に依存している。

欧州人は米英との貿易の他に中国とも白檀や鯨油、アザラシの毛皮等で交易していたが、19世紀終盤からは大量の中国人が流入する恐怖が発生し、1901年にオーストラリア自治領になると移民制限法(移民時の英語書き取りテストによる非白人排除)を成立させる。人種戦争という概念が広まり、日本がオーストラリアの国防的焦点となる。

第二次世界大戦後は、1949年~1966年に白豪政策を転換し、1975年に人種差別禁止法を成立させる。21世紀初頭現在においては、米中間の調停者としての中道政策を模索している。

◎ナポレオン戦争以後(1815年~1840年)
1815年に英国、オーストリア、プロイセン、ロシアはナポレオンを敗北させたが、民主主義的思想の氾濫を防ぐ事は出来なかった。土地を所有する貴族の権力は、製造業や商業を支配する中産階級台頭や賃金労働者階級登場に対応していない。

1830年にはフランスとベルギーで革命が勃発し、ベルギー(カトリック)がオランダ(カルヴァン派)から独立。オランダ立憲王国解体は、1815年のウィーン会議で決定した神聖同盟が守る義務を侵害するものであり、1848年の革命(スペインやイタリア、ドイツ、フランス等)に繋がっていく。

◎クリミア戦争(1846年~1881年)
東方問題(オスマン帝国の不安定に起因する問題)への対処失敗。

1853年のクリミア戦争において英仏連合は、①オスマン帝国をロシアから防衛、②ロシア膨張封じ込めのために戦って勝利したが、オスマン帝国は弱体化したままで、ロシアは膨張を続けた。

トルコによる国民国家を模倣する改革は民族分裂を招き、敗北はロシアに改革(1861年の農奴解放令等)を開始させた。

◎日露戦争(1905年~1930年)
戦争による勝利が新たな利害関係を生んだ。

日本は賠償金が無かった事から国民の不満が高まり、朝鮮半島における優越権や中国東北部の租借地獲得に成功した事が後の軍事的事件に引き込まれるようになる。

◎第一次世界大戦(1919年~1939年)
多くの人間が死んだ。

日米を除いて6000万人が動員され、その半数以上が犠牲になった。それは出生率低下の原因となり、英仏両国では出生率が第一次世界大戦前と同等に回復するまで一世代以上かかった。1938年のフランスにおける19歳~21歳の人口は戦争が起こらなかった場合の半数とされる。

過大な賠償金や中東紛争調停失敗が後の戦争の原因となる。

◎第二次世界大戦(1945年~1970年)
ソヴィエト連邦による東欧占領の原因となる。中国共産党による支配樹立にも貢献し、後の軍事的脅威になる。

20世紀初頭には戦争犠牲者の約5%が民間人だったが、第一次世界大戦では約15%、第二次世界大戦では65%程度になる。

戦勝国の代償は財政的浪費であって、1940年~1996年に核兵器関連に投じられた費用は1996年ベースで5兆5000億ドルていどらしい(同時期の軍事支出18兆7000億ドルの約29%)。

◎1945年以降
国家間の核戦争の可能性は小さくなり、ゲリラ戦が主流になる。勝利は明白な軍事的成功によるものでなく、安定した政府樹立や敵の戦争遂行能力抑制によって定義されるようになる。

平和を維持する費用は高騰し、勝利に恒久的恩恵は無い。

現代における敵は断片化しており、勝利を確認不可能な状況が現出している。

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