新訳 ローマ帝国衰亡史

読んだ本の感想。

エドワード・ギボン著。中倉玄喜編訳。
2000年10月10日 第1版第1刷発行。



主にアウグストゥスによる皇政開始からオスマン帝国によるコンスタンティノープル陥落まで。

宗教によって民族に精神的活力が注入されるという思想が面白かった。

〇アウグストゥス
建国当初から勝利の連続であったローマに抑制の精神を取り入れた。ローマは多神教で様々な宗教を内包していたが、一方でラテン語や文化様式等の共通性を持った。

林檎(イタリア原産)、葡萄(シシリー島に生育していたものが、紀元後に欧州でも栽培され始める)、亜麻(エジプトからガリアに伝わる)、栽培牧草(冬季用の飼料となる)等が帝国中に広まる。富裕層の奢侈は資産配分是正に役立った。

<蛮族侵入>
フィリップス帝からガリエヌス帝に至る248年~268年頃から蛮族の侵入が多発する?辺境属州出身の軍人皇帝が活躍するようになり、クラウディウス帝(在位:268年~270年)はゴート族を敗走させた。その後のアウレリアヌス帝によってゴート族はダキアを定住地として割譲される。

〇ディオクレティアヌス
帝国を四分割統治するために、副帝マクシミアヌス(イタリアとアフリカ)、ガレリウス(イリュリクム諸属州)、コンスタンティウス(ガリア、ヒスパニア)を抜擢。ディオクレティアヌス自身はトラキア、エジプト等を担当した。

⇒ドナウとラインの大河地方は統治困難なために副帝の管轄とした

分権によって敵将は四人の敵を連破しなくてはならない。

周辺蛮族への対抗のために皇帝の神聖化が進み、伝統宗教が奨励された事からキリスト教の迫害が始まる(303年)。皇帝による分権は、属州総督の力を削ぐために中央集権化を進めたためでもある。

その後のコンスタンティヌス帝(在位308年~337年)は、コンスタンティノープル建設とキリスト教国教化によってローマ史を転換させる。その死後、息子であるコンスタンティヌス二世(在位337年~340年)、コンスタンティウス二世(在位337年~361年)、コンスタンス(在位337年~350年)による分割統治が発生し、コンスタンティウス二世による単独統治が実現する。

〇ユリアヌス
コンスタンティウス二世の死後に後継者となる。即位から一年半後のペルシャ遠征中に死亡する。その次のヨウィアヌス帝(在位:363年~364年)にゲルマン民族の大移動が始まる。

ローマ世界に入って来た蛮族は大きな自治が認められるようになり、その代わりに敵性蛮族の侵攻を食い止める傭兵の役割を期待された。ゴート族等に対して勝利したテオドシウス帝(在位:379年~295年)も蛮族の定住を許可した。

ローマ帝国の東西を比較すると、西は蛮族に対する防衛線が長く、東と比較して人口が少ないために蛮族を傭兵として活用する度合いが大きかった。

唯一神を説くキリスト教に転向していたローマ人達は、異端派であるキリスト教のアリウス派を信仰する蛮族達と反目し、唯一キリスト教正統派を受け入れたフランク族が西部の支配者となっていく。

ローマ東西は分裂し、西部ではローマ帝国という伝統的権威が消滅した事で、ゲルマン民族首長による政治的支配とローマ教皇による宗教的支配という二重支配が確立する。

<ビザンティン帝国>
東ローマ帝国の後裔。580年代頃からアヴァール人とスラヴ人によってバルカン半島が略奪すると、アフリカ総督だったヘラクレイオス(在位:610年~640年)が帝座について軍事組織を刷新する(ビザンティン帝国)。

民族的にはギリシャ人で皇帝も専制君主だったが、表層的にはローマ人の末裔という意識を持った。ローマ帝国のように多神教ではなく、キリスト教を国教にした。

イスラム王朝オスマン・トルコによって包囲されるようになり、1453年に滅亡する。

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