金ヶ崎/姉川/長篠の四人

読んだ本の感想。

鈴木輝一郎著。

織田信長、豊臣秀吉、明智光秀、徳川家康の四人を軸にした話。徳川家康以外の三人の内面描写もいれた方が良いと思った。

織田信長の無理難題に、他の三人が振り回されるが、彼等の間に信頼関係は無く、相手を唆したり裏切る算段をする。

戦国時代を組織が変化していく時代と捉えて、社会組織を書く事を目的にしている?

【登場人物】
織田信長(1534年~1582年):
人間を信疑、優劣で二分する。先見性があるが意思疎通能力が弱い。死を望み求め拒み苦しむという自己評価。

豊臣秀吉(1537年~1598年):
織田家の後方支援担当。織田信長の意志を正確に読み取るが戦に弱い。生に取り憑かれて苦しむという評価。

明智光秀(1528年~1582年、本書では1515年~としている?):
学者肌にして博打好き。骰子を持ち歩いている。前半生は不明。老に焦り苦しむという評価。

徳川家康(1543年~1616年):
調整型の指導者でトップダウンの織田信長を羨ましく思う。組織戦闘には役立たない武芸の達人。貧乏性という評価。

金ヶ崎の四人 信長、秀吉、光秀、家康
印刷 2012年1月15日。



1570年の金ヶ崎の退き口を題材にした話。

後事を秀吉、光秀、家康に押し付けて自分だけで逃げ出した信長の後始末をする。

残された三人の間に信頼関係が無いのが特徴で、秀吉と光秀は、家康に信長の後を追わせる事で、その間は家康の軍が動けないようにして撤退の要とする。

光秀を囮にし、家康が伏兵となる作戦が見抜かれた事から、三人の中に裏切者がいるか疑心暗鬼になるが、浅井長政が超人的な用兵家という結論になる。

金ヶ崎城に戻って来た信長の指示で、浅井長政本人のいる場所に一斉射撃を行い、浅井軍が動揺している内に撤退を完了させる。

P7:
信長は、子供の喧嘩に毛の生えた程度の、小規模戦闘の天才ではあった。その一方、どんなに合戦で敗北しても大局的な戦略上で勝利をおさめることにもたけていた。この中間の、大軍の用兵と戦術の才能が、なかった。
大軍の運用の基本は、組織的行動能力と人材管理能力と意思疎通能力にある。織田信長には、このみっつだけが、絶望的なまでに欠けていた

P119:
兵を動かすためには、戦闘がなくても、多彩な要素が必要なのだ
(中略)
総務や財務、経理、人事管理、後方、教育などの間接部門は不可欠なものだが成果が出にくく、軽視されがちで、武将たちもやりたがらない





姉川の四人 信長の逆切れ
印刷 2013年8月1日。



1570年の姉川の戦いを題材にした話。

その前の1570年6月23日(元亀元年五月二十日)に信長が銃撃された事で、秀吉、光秀、家康が疑われる。

信長は姉川の戦いを自分の人生の棚卸として、裏切りの経験者で自分の周囲を固め、裏切者の浅井長政と対峙する事で、信頼と裏切りを総点検しようとする。

他の三人は自分の忠誠を証明するために粉骨砕身しなくてはならなくなる。

秀吉は浅井長政の側室を殺した事で恨まれており、横山城での小規模戦で恥をかかされて元気が無くなる。姉川の戦いでは苦戦するものの、信長が小規模騎兵を活かした戦をする事で勝利する。

ただし、信頼の方は、秀吉(1000人の足軽を連れて何故か家康の方に参上する)、光秀(家康に浅井に寝返るか籤で決めろと誘う)、家康(秀吉を手土産に浅井長政に寝返るか考える)と危うい。

P140:
戦国時代のたたかいは、騎馬武者が弓矢や槍をふるう個人戦闘ではなく、足軽たちの数と組織力で圧倒する組織戦闘が中心である

P184:
単位は人間の生活感覚から発生している。旅程と土木工事と裁縫では要求される生活感覚の優先順位がちがうし、それぞれの人間は住む世界がちがう。それで十分通用した。
織豊期以降、秀吉の国内統一にいたると人間の行動範囲がひろがり、さすがに不便となって、太閤検地や徳川秀忠の一里塚設置などにより、統一されていく

P186:
合戦は「三面」、すなわち囲碁・将棋・双六に似ている。
(中略)
合戦のうち、陣取りや領地の攻勢の要素を取り出したものが囲碁。将兵の個性を踏まえて適材適所に人物を配する用兵術の要素をとりだしたものが将棋。そして運によって変化しつづける戦局から最善手を選ぶ要素をとりだしたものが双六

P281:
戦国時代、織田信長が上洛した当時はまだ組織戦闘の技術も発展途上であった
(中略)
『制服』という概念が未発達
(中略)
顔見知りの土豪どうしの戦いだけで済んだ。これならば敵味方の区別をつける必要はない
(中略)
万単位の将兵を諸国からかき集めて戦場に投入することが出てきた。生まれて初めて会う仲間と戦場で組んで敵と戦う局面もあらわれる。乱戦・混戦になったとき、制服がないので、敵か味方かがわからなくなってしまうのだ







長篠の四人 信長の難題
印刷 2015年9月10日。



1575年の長篠の合戦を題材にした話。

信長の手勢を一兵の損失も無く武田勝頼に勝利すべしという命を受けて、秀吉、光秀、家康が苦労する。

馬防柵と鉄砲の一斉射撃を軸にした戦法で勝利する。

〇武田と織田の経済格差
江戸時代の国勢調査「天保郷帳」では美濃:69万9764石、尾張:50万石であり、信濃:30万5000石、甲斐:31万2159石であり、武田家の石高は織田家の半分。駿河の石高も15万石程度。徳川家の領土は、三河:35万880石、遠江:36万9552石であり、武田とほぼ拮抗している。

〇火薬と弾丸
織田と武田の経済力の差が火薬と弾丸に反映されたとする。
長篠の合戦における織田・徳川3万8000人、武田1万5000人について、鉄砲の丁数では両者1500挺で互角だが、織田軍は鉄砲1丁につき1000発の弾丸を持ち、三貫(約11.25kg)の弾丸と一貫(約3.75kg)の火薬を一人の鉄砲足軽が持っていた事になる。

P57:
人の寄合には―組織には―目的が要る

P85:
一向一揆衆が他のどの戦国武将よりも合戦に強いのは、戦闘員には極楽往生が約束されているために、許容損失が十割、すなわち全員を戦死させても構わない戦術がとれるからである

P145:
お前ら二人の安定した不安感が絶大なのはなぜだ

P178:
目的を達成できたかどうかで主君は評価され、主君は家臣を評価する

P181~P182:
なぜ戦国時代に現代将棋のルールが完成し定着したのか。それは戦国時代に合戦の戦略と戦術が激変し、それが「図上演習としてのボードゲーム」として反映されたからにほかならない。
すなわち、戦国時代とは、組織戦闘によって各部隊が役割を分担し、互いの「玉」すなわち大将の帰趨が戦況を決める端境期だったのである

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