経済で読み解く大東亜戦争

読んだ本の感想。

上念司著。2015年2月5日 初版第1刷発行。



序章 【経済と戦争の相関】
第一次世界大戦から昭和恐慌(昭和30年)まで日本経済が低迷した原因はデフレとする。第一次世界大戦において、各国が戦争のために金本位制から離脱し、自国が保有する金の量以上に通貨を発行した。戦後、各国は金本位制に復帰するために多額の資金を吸収したためにデフレが発生した。

1930年の井上準之助による金本位制復帰による恐慌から、1931年~1935年の高橋是清による財政金融政策による景気回復、その後の五・一五事件、二・二六事件を経た第二次世界大戦までの流れを追う。

<ポール・ポーストの戦争の鉄則>
①戦争前の経済状態
不況である事が、戦争によって利益を得る前提。戦費調達によるデフレ脱却。
②戦争の場所
本国から遠い戦争が経済的に利益となる。自国が依存している資源の供給地、輸送路も除く。
③戦争資源、兵士の量
失業率が高いほど戦争の経済効果が高い。近年はハイテク兵器型の資本集約型の戦争であるため、失業率を減らす効果が低い。
④戦争の期間、費用、資金調達法
デフレである場合、通貨発行によって脱却出来る。

第一部 【第一次世界大戦までの世界経済の動向】
1870年までは、英国(1844年に金本位制を確立)を除く世界各国は金銀複本位制を採用していた。1850年代半ばから新金山が発見されなくなり、代わりに銀の産出量が急増していた。

1840年~1850年だのゴールドラッシュで、金産出量は1831年~1840年の年平均20.2トンから、1851年~1870年の192.6トンに急増していた。

普仏戦争(1871年)で賠償金を得たドイツは金本位制に移行し、1876年にはフランスも移行。1897年には日本とロシア、1900年には米国も金本位制に移行。金本位制には為替リスクを低減し、貿易決済を効率化する意味があった。

金本位制の問題は、金の保有量以上に通貨を発行出来ない事とし、1876年~1896年まで英国で物価が32%下落するデフレ(ヴィクトリア均衡)は、1896年に南アフリカやカナダで金山が発見され、青化法(金の抽出率を高める)が発見された事で、通貨発行量が増加して解決されたとする。

そして、1900年代半ばから金産出量が頭打ちになると、1907年に米国のウォール街で株価暴落が発生。直接的な原因は、1906年のサンフランシスコ地震によって銀行や保険会社に多額の損害が発生した事だが、背景には資金不足があったとする。

第二部 【第一次世界大戦の明暗】
1907年恐慌の後、米仏のGDPは乱高下したが、日英独のGDPは緩やかに回復したとする。世界経済は不安定で、金保有量の多い国は、金流出リスクを恐れて通貨発行量を抑制していた。

そして、第一次世界大戦で日米から欧州への輸出が激増し、両国経済は活況となった。1914年時点で欧州から米国への債権額は72億ドルだったが、1919年には33億ドルまで減少。米国の金準備高は1919年に64億ドルになった。日本も日露戦争の対外債務10億円があった状態から、28億円もの外貨を獲得している。

一方、敗戦国となったドイツでは1320億マルク(金に換算して4万7312トン、当時のドイツのGNP20年分)の賠償金が課せられた。英国の経済学者ケインズは、賠償金支払いに必要な貿易黒字を生み出すために、ドイツは通貨切り下げによる輸出推進を行う必要があるとし、復興需要の妨げになると指摘。それではドイツは経済的に困窮したままになる。

*************

日本では1917年に2億円だった英国への輸出、1918年には1.5億円程度だったフランスへの輸出が1921年には5000万円以下になり、1923年には関東大震災が発生していた。関東大震災の被害総額は55億円~65億円(当時の国家予算は15億円)で、GDPの4割程度だった。

しかし、1925年の加藤高明内閣は金本位制復帰を押し出し、為替レートは1ドル = 約2円から1ドル = 約2.5円まで円高が25%進んだ。その後の若槻内閣、田中内閣、浜口内閣でも金本位制復帰という点では一致していた。

当時、金本位制に耐える事が出来たのは金流入が続く米国だけだったとする。

第三部 【第二次世界大戦前夜の日本経済】
第一次世界大戦後のベルサイユ体制は、世界中の金が米国に吸い上げられる仕組みだった。米国以外では金が不足するために金本位制下ではデフレが発生する。

<クレディト・アンシュタルト銀行>
1931年5月に、オーストリア最大の銀鉱クレディト・アンシュタルト銀行が破綻する。それはドイツ第二位のダナート銀行にも飛び火し、英国や米国にも波及した。英国から大量の資金が引き上げられ、英国は1930年9月21日に金本位制から離脱。
日本からも資金が引き上げられ、1931年に金本位制を離脱し、為替レートは1ドル = 2円から1ドル = 5円まで下落している。1932年に高橋蔵相は、1932年に歳入補填国債の直接引き受けを始めている。

1932年のオタワ会議で英国とその植民地が、域外の国々に関税引き上げ等を決定して以降も、日本の輸出産業は1932年から1938年まで対前年比増を続けたとする。

高橋蔵相は、1935年に公債政策に関する声明を発表し、緊縮財政に舵を切る事を計画したが、二・二六事件によって暗殺され、1936年に就任した馬場蔵相は国債の日銀直接引き受けによる大量の国債発行による軍事費増を行った。

終章 【日本の戦後復興】
第二次世界大戦における日本の被害総額は1340億円(日本の国富総額の41.5%)。

戦後の経済政策は、以下のように大別可能。

①インフレ加速期(終戦直後~1947年)
1945年8月~1945年11月に、復員・解雇手当等で140億円の財政支出が発生。軍需生産廃止に伴い経営危機に陥った企業救済のための銀行貸し出しのため、資金供給が増加してインフレが発生。政府は価格統制を実施するが、闇市場の経済メリットが生じただけだった。
1946年5月に就任した石橋蔵相は公定価格を毎月改定するようにし、供給力を高めるために復興金融金庫を設立して投資資金を貸し出せる態勢を整備。鉄鋼業や石炭産業に重点的に資金を配分。

②インフレ減速期(1947年秋~1949年秋)
中間安定計画として、緊縮財政が志向される。経済安定本部が四半期毎に定める計画に基づき、割り当てる資金が決定された。

③デフレ期(1949年秋~1950年秋)
1949年に来日したデトロイト銀行頭取ジョセフ・ドッジが、超均衡予算、復興融資停止、価格差補給金停止をアドバイス。1949年度予算は1567億円の黒字を計上する超緊縮予算となる。超緊縮財政によるデフレが発生。1945年4月25日からは、1ドル = 360円の公定為替レートが実施される。

第二次世界大戦後の通貨体制は、金本位制ではなく、ドルを基軸通貨と定め、ドルに限って1オンス = 35ドルの金との交換レートを設定。そして他国は自国通貨とドルに対する固定レートを定める。米国以外の国は、自国の金保有量に縛られる事無く、ドルと自国通貨の関係だけを考えれば良くなる(ブレトン・ウッズ体制)。

その中で、1950年6月25日に朝鮮戦争(1950年~1953年)が発生し、朝鮮特需が始まる。ドルが大量に日本に流入し、それに合わせて日本円も増刷可能になる。緩和政策への転換。

経済成長のために金を集まる時代は終わり、政府と日本銀行が目標を定めて貨幣量を調整する時代となる。

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