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逃げる「孫子」

読んだ本の感想。

守屋淳著。2004年8月15日 第1刷。



以下が、「逃走」を戦略的に使用する原理。

①迂回
目的地への速度を競う場合、敵と戦うよりも、迂回した方が早く到達出来る場合がある
②消耗
敵から体力や蓄えを削り、自分は体力を温存しておき、敵の余裕が無くなった時に戦う

<孫子十三篇の概要>
始計篇:戦争の影響の大きさ、臨機応変の重要性
作戦篇:長期戦の無謀を指摘
謀攻篇:戦わずに勝つ知謀に基づく戦い方
軍形篇:不敗の重要性
兵勢篇:奇正や勢い等の要素
虚実篇:主導権を握り、手薄に追い詰める
軍争篇:軍の行動特性や指針
九変篇:将軍が念頭に置くべき事柄
行軍篇:地形に応じた戦い方
地形篇:細かい地形毎の対処法
九地篇:地形における戦い方、部下への対処
火攻篇:火攻め、水攻め
用間篇:情報の重要性

<曹操>
各地に散在していた『孫子』を再編集し、一つに纏めて自らの注を施している。現在一般的に流通している『孫子』は曹操の再編集版。

200年に曹操(兵力二万)と袁紹(兵力十万)が戦った「官渡の戦い」は、『孫子』的思想では、戦ってはならない戦だった。しかし、逃げ場のない戦いであったために先頭を選ぶ。

曹操の戦術としては、まず延津に向かい、黄河を渡って袁紹の背後に回ると見せかけて、敵を引き付けてから白馬に急行して敵の不意を突いた。

⇒孫子 虚実篇における各個撃破の原理。敵を分散させ、味方を集中して戦う。虚実篇では敵を分散させる方法として、どこが攻撃されるか分からないようにするべきとある

⇒各個撃破のためには敵の情報を収集し、味方の情報を隠匿しなくてはならない

そして、曹操は袁紹軍の兵糧が積んである鳥巣を襲撃し、輜重を全て焼き払う事で勝利する。人間は食料と睡眠でエネルギーを補わなくてはならない

⇒その後の南方への遠征では、孫子 軍争篇における「五十里の遠征では、兵力や物資が半分しか戦場に到着しないから、上軍の将が討ち取られる」の言葉通り勢いが続かずに敗れる

******************

クラウゼヴィッツは、戦闘を決闘の拡大版として一対一の発想(敵の殲滅)であったが、孫子では敗戦部隊の大きさで勝利が確定するとして、敵が多数存在する状況を仮定している(自己保存)。ために謀略を使用して無傷で勝つ事を目指す

<毛沢東>
毛沢東が『孫子』を読んだのは、1935年頃(42歳)の時である。

1921年(28歳)に中国共産党に入党した毛沢東は、1927年(34歳)で井岡山を根拠地とし、朱徳と合流し、遊撃戦の思想を生み出す。

〇遊撃戦
敵が進めば退き、敵が止まれば攪乱し、敵が疲れれば襲い、敵が退けば追い掛ける。多い敵、他の敵部隊と近接している敵、堅固な陣地を持っている敵とは戦い難い

1930年末に、蒋介石の国民党軍の包囲討伐をうけた毛沢東は、敵を自軍根拠地に深く誘い入れて分散させ各個撃破する戦略を採用する。

しかし、李立三に消極的な戦術を批判されて実権を奪われる。李立三は都市での革命を実施しようとするが失敗し、次は李徳(オットー・ブラウン)、博古、周恩来のトロイカ体制となる。

李徳は、亀の甲戦術(堅固な陣地から一定距離机上離れない戦術)を採用する国民党軍に対し、敵殲滅を厳命するクラウゼヴィッツ的支持を与えるが、装備に優れた国民党軍が有利となる。

この苦境に付け込んで実権を奪い返した毛沢東は、長征を行い、延安に逃げ込む。その最中の遵義で行われた会議で『孫子』に言及があり、毛沢東は初めて『孫子』を読んで開眼する。

『孫子』における情報の重要性から、偵察や推論によって一般的に正しい指導を実現する事が可能とした。そして、逃げるためには堅固な根拠地が必要であり、そのためには広い国民の支持が不可欠と考え三大規律 八項注意という軍律を策定した。そして、退却しながら分進する敵軍の弱い部分を偵察し、地形を活かして各個撃破する戦術を採用。

<戦後の毛沢東>
中華人民共和国建国後の毛沢東は、対外的にはクラウゼヴィッツ的、対内的には孫子的に振舞ったとする。

〇国内
『孫氏』では、賞罰で人を動かす事が基本だが、他に以下のような記述がある。

九地篇:
兵士に作戦計画や軍の狙い等についての情報を知られてはならない

全軍を絶体絶命の窮地に追い込んで死戦させる

兵士に規定外の報奨金を与えたり、常識外れの命令を下す事で、全軍を自在に操作出来るようになる

⇒部下への情報を遮断して思考力の無い大軍を作り出し、逃げ道を奪って必死に戦うように仕向ける

毛沢東は建国後も、上記のような形を実行した。情報を遮断し、常識外れなキャンペーンを実施する事で、多くの人間が目先の指示に全力を尽くすだけの存在に陥った。そうして誰も自分に逆らえない体制を築く。

〇国外
戦争論的な殲滅戦の思想。

1950年代から米ソ冷戦が激化すると、核戦争が発生しても中国人が最も多く生き残るために有利だとした。

<ヴェトナム戦争>
ホー・チ・ミンは敵を麻痺させる事に対して『孫子』的発想を戦略の要諦として。

虚実篇:
敵の態勢に余裕があれば疲れさえ、食料があれば糧道を断ち、備えが万全であれば計略でかき乱す

軍争篇:
有利な場所で遠来の敵を待ち、休養を取って敵の疲れを待つ。これを「力」の掌握という

ゲリラ戦で敵を緊張状態に置く。対して米軍はクラウゼヴィッツ的殲滅戦略で対応。ヴェトナム人の多くが戦争を望んだために情報量で独立軍が有利であり、当時の国防長官マクナマラが重視した敵の死体数等の損耗率は、国全体を相手とする場合には不適だった。

損耗率を過大に評価する状態では、敵被害について虚偽の報告をする司令官が出世していき、正しい情報が伝わらない。1968年のテト攻勢では、40あまりの都市に攻勢がかけられ厭戦気分が米国内に蔓延。この時、ヴェトナム軍側もゲリラ戦でない正面攻勢のために被害が大きかったが、正しい情報が伝わらない米国はそれを活かす事が出来なかった。

ヴェトナム戦後に国防長官マクナマラが導き出した教訓は、「我々は敵も自分自身も知らなかった」という『孫子』の謀攻篇にある言葉と同じようなもので、以後、米国の国防大学では『孫子』の研究を組み入れていく。

<失敗について>
以下の二つの人間観。

①人間は間違える
②人間は強く美しくあらねばならない

『孫子』においては、②の立場であり、正しい指揮官が部下達を手足のように動かす事を理想とする。1960年代の米軍や経営理論も同様な思想を持っていたが、『孫子』における部下は地位を与えれば全力を尽くす甘い存在ではなく、死地に落として短期決戦で全力を引き出す視点があった。人間はボタンを押せばその通りに動く機械には成り得ない。

命令されるだけの駒扱いでは積極性が生れず、過ちが愚かさとして評価されない環境ではマイナス情報の隠蔽が生じる。

<ピーター・ドラッカー>
上記のような問題から、人間は間違えるという柔軟な思想を持つ経営哲学が求められた。

ピーター・ドラッカーの以下の視点。

・間違えない人間は信用出来ない
・経営者は自らの過誤を認識し得る能力に対して報酬を得る

計画を過信すると硬直化するため、間違いを柔軟に改めるべき。体系的廃棄 = 敗北を認める事が変化の原動力となる。

<マイケル・E・ポーター>
企業の強味、弱味について探究。

以下の三つの手法を提唱。

①低価格
②差別化
③集中

低価格か差別化のどちらかに集中し、中途半端はしない。

以下のような思想は『孫子』に近いとする。

〇勝者にも無益になるような消耗戦は避ける
〇ある事業単位に攻撃を仕掛け、他を疎かにさせる戦略
〇予告によって競争業者の気持ちを推し量る
〇競争相手に代替技術を奨励する
〇大抵の企業には脅威に対して過剰に反応する部門がある

<トム・ピーターズ>
以下の二つの原理を提唱。

①巨大組織を小さいユニットに分割
②年商二百万ドルを超えた組織は作り変える必要がある

権限を下に委譲する事で、他人任せの心理を排除し、水のように柔軟な組織にする。『孫子』の場合は指揮官と部下が分離するが、ピーターズは自分が自分の指導者になるように仕向ける。

『孫子』が志向するのは短期決戦であるが、長期戦では硬直化による弊害を避けるべき。『孫子』の「窮地」という方法は短期的に成果を出す事を目指すもので、ピーターズの「権限と責任」は長期的視点である。

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文明を変えた植物たち

読んだ本の感想。

酒井伸雄著。2011年8月30日 第1刷発行。



第一章 ヨーロッパ発展の原動力ジャガイモ
じゃが芋の原産地は、南米の東コルディエラ山脈と西コルディエラ・ネグラ山脈の間にある標高4㎞のアルティプラノ高原である。紀元前3000年頃には栽培が始まり、ティワナク文明(9世紀~11世紀)やインカ帝国発展の原動力となる。

芋類は地下で大きくなるので気候変動の影響を受け難く調理し易いが、水分が多いために保存に適さず、重いために大量輸送にも問題があり、同量のエネルギーを摂取するには穀物の四~五倍の芋が必要である。

<チューニョ>
乾燥じゃが芋。
四月~九月のアンデスは乾季となり、一日に30度以上の温度差が生じる。気温差が大きい六月~七月にじゃが芋を野天に広げて数日放置し、じゃが芋が凍結~解凍を繰り返すようにして水分を出し易くして、足で踏みつけて水分を抜いて、さらにそのまま乾燥させればコルク状の澱粉質のみが残る。生のじゃが芋の水分を80%とすると、重量が1/5になり、保存にも適すようになる。

⇒輸送や貯蔵に便利になった事で文明が発生した?

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じゃが芋は16世紀半ばにはスペインで栽培されるようになり、1580年代にはイタリアに、1588年にはオランダ、1600年までにはオーストリア、ベルギー、フランス、スイス、ドイツ、ポルトガルにまで伝わっている。

食糧としてのじゃが芋普及に貢献したのは、プロイセンのフリードリッヒ大王(1712年~1786年)で、じゃが芋の強制栽培令を発布している。冷害によって麦類の凶作が続く中、じゃが芋は救荒作物として有用だった。

フランスでは七年戦争(1756年~1763年)でプロイセンの捕虜になったアントワーヌ・パルマンティエが、帰国してからじゃが芋普及に活動し、ルイ16世の援助によってパリ郊外のレ・サブロンの原野で試験栽培を行っている。

18世紀頃にはアイルランドでも栽培されるようになり、1754年に320万人だった人口が1845年には820万人になり、1845年~1849年のじゃが芋の病気流行で大打撃を受けた。この時、米国に移住した人々がじゃが芋の栽培を米国に広めたとする。

*************

じゃが芋は麦類だけに頼った人々を飢饉から解放し、飼料としても活用された。寒冷地でもそだち、種芋を植えてから三ヶ月程度で収穫可能。

スウェーデン王位アカデミーのシャルル・スキテスは蒸留酒の実験で1747年に、一エーカーの土地から収穫したじゃが芋のアルコールを566とすると、同条件の大麦は156としており、じゃが芋は大麦の三倍以上のエネルギーを持つ事になる(アルコールは原料中の炭水化物を発酵させて作る)。

さらに、じゃが芋100gの中には35㎎のビタミンCが含まれており、じゃが芋の澱粉が水中にビタミンCが溶け出すのを防ぐ事から、水煮したじゃが芋には生の60%のビタミンCが残るとされる。新鮮な野菜が不足する北部欧州で、じゃが芋は壊血病予防に活用されたと思われる。

さらに余ったじゃが芋を豚の餌として活用するため、19世紀半ばには冬期にも食肉用に牛や豚を飼育出来る環境が整い、新鮮な肉を食べられるようになった。欧州を臭い肉から解放したのは香辛料ではなく、じゃが芋だった。

第二章 車社会を支えるゴム
<車輪>
紀元前3000年紀頃のシュメール人の絵文字に車を表すものがある。メソポタミアの出土品等から、当時の車輪は三枚の板を横木で繋ぎ合わせてから丸く切り出し、中心に心棒を通したものと推測される。車輪を長持ちさせるために外周部に皮を打ち付けて摩耗すれば取り替える。

紀元前2000年紀頃には、何本かの木を繋ぎ合わせて外周部を作り、それを木製のスポークで支える事で軽量化が実現した。

紀元前1000年頃にはケルト人が、車輪の寿命を延ばすために車輪に鉄の外周を付けるようになる。鉄の代りにゴムを使用するようになるのは、1845年頃?空気入りタイヤの特許取得は1888年頃。

<ゴムの使用>
南米から伝わったゴムは、1770年頃に鉛筆の字を消せる事が分かってから、1772年に消しゴムが英国で販売された。18世紀後半には生ゴムが精油に溶ける事が分かり、生ゴムを溶かして運ぶ方法が考え出された。

さらに、1839年にチャールズ・グッドイヤーが硫黄を混ぜる事で生ゴムの弾性を温度に関わらずに保つ方法を見つけ、カーボン・ブラック(細かい炭素の粒子)を練り込む方法を1900年?にモート?が発見した。

<ゴムの普及>
19世紀までの生ゴムは、アマゾン川流域のパラゴムの木から採取された。英国は、持ち出しが禁止されていたパラゴムの種子を1876年にヘンリー・ウィッカムに持ち出しさせ、1877年にはセイロン島でゴム栽培が始まる。

1889年には四トンだったマレー半島の年間生ゴム生産量は、1922年には世界生産量の93%を占めるようになる。1990年以降は、タイが生産量の世界一位で、1/3を生産する。

合成ゴムの研究では1933年に、ドイツのIG社がブナSの開発に成功し、米国も第二次世界大戦中に合成ゴムを開発し、1945年の生産量は82万トンである。

2009年現在の天然ゴム生産量960万トンに対し、合成ゴムは1200万トン。飛行機のタイヤ(高度一万m以上の低温と、着陸時の高温の落差)とコンドーム(0.02㎜の薄さ)には天然ゴムが使用されている。

第三章 お菓子の王様チョコレート
カカオ豆の利用は、紀元前1000年頃のメソアメリカのオルメカ文明に遡るという。高温多湿で育つカカオの豆は、以下の手順で利用される。

①発酵
果実から取り出した実を箱の中で放置し、果肉を液化させて実を取り出し易くする
②乾燥
カカオ豆の約55%は水分であるため、一週間~二週間で水分を抜く
③ロースト
苦味や弱くなり、香実味が生れる
④風選
実(ニブ)から殻(シェル)と胚芽(ジャーム)を除去する。実には脂肪が55%程度含まれるため、30度以上の高温で磨り潰すとペースト状になる。茶褐色のカカオマスの完成。

******************

チョコレートに砂糖を入れて飲むようになったのはスペインのカルロス一世とされ、1615年にフランスのルイ13世がスペイン王女アンヌ・ドートリシュと結婚するとチョコレートを飲む習慣がフランスに伝わる。1660年にマリー・テレーズがルイ14世に嫁ぐ頃にはチョコレートは上流階級の飲み物として定着していた。

1828年にオランダの化学者コンラート・バン・ホーテンがカカオマスから脂肪分の2/3を除去する方法を考案し、ココア粉の製造方法として特許を取得した。

英国のJ・S・フライ・アンド・サンズ社は、除去された脂肪分をカカオマスに加える事で、流動性のあるペースト = 固形チョコレートの元祖として1849年に発売した。

第四章 世界の調味料になったトウガラシ
紀元前8000年頃~紀元前7000年頃の唐辛子は、宗教上の儀式等に使用されたと推定される。やがて、蛋白質に塩味の単調な食事の中に、唐辛子の辛味がアクセントとなる事に人々が気付く。ペルーのアンデス山脈では同時期に唐辛子が栽培されている。

唐辛子は分類上は四種類に分類されており、ロコト(アンデス高地に分布)、南米大陸南部、アマゾン川流域、カプシコカム・アンヌーム(メキシコ原産)の内、カプシコム・アンヌームのみが世界的に普及している。

西洋では長らく観賞用の植物とされていたが、1806年~1807年の大陸封鎖令でアジアの香辛料が入手困難になると、唐辛子が香辛料として活用されるようになる。

***************

唐辛子の世界的普及に貢献したのはポルトガル人で、16世紀半ばには日本まで伝わっている。肉や魚にはアミノ酸のうま味が自然に備わっているが、野菜にはうま味が欠けているため、煮ただけでは美味にならず、澱粉質の単調な食事に唐辛子を使用する。澱粉質への依存度が高かったアジアやアフリカの国で唐辛子は短期間に普及した。

日本料理は、魚と野菜を中心に、素材の鮮度の味を引き出す料理であり、もともとがスパイスと縁が薄い。江戸時代に山葵を使用するようになったが、葱、芹、紫蘇、三つ葉が主で、唐辛子の普及は1825年にマイルドな七味唐辛子(辛味を中和するために胡麻や山椒、けしの実、蜜柑の皮の粉等を混ぜる)が売り出されてからだった。

江戸時代の辛味文化の中心である山葵と七味唐辛子は、客が使用程度を決定出来る事に特徴がある。

第五章 生活の句読点だったタバコの行方
タバコ属の植物は66の種があるが、その内45種はアメリカ大陸に生育する。喫煙用に栽培されているのは、タバクム種とルスティカ種の二種類だけである(両方ともアンデス高地原産)。

9世紀~11世紀に栄えたティワナク文明ではパイプを吸う太陽神の像がある。マヤ族やアステカ族にも喫煙の風習があったが神事であり、庶民が簡単に吸うもので無かった。

喫煙方法は種と関係があり、パイプの出土品がある地域はルスティカ種(乾燥すると細かくなり易い)の栽培地域と重なるし、噛みタバコ(南米北部沿岸、アマゾン川上流域)や嗅ぎタバコ(エイアドル、ペルー、ボリビア等)はタバクム種の栽培地域である。

スペインの植民地だったイスパニューラ島では1560年頃からタバコ栽培が始まり、スペインが栽培を独占していた。米国での栽培開始は、1607年のバージニア入植に求められ、1611年にジョン・ロルフが現地のルスティカ種でなく、欧州人好みのタバクム種の種子を入手し、1615年から英国に輸出している。タバコ以外には植民地経済を維持する産品は無かった。

<葉巻>
タバコは薬草として欧州にもたらされ、ペストや頭痛に効果があるとされた。19世紀まではスペインのローカルな風習だったが、1808年にナポレオン軍がイベリア半島に侵攻すると葉巻がスペインに駐留した英国人やフランス人にも普及した。

<嗅ぎタバコ>
ルイ13世の治世(1610年~1643年)のフランスでは嗅ぎタバコが嗜まれ上流階級に定着した。しかし、フランス革命後は嗅ぎタバコは旧体制の象徴として衰退するようになる。

<パイプ>
進出先の北米でパイプが使用されていた英国でパイプ喫煙が主流になり、1618年~1648年の三十年戦争によって、パイプ喫煙が英国からドイツ、オーストリアにも伝わった。

<シガレット>
細かく砕いたタバコの葉を樹皮等で巻いて喫煙するシガレットは中南米が起源で、スペインに伝わり、紙巻タバコになる。紙巻タバコはスペインからトルコ、ロシアにまで広まり、クリミア戦争(1853年~1856年)には英国やフランスにも伝わる。

何枚もの葉を必要とする葉巻は高価だし、陶器のパイプは壊れ易かった。紙巻は自分で刻んだタバコを吸うという簡易が気に入られた。

<煙管>
日本にタバコが伝来したのは、天正年間(1573年~1592年)までで、伝わった当初は高価だったタバコを活用するために煙管が生み出されたとする。刻んだタバコを一つまみ火皿に詰めるだけで、葉巻のように何枚もの葉を使用しない。

ならず者がタバコを吸い交わす事で誓いを結んだため、1609年には最初の禁煙令が出されるが、徐々に容認されていき、むしろ換金性の高い農産物として栽培が推奨されるようになる。

第六章 肉食社会を支えるトウモロコシ
玉蜀黍栽培はメキシコで始まったと考えられ、紀元前6800年~紀元前5000年頃の地層から原始的な玉蜀黍が見つかる。現在のような玉蜀黍は紀元前1500年以降の地層から見つかる。

以下の優れた特性。

①収穫率
播いた種から取れる種の量では、18世紀初頭の欧州での小麦が五倍~六倍、江戸時代の稲が三十倍~四十倍なのに対し、トウモロコシは八百倍
②面積率
玉蜀黍は同じ面積の畑で小麦の三倍以上の収穫がある
③適応性
北はカナダから南はアルゼンチンまで栽培可能

新大陸の先住民は紀元前1000年頃には、玉蜀黍、インゲン豆、南瓜を同時に栽培していた。玉蜀黍に含まれる蛋白質のアミノ酸価は13と低く体内での利用効率が低い。蛋白質を補うために、インゲン豆(全体の20%の蛋白質)や南瓜(ピタミンAや脂肪分)が副食となる。

欧州での玉蜀黍栽培は、メキシコ中央高原の栽培種が持ち帰られて栽培される1520年頃で、16世紀末にはトルコまで伝わった。しかし、食文化までは伝わらず、ルーマニアや北イタリアでしか日常食として定着していない(玉蜀黍の粉を練り粉状にして食べる習慣)。対して、16世紀中頃に伝わったアフリカでは主穀物となる。気温や日照時間が中南米と似ていたためかもしれない。

玉蜀黍には必須アミノ酸の一つであるリジンの含有量が低く、蛋白質を補う副食が必要である。さらに旨味が強いために、返って主食にすると飽きる。

現在では玉蜀黍の生産量の40%は米国であり、その45%程度が飼料として使用される。1935年に開発されたビタミンDの合成技術は紫外線を浴びずともビタミンを補給する事を可能にし、抗生物質の登場と合わせて家畜飼育方法を変えた。

牧草中心だった時代には体重500kg程度に牛を育てるのに三年以上が必要だったが、現在は生後一年以内に出荷可能であり、豚もかつては一年以上の飼育期間が必要だったが半年で100kg以上になる。

玉蜀黍はアミノ酸組成面で問題があるが、100g当たり350㎉のエネルギー量があり、大豆粕やコーリャン等の穀物と合わせる事で配合飼料にしている。

青い内に刈り取った玉蜀黍を、葉や茎と一緒に細かく裁断して乳酸発酵した飼料は繊維質を含むために、バランスの良い資料であるらしい。

終章 コロンブスの光と影と
新大陸に欧州人が入植した事の影響について。伝染病流行による先住民人口激減や梅毒の流行等。

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China 2049

読んだ本の感想。

マイケル・ピルズベリー著。2015年9月7日 第1版第1刷発行。



抽象度が低いため、鳥瞰的な視点から読む事が困難な本。

天安門事件を契機に、親中から反中に転向した著者の意見。

中国は、1949年頃から百年をかけて計画的に世界の覇権を握ろうとしていると主張。その本質は精密な工程表や詳細な青写真ではなく、態勢を整えておき、好機を逃さない事にある。

読んでいると、他者理解とは自己投影であり、自己と他者が同一でないと悟った時に憎しみが生じるように思える。著者は中国が米国に恐怖を覚え、支配されないために戦っているとするが、それは著者自身の姿勢でもある。

・中国に関する間違っていた前提:
①繋がりを持てば、完全な協力が得られる
②中国は民主化(米国化)への道を歩んでいる
③中国は脆い

米国はソヴィエト連邦への対抗上、中国を支援したが、中国は自らを偽って、弱く善良に見えるよう対外的に情報発信しており、報道からは真実を知る事は出来ないとする。

そうなると、本書に書いてある事の根幹は著者の推測という事になってしまう。以下の対中戦略は、著者が中国の戦略と呼ぶものと似ている。敵と戦うために敵になってしまうという事か。

・対中戦略:
①問題を認識する(中国を競争相手と認める)
②自分を知る(国内の対中支援者を知る)
③競争力測定(測れるものは改善可能)
④競争戦略を考える
⑤協力体制を作る
⑥反体制派を支援し、汚染者を突き止める

⇒他にもあったけど、全てを実行した場合、『中国』になってしまうんじゃないの?

【中国の思想】
毛沢東は資治通鑑を愛読した。その核は戦国時代の兵法であり、世界秩序は本質的に階層を成し、頂点には唯一の統治者が存在する。中国共産党の戦略は、容赦ない競争世界における生存競争を基本にする。

さらに歴史上の成功と失敗から具体的教訓を得ようとする。中国の公式発表や軍事政策においては、歴史上の出来事や格言が語られる。

以下は、戦略の9要素。

①敵の自己満足を引き出し、警戒態勢をとらせない
②敵の助言者を味方につける
③勝利するまで長期間我慢する
④目的のために敵の思想や技術を盗む
⑤軍事力は決定的要素ではない
⑥覇権国(米国)は地位を維持するために極端になる
⑦勢いを見失わない(騙す事と待つ事)
⑧自他を相対的に測る尺度を確立、利用する
⑨常に警戒し、騙されたり、包囲されないようにする

「鼎の軽重を問うな」とは、楚の壮王が、周王室に鼎(周が所有する釜)の軽重を問うた事から、周の所有物を奪う意図を疑われ、敵に対峙出来るまでは敵意を悟られないようにするという教訓に繋がる言葉。中国では、強くなるまでは欺くべきとする。

中華的思想からは、米国の競争と協力を繰り返す政策は、敵意と策略に満ちているように見える。

個人主義的な米国の価値観と異なり、中国には個人の権利が存在せず、中国が覇権を握る世界では民主主義が脅かされるとする。

【米国の中国支援】
1971年にニクソン大統領が対ソ戦略のために中国と交渉した事に始まる。

①インド軍の情報を提供
1971年9月、ニクソン大統領訪中を前に、第三次インド・パキスタン戦争について、インド軍の情報を中国に提供し、中国のパキスタン支援を認めた

②対ソ協力の約束1
1972年1月、ニクソン大統領は中国と協力してソヴィエト連邦に対抗する事を約束(対中禁輸措置からの転換)

③対ソ協力の約束2
ニクソン大統領は毛沢東と会談し、中国に対するソヴィエト連邦の攻撃行動に、米国が反対すると約束

④対ソ協力の約束3
ニクソン―毛会談と同じ日に、キッシンジャーは、葉剣英・喬冠華と対談し、中ソ国境のソヴェエト連邦軍の配置や核攻撃目標の情報を提供

⑤対ソ協力の約束4
1973年2月、北京で対ソを軸に米中協力して安全保障に努める事が確認される。

⑥対ソ協力の約束5
米国とソヴェエト連邦が交わす合意を全て中国とも交わす事を約束。1973年6月のニクソン―ブレジネフ会談の準備中に、キッシンジャーはその事を確認している

⑦人民解放軍への支援
1973年11月に北京を訪問したキッシンジャーは、ソヴィエト連邦が中国を攻撃した場合、「装備や他のサービス」を提供すると約束

⑧技術提供1
1979年1月31日、鄧小平は米国と科学交流を加速させる協定に署名。5年間で1万9000人の留学生が生れた

⑨技術提供2
1978年に調印された大統領指令43は、米国の科学を中国に伝えるプログラム創設を命じている

⑩軍事支援
チェスナット作戦。1979年頃に、中国北西部に信号情報傍受基地設立を許可。戦略情報収集で中国と協力

⑪軍事協力
1982年に米国とベトナム共和国軍が、中国、タイ、シンガポール、マレーシアの支援により、カンボジアプログラムをバンコクで展開。1984年にはその50倍の規模の協力をソヴィエト連邦をアフガニスタンから追い出すために行う。他にアンゴラでも対ソ協力している

⇒中国は弱者を装って米国から支援を引き出し、無為という戦略で他者同士を闘わせたとする

【米中対立】
著者は、1989年のソヴィエト連邦弱体化に伴い、中国政府が米国を危険な覇権国と見做すようになり、国内メディアを通じて米国に敵意を持つ者を育成するようになったとする。

1990年以降は愛国教育プログラムとして、米国が中国の繁栄を抑制しようとしてきた歴史が語られるようになる。中国国家博物館では、中国人民の歴史的優越と、外敵からの侵略に抵抗した歴史が展示されているとする。2004年から世界中に設立された孔子学院は、中国語と文化を学ぶ場として、中国の平和的イメージを外国に植え付けている。

中国古代の歴史を普遍的真実とするならば、米国は覇権国であり、戦国時代の覇権国のように利己的で疑い深く、無慈悲な振る舞いをするはず。

以下が、中国が米国に感じる恐怖。

①封鎖
中国の海岸線に沿って島々が並んでいるため、日本からフィリピンを抑えられると容易に封鎖される。領海内の資源等も奪取され、海上交易が脅かされる

②分断
広大な中国は陸路からの侵攻にも弱く、台湾やチベット、新疆などに分裂分子を抱える

【中国の軍事戦略】
越王勾践のように、中国は、機が熟するまで西洋に協力を約束し、弱体化するまで報復の機会を伺うとする。

人民解放軍の大佐が書いた『超限戦』という本では、直接的な軍事行動によらずとも、法や情報、経済によって勝利する事が出来る。

情報統制を重視しており、①直接的規制、②経済的利益と懲罰、③広告主等による間接的圧力、④サイバー攻撃等で、世論操作を行っている。

殺手鐗(強者に勝つための武器)として、敵を打ち負かすための新技術 = 非対称兵器の開発にも注力している。強襲レーダーやコンピュータウイルス等。安価な武器を秘密裡に開発し、敵が準備する前に使用する。米国軍は情報システムに依存しており、スパイ活動やサイバー攻撃に脆弱である。宇宙衛星への攻撃も手段の一つ。

【中国の米国理解】
特に1880年~1914年までの米国の外交史は、米国が英国を騙しながら覇権国の地位を奪取した過程とする。

共産党中央党校で学ばれている戦略プログラムでは、米国の繁栄は政府による企業支援にあるとしている。国内市場の保護や企業への経済支援を中国は模倣した。

助成金によって政府に育成された企業が市場を拡大し、醸造メーカー等が海外に工場を建てる事を支援している。また、米国は小麦やオート麦をシリアルに加工する技術等を欧州から盗み、ピルズベリー社が活用した。

1900年に製紙の新技術を持つドイツ企業を吸収合併して業界トップになり、鉄鋼業でも政府支援を行った。銅やアルミニウム製造、ゴム産業と石油産業は1880年代には世界的に支配した。

第一次世界大戦までに世界的指導者の地位になり、1914年からの50年間でエレクトロニクスや製薬も支配。

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海岸線の歴史

読んだ本の感想。

松本健一著。2009年5月8日 初版第一刷発行。



以下の三つの論点

①地形は人間の活動によっても変化する
②土地の経済的価値は社会変化によっても変わる
③経済以外の土地の価値

古代都市トロイアは、建設された頃の紀元前3000年~紀元前2500年頃はダーダネルス海峡に面していた。しかし、紀元前1800年~紀元前1275年頃には海岸線から3㎞~4㎞ほど内陸となり、現在では港の面影が無い。日本でも大浦や大津浜、大湊等の、かつては貿易港だったが、内陸の小さな川や漁港となってしまった土地が多くある。

人為的条件によって土地の価値が変わった例としては香港がある。1840年頃の人口は2000人程度だったが、2000年現在では800万人である。かつての沿岸交易では喫水の浅い船のために、外海の大波が入れない浅海が港として使用されたが、外洋交易が盛んになると、水深の深い港が活用されるようになる。

瀬戸内海の「鞆の浦」は、江戸時代までは海上交通の要所として潮待ち、風待ちに利用されたが、大型船が停泊出来ないために現在では小さな漁港になっている。鞆とは、外海から荒波が入り込まない湊口が狭い入り江の意。

日本の外洋交易港である長崎、横浜、函館、神戸も深い水深の港である。水深があって岸壁の切り立った湾は、そのままでは荷下ろしに不便なため、海岸部分を埋め立てる事になる。

<日本の海岸線>
日本は約3万5000㎞という長い海岸線を持つ。国土面積が25倍ある米国の1.5倍、26倍の中国の2.5倍。海岸線という言葉自体が、江戸中期以前には遡れない言葉で、西洋のコーストラインの翻訳語かもしれない。それまでは渚や汀という言葉が使用され、漁撈の場という感覚だった?

太平洋の荒波のために、近代以前の日本は日本海側の海上交通が発達。灘(舟が辿り着けない地)という地名は、日本海側では玄界灘以外に無い。それでも、国土の70%程度が山地であるために、海上交通が発達した。

また、凹凸に富んだ海岸線であるために、緩やかな曲線を中心とする中国の海岸と比較して、海洋生物を生む岩礁が多い。

<洋船と和船>
江戸期までの日本の船は、中央に帆を立てた椀型で、波の上に浮いて沿岸をつたって移動した。欧州の船は外洋の波を横切るため、中央に竜骨を備え、波を切る構造になっている。船内に波が入らないように甲板があり、水の中に入る船腹を大きくする。和帆船は水深5m~6mで十分だが、喫水の深い洋帆船は水深10m以上を必要とした。

和船の特徴は、瀬戸内海の浅海に適している。

<日本の歴史>
①古代
筏状の船に帆を立てて海岸沿いの浅海を走り、浅い湊についたと思われる。出雲大社や平戸島の志々伎が奈良や京都の朝廷と直接的に繋がっていた記述が日本書紀等にあり、港の重要性が伺える。

②中世
後醍醐天皇の隠岐の島脱出に村上水軍が関わっていた事等から、中世の幕府権力は水上まで支配していなかったと思われる。この頃から漁撈の場だった海岸を、交易を盛んにする地域権力が出現したのかもしれない。

③江戸時代
防風林として植えられた松から白砂青松の風景が形成される。新田開発が盛んにならなければ、潮風に強い松を海岸に植樹する行為は無かった。

米栽培以外にも、四木三草(桑、茶、漆、楮、綿、麻、藍)の栽培が奨励され、それらを港に運ぶ海上交通が盛んになった。織豊時代に1600万人程度だった人口が2600万人~3000万人程度になる。

④明治維新以後
近代日本の四大工業地帯は、京浜(横浜)、名古屋(名古屋、四日市)、阪神(神戸)、北九州(博多、門司)と近代的港湾とセットになっている。外国の資源を運び入れ、加工し、海に運び出す行為。


<江戸中期、寛政(1789年~1800年)の三奇人>
①林小平:「海国兵談」を著す
②蒲生君平:「山稜志」を著す。天皇関係の御陵を調べ直す
③高山彦九郎:内陸の上州出身。尊王を訴えた

1785年を初版とする「海国兵談」ではカムチャッカからの黒船が記述されている。国内交易のためだけに港を考えた時代から、国家の防衛を意識する時代。その危機に対処する意識から「海国兵談」は出版され、「日本」という国を明確化しなければ、防衛目的が定まらないとした。守るべきものを明確にする意識が、やがては国体や天皇という問題意識に繋がっていく。

そして、海国であり長大な海岸線を持つ日本の防衛方法は、大陸国家のように海岸線に砲台を並べるのでなく、船に大銃を備えるべきとした。

<日本的意識の変化>
近代の都市生活では海を意識する事は少ない。第二次世界大戦後は防波のために海岸が埋め立てられため、海辺の光景(安岡章太郎)、青幻記(一色次郎)、潮騒(三島由紀夫)のように海辺を描いた文学も少なくなっている。

1965年に発表された幻花(梅崎春生)は戦争中の海岸を描いているが、2000年頃に出版された海辺のカフカ(村上春樹)では海辺の光景は描かれていない。

高度経済成長を期に日本人は海岸を喪失したのかもしれない。著者は、経済的価値以外に、日本人的心性として、海岸を復活させたいのか?

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日本史の全貌

読んだ本の感想。

武光誠著。2011年9月15日 第1刷。



古代 日本国の起こりと貴族の時代
統一体としての初期日本は古墳に現れる。最初の古墳は、奈良県桜井市の纏向石塚古墳とされる。古墳には、弥生時代の墳丘墓のような地域性が無く、大和朝廷にならったものと思われる。六世紀には仏教が伝来し、当時の仏教文化は朝廷の置かれた飛鳥にちなんで飛鳥文化(飛鳥寺、四天王寺、釈迦三尊像等)と呼ばれる。

仏教以後も大陸文化の流入は継続し、国体も中央集権制が整い、遣唐使を通じて白鳳文化(薬師寺や法隆寺、興福寺)と呼ばれる唐風文化が栄えた。それは奈良時代の国際色豊かな天平文化(正倉院)につながる。

中央政権は初期には公営田等の朝廷が直接経営する領土を多く持ったが、貴族層が私有地を持つ流れを押し留める事は出来ず、10世紀には私有地の守護者たる武士が発生する。

その頃には日本独自の文化を尊重する風潮があり、11世紀初めには平仮名と片仮名の字形が一定になり、和歌が流行した。調度品として日本独自の蒔絵が生れるのもこの時期である。

中世 分裂から統一へ
11世紀の貴族対立である保元、平治の乱に加担した事で武家が勢力を拡大する。

源頼朝が諸国に守護や地頭を任命する権利を与えられ、個々の武士が持つ領地支配権を尊重し、幕府が裁判や朝廷との交渉を行う形の政権が成立した。

武家社会では一族の子弟に所領を分ける分割相続がとられていたが、鎌倉時代後期には実家の長である惣領の権威が後退し、守護等の有力武士の保護が求められるようになった。彼等は中小武士団を結集し、勢力を拡大し、鎌倉幕府に対抗するようになる。鎌倉時代は中央文化が庶民に浸透した時代でもあり、彫刻や絵巻物などの写実的なものが好まれた。

鎌倉幕府の次の室町幕府は、守護を通じた全国支配のために、地方武士を組織する守護の権限を拡大した(軍費調達のために守護に年貢徴発を任せる半済令等)。足利義満の頃の北山文化は、金閣寺や五山文学等、禅宗や中国の影響が強いとする。禅文化の広がりは、東山文化にも繋がり、幽玄、侘びという精神性が好まれた。

その後、室町幕府弱体化によって戦国時代となり、江戸幕府の支配が発生する。

近世 幕府支配下の安定の時代
1603年に征夷大将軍となった徳川家康が志向した政権は、兵農分離のもとで農村の自治を重んじた。日本全国を幕府の直轄領とする事は出来ず、1615年の一国一城令や武家諸法度等で大名を制限するものの、中央集権は出来なかった。

一方で農村の購買力は高まり、交通路の整備に伴い、三井(呉服)、住友(銅山)、鴻池(酒造)のように近代財閥の礎となる商人が台頭した。

文化的にも元禄文化として中下級武士や上流町人が生み出した文化を庶民が共有する文化が生じ、合理的な学問を広まった。

江戸幕府の支配力が低下していき、徳川吉宗が採用した年貢増徴策が小農民の生活を圧迫し、彼等の土地を吸収した大地主が台頭する。専売制や藩営工場を通じて農村で成長した資本家層を支配側に取り込む事は、小農民から少量ずつの年貢を取り立てるよりも効率的だったが、幕府は小農民の側に立つ政策を放棄出来なかった。

やがて外国勢力の到来によって新政府が確立する事となる。

近代 戦争の時代から国際協調へ
朝廷を中心とする新政府は、富国強兵を目指して西欧化を進めた。

外国貿易では綿織物業を重視し、国内で綿花を栽培し、綿織物に加工する体制が整った。そして日清戦争、日露戦争を通じて大陸に進出した日本は、韓国保護下や満州経営によって米国や英国の利権と対立するようになる。

開国による経済の発展は、安価な輸入品の流入等により、自給自足の形を破壊し、財閥の成長や社会主義運動を呼び起こす。義務教育によっても大衆文化が発展し、大量出版の時代を迎えた。

多くの大衆が文化の担い手となる事で、耽美派(谷崎潤一郎、永井荷風)、白樺派(武者小路実篤、有島武郎)、新思潮派(芥川龍之介)、新感覚派(川端康成、横光利一)等の多様な文学や芸術が栄えた。

日本は第一次世界大戦による欧州の没落により、ますます大陸に進出していく。自給自足によって戦後恐慌の被害をより直接的に被る人々は軍事による解決を望むようになり、満州事変や日中戦争、太平洋戦争が発生する。

戦争に敗北した日本は、米国を中心とする自由主義陣営に組み込まれ、冷戦下で高度経済成長を成し遂げる。

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カルメン/セルバンテス

読んだ本の感想。

メリメ著。昭和47年5月20日 発行。



『セルバンテス』を読んでいて、メリメの作品とセルバンテスの作品が類似しているように思えた。

カルメン
セルバンテスの「美しいヒターノの娘」に似ている。

カルメンではバスク出身の軍人ドン・ホセがロマ人の女カルメンに魅了され、盗賊団に入り、嫉妬からカルメンの亭主である「片目のガルシア」を決闘で殺し、終にはカルメンまで殺める。

「美しいヒターノの娘」では、貴族の息子ドン・ファンがヒターノ(ロマ人)のプレシオサに魅了され、戦争に出征するという口実で家を出て、ヒターノの泥棒稼業に身を投じる。嫉妬に苦しむ下りや、剣での殺害の場面も似ている気がする。ただし、「美しいヒターノの娘」では、プレシオサが誘拐された代官の娘である事が明らかになり、祝福ムードの中で殺害は有耶無耶になり、幸福な終わり方をする。

P77~P78:
ガルシアはさっそく、鼠をはらう猫のように、腰を折っていました。防御用に左手に帽子を握り、小柄を前に突き出して構えました。これがアンダルシア流の構えです。私はナヴァレ風に構えました。つまり相手の前に直立し、左手は高く掲げ、左足を前に、小柄は右の太股にぴたりとつける構えです。この構えになると、私は自分がどんな巨人よりも強くなったような気分でした

P89~P90:
あんたはまだわたしに惚れておいでだけれど、だからあんたはわたしが殺したくなるのよ。わたしはなんとでも嘘をついて今度もあんたをだますことくらい造作ないんだけれど、わたしにはもうそれさえする気がないのよ
(中略)
カルメンはいつだって自由な女よ。カリとして生まれてきたカルメンは、カリとして死んでいきたいのよ
(中略)
いまわたしはだれにも惚れていないの。わたしはあんたに惚れた自分をいま憎んでいる
(中略)
あんたをこのうえ愛しつづけるなんて、とてもできないことだわ。あんたといっしょに暮らすのがわたしにはもういやなんだもの

タマンゴ
『ドン・キホーテ』に似ている。

欧米人と奴隷貿易で取引するアフリカ人タマンゴの話。酒に酔って自分の妻アイチェを奴隷商人ルドゥに渡すが、酔いが醒めて妻を追いかけて捕らえられて奴隷になる。

奴隷達を扇動して反乱を起こし、終には船を乗っ取るが、動かし方を知らないために船は漂流し、タマンゴだけが生き残って救出され余生をジャマイカで過ごす。

タマンゴの風体や精霊によって船を動かして故郷に戻ると主張する箇所が『ドン・キホーテ』と似ていると思う。

P105:
タマンゴは白人の船長を歓迎するために着飾っていた。彼はいまだに軍曹の金筋のついたままの青い制服の古ぼけた上着を着こんでいた。左右の方にはそれぞれ金色の肩章が一つのボタンに止められて、一つは前方に一つは後方に揺れながら下がっていた
(中略) 
こうした風体でこのアフリカの戦士は、ロンドンやパリの生粋な伊達男とエレガンスを競うつもりでいるのだった。

P107:
奴隷たちはフランスの水夫たちに引渡された。彼らは急いで奴隷たちの木叉をはずし、かわりに鉄製の首枷と手錠を与えた。この一事によっても、ヨーロッパ文明の優位が、はっきり誇示されたものだ

マテオ・ファルコネ
コルシカ人社会にて、逃げ込んだ犯罪者を時計を渡されて密告した息子を殺害する父の話。『ドン・キホーテ』を念頭に入れて読むと違う解釈が可能になる。

他に収録されている『オーバン神父』、『エトリュスクの壺』、『アルセーヌ・ギヨ』も、セルバンテスの「嫉妬深いエストレ マドゥーラ男」や『ドン・キホーテ』の中の短編小説「無分別な物好き」を念頭に入れて読むと印象が変わる。何かを模倣しなければ愛する事が出来ない者達。

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セルバンテス/ドン・キホーテ 前編 下

読んだ本の感想。

『セルバンテス』(野谷文昭編:2016年12月25日 第1刷)と、『ドン・キホーテ 前編 下』(荻内勝之訳:2005年10月20日発行)。





『セルバンテス』に収録されている「ドン・キホーテ」は前編のみで、後半はダイジェストだったので、『ドン・キホーテ 前編 下』で補った。

最期にドン・キホーテ達の墓に捧げられた詩は、『ドン・キホーテ 前編 下』の方が面白いと思う。

「ドン・キホーテ」のテーマは、「学習による人間の欲望」だと思う。

主人公は騎士道物語を読み過ぎて狂ってしまった人間で、自らが騎士であるかのように行動する。周囲の人間が主人公と戦ったり、揶揄ったり、怖がる内に周囲の人間達も彼の世界観に巻き込まれていく。

作品内で展開される恋愛も、第三者が存在しなければ成立しない関係ばかりで、他の人間が自らの恋人を愛する事で、自分の愛情を確認している。

第49章、第50章で、ドン・キホーテと参事会員が、騎士道物語について議論する。客観的事実と主観的事実の対立。

【無分別な物好き】
第32章~第35章で朗読される短編小説。

新婚の騎士アンセルモが、友人のロタリオに自分の妻であるカミーラを誘惑するように依頼し、自分の妻の貞節を証明しようとする。誘惑は成功してしまい、一旦はカミーラの演技で疑いが晴れるが、結局は浮気が露見し、アンセルモは憤死、ロタリオは戦死、カミーラは修道女になる。

〇ギリェルモの娘マルセラ
羊飼いのアンボロシオとグリソストモなどにアプローチされるが羊飼いを続ける。

P160~P161:
恋心への返礼として、わたしも皆さんを恋するようにと、恋してほしいと、そして恋さなくてはいけないと言われます(中略)恋されたからといって、恋してくれる相手を恋さなくてはならないというのが腑に落ちません。それに美しいものを恋する男が醜いことだってあるでしょう。醜いものは忌み嫌われるのにふさわしいのですから、『美しいお前がすきだ、俺は醜いけど、愛してほしい』なんて言うのはすごく変です

〇カルデニアの話
婚約者ルシンダを友人であるドン・フェルナンドに奪われる。物語の途中で、ドン・フェルナンドの恋人ドロテアに出会い、それぞれが元鞘に戻る。

【ドン・キホーテの本棚】
第六章で、ドン・キホーテの姪に頼まれた司祭達が、ドン・キホーテの蔵書を燃やそうとする。司祭による検分。

①アマディス・デ・ガウラ全四巻:
スペインで印刷された最初の騎士道本

②エスプランディアンの偉業:
アマディス・デ・ガウラの息子の物語。他に、アマディス・デ・グレシアという本もあるらしい

③ドン・オリバンテ・デ・ラウラ:出鱈目かつ傲慢と評される
④フロリスマルテ・デ・イルカニア:硬くうるおいの無い文章
⑤騎士プラティール:作者不詳の古い本
⑥十字架の騎士:無知な内容
⑦騎士道の鑑:
レイナルドス・デ・モンタルバンが大泥棒の仲間と登場する。マテオ・ボヤルドの創作にヒントを与えたとしている

⑧パルメリン・デ・イングラテーラ:
類まれな本と評される。ポルトガルの賢王が手掛けたという噂。ミラグアルダ城での棒絵kンが見事とする

⑨ドン・ベリニアス:
胆汁が多過ぎて怒りっぽいという評価。床屋に保存されるが、誰にも読まれないようにとされる

⑩その名も高き騎士ティラン・ロ・ブロン:
勇敢な騎士ドン・キリエレイドン・デ・モンタルバンの話。文体によっても世界一優れた本という評価。騎士達の食事や遺言という類書には見られない行為

⑪ラ・ディアナ:
詩集。賢女フェリシアと魔法の水の個所、長詩句の個所を削る必要があるとする

⑫愛の運命全十巻:異彩を放つ出来が良い本
⑬フィリダの羊飼い:思慮深い宮廷人
⑭珠玉の詩選集:詩の数が多過ぎる。作者は司祭の友人

⑮ロペス・マルドナード歌集:
作者は示唆の友人。良書とする

⑯ラ・ガラテア:
ミゲル・デ・セルバンテスの書。独創性があるが尻切れトンボで、第二部に期待とする

他に、ラ・アラウカーナ、ラ・アウストゥリアーダ、エル・モンセラーテ、アンジェリカの涙等の英雄詩があり、スペインが生んだ最高傑作と評価する。

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日本人と中国人

読んだ本の感想。

イザヤ・ベンダソン著。平成17年2月10日 初版第1刷発行。



難しい本だった。

明治維新が中国化革命であり、思想としての「中国」を絶対化するがために、理想通りでない現実の中国を憎むようになるという主張?それと第二次世界大戦中の日本感情的行動との結びつきが良く分からない。

<日中戦争における謎>
1937年のトラウトマン駐支独大使による和平斡旋により、蒋介石が①満州国承認②日支防共協定締結③排日行為の停止等の日本側の主張を受諾したにも関わらず、日本軍による南京城総攻撃が開始された事。

日本軍の決定には、決断した者が存在せず、市民感情によって攻撃が行われたとする。

〇江戸時代の中国思想流行
江戸時代に日本に亡命した朱瞬水によって、中国思想が伝播した。楠木正成の神格化は、江戸時代に発生したとする。楠木正成の墓碑である湊川の碑は1692年の建碑とされるが、裏面の文章は朱瞬水の作とされる。

1687年に出版された『靖献遺言』は、中国思想の殉教者の記録である。それまで日本には殉教者を尊ぶ気風は存在せず、中華的殉教者として楠木正成が再構築された可能性。

輸入された中国史王に基づいて過去を再評価すると、僅かな例外を除いて全員が不忠者になってしまい、過去が基本的に否定されてしまう。明治維新後の日本でも、摂関政治や武家政治は誤りであるという思想と、世界に冠たる日本史という思想が併存していた。

日本は歴史的に中国の周縁であり続け、中国文化否定は自己否定であり、中国に対抗するには中国の文化形態を移入して、それによって対抗する形を取る。現実の中国と、理念の「中国」を分離し、歴史的所産を伝統として客体化して対処する。

この場合、異民族が中国を政治的に支配しても、文化的支配権を入手したとは言えない。この思想を日本に当て嵌めると、天皇家が「中国」で幕府が「夷」という図式になり、尊王攘夷運動に繋がっていく。

<豊臣秀吉の話>
豊臣秀吉は、天下人となった後も、諸侯は建前としては先輩や同盟者であり、純然たる部下として遇する事が不可能だった。そのため、天皇への忠誠という形で自己の統治権を確立した。

諸侯に対して、天皇への起請文を出させ、天皇から任じられた関白に従うという形式で諸侯の誇りを傷つけずに自らに服従させる。室町時代の復古思想 = 古代は平和であったという古代礼賛感情を天皇に集約させた。

************

豊臣秀頼の朝鮮征伐は、織田信長の踏襲と思われる。1580年に織田信長は朝鮮仲介で明国に、日中貿易再開を申し入れている。①対明貿易再開②朝鮮貿易船数増加③船の大きさを制限しない④薺浦の開港等で、織田信長の意図は朝鮮との貿易活発化にあったと思われる。

豊臣秀吉の残した『箱屋文書』では、朝鮮と九州・四国を同列に置いている。四国に進攻して長曾我部を討って元親を降伏させた後に、土佐一国を与えて、朝鮮征伐の先鋒にする。降伏させた敵を次戦の先鋒にする方式で東アジアを処理出来ると考えていた。

さらに天皇家を北京に移す思想からは、中国を本家と見做す思想が伺える。だから明国から豊臣秀吉を見ると、日本が中華の属国である事を自認している人間に見える。

だから和平交渉時に「爾を日本国王に封じる」とする。しかし、豊臣秀吉は天皇家の権威によって自らを正統化していたため、中国の権威も同時に持ち目る事が出来なかった。武家というよりは天皇の権威に依存する公家の立場。

<崇拝と蔑視の逆転>
1829年に出版された『日本外史』(頼山陽)は、ベストセラーだった。皇国史観の民衆的要約であり、軍人勅諭にも影響したとする。

江戸時代の思想の系譜として、本居宣長が日本史の観点から中国思想の権威を否定していくと、その論理を活用して平田篤胤が中国思想を罵倒していく。

平田篤胤は、中国という絶対の権威と、その象徴である儒者の偶像を民衆の側から破壊した偶像破壊者だった。しかし、平田篤胤自身に独創的思想が無いために、その壊された後の社会に『日本外史』が広まっていく。

外国を権威として尺度とし、その尺度で自己の歴史を計ると自己のほとんどは賊となる。しかし、理念化、体系化、図式化した尺度で本家の外国を見ると、外国も基準から外れているために、今度は自己こそが本家となってしまう。

平田篤胤は、中国の基準にかなう例外的日本人を「全日本人」とし、それを基準にして中国を計るから、孔子という例外以外は全中国人が賊になってしまう。

日本の天皇制においても、「内なる天皇」と現実の天皇を同一視した場合、天皇に任命された政府が奸となってしまう。その理由は、明治維新以来の欧化政策である。天皇を西欧の法的基準で定義する天皇機関説は、尊皇思想と対立するが、その場合、尊皇思想が天皇自身を規定する絶対者となる。

何者も自らの思想の合理性を完全には論証出来ない。権威を借用して追随するのみ。外部の絶対者のイメージを自己と一体化し、一体化したと思い込めない限り精神的に安定しない。

このように「内なる中国」を絶対化し、「外なる中国」を排除した事が、日中戦争継続の理由?この論理が良く分からない。「蒋介石を相手とせず」という日本政府の声明は、「蒋介石が日本の内なる中国に適合するイメージを更新する」なら受容するという事?

当時の日本人は、自らの「内なる中国」が尊皇思想の帰結によるイメージであり、「外なる中国」とは別だという事が理解出来ず、他国という意識が無いままに現実の中国を排除したとする。

中国が自らのイメージ通りに行動しないと取引が成立しない。

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多文明世界の構図

読んだ本の感想。

高谷好一著。1997年1月15日印刷。



以下は、「新世界秩序を求めて」の記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-2648.html

上記にて模索していた世界単位(人々が共通の世界観を共有する地理的範囲)を考える。

その方法論として①鳥瞰(世界を生態系によって区分する)と②実施(住民の価値観を実際に聞く)という二つを往還しており、全てを自分で見聞きする事は不可能であるために類推に頼る事になる。

第一章、第二章の内容は、ほぼ前著と等しい。第三章からの著者が類推する世界単位が、本書の独自だと思う。

<ユーラシア>
ユーラシア大陸の生態型を以下の5つに分ける。

①砂漠
ユーラシア大陸を横断し、四大河川が例外的に文明を栄えさせた。オアシスを利用した貿易路。
②草原
砂漠帯の北を並行してトルコからモンゴルまで続く。遊牧に適しており、武力の場として特徴付けられる。
③野
中国中央部とインドが、ユーラシアの大きな野。落葉樹と常緑樹の混合林が広い農地となった農民の空間。
④森
ユーラシア北方と東南アジアに拡がる熱帯林。人間を拒否する空間。
⑤海
居住出来ないが移動には便利。

<インド亜大陸>
ヒンドゥー教が以下の五つを纏める世界。

①デカン高原
玄武岩台地で肥沃ではあるが、雨が少ないため雑穀畑となる。
②インダス乾燥谷
完全な砂漠でありインダス川を利用して小麦を作るが、多くは放牧を行う。
③ガンジス湿潤谷
雨やヒマラヤからの流出水を利用して稲作を行う。
④東部丘陵地
ベンガル湾からの風が齎す雨を利用した稲作。丘や山が多いため、丘陵の間に水田が連なる。
⑤西岸多雨林帯
インド洋のモンスーンを受け、胡椒や肉桂等の熱帯の森林産物を産する。
⑥北部山地
ヒマラヤに続く山地。牧畜が盛ん。

インドでは、インダス乾燥谷を中心とするドラヴィダ系民族(灌漑麦作・牛飼いをする定住者、インダス文明)と、ガンジス湿潤谷を中心とするムンダ系民族(稲作)を紀元前1800ン円頃にアーリアンが侵略し、バラモン教を持ち込んで支配した事で一体化した。

紀元前1000年頃にムンダ系民族を征服すると、マウリヤ朝として統合され、結節点であるパータリプトラを都とした。インドにおける統一王朝はパータリプトラを都とする傾向がある。

インドではインダス乾燥谷から次々と騎馬民族が侵入するため、政治的に不安定である。四世紀~六世紀のグプタ朝は農業中心的であり、バラモン教も農村を中心とするヒンドゥー教に変質していく。インドではジャーティー制度として職業が生れ流れに固定され、ヴァルナとして貴賤が定められる。

<イスラム世界>
以下は、イスラムの世界群。

◎シリア・イラク
チグリス・ユーフラテス両河流域。紀元前4000年頃のシュメール文明が生れた地。

◎エジプト
紀元前3000年頃から高度に利用された農耕地。アレキサンダー大王のアレキサンドリア(港町)建設により海の要素が加わる。10世紀のファーティマ朝時代にカイロが創られ、交易が第一となる。

ファーティマ朝は12世紀後半に崩壊するが、次のアイユーブ朝、マムルーク朝でもイスラムの商人王がカイロに都する構図は変わらない。一方でナイル農業自体も国の柱である。

◎ペルシア世界
平均高度1000mの高原でありアーリアン、シーア派が住む。王に依存するナイル農民に対し、集落運命共同体的なペルシアの農民とする。

◎トルコ世界
草原帯。シリア・イラクをイスラム文化の中核とすると、周辺的。

◎マグレブ世界
ベルベル人。地中海沿岸でオリーブと麦を同一の畑で作る。

◎イエーメン世界
アラビア半島南端の農業世界。

◎アフガン世界
ペルシアに近い。尚武的。

◎トルキスタン世界
サマルカンド、タシュケントを中心にした東西交易の要。

◎モンゴル世界
典型的な草原の世界。

◎チベット世界
高い標高の草原の世界。

上記の砂漠・草原帯にあって、移動の激しい遊牧民や商人が地域的均質性を齎し、定着した農民が細分を可能にする。農民も農地移動や巡礼等で旅をする事が多く、イスラム圏は均質な傾向があるらしい。

<海の世界>
◎インド洋世界
アラビア海とベンガル湾を含む。砂漠から熱帯雨林まで多様な生態を包括する。

◎地中海世界
四周が乾燥した石灰岩台地からなる菌室で小さい海。紀元前3000年頃に現れたフェニキア人が交易を行い、後にヴェネツィアが活躍する。

◎北海・バルト海世界
川と湖が多く、陸路が使い難い。以下の三つの時期。

①バイキング時代(八世紀~十二世紀)
海に展開したゲルマン的農民が交易兼略奪を行った。北海からノルウェーに展開しノルマン朝を建てて地中海のシチリアにまで進出したグループと、バルト海のゴトランド島を中心に、キエフを建設してドニエプル河、黒海を中継してイスラム商人と交易したグループがある。

②ハンザ同盟時代(十三世紀~)
ドイツ商人が、ロシアの穀物・木材やノルウェーの塩漬け魚肉や魚油を運んだ。

③オランダ時代(十六世紀~)
英国から原毛を輸入して織物に加工し、販売したオランダ商人の活躍。オランダは最初は国ではなく、幾人かの承認がアムステルダムを根拠地に海域を牛耳った。領土的関心は無く制海権だけを握って富裕になる方法はヴェネツィアと同等。

◎東アジア海域世界
朝貢貿易を主体とする。海と陸の勢力の衝突がしばしばあり、海民勢力の中心である浙江財閥の蒋介石が、陸民の盟主である毛沢東と衝突し、陸民が勝利したとする。

◎東南アジア海域世界
マレー語圏。基本的に生活の海で、19世紀末までは森林物産を採取、搬出していた。その後、植民地経済の進行によって開発が行われた。

<欧州>
温帯混交林でケルト・ゲルマン系民族が焼畑、牧畜、狩猟を行った(汎神論)。キリスト教が伝播すると、高級文化を受容する余裕がある上層部と、下層部の差が広がる。ラテン語を話す選良と地方語を話す一般民衆等。

各地域はラテン語を話す王を主体とする家産制国家であったが、領土統合の結果、諸問題を王だけでは処理出来なくなったため、官僚制を整備し、業務を分担するために地方語が導入される事になる。王も地方語を使用するようになり、経済・文化圏が分化していき、国民国家が育まれていく。

◎フランス
パリ周辺の大きな盆地。パリは、地中海に直結するローヌ川を持つ。七世紀の欧州は四、五戸を一塊とする集落が一般的だったが、パリ盆地には五十戸を擁する大集落があった。十六世紀にはブルボン朝が栄え、イタリアのルネサンス文化を導入。

太陽王ルイ十四世(1643年~1715年)は宮廷文化を完成させ、パリに集まった人文主義者達が啓蒙思想を発展させていく。

◎ゲルマン世界
森で覆われた丘陵地帯。パリ盆地のような平坦地が無いため、大勢力が無く、領邦国家のような小集団が散在した。世俗中心の@パリと、宗教的中心であるローマから発信される普遍的価値と距離を置きつつも考える風習?

パリ盆地では王が商人と結び付いて勢力を伸ばしたが、ゲルマン世界は神聖ローマ帝国があり、やがては宗教改革が発生する。

◎イギリス
後進地。パリに宮廷文化が栄えていた頃は、フランス北部フランドルに供給する羊毛を生産する地だった。ヘンリー八世(在位1509年~1547年)によって原毛に輸出税、毛織物の輸出税軽減が行われ、毛織物工業が盛んになる。

海外進出については、東南アジアがオランダに抑えられていたためにインドに着目し、インド綿を用いた綿布産業が産業革命に繋がっていく。

著者は、英国人の紳士風を、後発であるがために生活様式や教養が重視されたとしている。

********************

【世界単位の類型】
①生態適応型
ジャワ世界や大陸東南アジア山地等。与えられた生態の上に、それに対応した生業が生まれる。
②ネットワーク型
居住に適さない人口希薄地に、ネットワークが生まれる。
③大文明型
中華世界とインド世界。高密度の人口が広範囲に広がる。人口の基盤は農民であり、その周辺に牧民や商人がいる。

東洋の歴史は、自形的な中華皇帝と、他形的な海民商人との相克の歴史である。中華皇帝の記録する歴史は朝貢であり、複雑な礼法があるが、商人達は便宜的に従っているだけで自形的な王に他形的に対応している。

近代とは欧州が武力を背景に量産した織物を世界中で販売する事で始まった。本来のネットワーク型世界は他形的であったが、強力な武力のために欧州は自形的となる。

現代は強制販売システムを基盤にしている。

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ゲルマン紙幣一億円

読んだ本の感想。

渡辺房男著。2009年12月1日 第1刷発行。



1870年~
1872年の話。

明治維新到来に伴う旧貨から新貨切り替えに伴い、藩札を買い占める事で一儲けを企もうとする者達の話。

ゲルマン紙幣が出来上がるまでに一年~二年が予想され、今すぐに新貨幣に切り替える事は出来ないため、小判と交換する事を持ち掛ければ、安いレートで藩札と交換出来るとする。

<ゲルマン紙幣>
明治政府の発行する新しい紙幣。明治通宝。ドイツで印刷されるためにゲルマン紙幣と呼ばれる。複雑な版面を反転工程して凸版し、紋様が均一になる。最初に細かい紋様を刷って、その上に鳳凰等の大きな図柄を刷り重ねるために白地の空白が無い。

明治五年に発行され、明治九年には従来の紙幣と入れ替わるが、百円と五十円、十円と五円、二円と一円が、同じ紋様、寸法であったために額面の数字を書き換える偽造紙幣が出回る。

西洋紙を使用したために顔料が十分に浸透せず、脱色し易かったためで、和紙を使用した神功皇后札が新たに発行され、明治十八年には日本銀行券の発行が開始される。

【登場人物】
野島小太郎(24歳~26歳?):
広島藩会計局に勤務していた。藩命で偽札を作成していたが、新政府となって偽札作成露見を恐れた藩に放逐され、新貨幣切り替えを利用した一儲けを目論む。

吉兵衛:
贋金の目利きをしている。野島小太郎と組んで藩札の買い占めを行う。買い占め途中で贋金を使用し、逃亡中に死ぬ。

おりん(18歳~20歳?):
計算が得意。両親が戊辰戦争で死亡?し、吉兵衛に面倒を見て貰っている。

柿田徹:
広島時代の野島小太郎の同僚。新政府に勤めるが、雄藩の出身でないために冷遇され、野島小太郎に新貨幣切り替えに関わる情報を渡す。
それと別にゲルマン紙幣の偽物を確保するが、それが露見し狂う。官憲に逮捕される時に、野島小太郎の近くにおり、巻き添えで野島小太郎も獄死する。

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歓迎会だった

今日は歓迎会だった。

他人と話すと疲れてしまう。

「私、イケメンが好きなんです。結婚するなら格好いい人がいい」

何て答えれば良かったんだろう?

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水野理瀬シリーズ

読んだ本の感想。

恩田陸の『三月は深き紅の淵を』に連なる物語群。現在、水野理瀬シリーズの完結編が連載中という事だけど、もうこの作品は出来上がらないのだろう。

作者の初期作品である『六番目の小夜子』、『球形の季節』を下敷きに、特別な人間達を主軸にする。

シリーズ後半にいくに連れて読むのが辛くなっていく。恩田陸初期作品は、脇役にしかなれない者達の話であるが、水野理瀬シリーズは主役である特別な人間の物語。『六番目の小夜子』や『球形の季節』では伝説の転校生をめぐる周辺が主だったけれど、視点が違う。

だから、全ては主人公の周辺者達の演技であり、主人公を目立たせるための作為のようにも思えてしまう。

どちらにしても帝国は完成しなかった。創作活動が、築くはずだった巨大の残骸を片付ける作業と感じられ、だから読み進めるのが苦痛なんだと思う。

********************

それから、物語の特徴は、自らの欲望を持たず、他者の欲望によって渇望する人々。

『三月は深き紅の淵を』の第三章 「虹と雲と鳥と」に登場する篠田美佐緒は、何の渇望も持たない故に、他者の憎悪や嫉妬を煽り、その情動を自らに投影して死んでいく。

小林祥子に憧れる穂積槙子は、『黄昏の百合の骨』に登場する脇坂朋子の原型だと思う。憧れは嫉妬であり、穂積槙子が想定する篠田美佐緒の小林祥子への嫉妬は自らのもの。それが『黄昏の百合の花』では、自らより優位にある者への嫉妬として描かれているように思う。

以下、ネタバレ含む。

三月は深き紅の淵を
2001年7月15日 第1刷発行。



架空の書物である「三月は深き紅の淵を」に纏わる物語群。

第一章 待っている人々
五年目の若手社員 鮫島巧一は、会長である金子慎平の家で毎年行われる「春のお茶会」に二泊三日で参加する。家の中にある幻の書物「三月は深き紅の淵を」を「柘榴の実」というキーワードから探す。

結局、「三月は深き紅の淵を」は金子会長が友人の宿泊客達と四人で合作中の物語であるとされる。

【他の宿泊客】
鴨志田:
銀座の天麩羅屋の三代目。

一色流世:
英米文学の教授。

水越:
横浜でホテルを営む。

【三月は深き紅の淵をの構成】
四部になっている。

①黒と茶の幻想(風の話)
四人の壮年(老年)の男女が屋久島?で旅をする。途中で様々な謎について話す。
・砂漠の外れの塔で三人の修道士が首を吊る
・霞が関の電信柱に小人の手形が付く
・密室状態の広場から子供達の集団が消える
・学校の校庭に「9」という数字を机で並べて書く

お祖母ちゃんの家の夜の話で、家の奥の座敷に、黒い漆塗りの盆の柘榴の実が盛ってある描写。

②冬の湖(夜の話)
失踪した恋人を、主人公の女性が恋人の親友と探す。キャンピングカーで来たに向かう。失踪者の昔の恋人の殺害事件が語られる。青森まで辿り着いて終わり。

死んだ彼女が発見された時、台所の流しに柘榴の皮が捨ててあった。

③アイネ・クライネ・ナハトムジーク(血の話)
海辺の避暑地にやって来た少女が、腹違いの兄を探す。

主人公が別荘地の少年から受け取るポストカードの写真が柘榴である(赤い透明なカプセルをバスケットに埋め込んだ玩具のような果実)。

④鳩笛(時の話)
物語作家が、浮かんだイメージを纏まりなく描く。物語を想像する場面に柘榴が出てくる。

第二章 出雲夜想曲
編集者である堂垣隆子、江藤朱音が北陸にいる「三月は深き紅の淵を」の作者を目指す。「三月は深き紅の淵を」は、1970年代半ば~1980年頃に書かれた本で、第二章現在はその二十年後くらいらしい。

【作者候補】
佐伯嗣瑛:純文学の大家。ミステリーに関する評論も書く
両角満生:耽美的作家
斉藤玄一郎:文芸評論家、大学教授

「黒と茶の幻想」で、夕方わざと障子の同じ箇所を破る老女の話、白馬の群れが浮かんで見える鉄橋の話、坊主めくりの本当の意味、角のある赤子の死体が埋められた教会の話、恐竜の骨の前で墜落死した男の話等が収録されているとする。

「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」に聖と黎二という人物が登場する事が語られる。

堂垣隆子は、「三月は深き紅の淵を」の作者を両角満生の娘と推測する。二人の娘の内の一人は、江藤朱音であるらしい。

第三章 虹と雲と鳥と
高校三年生 篠田美佐緒と高校二年生 林祥子が墜落死する。二人は異母兄弟であり、父親が殺人犯である事を知った篠田美佐緒が、完璧主義の林祥子にその事実を告げ、無理心中の体裁を取る。

篠田美佐緒の家庭教師だった野上奈央子は、彼女達の物語を書く事を決意する。

第四章 回転木馬
作者の構想風景を描く。水野理瀬の物語の原型。男性のように育てられた麗子。

P428:
これはひょっとして麗子の世界じゃないかしら。あたしたちは本当にここにいるのかしら?あたしたちは麗子の作った、この赤い日記帳の世界に生きてるんじゃないかしら―理瀬、もしかするとあたしたちはまたどこかで会えるかもしれない―また別の世界で―別の三月の国で

*************

P69~P70:
現代の我々の生活が巨大な入れ子であるという状況が影響していると考えています。TVドラマを見て、ドラマのストーリーや人物のキャラクターが商品や記号として語られる(中略)スイッチを切ったとたん、箱の中の物語は終了。我々はその外側の生活を生きる。新聞を読めば、我々の日常生活はまた、現実という海に多数漂流する小さな箱の一つでしかない。その外側には得体の知れない悪夢のような世界が広がっているわけです。その昔は、人間がマクロな視点というものを獲得するにはそれなりの努力が必要でした。命を懸けて大航海をするか、宗教や、哲学といったものから学んでいくしかなかった。しかし、現在ではいとも簡単にマクロな視点が手に入る。航空地図でも、青い地球の写真でも、みんなが神の視点を手に入れたわけです。そのことによって広い世界を獲得した人がいるかもしれないが、実際にはそれほどみんな幸せにはならなかった。自分の存在の卑小さだけが身に迫り、他人との差別化に血道を上げることになる。ゆえに、他人の人生がジェットコースターのように展開され、自分の掌に収まるフィクションが好まれるということになる。自分の人生が他人に消費されているということを否定し、他人の人生を自分が握っているという錯覚に陥ることを望む。自分は外側の世界にいたい、という気持ち。それがこんなに多くの入れ子式構造の物語を産んだ背景ではないでしょうか

麦の海に沈む果実
2004年1月15日 第1刷発行。



麦の海に沈む果実

私が少女であった頃、
私達は灰色の海に浮かぶ果実だった

私が少年であった頃、
私達は幕間のような暗い波間に声も無く漂っていた

開かれた窓には、雲と地平線の間の梯子を登っていく私達が見える。麦の海に溺れる私達の魂が。

海より帰りて船人は、再び陸で時の花弁に沈む。

海より帰りて船人は、再び宙で時の花弁を散らす。

********************

上記の詩は、この物語が果実(主役)の物語であり、麦(脇役)の物語ではない事を示しているのだと思う。

13歳?の一年間の記憶を持たない水野理瀬が記憶を取り戻すまでの話。

◉二月の最期の日
水野理瀬(二年生)が全寮制の中高一貫校に入学する。

<ファミリー(水野理瀬が帰属する集団)>
年次は四月からのもの。

聖:六年生。M工科大学への留学が決定している
寛:五年生。指揮者希望
俊市、董:いとこ。三年生と二年生。テニスプレイヤーを目指す
光湖:四年生。亜麻色の髪と瞳
黎二:四年生

◉三月
校長との茶会。降霊会によって死者の魂を呼び出す。校長の親衛隊の一員 修司が屋敷外で殺される

◉五月祭
憂理が推理劇を行う。劇の途中で麗子が乱入し、その後、自殺したと伝えられる

◉初夏
学園内のパーティー。麻理依の死亡。麻薬や地下施設の話。

◉10月
ハロウィーン。薬を飲んだ理瀬が記憶を取り戻す。生きていた麗子が黎二を刺し殺す。

睡蓮
『図書室の海』に収録されている。発行―2002年2月20日。



P72:
理瀬からは、誰よりも大きな花が咲くだろう。でも。(中略)そのためには暗くて冷たい、ぬるぬるした泥の中に沈まなきゃならない

P72:
小学校から帰ってきても、兄たちが帰るまでにはかなりの時間があった。二年生になったばかりの時にここに引っ越してきたが、既に稔は高校生だったし、亘は中学三年で受験を控えていた

P73:
理瀬、源氏物語って知ってるか?

P82:
リセハ、ゲンジモノガタリヲシッテイル?

黄昏の百合の骨
2004年3月10日 第1刷発行。



高校二年生になった水野理瀬の話。英国に留学後、紫苑高校(長崎県?)に入学した。

居住する白百合荘には、梨南子、梨耶子の二人の叔母(祖父の前妻の子)がいる。白百合荘は、かつて軍の諜報活動に使用されており、地下には軍関係の死体が薬品で溶かされ、放置されている(ジュピターの隠語)。死臭を百合の香で誤魔化そうとする思想。

近所に住む脇坂朋子は、幼馴染の勝村雅雪の友人 田丸慎二からアプローチされている。脇坂朋子は、水野理瀬の従兄弟である亘に懸想しており、しつこい田丸慎二を白百合荘の地下室に幽閉し、梨南子や水野理瀬の前で自分の身体を切りつける。

最期に、水野理瀬の婚約者のライバルに雇われた梨南子が水野理瀬を毒殺しようとするが、稔達が乱入して失敗し、自殺する。

P172:
女がそうやってお高く止まっていられる期間はほんの少しよ。自分が一番若いと思ったら大間違い。毎年、次から次へとあんたより若い子が出てくるんだから。ところてんみたいに、女は『若い女』という箱の中から年々押し出されて、下に落ちていくの。男なんて、しょせん女は若い方がいいに決まっている

⇒著者の中心思想の一つだと思う。価値基準が外部(男)にあるため、独立出来ない女性

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仕事が一つ終わった

年初にかけて行うべき準備作業が一段落ついた。

しばらくは気が楽になる。

現状の無駄が多い仕事が僕を養っている。

会社全体としては、プロジェクトの進捗状況が思わしくないようで工程の練り直しをしている。上手くいくはずのない作業をしており、そうした無駄があるからこそ僕は会社員をやっていける。

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暴走する文明

読んだ本の感想。

ロナルド・ライト著。2005年12月25日 第1刷発行。



10年ほど前の本だけれど、既に内容が陳腐化している事に驚く。

<ポール・ゴーギャン>
1897年にタチヒを訪れる。存在についての謎として、「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか?」を絵画に描いた。

それらの問いが本書の主題であるが、人間は常に新しく古い事が問題になる。現在の価値観の多くは300年程度の歴史しか持たない。それなのに文明は同じような崩壊の道程を辿る。

文明とは業績拡大の間だけ儲かるマルチ商法のようなもので、拡大する周辺から富を中央に吸い上げ、生態系への要求が極大化し、富の新たな源泉が見つからない場合に崩壊する。土壌侵食、不作、疫病等で、宗教が約束した支配者と天界の特別な関係が虚偽である事が明白になる。

古代文明はどれも局所的であり、特定の生態系が崩壊しても、人口移動により別の文明が生まれる。

長続きした文明はエジプトと中国で、エジプトは年毎にナイル川の洪水が運ぶ堆積物が土壌を再生し、シュメール文明を崩壊させた塩類蓄積が無かった。また、人口増加も緩慢で古代王朝からクレオパトラの治世まで3000年間で200万人から600万人に増えただけだった。一㎢あたり150人が、ナイル川流域における扶養能力の限界であり、水が媒介する伝染病が人口を抑制したと思われる。

中国では、農耕発祥より遥か前に、ユーラシア大陸の乾風が、後退する氷河によって露出された表土を巻き上げ、黄土の形で堆積物が数百フィートの厚さで蓄積されていた。黄土高原において土壌浸食が発生しても、その下から肥沃な地層が現れるので、絶頂期の漢帝国は5000万人程度の人口を維持出来た。中国は漢王朝没落後は南部に水田耕作を普及させ、新たな富の源泉を見つけている。

現代は決して例外ではなく、現代人は中国やインドから学ぶべきかもしれない。

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PSYHO-PASS ASYLUM 1、2

読んだ本の感想。

吉上亮著。

「PSYHO-PASS」が好きな人間でないと楽しめない話だと思う。

人間の精神を数値化し、一定値以上の人間を異常者として処罰する世界の話。

システム上の矛盾として、精神を安定数値にするために、多くの人間が薬物や虐待によるストレス解消に頼っている事で、定型者となるために異常行為を行わなくてはならず、それがエピソードの要となっている。

PSYHO-PASS ASYLUM 1
2014年9月10日 印刷。



◉無窮花:
2094年と2102年の話?朝鮮人民共和国の対日工作員チェ・グソンは、就寝大統領 金夢陽の私生児であり、朝鮮人民共和国の内乱に巻き込まれ、去勢されて義妹を廃人にされ、日本に亡命する。

日本で運び屋として生き延びるが、義妹が仮想空間でのコンサートを望んだため、その資金捻出のため、麻薬売買に手を染める。しかし、義妹のスソンの発狂は治っておらず、コンサートは仮想空間での売春だった。

結局、麻薬売買が露見し、義妹は公安局員に殺され、グソンは反政府活動に従事する事になる。

桜霜学園の王陵璃華子は何だったんだろう?

P123~P124:
厚生省主導の<シビュラシステム>による統治が確立した2070年までの40年間は、手配師にとって黄金時代だったという。<サイコ=パス>が社会のあらゆる部分に浸透していくなか、健全な精神を維持し、ストレスによる色相悪化を防ぐため、多くの国民が薬物に手を出した

P140:
二二世紀の人類は、極端なストレス耐性の低さ・他者との同調しやすさを内包しており、それが負に傾けば、精神汚染という最悪の事態が待っているからだ。グソンはその恐ろしさを知っている。一国さえ滅ぼす悪意の伝播を防ぐためには、徹底した管理体制が必要だろう。そして、それを実現したのは日本だけだ

P186:
『ああ不思議な事が!こんなに大勢、綺麗なお人形のよう!これ程美しいとは思わなかった、人間というものが!』。……これのほうがよっぽど収穫だな。まるでミランダになったみたいだ

◉レストラン・ド・カンパーニュ:
執行官 縢秀星の話。

人工的に食物を作成する機械(オートサーバ飯)に天然物が混入された事件を捜査する。

犯人は天然素材を売りにするレストランを経営していた真谷五郎で、高機能料理製造機械を使用して、残飯を提供していた事を暴かれた事から、高級自動調理器を販売する企業グストーの櫛名光葉の評判を落とそうとしていた。

櫛名光葉と高家六雁が和解して終了。

P280:
天然食材を食することは、色相を濁らせかねないリスクを承諾した上で行われる、脱法行為のようなものだから、だそうだ。現行法では、新鮮な天然食材も腐敗した天然食材も、まったく同じものなのだ。

PSYHO-PASS ASYLUM 2
2014年11月20日 印刷。



◉Abouto a Girl
執行官 六合塚弥生と唐之杜忘恩の話。

虐待され妊娠した人間を殺し、代わりに赤ん坊を育てる組織を追跡する。航海する船の中で外部との通信を切断され、危機に陥るが、自衛隊の無人フリゲート艦と接続し、組織を壊滅させる。

P194:
この社会は、あまりに多くのものを排除し、喪失させてきた。シビュラによる相性適性で残すべきと選定された遺伝子のみが受け継がれ、それ以外は淘汰されていく。だからこの社会は、望まぬ妊娠ゆえに、生れることを祝福されなかったいのちを無視した

◉別離
執行官 宜野座伸元の話。

仮想迷彩によって、人間の孤児を動物に偽装し、動物のように扱った人々の調査。アニマルセラピスト三宅養努は、動物とされた子供達を集めてコミューンを作成。愛玩奴隷を飼育した人々を強請るが殺される。

P288:
動物たちの精神衛生を大きく損なう原因のひとつに、極めておぞましい行為がある。悪辣な飼い主が自らの色相改善―つまりストレス解消を目的に行う虐待だ。そして高価な動物をすぐには買い替えられないから、心理セラピで無理やりに動物の心理状態を回復させ、また虐待を強いるケースもある。

P308:
人間だったはずのモノが、だんだんと狂い、やがて本当に動物になっていく光景を見て、むしろ色相がクリアになるなんて……、今でも理解できないな。

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海から見た世界史

読んだ本の感想。

シリル・P・クタンセ著。2016年2月25日 第1刷。



各ページに掲載されている地図が良いと思う。

陸上の帝国と対置するべき海上帝国について。

以下の特色。

①交易
海洋上の交易を市は死する。ビザンティン帝国とヴェネツィア、英国とフランス(ナポレオン)のように、武力に対して経済力や貿易封鎖等で対抗出来る。

②戦略
ギリシア諸国家がペルシアに対抗し、英国がドイツを日干しにしたように、敵軍の補給を断つ。

③知的支配
理念を再構築する力。旅は確信を白紙に戻し、研究を促進する。

産業革命は海上帝国を世界帝国に変えた。強国の基盤は、大規模な軍事手段とともに、航路や中継地点を確保する事である。

海洋国家の時代―古代~1492年
序文
海洋国家は通商上の勢力を基盤とし、交易を発展させる事で命令権を得る。エーゲ文明時代のクレタ人は、地中海の交易、中継地点を確保し、対外取引所を運営する事で支配を確定した。

それらを維持するには、強大な海軍が必要である。

クレタ島、帝国の母胎
商売と権力が合わさった海上戦略はクレタ島から始まる。

クレタ島は東地中海の中央にある位置を利用して交易の仲介地となった。黒海の金属、小麦、エジプトのアラバスターや駝鳥の卵、クシュ王国(スーダン)の金、象牙等。

第1宮殿時代(紀元前2100年~紀元前1650年頃):
エジプトや中近東と交易。

第2宮殿時代(紀元前1650年~紀元前1450年頃):
東地中海全域と大陸ギリシア南部と交易。

第3宮殿時代(紀元前1450年~紀元前1200年頃):
競合するミュケナイ人の勢力が増し、キプロス島の銅取引に専念。

クレタ島はクノッソスの下に、サントリーニ島やキティラ島等を統一していき、オイルやワイン、陶器の生産技術が各地に分散した。ミュケナイは一時クノッソスの跡を継いで商業網を奪ったが、紀元前1200年頃に海の民によって滅ぼされる。

フェニキアからカルタゴへ
レバノン海岸のビブロスが、陸上取引と海上取引の接点となる港湾都市の原型である。後背地に杉やヒノキが豊富にあるため、エジプトの特権的パートナーになる。

紀元前1200年頃の港湾都市ティルスは、アクキガイから作る染料や家庭用品、宝石類等の職人による製品を売り出し、アラビア南部(白檀、宝石)、キプロス島(銅)、アナトリア(錫)、エジプト(亜麻)等と交易した。シバ王国の香は、エジプトの神殿で行う儀式に不可欠だったらしい。

やがて植民都市が発展し、紀元前10世紀頃のキティオン(マルタ島)を皮切りに、クレタ島、エウボイア島等が植民化され、アレクサンドロス大王による東地中海の混乱を契機に西地中海にも進出していく。

〇ヒミルコン
紀元前550年頃、ガリアの金、錫、琥珀を占有するためにウェサン島に派遣された。

〇ハンノ
紀元前500年頃、ギニア湾に金の通商路を探す。

フェニキア人は、紀元前5世紀頃のヒメラの戦いによってギリシア人に敗れ、シチリア島を失う。シチリア島の小麦を補うために北アフリカの開拓を進め、ワイン、オリーブオイル、イチジク、アーモンドを生産出来るようになるが、やがてローマに滅ぼされる。

ギリシアの冒険譚
ギリシアは複数の都市国家に分割されており、後背地が無い事から真の海上帝国になれなかった。

〇ミレトス
トルコ西部の都市。紀元前9世紀頃から黒海を経由して、カフカス(鉄)、スキティア(小麦、干魚)と交易した。トラキアの植民化やコリントス地峡経由で紀元前6世紀にはアドリア海(錫、銀、琥珀の陸上輸送ルートの出口)に到達。

その他のギリシア都市も知りリアの小麦や、西地中海の錫等を開拓。

〇三段櫂船
紀元前700年頃にコリントスのアメイクレスが考案。大陸帝国(ペルシア)との戦いで優位となる。海上を支配されたペルシア帝国は紀元前5世紀の戦いでは、ダーダネルス海峡を経由した補給を実施せざる得ず、ギリシアで大軍を長期間活動させる事が困難だった。

〇プトレマイオス朝エジプト
紀元前331年に建設されたアレクサンドリアを起点に、交易を陸路(セレコウス朝シリア)に依存しないよう紅海を開拓。プトレマイオス2世は古代の停泊地ミュオス・ホルモス、ソテリアス、リメインを整備し、プトレマイオス3世はアドゥリスを築いた。これらがインド交易の主要港となる。
しかし、プトレマイオス朝は地中海沿岸を支配するか、パレスチナを支配するかで迷いがあったとする。

海上帝国たるべきローマ
ローマの壺アンフォラは、規格サイズ(1.2mの高さでワインが25l入る)で、四つか五つ積み上げる事が可能。この壺を使用してローマは商業上の主導権を握った。

ローマの発展は通商上のものから政治上のものへ移行し、制海権を確保したうえで敵国海軍の船舶数を制限していった。紀元前67年に制定されたガビニア法では海賊対峙のために地中海全沿岸を統括する最高司令官が任期3年で機能する事になる。

紅海の開拓も進み、バブ・エル・マンデブ海峡にあるオケリスの港は年間約100隻の船が出発し、香辛料や金貨等を運んだという(エリュトゥラー海案内記)。

ビザンティン帝国、ローマへのノスタルジー
ビザンティン帝国はローマ帝国復活という目標に縛られてしまっため、海上帝国と陸上帝国のどちらにもなれないよう力が分散してしまったとする。

ビザンティン帝国は、以下の条件から後背地に恵まれた海上帝国に適していた。

①コンスタンティノープル
黒海とエーゲ海をつなぐダーダネルス海峡を支配する位置にある都。
②穀倉庫
エジプトを食糧供給基地と出来る

しかし、476年に西ローマ帝国が滅亡した事で西ローマ帝国の領土を奪い返す事が戦略的目標になってしまい、東地中海沿岸を戦略目標として集中出来なくなってしまった。

ユスティニアヌス皇帝(在位527年~565年)は北アフリカやイタリアを奪還したが、紅海の支配権を確保してペルシアとの対決に集中すべきだったかもしれない。

コンスタンティノープルは717年~718年にアラブ人に攻囲されるが、敵の補給網を寸断する事で勝利した。しかし、エーゲ海支配に不可欠なクレタ島が826年に奪われ、奪還するのが961年で、黒海やエーゲ海に注力すべき時にシチリアに注力していた。

セルジューク族が勢力を拡大した11世紀~13世紀頃も、マヌエル・コムネノス皇帝はイタリア再征服のために小アジアやバルカンで地歩を固めていた。

ヴァイキングの冒険
ヴァイキング船は当時の船の二倍の速度が可能であり、川を遡る事も出来た。さらに太陽の石(方解石の結晶)により、太陽光の偏光を解消し、方角を推測していたらしい。

810年頃から始まったヴァイキングの襲撃はオランダ北部のフリースラント地方で行われ、876年には英国にデーンロウ、911年にはノルマンディ地方を支配した。

〇ノルウェー・ヴァイキング
南のデンマーク・ヴァイキングを避けて700年頃にシェトランド諸島、800年頃にオークニー諸島、フェロー諸島、860年にはアイスランドを征服。982年にはグリーンランドを開拓した。それらの植民地は1200年以降の小氷河期で放棄される事になる。

〇スウェーデン・ヴァイキング
東へ向かい、バルト海のスタラヤ・ラドガを750年頃に毛皮交易の要所とし、ヴォルガ川を進んでイスラム等と交易した。それらは11世紀頃にアッバース朝の銀山が枯渇した事で衰退するようになる。


ジェノヴァとヴェネツィア、新大陸発見の準備地
〇ヴェネツィア
ダーダネルス海峡入口にあるテネドス島を占有していたために、南西の風を待って安全に黒海まで航海出来た。
10世紀頃に、トルキスタンの部族ペチュネグ人がロシアの隊がを支配し、北欧からビザンティン帝国への通商路を遮断した事を契機に、アルプス山脈を越える代替路を築いて南北通商の仲介役となる。

やがて十字軍を利用して隊商路の終着点を十字軍国家の港町におき、東西の集積地としてコンスタンティノープルに取って代わる。

1280年~1585年には地中海東岸の塩田を独占し、財源とした。

<海洋州>
コンスタンティノープルに至る航路にあるイオニア諸島やクレタ島等(真珠の首飾り)。通商路上の中継地点を確保する上に、造船所を基地として均質で専門化した船団を常時使用出来るようにした。

<本土州>
15世紀初頭にパドヴァ、トレヴィーゾ、ヴェローナを支配下に置き、内陸地域からの人材確保を考える。

〇ジェノヴァ
ヴェネツィアとは反対に存在権のためにコルシカ島やサルデーニャ島のムーア人と戦わなくてはならなかった。11世紀にはサルデーニャ島北部等がジェノヴァ帰属になる。
さらに1284年にはピサからコルシカ島を奪取し、十字軍遠征を通じて東地中海のコンスタンティノープルにも影響力を及ぼすようになる。
そして、黒海と小アジアの通商範囲がオスマントルコの圧迫で縮小していくに連れて、北アフリカのアラブ・イスラムとの交易を盛んにしていく。それにより中世最後の二百年間を主要な経済勢力として過ごした(スペイン帝国の銀行家として西インド諸島との取引を行う)。

イスラムの地、逃した機会
不安定な政治体制により海上進出を継続出来ず、統治すべき土地が広大な事から海上に注力し難かった。

サファヴィー朝、モンゴル帝国、オスマン帝国は陸上領土を守るのに忙しく海上進出の余裕が無い。その意味でオスマン帝国は海上に注力出来ないまま滅びたビザンティン帝国の後継者と言える。

〇東アフリカ
モンスーンと貿易風で、冬に南に進み、夏に北東に戻る。

8世紀以降、ペルシア湾岸の王達が象牙、豹皮等を所望するために、オマーンがパテ島、モガディシュに商館を建てた。さらに、アッバース朝のスンニ派の迫害を受けたシーア派がモガディシュやブラハに住み着く等して、イスラム人とバンツー族の混合でスワヒリ語が生れた。

ザンベジ川河口南部からの金とインドとの交易網は15世紀末に全盛期を迎え、そこにポルトガル人が流入する。

<オマーン>
17世紀末にオランダ人の支援を受け手、ポルトガル人を沿岸から放逐し、1698年にモンバサ、1699年にザンジバル、1710年に切る倭を落とした。キルワは1785年、ザンジバルは1800年、モンバサは1837年に再征服し、象牙、奴隷、丁子等の交易で富を蓄えるが、1880年代のアフリカ分割でドイツと英国に大陸領土を奪われ、奴隷制廃止でザンジバルは衰退したとする。

インド、断固として大陸的
長い間、インド交易の基盤はアフガニスタン北部のラピズラリだった。

〇マウリヤ朝
紀元前4世紀頃からチャンドラグプタ王が航路専門の部門を持ち、アショカ王は海路でギリシアやエジプト等に外交使節を送った。交易も盛んで、香辛料や宝石等で、プリニウスはローマ帝国がインド商品を買うために毎年100万セステルスを浪費すると嘆いた。紀元前187年にマウリヤ朝が失墜すると、チョーラ朝が東洋との交易を主導するようになる。

〇チョーラ朝
6世紀前半からマレー諸島やインドシナと海上取引を行う。9世紀~10世紀のアーティティヤ1世とパラーンタカ1世の時代に発展。セイロンやモルディブも征服した。
1070年以降、セイロンから放逐されると衰退し、インド亜大陸の海軍全体も衰えた。ヒンドゥー教は航海を禁じ、黒い海を渡る事は不純になる危険に向かう事とした。

その後、インドはポルトガル人等の侵略を受けるが、中央アジア出身の君主達は伝統的な侵略路である北西部に気を取られ、マラータ王国は1674年の建国当初から大砲を備えた海軍を有したが遅すぎた。

おりあしき中国
頻繁な河川航行により海上交通も盛んだった。

960年~1279年の宋は、1127年に南宋となった後も人口の60%を維持し、外洋進出を行った。1132年には常設海軍を創設し、1161年の唐島の戦いと采石の戦いでは金の海軍に勝利している。

1271年~1368年まで中国を支配した元も海上交通路をに進出するが、明の時代になり新儒教の影響等から、1436年には皇帝が自らの船団を焼却し、1480年には軍事担当大臣 劉大夏が大遠征の資料を履き七エル。

日本、襲撃とカミカゼのあいだ
日本には長い間、単純な平底船しかなかったが、1274年、1281年の元寇の失敗頃から、14世紀~16世紀に渡って倭寇として大陸を略奪していく。
朝鮮側の記録では、1376年~1385年に174回以上の襲撃があったとする。それらは1588年に豊臣秀吉が海賊行為を禁じるまで続く。

その後も外洋用のガレオン船を作る等し、1637年にはフィリピン侵攻計画支援をオランダ人に頼むが、翌年の島原の乱を契機に鎖国に向かったとする。

植民地の時代―新大陸発見~1945年
序文
新大陸発見の発端は貨幣とする金への渇望である。

船尾舵、平張り、羅針盤、天文学、ラテン帆、海図等の進歩が航海を後押しした。エルサレムを上にせず、北極星と羅針盤が示す方角を優先するポルトラーノ海図は、1290年代のピサ図が最古で、14世紀から本格的な海図が登場した。

ポルトガルの夢
ポルトガルの海上帝国はアヴィス王朝と一体出る。アヴィス王朝の創始者ジョアン1世は、1415年にイスラムの要衝セウタ征服に出発するとともに、三男のエンリケ王子にアフリカ大陸沿岸開拓用資金を与えた。

スペインのように解放すべき領土が無く、イスラム教徒の知識を活用した。さらに、ポルトガルはジェノヴァ人が東地中海と北海を結ぶ際の中継地点となる。

夢想にふけるスペイン
スペイン帝国は、1519年に神聖ローマ皇帝となるカール5世の広大な欧州の領土によって、海上帝国化に専念出来なかった。

カスティーリャの政策:
フランスと協調してイベリア半島全体と地中海南部の領土を確保する(1509年のアルジェリア征服)。

アラゴン王国:
地中海西部の支配のためにフランスと対立。

16世紀のスペインは世界帝国を目指し、1580年にはポルトガルと合同し、宗教戦争に介入した。これにより新大陸を統括する取引所や大西洋の輸送網を保護する海軍育成に注力出来ず、オランダや英国に敗れる事になる。

オランダ連合州、あるいは資本製造所
オランダでは、加工場に原料を供給する周辺経済を基盤とする植民地経済が築かれた。

オランダは、1570年のシュテッティン和約でデンマーク海峡の自由な航行を認められ、17世紀初頭にはエーアソン海峡を通る輸送の2/3を占めた。さらに1585年にスペインが中継貿易港であるアントウェルペンを略奪した事で、アムステルダムが香辛料貿易を独占するようになる。

1602年の東インド会社(バルト海通商で第一位)、1621年の西インド会社(オランダ領ギアナの砂糖栽培)は軍隊も保有し、構造的優位を持った。スペインが帝国内の地点を結んだのに対し、オランダは世界的に通商網を拡張子、収益性のある分野で独占権を獲得する。例えば、中国の絹製品と日本の銀を交換し、その銀で中国の磁器や香辛料を手に入れる。

その原型は15世紀のバルト海で、提供する製品の幅を広げるために、塩や鰊等の基本的製品の他に、香辛料やライデンの織物などの贅沢品も取引するようになった事に遡る。

原材料の輸出入だけでなく、砂糖精製や煙草工場、織物生産等を行う方は、英国等が貿易障壁を用いる事で優位を失った。

1720年に2/3を握っていたバルト海沿岸の用材は1760年には1/5になり、1710年代に独占状態だったライン地方のワインは1750年代には60%以上が失われた。

デンマーク同盟、あるいは氷の戴冠
クリスティアン4世は、1596年に22隻だった船団を1610年に60隻に増やし、1616年にデンマーク東インド会社を設立した。密貿易専門となり、英国やフランスの保護貿易政策によって利益を出した。1730年代~1740年代に需要が増えた茶は最も大規模な商品だった。

デンマーク西インド会社は、1671年にセントトーマス島、1718年にセントジョン島、1733年にセントクロイ島を入手し(ヴァージン諸島)、砂糖黍の農園とした。

北部にも拡張子、1776年に王立グリーンランド貿易会社は鯨油の取引独占権を獲得している。

この海外帝国は、1845年にインドの植民地、1850年にアフリカの植民地が英国に譲渡され、ヴァージン諸島も1917年に米国に譲られる等して衰退していく。

1814年にはノルウェーをスウェーデンに割譲し、アイスランドは独立、第二次世界大戦後にはフェロー諸島が自治領となった。

イギリス、海の女帝
百年戦争でカレーをギーズ公に奪還され、欧州の領土を諦めた事が英国繁栄の基盤となる。ハノーヴァー朝が生れたハノーファーを1866年の普墺戦争でプロイセンンに併合されるにまかせた。

英国が植民地獲得に乗り出すのは遅く、香辛料の三角貿易を基礎とした方法で植民地を獲得していく。その後、フランスをターゲットにして、スペイン継承戦争(ジブラルタル、メノルカ島、セントクリストファー島等の戦略拠点を1713年に奪う)や7年戦争(フランスの商船300隻を襲いフランス海軍から人員を奪う)等でフランスの海洋支配力を減じていく。

英国とフランスの対立では、産業革命を迎えた英国が優位にあり、植民地を獲得して砂糖や煙草を転売するフランスよりも、大規模生産した製品を持つ英国の方が経済的に栄えた。

重用なのは産業革命に不可欠な原料と、販売市場を確保する事である。

とぎれとぎれのフランス
フランスはハプスブルク家と境界を接する脅威から海の重要性を意識し難かった。

特に7年戦争(1756年~1763年)で海外領土の多くを失った痛手が大きい。それは1815年のパリ条約で確定する。

ドイツ帝国、深海獲得をめざして
細分化されていたドイツは統一後に海に進出するが、方法が古典的だった。

海外領土拡大を植民地会社の所有地を保護する形で実現し、太平洋の島々(リン、熱帯材)やアフリカのトーゴ(カカオ、綿)、カメルーン(ゴム、カカオ、象牙)、タンザニア(コーヒー、胡麻、銅)等を手に入れいた。

さらにラテン・アメリカにも投資し、1818年の入植以降、1880年にはドイツ人共同体の人数はブラジルで20万人程度となった。エミール・ケルナー将軍は1891年のチリ内戦で議会派軍を要請し、1900年~1910年には最高指揮官になっている。

これらの海外植民地は第一次世界大戦で全て失われる。

日本、陸と海のあいだ
明治維新後の日本は、1904年に米国が日本人労働者と新しい労働契約を結ぶ事を禁止し、移住地を閉鎖された事から、新たな領土を探す事が不可欠になった。

1910年の朝鮮保護下や南満州への進出はその延長にある。しかし、1920年頃のシベリアへの進出は失敗し、1939年のノモンハン事件や独ソ不可侵条約によって、太平洋に向かう事になる。

仮にドイツと協調して満州の石炭と鉱物を確保する戦略を採用出来ればソヴィエト連邦を打倒していたかもしれない。

ロシア、遅すぎた登場
ロシアの海の歴史はイヴァーン雷帝による白海への進出に始まる。

ピョートル大帝の時代にはバルト海やカスピ海に進出し、エカチェリーナ2世は1792年に黒海西岸を確保して不凍港を獲得している。

その後、1958年にソヴィエト海軍が世界二位の規模となり、1985年まで保つが、ソヴィエト連邦崩壊により、米国の海上支配に服している。

世界的な主役の時代―第2次世界大戦~現代
超大国アメリカ
アメリカの海上進出は19世紀末に本格化し、1914年に完成したパナマ運河が戦略の根幹になっている。

現在の国際体制には米国によって海上通行の自由と安全が確保されている事が不可欠であるが、衛生網や電波標識、沿岸信号所、海軍航空隊等を統括、維持する負担は大きく、米国は地中海と大西洋を他国に任せて、中国が台頭するインド洋と太平洋に集中する意見がある。

地域のを地域的に管理する代替部隊を求める動きは後期ローマ帝国とも類似しており、米国も同じ道を辿っているのかもしれない。

中国、未来の海の女王から?
中国には大陸派(海を防衛線と考える)と海派(海を扉と考える)の二つの意見がある?

中国海軍は、1992年2月25日の領海と隣接区域に関する2条により、中国海上領土を主張してベトナムからガベン礁を奪った。さらに1995年にはフィリピン海域内のミスチーム礁を占拠。海洋進出を加速させている。

中国海軍は世界第三位の規模であるが、技術的に外国依存度が高く、空母や航空機の確保が課題となっている。

インド、インド洋征服へ
インドの防衛努力の大半は中国やパキスタンへの対抗上、陸地に集中していたが、海上への進出も見られる。

2009年には国産空母である新ヴィクラントが起工され、1986年~2000年にかけてはロシアから潜水艦10隻を購入し、2009年に国産原子力潜水艦アリハントを進水させている。

経済発展によってインドでは欧州との通商路である紅海や、石油を輸送するペルシア湾の確保が不可欠になっており、インド洋を占有する目論見がある。

オマーンやモザンビーク、カタールとの防衛協定やマラッカ海峡の海軍司令部、紅海における海賊対策作戦への参加には自国の通商路を守る意志を感じる。

まとめ
海上を支配する事には、通商路の支配という意味がある。

交易のグローバル化は海に依存する原因でもあり、僅かな供給網の遮断が生産全体の麻痺の原因ともなり得る。さらに、現代では漁業以外の資源が注目されており、海底に含まれるレアアースの量は地表の1億200万tに対して900億tにもなるとする。

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日中に眠くなる

良くないと思いつつ夜更かしをしている。

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君の膵臓をたべたい

読んだ本の感想。

住野よる著。2015年6月21日 第1刷発行。



恐ろしい話だと思いながら読んだ。

「君の膵臓を食べたい」とは、「爪の垢を煎じて飲む」のように、君のようになりたいという意味であるらしい。

地味な主人公 志賀春樹と、派手なヒロイン山内桜良の恋愛物語。山内桜良は、膵臓の病気で一年以内に死ぬ設定。

物語は、以下を繰り返す。

①山内桜良が主人公を誘って食事や旅行をする
   ↓
②二人でいるところがクラスメイト達に見つかる
   ↓
③型が正反対の二人が一緒にいる事で騒ぎになる

山内桜良は、親友である恭子に病気について伝えない理由を以下のように説明する。

P65:
あの子、感傷的だからさ、言ったらきっと私と会う度に泣いちゃうもん。そんな時間、楽しくないでしょ?私は私のために、ギリギリまで周りに隠す、もう決めたの

山内桜良は、元彼である隆弘と別れた理由を以下のように説明する。

P97:
私、結構あけすけにものを言うじゃない?そしたらすぐ不機嫌になっっちゃって、喧嘩になったら凄い粘着質な怒り方してくるの。友達だったらよかったんだけど、もっと長い時間一緒にいると嫌になってくるわけよ

⇒ならば、何故、主人公と二人でいる場面を見せつけるのか?

P241:
できるだけ、とある二人をはち合わせさせるようにしてる

**********************

結局、『日常』というものはつまらないのだと思う。

自分をめぐって周囲の人間達が怒り、嘆き、暴走する。そのような姿を見る事で自分の価値を確認する。そうした物語になっている。

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生活のリズムが乱れている

以下、今日の生活。

2時20分:起床
4時10分:朝食
11時10分:昼食
15時20分:夕食
18時00分:就寝

そして、さっき目覚めた。

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犯人はお前だ

以下、フィクション。

「犯人はお前だ」と言われる。

物品の紛失騒動があり、物品を保管していた金庫の鍵管理簿に名前を記入しているのが僕だけしかいなかったらしい。

結局、他の人達は、金庫の鍵管理簿の存在を知らずに金庫を使用していたため、僕以外は鍵を使用する時に名前を記入していなかった事が明らかになったが、何だか釈然としない。

ルールが改まり、僕が金庫の鍵管理者となった。何だか釈然としない。

****************

文章を書くのが下手になったと思う。

多くを読んだり学ぶ事は、自ら考える事を妨げ、多くを書いたり教える事は、人間から根本を見極める習慣を奪うという。認識の空隙を言葉で補填する事は、知識を目的化する事。

この言葉も読んだ知識だ。

このようにして死んでいく。

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見抜かれていた

日中に、昼休みとは別に15分間を仮眠を取っている事がバレていた。

意外と皆が見ている。

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大学生になる夢を見る

最近、大学生になる夢を見る。

大学三年生の後期、本来は就職活動を行う時期に大学受験の準備をする。そして、3年前よりもあらゆる面で自分が劣化している事を悟る。

こうしたパターンの夢を三ヶ月間で、記憶している限りで三回見た。

僕は昔の自分を助けたいのだと思う。が、今の僕の方が全ての面で劣化している。

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<世界史>の哲学 古代篇

読んだ本の感想。

大澤真幸著。2011年9月20日 第一刷発行。



第1章 普遍性をめぐる問い
1 ホメーロスの魅力という謎
特殊な歴史的コンテクストに規定された特異な作品が普遍的魅力を持つ不思議。

マルクスは、『経済学批判序説』の中で、ホメーロスの叙事詩が今でも魅力的である事を謎としている。遥か古代に創られた物語が現代人を感動させる普遍性の不思議。

個々の作品は、創られた時代の社会的文脈に細部まで規定されており、当時の常識を知らない現代人には作品の意味が分からないはずであるが、それでも現代人は感動する。

それは哲学におけるニーチェの影響力にも比肩し、ファシズム、ハイデガー、ポスト構造主義等に影響した。ニーチェの思想は19世紀の特殊な文化的環境に組み込まれており、「奴隷のルサンチマン」はパリ・コミューンを経験した事に、超人思想は進化論流行に規定されている。

それでも現代人はニーチェから普遍的含意を引き出す事が出来る。

2 普遍性をめぐる問い
20世紀後半以降、普遍的とされた思想が実際には近代の産物であるとして、普遍性を歴史主義的に相対化する事が流行している。

自由主義でさえも17世紀前半の30年戦争の後に出た宗教的寛容の理念から発生しているため、西欧の伝統に収まらない寡婦殉死等の風習を許容出来ない。

ジョン・グレイの自由主義の普遍性に関する以下の論難。

①自由主義と知性
自由主義は知識を成長させる(ハイエク)というが、知識成長が必ずしも善とは言えない。
②全員一致の矛盾
全員一致(ロールズ)のために特定の価値観が特権化されていなくてはならない。
③幸福
幸福を根拠とする自由論(ミル)は、特定の幸福概念を強制している。

著者は、このように普遍性批判は間違っていないとするが、一方で、例えば人権を普遍的としたからこそ社会改革が実現したと主張する。特殊であるはずの思想から如何にして普遍性が生れたのか?

3 資本主義の二重性
資本主義は如何なる文化圏でも反映するように見えるが、一方で西欧でのみ誕生した特殊性を持つ。

4 キリスト教へ
マックス・ヴェーバーは、資本主義的普遍性を生み出した特殊性をプロテスタンティズムの倫理的態度とする。プロテスタントはキリスト教の原点回帰運動である。キリスト教ではキリストという個人を導入することにより、神による恩寵の配分に偶有性が入り込み、且つ、恩寵に普遍性があると想定しなくてはならない。

資本主義の胎児としてのキリスト教。

第2章 神=人の殺害?
1 冤罪による処刑?
キリストの死の世界史における影響。異邦人を救済の対象としないユダヤ教を全人類を対象とする宗教にした。キリストの処刑には当事者達に自覚されない無意識の倫理があったものと推測される。

2 王権の軸/死の軸―ピラトの前のイエス
ルイ・マランは、ローマ総督ピラトの前で二つの意味論的軸が並行するとしている。

①王権の軸
ピラトはイエスに、ユダヤ人の王であるかを問い、イエスは肯定する(間接的肯定)。そして、イエスは茨の冠を被せられパロディ化される事で間接的に王である事を否定される。さらに、十字架に磔される事で王権を積極的に否定される。

⇒一時的王から永遠の王への変換

②イエスの死に関与する民族性の指標の強度
ユダヤ世界からローマ世界へと外化される。ユダヤの民衆は、「その血の責任は、我々と我々の子孫の上にかかっても良い」と叫ぶ事により、テクストの展開はユダヤ性を否定される。逆に、イエスを義人とする妻の夢に感化されたピラトの態度はローマ性の斬増を意味する。

⇒特殊で閉鎖的な民族共同体から開かれた超民族的普遍性への転換

3 復活の福音―墓における女たち
マタイ福音書は、女達がイエスの墓に出向き、復活を知る場面を記述する。イエスの身体の偏在性は、身体の具体性をメッセージの理念性に置換する。

4 ユダヤ教とキリスト教
キリスト殺害は、身体の物質的、具体的性格を否定し、理念的、抽象的準位に再措定する操作である。

第3章 救済としての苦難
1 負ければ負けるほど崇拝される
ユダヤ教はシリア・パレスチナの平原という二大河川文明に挟まれた地域で誕生した。イスラエルは戦争に何回も敗れたが、信仰心は薄れていない。マックス・ヴェーバーも『古代ユダヤ教』の結末近くで、敗れるほどに信仰される神を不思議としている。

2 「イスラエル(神と争う)」と「ペヌエル(神の顔)」
「イスラエル」とは、神と争うという意味。創世記において、イスラエル十二支族の祖ヤコブが父イサクと兄エサウの元に戻ろうとして、その都有で神と戦い、イスラエルという名を賜る。そして、戦った地をベヌエル(神の顔)と名付けた。神の顔を見たのに生きているからである。

3 合理化とは何か
出エジプトとカナン定着を通じて、ヤハウェを崇拝する民族が成立した。やがて北のイスラエル王国と南のユダ王国に分かれ、紀元前8世紀にイスラエル王国だけがアッシリアに滅ぼされる。これにより、北のイスラエル王国は異教の神を信じたためにヤハウェの不興をかったという解釈が成立する。バビロン捕囚によっても信仰は無くてなっていない。

4 ユダヤ教を構成する外的/内的対立
マックス・ヴェーバーによるとユダヤ教純化までに以下の二つの対立があった。

①外的
純粋なヤハウェ信仰と呪術的異教の対立。
②内的
ユダヤ教内部の祭司と預言者の対立。預言者は王権と結託する祭司を批判する?

5 真の終末論
神による繁栄は絶対的であるはずで、中途半端な繁栄にあるものが神に選ばれたはずはないという論理。ブルトマンによると、不可逆な時間という観念と結託した終末論はダニエル書等の黙示文学において完成したとする。それまでは世界が破滅と再生を繰り返す終末論が信じられていた。

ダニエル書は最古の黙示文学だが、旧約聖書の中では後期にあたる紀元前2世紀頃に書かれたとする。シリア王アンティオコス四世によるユダヤ人迫害の時期で、ヤハウェの日が近いという切迫感が必要だった?

第4章 人の子は来たれり
1 ヨブ―キリストの予型
ヨブ記においては、神が信者(ヨブ)に課した試練が、結局は神がヨブを救う事が出来ないという矛盾を示してしまう?つげ義春の「噂の武士」のように自らの全能性を誇るほどに痛々しくなる。

2 人の子
「人の子」はイエスの時代の口語アラム語の表現であり、潜在的意味は無い。

3 神の国はどこに
イエスは、「神の国はあなたの手がとどく範囲」になるとした。

神の国は現前する現象を超えた所には無い。現象世界の自己否定性が神の国と同一視される。例えば、貧しい者が「現状が不足している。現状では駄目だ」という事を具現しており、その事によって神の国を代表している。現状の世界を変革する事によってこそ肯定される。

第5章 悪魔としてのキリスト
1 イエスの治療活動
イエスの活動は、主として病気の治療である。

2 荒野の行進
イエスによる荒野の行進は出エジプトの詩的表現かもしれない。荒野の行進は、他の民族(バビロンの新年祭アキトゥ祭儀等)にも見られ、善悪の二項対立という精神の範型に従って構造化されたのかもしれない。
荒野への神の進軍によって敵が撃破されたように、イエスの治療によって病が撃破される。

3 悪魔としてのキリスト
グノーシス主義は、善悪の戦いを極限まで押し進めた。グノーシス主義は1世紀に生れ、2世紀~3世紀に広く伝播した。荒野:沃野 = 善:悪という等式で考えた時、荒野を拡大して地上全てと同一視すると、沃野は物質的世界とは別の霊的領域に措定される事になる。それがグノーシス主義の特徴である。

グノーシス主義では、世界が悪とすると、神も悪でなくてはならないため、善神と悪神の二つを想定しなくてはならない。グノーシス主義はキリストの人間性をどうしても認められない。グノーシス主義における善神は物資的な悪なる神から厳然と分離される。

キリスト教においては、神がキリスト(人間)であって、霊的な現実が否定される。論理的には善と悪の区別が失われる事になり、極論するとキリストと悪魔が同一物に帰する。

第6章 ともにいて苦悩する神
1 神を信じない神
神を経験可能な現象世界を超えた所に存在する他者とすると、キリストとされるイエスの死は神の否定である。『我が神、我が神、何ぞ我を見捨て給いし』という言葉には、神への失望 = 神が存在しない事の確認となる。神(イエス)ですらも神を信じていない。

2 私≠私
私 = 私というトートロジーの中の否定。私が私であるという事の究極的保証は求心化作用にあり、私に対して現象している世界全体が私を原点として私の近傍に拡がっている事が根拠になる。

イエスの絶望の叫びによって否定されるのは、幸福を保証する超越的な世話人としての神である。神がいるとすれば他者のようにいる。他者は私を救出せずに、私と一緒に苦しむのみである(マイケル・ケイトン=ジョーンズの『ルワンダの涙』)。

3 キリスト殺害の二つの効果
以下は、キリスト殺害の効果。

①抽象化
第三者の審級としての神を抽象化して、超民族的作用圏を有する実体とする。
②解消
経験的な現象の自己否定の中に神を解消する。

4 悲劇の条件
中世のキリスト教は悲劇を基本とした。

アリストテレスは、悲劇固有の悦びとは、「心痛と恐怖ゆえの悦び」としている。苦難する悲劇には幸福から不幸への逆転が必要であり、無知から既知への移行がある。

二つの視点があり、幸福から不幸への逆転が超越的他者の視点からは必然であるが、登場人物の視点からは過誤になる。内在的視点を有する登場人物が、運命を規定する超越的他者の視点を認知する事が悲劇であり、苦難を受け入れる。

それは超越的他者からの承認を得る事であり、悲劇の主人公は徳と正義においてほどほどに優れていなければならない(極端に優れていれば超越的他者になる)。

第7章 これは悲劇か、喜劇か
1 悲劇としての福音書
福音書には、悲劇の構成要件である①苦難②逆転③認知があるが、イエスは事前に受難を予見しており、認知が先取りされている。そしてイエスが復活する事により、超越的他者が現れる。

2 喜劇としての福音書
福音書では苦難の過剰によって悲劇が喜劇に裏返る。威厳こそが悲劇を成り立たせており、悲劇を通り越したケースでは、登場人物に人間威厳が残されていない。

3 キリストとともにいるユダ
ユダの裏切りには威厳が無く、喜劇の範疇に入る。超人的で英雄的に死ぬキリストの脇に喜劇的なユダがいる。それこそが、キリストの死のあるべき姿かもしれない。キリストは純粋に喪失的な人物 = 無償の犠牲を生きるユダをキリスト性の転移先にしたのかもしれない。

ユダの裏切りは抽象的な神を殺す。それによって悲劇と喜劇は併存する。

第8章 もうひとつの刑死
1 ヘレニズムとヘブライズムの融合
西洋とはヘレニズム(古代ギリシア文化)とヘブライズム(キリスト教)である。キリスト教を理論的に整備したのは、ギリシア的教養を身に付け、新約聖書を著したパウロである。

2 二つの刑死―類似と相違
紀元前399年のソクラテスの刑死はイエスの刑死と類似している。二つとも冤罪であり、民主主義的決定の形式をとる。異なるのは弟子達の反応であり、ソクラテスの弟子達はソクラテスを救出しようとする。

何よりもソクラテスの律法に従って死ぬ姿勢と、イエスの神に見捨てられて死ぬ姿勢は大きく違う。

3 告白とパレーシア
ミシェル・フーコーは、西洋における近代の出現を跡付け相対化した。初期においては過去の事物が如何なる無意識の規則に従ったかを探求し、後期では規則を体系化する権力を追及した(権力の系譜学)。

晩年は規律訓練する権力への従属から逃れる方法を模索。ヘレニズム(自己への配慮)がその鍵とする。

『監獄の誕生―監視と処罰―』(1975年)
18世紀末に権力型の大きな転換があった。近代的権力は監獄によって隠喩的に表現される。

『性の歴史(知への意志)』(1976年)
個人を主体化する近代権力の系譜。西洋における性の科学は、キリスト教の告白の伝統から生まれた。信者は自己の欲望や罪について告白しなくてはならない。

フーコーは支配者と従属者の関係を牧人と羊の群れに喩え、古代ヘブライズムの影響が見出せる。ギリシア思想への傾倒もあり、ギリシア思想の中心的テーゼは自己への配慮である(汝自身を知れ)。それは権力の支配を逃れる拠点となる。

パレーシア:
率直に語り、真実を語る事。ギリシアの概念。レトリックは相手を納得させるが、パレーシアは自らが納得する言説。告白では言説を従属的位置にある導かれる者が算出するが、パレーシアは指導者が語る。

4 天才の真理/使徒の真理
ソクラテスにとっての真理は想起の形式を取る。無知については潜在的に知っていた事にする。輪廻を繰り返す魂は全てを知っている。

キリスト教の真理は神が受肉し顕現した事を認める事が絶対条件となる。普遍性が特異な歴史的事件によって担保される。

第9章 民主主義の挫折と哲学の始まり
1 外交官としての使徒
『哲学的断片』(キルケゴール)ではソクラテス(ヘレニズム)とキリスト(ヘブライズム)を対比し、能力によって評価される天才と、無条件に評価される使徒の差とする。

使徒は外交官(メッセンジャー)に喩えられる。

2 パレーシアと民主主義の両義的関係
ソクラテスのパレーシアは、政治から自覚的に身を引いた場で真実を言う事を意味していた。当時のギリシアで率直に語って影響力を行使する特権は上流男性市民にのみ許されていた。

3 民主主義から哲学へ
プラトンは哲人政治を理想とし、アリストテレスは民主制を可能ではるあが倫理的な前提とは無関係に形式として理解した。そこにパレーシアと民主制の背反がある。
プラトンにおいては、パレーシアは民主制の中では「好き勝手な事を言う事」と同じ意味になってしまう。

古代においては統治者と大衆に区分けし、パレーシアは統治者の特権となる。全てにパレーシアを認めては社会が維持出来ない?

4 失敗することで成功したク・デタ/
成功することで失敗したク・デタ
フーコーは、紀元前6世紀のソロンの行動をパレーシアの一例とする。友人であるペイシストラトスが私兵を持つ権利を民会に認めさせようとした時、それを断念させるために民会に甲冑で武装して姿を現す。ソロンはペイシストラトスに対するパレーシアとして私兵取得の真実を暴露し、民会へのパレーシアとしてその臆病を暴いた。

⇒ペイシストラトの私兵取得は認められたが、たしした独裁者にはならなかった

カエサルは紀元前44年の暗殺の前に、護衛兵を解散して殺された。このク・デタは成功したように見えるが、ローマは帝政に転換した。

カエサルが生きていた時は、抽象的にも具体的にも「皇帝」が一体化していたが、具体的な皇帝が死んだ事で抽象的皇帝位が継続していく。

ソロンの時代には抽象的な皇帝位が存在しなかったために独裁は出来なかった。

第10章 観の宗教
1 観の宗教
ユダヤ教の伝統では造形芸術は肯定的評価の対象にならない。ギリシアにおいては神を観る事が宗教的体験の核にあった。

2 純粋な立体芸術
古代ギリシアにおいては遠近法が確立されていなかった。パノフスキーは古代の遠近法は、対象と眼の距離に依存するのでなく、対象を捉える時の視覚の大きさに依存しているとする。
古代においては手で掴む事の出来る物だけが描かれる対象であり、視角とは固定的一点から対象を見る時にどれだけの角度を運動するかを示し、視線を仮想的腕と見做す。

⇒観は、触(手で触る)の水準に降り立ち近接するため、視線そのものが対象の輪郭をなぞる腕のようにイメージされる

3 造形芸術に範をとった哲学
ハイデガーは、プラトンもアリストテレスも造形芸術に範をとっているとした。

4 存在としての無
古代ギリシアの哲学者にとって、見たり触れたりする具体性を持つ存在と、生成変化する世界の矛盾は課題だった。かつて具体的物と物の間は無としてが、原子論では不可視の具体物を仮定し、プラトンは無も存在するという命題を擁護した。

存在は非存在としての無との差異において存在しているだから、どのような存在にも無が随伴者として伴う。こうして西欧の哲学からは無を思考し得ない領域とする仏教の空の概念は生まれない事になる。

さらにイエス・キリストの受肉も超越的な神が存在しない事を意味するが、存在としての無を前提にすると、イエス・キリストが死んでも神は生きている事になり、イエス・キリストの受肉の衝撃が回避される。

第11章 闘いとしての神
1 「見ること」から「思惟」
ギリシア的生の根幹は、視覚的体験である。オイディプス王は、罪を自覚すると自らの眼を潰す。

カール・ケレイニーの二つの頂点:
①神々と対面し神々を見る
②神々のように見る

知る事は観る事に基礎づけらている。そして学問を最大に所有するのは神であり、通常の知を遥かに超える思惟が想定される。受動的な視覚に対して積極的に向かい、距離の限界が無い。

2 羞恥(アイドース)
古代ギリシアにおいて宗教的態度の原点に羞恥の感情があるとする。羞恥は私を捉える他者の視線を私が直覚する事によって生じる。
人間は他者に見られている自分が特定の規範的像と合致していない時に羞恥する。それだから視線の源である他者は、規範の効力を担保する超越的他者である。

オイディプス王が自らの眼を潰したのは、強い羞恥に対して、自らに注がれる他者からの視線を遮るためである。

3 「万物は数である」
ピタゴラス学派は、万物は数としたが、ここで想定される数は有理数であり、単独の数でなく複数の数の比が重視された。比という表現を持つ体験的事実は闘争であり、闘争を掬い取る表現として「万物は数である」という表現が受容されたのでないか。比によって表現される数学的事実は、背後に不断の闘争があり、力が拮抗している事の徴である。

4 テオーロス
テオーロスは、公的な祝祭への訪問者、使者である。国家の神の代りに遠方の祭りを見に行く。視覚の延長としての思惟(積極的視覚)を実現する。

テオーロスはオリンピアでの競技観戦にも派遣され、各地の都市国家の観客が動員された。単一の神(原点)は存在せず、闘いが万物の父であり、闘争に代わる単一の神は未生である。

第12章 予言からパレーシアへ
1 倫理的なパレーシアの三つの契機
パレーシアはソクラテスにおいて完成し、民主主義から生まれるも、民主主義的政治の場を否認する事で完成した。

フーコーによる以下の三つの契機。

①神々との関係
ソクラテスは神託を検証する。検証するためには、神託の意味内容とは独立に真理が成り立つ事を示す。
②検証の形式
ソクラテスは様々な市民と対話する事で神託の真偽を確かめようとする。
③勇気
ソクラテスは真実を語る事で相手を論破し、死刑になるがパレーシアを控えない。

そしてソクラテスは、無知の知(自分が何も知らないと思っている)に至る。

2 オリンピアの祝祭的な闘技
闘いの原型は自己と他者の眼差しの葛藤にあるとする。

創世記にあるヤボク河岸でのヤコブ野営のエピソードでも、ヤコブと謎の人物との戦いは「顔と顔を合わせる体験」として要約されており、これは眼差しの交錯である。謎の人物はヤコブにイスラエルの名を与え、不可視の領域に去る。

これはテオーロス(都市国家から神の代理人として来る)がオリンピアの祝祭を観戦する事と似ている?そして、オリンピアの祝祭の構図は、オイコス(家族)の家長として家庭内で絶対的権力を持つ人々が、国家内で平等な資格を持つ直接民主制と似ている。

ヤコブの戦いとの相違は、テオーロス達が単一個人に収束せずに分散したままである事と、ヤコブのように人間として現れた個人が神に昇華せずに、人間と神々の区分が固定したままである事。これは抽象的な神の概念が古代ギリシアに無かったためかもしれない。

3 主人の言説としての存在論
フーコーによると、古典古代における真実を語る様式は、パレーシア以外に予言(神託)、智慧(賢者)、技術知(専門家)の三つである。

存在論は、世界がどうであるかを語る。予言は的中するために存在論的であるが、それでは例外的な言説においてのみ存在論が成り立つ事になる。

言説を事実確認文(状況を示す)と行為遂行文(依頼や命令等)に分けると、存在論は確認文によって構成されているはず。ジョン・サールは適合方向という概念を提唱し、言葉が世界に適合していく(事実の確認)と、世界を言葉に適合させる(依頼や命令)等を考えた。

適合方向を考えると、宣言文をどちらにベクトルさせるかが問題となる。「これで会議は終了です」という宣言は、会議終了という記述でもあるが、終了の命令でもある(確認文の外観を持つ遂行文)。

予言も宣言文と同じで、確認文の外観を持った遂行文である(時間的に未来に拡大される)。存在論は主人の言説(神の予言)に属する。

4 予言はなぜあたるのか
予言は予言された事によって実現する(予言の自己成就)。予言は確認文の体裁を取るが遂行文であり、人々に選択を迫る。予言の発話は絶対的な妥当性をもって他の可能性を抑圧する。

そして予言的な知おいて抑圧されたものは、賢者の智恵として謎めいた指令になるし、技術者の限定的、機能的な言説となる。

それらを超えたものとして、ソクラテスのパレーシアは、予言を仮説として相対化し、予言の担い手である神の第三者の審級としての効力を否定する(より抽象的な神を想定?)。

ソクラテスが政治から身を引いたのは、パレーシアを実現するための抽象的な第三者の審級が用意されていなかったからだし、彼が脱獄しなかったのは自己への配慮として、神の自分への配慮と同等のものを自らに向けたためとする。

第13章 調和の生と獣のごとき生
1 「私たちはアスクレピオスに雄鶏一羽の借りがある」
ソクラテスは、治癒神アスクレピオスへの供犠を依頼して死んだ。ソクラテスは、新興神を抽象的神の位置に置き、自らの魂の治癒を願ったのかもしれない。
アスクレピオスの名を掲げて病人を治療した集団が、イエスの教団の原型かもしれない。民主制下で、ばらばらの個人ではなく連帯感を持った「私達」として、第三者の審級(アスクレピオス)に倫理的な責務がある。

それは政治的には実現出来なかったが、倫理の領域では強い連帯が生まれた事への感謝である。

2 一者の哲学
パレーシアは第三者の審級の具象性を否定し、抽象的形態を再措定する中で生まれたとする。超越する一者。

一者は魂が身体を一つにするように存在者を存在せしめる。一者は第一原因である。これらの思想は一神教と折り合いが良い。

3 調和の生―ストア派
キリスト教に収斂する前のギリシア的思考としてストア派をあげる。中間的、中庸的思想。純粋作用(働きかけるだけで、働か着かけられる事がない)としての神を認めず、全ての質料につきまとうロゴスとして神を考える。

4 獣のごとき生―キュニコス派
フーコーは、ストア派だけでなくキュニコス派(犬儒派)にも大いに魅了された。ストア派は秩序を重視したが、キュニコス派は歯に衣着せぬ物言いや無作法な態度を様式とした。

フーコーは、真理の生への極限的な適用をキュニコス派とした。

以下の四つの真理の源泉。

①開示(公然たる露出)
②純粋(所有物の拒否)
③正則(自然に適合した獣の生)
④不動(非権力)

抽象的な真理へ移行しようとするストア派に対し、キュニコス派では哲学者自身が具象的な第三者の審級の位置を占めようとする。それはイエス・キリストの姿かもしれない。

第14章 ホモ・サケルの二つの形象
1 「生」の二つの概念
ゾーエー(動物的な生)、ビオス(人間的に様式化された生)。キュニコス派の哲学者達は、ビオスを追求した結果、ゾーエーに行き着いてしまった。

2 ホモ・サケルとしてのイエス・キリスト
ゾーエーの次元を具現するのは、ホモ・サケル(聖なる人間)である。如何なる規範的形式にも束縛されない剥き出しの生。これはローマ法の例外規定にある以下の二条件を満たす人間とされる。

①殺人を罰せられない
②供犠に用いる事が出来ない

ジョルジョ・アガンベンは、中世の狼男をホモ・サケルの一例にしている。重罪を犯した者が共同体から締め出され、森の中を放浪する。

3 倫理預言者でも、模範預言者でもない
倫理預言者は神の言葉を伝える事を使命とし、模範預言者は自らが模範となって信者を統率する。キリストはどちらにも合致しない。

イエス・キリストの衝撃は相対的に高潔であった事で無く、神が人間として呆気なく死んでしまう事にある。ソクラテスやキュニコス派は人間を神のような普遍的模範に向上させようとするが、イエス・キリストにおいては神が人間として下降している。

4 偶有性の必然性/必然性の偶有性
天才の場合、発言の妥当性によって尊敬される。しかし、キリストの真理性は彼がキリストである事によって担保される。これはイエスの行動が偶有的にどうであっても、イエス・キリストであるという必然性によって正当化される事である。

必然的真理として現れる事は偶有的なのだ。

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眠い

眠らないで、『<世界史>の哲学』を読んでいたせいで、とても眠い。

会社で不眠である事がバレないのは、僕の存在感が無いからだろうか。

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<世界史>の哲学 東洋篇

読んだ本の感想。

大澤真幸著。2014年1月29日 第一刷発行。



マックス・ヴェーバーの宗教社会学、真木悠介の比較社会学、柄谷行人の世界史の構造への意識。

第1章 世界史における圧倒的不均衡
1 素朴にして知的な問い
真に価値を問うに値する問題は素朴である。リーマン予想は、素数数列の規則性有無を問う素朴な問題である。

2 圧倒的な不均衡
社会システムのグローバル化が、西洋標準を受容する過程である事について。

3 「新大陸」と「旧大陸」
西洋の新大陸浸出は、西洋優位を示す。武器や馬、集権的政治機構、文字不在、病原菌等の優位。しかし、真の優位はそこに無い。

4 西洋と中国
15世紀頃まで西洋に優越していた中国が、現代において標準や規範になっていない事について。

第2章 新大陸の非西洋/ユーラシア大陸の非西洋
1 皇帝からの使者はまだ来ない
カフカの短編「万里の長城」は、領土の広大故に皇帝の言葉が臣民に届かないさまを描く。宮崎市定の「雍正帝―中国の独裁者」では、中華皇帝の城が欧州の王と比較しても広大である事を記述している。

中華皇帝の権力の本性は広さにある。

2 食糧生産の技術の発明
食糧生産の優位性について。膨大な人口、定住生活、集権化(社会の成層化 = 不平等化)。家畜の生産は感染症の抵抗力を身に付ける事にも繋がる。

3 文化伝播の速度と集団の大規模化
食糧生産方法の伝播速度は文化伝播速度と相関する。また、社会構造は人口が多くなるに連れて複雑化、不平等化していく。集団が大きくなると争いも増えるため、強い集権的権力が必要になるし、社会的意思決定を容易にする統一された権力が求められるようになる。

4 肥沃三日月地帯の失敗
環境破壊によって農業生産に有利だったメソポタミアが崩壊した事について。

5 広さへの意志と高さへの意志
以下の二つの対比。

広さへの意志:
中国の統一性は脅威である。八億人以上が北京語を話し、十二億人に対して八種類という非常に少ない文字数。

高さへの意志:
十二世紀中盤の欧州でゴシックと呼ばれる建築様式が生まれる。その特徴は昇高性にある。尖塔アーチや縦長の窓、細身の柱を支える飛梁や控壁等。

エルヴィン・パノフスキーは、自説と異説を調和させながら総合するスコラ学の大全という論の構成の建築的表現がゴシックとした。

⇒中国と西洋の権力が異なる志向に支えられていた可能性

第3章 受け取る皇帝/受け取らない神
1 カインの罪
アベルを殺したカインへの同情が、「エデンの東」のモチーフになったという話。カインにあたるキャルは、最終的に父(神)はキャルを呼び寄せる。これは、カインの嫉妬を全面的に間違っているとするユダヤの論理は自明でなく、考察に値する事を示している。

2 疑問の再・再方向づけ
中世末まで優位にあり、国際決済通貨としての銀のフローでは18世紀まで優位にあった中国(リオリエント:アンドレ・グンダー・フランク)が、優位を保つ事が出来なかった事について。

3 朝貢システム
マックス・ヴェーバーの支配類型によると、中華皇帝の支配は家産制(家長による家族支配を社会的に拡大したもの)に含まれる。

権力が広さに対抗するには軍事力と官僚制によるが、これは軍や官僚が権力を私物化する可能性と表裏一体である。中国では、皇帝の権力を裏打ちするのは朝貢システムであり、朝貢関係の中に入っていれば、周辺の共同体はそれ以上の干渉を免れた。

朝貢は、贈与の中心化に基づくシステム(再配分システム)である。

清朝では、皇帝権力は「西北の弦月」(満州族の伝統的軍事組織(理藩院)に基づく)と「東南の弦月」(科挙に合格した官僚による礼部に基づく)の二つがあった。どちらも朝貢システムであるが、軍事と官僚の両方を活用した。

明代の鄭和の後悔が長続きしなかったのは、それが朝貢システムの延長であり、威光を広げようとする皇帝を失えば、遠征の必要が無くなるからである。欧州のように経済的利益を求める競争というコンテクストは無かった。

4 受け取らない神
神が隔絶した超越性を持つほど、神は人間に返さなくても人間に贈与した事になる。

アベルの供物を受け取っただけで神は人間に返した事になる。さらに、超越しているのだから受け取らなくても神はカインに返した事になる。カインは、何か与え返される事を「受け取られる」という形で求めたために神の超越性を冒瀆した事になる。

⇒中華とは異なる一神教の論理

以下は、ユダヤ教の三つの系列。

①ファリサイ派(律法)
②サドカイ派(神に捧げ物をする)
③預言者

サドカイ派は神と朝貢的関係を築こうとした?が、それはキリストによって否定された?

第4章 「東」という歴史的単位
1 神への負債
中華帝国の支配論理においては、恭順の意として朝貢する代わりに皇帝の保護を受ける。一神教においては、キリストの死が贖いとされるが、そもそも神であるキリストを差し出す事は朝貢としてはおかしい。

神は全人類の罪の代償を神の子を捧げる事で支払っているのだから、人間に大きな贈与をしている。キリスト教徒は神に対して負債感を抱く?

2 イサクへの奉献
イサクの犠牲とキリストの犠牲には相同性がある。神はアブラハムを試すために、老いてから授かった実子のイサクを供犠として捧げるよう要求する。しかし、イサクの奉献をキリストの死に置き換えると、それは異質な論理に転化する。

3 ヘーゲルの歴史哲学
ヘーゲルは世界史は東から西に向かったと論じた。世界史を野蛮な意思が訓練され、普遍的で主体的な自由が実現されるまでの論理的過程と見做す。すると、東洋(インドや中国)は一人が自由であると認識し(専制政治)、ローマ世界は特定の人々が自由を認識し(貴族政治)、ゲルマン世界は万人が自由を認識している(君主制)。このように東から西へと自由が普遍化している。

4 一神教の見えない壁
ユーラシア大陸の中央で紀元前五世紀頃に仏教は発祥した。その伝播ルートは、南伝(紀元前三世紀頃にアショーカ王の王子マヒンダがセイロンに伝える)と北伝(紀元前二世紀頃にガンダーラ地方に入植したギリシア人に受容される)がある。

伝播ルートの特徴は、西方には広まらない事にある。アフガニスタンのバーミヤンより西にはいかない。一神教の壁に仏教は弾き返された。さらに仏教はインドでは空洞化している。

他に、中国からインドに伝播した大きい文化事項が無い事も特筆される。

5 仏教とカースト
インドの社会構造の根本的特徴を差別=序列の体系とする。

インドのカースト制は小さな地理的空間に限られた論理に規定されており、インド全体に通用するカーストの序列は無い。著者はカーストの根拠を贈与であると見做す。学問(知の贈与)、供儀(神への贈与)、喜捨(人間への贈与)等があり、神への贈与を執行出来る者が最上位となる。

第5章 解脱としての自由
1 「自由」の意味するもの
『ヨーガ』(ミルチャ・エリアーデ著)では、ヨーガは自由に依存するとしている?インド哲学では生は苦であるとされ、解脱した生が志向される。

2 無所有の理想
苦である生と、その解決策である八正道の間には、無我という媒介がある。所有を徹底的に放棄し、執着を無くす。「私」は私の行動全体によって定義されており、所有の放棄とは行為の無効化である。ヨーガでも通常の行動を全て逆にする事で、プラスマイナスを0にしようとする。それは生の外(死後や生前の状態)への移行を目指す。

こうした日常の生から離脱しようとする仏教は、日常生活を規定するヒンドゥー教と相補的関係にある。

3 輪廻の原点
中国の伝統思想には輪廻の観念が無いが、仏教を受容した。輪廻と業(カルマ:善業を積むと高い地位に転生出来る)がカーストを支える。この説明を納得させる原体験は贈与と返礼をめぐる体験とする。贈与への返礼の期待が常に満たされるとは限らないので、死後にお返しがあると考える。

仏教やヨーガが離脱を目指した苦の原型は、贈与と返礼(報復を含む)に巻き込まれた事から生じる束縛ではないか?

4 神話的な食物連鎖
食物連鎖は、贈与と返礼の枠組みで解釈出来る。弱い者が強い者に身体を贈与し、強者に統合される。こうした食物連鎖の循環理解から輪廻という思想が生じたのかもしれない。
すると、カースト上位(食物連鎖の頂点にいる存在)は、さらに上位の神々に食べられる可能性を恐れなくてはならない。神々の恩恵に依存しているのだから、神々から食べられるかもしれない。

よって武力を持ったクシャトリヤでなく、バラモンが最上位となり、人間の代理物を神に与えて神の食欲を満たす。

5 浄と不浄
贈与には返礼がつきものである。返礼しない間は負債感があって、贈与されたものが自分に所属していないと感じる。こすいた所有への執着によって、人間は贈与の関係に拘束される。

よって、徹底的に放棄する事で一切の所有から離れる事で解脱は可能になる。

完全は「浄」は自然の暴力的連関から離脱している者の属性である。食物連鎖のような自然の暴力と報復の連鎖に巻き込まれる事は悪業を重ねている事になる。

しかし、理念として贈与の連鎖から離脱した場合、現実的には他者からの布施に依存する事になる。

第6章 二つの遍歴集団
1 よく似た二つの遍歴集団
イエスの集団とゴータマ・シッダルタの集団の比較。

・圧倒的なカリスマ的指導者と信望者
・生業を持った共同体から離れて遍歴

シッダルタは35歳で覚りを開いたが、キリストが十字架上で死んだ年齢とほぼ同じらしい。イエスの隣人愛とブッダの慈悲は似ているかもしれない。

2 対照的な遍歴集団
二つの集団が異なるのは布施に対する態度。仏教では出来るだけ在家信者からの供応を回避しようとするが、イエスの一行は人々の歓待を積極的に受容した。イエスの態度は、彼に洗礼を施したヨハネの禁欲的生活とも異なる。

イエスは革命家であり、エルサレムの境内で商人の活動を阻害する等、積極的に再分配機構を破壊しようとした。ユダヤの律法を全て隣人愛と置き換える態度は、仏陀の抽象的な八正道(具体的に実現するために法が必要という解釈が成り立つ)と違う。

この違いは組織になるとより明確で、仏教での出家者集団(サンガ)は、独自の法を守らなくてはならず、社会の法に影響を与える事が無かった。

3 ふしぎなピクニック
ヨハネ福音書には、イエスがガリラヤ湖畔で集まった五千人の人々全員にパンと魚を分けた話がある。

この話をイエスが気前よく食料を分けた事で、他の人々も食糧を持参した食料を分けた話と解釈する事が出来る。自分の持参した食物を奪われる恐怖を、分け与える事で克服する。

人は過去の行為から逃れられないというアKン各派、以下の二つの水準の混同にあると見做す事が出来る。

①存在論的水準:何かを引き起こす事
②倫理論的水準:引き起こした事に責任がある事

上記を混同すると、何かをする度に責任を問われる事になる。しかし、イエスのピクニックでは、他者に負い目の感覚を植え付ける事無く、自発的に歓んで与えている。これは存在論と倫理論の分離だ。

原始仏教では存在論と倫理論が重なっており、因果関係に規定される限りは倫理的にも規定されており、そこから自由になれない。よって人間の行為の産物である現実の制度を否定する事は不可能になる。現実を否定するために、現実外部にある涅槃を目指す事になる。

4 マヌ法典が規定する奇妙な人生
マヌ法典は、紀元前六世紀から紀元前二世紀にかけて、ダルマ・スートラという文献が蓄積され、そこに記された行為の原則や価値観が紀元前後に編纂されたものとされる。

人生を以下の四つの段階で辿るの事が望ましいとする。

①学生期
ヴェーダ(バラモン教の宗教書)の学習に注力
②家長期
家族を守り、仕事をする
③林住期
折を住いとし、ヴェーダを復唱しながら苦行に専念する
④遍歴期
家を持たずに遍歴する。

上記③、④は仏教の修行者と似ている。バラモン教が規定する人生の一部を切り離せば、仏教的な生となる事は、仏教徒バラモン教の関係を暗示する。

第7章 カーストの内部と外部
1 キリストと菩薩
イエスは当時のユダヤ人社会に積極的に介入したが、仏陀は古代インドの支配体制を放置した。菩薩にとって涅槃は良い場所で、敢えて地上に留まって功徳を施す。イエスは最後に死を厭い、『世界諸世代』でシェリングは紙にとっては永遠の潜在性に留まる事が耐え難く、経験的な世界に向かう事が解放と書いている。

抽象的な永遠を捨て去り、有限で不完全な個人になる事が、キリストの愛の真実という意見。『ニーベルンゲンの指輪』にて、ジークムンテは妻ジークリンデがヴァルハラ(天国)に行けないためにヴァルハラを拒否する。 

2 カエサルのように/カエサルと逆に
抽象的な普遍概念としての皇帝(カエサル)が出現するためには、生身の個人としてのカエサルは殺害されなくてはならない(ヘーゲル)。理性の狡知として、矛盾を解消するために個人を殺さなくてはならない。

カエサルは単独個人を指し示す固有名詞だったが、本人の死によって普遍概念となる。キリストは逆で死によって普遍概念であった神が個人(キリスト)である事が証明される。キリストの死には普遍概念への変化と、故人である事を示す事の二つの側面がある。

3 古代インドにおける供犠の中心性
バラモン教と仏教は相補的である。バラモン教は供儀が中心で、人間は存在を開始した事で超自然的存在に債務を負っており、人間は供儀によって固有の文化水準に上向く。そのため、供儀によって捧げられるものは、料理されたものである(生のものではない。)。

4 四つのフェーズをもった人生
バラモン教では人間は食物連鎖に縛られて神に食される運命にある。禁欲主義は食物連鎖から逃れる手段。しかし、多くの人間が禁欲主義的になれば社会システムを維持出来ないため、人生の一時期に禁欲的になる(学生期、家長期、林住期、遍歴期)。高齢期のみを禁欲的に過ごせば、人生全体を禁欲的に過ごした事になる。

5 カーストとその二つの外部
上記の個人に人生における原理を社会システム全体に適用すると、一部の人間が禁欲主義的である事により、全体の浄性が保証される事になる。バラモンが最も禁欲主義的であり、クシャトリアは他者の命を奪う事で秩序を維持し、ヴァイシャは富に執着する事で生産活動を維持する。

浄の水準は相対的であるために、どこまでの禁欲的である人々(共同体から離脱した遁生者)と、どこまでも不浄である人々(不可触民)が社会的に誕生する。

第8章 救済のための大きな乗り物
1 大きな乗り物
仏教はカーストの不平等を否定するが、それはカースト的社会体制の外部で行われる。カーストが浄と不浄の混合によって成立している以上、社会的に仏教は究極の浄として隠遁生活を送る事で許容される。
しかし、隠遁が仏教の本質となると、仏教によっては少数しか救済されない。そこで紀元前100年頃に大乗仏教が発生し、在家の修業によっても救済されるとした(他者を救う事で自分も救われる)。

2 ブッダの骨
大乗仏教は、出家者の共同体を頼りとせずに、仏塔(仏陀の遺骨を納めた塔)に在家信者が集まって、そこを拠点に発生したという平川彰の説。仏陀の骨とキリストの血肉の違いは、骨は具体性を伴わず、生前の仏陀のイメージを喚起する(具体から抽象)とする。

3 例外の普遍化
大乗仏教は「例外を伴う普遍性」を克服するために生れた?普遍的な規定に「但し、○○は例外である」という条件を付け足していくと、例外が支配的になる(非軍事の中の自衛力等)。
仏教は普遍性を主張しながらも、社会の中では少数の出家者としてしか存在出来ず、その例外的な少数者が存在しなくてもカースト体制に支障は生じない。
仏教徒も不可触民もホモ・サケル(聖なる人間、ジョルジョ・アガンベンの概念)であり、西洋におけるホモ・サケルの至高例はキリストである。
キリスト教においては、磔にされたキリストが神への懐疑を口にする事から、信者はキリストを信仰しつつも、キリストの懐疑が自分には当て嵌まらない事を点検しながら信仰するという緊張状態にある。

第9章 「空」の無関心
1 眼差しを排除する眼差し
絵画における仏陀の穏やかな眼差しを手にするには、他者性(他者も自分を見ているという感覚)を排除しなくてはならない?他者の眼差しは西洋の絵画において強調される点であるらしい。

2 テクストの野放図な増殖
仏教は正典が確定されていないために、派閥に分裂し易い。対して唯一神からの啓示に基づく一神教はテクストの確定に拘る。仏教においては、法は世界中に満ちているのだから、仏陀でなくても能力があれば法を知る事が出来る。仏陀の言葉と弟子の論に大きな格の違いは無い。

3 「空」の思想
2世紀~3世紀に龍樹による中観派では、全てを関係性(縁起)から説明しており、浄不浄はそれ自体では存在出来ず、浄なる存在は不浄な存在と関係する事で浄なる存在となる。
中間派は全ての空(無?)を前提にしているため、論理的に「有」を前提にせず、「○○でない」という否定を重ねる論法を取る。一切を空と考えると、幸福を齎す存在も空であり、存在しないものを求める事が苦の原因となる。

このような思想からは、社会の現実を変えずに、個々の認識を変えるべきという思想が生じるため、どのような社会状況も正当化出来る。

4 「空」の前にある同一性
『中論』では、実態を縁起(関係性)へと還元する事で、存在を空(無?)に転換する(認識操作)。そして、関係性への還元のためには、その還元の操作の対象外となる実体の存在が前提となる。

父は子があって父であり、子は父があって子である。これは縁起(関係性)へと還元した例だが、この還元のためには家族という基盤が存在する事が前提になる。家族が空に還元されないからこそ父と子が存在する。

「○○でない」という否定の反復は、縁起に還元されない単一の実体(否定の対象とならない)が前提になる。それは問い質す事の出来ないものとして思考領域から排除されており、それによって思考は一貫性を保つ。

第10章 曼荼羅と磔刑図
1 「何もない」ところに「何か」がある
素粒子物理学の話。物理空間で温度を下げると、その領域に含まれるエネルギーが小さくなっていき、極限では何も無い状態になる。しかし、幾つかの現象を整合的に説明するには何も無い真空状態に何かある事になる。その何かを取り除くためにはエネルギーを増やすしかない。

その何かは「ヒッグス場」と呼ばれる。ヒッグス場とは、物質運動の妨げになる液体に例えられ、ヒッグス場においては物体に質量が与えられる。ヒッグス場は素粒子と相互作用し、粒子の運動状態変化を妨げるが、光子に対してだけは抵抗しない。

さらにヒッグス場の出現によって対照性(物体に操作を加えても変化が見出せない)が低くなる。ヒッグス場が存在しない時には、電磁力の粒子と核力(放射性崩壊に関わる)の粒子の間に完全な対照性があり、それらを入れ替えても区別出来ない。ビッグバン直後は、これらの二つの力は同じものだったとされる。

⇒全てを排除しても残るものがあり、それが無ければ何も無い状態を構成出来ない

2 曼荼羅
認識における空の実践における対応物がニルヴァーナ(涅槃)である。全ての実体(法)を縁起(関係性)に還元すれば空の境地に到達するという論理は、空間から物質やエネルギーを排除すれば真空になるという仮定と似ている。

仏教では空が重要だが、曼荼羅(宇宙の実相を表現した図表)は存在への執着を示すという。曼荼羅には仏や幾何学模様が空白無く描かれる。

著者は、空を追及する事は、その内部の存在者や地を所与の背景として前提にするのではと推測する。

3 マレーヴィッチの「人物画」
カジミール・マレーヴィッチの絵画では、白い表面に黒い正方形や円を置いただけの絵画である(黒い十字架と赤い卵等)。マレーヴィッチが晩年に描いた人物画は抽象的で幾何学図形のようであり、指の形等で透明の何かを持っているように見える時がある。

それらの人物は、人格を否定されて磔刑にされたキリストの現代的再現ではないか?

4 磔刑図
仏教の曼荼羅とキリスト教の磔刑図は対応するとしている。16世紀初頭にグリューネヴァルトが描いた『イーゼンハイムの祭壇画』では、十字架と人物の向こう側に余白があり、それは曼荼羅ではあり得ない。

キリスト磔刑死する瞬間は、個人としてのキリストの身体が、教会という信者の共同体の中に消え去る瞬間であり、不透明で真っ暗な背景と磔刑死するキリストは、個としての身体と共同体的な身体を同時に表現しているのかもしれない。

5 一神教と仏教
磔刑図は個人の身体が抑圧されているという事実 = 抑圧の過程をえがくために、背景と個人を同時に提示している?キリスト教会は、内部に多様な人間が入る事の出来る地であり、それと同じ契機を仏教では空とする。空は多様な存在者が出現出来る地なので、それらを表象すると隙間無くイメージが詰め込まれた曼荼羅になる。

仏教では差異化されていない一者を予見として様々な存在が調和するが、キリスト教では教会を成立させるために、抑圧されるキリストの個体を顕在化させる。

固体としてのキリストは、教会が成り立つためのヒッグス場のようなもの。

第11章 インドと中国
1 複雑性の縮減
社会システムの基本的機能は複雑性の縮減である(ニクラス・ルーマン)。「図/地」の構図では、複雑な地(環境)から図(システム)が切り出される。
曼荼羅はシステムの内的複雑性の表象であり、複雑性縮減のために、システムの内的複雑性を増大させる。磔刑図では複雑性が縮減する瞬間を描く(個人としてのキリストが消滅し、教会として生成する)。磔刑図では背景(環境)が無である事が重要になる。

2 東の優位?西の優位?
現代の世界は、西欧のシステムが優位になっている。しかし、歴史的には西欧の優位は絶対的でない。

3 統一された社会/分裂した社会
中国とインドを比較すると、中国は集権的権力を前提にし、インドでは部族が乱立する。インドでは大帝国が崩壊し、再来を繰り返す事が無い。
中国では家産的選良ではなく、官僚が行政を担う。インドでは家産制的貴族が上位カーストが権力を握る。インドでは統一王朝が実現されても、内的には風習や宗教、言語、インフラ等の面で中国よりも分裂している。

4 歴史的定数のごとく
中国では秦による統一の前に五世紀以上も継続する春秋戦国時代があったが、インドではそれほど長い戦争は経験していない。その後の流れでも権威主義的、中央集権的な中国と、限定的権力が多元的に乱立するインドの相違は継続しており、インド社会の特性はカーストの独特な宗教的世界観から生じるとしている?

第12章 カーストの基底としての贈与
1 マルクス主義的な図式の格好の素材?
マルクス主義では、宗教的理念を社会科学的に説明する(宗教とは選良支配を正当化する御伽噺)。経済的分布を正当化する観念体系としての宗教を考えると、それに最も都合が良いのがカーストを有するバラモン教である。

しかし、以下の点からバラモン教はマルクス主義的見解と相違する。

①豊富な教義
カースト支配を正当化する道具と解釈するには、複雑な形而上学や神話など領域が広過ぎる。それは、より集権的な中国の体制と比較するとより明らかになる。
②バラモン
武力を有するクシャトリアでなく、儀礼の力を保持するバラモンがカースト上位である。物理的に意を押し付けるはずの武装者達が最上位でないのはマルクス主義的には奇妙。
③長続き
バラモン教は紀元前7世紀より前から成立しており、少数者の利益のみを正当化しているのなら、これほど長続きするのはおかしい。

2 カースト体制の基底に
バラモン教は、自由な労働移動を前提とする資本主義とは相性が悪い?カースト体制は経済的分業としてだけでなく、贈与交換として儀礼的にも理解しなくてはならない。カースト間の通婚は基本的に禁じられ、接触も制限される事から、カーストは相互依存や贈与の広がりを制限している。そのために自己充足的な共同体が乱立する事になる。

3 負債としての人間存在
下位カーストの身体は、上位カーストに対して贈与されている。その根本にあるのは、人間の存在は神によって与えられため、人間は神に負債があり、返さなくてはならないという概念だ。食物連鎖のように、神が人間を食べる。本来であればクシャトリアも紙に食べられる事は避けられないが、バラモンは神々に人間の代理物を与える事で神々を騙す。

4 儀礼的贈与交換のふしぎ
贈与は、①形式的手順に従う、②公開で執り行われるときに「儀礼的」とされる。それらは経済的に無価値であり、原初的共同体の多くで儀礼的贈与が行われる事は不可解かもしれない。

第13章 闘争としての贈与
1 贈りあうことで闘う
筒井康隆の『毟りあい』を原作とする野田秀樹演出の劇『THE BEE』では、妻子を人質に取られた男が、犯人の家族を人質に、互いの妻子の指等を送り合って脅迫し合う。

互いに真の敵であるはずの相手に友情を感じ始め、敵である他者の内に自分を認める。贈与が闘争の手段となっている。贈られれば、贈り返さずにはいられない。贈与と闘争の同値性。

アイルランド伝説の『ブリクリウの供宴』では、巨人ウアトが自分の首を切り落とす代わりに、自らの首を切り落とす者を探している。応じたクフーリンが勇者として認められる。これは戦闘を贈与へ純化させる試みである。

2 擬態された戦争
クロード・レヴィ=ストロースは敵対関係と互酬給付の間に連続性があるとしている。贈与は人間にしか見出せず、原子共同体においては重要である。

儀礼的贈与は、別部族との潜在的闘争である。加害者と被害者が同一部族である場合の対処は簡単だが、別部族によるものである場合、部族全体への攻撃と解釈される。加害主体も加害部族全体と見做される。

加害は負の贈与であり、復讐は反対贈与となる。そして贈与交換は争いを抑止する代替選択肢である。

3 三つの義務
マルセル・モースは『贈与論』にて、贈与は「殺し合う事無しに対立する」事を可能にする手段とした。以下の三つの義務。

①提供の義務(贈り物をする)
②受容の義務(贈り物を受け取る)
③返礼の義務(お返しをする)

モーセ自身は、上記が義務となる理由としてマオリ人の「贈られた物にはハウという精霊が含まれており、それが受贈者を返礼へと誘う」という説明を採用している。レヴィ=ストロースはモーセの説明を批判しつつも、ハウを「浮動するシニフィアン」という語に置き換えるだけ。

4 互酬性の二律違反
互酬の謎は、贈与を受けた瞬間に返礼するのでなく、時間が経過してから返礼する事になっている。贈与と反対贈与が時間的に分離され、単独で自立している様相になる。対価への支払いになってしまうと贈与と返礼が失敗した事になる。

従って、贈与では互酬性が養成されるのに、互酬と見えないようにしなければならない二律違反がある。そのための時間分離。

第14章 自分自身を贈る
1 スパアマン教授の誤謬推理
『経済学殺人事件』(マーシャル・ジェヴァンズ)では経済学理論によって謎を解く事になっている。

経済学者デニス・ゴッサンが殺害され、経済学者ヘンリー・スピアマンが調査する。殺害理由は、文化人類学者デントン・クレッグの著書に取材せずに書かれた虚偽がある事に気付いたから。

虚偽である根拠は、現地のヤムイモ(日常の食品)とカヌー(貴重品)の取引記録からで、貴重品の価格の変動幅が日常品の価格の変動幅より大きい事は経済学的にあり得ないとする。経済学的には安いヤムイモは価格差に拘らないが、高価なカヌーは厳しい価格競争にさらされるため価格変動幅は小さい。

しかし、儀礼的贈与や心理実験の最後通牒ゲームでは、人間は気前良く贈与しようとしており、経済合理性に基づく行動を選択していない(文明社会でも、絵画価格の変動は卵の価格変動より大きい)。

2 南フランスのレストランで
レヴィ=ストロースは『親族の基本構造』の中で、贈与交換の本性を具体化する場面として、フランス南部のレストランで隣客のグラスにワインを注ぐ風習に言及している。

他者の存在によって行為への呼びかけを感じるため、社会的距離を確定するためにワインを贈与する?

マルク・アンスパックは、『精神のコミュニケーション』と上記のレヴィ=ストロースを結び付け、意思疎通しない事自体が、「私はあなたと意思疎通しません」という否定的メッセージになってしまうため、当たり障りのない会話を交わす事になり、それが贈与交換と似ているとする。

3 結婚としての狩猟
ホモ・サピエンスが誕生したのは10万年ほど前で、農耕開始が1万年ほどまえだから、生物としての人類は狩猟採集向けの身体で、狩猟採集と違う生活をしている事になる。

シベリアの狩猟民は、儀礼的贈与交換、姻戚のシステム、狩猟が一体性を持つ事を示す。象徴的な狩猟の儀式が、狩人と獲物との結婚として理解されている。狩猟によって動物を得る事は、森の精霊から女を贈与される事に等しい。

4 自分自身を贈与する
贈与においては、贈与物に贈与者自身が託される。それは個人であるとは限らず、共同体のアイデンティティを投射する事もある。市場で購入した物の所有権は完全に購入者に移るが、贈与された物は贈与者から完全に切り離されず、捨てる事は侮辱になる。贈与は自己を受け手に延長する行為である。

第15章 双子という危険
1 双子のパラドクス
多くの原初的共同体で双子は危険と見做される。

ザンビア北西部のンデンブ族では、女性が双子を産むと、ウブワンウという儀礼によって共同体全体が治療される。儀礼の前半では水源地に男根的シニヴィアンを作り、後半では村落内部に二つの部屋を建てて、男女に分かれ、猥褻な冗談を言い合う。

水源地は自然を意味し、そこから村落(文化)に移動する。二つの部屋は結婚の隠喩になっており、女性に対応する左の部屋に男根の象徴である矢が置かれ、儀礼の締めくくりに長老が矢を取って来て、左足の指の間に挟み、女に腰を掴ませて、二人で右足で片足飛びをしながら左の部屋に入る。

⇒女性の贈与によって双子の危機を解消する?

2 構造主義の教訓
双子の難問は、それが一なのか二なのかという謎である。

構造主義においては、意味作用における差異の優越があり、多くの系列の中での示差的特徴によって定義される。差異が機能するには、差異が設定される全体が必要。男性と女性の区別は、人間という集合を前提にする。人間が無ければ、男性も女性も意味が無い。差異を経由しない全体性。

レヴィ=ストロースが、意味の担い手としての言語は、一挙に全体として出現したはずとするは、言語が差異を経由しない全体性であるために、一つ一つの語彙が有意味とするから?

3 分析哲学の教訓
分析哲学では、名前はトートロジーであり、A=Aという同一律を支えにしている。

記述説:
名前とは、「対象の性質についての記述の束」の代用品。ここでの性質とは、他の対象との差異である。

反記述説:
ソール・クリプキによる。対象の性質を常に正しく認識出来るとは限らないため、名前はトートロジーである。

4 「そこがいいんじゃない!」
与え受け取る事は、他者を承認する事を意味する。

仮に他者を有益な性質のために肯定しているのなら、それは部分的承認であり、もっと優れた他者と出会えば関係を切り替える(記述説)。しかし、同一性によって他者を承認するのなら、それは全的承認となる(反記述説)。

5 一者における二項対立
名前によって指示されるのは、「〇〇である」という事でなく、「〇〇でない」という可能性?名前の対象は差異性?名前が有効に機能するには、同一性と差異性のどちらを採用するのか無意識的に決定していなくてはならない。

双子は、一者がそれ自体において二者であるため、同一性と差異性の二項対立を可視化してしまう。ある物を「○○という性質を持っている」とするか、「〇〇という性質を持っていない」とするのかで混乱する?

第16章 贈与の謎を解く
1 メシアは一日遅れてやってくる
双子が誕生した時、婚姻(女の贈与)を儀礼的に再演する事で危機に対処する共同体がある。

ギルバート・ライル:
理解するとは、分割する事とした。一つの実体をより小さく分割していくと、それ以上は分けられない段階に至る。このような極限を想定しなければ分割が何を目指した操作か分からなくなる。

ある固有名で指示される対象が何であるか、「〇〇という性質を持っている」、「◆◆くらいの高さ」と分割していくと、それ以上は条件を付け足せない事を示すために、無という条件を付加する必要がある。

無という条件が付けたされる事により、対象は「明晰に規定し得る部分」と「無」の二項に分割される(原本的二項対立)。

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上記の原本的二項対立を双子の危機に当て嵌めると、性的差異は原本的二項対立と考える事が出来るかもしれない。

カフカの「メシアの到来」では、メシアは到来の日より一日遅れてやって来る。これは到来の日が原本的二項対立の水準が排除される時で、二項対立が意識されるには、原本的二項対立の排除が終わっている必要があるという事かもしれない。

双子は、二なのか一なのか判然としない事により、同一性と無の対立を呼び起こしてしまう。

2 トーテミズム
AがBに贈与する時、Aの主観的世界においてはBに対して負債があると感じている。贈与は初めから反対贈与であり、カフカのメシアのように最初の贈与は一日遅れて反対贈与になる。互酬性が完全である状態は回避されなくてはならず、一日遅れでなくてはならない。

そして原始共同体における儀礼的贈与には、共同体を代表して行われる贈与があり、拡張された私としての共同体がある。共同体を基盤とした第三者の審級の措定。その元とも原始的形態はトーテム信仰かもしれない。

3 贈与の機制
私は、自分自身が何者であるかを不断に言語や象徴によって自己定義している。

そこに原本的二項対立が排除されたとすると、自分自身を定義するための「無」が無いため、肝心な何かが欠けている事になる。その欠けている何かを他者が所有しているように感じる。贈与によって自らに欠けている何かを受け取らなくてはならないとする。

贈与は他者からの承認であり、それが完結するには反対贈与によって贈与を受容した事を示さなくてはならない。そして自らを贈与者として位置付けた者は権威者になる。

贈与と反対贈与に時間的隔たりがあるのは、贈与者が受贈者に対して他者であり、受贈者の操作に服していない事を示す。他者性(自分には把握し難い謎)を残した他者からの贈与には、記述不可能な0が含まれ、それが欠けた何かとなる?

4 謎の「第三の人物」
モースによると、マオリ人のインフォーマントは、贈与がAとBの間で行われる時、Cという第三者を介すとする。これはサンタクロースの話と似ている。これは贈与の謎として残る。

第17章 供犠の時代の調停的審級
1 供犠の時代
農耕開始と伴に供犠という実践が出現した。マルセル・エナフは、農耕出現から近代以前までを「供儀の時代」と呼ぶ。狩猟採集民が自然の精霊に対して行う贈与は供儀と見做さない。

贈与は対等な他者に行われるが、供儀は超越的な他者に行われる。

2 女神の調停-『オレステイア』から
アイスキュロスの悲劇『オレステイア』(紀元前458年上演)は、贈与交換を基準とする社会から、供儀のシステムへ移行する危機を主題とする。

〇第一部:アガメムノン
トロイア戦争の英雄アガメムノンが、妻クリュタイムネストラに殺害される過程を描く。娘イフィゲネイアを女神に生贄として与えた事の恨み。

〇第二部:コエフォロイ
アガメムノンの子供オレステースとエレクトラが母クリュタイムネストラに復讐する物語。復讐を遂げたオレステースは復讐の女神エリニュスに取り憑かれ苦しむ。

〇第三部:エウメニデス
オレステースの裁判の様子。アテナが無罪を支持し、エリニュスは慈しみの女神(エウメニデス)になる。

上記の第一部、第二部では互酬的贈与に準拠した正義が支配している。この場合、復讐が義務になる。復讐の連鎖が止まらない。第三部では、正義を作用させる装置として、紛争を調停する審級がある。

供犠が差し向けられる超越的他者にあたるのは、調停的機能を担う第三者の審級である。供儀を行う社会と伴に、正義が当事者同士の復讐に基づいていた段階から、調停的機能を有する独立の審級を組み込んだシステムに移行する。ここれは復讐は義務でなく私的行為になる。

3 社会の内部/外部
二つの社会型がある。

①復讐による社会
共同体が贈与交換によって関係している。

②調停による社会
高次の第三者の審級を有する。

贈与によって関係している人々は内部(我々)である。贈与が成功してこそ同じ内部に属していると承認される。だから贈与交換は潜在的には闘争であり、復讐に転化する可能性がある。

調停による社会では、審級者が全体に斉しく第三者としての位置を保つため、均質な内部(我々)が実現する。

ここでカーストのシステムは、贈与を基本とした社会において、内部/外部の区別が両義的(贈与が成功しなければ内部か外部か判然としない)な域を保つ試みと言える。そのため相互カースト間での結婚や贈与を禁じる。

中華帝国のシステムは、調停による社会の大規模なケースで、華夷秩序はその延長にある。

4 七賢人を巡った後で
以下の二つの例。

①古代ギリシア
古代ギリシアの戦士は、環状に並んだ兵士の真中にメゾンと呼ばれる共通空間を構成し、その中に置かれた物を共有財産と見做す風習があった。これが公共空間の元とされる。中心への贈与、中心からの贈与として公共空間が構成される。

②七賢人
ミレトスの漁港で発見された黄金の鼎が神託によって、賢者に授けられるべしとされるが、タレースが自分よりも賢い者に鼎を贈り、七人を経由してタレースに戻ってしまい、アポロンに奉献される。著者は、循環によって価値が生じたとする。

第18章 国家に向かう社会/国家に抗する社会
1 捨てられたことによって届いた手紙
シェイクスピエアの『トロイラスとクレイシダ』は、女の贈与/略奪に付随する報復の物語である。

トロイア戦争において、トロイ王子パリスの兄弟トロイアスは神官カルカスの娘クレシダに恋し、二人は結ばれる。しかし。翌日にはクレシダはギリシア側に寝返り、ダイアミディーズの女になる。

クレシダとダイアミディーズの交歓は、トロイラス(第三者)の眼差しを前提にして演じられる。クレシダの中には統一性の規則が存在しない。

2 一般交換
母方交叉イトコ婚について、第三の主体Xの想定があるとする。父方交叉イトコ婚では、女の限定交換の中に閉じ込められてしまい、第三者が入り難い。

3 中国型システムの初期形態
中華帝国は大規模場贈与交換網と調停的審級を持つ。

「正」の本来の起源の形態は、「口(城壁で囲まれた邑)」と「止」からなり、「正」は邑の支配者を意味し、「他邑を征する」という意味があった。支配者の主な任務は、征服であり、「征」には税を取る意味があった。「政」の本来の意味も徴税である。

原初的な正義は物理的暴力に根ざしており、正義は支配者への贈与を強制していた。国家が強力な収奪を行い、その配下に勝手に復讐を行ってはならず、それは国家が独占的に行使する。共同体の間に存在していた贈与と復讐の原理を国家が全て吸い上げた時に帝国が完成した。

4 国家に抗する社会
贈与は相手に自分自身を贈る行為であり、受贈者は与え手の自己に統合される = 権威を持つ。贈与社会の中で権力者は与え続けなくてはならないが、それには限界があり、互酬的共同体においては集権的権力が発生し難い。

中国のような大規模な帝国が発生するには、贈与の連鎖が中心化するだけでなく、第三の人物という余剰が必要になる。

第19章 三国志の悪夢
1 ユーラシア大陸両端の地形
中国では広い帝国が実現出来た。さらに300年~400年の期間で統一と分裂を繰り返す。山脈等によって隔てられた欧州と違い、中国は平坦で黄河や長江によって結ばれている。そこで念頭におかれる統一手段は戦争である。

2 三国志の悪夢
『三国志』は中華帝国の本質に関わる以下の二つのテーマを伏在させる。

①中国は単一でなければ正統でない
②利他的君主(劉備)が皇帝として相応しい

中華において完璧に利他的な連帯を「幇」と呼ぶ。その外部では利己的でも構わない。そして、地方で満足するのでなく中央政権を奪取する事を目指さなくては正統性を得られない。英国王が貴族に妥協してマグナ・カルタを出したのは、地方に基盤を持つ貴族がいたからだが、中国では地方領主が皇帝に妥協を迫る事は出来ず、自分自身が皇帝にならなくてはならない。

3 恒常的戦争に基づく改革
春秋時代の300年間で1200回以上の戦争があり、少なくとも110個以上の政治的共同体が消滅した。続く250年間の戦国時代には150回を超える戦争があった。

ローマ共和国は人口の約1%、ギリシアのデロス同盟は5.2%を戦争に動員したが、秦は人口の8%~20%を動員したという。古代中国は近代以前において最も凄惨な戦争を経験している。長い戦争を通じて封建諸国家は征服・統合され、単一の帝国になる。

その理由は中原が平坦で軍隊の移動に適していたから?

多くの兵士が身分や血統とは無関係に徴収され、そのために人口調査等が行われ、そのための官僚制が整備される。

4 帝国は内面化された戦争か?
秦が採用した理念は法家の思想である。その要諦は信賞必罰によって人々を従わせる事であるが、これは戦争において人々を屈服させる方法を内政に転用したものである。

第20章 驚異的な文民統制
1 彭徳懐の孤独な敗北
中華人民共和国 初代国防部長彭徳懐は、毛沢東との戦いに敗れた。1928年に30歳で中国共産党に入党した彭徳懐は、1954年に国防部長に就任し、1958年の大躍進運動を批判する。
1959年の東欧訪問で各国の支持を取り付ける事が出来なかった彭徳懐は、帰国後の廬山会議で討論を命じられる。毛沢東は、自分に反対するのなら、農民を率いて政府転覆を図ると言った。人民解放軍は毛沢東の側につくというのだ。

2 完璧な文民統制
約4000万人の餓死者を出しても従順な中国の人民と、軍事クーデターを起こす事が出来ない彭徳懐。彭徳懐は東欧の軍隊の方をあてにしており、中国軍が毛沢東に逆らう事を想定していない。極端に強い文民統制が毛沢東の独裁を可能にしている。

文人の権威が軍人に勝るのは中国史全般に見い出せる現象。中華帝国の創始者は軍事的勝利者だが、政権に就くと軍人としての側面は二次的であるように振る舞う。

『史記』では劉邦より項羽の方が軍事的に有能であったように描かれ、『三国志』でも軍事的才の無い劉備が良く描かれる。

3 家族への攻撃
最初の中華帝国である秦は法家(軍事的統治の内政化)によって統治したが、漢に倒され儒教が中国の統治理念となる。儒教は家族・親族の内的連帯を重視する。

秦は儒教を攻撃し、家族への愛着を無効化し、皇帝を権力の中心に置こうとした。伝統的集団から個人を解放し、個人を一律に管理する。井田制廃止、人頭税導入もその目的に沿う。

しかし、恐怖によって従わせるだけのシステムには持続性が無かった。

4 法家と儒家
漢は家族的単位を復活させた。行政実務では法家を残したが、全般としては儒教を採用。

儒教には忠と孝という君主や家族への服従義務がある。法家が賞罰で強引に引き出した服従を内面的に調達する。

一方で法家は諸地域から世襲的支配を根絶し、全国一律の行政機構を導入した。漢の郡国制は、部分的には封建制を認めたが、基本的には政府に任命された官吏が行政を行い、地方領主も中央政府の中で地位を持たなければ正統性を持てなかった。

第21章 国家は盗賊か?
1 敗者の勝利/勝者の敗北
岡田英弘は、1206年のチンギス・ハーン即位を世界史の始まりとする。モンゴル帝国はユーラシア大陸の大半を支配する陸の帝国。東洋と西洋という歴史観念を持つ地域を繋いだ。

著者は軍事的に優越していたはずのモンゴルが、文化的には中華に服属していたとする。中国は絶えず蛮族の侵略を受けたが、逆に侵略者達の方が中華の伝統を導入している。そうでなくては中華帝国の広域を支配出来なかった。

2 皇帝位のアンチノミー
中華では身分や民族に囚われずに誰でも皇帝になれるが、皇帝以外は皇帝になれない。彭徳懐の例のように皇帝の位が厳格に守られているように見える。

ヘーゲルの概念:
現実は概念と一致しない。現実の君主は、君主の概念には完全には適合しない。愚かであったり強欲であったり。

儒教では正名として、概念と現実が合致する完全な君主が過去に存在したとする。周の文王等。

3 「国家=盗賊」論批判
マルオー・オルソン:
市場から独占企業が出て利益を獲得するまでの過程と同じ論理が権力闘争の場で働いているとする。一つの部族(盗賊)が強くなれば、その優位が拡大していく。そうして出来た最大規模の部族(盗賊)が国家である。

国家とは特定地域を独占的に支配する盗賊である。

F・フクヤマは上記のモデルは中国に当て嵌まらないとする。税率が理論上の最適解より低過ぎる。例えば明の大半の時代において、土地に課せられた税率は5%程度。これは極めて低い水準で侵略を防ぐだけの防衛費を用意出来なかったとする。

中国は広大であり、行政を役人達に委託しなければならないため、オルソンの一元化モデルは成り立たず、完全な独占が成立しない。税の中間搾取によって高い税は不可能?

4 「公」と「天」
中国の「公」は道義性の高い概念である。「天」は「公」の多数者よりさらに広い外延的範囲を指示する。天の一部として意味付けられる事で公に道義性が宿る。

第22章 華夷秩序
1 世界の中心
「中国」とは国名でなく中心という意味である。中国は中心に規定された空間で世界の中心 = そのものとなる。皇帝が支配している領域は本来は限界を持たず、世界全体と合致していなければならないとする。

2 華夷の序列
この中国に限界が無いという理念は、万里の長城等とは矛盾する。皇帝の権力が及ばない外部への恐怖に基づいて建設された?長城に対応する認知として中華思想があり、中心に位置する華とその外部にある人間以前の夷の世界を規定する。

しかし、夷であっても中心に侵入すれば正統支配者として承認され、中国的文化を受容した。

3 「往くを厚くし来たるを薄くする」
皇帝は君子(徳がある)として、朱子学の理論では「理」を体現する。こうした認識が確立すると、軍事力で上回っても皇帝を斥ける事が出来ない。

皇帝と朝貢国との関係は、天と皇帝との関係の再現にあり、祀っている天からの天命は皇帝にとっては最大の回賜となる。このような序列は階層関係にあり、皇帝(中心)―中華―朝貢―互市―夷となる。

朝貢は贈与関係であり、負債(国王としての資格等)を持つ朝貢国が朝貢し、皇帝は与え手である事を確認するために、朝貢を凌駕する量を返さなくてはならない。朝貢国は経済的利益だけでなく、存在の尊厳を与えられ、その前提は中華皇帝が天から承認されている事にある。

互市では経済的利益のみで、夷とは何も無い。華夷秩序は中心(皇帝)との様々な強度の贈与―反対贈与関係。

4 パーソナルな関係
「幇」は中国社会におけるパーソナルな関係を支配する原理である。幇内部では利己性は滅却され、幇全体が単一自己のようになる。そして幇内部でも自己と同一視される他者と、信用出来ない他者の間に中間的レベルが入る。自己を中心とした同心円の構造で、これは華夷秩序と同じ構造を持つ。

5 三顧の礼
『三顧の礼』では、劉備の側が孔明の方へ朝貢をして重い贈与をしている。これと同等の効果が社会システムの中で確保されれば、皇帝の権力が実効的なものになる。

第23章 人は死して名を留む
1 刺客の社会的地位
『史記』の列伝は七十巻から成るが、二十六巻目が刺客列伝で五人の事績を記録している。中国では刺客に重要性を与えており?仇を他人に依頼し、その動機も親の仇等でなく、自尊心を傷つけられるような屈辱である。

高い身分の者が法外な大金を提供しようとしている事実が、刺客にとって尊厳の贈与になっている。『三顧の礼』における実現しなかった二回の訪問が贈与になるように、実際に大金を支払わなくても贈与になっている。

2 己を知る者のために
刺客にとっては、主君である他者が自分を国士として承認する事が大切。庶人としての義務は限定的だが、国司としての無限の責任がある。

3 持続の帝国
歴史に名を残す事は中国人にとって人生最大の目標であった。中国型の歴史は天命の正統が継続している事を証明しているものであり、同一なるものの継続である。

4 「存在」を与えられる
中国史では徳ある皇帝が天命に沿って統治しており、他の皇帝も同じようにすれば上手くいくはず。中国史に名を残す事は、天命の正統なる継承に対して有意味な貢献をした事の証明である。

キリスト教徒は救済によって神の国で永遠の命を手にするが、中国人にとっての歴史は同様の意味を持つ。

5 個人档案
中国共産党は、「個人档案」という文書を管理している。これは一種の履歴書であり、上司が管理する。中国共産党の人事システムの根幹。これは伝統中国の己を知る他者に徹底して帰依し、歴史に名を留める事を人生の意味とした中国人の現代的現象形態と著者は推測する。

第24章 皇帝権力の存立機制
1 トップに直訴する
『ワイルド・スワン』は、ユン・チアンの祖母(1909年生まれ)から文科大革命が終わる1978年までの現代史の証言である。その中に、ユン・チアンの母親が夫を不当逮捕から救うために周恩来首相に直訴しに行く話がある。

現代中国でも地方から北京への陳情が年間50万件ほどあり、陳情する者達が生活する村まである。行政が機能していれば、陳情は地方政府に対して行われるはず。目前の役人は信頼されていないが、共産党幹部は信頼されている。

官僚は統治対象である人民に応答責任があるとせず、自らへの上司に応答責任を自覚している。その階梯上位に共産党幹部がいる。

2 自己チューに先立つ脱中心化
中国史では、侵略者達が中原を支配して中華となる(脱中心⇒中心)流れがある。

3 「第三の人物」はどこから?
「我々」という同一性の到達には他者の存在が不可欠。黒が黒として同定されるには、黒と区別される他の色が必要。他者は自己が存在するために必要な何かを最初から所有しており、「我々」の存在は他者からの贈与の形を取る。

他者は私の志向作用の最大到達範囲の外部にある相対化を許さない無限の距離である。他者は常に裏切る可能性を持っており、それが愛の対象である事の条件である。

このように他者を現前している他者とは別の、より抽象的な実体として定義すると、贈与において抽象的第三者を介入させる意味が出てくる?

4 至るところにハウが
抽象的第三者を経由した贈与は、社会的有用性に還元出来ない付加物を宿しているように感じられる?お菓子のおまけが二次的付加物でありながら、本品よりも魅力があるようなもの?

5 皇帝の生成-基軸的な論理
贈与交換が盛んになっていくと、第三者が共通の性質を持っていくと思われる。それこそが調停的審級である高次の第三者の審級なのではないか。

第25章 「母の時代」から「父の時代」へ、
     そしてさらなる飛躍

1 「統一性の規則」がない
統一性の規則が無いとは、裏切る可能性が消去出来ない事 = 還元しきれない他者の不確定性を指している。人間だけが猥褻の感覚を持ち、第三者の視点は他者の眼差しにおける性的意味と関係している(オーソン・ウェルズの『不滅の物語』)?

2 皇帝からの「先験的な贈与」
黄金の鼎がギリシア七賢人を循環した後にアポロンに献呈されたように、贈与の繰り返しによって高まった物品が超越的権威を帯びる。高次の第三者が共通の贈与者となる。

贈与を通じた社会システムには与える事の限界による内在的限界があるが、高次の第三者は常に与える立場にあるため、皇帝から国士として認められる事が自尊心の根拠となる。

高さへの意志を持つ西洋と対照的に、中華皇帝が広さへの意志を持つのは、皇帝の超越性が無限に広がる贈与の連鎖の代表制に由来しているからかもしれない。皇帝は全体に君臨していると見做される限りで敬意を集める。

3 「母の時代」から「父の時代」へ
中国では外婚的な宗族の前に、交叉イトコtの結婚による父系家族のモデルと、母系親子関係を基軸にするモデルがあったとする仮説がある。姓は女偏である。

マルセル・グラネ、ジュリア・クリステヴァ:
①禹の伝説
禹は夏王朝の創始者とされるが、彼の治水事業の途中で妻が石化した逸話がある。石を禹が叩き割って妻を救出する逸話は、禹が母性的機能を奪い取り、家父長的権威を確立した事の暗示?
禹歩とされる身体技法は、農民の祭りにおける舞踏法に近く、禹は女の動作を真似る事で、女性性を統合したのかもしれない。

②女媧
人間を創造した女神。他に西王母等の母的存在への崇拝。

紀元前11世紀の後半から父系的モデルへの変化が起こったと推定する。父権における権力の帰属先は、祖先(抽象化された父)に帰属する。父を媒介にして死んだ父を見通す。

4 「天」への飛躍
「公」は多数者間の公平な分配を概念の中心とする。それは天によって裏打ちされる。皇帝とは、神の配偶者ではないか。始皇帝の統一の前に存在した都市国家の多くは大地母神を祀っており、各地の大地母神の正式な配偶者が天の神であり、それが以下度の本来の意味である。

一人の個人だけが天命を代表する。それがシステムの当店であり、天意に直接従う皇帝の権力は軍人より大きい。不動点である皇帝からの距離によって序列が決まる。

5 ゾルとゲル、あるいはその中間
中国史はゲル(準固体状態)とゾル(流動状態)の繰り返しである。贈与の機制を活用する事で、中心に単一の権力の原点を生み出し、それが秩序をゲル状に固定するための起点である。

インドではカーストによる贈与が規制されており、それが社会システムの根幹になっている。

インド社会は、中華のような贈与原理の積極的活用を拒否しているため、中華の様々な文化要素が適合しなかったが、中華においては仏教のようにインドの社会システムの例外として付加されている要素であれば部分的に導入出来たとする。

インドでは贈与という価値形態が中国のように大規模には展開せず、そのため贈与の一般的価値形態としての皇帝が出現しなかった。

第26章 文字の帝国
1 国家形成の一般理論
以下は、国家の特徴。

①権力が派生する中心を持つ
②権力の源泉は軍事力の独占によって支援される
③国家の同一性は地縁や領土に基づく
④階層化された不平等な社会

マーク・マンコールは、清の皇帝権力には以下の二面性があるとした。

①東南の弦月(礼部)
朝貢国と儒教的礼に基づいて関係する。
②北西の弦月(理藩院)
ロシアやモンゴル等と相互尊重に基づく軍事同盟を結ぶ。

上記の二つでは社会システムの異なる論理の層が活性化しているのではないか。

2 文字の帝国
中華帝国における基本的な成層的序列は漢字であり、文字を読める事が区別の基本となる。日本では江戸時代でも帯刀によって軍事力を誇示した事等からも、中華のように軍事を小さく見せようとする面が少なく、ために文民統制の成功例である科挙を導入しなかったのかもしれない。

3 文字の三つの戦略
独自に発明された文字は少ない。

①一つの文字が一つの音素を表す
②一つの文字が一つの音節を表す
③一つの文字が一つの単語を表す

漢字は上記③の音声から自由になろうとしている文字である。

4 正名としての漢字
中国は広いために多様な言語があり、表意文字でなければ円滑な意思疎通が不可能。さらに中国は漢字によって規定されており、八種類という人口や広さの割りに少ない言語は二千年以上も漢字を使用しているために音声多様化が抑制された結果かもしれない。

漢字こそが正名の実体かと考えると、漢字は古代中国の人々に普遍的真理の表現として受容されたのかもしれない。

第27章 漢字の呪力
1 文字を知る官僚
高級官僚のカリスマは漢字を駆使する能力によって保証される。文字を使いこなす官僚は、皇帝の代理人として君臨した。皇帝は天命を受けているが、一人では実務をこなせない。行政用スタッフとして、科挙によって有徳性を確認された官僚が採用される。

2 漢字の呪術性
漢字の起源は甲骨文字であり、紀元前1400年頃から使用された。商の22代の武丁の頃と推測する。甲骨文字は1899年に発見されたが、現在の漢字とそれほど変わっていないため10年ほどで解読出来た。

以下の論点。

①神強制
甲骨文字と一緒に神に提示される供犠は神に回答を迫る技術だった。
②食べる神
甲骨文字使用にあっては、人間を食べる神が想定された。
③人間を生贄とした

周は漢字を契約に使用し、文字化された言語の呪術性を活かしたとする。

3 文字以前
「文」は人間の身体を正面から捉えた形。「字」は家の中に子供が立つ形。子が生まれて一定期間が経過すると、顔z区の一員として先祖に報告し、参拝させる加入儀礼があった。

両者を総合すると、子供が成人した時に、体に模様を描き込む習俗の可能性が伺える。「産」の頭は文の形であり、子が生まれた後に額に徴を書き込んだ事を示す?

漢字は体に刻印された図形が転態したものと推測。身体に図形を描く事は、自然的状態から規範的な社会水準への転身であり、文字が普及した事でその風俗は失われる。

第28章 「天子」から「神の子」へ
1 全称命題と特称命題の間のギャップ
全称命題:全てのXはPである
特称命題:あるXはPである

神学者アベラールは上記二つのギャップに気付いた。全称命題が成り立てば配下の特称命題が成り立つが、特称命題を積み重ねても全称命題にはならない。

2 「正名」の機能
ヘーゲルの『精神現象学』では「精神は骨である」という命題があり、精神を文字に置き換えると甲骨文字を骨に刻んだ事と関係するかもしれない。

ヘーゲルがこの命題を提起するのは人相学によって身体表面の特徴から精神を読み取る事に失敗し、頭蓋論の項に移行したところである。身体表面に描かれた文字が、骨に刻まれた文字に代わられた事と合致する?

************

儒教における「正名」は圧縮された全称命題である。ここで普遍概念(全称命題)が存在と無関係とすると、普遍概念 = 理想像によって規定されている実体はどこにもいないかもしれない。

漢字は普遍概念と存在を架橋している。例えば「父」という正名は、あるべき父を規定しているだけでなく、理想の父の存在を保証している。父という集合が空集合でないように、一つの要素を与えている。全称命題と特称命題のギャップを埋める作用。

3 「名前」のトートロジー
名前を意味の一部とすると、その名前のみで社会的に機能する場面がある。

4 「天子」の指名
名前に普遍概念としての意味を付与するのは、高次の第三者としての「天」とする。そして皇帝は天によって承認される。名前 = 漢字が天によって保証されているから、科挙が官僚の登竜門となった?

5 天子/神の子
一神教における神はヤハウェ = 「私はある」と名乗り、曖昧にしか名乗らない。

それは偶像崇拝禁止とも結びつく。

全称命題と特称命題のギャップにより、存在しているものはそれだけで普遍概念と合致しない。神に名前を付与すると、経験的な実在となり、普遍概念とは合致しなくなってしまう。

ここで普遍概念に合致した実在を仮定する場合に、中国では天子や君子が実在すると仮定し、それが正名によって指示されるとした。西欧では具体物は絶対に存在しないという方法で偶像崇拝禁止等の政策を取った。

キリスト教では、普遍概念である神がイエス・キリストとして具体的に存在した事により、普遍的な神が非存在になってしまう。

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生きている間に読める本

facebookで、「自分が生きている間に読める本は残り100冊くらい」という文章を読んだ。

自分が生きている間に、行ける場所、食べる物、読む本等には限界があり、全てを知る事は出来ない。残りの人生が30年程度としても、その間に何をして暇を潰すかは悩ましい問題だ。

名作とされる文章を全て読むだけで何千年もかかる。

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