世界史の逆襲

読んだ本の感想。

松本太著。2016年2月23日 第1刷発行。



21世紀における新しい戦争について。

第一部 万人の万人に対する戦い
二度の世界大戦を経て、米ソ冷戦下の核兵器による相互確証破壊によって、17世紀のウェストファリア条約以降の三世紀に渡る国家、政府、国民の三位一体によって戦われる主権国家の戦争は消滅した。

現在では非政治的な低強度紛争が主体となっている。

以下の変化。

①軍事技術
無人機や宇宙開発、サイバー空間等。
②国際法
1928年の不戦条約以降、国際法上、武力行使が許容されるのは、(1)集団安全保障措置としての国連憲章第七章第四二条の規定による強制措置の場合か、(2)国連憲章第五一条に定められる主権国家による個別的自衛権に基づくものでしかない。1974年には国際連合総会にて侵略の定義に関する決議が採択され、かつて存在した戦争のほとんどが非合法化された。
③非国家主体
アルカーイダやヒズボラ等。

グローバル化や通信手段発達により、非国家主体の戦う力が強まる一方で、国家は法規範や社会規範による制約を受けている。傭兵は17世紀の三十年戦争以降、神聖ローマ皇帝フェルディナント三世が歴史上初めて平時の常備軍を設立する等して姿を消していったが、現代では法的規制が不十分な民間軍事会社が大いに活用されている。

<ダーイッシュの戦術>
イスラム原理主義者の以下の戦略。

①移住(ヒジュラ)の実行:イスラム国への移住を推奨
②忠誠(バイア)の誓い:世界各国の組織が忠誠を誓う
③ジハードの扇動:個人による攻撃の実行

イスラム主義者の指南書『野蛮の作法』を書いたアブ・バクル・ナージは、民族的・宗教的復讐心を創り出し、大国からの軍事的反応を引き起こす事の有効性を指摘する。

恒常的な暴力を継続する事で、イスラムが勃興する七世紀以前にあった無秩序状態が生じて、それに乗じてイスラム法を広め、安全を提供する事で人気を集めるとする。

第二部 国際秩序の変動と歴史の逆襲
21世紀には、以下の国家類型が併存する。

①プレモダン:主権国家を確立する事が困難な国々
②モダン:国家主権に基づいて行動する。
③ポストモダン:
自由主義が普遍化し、国境の役割が低下し、国家が相互依存を高める状態。

現在の国際秩序は、1648年以降のウェストファリア体制が欧州近代の枠組みで生じ、19世紀後半から世界に広がった普遍的規範である。

三十年戦争後に結ばれたウェストファリア条約は、主権国家間の平等を内政不干渉を基本原則とする。その動機は、宗教に関わる議論が宗教紛争に繋がる恐怖である。そのため、国家を超える宗教的権威等を認めない。さらに、戦争を避けるために主権国家間の合意や条約、規範が遵守される事が求められた。

<三十年戦争の思想的影響>
ルネ・デカルト:
確かと思われた信仰によって大量殺戮が行われた現実に、「我思う故に我あり」という疑う事による合理精神を生む。

フーゴー・グロチウス:
1625年に『戦争と平和の法』を著し、ウェストファリア条約の理論的基礎を創る。国家間の基礎となる確かなものとして国際法を認識。

ホッブズ:
社会秩序の基礎として、トゥキディデスの『歴史』を翻訳し、『リヴァイアサン』にて国家理性に主権を委ねる自然状態を措定した。主権国家という思想の誕生。

平等な個人間の社会契約による国家形成という視点は宗教戦争を終焉させるために不可欠であり、ルソーやロックによる批判的発展を経て近代の主権国家論に繋がる。

<華夷秩序との対立>
中華文明を唯一の文明とする中華思想はウェストファリア体制とは相性が悪く、近代における中国の世界進出を困難にしていた。

近代国家では明確な領土を画定しなければ排他的な主権が確立しないが、1871年に台湾で琉球民が殺された事に抗議した日本政府に、清朝は台湾を「化外の地」であるために関知しないとしたため、日本政府は無主の地に対する先占の論理に基づいて1875年の台湾出兵を正当化した。

さらに朝鮮半島でも朝鮮が属国か独立国かの議論が発生。日本は朝鮮は清への朝貢国であるが属国ではないとし、朝鮮を保護する事を主張し、日清戦争へと繋がっていく。

<アジアのウェストファリア体制>
1954年に中国の周恩来首相とインドのネルー首相との間で発表された平和五原則(領土、主権の相互尊重、内政不干渉、平等互恵、平和共存)はアジアのウェストファリア条約と言える。

これは1955年にインドネシアで開催されたアジア・アフリカ会議(バンドン会議)の平和十原則採択に繋がっていく。

<アラブの混乱>
オスマン帝国崩壊後のアラブは、国家意識が未醸成な地域において、軍事独裁による権威主義的統治と、イスラム主義との対立を特徴とするようになる。

第三部 国家の羅針盤
中国や非国家主体の台頭により混乱が発生している。

アラブにおいては権威主義体制とイスラム主義という二つの秩序に代わる新たな統治術が求められており、著者は現代の国民国家体制以外は無いとする。

他国の主権を侵害するウェストファリア秩序以前の秩序は摩擦を生じさせ、合意と協力に基づく秩序創造を保障しない。

国際社会において主権国家の行動を制約する上位権威が存在しない以上、国家は相互に平等であり、そのような社会では勢力均衡が求められる事になる。

しかし、力の無い平和はあり得ない。危機における宥和政策は1938年の英国首相ネヴィル・チェンバレンのドイツのチェコ併合承認と同じく、より大きな争いを生む可能性が高い。

日本も急激な中国の台頭に備えて長距離ミサイルや潜水艦開発等の非対称能力開発に勤しむべきとする。

以下は日本の戦略的課題。

① 米中が戦略的安定を志向する状況での日米同盟強化
② 米国の中長期的プレゼンス低下
③ 米国の核による中国の核抑止

上記のためにも地域諸国との間で、経済や貿易、文化的紐帯の深まりを含めた関係構築を行う必要がある。現在の競合は非軍事面の競争が大きな比重を占める。

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独裁者の教養

読んだ本の感想。

安田峰俊著。2012年10月25日 第一刷発行。



著者のワ州(ミャンマー)旅行記と、各国の独裁者について調べた内容がチャンポンになっている。アヘン王国と呼ばれるワ州でミニ独裁を体験し、自らの知識と融合させようとしたのかもしれないけど失敗している。

以下は、各国の独裁者の知識や体験への考察。

スターリン:
1878年頃に生まれる。寄宿舎制の東方正教会付属学校で教育される。校内では宗教と無関係な教養が禁止され、監督制度も存在した。独裁者となってからも、「正しい〇〇とは―」という問答を部下に仕掛ける事を好んだが、これは司祭が一般信者に正統的教義理解を問う方法と似ている。正しい見解が最初から定まっており、それに反する意見は許容されない。

カトリックでは死後の世界を天国、煉獄、地獄の三つに分けるが、東方正教会では天国・地獄の二元論的世界観を持つ。この世界観は、社会に出るまで神学以外の教育を受けなかったスターリンに強く影響したとする。

批判はあるものの、スターリンは愛国主義を唱え、大祖国戦争に勝利し、ロシア史上最大の版図を確立した。

ヒトラー:
1942年の「ラインハルト作戦(ユダヤ人問題の最終解決)」に先立つ事、三年前、「T4作戦」として障害者等を殺す作戦を実施している。一年半で約七万人の障害者等を抹殺処分した。

ヒトラーの思想を形成するドイツ民族主義や反ユダヤ主義、優生学思想等は当時の常識であり、多くの人々が望んだ正義だった。ヒトラーは常識を寄せ集めて政治に反映させたに過ぎない。

毛沢東:
少年時代は「水滸伝」、「三国志演義」、「隋唐演義」、「岳飛伝」等の中国の英雄伝に興味を示す。正規の大学教育や留学の経験は無い。読書家ではあったが、教養のほとんどを独学で蓄積していた。

中国的な反乱のスタイルに拘り、農村にて短期間の恐怖現象を作り出すべきとした。共産主義の平等な社会を中国思想の大同(天下を一つの家と見做す平等思想)と解釈し、人民公社は屯田制、共産主義革命は水滸伝の豪傑による蜂起と理解した。

ポル・ポト:
かつては大帝国を築きながら、タイやヴェトナムに圧迫されるカンボジア人の民族主義がポル・ポトを生み出したとする。

ポル・ポトの一族は、従姉が皇太子の男児を出産するなど権力との距離が近く、その縁でポル・ポトは上座部仏教の寺院や木工作業の専門学校、フランス留学等の教育を受ける。

フランス共産党のスターリン主義の影響により、都市人民を農村で再教育する等の政策を行う。中国・北朝鮮式の共産主義を本家以上に真面目に実践した結果、悲劇が生じた。

革命の中心に行政経験者はほとんど存在しないため、正しい理想を掲げれば、現実はついてくると考えた?

ニヤゾフ:
人口520万人程度のトルクメニスタンで、1991年から2006年に没するまで実権を握る。

1940年にトルクメニスタン最大部族のテケ族に生まれ、1962年にはソヴェエト連邦共産党に入党し、レニングラード工科大学に進学する。1970年にトルクメニスタン共産党中央委員会へメンバー入りすると、1980年にはアシュガバート市共産党委員会第一書記に就任。

これらの政治経験のためか、2007年のトルクメニスタンの一人当たりGDPは約5000ドルとそれほど悪くない。ソヴィエト連邦以外の政治体制を知らないため、自身への個人崇拝を行う小さいソヴィエト連邦を作り出した?

トルクメニスタンでは、20世紀初めまで部族社会が維持されており、権力とは共産主義政権か遊牧政権のイメージしかない。ニヤゾフも族長的鷹揚で石油資源からの富を分配した。

リー・クアンユー:
1923年に生まれる。当初は現地人が通う華人小学校に入学するが、華語が理解出来なかったため、英語系のテロク・クラウ小学校に編入する。後にラッフルズ学院中等部に入学し、トップの成績となる。

1942年にシンガポールが日本に占領され、天皇が無限の忠誠を捧げる存在として一夜にして至高の存在と設定された事が強烈な印象になったとする。

さらに当時のシンガポール住民の大部分が日本を恨んでいたが、圧倒的な力の統治に対して実際に反抗する者がほとんど存在しない事実が、権力の意味を考えさせたらしい。

後にマレーや華僑の伝統文化を希薄化させた英語圏の国としてシンガポールを設計していく。

フセイン:
1937年に生まれる。育ての父である叔父ハイルッラーのアラブ民族主義、愛国主義の影響を受けたとする。

青年時代にはバグダードのストリート・ギャングの頭目となり、後にはバアス党の秘密警察の拷問担当者となる。

カダフィ:
1942年にリビア北中部のベドウィンの一家に生まれる。遊牧民族の口承文学として、反イタリア戦争の英雄アブー・ムニールの伝説を好んだとする。

イスラーム学校で教育を受け、エジプトのナセル大統領の影響が強かったとする。

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光の庭

読んだ本の感想。

吉河トリコ著。2016年2月20日 初版1刷発行。



現代版『ボヴァリー夫人』かな?

以下は、Wikipediaの『ボヴァリー夫人』の記事へのリンク。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%90%E9%87%8E%E5%A4%8F%E7%94%9F

恩田陸の『球形の季節』と桐野夏生の『リアルワールド』を足して二で割った感じでもある。

1996年3月に高校を卒業した五人組(銀チョコラバーズ)の話。

仲間の一人の大石三千花は1998年2月に殺されており、2013年?に残された者達が当時を偲ぶ。

【登場人物】
大石三千花:
1998年に殺される。高校卒業後はフリーターになるが、将来に絶望し、かつての友人や男に依存していたらしい。

村西志津:
主人公。ライターをしているが売れず、同期の安田真生子が東日本大震災をテーマにしたベストセラーを出版した事に焦りを感じ帰郷する。殺された大石三千花を題材に本を書こうとする。

岩田麻里奈:
市役所の職員になる。自らを支配しようとする母親との間に葛藤がある。

倉木理恵:
モデル経験者。社長夫人。貧しい実家に劣等感を持っており、優雅であろうとする。eriという名で不倫ブログを運営する。大石三千花が高校生の時に好きだった萩尾と付き合っており、現在でも不倫関係にある。

菅川(橘)法子:
大学二年生時に妊娠し結婚。自らの醜い容姿に劣等感を持つが、それを認められない。インターネット中毒者。律子という名で倉木理恵の不倫ブログを荒らす。

岸田(稲川)比佐子:
高校卒業後の大石三千花の友人。大石三千花の名前でfacebook登録をする。

P129:
十八歳から二十歳にかけて、急速に世界が拡大し、めまぐるしく価値観が変化していく渦中にいた少女たちをいったいだれが責められるだろう。後にも先にもあれほど刺激に満ちた時代はなかった。もっともっと新しいことを知りたかったし体験したかった。もっと早く、先へ先へと進みたかった。故郷を思い出す時には郷愁よりも煩わしさが先に立つ、その若さをいったいだれが責められる?

P183:
雛形を三千花に押しつけ、そこからはみ出すことを許さなかったMと、自分の知らない世界に飛び出していこうとするMの足を引っぱり自分のほうが上だと示すことに躍起になっていた三千花。支配と従属がめまぐるしく入れ替わり、互いに互いを縛りつける。うまく機能しているうちは他のだれも寄せ付けない二人だけの世界に浸っていられるが、少しでもバランスを崩せば待ちかまえているのは悲劇だけだ。

P206:
三千花はくりかえした。ごめん、ごめんね。謝るから許して。無視しないで。一人にしないで。私を置いていかないで。
「正直ぞっとした」と率直にNは語った。
(中略)
Nにとって三千花はもうすでに、無敵の高校時代をともに過ごしたかけがえのない仲間ではなくなっていた。冬のあいだじゅう着込んでいたせいで重たく湿気った季節はずれのオーバーコート。

P248:
地元に残り、友だちはおろか恋人もおらず、職場と家を往復する毎日だった比佐子は、空いている時間のほとんどを三千花に明け渡した。そういう存在を三千花は必要としていたし、比佐子も切実に求めていた。さびしさを埋めるための間にあわせの関係だとわかっていたが、それでも構わなかった。
(中略)
「あたしたち最高」は気持ちがいい。外の世界に向かって大声で「あたしたち最高」を知らしめるのはもっと気持ちがいい。高校を卒業し、それぞれ少しずつ輪から離れていっても、三千花はただ一人あの場所に鎖につながれ、いつまでもその快楽に溺れていた。

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パルテノン

読んだ本の感想。

柳広司著。初版第一刷/2004年7月25日。



神権政治から民主制が確立していく過程を描きたかったのかな?

巫女
紀元前480年頃のペルシア軍第三次ギリシア遠征頃の話。

デルポイの巫女アリストニケの話。

神託とは名ばかりで、実際には各地のスパイからの情報に基づいてお告げを行う巫女の話。ペルシア軍侵攻に伴い、当初は降伏を考えるが、命懸けで戦ったスパルタ王レオニダスに感動し、情報戦によってペルシアに立ち向かう事を決意する。

テミストクレス案
紀元前472年の話。

ペルシア軍第三次ギリシア遠征にて活躍したアテナイの武将テミストクレスが追放されるまでの話。

エウメネス(付き人)、アリスティデス(テミストクレスのライバル?)、シキンノス(テミストクレスの家来)がテミストクレスについて証言する。

テミストクレスは民主政が英雄を望まず、自らが追放される事を予期していた。テミストクレスの望む英雄は、自らの決定にのみ従う人物であり、民主政とは対立せざるを得ない人物だった。

パルテノン
紀元前447年頃~紀元前429年までの話。

パルテノン神殿を建設したフェイディアスと、アテナイに民主制を根付かせたペリクレスの物語。

ペリクレスは、民主制の目標を「支配者と被支配者の区別を消滅させる事」と考え、莫大な建設予算を伴うパルテノン神殿建設を行う事で、公共事業として民衆に賃金を支払った。

フェイディアスは、神殿建設に自らの像を刻んだとして、自分とペリクレスを告発したリュシスを恨まない。リュシスの信念は、少数の優れた者が政治を行う寡頭制であり、自分以上にアテナイを愛するからこそ民主制を破壊しようとした。

そして、「夷狄などには、けっして破壊されぬものとなろう」と宣言されたパルテノン神殿は、1687年にパルテノン神殿に立て籠ったトルコ軍を制圧せんとするヴェネチア共和国軍に砲撃され、廃墟と化す。

パルテノン神殿は、ギリシア文化の正統な後継者を名乗るイタリア・ルネッサンスの担い手であるヴェネチア人によって破壊された。

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