満腹亭へようこそ

読んだ本の感想。

筒井康隆著。1998年5月30日初版第1刷発行。



グロテスクな描写が多い短編集だった。

収録されている短編「薬菜飯店」は、『ジョジョの奇妙な冒険 第4部』に登場するトニオ・トラサルディーの元ネタになったとされる小説。

以下は、「アニヲタWiki(仮)」の「トニオ・トラサルディー」へのリンク。

https://www49.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/10057.html

あるいは酒でいっぱいの海
酸素からヘリウムを取り出す薬を発見した話。海水は、H2O、MaC1、MgC1等で出来ているため、O16をC12に元素転換すると酒になり、世界中の海が酒になる。
その酒を飲んだ主人公は、人体の99%が水であるために酒になってしまう。

最高級有機質肥料
植物星人が住むミトラヴァルナに赴任した地球人大使の話。
植物星人は人間の排泄物を美味と思っており、その話を聞いた主人公は自閉症になってしまう。植物星人から見れば、地球人も植物の死体を加工せずに食べているわけで本質的には変わらない。

薬菜飯店
神戸にある薬菜飯店の話。

以下の料理で合計19,600円らしい。

鹿葉茶:
胃腸の働きを良くし、食欲を増進する。中国山西省 呂梁山脈に生える鹿葉を使う。密天鹿という鹿は、この草しか食べないから90年も生きるらしい。

賭揚辣切鮑肝(視力回復):1800円
鮑の肝。新種のナス科の植物の種子 辣切を薬味として使い、内臓の塩化カルシウムに作用して視覚領域全般を良好にする。

鼻突抜爆冬蛤(肥厚性鼻炎治癒):1800円
蛤の油炒め。鼻子撞抜というトカゲの皮下脂肪から採取したキリアン油を使用しており、食べれば鼻中隔の手術をしたのと同じ効果がある。

焦鮮顎薊辛湯(鼻中隔彎曲症治癒):1800円
ドイツアザミに近い外来種のアゴアザミのスープ。ドイツ山岳地帯の人が若葉と根を食用にする。

⇒蛤の油炒めとアザミのスープの効用が逆の気がする

黒焙夏家雀舌(肩重軽癒):3500円
雀を生きたまま焼いて、苦しんでいる内に舌を切る。その時に分泌される唾液が薬になる。

煽首炸奇鴨卵(咽喉疾患治癒):1800円
黒海にしかいないビロウドキンクロガモの変種の卵で、特殊な色素顆粒が喉に作用する。

味酒珍嘲浅蜊(肺臓清掃):1800円
インドの海岸でしか採れないアカオゴリアサリに含まれる成分が、肺臓内の不純物を分解する。野菜はユリ科の薬草を改良した貝母改変を使用する。

鉄板俵疾猪鼻(胃炎治癒):1800円
ランドレースという豚の鼻を切り落とし、俵に詰めて72日間、日陰の地面に埋めたものを鉄板焼きした。胃の粘液の酸の分泌を抑える効果がある。

冷酔漁海驢掌(肝機能賦活):3500円
絶食させて石を呑ませたニホンアシカの前脚。デヒドロコール酸、緑馬皮、メチオニンを含み、胆汁分泌、大社、解毒等の肝機能を正常にする。

忌馬蟻湯:
インドのタール砂漠にしかいないイミアリの汁。肥厚性の胃炎や肝臓に作用する。

熱辣径湯鍋巴(膝関節炎治癒):1800円
中国の米の変種を使い、膝関節の実質細胞の悪い部分を除去する。

蟹甲癬
クレール星に移住した人々に蔓延する奇妙な病。クレール蟹に寄生する細菌が人間に取り付き、右頬を甲羅に変える。最近は人間の脳を蟹味噌に変えて、頬に付着させる。
人間に乱獲されたクレール蟹が復活しないと、人間達が絶滅してしまう。

アル中の嘆き
幽霊になったアルコール中毒者が、酒に酔う事が出来ない話。

顔面崩壊
シャラク星という気圧の低い星で、ドド豆という豆を調理した結果、豆が顔面に食い込み、寄生虫等に食われ、人口顔面を取り付ける話。

肥満考
肥満気味の女性小説家が発狂し、周囲の人間を撃ち殺していく話。

定年食
1931年?生まれの55歳である寺村が、定年退職後に親族に食われる話。

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ライバル国からよむ世界史

読んだ本の感想。

関眞興著。2015年10月1日 第1刷発行。



国境を定めた隣接する国同士の対立について。

第1章 ドイツVSフランス
フランスとドイツは、16世紀~17世紀に国民国家が成立する以前から国境地帯の領地争いをしていた。近代で問題となるのは、1871年のドイツ統一時にフランスから割譲されたアルザス・ロレーヌの問題で第二次世界大戦の原因の一つになっている。
第二次世界大戦でフランスがナショナリズムに基づく戦争に限界を感じた事が戦後協力を加速させる事になったという意見がある。

西欧の基本はフランク王国のカール大帝に遡る。ゲルマン人、キリスト教、ローマの伝統が三位一体化した欧州という歴史的世界は、この頃から始まる。

彼の死後、フランク王国は西フランク(フランス)、中部フランク、東フランク(ドイツ)に分割される。フランスでは10世紀末に成立したカペー朝で嫡男が絶える事無く続き(カペーの奇跡)、中央集権化が進む。カペー家が途絶えたところで百年戦争が発生し、ヴァロア朝に続く。

ドイツでは分裂傾向が固定化し、1648年に三十年戦争が300あまりの領邦国家があったらしい。そして、16世紀末期にフランスで成立したブルボン朝との国境問題が明確になっていく。

<ブルグント地方>
フランス南西部、ゲルマン人のブルグント王国があった。843年のヴェルダン条約で中部フランク王国に編入されるが、後に東西フランク王国の争奪の的となる。

9世紀末には南ブルグント王国と北ブルグント王国に分裂し、北ブルグントはソーヌ川を境に分裂し、西側はフランスに属する諸侯国になり、ブルゴーニュ公国となる(東側は高地ブルグント)。

ブルゴーニュ公国は1477年に断絶し、姻戚関係から領地はハプスブルク家が領有する事になり、ハプスブルク家はスペインとも姻戚関係を持ったため、フランスはスペインとネーデルランド、ブルゴーニュ公国でハプスブルク家に挟まる事になる。17世紀~18世紀にフランスに君臨するルイ14世が領土拡大に邁進するのは、こうした状況下による。

<アルザス・ロレーヌ>
ロレーヌは、ブルゴーニュ公国の東方にあるブルゴーニュ伯領(フランシュ・コンテ)の北方にあり、東側にアルザス、西側にシャンパーニュがある。シャンパーニュは中世経済の中心で、定期市が開催されている。
ロレーヌは、三十年戦争中はフランスの支配下にあり、ファルツ継承戦争後に神聖ローマ帝国に帰属する。18世紀になってマリア・テレジアの夫であるフランツが神聖ローマ皇帝になる事をフランス王が了承する代わりに、再度フランスの領地になる。

アルザスの中心都市ストラスブルーは「道の都市」という意味で、東西南北の交通の要衝にあり、EUのヨーロッパ議会が置かれている。やはり三十年戦争でフランスに占領され、ファルツ継承戦争でアルザス全域がフランス領になる。

第2章 オーストリアVSドイツ、フランス
オーストリアという国家はオストマルク(東辺境領)が語源で、16世紀以降はオスマン帝国に対する欧州の防波堤という機能を果たす。

オストマルク自体は、9世紀頃にアヴァール人やマジャール人に対応するために設置されたとする。

神聖ローマ皇帝となるハプルブル家はスイスの出身で、14世紀中頃に7人の選帝侯によって選出される。15世紀後半に神聖ローマ皇帝となったマクシミリアンによる婚姻政策によってハプスブルク家は広大な領土を獲得する事になる。

その後、1700年のスペイン継承戦争でベルギーやミラノ、ナポリ王国等を獲得し、1733年のポーランド継承戦争でトスカナ王国やポーランド南西部を獲得し、オーストリアは多民族国家となっていく。

そして第一次世界大戦後の民族自決の原則に則り、帝国としてのオーストリアは崩壊する。

第3章 スペインVS地中海世界
スペインは地中海諸国と対立しながら大西洋に進出した。

スペインは、以下の国が王族の結婚により生まれた。

①レオン・カスティーリャ王国
8世紀初めに成立した「アストゥリアス王国」はスペイン北西部にあったゲルマンの西ゴート王国の継承者を自任する。レコンキスタ(キリスト教徒によるイスラム教徒からの領土回復運動)の中心的勢力となる。
10世紀には都をレオンに移し、「レオン王国」と改名する。11世紀にはカスティーリャ王国と合併し、「レオン・カスティーリャ王国」になる。完全統合は13世紀頃でイベリア半島の2/3を支配した。

②アラゴン・カタルーニャ王国
ピレネー山脈の南北に領土を有したパンプローナ王国を祖とする。12世紀に隣接するカタルーニャと連合王国を形成するが、カタルーニャには南フランス出身者が多いために言語が異なり、現在でも分離独立運動が発生している。

<ポルトガル>
レオン・カスティーリャ王国のレコンキスタを応援するためにフランスから来た諸侯の一人がカスティーリャ王の娘と結婚し、ポルトゥカレ伯に封じられる。その子である1143年にアルファンス・エンリケスがローマ教皇の仲介でポルトガルを独立させる。

<カタルーニャ>
アメリカ大陸との発見によって起きた商業革命により打撃を受ける。新大陸との貿易はセビリャにのみ許可され、カタルーニャの都市バルセロナは参入出来なかった。
フランスはカタルーニャを支援し、1659年のピレネー条約でスペインがフランスにカタルーニャの一部領土を割譲し、現在のフランス・スペインの国境が画定した。
スペイン継承戦争でもカタルーニャはハプスブルク側につき、中央政府に反抗。その後、ラテン・アメリカとの交易が認められると繫栄し、19世紀にはスペイン産業革命の中心になる。

<バスク>
バスク人は古代からビスケー湾のバスク県に居住した。カール大帝のスペイン遠征時の逸話から作られた『ローランの歌』はバスク人との戦争を背景にしたものらしい。

後にカスティーリャに併合されていくが、バスク人はビスケー湾での漁業から始まった航海術に長けており、大航海時代には海外に進出した。19世紀には近辺の資源を背景に産業革命の中心になる。

第4章 ロシアVS北欧諸国
バルト海を取り巻く国家群。ロシア帝国にとってバルト海への出口確保は大問題だった。

この地域に最初に君臨したのはゲルマン人の一派であるノルマン人で、9世紀頃からバルト海や北海に進出し、ノール人やデーン人、スヴェーア人に分派し、ノルウェー、デンマーク、スウェーデンを作る。

他にウラル語族系のフィン人やエストニア人、バルト語系のリトアニア人やラトヴェア人、スラヴ系のロシア人とポーランド人がいる。

その後、12世紀頃にドイツ騎士団がバルト海域に領土を拡大した影響を受け、エストニア - デンマーク、ラトヴェイア - ドイツ騎士団、リトアニア - ポーランドの関係が強化される。そして、14世紀末にはデンマーク王母マルグリーテ主導で、デンマーク、スウェーデン、ノルウェーの同君連合(カルマル同盟)が樹立される。

1520年にカルマル同盟が崩壊した後、デンマーク、スウェーデン、ノルウェーはプロテスタントを採用し、絶対主義化を進めていく。その後、スウェーデンは17世紀に最盛期を迎えるが、1700年頃に始まった大北方戦争でロシアに敗れ、エストニアやラトヴェイアを割譲する事でロシアにバルト海への出口を渡し、スウェーデンの長期停滞が始まる。19世紀を通じてスウェーデンは戦争に参加せず、国内の民主化が進んで議会主義が発展した。

第5章 イングランドVSスコットランド、アイルランド
英国は、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4地域が連合して出来た国である。

北部のスコットランドや南西部のウェールズに居住するケルト人がブリテン島に入ったのは紀元前6世紀頃とされ、ローマ進出は紀元前1世紀であり、ローマ皇帝ハドリアヌスが築いた長城がイングランドとスコットランドの境界線となる。

<イングランド>
ゲルマン民族のアングル族とサクソン族の「アングル人」に由来する。

5世紀から9世紀頃まで七王国時代として、ブリテン島南部に七つの王国が群立していた。9世紀頃にはノルマン人が襲来し、戦いの中でウェセックスのエグバードがイングランドを統一する。

ノルマン人はイングランドに大きな影響を残し、11世紀後半にはフランスのノルマンジー公のウェリアムがイングランドを征服し、ノルマン朝を作る。

<ウェールズ>
ケルト系ブリテン人の中小部族国家があった。13世紀半ばにウェールズ大公を名乗る人物が現れ、マグナ・カルタに調印したジョン王の孫、エドワード1世の時代にイングランドに併合される。イングランド王子を表す称号「プリンス・オブ・ウェールズ」は、ウェールズ人への懐柔のために王子に与えられた称号。
バラ戦争で勝利したチューダー朝はウェールズ大公の末裔であるため、ウェールズは実質的にイングランド王の出身地となる。

<スコットランド>
9世紀頃に王国が成立。16世紀のイングランド女王エリザベスに子供がいなかったため、姻戚関係からスコットランド王のジェームズ6世がジェームズ1世としてイングランド王となる(スチュアート朝)。

第6章 ユーゴスラヴィアの戦い
1991年に崩壊した「ユーゴスラヴィア」という国は南スラブ民族の国という意味で1932年に誕生した。その前は、1919年に成立した「セルブ・クロアト・スロヴェーヌ王国」でセルビア人、クロアチア人、スロヴェニア人によって構成される国家という意味。

ユーゴスラヴィア人は存在せず、内部に多くの民族を抱える矛盾が当初から存在した。

バルカン半島に南スラブ系民族が移住したのは7世紀頃で9世紀には東ローマ帝国の影響でギリシア正教を採用する。12世紀後半にはシュテファン・ネマーニャが諸部族を統一し、コソヴォを中心にした南スラブ地方を中核に、セルビアにとっての国家の原点を建設する。
セルビアは東のブルガリア王国と戦いながら領土を拡大するが、1389年のコソヴォの戦いでオスマン帝国に敗れ、19世紀末までオスマン帝国の支配下に組み込まれる。

19世紀には「大セルビア主義」というナショナリズムが勃興し、1877年の露土戦争後のサン・ステファノ条約を経て、ベルリン条約でセルビア王国は正式独立する。

1908年にオーストリアがオスマン帝国の混乱に乗じてボスニア・ヘルツェゴビナを完全併合するが、この地域を狙っていたセルビアの反オーストリア感情を煽り、第一次世界大戦へと繋がっていく。第一次世界大戦後のユーゴスラヴィアは当初から民族対立を内包しており、東西冷戦崩壊後に問題が表面化する。

特にボスニア・ヘルツェゴビナは人口比で45%がボシュニャク人、1/3がセルビア人、1/7がクロアチア人であり、簡単に分離を認める事が出来ないため、戦闘が拡大。1995年のデイトン合意ではボシュニャク人とクロアチア人主体のボスニア・ヘルツェゴビナと、セルビア人主体のスルプスカ共和国の国家連合となった。大統領は3民族の持ち回りとする。

第7章 ポーランドVSドイツ、ロシア
ポーランドの語源となるポラニ族の首長ミェシュコは、10世紀後半に神聖ローマ皇帝オットー大帝から公の位を受け、ピアスト朝を始めた。

このとき、ミェシュコ1世がカトリックを受け入れたため、ポーランドは東欧には珍しいカトリックの国になる。

ピアスト朝の最後のカジメシュ3世には男児がおらず、ハンガリー王がポーランド王位を継承するが、彼も男児に恵まれず、娘のビャドビガが国王に選ばれてリトアニア王と結婚し、ヤゲロ朝が始まる。

ヤゲロ朝は1410年にタンネンベルクの戦いでドイツ騎士団に勝利し、黒海にまで至る領土を実現。中世ポーランドは全盛期を迎える。しかし、17世紀になるとスウェーデン等の周辺大国がポーランドに侵入し、1772年、1793年、1795年の分割でポーランドは地図上から消滅した。ポーランド分割では、ドイツ騎士団に由来するプロイセン公国にも領土を奪われている。

第一次世界大戦後、ポーランドは国民国家を復活させるが、領土がかつては違うため、1920年にソヴィエト連邦と戦い、東方に領土を拡大。ドイツからはポーランド回廊として西プロイセン地方を獲得し、ドイツが東プロイセン地方のケーニヒスベルクへの陸上交通を遮断されたため、第二次世界大戦の直接的きっかけになる。

第8章 ロシアVSウクライナ
東欧で最初に成立した国家がノブゴロドを継承するキエフ・ルーシで、ロシアとウクライナはそれぞれがキエフ・ルーシの継承者を自称している。

ウクラナイナの地名は12世紀頃から出てくるが、ナショナリズムは19世紀頃からである。

15世紀頃のウクライナはヤゲロ朝ポーランドに支配されており、コッサクと呼ばれるロシアで強化された農奴制を嫌った農民や没落貴族等によって構成されていた。コサックはポーランドによる締め付けを嫌い、1654年のペレヤスラフ協定でロシアに自治を認める事と引き換えに臣従した。

そして18世紀初の北方戦争を利用して独立を目指したウクライナは敗れ、束縛が強化される。1922年に誕生したソヴィエト連邦の一員となる。1991年には独立を達成。

第9章 コーカサスVSロシア、トルコ
コーカサス山脈を軸に南北に分かれた地方。北はロシア領、南はジョージア、アルメニア、アゼルバイジャンからなる。

<ジョージア>
4世紀頃にキリスト教を受容。地域統一は10世紀頃でセルジューク朝に勝利し、12世紀には西アジアの大国となったが、モンゴルの攻撃によって凋落した。

さらにティムールやオスマン帝国、サファヴィー朝の角逐の場となって一部にイスラム教が流入。

18世紀末にはロシアの進出が始まって露土戦争後の1878年にアルメニアやアゼルバイジャンとともにロシア領化される。

以下の2つの民族。

①オセット人
グルジア中央部の南オセチア自治州等に居住し、総人口60万人ほど。グルジアへの同化政策が強化されたため、民族国家建設の動きがある。
②アブアジア人
グルジア西部の黒海の北東部を占める地域に居住。やはりグルジアへの同化政策が強化されたため、2008年にロシアによってグルジアからの独立が保障された。

<アルメニア>
古代にアルメニアからトルコ北東部にかけてウラルトゥという国家があった。紀元前8世紀にはメソポタミアから北上したアッシリアの攻撃によって衰退し、4国対立時代のメディアによって滅ぼされる。
その後、アケメネス朝ペルシア帝国時代にアルメニア人が移住し、紀元前1世紀には大アルメニア王国を建設する。最終的にオスマン帝国の支配下に入るが、商業的に成功した者も多い。
隣国アゼルバイジャンにナゴルノ・カラバフというアルメニア人居住区があり、1992年にアルメニアとナゴルノ・カラバフを結ぶ回廊をアルメニアが占領している。

<アゼルバイジャン>
紀元前4世紀にアルバニアが建設される。4世紀にキリスト教を受容するが、7世紀以降、アラブの支配下でイスラム教徒が増加する。19世紀にロシア領になり、1918年にアゼルバイジャンが成立。バクー油田の開発で20世紀初頭まで経済的に繁栄した。

第10章 イスラエルVSアラブ諸国
歴史的なシリア:
地中海の東海岸地域。シリア、ヨルダン、レバノン、イスラエル等。小アジアやメソポタミア、エジプトを結ぶ交通の要衝。紀元前13世紀以降に活躍が活発になり、レバノンを拠点とした地中海貿易のフェニキア人やシリアを拠点にした内陸アジア貿易のアラム人、さらに紀元前8世紀のアッシリア、紀元前6世紀のペルシア帝国が続く。

アラブ世界では、イスラム教が普遍的性格を持つため、オスマン帝国再興や地域の伝統を踏まえた国家建設という形では意見が一致し難い。

第一次世界大戦時の英国による以下の取り決めが混乱の原因になっている。

①フサイン・マクマホン書簡
メッカの太守であるハーシム家のフサイン・イブン・アリーに将来のアラブ独立を約束。
②サイクス・ピコ密約
フランスやロシアと第一次世界大戦後の中東地域分割を約束。
③バルフォア宣言
ユダヤ人に国民国家建設を約束。

18世紀のアラビア半島ではコーランの原点に戻るべきとするワッハーブ派という運動が起きており、サウジ・アラビア当主のサウド家の支持を受けていた。1932年にはサウド家のファバド・イブン・アブドゥルアジズがハーシム家のフサインが建国したヒジャーズ王国を滅ぼし、メッカとメディナの支配者となる。

このようにイスラム教内でも宗派対立があるが、1948年に建設されたイスラエルとの対立が最大の混乱要因となっている。

イスラム教は普遍国家を建設を目指している。西洋でも中世には同じようにローマ教会が大きな権威を持っており、16世紀になって各地で主権国家が建設され、世俗勢力がキリスト教会を抑えた。同じような動きがイスラム世界にも発生するかもしれない。

第11章 イランVSイラク
イスラム教において初期の正統カリフ時代の拠点はメッカやメディナにあり、ウマイヤ朝では都がシリアのダマスカスになる。その後、アッバース朝において都はイラクのバグダードになり、この頃にイランにもイスラム教が広まった。

10世紀以降にはトルコ人にも一スラム教が広まり、17世紀半ばにイランのサファヴィー朝とオスマン帝国で国境に関する条約が締結され、現在のイラクとイランの国境が基本的に決定する。

1979年にイランのパフレヴィー朝が倒れ、イラン・イスラム共和国という厳格なイスラム教教義に基づく政治が始まった事は大きな衝撃だったとする。その後のイラン・イラク戦争は民衆や専制君主を倒した事が、独裁制にとって脅威だった事と関係するかもしれない。

第12章 アフリカの争い
1960年はアフリカの年とされ、17の国家が独立した。

<ナイジェリア>
海岸地帯(ヨルバ人、イボ族)では欧州の影響でキリスト教が拡大し、北部(ハウサ族)ではアラブとの交易でイスラム教が勢力を持つ。
東南部のイボ族が多い地域で石油資源が発見され、この地域がビアフラとして独立しようとした事でビアフラ戦争が発生した。

アフリカは鉱物資源の宝庫であり、混乱要因の一つになっている。

第13章 ロシアVSイギリス、アメリカ、そしてタリバン
1979年のソヴィエト連邦によるアフガニスタン侵攻はイスラム諸国に大きな衝撃を与えた。支援を要請されたサウジアラビアは資金援助やムジャヒディーン(イスラム兵士)を送る名目でも国内過激派一掃を行っている。

この時にアメリカ中央情報局やパキスタンの援助で作られた組織がアルカイダ等のイスラム過激派の基盤となっている。

歴史的にアフガニスタンは東西交通の要衝であり、様々な民族の支配下になっている。原罪のアフガニスタンの領土が北東部に長いのは、ワハーン渓谷を主とするためであり、タジキスタン、パキスタン、中国との緩衝地帯になっている(ロシアと英国の緩衝地帯だった事の名残)。

第14章 ロシアVS中国
古代中国の国境は万里の長城であり、農耕地帯と遊牧地帯を分けた。清朝初期に中国の領土がチベットから中央アジアまで拡大した時に、ロシア帝国はシベリア方面に進出しており国境問題が顕在化した

1689年のネルチンスク条約でロシアと中国の国境はアルグン川とシルカ川にそそぐゴルビツァ川、外興安嶺を結ぶ線となる。

その後、1858年のアイグン条約、1860年の北京条約でアムール川左岸と沿海州がロシア領となった。

西方モンゴル高原に至る国境は1727年のキャフタ条約で決定され、1864年のタルバガタイ条約、1881年のイリ条約でロシアが中央アジアに進出していく。

中央アジアには5つの国家があるが、実際には100以上の民族が居住しており、国境線に意味が無い状態となっている。

第15章 中国VSインドVSパキスタン
シッキムはインド北東部の地名で、ネパールとブータンの間にあった王国。19世紀末に英国の保護領となり、1947年のインド独立によってインドに継承されて1975年にインドの州になる。
中国にとってはチベットは属国であり、チベットの属国であるシッキムは中国領という認識があり、対立が発生している。

チベットと英国は1914年にシムラ協定を調印し、チベットは中国の宗主権を認めるが独立国家とされた。このとき、チベットとインドの国境がマクマホン・ラインとされたが中国は認めていない。

それが1959年の中印国境紛争の原因となる。

***************

インドとパキスタンの領土紛争は、英国がインド支配を行う最終段階で北西インドのパンジャーブ地方を支配したシーク教団と戦い、英国を支援したジャンムー地方の貴族がカシミールの土地を与えられた事から始まる。彼はヒンドゥー教徒だったが住民の多くはイスラム教徒だったため争いが発生した。

現在のカシミール地方は、インドが支配するジャンムー・カシミールとパキスタンが支配するギルギット・バルチスタン州、中国が支配するアクサイチンに分かれている。

第16章 東南アジアの争い
13世紀から16世紀初頭までマレーシア、インドネシア、フィリピン南部を支配したマジャパイト(最後で最大のヒンドゥー国家)があったが弱体化し、イスラム教のマタラム王国がジャワ島を中心に勢力を強めた。

同時期は欧州諸国進出の時期でもあり、「インドネシア」が国として纏まったのは植民地化したオランダになる。

多くの島々からなる国家に、植民地への倫理政策によって知識人を育て、やがて植民地体制を批判する勢力となる。

商人の宗教であるイスラム教は商業活動を通じて東南アジアに進出するが、豊かな穀倉地帯であり季節風とサンゴ礁のために貿易港が発展しなかったジャワ島ではヒンドゥー文化が維持され、ジャワ島伝統のアニミズムや祖霊崇拝と一体化して独自の文化を持っている。

他に東南アジア地域で重要な要素は華人とされる中華系の人々で、シンガポールでは支配的地位を保っている。

第17章 中国VS朝鮮VS日本
この地域の歴史的特徴は「中華帝国」である。周辺地域が朝貢貿易を行いながら、中華に学んで国家建設を行った事を特色とする。

紀元前8世紀から紀元前3世紀頃の春秋戦国時代を制した秦が中華帝国の最初とする。

日本では10世紀頃から中国との正式な国交が無くなり、商人や僧侶の交流が盛んになり、ヴェトナムでは10世紀末の呉朝や丁朝で独立を達成し、11世紀の李朝で長期政権が樹立されている。

第18章 ラテン・アメリカ諸国の争い
19世紀の欧州で国民国家が建設され、各国が経済力拡大に努める中で、ラテン・アメリカ諸国は先進国への食糧や原料の供給地として発展した。

英国人が中心となって開拓したカナダや米国を「アングロ・アメリカ」と呼ぶのに対し、スペインやポルトガルによって植民地経営が行われた地域を「ラテン・アメリカ」と呼ぶ。

18世紀末のフランス革命の影響を受けた混乱で発生した独立運動では啓蒙思想家である軍人に指導された独立運動が発生した。

<ラ・プラダ諸国>
アルゼンチン、パラグアイ、ウルグアイ。ラ・プラタ川を生命線にして植民が行われた。1530年代にアルゼンチンの首都となるブエノス・アイレスが建設され、18世紀に本国との直接貿易が許される事で発展した。
ラ・プラタ川の対岸にはブラジルの南下に対抗するための要塞モンテビデオが建設され、ウルグアイの首都となる。
パラグアイでは先住民と白人の混血が進み、アルゼンチンとは異なる風土が育まれる。

<グラン・コロンビア>
エクアドル、コロンビア、ベネズエラ。1819年にシモン・ボルバルによってスペインから解放されるが、南米諸国の協力は実現出来ず、3国に分裂する。
エクアドルとペルーの間にはアマゾンの密林地帯の国境問題があり、1998年にエクアドルがアマゾン地域領有を諦める事で緊張が緩和した。

<太平洋戦争>
チリ北部のアントファガスタ地方をめぐる戦い。鉱物資源が豊富であり、1879年にはチリ硝石会社をめぐってチリとボリビア・ペルーの間で戦争が発生した。1883年の講和条約でチリの領土となる。現在でも問題は残っており、ボリビアは1975年にもチリに回廊地帯の割譲を要求し、両国は国交断絶した。

<チャコ戦争>
ボリビアとパラグアイの戦争。チャコはパラグアイ川東地方を指す。太平洋戦争に敗れて太平洋への出口を失ったボリビアが、パラグアイ川からラ・プラタ川を経由して大西洋に出るためにチャコ地方への進出を開始。1928年に始まった戦争は1935年まで続き、1938年の和平でパラグアイが主張した領土のほぼ全てを確保した。

第19章 太平洋上の争い
以下の3つの区分。

①ポリネシア
多くの島々の意味でハワイを頂点に、オーストリア大陸東方のニュージーランド、イースター島の3つの島で構成される三角形に入る。
②メラネシア
赤道以南で東経180度から西にある島々。黒い島々の意味で十院の皮膚が黒い。パプア・ニューギニア、フィジー諸島、バヌアツ等を含む。
③ミクロネシア
小さな島々の意味で、赤道以北で東経180度から東経130度の間の島々。

第一次世界大戦前まではドイツ領があり、第一次世界大戦後に日本がドイツ領を継承する。その後、第二次世界大戦を経て独立国家が乱立している。

第20章 アメリカVS中米・カリブ海諸国
米国は独立以来、モンロー宣言で旧大陸の新大陸への干渉を牽制しながら、西方への進出を行った。1846年~1848年の米墨戦争によってカリフォルニアを獲得し、大西洋と太平洋の両方に面する国になった事が大きい。

さらに南北戦争(1861年~1865年)を経て北部産業資本が経済を支配し、新しい進出の矛先をラテン・アメリカに向ける。穀物の輸出先でもあるし、現地農園への資本投下も進む。

1913年に完成したパナマ運河は米国によって実質的に支配されている。パナマ人の不満は大きく、1977年に結ばれた新運河条約で1999年に運河の施政権はパナマに返還された。

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