新・井沢式日本史集中講座 1192作ろう鎌倉幕府編

読んだ本の感想。

著者:井沢元彦。第一刷 2009年3月31日。



以下は、『井沢元彦の書斎』へのリンク。

http://www.gyakusetsu-j.com/

中世日本で発生した権力と権威の分離について。

<時代背景>
古代日本の土地管理には、中国から輸入された「公地公民制度」が用いられていた。日本中の全ての田を天皇家保有とし、一般庶民に「口分田」という形で貸し出し、収穫の一部を税として納めさせる。

貴族層が力を増すと、新たに開墾した土地は私有地として認められる事になり、「公地公民」は形骸化する。私有地の治安を維持するための私兵集団が武士となる。

当時の武士層は農民でもあり、開拓した土地を貴族でなく、自らの私有地として認可されたい欲求があった。鎌倉幕府は、こうした武士層の不満を取り込む形で政権を奪取する。

<鎌倉幕府の方法論>
権力(経済力や軍事力)だけで支配は出来ない。権威が必要となる。

日本においては天照大神の血を引く天皇家が最高権力の正当性と認められた。藤原氏も天皇家を滅ぼす代わりに天皇代理である「関白」という位を設ける事で権力を正当化した。

海外では旧権力者を滅ぼす事が当たり前だが、日本では天皇家の血統が信仰対象となっているため、天皇家を滅ぼして成り代わる事が出来ない。西洋では王権は神によって与えられたという権威付けがなされるが、日本では天皇家が神となる。

そこで日本初の武士政権をひらいた源頼朝は、「征夷大将軍」という役職を望んだ。最初の武士政権である「鎌倉幕府」の幕府とは、テントで作った臨時前線基地の意味。

前線基地である幕府は中央から離れた遠征地にある前提があり、中央から細かく指示を確認する事が出来ないため、幕府の最高指導者である「征夷大将軍」は独自の徴兵権と徴税権を認められた。

「征夷大将軍」は遠征しているという名目であるから都に行く必要が無く、東国で自由に徴兵権や徴税権を行使可能。後白河法皇は、源頼朝の要求を拒否し、右近衛大将という首都を守る役職を与えようとしている。

源頼朝が「征夷大将軍」に任命されるのは、後白河法皇が亡くなり、後鳥羽天皇が実権を握る1192年である。

<源頼朝と武士層の対立>
幕府体制が出来た後、源頼朝は自分の娘である大姫を天皇家に嫁入りさせようとしている。

著者は、こうした行為が反朝廷の武士層への裏切り行為であり、源頼朝が暗殺された可能性を示唆している。鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡』には源頼朝の死に関する記述が無い。

その子達も暗殺されている。

鎌倉幕府の三代目将軍 源実朝は鎌倉の鶴岡八幡宮(京都の石清水八幡宮から神を招いた。応神天皇を祀っているという説もある)で暗殺されており、天皇側の人間が身内の氏神の前で人を殺すのは不自然とする。

軍団の長である「征夷大将軍」には、軍人以外を支配する正当性が無く、源頼朝は天皇家を権威を借りようとしたが、反発されたのかもしれない。

その後、鎌倉幕府は公家の子弟を宮将軍とするが、実権は補佐役の執権である北条一族が取り仕切る事になる。

<御成敗式目>
鎌倉幕府にて、武士の権利を成文化、法律化したもの。

国家の枠組み、主権者等には語られず、トラブル対処マニュアルとして成り立っている。

土地を耕して20年経過すれば私有地として良い(第八条)等の時効概念が適用されている。さらに土地所有権の絶対性があり、第二十六条では親が子に与えた土地を、気持ちの変化によって相続を替える事が出来るようになっている。

これらは土地所有権を絶対視する「一所懸命」の武士の原理であり、全ての日本人には共通しないと著者は主張する。

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