花とアリス殺人事件

読んだ本の感想。

乙一著。2015年2月9日 初版第一刷発行。



以下、ネタバレ含む。

渡邊勘治老人は、何だったんだろう?

【あらすじ】
主人公 有栖川(黒柳)徹子は、転校先の中学校で殺人事件があった噂を聞く。

「四人のユダがユダを殺した」

噂の元は、有栖川徹子の隣家に住む引きこもり 荒井花が一年前に、同級生の男子 湯田光太郎の背中に蜂を忍ばせ、アレルギーショックを引き起こした事にあるらしい。

荒井花は湯田光太郎の生死を恐怖から確認出来なかったが、有栖川徹子と一緒に湯田光太郎の様子を見に行き、生きている事を確認後、登校拒否から復帰する。

以下のような小ネタが結構ある。気付けなかったのも多いだろう。

P134:
「ユダ父の跡をつけてみたんだ。きみは今、どこ?」
「我王駅の前」
「火乃鳥駅まで来れる?黎明線の火乃鳥駅」

P143:
「藤子方面って何線?」
「安孫子線?藤本線?」
「時間ない!」
「うわあ、藤子はどっちだ!?」

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少女は花の肌をむく

読んだ本の感想。

朝比奈あすか著。2016年6月25日 初版発行。



女性の友情の話。10歳時点と20歳時点のエピソード。

女性に対する嫌悪感が少々感じられるが、男性もそんなに美しくないと思う。

以下は、『太陽と月』の記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-2394.html

著者の思想として、女性の目標は「共同体内の序列一位」になる事であり、「共同体の創設」は目標でないという事なのかな?

他人との距離感で自らの価値が決まる。実力よりも順位が評価され、優勝劣敗を決めて、上に諂い下を見下す。上位者は下位者に何をしても許される。承認欲求により他人を下げる事で序列を上げようとする。問題解決は男に任せるため、会話は共感を得る事が目的になる。

本作の登場人物達は、自らの友情や恋愛さえも社会的階級を上げるための手段でしかない事を嫌悪し、他の人間に自由な自己を投影しているのな?

*************************

【登場人物】

○武藤阿佐
城王大学でテニスサークル「ボニー・テニス・メイツ」の副部長を務める。細い釣り目。10歳頃から自分が中心人物になれない事に気付く。共同体から外れる事を恐れるし、恐れている事を他人に知られる事も恐れる。周囲を気にしない人間への憧れ。

武藤阿佐から見た春山野々花:
自分を特別な人間と思っている主役であるため、脇役である他人の目を気にしない。

武藤阿佐から見た小木曽咲:
浮世離れしており、群れから外れても気付かないかもしれない。

○春山野々花
美人。衝動的な性格。中学生から雑誌モデル「NOKA」として活動する。

春山野々花から見た武藤阿佐:
母親を投影?プライドを守るための逃げる理由を必要とする人間。

春山野々花から見た小木曽咲:
夢見がちで可愛らしい少女。庇護の対象。自分を理解してくれるはず。

○小木曽咲
子供の時はオノ病(架空の病気、はらはらやふかふか等のオノマトペに夢中になってしまう)があったが、成長するに連れて社会的階級を意識するようになる。動作や受け答えが遅く、文章を書く事を好む。短大卒業は、服飾ブランド「darling」に勤務する。

小木曽咲から見た春山野々花:
性別に囚われない自分を無自覚的に演じている。無邪気であるようでいて自らの女を利用する。

小木曽咲から見た武藤阿佐:
常にクラスの中心にいる人間。テニスサークルでも重要なポジジョンについている。が、ダサい。

****************

P46~P47:
どうして女の子って、男の子みたいな大きな群れにならないんだろう。男の子たちは、輪ゴムで一パターンに縛ることなんてできないくらい、ばらばらだ。

P166~P167:
野々花は母の中にある「自己実現しなければならない」という強迫観念をも感じ取る。認められること、尊敬されること、そうやって社会に求められることこそが人間の価値だと思う母は、「ご苦労様です」とねぎらわれたがっている多くの母親たちと、何が違うのだろう。

P175:
誰もテリーや庸平に、「安売りするな」とか「将来悔やむぞ」とか、きっと言わない。そういう発想にはならない。売るとされるのは大抵女で、その構図に甘んじているのも女で、理由をつけたがるのも女だ。

P229~P230:
本当にお洒落に拘りがある人なのかは、靴で分かる。華はいくつかのブランドを挙げて、その新作を履いているお客様には声をかけないと言っていた。自分で選ぶ人だから、と。
華に言われた時はぴんと来なかった。人を靴でなんか判断することに、うっすら怖さを持った。
だけど、毎日のように接客しているうちに、いつしか彼女は見るようになった。
変化は、気づかないほどゆっくりと、彼女の中に満ちてゆく。
(中略)
咲は自分がいつの間にかオノ病から解放されたことを知った。
頭に浮かぶ言葉に立ち止まる回数が少しずつ減って、今はほとんどなくなった。

P236:
一人ぼっちではないという証明のためだけに、友達を欲していた。まるで、自分のための防護壁のように。

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大東亜の矛

読んだ本の感想。

林譲治著。

以下は、『鈴木康士 - ELEGANT - So-net』へのリンク。

http://www016.upp.so-net.ne.jp/elegant/

以下、ネタバレ含む。

すっきりしない終わり方だった。弾魔や羅呑とは結局なんだったのか?

【あらすじ】
第二次世界大戦中の日本に、パラレルワールドの日本(倭国)から空母二隻(亜山、偽山)が漂着する。空母には25人の船員が乗船していたが、一人を残して死亡して発見される。残された一人である導姫を乗船させる事で、空母は卓越した戦闘力を発揮する。

ガラパゴス沖で戦闘活動を行う導姫は、日本国内で潜伏活動をしていた倭国の魁姫の勢力も吸収し、パラレルワールドから渡来した怪物 弾魔を殺害し、人工知能搭載の無人機 羅呑も破壊する。

導姫、魁姫等の思惑は、日本と倭国の異次元通路を破壊し、倭国の日本への拡張を止める事にあった。

【登場人物】
住田隼夫:
憲兵中佐(後に大佐)。日本国内で活動している倭国の秘密組織を追い、魁姫と接触する。日本敗戦後は住田電機という会社を創設する。

前川靖則:
海軍中佐。導姫に気に入られ、パラレルワールドへ行く。

導姫:
倭国の女王候補。パラレルワールドから二隻の空母を伴って日本に現れる。

魁姫:
倭国の宰相候補。パラレルワールドから精子と卵子のみを日本に送られ、日本での工作活動を管轄するために日本人として生まれる。

執権:
倭国の宰相代理。魁姫の遺伝上の父親。羅呑や轟天を日本に送り込んだらしい。

ジャイナ:
パラレルワールドのレジスタンス。倭国の植民支配からの脱却を目指しているらしい。平仮名以外の文字を使用出来ず、抽象的思考が苦手。

<倭国の政治体制>
パレレルワールドにあって東半球(10億人)を支配する。植民地を支配するために、被支配民族に表意文字を教えない等の愚民政策を採用しているが、国家間での競争に勝つために領内の高度情報化を進めた結果、民族主義運動も盛んになっている。倭国人は二億人しかいないため、人材不足が問題化。

八人の女王候補(導姫)を盾、それぞれの下に宰相候補となる魁姫が付く。八人が四人になり、最後に二人の導姫で女王を争う。複数の有力者達を二大陣営にまで収斂させ、利害関係を単純化させる意味がある。

<倭国による日本植民計画>
三十年ほど前から倭国は日本を観察していた。当初、パラレルワールドから昆虫よりも大きい動物を移送する事は不可能であり、倭国から持ち込んだ受精卵を日本人女性の体内で着床させる事で、一万人の倭国人を日本に誕生させた。

植民計画は持ち出しの方が多いが、日本の満州国と同様に、建設した拠点を放棄し、再度立ち上げる費用が膨大であるために、止める事が出来なくなっていた。

日本の資源は、倭国人と酷似した日本人の遺伝子である。本国で減少している倭国人を日本から調達する事が倭国の目的。

人間を倭国から送る技術が確立した段階で、植民地を無理に拡大する懸念や、日本人から憎まれる可能性等を考慮し、パラレルワールドとの門を破壊する思惑が生まれる。

-ソロモン諸島の激闘-
2012年9月30日 第1刷発行。



昭和十七年六月、ミッドワー海戦での敗北後の日本軍が二隻の空母を発見する。空母は日本の技術水準を遥かに超える技術で作られており、艦内での唯一の生存者 導姫を乗船させる事で全能力を発揮する。

同時期にガタルカナル沖では、竜に似た怪物 弾魔が日米の艦隊を無差別に攻撃している。

弾魔はパラレルワールドから米国艦隊を攻撃する目的で移動させられた怪物だが、途中で日本潜水艦に攻撃された事で、日米両方を敵と見るようになった。弾魔は、魁姫と住田の雷撃によって倒される。

⇒何者かが、日本を勝利させるために米国艦隊だけを攻撃する洋調整した弾魔を太平洋に放した事になっており、P127で導姫は弾魔を退治するためにパラレルワールドからやって来た?と言っている?しかし、後にその設定が無かった事になっているように思える。

-ニューギニア航空戦-
2013年3月30日 第1刷発行。



昭和十七年九月、パラレルワールドから高性能航空機 羅呑が渡来し、導姫を攻撃する。日本国内では、憲兵隊によって富士山麓の倭国基地が見つかる。日本軍は倭国の技術を使用して米国との戦闘に勝利しても、補給の問題から勝ちきれずにいた。

魁姫は、富士山麓の倭国基地に潜入した憲兵隊員 小椋をラバウルに呼び寄せる名目で、富士山から旅客機を呼び寄せ、羅呑と一緒に撃墜する。

⇒ここで、魁姫が富士山麓の倭国基地の秘密を守るために、味方と一緒に小椋を殺そうとした事になっているが、その設定が後に無かった事になっているように思える。

小椋は撃墜された後も生きており、羅呑に搭乗していたレジスタンスのジャイナと日本に向かう。

P84~P87:
我々の兵器が高性能であるのは、部品の信頼性が高いからです。兵器を構成する複雑な機構が、すべて高い信頼性を発揮できる―だからこそ高性能なのです。
(中略)
日本の工業力が欧米列強と比較して劣っているのは何かご存じですか?
それは欧米に比べて極端に高い中小企業の比率です。労働者1000人以上の工場は日本全体でわずか0.三パーセントにすぎません。
それが工業生産額の三割弱を生産し、労働者全体の二割を占めているにせよ、工業生産の七割と、労働者の八割は中小企業です。
もちろん中小企業の技術水準が高ければ問題ありません。ですが、現実は違う。中小企業のうち、万単位の企業が機械力を有していない。簡単な道具だけで部品加工を行っている。
(中略)
日本にも真空管の規格はあります。しかし、それはかなり杜撰なもの。大きさと電極の寸法を指示した程度にすぎない。電極の材質の等級や製造手法の共通化などは何もない。大きな工場でも、この有り様です。
電子技術ではなく、国の根幹となる鉄はどうか?日本で一日の生産量が十三万貫―つまり五00トン以上の溶鉱炉は二基にすぎません。アメリカには一九二九年の時点でも一六三基もある。
つまり大工場に集中したとしても、抜本的な改革が必要になる。
そして先にも述べましたように、日本は中小企業の比率が高い。大工場も部品を傘下の中小企業に依存している現状では、大企業の生産手法を改善するためには、中小企業の改善も不可避なのです。
この状態で、誰に技術を伝授しろと?問題が日本側にあるのは明らかです

-太平洋封鎖戦-
2013年8月30日 第1刷発行。



昭和十七年十月、パラレルワールドから水中軍船 轟天が送り込まれる。その目的はテロの生き証人であるジャイナの殺害であるが、移送中の船を攻撃中に、倭国の武器によって轟天は撃沈される。

⇒ここで、ジャイナを操る黒幕の存在が示唆される。正体を知られる事を恐れてジャイナを殺害するとか、助けに来るとかしているが、最後まで謎のまま終わった気がする

南洋でも作戦中に、導姫の操船する亜山と偽山が消息を絶つ。導姫と魁姫、執権の目的は、倭国への日本植民を止める事であり、そのために南洋と富士山にあるパラレルワールドへの門を破壊する。

現状でも植民地維持に手を焼いている倭国が、パラレルワールドまで手を広げる事は自殺行為という判断。多くの人間が納得出来る停止理由のために、謀反人による策謀という建前が必要だったのだとか。

⇒色々と矛盾している気がする。弾魔は何だったの?

結局、魁姫が倭国にて導姫となり、導姫は現世界で集落を作り、二十年後に前川と倭国に帰還したらしい。

P78~P79:
倭国語には、日本語と同様にひらがなのような表音文字と、漢字のような表意文字があった。
そして表意文字が使えるのは倭国人だけで、植民地人は表音文字しか学校で教わらない。
同音異義語が多いこともあり、植民地人は複雑な概念を表現する手段を著しく制約されているらしい。
(中略)
だからジャイナには『国』と『故郷』と『邦』の区別がない。すべて『くに』なのだ。そのため彼女の『そこくのどくりつ』とは、独立国を作ることでなく、概念としては倭国から派遣された地方の行政官を追い出し、自分たちで村を維持するようなものらしい。
しかも、彼女たちの中で行政官は行政を行うのでなく、命令を下す存在であり、地方行政という概念はない。
社会を維持する地方政府とか行政機関は単なる命令者でしかなく、その内部の機構については彼女は何も知らなかった。
(中略)
占領したことはあったものの、行政機関を運用できる人材がいないために、独立運動は自壊したという。

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情報過多

色々な事があって自分の中にある情報量が多過ぎる気がする。

気がつくと同じ事を何回も考えている。それは10年前の事であったり、20年前の事だったりする。

ぐるぐると同じ事を繰り返しているので気分が悪くなってしまう。

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半分寝ている

眠りながら起きている。

何かの昔話で、夢を見ているつもりで殺人を犯した高僧の話があるらしいけど、そのような状態かもしれない。

眠気は無いけれど、体が思うように動かない。記憶出来る量や考える量が半分になっている。

そのような状態だ。

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スーパーフライデーだった

会社の取引先の一つが、午後三時に業務終了だった。

ここ数日の間、何故、あんなに忙しそうなのか不思議だったが、このせいだったのか。今日、早く帰るためには、昨日までに仕事を終わらせなくてはならない。一部の人達が焦って仕事をしているために、スーパーフライデーとは関係無い僕が暇になっていく。

もっと多くの会社がスーパーフライデーを導入すれば、こうした問題も無くなるのだろう。

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もう少しで今週が終わる

会社内でインフルエンザが流行している。

僕がインフルエンザに罹患していないが疲れている。

それ以外の自分の変化として太り易くなっている。経年のせいだと思う。

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闘争の思考

読んだ本の感想。

市田良彦著。1993年6月15日初版第一刷発行。



難しい本だった。内容は整理出来なかったが、一応は書いておく。

『速度と政治』(P.ヴィリリオ)の影響?

<国家と戦争>
戦争は発生してはならないとされるが、自己保存のために自身の権利を譲渡した人間が、死ぬ可能性が高い対外戦争に動員される事に矛盾がある。

恒常的戦争:
国家の現在を構成し続ける戦争。国家的公共性の母胎となる。共同体を構成する方法。大規模な戦争を発生させないための予防的措置も考えられる。

近代は普遍的権利というものを想定する。人間が社会状態に入った時に、互いの利益のために社会契約を結び、自然的権利が発生する。しかし、現実には国境が存在し、国の内部と外部では権利に相違が生じる。

安全の保証には、当時主体とは切り離された客観的第三者が必要であるが、国家間の関係には裁判官が存在しない。国家の富が国内部から発生すると仮定した場合、戦争は浪費であるし、略奪を想定すると富は外部から到来する事になる。

さらに、国境内部から外部を考えた場合、富を奪いに来る第三者が存在する危険地帯とも解釈される。

<毛沢東の戦争>
戦争が終わった時に共産主義は堕落すると考える。人民の代表が所有権を代理行使するのが共産主義ならば、配分が流動的となり、常に代理権を奪い合う事になる。

ヘーゲルの戦争:
戦争に価値があるとしても、敗北しては意味が無い。そのディレンマを解消するには、自分が賭けないで観戦者に徹し、賭けの反復を想定する統計学者になる。誰かが勝つはずであり、勝者が世界精神を体現する。賭けの外に身を置けば、勝利と敗北の矛盾から解放される。

対して、毛沢東は当事者になる事で矛盾から逃れたとする。抽象的な思考から具体的な思考に進む内に、矛盾は武器になる。「強い敵」という矛盾に対しては、戦略的防御を使用する。

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微分・積分が17時間でマスターできる本

読んだ本の感想。

間地秀三著。1993年5月28日 初版発行。



<微分>
微分とは、接線(一点で接する点)の傾きを求める事。

ここでいう『傾き』とは、変化の割合を意味する。例えば、「Y = 2」という式を考えると、Yが常に2であるために変化の割合は0となる。次に「Y = 2X」という式を考えると、Xが1変化するとYが2変化するため、変化の割合は2となる。

このようにして求められる接線の傾きの式を「導関数」と呼ぶ。これは「Y = Xの2乗」などの変化の割合が一定でない式を考えた時に有効な考え方。

「Y = Xの2乗」の変化の割合は2Xとなる。これは、X = 1の時の変化の割合が2であり、X = 2の時の変化の割合が4であり、X = 3の時の変化の割合が6である事を意味し、Xが増加する毎に変化の割合も増加する事を意味する。

以下は、微分の役割。

○最大値、最小値の算出
複雑な式であっても変化の割合を知る事でグラフを描けるため、最大値や最小値を求める事が出来る。

○速度の算出
距離を時間で表現する場合、距離を微分する(瞬間的な距離を求める)事で速度を算出出来る。特に物体の落下速度等の一定でない速度を考える時に微分が有効。

【例題:花火の落下】
以下のように考える事で、花火のX秒後の速度やどの位まで打ち上げる事が出来るかを計算可能。

情報1:花火の打ち上げ時の速度
1秒間で100m打ち上がる(Y = 100X)。

情報2:花火の落下速度
1秒間に5Xの2乗m落下する(Y= -5Xの2乗)。

上記から、X秒後の花火の打ち上げ位置(Y)は、Y(距離) = 100X - 5X^2となる。この式を微分すると、Y'(速度) = 100 - 10Xとなる。

ここで最高点では、速度が0になる事に着目。Y'(速度) = 0になるのは、X = 10の時なので、打ち上げから10秒後に花火が最高点に到達する事が予測出来る。

<積分>
積分の役割は、面積や体積を計算する事。

不定積分:
微分してXになる式を求める等。例えば、Y = 1/2X^2を微分すると Y' = Xになる。これをXの不定積分といい、∫Xdxと表す。

定積分:
例えば、∫Xdxで、Xが1~2の時の値を求める。(1/2 x 2^2) - (1/2 x 1^2) = 1となる。

こうした定積分を用いる事で、曲線の一部分の面積や体積を計算によって求める事が出来る。

【例題:ミサイルをゴジラに当てる】
以下の情報。

ゴジラまでの距離:96㎞(96000m)
ミサイルが水平方向に飛び出す速度:800m/秒
ミサイルの落下速度:Y = 5X^2

上記から、ミサイルがゴジラに命中するまでの時間は120秒。ミサイルは放物線を描いて飛ぶため、ミサイルが最高点に到達するのは、120秒の半分の60秒後になる。

上方に飛び出す速度をaとすると、X秒後の地上からのミサイルの距離(Y)は、aX - 5X^2になる。これを微分すると、Y' = a - 10xになり、60秒後に最高点に到達 = 速度が0になるとすると、a = 600が導き出せる。

よって、96㎞先のゴジラにミサイルを当てるには、水平方向に800m/秒、上方に600m/秒の速度でミサイルを打ち上げるべき。これは、高さ600m、横800mの長方形の対角線と考えると1000mになり、斜め方向に1000m/秒の速度でミサイルを発射すれば120秒後にミサイルがゴジラに命中する計算になる。

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ボタンを押すと出てくる

今日は、おもちゃで遊ぶ赤ちゃんを眺める機会があった。

ボタンを押すと人形が飛び出て来る仕掛け。

見ていて感じられた事。

①ボタンを押した時のカチッという感覚を楽しんでいるよう
②おもちゃを分解したいという欲求
③バネを押し返そうとしている

上手く言えないけど、論理的な思考が生れつき備わっているように見えた。

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エジプトなんてどうでしょう

以下は、インターネット上の記事からのコピペ。

エジプトは高い経済的可能性を持ちながら苦境に陥っている。

2014年からの3年間で1ドル = 8ポンド程度だった通貨水準は1ドル = 18ドル程度と半分以下になり、食料品や燃焼が値上がりしている。失業率は公式発表で14%であるが、若年失業率は40%程度であり、二人に一人は仕事が無い状況になっている。

しかし、エジプトには第二スエズ運河や地中海海底で発見されたガス田、観光産業等の経済的可能性を持っている。

(後略)

******************************

以下は、『100年予測』の記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-796.html

以下は、『激動予測』の記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-1012.html

ジョージ・フリードマンの本を読んでいる。現状、米国は移民問題に本格的に取り組むつもりはないのかもしれない。

「1950年に約2700万人だったメキシコの人口は、2000年には1億人。人口減少に悩まされないメキシコから、米国に大量の移民が流入し米国とメキシコの国境が変わる可能性」

「目標に取り組む振りをして、達成出来なければ部下が断固たる行動をとれなかったせいにする事である。成功するはずのない計画で、適切な措置を講じている錯覚を国民に与える。国家に出来る事は派手で不便な対策システムを構築する事で国民に安心感を与える事である」

「大統領は、新しい問題に直前期の解決策を適用しようとし、レーガン方式である減税による投資の拡大を促進する。それは人件費の上昇を招き、景気を下振れさせる」

*******************

以下は、「地政学の逆襲」の記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-2189.html

こちらは米国が覇権国を止める事を提唱している。

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趣味について

以下は、インターネット上の「マイナーなオススメ趣味教えて」というページからのコピペ。

趣味の一覧。

①堤防の落とし込み釣り
②つくしの栽培
③七輪陶芸
④何かで1位の市町村に旅行する
⑤スーパーの半額シール狙い
⑥数学
⑦ゴーヤと四角豆作り
⑧アナログゲーム(一人)
⑨献血

************************

2月10日は、ニートの日らしい。なので、2月10日にニート達が駅に集結し、会社員達に「何故、働くんですか?」等という質問をするイベントがあるらしい。これも趣味の一つだと思う。

人間の活動には、入力系と出力系の二つがあると思っていて、趣味でも視聴したり調べたり等の自分の中に情報を蓄えようとする行動と、発表したり表現したりして自分の外に情報を放出しようとする行動がある。

自分単独で完結している内は良いけれど、その内、自分以外の誰かを巻き込みたくなるのだろう。

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スタープレイヤー

読んだ本の感想。

恒川光太郎著。2014年8月31日 初版発行。



読みたかった話と違った。読まなければ良かったかな。これ女性が書いた話じゃないのか。

【あらすじ】
2001年3月の東京から、斉藤夕月(34歳、無職)が異世界にスタープレイヤーとしてワープする。スタープレイヤーは異世界で十個の願いを叶える力を持っており、異世界での百日が経過するまで帰還する事が出来ない。

斉藤夕月は、自分と同じスタープレイヤーであるマキオと出会い、異世界におけるラズナ国とトレグ国の争いに介入してラズナ国を勝利させ、新しい国「麗和」を建国すると、異世界での旅に出る。

スタープレイヤーはスターボードという端末を支給され、願いはスターボードの地図が記入された場所でのみ使用出来る。殺人の場合、人物特定の曖昧を回避し、具体的な殺し方を記入し、スタープレイヤーからの距離が50㎞圏内でなければならない。

以下は、叶えた願い。願いは9個使用した。

システム説明用:
東京都 小金井市のそば屋「なかざと」のなかざとそばセット、一人分、を目の前のテーブルに持って来る。

一個目:
斉藤夕月の実家をいろいろ改造し、家具、備品、指定した食料その他と一緒にこちらに持ってきたい。

二個目:
自分の身体を思ったように変える。瞳は灰色、髪を増量、永久脱毛、シルエットを細くして、左足を完治させ、脚を長く、贅肉を無くし、肌と内臓年齢を17歳くらい、etcも変えて絶世の美女になる。

三個目:
家の玄関から門まで5㎞ほどの庭園を造る。

四個目:
1994年に斉藤夕月を襲った犯人、犯人に指示を出した人間がいるならその人物も、庭園内の牢の中に呼ぶ。自宅に拳銃と弾薬も呼び出す。

五個目:
牢に呼んだ男を、元の世界に戻す。

六個目:
不慮の事故で死んだ七人の死者を生き返らせる。

七個目:
スタープレイヤーであるマキオの作ったタワー村と夕月庭園、周辺のキトパ集落を巡る線路を作り、他に戸建住宅三千、農地や図書館、浴場や公民館、電話や城塞を作り、自らの支持者達が望む人間達を生き返らせる。

八個目:
指定した範囲を高い翡翠の壁で囲み、壁内部の金属と馬をタワー村後方にある空き地に移動し、斉藤夕月の顔の腫れと骨折を元に戻して、天蓋付きベッドと蜜柑箱一杯の人参と林檎、瓶入りトマトジュース一本、ポカリスエットを千五百本とアイスクリームを呼び出す。

九個目:
死者を復活させ、体に不自由のある者や、不治の病の者を回復させたうえで、地形変更、施設追加をする。

********************

一個の願いで、色々な事が出来過ぎる。終盤で透明人間になる能力を持ったスタープレイヤー幽が出てきて味方になるけど、そんな事が出来るなら、苦労する必要は無かったんじゃないの?

********************

敵役となるラズナ王国、南門守備隊長ラナログ・スウォード(スカイレッド・クーガー)の話は面白かった。

映画俳優であったが、19歳の時にスタープレイヤーによって異世界に召喚される。スタープレイヤーの目的は、恋愛ゲームを楽しむ事。そのために地球から見眼麗しい男や労働者を大量に移転させ、自分もその中に混じり、恋愛を楽しむ。

召喚したスタープレイヤーは78歳だが若返って18歳になっている。同じ事を繰り返し、30年間で10万人は召喚したらしい。

著者は、この話を基礎に話を作りたかったのだと思う。P63~P65に、主人公が自分の恋人となる男を召喚するか悩む下りがある。

********************

神が生まれる仕組みも面白い。主人公達スタープレイヤーは、自分の能力を他人に説明する際、神に祈ると説明する。そうすれば願いを叶える事が出来なくても恨まれない。

P96~P97:
知られちゃうとね、じゃあ、あれをしてくれ、これをしてくれって、いろんな人がやって来ますよ。断り方によってはものすごく険悪になりますな。こんなに切実かつ深刻な問題で、こんなに頼んでいるのに、なぜやってくれないんだとか。でもこちらの願いは限りがあるし、そんなのいちいち聞いていたらキリがない。
(中略)
そういうときはですね、とりあえず話を聞くんです。で、わかりました、頼んでみましょう、と。そして、あなたの願いを、神さまに頼んでみたけれども、却下されました、というんです。スターボードはスタープレイヤーにしか視えないから、どのように頼んだのか相手はわからない。これなら、仕方ないということで納得してくれますね

P327:
だが間違っていたとしても、もはや私には「願わない」ということは許されないのだ。私はもはや自由ではない。人はひとたび、社会というものに関わってしまえば、否応なしに、自分の主義主張だけで生きることをゆるされない。集まった人々が、奇跡を心の底から待望し、祈っているのをひしひしと感じる。私の意志を超えた、無数の人々の祈りが私をここに立たせている。

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緑の資本論

読んだ本の感想。

中沢新一著。2002年5月10日 第一刷発行。



難しい本だった。理解出来ていない。再度読むと思う。

圧倒的な非対称
人間社会は「富んだ社会」と「貧しい社会」に分断されている。

毎日、多くの動植物が殺されているが、「富んだ社会」に提供される肉からは殺戮を想像させる痕跡は抹消されている。

「富んだ社会」が一極集中化する事で、「貧しい社会」との非対称は一層際立つ。

かつてイエス・キリストが神と人間との非対称に立ち向かった方法は、自らを贈与する事だった。キリストは自らを憎む者達のために一人で死ぬ。人間からは死の贈与が行われ、神は愛の流動を送る。

それはテロと相似している。テロリスト達は憎む者達に死を贈与するために自らも死ぬ。両方とも、一方的に奪われる非対称を打ち破る手段である。

両方とも非対称を前提にしている限り問題を解決出来ない。

緑の資本論
一神教は自己増殖を警戒し、それが利子 = 資本主義形成を妨げた。

古代の多神教は異なり、増殖を司る人間と動物が合体した神々を信心していた。

その源になっているのは、人間の脳構造だ。大脳を小さくし、汎用計算機械のようにした。ネアンデルタール人の脳は巨大であるが、複数の計算機械が機能を分担するように設計されていたと推測する。

対して現生人類は、異なる機能を接続し、流動的知性を手に入れた。異質な領域に同一性を見い出し、隠喩と換喩の組み合わせである言語が出来上がる。合理的思考の元になる同定や、違うものの間に等価性を見い出し交換を可能にする思考も、そこから発生する。

そこから、以下の二つの思考が発生する。

合理的思考:同一性を見い出し、世界を同定する
魔術的思考:同一性から溢れ出す過剰。
      無から有を発生させ、増殖させる技術



一神教は、上記の想像性による超越性を否定した。名前だけを持ち、偶像を否定する新しい神。それは「一」なるものである。一神教の原理では、象徴界と現実界は一体で、世界の全てが神の表現である。記号は存在に結び付けられる。

その中で貨幣は、物の代用であり、現物との対応関係を持たなくてはならない。利子を認めた場合、現実に存在する以上の貨幣が存在する前提で考える事になり、想像 = 偶像を否定する一神教の原理が否定されてしまう。

貨幣が物の代用であるならば、買い物は物々交換であり、売り手と買い手の決定的区別は発生しないはず。しかし、実際には貨幣は価値を計測する指標として扱われてしまう。利子の否定は一神教の原理である。

ユダヤ教は異教徒以外からの利子を否定し、イスラム教は支配した全ての地域で利子を禁止した。

かつてはキリスト教も利子を否定していたが、12世紀に経済が発展していくと利子を認めるようになる。原理的にキリスト教は利子を完全に否定出来ない。

イスラム教が一神教的記号論で利子を否定したのに対し、キリスト教は交換のために使用されるべき貨幣を貸す事で代価を受け取る事は自然の摂理に背くという論法をとった。自然に発生した利子を自然の摂理で否定する事は出来ず、神学者は勝利出来なかった。

13世紀になるとスコラ学者達は適正な利子なら問題無いとするようになり、煉獄という生前の罪を浄化して天国に至る事が出来る緩衝地帯が考え出された事で高利貸の心理的負担が軽減された。

イスラム教は「一」の論理で考えられており、以下を前提にする。

①神は不可分な単一の実体
②神は被造物と質的に隔絶している
③神のみが能動的行為者である。被造物は受動的

イスラムでは神という一つの力が流動する。世界が複雑であるのは、一である神が多に表出するからである。そのため、どのような存在者も抽象的に増殖する事はあってはならない。だから、神を想像力によって増やす行為である偶像生産や、存在しない貨幣を増やす利子は否定される。

キリスト教では、神と存在が直接は接続せず、三位一体論が提唱される。神とキリストが存在し、両者は本質的には単一であるが、父と子という関係性によって統一されている。すると、地上にあって視認出来るキリストが神として無限である事になり、人間が把握出来る現実に無限が存在出来る事になる。

これは貨幣の利子と同様であり、実体として視認出来る貨幣が利子という概念を付与する事で無限の貨幣を想像出来てしまう。さらに貨幣は値段を付けする事で、全ての存在を価格にし、神のように全存在と接続する。

さらに「聖霊」の概念がある。イエスは常に霊に満たされており、信者に降りてくる霊の働きも「父」から直接くるものとして神と見做された。唯一神は自らの内から「聖霊」を発出するものとされ、増減するものを示す。

三位一体の世界観では、神と子の同一性と、神と精霊の増殖性との結合により、後の経済論の二つの傾向に分裂していく。

①重商主義者:等価性
貨幣は増えない。貨幣は抽象的価値を表象する金属であり、他の共同体との価値観の差異を利用した貿易により価値を増殖出来る。

②重農主義:増殖性
貨幣は増える。農業等の労働によって増殖した種子から現実の価値が増殖し、それが利潤を増やしていく。

現在の古典派経済学でも資本を流動資本(耐久性が少なく速やかに消費される)と固定資本(緩やかに消費され回収期間が長い)と二種類に分けている。

マルクスも相対的価値形態と等価形態の不均衡な出会いにより、等価形態を取る商品が、相対的価値形態を取る商品を表現する地位になり、貨幣が萌芽するとした。

キリスト教は、三位一体によって等価性(父と子の一体性)と相対性(聖霊による愛に満ちた増殖)を組み込み、等価性は貨幣の本質に、相対性の商品と資本の本質に繋がったとする。

対してイスラムは緑の資本論である。均一な対象生産やマスとしての顧客、定価を決めずに、個々の商人が個々の商品を個々の顧客に販売する。



シュトックハウゼン事件
2001年9月に、ドイツの作曲家カールハインツ・シュトックハウゼン氏が、9.11テロをアートと表現した批判された事件。

この事件が表しているのは、現代では両義的な表現が危険な行為となっている事である。人々は快感原則に従って自らの幸福を追求するが、欲望が満たされた安全球体(スラバイ・ジジェク)の中では芸術は意味を失う。

人間は欲望対象が失われた時、それを象徴の働きによって補おうとする。苦痛や欠乏が無い限り、想像力によってそれを補う行為 = 芸術は意味を失う。

宗教が衰退していく17世紀から芸術がその機能を代行し始め、人間の象徴能力発生の現場を再現してきた。

モノとの同盟
モノとは、思考の対象となるもの全てである。

古代日本における物部氏は、軍事・警察に関係しており、その名字にあるモノは、霊魂を意味するモノノケのモノからきているとする。物部氏はモノを扱う豪族として、鎮魂法を芸能として天皇に仕えていた。そこから派生して裁判や軍事に関わるようになる。

土地の精霊を象徴的な道具によって捕獲、管理する物部氏の技能は、外来の普遍レベルに立つ仏教徒対立し、抗争の結果、物部氏は滅ぼされたとする。

鎮魂においては魂(タマ)という概念が出てきて、物部氏はモノを使用して魂(タマ)を人間の体に付着させた。タマもモノも非人格的であるが微妙に違う。タマがモノとして現れる。

天王が豪族を服属させるために、彼等の神宝を献上させ、石上神宮の神庫に収め、物部氏の技芸によって管理する。神宝(モノ)には、豪族達の魂(タマ)が込められており、それを管理する事で天皇の魂(タマ)の威力が増す。

タマ-モノの関係は、同一性の内部からの増殖を説明している。全てを一つの神で説明する一神教では増殖を説明し難い。キリスト教では、聖霊としてタマ-モノと同質の思考構造が内包されている?

資本主義は、同一性と増殖性の結合から出来上がっており、あらゆるものを商品化し、等価交換の原理に従わせる。徹底した合理化が暮らしに浸透し、基準が広まっていく。

例えば、マックス・ウェーバーはピアノの大量生産が調律の一律化につながり、十二音平均律を完成させ、十二音平均律に従う事だけが唯一の音楽的想像と考えられるようになったと指摘する。



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朝鮮半島201Z年等

読んだ本の感想。

鈴置高史著。

以下は、『哀しき半島国家 韓国の結末』の記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-1998.html

【朝鮮半島201Z年】
2010年11月21日 1版1刷。



外貨準備の脆弱性を切っ掛けに、朝鮮半島の中国支配が進んでいく様子をシミュレートした話。

日本では焼天日日が左派系、新聞ニッポンが右派系のメディアで、韓国では聯合日報が左派系、大韓新報が保守系のメディアとみられる。

201W年
中国と韓国が自由貿易協定を結ぶ事で合意。韓国の歴史的な従中意識が語られる。強大な中国と国境を接する脅威から、米中間で中立を志向する動きが出る。韓国の為替や株式市場は、大きさのわりに巨大な海外の資金が出入りするため、変動が大きい事がある。



201X年
1月に、東欧各国の財政赤字粉飾が露見し、国際的金融危機が発生。連鎖的に韓国の株式市場や為替が下落する。さらに、3月には仁川空港沖での北朝鮮との小競り合いから、韓国海軍が中国の貨物航空機を誤射し、それを切っ掛けに韓国で通貨危機が発生する。韓国は中国に謝罪し、中国政府系ファンドが888億ドルの資金で韓国株を購入し、株価維持に協力。

中国は韓国株式市場の時価総額の3割に相当する株式を手にし、韓国は2兆9000億ドルの外貨準備を持つ中国の後ろ楯を得る。さらに8月には、中国から韓国に100万人の移民が招致される。移民達は米軍基地がある振武市に集中し、市長選挙で反米軍基地派の市長を当選させる。

米国は軍事危機でも経済危機でも存在感を示せず、中国が朝鮮半島の仕切り役となっていく。

201Y年
北朝鮮で食糧危機が発生。難民等の問題も発生し、2月に北朝鮮は核実験を行う。米国は北朝鮮への先制攻撃計画『作戦行動5026』を検討するが、訪中した金正日が病気を理由に幽閉され、寧辺に降下した中国軍によって北朝鮮の核が確保される。北朝鮮非核化を理由に検討していた米軍の先制攻撃は中止される。

米中対立時に、中立を宣言した韓国への信頼性が低下する。

201Z年
韓国と北朝鮮で米韓相互防衛条約と中朝友好協力相互条約が一括廃棄される。在韓米軍基地は撤退し、経済的に中国依存が進む韓国は実質的に中国の支配下になる。

中国に立ち向かう日本、つき従う韓国
2013年2月25日 第1版第1刷発行。2012年夏から一年間の日経ビジネスオンラインの「早読み 深読み 朝鮮半島」等の記事を加筆修正したもの。



<台頭する中国>
以下の原因から、韓国では日本より中国を意識しているとする。

①地政学的要因
②歴史
1905年の桂・タフト協定では日本がフィリピンの米国支配を認める代わりに、米国は日本の韓国支配を認めた。1950年1月に、アチソン国務長官は、米国が責任を持つ防衛ラインをフィリピン、沖縄、日本、アリューシャン列島とし、韓国を含めなかった事で朝鮮半島が始まった。米国は韓国を守らないという意識がある。
③米韓同盟の矛盾
韓国の主要敵は北朝鮮であるが、米国は中国との対決姿勢を強める。敵が違う同盟の矛盾。

韓国の国内総生産に占める輸出比率は50%を超えるが、輸出額の30%は中国向け(2011年)。日本も中国向け輸出が25%であるが、国内総生産に占める輸出の割合は15%程度。

日本と韓国の軍事情報交流を増やす日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)についても中国の反対があり、2012年6月29日に署名されるはずだった協定は宙に浮いた。反日を理由に恐中を誤魔化す姿勢。

2012年9月28日には、韓国の外交通商相が従軍慰安婦の補償を国連総会で要求。これは「従中卑日」戦略の一環で、中国に従う事を反日で言い訳し、中国へのアピールになる。

<元明交替期>
現代の中国と韓国の状況を歴史的に例える。13世紀にモンゴルの侵攻を受けた高麗はモンゴルの傀儡となり、明の台頭を契機にモンゴルの影響から脱しようと権力闘争が発生し、高麗王朝が崩壊し、李氏朝鮮が打ち立てられる。
現代の米国は元に例えられ、力によって韓国を支配しているのかもしれない。韓国の意識としてトレンドが自国外で設定され、それに従う事になる。

朱子学の前提である「性理学」では、世の中に普遍的真理があり、真理に抗う事は不可能とする。

2008年頃までは、反日が日本の反撃を生むという意見が韓国の経済新聞に掲載されたが、日本経済が凋落した状況下で、中国の関心をかうための新しい反日が生れている。



<スワップ協定>
2012年10月11日の日韓財務相会談で、日韓スワップ700億ドルの内、2012年10月末が期限の570億ドル相当分を延長しない事が決定した。
当時の韓国は外貨準備が3200億ドルまであるが、その相当部分が現金化し難い債券であり、短期的な資金変動に対応し難い。資本輸入国(政府や企業が外国から外貨を借りている国)である韓国は、金融収縮時に資金流出の危険性がある(国内総生産比で途上国平均の倍のホットマネーが入り込んでいる)。

そのため、2012年12がtうに中韓通貨スワップを貿易決済に活用すると発表(3600億人民元 = 約576億ドル)。中国側でも人民元決済を行う中国経済圏を拡大する利点がある。

<ミャンマー>
2011年11月に米国が政治犯全員の釈放をミャンマーに依頼すると、ミャンマーは依頼に応えて政治犯を大量釈放。米国による制裁が緩んだ。

ミャンマー側にも中国による支配への恐れがある。同様に北朝鮮も米国に取り込まれるかもしれない。

第二次世界大戦後、資本主義と共産主義に分かれた世界は、台頭する中国と比較優位を失う米国の間で、地政学が重みを持つ時代になっている。国益追求が露骨になり、各国間のナショナリズムが鮮明になる。

資本と技術を導入しても発展しない国があり、発展しても民主主義を選択するとは限らない。

中国という蟻地獄に落ちた韓国
2013年11月25日 第1版第1刷発行。2013年2月~2013年10月まで日経ビジネスオンラインの「早読み 深読み 朝鮮半島」に連載した記事を加筆修正したもの。



2013年6月27日、28日に韓国の朴槿恵大統領は中国の習近平国家主席と会談した。朝鮮半島の非核化を確認。軍事的に北朝鮮を牽制する狙いがある。さらに中間の通貨スワップを2017年まで3年間延長した。

朝鮮半島の非核化は、北朝鮮の核が廃棄した後は韓国も米国の核の傘から出る事を意味し、米韓同盟破棄に繋がる。

<北朝鮮の恫喝>
2013年2月に北朝鮮が3回目の核実験を実施。さらに2013年4月には南北共同で操業する開城工業団地への韓国側人員の立ち入りを拒否。
この矢継ぎ早な威嚇は、北朝鮮の原理原則である対米、対南であり、三代目指導者が権威を固めるためのものかもしれない。中国の四人組も文化大革命で毛沢東のイデオロギーを全面に出して権力を掌握しようとした。初代の権威には誰も対抗出来ない。

同じ事が、同じメカニズムで行われているのなら、「誰が行っているか」は重要でなくなる。

金日成はソヴィエト連邦と中国の二股外交に成功しており、中国と米国の二股外交の手本となるかもしれない。しかし、大陸勢力と海洋勢力という枠組みで見ると、大陸の端にある韓国が海洋側に属しているのには大きなコストがかかり、米国から整理される可能性がある。

北京からソウルまでは直線距離950㎞であり、東京から長崎ほどの距離。中華帝国の長安から北京への遷都は、中国は大きな影響力を持つ。他方、南方では中華帝国の影響力はヴェトナム北部が限界線となっている?

<華夷意識>
韓国の対馬領有論等は、「力がある人」 = 「無理難題が言える人」という中華思想がある?自らが中華である上で、下に他人がいる。儒教特有の階層的世界観で上下関係で秩序が保たれると考える。土俗的自尊心を思想体系にまで高めている。

序列は「礼」 = パフォーマンスや文章によって視覚的に確認する必要があり、例えば朝貢を行う。

日本の高度成長が注目された時の韓国紙は日本人の倫理性の低さを説いており、1980年代には「克日」がをキャッチワードに日本を追い越そうとスローガンを作った。2000年頃には克日を聞かなくなり、物質面で日本と対等になり、もともと精神性では上という意識が生まれる?

従軍慰安婦像等は、その思いを具現化する意味がある。

儒教国では真理を知っている選良と、真理を知らない非選良という区分があり、真理の一つに「義」 = 実践すべき正しい事がある。真理は難解なので、実際の事件を題材に具体的に分かり易く説明する事になり、そのために歴史が活用される。儒教における歴史とは思想を説明するもので、客観的に事実を明らかにする科学ではない。

韓国は日本よりも上である事を国際的に明確にする意識は強まっている。

<戦時作戦統制権>
2013年7月17日に、韓国が米国に戦時作戦統制権(軍を指揮する権限)返還の再延期を提案したという報道がされた。

2015年12月に韓国軍の戦時統制権を米軍から韓国に返還する予定だった。それに伴い米軍が在韓米軍を大幅に縮小する可能性があった。

当初は2012年4月に返還する予定だったが、韓国軍の反対で延期していた。これは米韓同盟の矛盾を明らかにした問題で、北朝鮮を仮想的とする韓国は中国重視になるかもしれない。

2013年9月30日には、米国のヘーゲル国防長官が、対中国にも使用出来る米国のミサイル防衛(MD)に韓国が参加する要求し、米中のどちらの見方か踏み絵を迫った。

「踏み絵」迫る米国、「逆切れ」する韓国
2014年4月22日 第1版第1刷発行。2013年10月~2014年3月まで日経ビジネスオンラインの「早読み 深読み 朝鮮半島」に連載した記事を加筆修正したもの。



<日米同盟強化>
2013年10月3日、日本の集団的自衛権行使に米国が賛成し、日米安全保障協議委員会の共同発表を行った。

韓国も立ち位置を鮮明にする必要があり、二股外交が破綻した事になる。2013年5月の米韓首脳会談で、朴槿恵大統領は日本の誤った歴史認識をオバマ大統領に伝えているが、それに意味は無かった。

韓国では恐日を反日で誤魔化そうとする流れがある。『丙子胡乱』は清と李氏朝鮮の争いを書いた歴史小説であるが、中国への恐れが書かれている?当時、清に攻められたのは台頭する清に服属せず、明を宗主国としたためであり、現在と似ているかもしれない。

1619年に後金(清)と明が戦ったサルフの戦いでは、朝鮮王朝は出兵したが王である光海君の指示で本気では戦わず、その二股外交が現代で評価されている面がある?



<防空識別圏>
2013年11月23日に、中国が東シナ海の防空識別圏を宣言した。

一定の空域を中国国防省管理下とし、飛行する航空機は飛行計画を中国に提出すべきとする。尖閣諸島を含む空域に防空識別圏を設け、日本が反発すれば領土問題を認めさせる事が出来る?

韓国が管轄権を主張している黄海の離於島にも及ぶが、韓国は反発しない。

<バイデン発言>
2013年12月6日に韓国を訪問した米国のバイデン副大統領は、二股外交を止めるよう勧告に要求。2013年12月26日の安倍首相による靖国参拝は、米国の要人が批判しなかったため言い訳として使えなかった。

1970年代初めもベトナム戦争終結等で、米国がアジアから退避する観測があり、北朝鮮によるテロや、韓国の朴正煕大統領による核開発等が行われた。

当時よりも南北格差が拡大している事から、動乱による南北統一を望む韓国人は少ない(2013年の朝鮮日報の調査では77.7%が統一に消極的)。

日本と韓国は「米中代理戦争」を闘う
2014年9月16日 第1版第1刷発行。2014年3月~2014年7月まで日経ビジネスオンラインの「早読み 深読み 朝鮮半島」に連載した記事を加筆修正したもの。



<慰安婦問題>
日韓会談を、0朴槿恵大統領は慰安婦を理由に拒否している。読み違い説、強きの交渉スタイル、自分の父親(朴正煕大統領)が慰安所を経営していたため等の仮説があるが、恐中説が一番説得力がある。

米国は中国を想定して日米間の三国軍事協力強化を図っているが、韓国は「日本の右傾化が原因での日韓関係が悪化」を理由に中国に遠慮しているかもしれない。

2014年4月25日の米韓首脳会談でも両国関係は改善していない。ミサイル防衛(MD)は、米国主導で無く韓国独自とし、日本との軍事協定も慰安婦問題での進展を条件にした。

さらに2014年4月28日には韓中首脳会談開催が報道されている。

米国は主導権を渡さないために、戦域高高度防衛ミサイル(THAAD)を韓国に配備する方針を2014年5月に報じた。独自のミサイル防衛を韓国が行っても、米軍が自前のミサイルを持ち込む。

しかし、2014年7月3日に訪韓した習近平主席と朴槿恵大統領は一緒に日本の集団的自衛権行使を批判し、対米関係は悪化している。

三面楚歌にようやく気づいた韓国
2015年3月9日 第1版第1刷発行。2014年7月~2014年12月まで日経ビジネスオンラインの「早読み 深読み 朝鮮半島」に連載した記事を加筆修正したもの。



韓国は米中の支持を背景に日本と北朝鮮を叩くはずだったが、三面楚歌になっている。

<統一>
ジョージタウン大学ビクター・チャ教授や戦略国際問題研究所 マイケル・グリーン副所長が中央日報への寄稿で南北統一を言い訳に米国を粗略にしないよう警告している。

韓国主導で統一するには中国との関係強化も重要だが、米国との関係も不可欠。しかし、国家が外交政策を転換する事は難しい。

<合わない法治主義>
法律に則って国を運営する合意が法治主義には不可欠。1987年の民主化以後も韓国には法治が根付いていない。

2014年に韓国で起訴された産経新聞ソウル支局長の問題や、セウォル号沈没事件についても、法律の恣意的な運用や、被害者が加害者を裁く事の問題を指摘する声が小さい。

セウォル号遺族が朴槿恵大統領への面会を拒絶されたのは、捜査・起訴権を遺族会に渡すよう要求されたら拒否出来ない可能性があったためとする。

儒教による法治は法を利用した統治であり、欧米とは異なる。中国では政教という言葉があり、柔軟性の無い法で無く、徳ある人間の教化によって国を治めるべきとする。

法律の条文でなく、人々のコンセンサスが最終的根拠となる社会。

<日露戦争>
現在は、1900年頃の日露戦争前と似ているとする。当時の韓国政府は日露両国間で中立を模索していた。当時の日本は朝鮮半島の中立化を認めても、ロシアの力が増す以上、朝鮮半島がロシアの勢力下に入るとして中立化に反対した。現在でも中立化は中国化を意味する。

朝鮮半島は朝鮮戦争で南北に分かれ、海洋勢力と大陸勢力の境目にあるために全体として中立化しているが中国の強大化によって均衡が破れるかもしれない。

中立化は国際法に基づく法制化であり、国際的な法治が前提にある。第一次世界大戦では中立国だったベルギーが、ドイツが国際法を破った事で蹂躙された。法の支配を関係国が守らなければ中立は容易に崩れてしまう。

朱子学は正邪を分ける事が基本であるが、それでは自分だけが正しい事になってしまい、他者を攻撃する事になってしまう。客観を前提にする法治とは違う。



「独り相撲」で転げ落ちた韓国
2015年8月17日 第1版第1刷発行。2015年1月~2015年6月まで日経ビジネスオンラインの「早読み 深読み 朝鮮半島」に連載した記事を加筆修正したもの。



<卑日>
韓国では上下意識が強力で、それを露わにする。2015年1月10日の国民日報では鄭国務総理が、「日本の反韓は韓国への劣等感から生じた」と語っている。それまでの日本への劣等感を投影している。

反日であれば「目上の日本」への恐れがあり、謝れば一時的には収まるが、卑日では日本が力を失った前提があるため、謝るほど日本が糾弾する。卑日は日本の存在自体を否定するのでネタが無数にある。

<人民元圏>
2015年2月25日に日韓のスワップが終了した。中国との3600億元(約560億ドル)の通貨スワップが総枠の70%を占めるようになる。

2015年3月26日には中国が計画するアジアインフラ投資銀行(AIIB)への参加を決定。

中国の狙いは、米国を中軸とする国際金融体制、世界銀行グループ(復興、開発を担当)と国際通貨基金(為替の監督管理を担当)、世界貿易機関(貿易と投資の管理監督)への挑戦であり、大戦略と直結している。

決済機能が米国に置かれている現状では、取引の全てを米国によってモニタリングされるし、資金凍結されるリスクがある。

<終末高高度防衛ミサイル(THAAD)>
2015年3月11日に、韓国大統領府は、「THAAD配備に関する3NO」を宣言し、米国との協議を拒否した。

中国側の憂慮が原因と思われる。

<安倍首相の米議会演説>
2015年4月29日の安倍首相の米議会演説を阻止する事に韓国で関心が集まった。米国に圧力をかけさせて日本に謝罪させようとする韓国にとって歴史カードは大切な武器。

朴槿恵政権は安倍演説の反対運動をして内外に得点を稼ごうとしたが、失敗した事により威信を落としてしまった。

安倍首相は、「戦後70年談話」で侵略、植民地支配、反省の3つの言葉を使うよう要請されたが、安倍首相は韓国への謝罪と受け取られないように言葉を使った。

歴史問題で、期待されたほどには韓国が支持されない事に韓国政府の焦りが生じているとする。

「中国の尻馬」にしがみつく韓国
2015年12月15日 第1版第1刷発行。2015年6月~2015年10月まで日経ビジネスオンラインの「早読み 深読み 朝鮮半島」に連載した記事を加筆修正したもの。



2015年9月19日に日本は安全保障関連法を成立させたが、中間は懸念を表明した。一方で韓国は2015年9月3日の抗日戦勝70周年記念式典に参加している。米国の反対を押し切って西側諸国のトップ唯一の参加。

2015年10月16日の米韓首脳会談では、オバマ大統領が朴槿恵大統領に、米中どちらの味方か問い質している。

韓国では北朝鮮の核に対して核武装論が唱えられ、2015年7月5日の世界遺産登録では日本に強制労働を認めさせたという勝利宣言がマスコミで報じられた。

他国の前で日本を貶める事は、韓国のレベルを上げる意味がある。2009年頃の韓国紙に「韓国人が日本を見下すのを見て、第3国の人が驚いた」という記事が掲載されて以来、「日本を見下すのは」という文句が使用されるようになったとする。

1987年に民主化した韓国は、当時は景気が良かった日本を見習おうという意識が強く、反動で卑日になっているのかもしれない。

韓国人同志で「日本を超えた」と言い合っても確信が持てず、世界の人間に「韓国が日本より上」と言ってもらうために国を挙げて日本の悪口を言う。



<憎悪>
エドワード・ルトワックの『自滅する中国』のP224~P225には、人間は他者に絶対的に依存すると、憎しみがわくとする。好意であっても生殺与奪の権を握られる事は不快。

見返りを求めない施しは、受け取る側の屈辱へ変化する。



さらに危険な国が登場した時、従う事で便乗する国が出てくるという意見がある。第二次世界大戦時のドイツとを恐れる仏ソは互いを誹謗した(大国政治の悲劇 改訂版のP225)。



<抗日式典>
2015年9月3日に北京で開かれた抗日式典は、中国側に韓国が入った事を示すもの。国際刑事裁判所から逮捕状が出ているスーダンのバシル大統領も参加しており、彼の逮捕に協力しなかったとされる南アフリカのズマ大統領と合わせて非民主国家の指導者達が多く出席していた。

米中抗争の「捨て駒」にされる韓国
2016年6月13日 第1版第1刷発行。2015年10月~2016年6月まで日経ビジネスオンラインの「早読み 深読み 朝鮮半島」に連載した記事を加筆修正したもの。



2016年1月6日、北朝鮮が4回目の核実験を実施。韓国国防相は中国に対北制裁を頼もうとしたがホットラインは繋がらなかった。

2016年2月7日、韓国は地上配備型ミサイル迎撃システム(THAAD)の在韓米軍基地への配備を認めた。中国は反発し、韓国外交の矛盾が浮き彫りになっている。

<通貨危機>
2016年2月にウォンが売られ、2010年の欧州債務危機当時の水準まで安くなった。ドルと交換出来る通貨スワップを失っている事が韓国当局の政策自由度を低下させている。

<米中談合>
2016年2月16日のウォールストリート・ジャーナルが、2015年末に米国と北朝鮮が国交正常化を念頭に置いた秘密交渉を行っていた事を明らかにした。2015年のイラン核合意と同じ考え方。

北朝鮮の核武装削減が条件であり、提案は拒絶された。

これはパリ和平協定によって北ヴェトナム軍が認められ、駐越米軍が撤収した時のヴェトナムと似ているとする。

<今後>
日本との慰安婦合意は、二股外交が破綻し、身動きがとれなくなった韓国政府が、米国から慰安婦を言い訳に出来ないように結ばされたものである。

日韓は合意で「問題の最終的かつ不可逆帝解決」を約束した。

米国における韓国の優先順位は低く、南シナ海では対立しているものの、朝鮮半島では中国と協力する共通認識が出来ている。

冷戦期は朝鮮半島が対共産主義の前線であったため、他地域への影響があったが、現在ではそれほどでもない

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新世界秩序を求めて

読んだ本の感想。

高谷好一著。1993年1月15日印刷。



世界を理解するための枠組みとしての「世界単位」という思想。各地域が独自な価値体系を持って併存しているとする。

トインピー:
西欧中心の歴史観を批判し、中華やマヤ、インド等の諸文明と様々な文明があるとした。

⇒著者は、トインピーの思想は、社会を原始社会と文明社会に分類する点で不完全とし、東南アジア等が文明社会に入っていないために分析対象外になっているとする

ウォーラーステイン:
世界を一つのシステムとし、欧州を起源とする近代世界システムが世界を覆い尽くしているとする。

⇒著者は、原始社会がいずれは同化吸収されるという意見に異を唱える

*************

著者は、世界が幾つかの「世界単位」の集積とし、その上で多様性を考えるとする。特に他の理論では原始として分析対象外になっている東南アジアに注目する。

第一章 海域東南アジア世界
赤道直下の多島海を人々のネットワークがつなぐ。

18世紀のスマトラ東海岸に存在したシアク王国は、現代の国民国家とはかなり違う。

王国が支配したのはシアク川流域であり、王は交易を取り仕切る事を生業にしていた。王の出自の異人であり、地元民や軍人等と港経営をしていた。港町のネットワークとしての王国。

海域東南アジアの以下の歴史。

①南シナ海時代(紀元前)
銅鐸のような巨大ナベ型青銅器と船型棺を持つ文化圏が南シナ海から東南アジアに広がる。既に商業網が構築されていたらしい。

②扶南時代(2世紀~6世紀)
メコン・デルタを中心にカンボジアの祖となる王国が栄えた。柳葉という女王と混塡というインド人が結婚して王家が始まった伝承がある。
インドとの結び付きが強く、3世紀前半にはクシャン朝に使節を送っている。4世紀中頃には晋に朝貢しているが、王の名がチンダナというクシャン王家の称号の一つだった。5世紀頃には、東南アジアに他にもインド化した国が現れる。

③スリウィジャヤ・シャイレンドラ時代(7世紀~9世紀)
スリウィジャヤは、スマトラ南端のパレンバンを根拠地とする国。シャイレンドラ(730年~832年)は、その後に中部ジャワで栄えた王朝で767年には安南都護府を攻撃している。

④三仏斉時代(10世紀~14世紀)
シャイレンドラ崩壊後、幾つかの港が連合勢力を作り、それを三仏斉と呼ぶ。この時代、南インドにはチョーラとスリランカがあり、三仏斉はこれらと関係が深かったらしい。

⑤マラッカ時代(15世紀~16世紀)
1400年頃からマラッカ王国が出来る。中国とインドの中継貿易地点としてのマラッカが栄えた。マラッカは明の属領としてジャワやシャムの他勢力から自衛したらしい。さらに王がイスラムに回収する事でイスラム経済に参加した。

⑥ヨーロッパ勢時代(17世紀以降)
1511年にポルトガル軍艦16隻がマラッカ沖に到来。ポルトガルのマラッカ占領から約50年後には西回りでスペインがフィリピンに到着。16世紀末頃にはオランダが進出し、イスラム商人と連合し、17世紀にはジャワ海を中心に勢力を築いた。

英国はスルタンに植民地経営を認め、そのためにスルタンは経済的に強力になった。第二次世界大戦後、マレーシア連邦が成立するとスルタン達が国家元首となる。植民地時代でもスルタン達が英国を傭兵として雇っていたと考える事も出来る。

第二章 ジャワ世界
以下の理由からジャワ、バリ、ロンボクは農業に適した土地になっている。

①衛生環境
赤道直下にしては雨が少なく、熱帯多雨林でなくて落葉樹の混入する混合林が形成されている。

②肥沃な土壌
ジャワの火山の火山灰により地力が強い。

③豊富な水
2000mを超す火山により、麓の空気が長城に吸い上げられ、頂上で冷やされて水蒸気が凝結し、水として流下する。

著者は、ジャワの複数の文明が積み重なった重層性に注目する。

①基層ジャワ
紀元前数世紀からドンソン稲作(焼畑稲作)が存在した。汎神論的宇宙観が成立したと思われる。現代のジャワ人もイスラム教徒でありながら、諸々の神々に供犠する。

②ヒンドゥ文明到来
5世紀頃にヒンドゥ文明が到来。西ジャワからは5世紀のサンスクリット碑文が発見され、8世紀には中部ジャワでシャイレンドラ王家、マタラム王家が出た。14世紀にはマジャパピト王朝が栄える。ヒンドゥ文明はジャワでは衰えたが、バリでは健在。

ヒンドゥの世界観では、宇宙は何重もの山脈と海で取り囲まれた同心円状になっており、中央の山に神々がいるとする。ジャワのような火山島では受容し易い世界観だったかもしれない。その宇宙観は、ヒンドゥ文明の高い宮殿に反映されている。

③イスラム文明
13世紀にイスラム商人達が流入。スマトラ島西端のジャワは、13世紀末にイスラムを受容した。本格的にイスラム化するのは、イスラムの港が出来る15世紀中頃から。マジャパピト王国を滅ぼし、16世紀後半にマタラム王国が出来る。

ジャワには以下の三種類のイスラムがいるとする。

・アバンガン(内陸部の農民に多い)
汎神論を残す
・プリヤイ(旧王族に多い)
ヒンドゥ的宗教観を残す
・サントリ(海岸の商人に多い)
正しいイスラム教徒

④オランダ侵入
16世紀末にオランダが進出し、ジャカルタを根拠地に植民地を作った。1870年代からは旧王族を中心にオランダ風の教育を受ける事になる。それまで外敵を制圧する事で権威を発揚していた王室は、文化的に権威を守るようになった。

ジャワ世界は、幾つもの外文明に洗礼されて文化を作ってきた。その様子は日本に近いかもしれない。海域東南アジアでは核になるものが存在しないが、ジャワ世界では文明が折り重なっていく。

第三章 大陸東南アジア山地世界
19世紀に始まる若い世界単位。交易網を担う商人王が、領域支配をする王国を築いた。

焼畑民が最も、この世界単位を具現するらしい。

焼畑民は広大な森に小集団で住み、閉鎖的な傾向がある。一方で谷底には水稲を作る村もある。由来は南中国からモンゴル動乱の時代に移住した人々であるらしい。さらに南からはタイ族が拡散しており、以下の三種類の社会が成立している。

①高冷地
漢、チベット系の人達を主力とする。

②交易
タイ系の人達を主力とする。

③焼畑空間
汎神論的社会。

近年?では焼畑耕作は縮小しており、土地所有の概念が発生している。らしい。

第四章 タイ・デルタ世界
タイ・デルタは19世紀まで人間の居住とは無縁の水・陸未分化地帯であったが、バウリング条約で英国がシャム王国に貿易自由化とデルタ開田を要求し、開発が始まった。

ラーマ5世(在位1868年~1910年)の時代に干拓は完了した。

以下の歴史。

1767年にアユタヤー朝がビルマの侵攻によって崩壊すると、将軍だったタークシンが、現在のバンコク対岸に新しい都を開く。1782年にタークシンがラーマ1世に殺され、チャクリー王朝が始まる。ラーマ4世(在位1851年~1868年)の時代には欧州化が始まる。

タイ王室は、その正統性をアユタヤー王朝の後継者となる事で確保しようとし、統治洋式から王宮設計までアユタヤーを模倣した。アユタヤーは仏教であったが、クメール文化(ヒンドゥー)の流れを汲んで巨大で豪華な文化を持ったらしい。

それがラーマ5世の時代に欧州に倣い、チャクリー改革として大蔵省を創設する等して、小型家産国家から領域国家へと変身していく。ラーマ4世の時代には河川流の所有者だった王が、領地を支配する。

現代に至っても王の権威があり、軍隊が革命で政府を倒すと、王が承認する事で正当性を得る。

第五章 中国をどう見るか
中国社会は多様なものの集合である。

①黄土
水が得られれば理想的農地となる。
②砂漠
交易を行う通路。
③草原
騎馬民族集団が住む。
④森林
黄土地帯の南にある照葉樹に覆われた山地。

支配装置として重要なのは、儒教の「仁」の思想。

仁とは愛であり、自分が生きたいのと同様に他人も生きたいのだから、まず他者を生かして自分も生きようとする。多様な中国の中で黄土農民は常に圧倒的多数であるため、彼等を生かす事が仁となる。

これは支配者に都合の良い考え方で、草原の武人と砂漠の商人を抑え込む事が出来る。黄土にいる天子を中心に、黄土農民が政府を支える宇宙観が中華の特質である。

中国の歴史は以下の2つに分けられる。

①宋代までの古い中華世界
灌漑を整える事で農地を作る。初めて中華を統一した秦は渭水から出た戎荻であるために由緒正しい農業国と認められなかったが、西アジア文明圏と接触し、騎馬民族と交流した事で優位に立ったとする。

灌漑農業による食糧生産、オアシスを使用した交易、草原の武力が中華王朝の特徴。秦の王都である咸陽(渭水の北岸)は、黄土・砂漠・草原の結節点に位置している。漢や唐が都を作る長安は咸陽の対岸にある。

②明代以降の新しい中華世界
アッバース朝のバグダッドで興った近世経済が唐代に中国に渡り動乱が起こる。長安や咸陽でなく東京開封府が首都となる。
砂漠のシルクロード一本の交易路が、草原や海上にも通じ華北の遼や金、江南の南宋が興る。
青磁や南宗画、朱子学という文化が生まれ、自らを無にしていく森の発想が取り込まれたとする。青磁や水墨画は白磁や北宗画よりも刺激が少なく、見ていると引き込まれていく。朱子学は静止の中に自らを無にしていくとする。

そして江南デルタ開拓が完了し、元を経て成立した明朝は、江南の人口、草原の武力、海路の情報を結び合わせる北京を首都とする。

第六章 「世界単位」の捉え方
気候や植生が人々を規定する。

例えば、森林に住む人々は見晴らしが悪い空間で自然を受け入れ、理性では計り知れない何かを直観し、人間は超越的存在に生かされているという観念を持つ?

対して、砂漠や草原で恐ろしいのは人間である。多くの人間が開放的空間で集合するため、規律を保つために法律が重視される。

森林には巨大な闇があって理解出来ない存在を考えるが、見晴らしの良い砂漠では理性を信じる。

現代では、誰もが国民国家を持つべきという思想があるが、第二次世界大戦後に独立した国の多くは、一つの単位をなす必然性を持たず、生態や文化を考慮されていない。

人々が同一の世界観を有している地域単位としての世界単位を再考するべき。

第七章 「世界単位」の共存
世界には砂漠の思想、森の思想、都市の思想が三つ巴になっており、現代は都市の思想によって支配されているとする。

都市の思想は砂漠の思想と似ているが、神を信じない点で異なる。それは見通せない森に恐怖を抱く森の思想とも違う。

著者自身が多様な思想の共存について結論を出す事が出来ていない。

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有機農業コツの科学

読んだ本の感想。

西村和雄著。2004年11月1日 初版第1刷発行。



第一章 生きている土
1 土とはなにか
地球では岩石が風化して土になる。雨の中の炭酸ガスから遊離した水素イオンから、岩石からカリウムやカルシウム等を溶かし出す。
植物も根から養分を吸収する時に水素イオンを放出する。植物は根から吸収した養分を上に運び、葉で光合成を行い、葉が落ちると生物が葉を分解して養分を放出する。これを森林の自己施肥機能と呼ぶ。

2 土の団粒構造をチェック
団粒構造:
土の粒子が、微生物の粘液や分解された有機物、糞と一緒にくっつき(団粒)、隙間だらけの塊が出来た状態。隙間の中に水分を溜める事が出来る。

団粒構造の中には様々な微生物がおり、隙間が多くなる事で土が軽くなり、農作業が楽になる。

<団粒構造の見分け方>
①ペットボトルの用意
丸よりは四角いものの方が良い。
②土の採取
③ペットボトルに土を入れる
ペットボトルに口から数㎝を残して水を入れ、土をその中に落とし込む。スプーン三杯ほど入れたら、口の上まで水が盛り上がるように水を追加する。
④ペットボトルを引っ繰り返す
ペットボトルに蓋をしてペットボトルを引っ繰り返す。土が沈んだら、再度、引っ繰り返し、それを五回繰り返す。
⑤判定
ペットボトルの反対側に新聞をあて、何秒後に見出し文字が見えるか計測する。30秒後までに見えたら合格。団粒構造が発達した土は濁らない。

3 土を育てるには
土作りには有機物が必要であるが、窒素が無いと微生物が体を作れないため、有機物を分解出来ない。そのため、窒素が少ない有機物だと微生物が作物の分まで窒素を奪ってしまう。

さらに有機物によって分解速度が違う。ムギワラが分解して窒素が出るまで7年~8年、イナワラだと2年、おがくずだと30年は必要。

4 育土
著者の経験。

マメ科植物(セスバニア、クロタラリア)を播種する。両者ともに10アールあたり12kgほどの窒素固定能力を持つ。セスバニアの根は背丈と同じくらい潜るため水はけが良くなる。

他にヘアリービッチやソルゴー等。

***************

動物は体の維持に骨格を必要とするため、リンとカルシウムからリン酸カルシウムを作り出し、骨の材料とする。植物は受光体制を整えるために多糖類を基本構成要素とする高分子(セルロース、ヘミセルロース)で体制を構築する。

そのため、リンを不必要に投与すると吸収しきれずに土壌酸度が上昇する可能性がある。土壌酸度が上昇すると、ホウ素やカルシウムの不溶化をもたらして植物の体制を軟弱にする。

5 有機農業に必要な二つの法則
第一の法則:木は木にかえし、草は草にかえす
果樹のようにゆっくり育つ永年植物には、ゆっくり分解する有機物を与える。

第二の法則:生き物には存在する意味がある。
様々な有機物を入れるよう工夫する。

6 育土の具体例
草生栽培:
草を利用して土を育てる。マメ科植物(深根性)とイネ科植物(浅根性)は相性が良いらしい。マメ科植物が作った窒素を、イネ科植物がヒゲ根を利用して鋤き込む。

注意点は、マメ科植物でもそだつには養分が必要であり、根粒菌が窒素固定をするのに必要なエネルギーは、マメ科植物が光合成で作るエネルギーの20%程度である事。

草を大きくし過ぎると分解し難くなるため、株本から10㎝ほど残して刈る。原則は刈敷きで、土の中に鋤き込むと微生物が分解し過ぎて酸素不足になるかもしれない。

以下の注意点。

①蔓延らせない
牧草は適度に刈る事。
②根を切る
数年おきに牧草の根を切る。牧草の根がマット状になると土中に水が入り難くなる。
③水はけ
水はけが良過ぎるの内では、深根性のマメ科植物によって、イネ科植物が水不足になるかもしれない。
④ミミズ
土壌中にミミズが増えると土竜や鼠が穴を掘って、苗が枯れてしまう。5年に一回は全面を耕起して土竜退治が必要かもしれない。共存する方法として牧草を生やす場所と作物を植える場所を交互に使い分け、作物を植える場所は刈敷だけを行う。すると牧草を生やす場所の方が有機物が多いので、土竜が移動する?

*************

混作として、防虫のために大根と葱を一緒に育てる方法や、ニンニクを薔薇の根本に植える方法があるらしい。

トマト、ナス、スイカ、エンドウ等は、数年間他の作物を植えないと、同じ土地では育たない。輪作のヒントはマメ科植物を挟む事。じゃが芋の後作に白菜を植えて、養分吸収力が弱いじゃが芋が吸収し損なった養分を、白菜のように根系を発達させて養分を吸収する植物で吸収させる方法。

土壌中に養分が残存している状況も良くないため、ヒマワリやソバに養分を再吸収させて、有機物の形にし、土壌に戻す事で作物が吸収し易い形にする方法もある。

7 土が育つまで
有機物の分解には、炭素と窒素の比率(C/N比)が関係している。窒素が多い有機物は分解がはやい。

8 緑肥植物
マメ科やイネ科植物を肥料として活用する。

9 ボカシ肥のつくりかたと使いかた(農業者編)
効果がすぐに出る肥料。

有機物を混ぜて発酵材料と合わせて作る。

10 ボカシ肥のつくりかたと使いかた(家庭編)
生ごみを堆肥化するには、乾燥した材料と混ぜて水分を取る必要がある。発酵補助材料には米糠等を使う。他に油粕を混ぜれば成功率は上がる(比率は、1:1:1)。

以下は詳しい作り方。

【材料】
①油粕、米糠を米袋二杯分
米糠はリンの含量が多いので、全体の二割に留める。植物は動物ほどカルリスムやリンを必要としない。
②微生物
落ち葉の下等の豊かな土をスコップ二杯。10l~20lのバケツに入れて泥水にする。
③蓋付バケツ複数
④ポリ袋
⑤セメントを練る際に使用する舟

【作り方】
①混合
油粕や米糠を4:1の割合で50kgを目安として混ぜる。出来上がりを手で握った時に水が滴り落ちない程度(水分含有量40%)。
②発酵
混ぜた材料を蓋付のバケツに入れる(空気を抜く)。バケツの上端から10㎝ほどを残して満杯にし、空いた上部に水を入れたポリ袋を置いて堆肥が空気に触れないようにする。
③出来上がり
堆肥の表面に黴が出れば出来上がり。堆肥の賞味期限は三か月程度。

第二章 植物の栄養
1 栄養のバランス
作物の必須栄養素は16種類ある。

2 植物の必須栄養素
(1)炭素・酸素・水素
植物の骨格を作る。葉から吸収した炭酸ガスを、分解した自ら得た水素で還元し、糖を作る。水を分解した時に発生した酸素は葉から放出する。

(2)窒素
骨格の一部。ただし、植物は窒素をあるだけ吸収してしまうので、栄養過多だと葉や茎が成長し過ぎる分、開花が遅れる事がある。

(3)リン
細胞膜や遺伝子の核酸等に使用される。リンが不足すると遺伝情報を保存するための部品が足りなくなり、発育が悪くなる。リン(陰イオン)が過剰の場合、陽イオンの鉄や亜鉛と結合し、陽イオンの欠乏を引き起こす事がある。リンを多量に含む鶏糞を多用する農地では、カルシウムがあるにも関わらず、不足症状が発生する事があるらしい。

(4)カリウム
細胞液のイオン濃度を保つ。酵素が立体構造を維持して化学反応を触媒として機能する。

(5)マグネシウム
葉緑素に使用する。葉が緑色である理由。

(6)カルシウム
細胞壁を固めるペクチンの成分の一つ。

(7)イオウ
アミノ酸成分の一つ。過剰の場合、硫化水素となって食物を傷める。

(8)塩素
カリウムだけでは細胞液が強アルカリ性になるため、塩化物イオンでバランスをとる。

(9)鉄・マンガン・亜鉛・銅・モリブデン
細胞内で有機物に作用する。特に鉄の欠乏が発生し易いとする。

第三章 作物づくりのコツ
1 作物をうまく育てるには?
作物の故郷を知る事が大切。

2 ナス科
ナス:
蒸し暑いモンスーン地域が原産地。高温多湿を好む。ただし、排水が良い場所を好む。

トマト:
南米の高原原産。日本には1700年頃に渡来。昼は照り付け、夜は冷え込み、雨が降り難い場所(赤道に近い高原)を好む。濃い土壌養分を少ない水で吸い上げるが、日本ではハウス栽培でしかこうした条件を実現出来ないらしい。

トウガラシ:
中南米の熱帯地域原産。乾燥と過湿に弱い。

ジャガイモ:
南米のアンデス高原原産。日本へは1600年頃にオランダ船が持ち込んだ。昼間は20℃、夜間は7℃くらいが生育の適温。温暖地では春秋の涼しい期間だけ栽培可能。芋のように澱粉を作る作物は多量のカリウムを必要とする。

3 ネギ類(ユリ科)
ネギ:
中国西部原産?乾燥地帯で水分が蒸散し難いように円柱状になった。養分吸収が得意でないため多量の肥料が必要。

タマネギ:
北西インド辺りが原産地。エジプトから欧州に伝わり、明治期に米国から日本に渡来。

ニラ:
秋から冬にかけて休眠する。耐寒、耐暑性、いずれも強い。植えたまま何回か刈り取れるが、三年ほどたつと根系が混んで株が弱まるためアブラムシが発生し易くなる。二年を目途に掘り下げ、古い根を落としてから植え直す。

ラッキョウ:
吸肥力が強いので、肥沃な土地では大きくなり過ぎて分球しない。砂地が栽培に適している。

ニンニク:
0℃~15℃の低温に一か月以上あうと、側球する。

4 アブラナ科
ダイコン:
中央アジア原産?古代ギリシア時代には食べられていたらしい。冷涼な気候を好む。

カブ:
日本書紀にも登場する。水溶性カルシウムが多く、牛乳以外のカルシウム補給源。

キャベツ:
地中海沿岸が原産地。石灰岩が多い土地を好む。日本には明治初期に渡来。カリウムを多く含むため、便通を良くする効能がある。

ハクサイ:
原産地は北東欧州、ロシア、トルコ、イラン高原あたりとされる。シルクロード経由で中国に渡り、そこで様々な品種が生れた。キャベツよりも冷涼な気候を好む。

ツケナ類:
タカナは南方アジア、他は東アジア。日本での中心は京都。

5 ウリ科
キュウリ:
ヒマラヤ山脈の南麓が原産地。根付きを良くするために生殖生長を遅らせて栄養生長を充分に行う必要がある。成長調整のために花芽を摘む。

カボチャ:
以下の三種類。

①日本カボチャ
中米原産。暑さに強い。
②西洋カボチャ
南米高地原産。冷涼を好む。
③ペポカボチャ
メキシコ高冷地原産。

根系が発達するため、養分を多く吸収する。

6 その他の野菜三種
ホウレンソウ:
アフガニスタン周辺の中央アジアが原産地。高温や酸性土壌を嫌う。著者は雨で流され易い粉の石灰でなく、カキ殻等の固形物で土壌をアルカリ性にする事を推奨している。

ニンジン:
アフガニスタンの南側、ヒンドゥクシュ山麓が原産地。中央アジアから元朝を通じて日本に入った種と、中近東からスペインを通じて日本に入った種がある。

イチゴ:
新大陸出身。

7 マメ科
窒素固定する特徴があるが、生育初期には養分を与える必要がある。草丈が50㎝になるまで80日ほどかかるため、他の草との競争に負ける可能性があるので、最初の一か月間は除草する。

8 本ものの野菜
栄養価の高い野菜の見分け方等。

9 種の保存方法
保存用の種は無肥料で育てる。栄養が少ないと、種に多くの養分がいく。

著者は瓶の中に豆を一杯に入れて栓をして保存する方法を推奨する。種が呼吸して炭酸ガスが出て、その休眠作用で虫も眠る。

10 自然観察が役に立つ
野草や虫から天候を予測する。

江戸時代には寒試しという技法があり、節分の初め頃に、村人が天候や気温の水位、降水を記録して、一年間の転校を予測した。

第四章 病気、虫について
病害虫を避けるには、作物を健康な状態に保つ事だという。

トマトと大豆の混作では、深根性の大豆が深い場所から水を吸収するためにトマトが好む乾いた土壌になり、トマトが出す匂いで大豆の防虫になるらしい。

第五章 ぐうたらの独り言
化石燃料で成立している現代農業への疑問等。

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読書を仕事につなげる技術

読んだ本の感想。

山口周著。2015年10月21日 第1刷発行。



【著者の略歴】
20代を大手広告代理店、32歳から外資系戦略コンサルティングファームで過ごした後、40代に入ってから組織開発専門の外資系コンサルティングファームで仕事をしている(1970年生まれ)。しかし、大学で学んだのは美術史であり、経営学は独学で学んだらしい

第1章 「仕事につなげる読書」6つの原則
原則1 成果を出すには「2種類の読書」が必要
以下の2種類。

①ビジネスの基礎体力をつけるためのビジネス書
名著を繰り返し読み、読書ノートはとらない
②個性を形成するための教養に関連する本
雑多な本を幅広く読み、読んだら読書ノートをとる

ビジネス書は規定演技であるが、差別化には教養を用いる。ビジネス書は名著とされる本の数が少ないので、狭い範囲を繰り返し読む事が出来る。教養書は幅広いため、定番を全て読む事は出来ない。

原則2 本は「2割だけ」読めばいい
目次やまとめを読んで、全て読む必要は無い。

原則3 読者は「株式投資」と考える
読書は投資行為であり、時間に値しない本を全て読むのは時間の無駄。

原則4 「忘れる」ことを前提に読む
記憶に頼らず、読んだ内容を記録する。

原則5 5冊読むより「1冊を5回」読む
1回読んだだけでは必ず忘れる。広く浅く読んで、価値ある本を深く読む。パーソナルコンピューターの概念を考えたアラン・ケイは、そのために『グーテンベルクの銀河系』という本を半年間読み返したらしい。



原則6 読書の「アイドルタイム」を極小化せよ
10冊以上の本を同時進行で読む。読みかけの本が沢山されば、気分に合う本を常に読んでいられる。

第2章 ビジネス書は「これだけ」読めばいい
著者は外資系コンサルティングファームに転職後、200冊弱の本を読了したが、その1割の読書でも9割の成果を出せたという。

重要なのは古典であり、著者の思考過程を追体験する事で考え方を学ぶ事が出来るし、新刊のビジネス書に書いてある事のほとんどは古典に書いてある。

第3章 古典には読む「順番」がある
著者はビジネス書の読書ノートを作らない。すぐに使う道具は倉庫にしまわない、良書のメッセージは単純なので忘れない。ただし、名著は偏った考え方を採用している事が多いため、概説書を最初に読んでおいた方が良い。

例えば、経営戦略の大家であるM.E.ポーターは「企業の収益性は状況によって決まる」というスタンスで、J.Bバーニーの「企業の収益性は企業の能力によって決まる」という意見と対立する。両方とも極論であるため、最初に様々な考え方を俯瞰的に持った上で、一部の思想を掘り下げる意識を持つべき。

第4章 好きな本を読んで「ライバルと差別化」する
仕事環境の変化に、ビジネス書で得られる知識はほとんど役立たない。教養書の示唆する人間の性や組織の特質がヒントになるとする。

以下の7つのカテゴリー。

①哲学
構造主義以降の現代思想は経営コンセプトにも影響している。BCGが一時期提唱していたデコンストラクションは、哲学者ジャック・デリダが提唱した「脱構築」がもとになっている。

②歴史
③心理学
④医学・生理学・脳科学
⑤工学
著者が作成したプロジェクトマネジメントのマニュアルは、宮田秀明氏(東大名誉教授、アメリカンズカップ日本艇の元テクニカルディレクター)のシステム工学の考え方が基になっているらしい。

⑥生物学
著者の『世界で最もイノベーティブな組織の作り方』は、蟻の巣の運営方法等を参考にしている?



⑦文化人類学

面白いと思えるテーマについて読んでいく。それは自分の興味の方向性を探る試みでもある。全てに詳しくなる必要は無い。知的生産は複数人のチームで行う。

第5章 情報の「イケス」をつくれ
教養書を仕事につなげるために抽象化を行う。細かい要素を捨てて基本的な仕組みを抜き出す。

以下は抽象化の例。

事実:
ルネサンス期において、多くの建築物は行政組織で無くパトロンがスポンサーになっていた。

抽象化:
歴史的に偉大な作品は、会議よりも審美眼を持った単独者の意思決定によって生まれる?



以下は、情報のイケスを作るための読書技術。

【1回目 線を引く】
気になった文章に線を引く。

【2回目 5つ選ぶ】
線を引いた箇所に優先順位を付けて、5つ選抜する。

【3回目 転記する】
選抜した文章を転記し、仕事への示唆を書き出す。記録にはエバーノートが最適とする。

第6章 「書店を散歩する」技術
著者は、月に1回は書店を訪れ、2時間程度はビジネス書以外のフロアも回るらしい。



第7章 「本棚」で読書を仕事につなげる
読みかけの本はタワー状に積んでおき、鞄の中、本棚へと回す。そして、積んでいる本で半年間に一度も読まなかった本は整理する。

以下は、著者の推奨する読書マンダラ。

〇超基本の6冊



全体像を知るための本。グロービスシリーズを全て読む必要は無い。



ビジネス用語の基礎知識。



具体的計算を省き、思想を紹介。



会計を通じて経営を見る。



マッキンゼー社内のトレーニング資料に近いため、本書を読めば他のマッキンゼー流を読む必要は無い。



分析結果の表現方法等

〇経営戦略、基本の4冊



顧客要望にフォーカスする事でイノベーションが阻害される事を示す。



結論を導くための論理展開が参考になるらしい。



上記と同様。



様々な経営論の流派の偏向を解説。

〇経営戦略、応用の4冊



『経営戦略の思考法』をさらに詳細化。



経済学と経営学をつなぐ事を目指した本。経営をミクロ経済学の枠組みで説明する。紹介された本の中で最も知的体力を要求するらしい。



M.Eポーターの限界を理解する本。



当たり前を確認する本。ビジネスにおいては前例や欲望による意思決定により、当たり前が蔑ろにされる事がある。

〇マーケティング、基本の3冊



新規事業立ち上げ時の覚悟も持ち方。溝(キャズム)をいかにして乗り越えるか。



イノベーション普及の条件。



マーケティングとは、顧客の認識への働きかけ。

〇マーケティング、応用の4冊



ブランド論を言語化する方法。



人間は他人との差異を示す記号を手にするために消費する。



ブランドの育て方。



アイデアを生み出す基本的ルール。

〇財務、会計、基本の3冊



京セラの管理会計システムの背後にある思想。



ファイナンスの思想。



百科事典的に個別ポイントについて、定番としてどのように扱っているか知るために読む本らしい。

〇財務、会計、応用の4冊



「選択しない」という選択を価値計算する視点。



企業買収の実務に関わらない場合、百科事典的に読むべきとする。



1990年代以降の米国企業の採点基準。



「金利はプラスである」という前提が脆い事を示す。

〇組織、基本の5冊



意思決定の品質は空気で決まるとする。



形式知と暗黙知の枠組みを初めて提示した本。組織内で知恵が生み出され、共有され、伝承されていく過程をモデル化。



組織は「良い計画」よりも「良い人」が大事とする。経営戦略は予定調和しないので、優秀な人を集めて走り始めたら計画は創発的に生まれるとする。



組織論に関する辞典。必要に応じて関連項目を読むべきとする。



「怖いから、やりたくないから」組織が変われないとする。

〇組織、応用の6冊



企業組織内部の活動をミクロ経済学で整理する本。関心のある記事をつまみ食いし、人の営みという具象を抽象化して捉える視点を学べる。



自己を認識するための方法論。



事業部制導入時の経緯に関する事例研究。



空気と組織のパフォーマンスについて意識的になる。



企業文化を変えようとする取り組みは必ず失敗すると主張する。



土方歳三の組織運営の事例研究。

〇リーダーシップ、基本の3冊



規律を重んじるエースとペテン師が争い、後者が勝利した理由を探る。



スタッフと管理職の仕事は違うのに、多くのスタッフは管理職になっても方法を変えない。それが指示命令型指導者発生の理由。管理職がやるべき仕事を明示する。



難局にある組織を引っ張る話。

〇リーダーシップ、応用の5冊



人を集め鼓舞する指導者。



経営について哲学的に考える。



指導者を演じる方法。



スティーブ・ジョブズがスタッフと接した記録。恐れられ、避けられ、憎まれる事も必要かもしれない。



忌避される指導者像。

〇意思決定、基本の4冊



意思決定を経済性にフォーカスした場合、数値化が可能になるが限界もある。



プロ野球球団のスカウトに数学を活用。



ゲーム理論について。



失敗事例から、意思決定するために組織が満たすべき条件を探る。

〇意思決定、応用の3冊



火事を消す能力で無く、煙を見つける能力を備える。



シナリオ・プランニングの限界。分かり易さを提供出来るが、依存するのは危ない。



統計リテラシーについて。

〇ゼネラルマネジメント、基本の4冊



ヤマト運輸創始者の、自分で考える経営態度。



企業文化が変え難いものになっていく過程。



リーダーシップは言葉が全て。明快な目標を立てて繰り返し語る。



南極越冬等の体験。

〇ゼネラルマネジメント、応用の2冊



GM中興の祖の体験。



インテル創業者の体験

〇その他(経済学/心理学/社会学等)、基本の4冊



経済学に関する俯瞰図。特に第一章のイントロダクションが経済学的思考を知るために有用とする。経済学の制約等。



人間の判断が歪められる事について。



人間の持つ可能性への希望。



ネットワーク理論。

〇その他(経済学/心理学/社会学等)、応用の7冊



功利主義と道徳倫理のどちらの利得が大きいか数学的解を提供する。



人間の認知バイアスについて。



夢中になるための条件。



意欲を高める時、利得も罰も有効でないとする。



経済成長のために必要な事。



飢饉は食料生産でなく、分配によって発生すると主張。



資本主義が発達した社会はプロテスタントとする。

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横割り世界史

読んだ本の感想。

編集者:武光誠。2006年4月6日発行。



第1章 古代(紀元前~2世紀)
前3000年頃、エジプトに統一国家成立①
紀元前5000年頃にメソポタミア経由でエジプトに灌漑農業が伝わると、生産性が向上し、現在のアラビア語、ヘブライ語に代表されるセム・ハム語系の民族を中心にノモス(部族国家)が成立した。

ノモスはナイル上流の上エジプトとナイル下流の下エジプトに纏まり、紀元前3000年頃に上エジプト主導で統一国家が誕生した。紀元前525年にアケメネス朝ペルシアに征服されるまで、以下のように約30の王朝が存在した。

①古王国時代(紀元前27世紀~紀元前22世紀)
第3王朝~第6王朝。メンフィスを首都とし、太陽神ラーの化身であるファラオを頂点に神権政治体制が確立された。

②中王国時代(紀元前22世紀~紀元前18世紀)
第11王朝~第12王朝。テーベを首都とし、末期にはアジア系遊牧民族ヒクソスの侵入を受けた。

③新王国時代(紀元前16世紀~紀元前11世紀)
第18王朝~第20王朝。メンフィスを首都とし、第18王朝(紀元前15世紀~紀元前14世紀初頭)で領土が最大になった。アメンホテップ4世がアモン・ラー神を排し、唯一神アトンを祀るようになる。彼の死後、アモン・ラー信仰は復活した。

<メソポタミア>
紀元前3000年頃に文明が発祥し、紀元前2700年頃にシュメール人が都市国家を築き、紀元前2400年頃にアッカド人の統一国家が誕生した。

前3000年頃、エジプトに統一国家成立②
エジプトは周囲を乾燥地帯に囲まれていたため、外敵が侵入し難く最古の文明地帯であるメソポタミアよりも先に統一国家が成立したと推測される。

紀元前2700年頃からシリアからレバノンにかけて勢力を誇ったセム語系民族フェニキア人が使用したフェニキア文字はギリシアに伝わってアルファベットに発展した。同時期に内陸貿易で活躍したアラム人の文字はヘブライ語やアラビア語の源流となっている。

前1027年、周朝成立
紀元前3000年頃に黄河流域に興った中国最古の文明が黄河文明である。当時は邑と呼ばれる血縁関係で結ばれた村落が社会の中心であった。
確認出来る最古の王朝は殷(紀元前17世紀~紀元前11世紀)であり、遊牧生活を送っていた周族の武王に1027年頃に滅ぼされたらしい。周朝は諸侯と呼ばれる王の一族に領地を与える代わりに納税と軍役を課し、これを世襲させる事で封建制という政治体制を作り上げた。

前500年、ペルシア戦争開始①
以下の2つの勢力圏の対立。

①オリエント
紀元前7世紀頃までセム語系のアッシリア帝国の支配下にあったが、新バビロニア帝国を中心とする同盟によって紀元前612年に滅びる。その後、紀元前550年にメディア支配下のペルシア人がイラン高原西部に興したアケメネス朝ペルシアが周辺諸国を倒し、紀元前525年には古代オリエント世界統一を回復した。

②ギリシア
平地が少なく小規模耕作しか出来ないため、周辺地域との交易によって生計を立てる自立的農民が生れた。紀元前8世紀頃にはポリス(都市国家)が生み出され、裕福な市民が武装した重装歩兵密集隊が形成された。

上記の2つの勢力は、紀元前500年頃にイオニア地帯の都市が起こした反乱を機に対立し、ペルシア戦争が発生した。

前500年、ペルシア戦争の開始②
紀元前492年、紀元前490年、紀元前480年のペルシアによるギリシア遠征はいずれも失敗。以後、アテネを中心とした対ペルシア同盟(デロス同盟)が結ばれる。

<ローマ>
紀元前8世紀頃にラテン人がイタリア半島中部に興した集落ローマは、王制を経て紀元前6世紀頃に貴族共和制に移行した。紀元前5世紀には平民の権利を保証する十二表法が制定され、平民会を主催する護民官制度も認められた。

前334年、アレクサンダーの遠征開始①
ギリシアでは、アテネを中心とするデロス同盟とスパルタを中心とするペロポネソス同盟が対立し、紀元前431年~紀元前404年までペロポネソス戦争が行われた。各ポリスの衰退が発生し、紀元前338年にはフィリッポス2世のマケドニアの侵入を許し、マケドニアを盟主とするコリント同盟が結成された。

その後、フィリッポス2世の後を継いだアレクサンダー3世が東征に着手する。紀元前330年にペルシア帝国は滅ぼされた。

前334年、アレクサンダーの遠征開始②
アレクサンダー大王の東征によってギリシア文化が東方に広がり、オリエント文化と融合し、ヘレニズム文化が生まれた。東征からローマ台頭までの約300年をヘレニズム時代と呼ぶ。アレクサンダー大王は紀元前323年に熱病で急逝した。

<ヘレニズム文化>
ユークリッド:平面幾何学
アリスタルコス:地球の自転と公転
エラトステネス:地球の周囲を測定
アルキメデス:浮力や円周率の計算
ヘロフィロス:神経と脳髄の発見

<ローマ>
紀元前4世紀のローマでは貴族と平民の争いが発生しており、紀元前367年のリキニウス・セクスティウス法、紀元前287年のホルテンシウス法により法的に両者は平等になった。紀元前267年にローマはイタリア半島を統一する。

前221年、秦の中国統一①
周は紀元前770年にチベット系民族、犬戎の侵入を受け、都を鎬京から洛邑に移した(西周 ⇒ 東周)。周王の権威は失墜し、諸侯が自立化し、群雄割拠の春秋戦国時代が始まった。

この時代には牛耕や鉄製農具、青銅貨幣の登場により、経済が発展した時代でもある。紀元前247年に即位した秦の政によって、紀元前221年に中国は統一された。

前221年、秦の中国統一②
秦では皇帝という称号を用いて、郡県制を採用し、度量衡、貨幣、文字を統一し、匈奴への備えとして万里の長城を築いた。この体制は後の中華帝国の雛形となる。

同時期の欧州では紀元前218年に第2回ポエニ戦争が勃発し、紀元前202年のザマの戦いでローマが勝利している。

前31年、アクティウムの戦い①
貧富の格差拡大等で混乱に陥ったローマの混乱を収拾するために、紀元前46年に終身独裁官となったカエサルは、紀元前44年に暗殺された。その後、シーザーの武将アントニウス、レピディス、オクタヴィアヌス等による三頭政治が開始されたが、アントニウスとオクタヴィアヌスの対立が深まり、紀元前31年のアクティウムの戦いでオクタヴィアヌスが勝利し、紀元前30年にはエジプトをローマに併合した。

前31年、アクティウムの戦い②
オクタヴィアヌスは紀元前27年にアウグストゥスとなり、共和制下の権限と税収を手中に収めた。君主や王という称号でないため、元首政とも呼ばれる。

同時期の中国は、前漢(紀元前202年~8年)の時代で、宣帝(紀元前74年~紀元前49年)が貧民救済、減税という政策を行っていた。朝鮮半島では紀元前37年に高句麗が建国され、勢力を増していく。

25年、後漢成立①
劉邦によって紀元前202年に長安を首都として建国された漢は、外戚であった王莽に8年に王位を奪われ、新が建国された。しかし、王莽の儒教政策は地方豪族の反感を買い、赤眉の乱(18年~27年)によって23年に新は滅亡した。

混乱の中、漢の血統である劉秀が25年に光武帝として洛陽を都とする後漢を再興した。

25年、後漢成立②
儒教は前漢時代から国教となり、礼と徳を重視する事から簒奪者を防ぐ意味があった。後漢時代に伝わった仏教は、一部の知識層への普及に留まった。

紀元前3世紀頃に台頭した匈奴が北方から漢を脅かしており、紀元前189年には匈奴に大敗した劉邦が和議を結んでおり、紀元前127年~紀元前119年には武帝によって匈奴は北方へ後退し、紀元前1世紀半ばには東西に分裂し、西匈奴は滅亡した。

1世紀半ばに東匈奴が南北に分裂し、北匈奴が後漢に侵入するようになる。1世紀後半には後漢が北匈奴を討ち、西域を支配した。

25年、後漢成立③
朝鮮半島では、衛氏朝鮮滅亡(紀元前108年)以後、前漢の時代に四群が置かれた。高句麗は32年には後漢に朝貢を行い、その後、後漢の影響力が弱まると313年には楽浪郡を攻めて朝鮮半島の支配権を確立した。

楽浪郡は鉄器や稲作等を日本に伝える窓口でもあり、奴国は楽浪郡経由で洛陽の光武帝に使者を送っている。

96年、五賢帝時代の始まり①
以下の5人の皇帝が統治した期間(96年~180年)がローマ帝国の最盛期である。

・ネルヴァ
世襲制を排して、後継に属州出身のトラヤヌスを指名
・トラヤヌス
外征を行い、ローマ史上最大の版図を達成
・ハドリアヌス
・アントニヌス・ピウス
・マルクス=アウレリウス=アントニヌス

紀元前27年に事実上のローマ皇帝となったアウグストゥスが、紀元前14年に養子のティベリウスに帝位を継がせた事で世襲制が確立された。

96年、五賢帝時代の始まり②
キリスト教は、64年のローマ大火の犯人とされて以来、迫害されたが、奴隷や下層市民に広まっていった。紀元前3世紀にセレコウス朝シリアから独立したパルチア王国は、シルクロード中継地として繁栄し、ローマとは衝突した。

<インド>
1世紀半ばに成立したイラン系クシャーナ朝がカニシカ王の下で領土を拡大し、仏教によるガンダーラ美術が生れた。

184年、黄巾の乱①
2世紀になると側近の争い等で後漢は衰えた。儒学者官僚が宦官を告発した事により、166年に宦官が官僚等200余人を禁固、追放した第1次党錮の禁、169年の第2次党錮の禁が発生している。

太平道と五斗米道という2つの教団が生まれ、黄巾の乱が発生した。

184年、黄巾の乱②
黄巾の乱等の混乱により、群雄割拠の時代となり、後漢の第14代献帝は、220年に魏王の曹丕に禅譲し、後漢は滅亡した。その後、魏、呉、蜀の三国鼎立時代が始まる。

同時期のローマでは、ゲルマン人の侵入が相次ぎ、212年にカラカラ帝が属州にも同等のローマ市民権を与えたが、混乱が続いた。イランでは紀元前248年から続いたパルチア王国が、226年にササン朝ペルシアに滅ぼされた。南インドのアーンドラ朝はローマ帝国との交易で繁栄する一方、北のクシャーナ朝(親魏大月氏国)と抗争していた。

第2章 中世(4世紀~15世紀半ば)
375年、ゲルマン民族の大移動①
紀元前1世紀頃までの西欧にはケルト人が居住していたが、バルト海から南下したゲルマン人に征服された。ゲルマン系の部族国家はライン川を境にローマ帝国と接しており、9年のトイトブルクの森における敗戦で、ライン川、ドナウ川を防衛線に、ローマに従うゲルマン人にはドナウ川流域への居住を認める懐柔策をとった。

375年、ゲルマン民族の大移動②
1世紀頃にヴォルガ川流域に居住していたトルコ・モンゴル系のフン族が、4世紀頃に勢力を拡大し、375年にはゲルマン人の東ゴート族を服属させた。玉突き状態で西ゴート族がローマ領内に大移動を開始し、数度の移動が繰り返され、欧州中にゲルマン人が広く分布するようになる。

<中国>
265年に司馬炎が建てた西晋が316年に滅亡し、その後、華北では5つの北方民族による16の国家が乱立し、江南では317年に東晋が建てられた(五胡十六国時代)。

<インド>
320年にチャンドラグプタが開いたグプタ朝が4世紀半ばに最盛期を迎える。

395年、ローマ帝国東西に分裂
3世紀のローマはゲルマン人の大移動等により軍隊の力が増し、各地の軍隊がそれぞれ軍人皇帝を立てる時代となっていた(235年~284年)。ディオクレティアヌス帝は混乱を収めるために帝国を4分し、四分統治体制を敷いた。

その後、コンスタンティヌス帝が再統一し、ササン朝ペルシアの攻撃に備えるためにコンスタンチノープルに遷都し、キリスト教も公認した。その後のテオドシウス1世は395年にローマ帝国を東西に分けた。

476年、西ローマ帝国滅亡
西ローマ帝国はゲルマン人の侵入を受け、ローマ軍の中枢もゲルマン人が担うようになり、476年にゲルマン人の傭兵隊長オドアケルによってロムルス・アウグスティヌス帝が廃位させられた。以後、複数のゲルマン人国家が領内に成立した。

589年、隋の中国統一①
五胡十六朝時代を経て南北朝時代にあった中国において、北魏の後を継いだ北周が華北を支配し、その外戚であった楊堅が581年に帝位を奪った。楊堅は国号を隋と改め、589年に南朝の陳を滅ぼして中国を再統一した。

楊堅(文帝)は、中央集権体制を支える法体系として律(刑法)、令(行政法)、格(追加規定)、式(細則)を定め、科挙によって人材を集めた(律令体制)。

国が民衆に土地を割り振る均田制を中心に、租庸調(税制)や徴兵制度である府兵制によって国力充実を図り、「開皇の治」と呼ばれた。

589年、隋の中国統一②
文帝の次の煬帝は大事業を乱発し、618年に唐の高祖となる豪族の李淵、李世民親子に殺害された。

<中央アジア>
トルコ系遊牧民族の突厥が6世紀中頃に全盛期を迎えるが、隋と交戦を重ねる内に東西に分裂。イラン北部にはエフタルが5世紀半ばに台頭し、563年に突厥とペルシアによって滅亡する。インドのグプタ朝はエフタルの侵入によって分裂し、550年頃に滅亡した。

<ローマ>
東ローマ帝国にて527年にユスチニアヌス1世が即位すると、ローマ法大全を編纂し、後の西欧諸国の法典の基礎となる。地中海沿岸のローマ帝国領を回復するが、565年にユスチニアヌス1世が死ぬと、東ローマ帝国は衰退を始める。

622年、ヒジュラ①
6世紀後半のアラビア半島では、ササン朝ペルシアと東ローマ帝国の争いを避け、海陸の交易路がアラビア半島西部を迂回するようになったため、メッカが中継貿易の拠点となっていた。メッカの名門ハーシム家に生まれたムハンマドは610年頃に啓示を受け、イスラム教を始める。

イスラム教は迫害され、ムハンマドは622年にヒジュラ(聖遷)を行い、ヤスリブへ移住した。622年をヒジュラ暦元年と呼ぶ。

622年、ヒジュラ②
ヒジュラ後、ムハンマドはイスラム法として生活体系を定めた。そして、630年にムハンマドがメッカを征服し偶像を破壊した。632年にムハンマドが没した後は代々のカリフがウンマ(イスラム共同体)を主導していく。

同時期の中国では、626年に即位した唐の太宗が「貞観の治」と呼ばれる治世を行い、645年には玄奘がグプタ朝滅亡後に興ったインドのバルダナ朝(612年に北インド統一)から仏経典を持ち帰っている。

676年、新羅の朝鮮半島統一①
高句麗、新羅、百済が割拠していた朝鮮半島において、新羅が唐の力を利用し、660年に百済を滅亡させ、668年には高句麗を滅亡させている。

676年、新羅の朝鮮半島統一②
新羅は670年に高句麗の残存勢力を引き入れて唐に対抗。676年には唐の勢力を朝鮮半島から排除する事に成功する。高句麗領であった中国東北部と朝鮮半島北部は唐の支配下であるが、10世紀初めまで新羅と唐の国交は続いた。

800年、カール大帝加冠①
375年の大移動後に欧州に移住したゲルマン人のほとんどはキリスト教異端であるアリウス派を信奉していたが、フランク王国だけは正統派アタナシウス派に改宗し、ローマ教会との関係を深めていた。

ローマ教会は661年に成立したウマイヤ朝のイスラム勢力を恐れ、726年の東ローマ帝国による聖像禁止令に憤慨し、751年にカロリング朝を開いたフランク王ピピンと結び、権威を保証する事と引き換えに教会領の防衛を委ねた。

768年にピピンの後を継いだカール大帝は、西欧の大半を手中に収め、ラテン語の洗練化や古典復興等のカロリング・ルネッサンスという古典復興運動を行った。

800年、カール大帝加冠②
カール大帝の時代にフランク王国の教会はローマ式典礼を採用し、国家統治の土台に教会組織を組み込んだ。そして、800年にカール大帝は教皇レオ3世によって西ローマ皇帝として戴冠を受けた。このとき、ローマ教会は東ローマ帝国から独立し、ローマ・カトリック教会が成立した。

同時期のアラブでは、750年にアッバース家の革命軍がウマイヤ朝を破り、イラクを中心にアッバース朝が成立。イベリア半島に逃れたウマイヤ家は756年に後ウマイヤ朝を成立。アッバース朝は751年に行われたタラス河畔の戦いで得た唐の捕虜から紙の製法を伝えられたとする。

843年、ヴェルダン条約①
フランク族にはゲルマン慣習法による分割相続の慣習があったため、カール大帝が没した後に領土争いが生じ、領土の線引きを条約で決めた。

カール大帝の男児はルートヴィヒ敬虔王(ルートヴィヒ1世)だけであり、教皇ステファヌス4世から戴冠を受けた。その死後、長男ロタール、次男ルートヴィヒ2世、三男シャルルの間で争いが起こり、843年のヴェルダン条約で領土は三分割された。

843年、ヴェルダン条約②
ヴェルダン条約による領土分割は以下の通り。

ロタール:
西ローマ皇帝の帝位と中部フランク(ロートリンゲン地方と北イタリア)

ルートヴェヒ2世:
東フランク

シャルル:
西フランク

ロタールの死後、再度、分割問題が生じ、870年のメルセン条約で中部フランクのロートリンゲン地方が東西フランクに分割され、ドイツ、フランス、イタリアの原型になった。

1038年、セルジュク朝成立①
中央アジアで遊牧生活を送っていたトルコ人は、10世紀に人口増加等で西方への移住を開始し、アラブ系やイスラム系のイスラム勢力に軍人奴隷として採用された。

当時のトルコ人はシャーマニズムを信仰していたが、西方に移住し、イスラム教に改宗する部族が出てきた。セルジュク族もその一つで、10世紀の終わり頃に族長セルジュクに率いられて南下し、シル川下流のジェンドでイスラム教スンニ派に改宗した。

セルジュクの孫とされるトゥグリル=ベクは、サーマン朝から分離したトルコ系のガズナ朝からイラン東部のホラサーン地方を奪取し、1038年にセルジュク朝を建国した。

1038年、セルジュク朝成立②
アッバース朝は、シーア派のブワイフ朝に実験を奪われており、トゥグリル=ベクに助けを求め、1055年にトゥグリル=ベクはバグダードに進出し、ブワイフ朝を追放した。その功績からスルタン(支配者)の称号を与えられ、東方イスラム世界における政治と軍事の支配者として公認された。

同時期のインドでは、サーマーン朝に仕えるマムルーク(トルコ人奴隷兵)であったアルプテギーンが962年にアフガニスタンで興したガズナ朝が北インドに侵入を繰り返していた。

1038年、セルジュク朝成立③
西欧では、987年にフランス王朝の祖、カペー朝が興り、962年にザクセン朝のオットー1世がローマ教皇にローマ皇帝の冠を与えられ、神聖ローマ帝国が生れた。

イベリア半島では後ウマイヤ朝が10世紀に全盛期を迎えたが、キリスト教徒によるレコンキスタ(国土回復運動)により、1031年に滅ぼされた。朝鮮半島では916年に建国された高麗が新羅、後百済(892年に建国)を滅ぼし、936年に朝鮮半島を統一した。

1096年、第1回十字軍①
中東では、カリフの権威によってスルタンの称号を与えられたセルジュク朝が勢力を増しており、欧州ではキリスト教が広まるに連れて聖地巡礼熱が高まっていた。

以下が十字軍の軌跡。

第1回(1096年~1099年):
聖地エルサレムを占領し、エルサレム王国を建国。

第2回(1147年~1149年):
イスラム勢力の反撃により成果無し。

第3回(1189年~1192年):
リチャード1世やフィリップ2世が参加するも聖地を奪還出来ず。

第4回(1202年~1204年):
ベネチア商人によって脱線。コンスタンチノープルを占領し、ラテン帝国建国。

少年十字軍(1212年):
少年達が奴隷として売られる。

第5回(1228年~1229年):
フリードリヒ2世の外交により聖地回復。

第6回(1248年~1254年):
ルイ9世がカイロを攻撃するも敗退。

第7回(1270年):
ルイ9世がアフリカのチュニスを攻撃。攻撃中に病死。

1096年、第1回十字軍②
1076年にローマ教皇グレゴリウス7世に、神聖ローマ皇帝ハインリヒが許しを乞うたカノッサ事件に象徴されるように、当時の欧州では王権よりも教皇権が強かった。

1095年に東ローマ皇帝アレクシオス1世からエルサレム奪還を要請されたローマ教皇ウルバヌス2世は、クレルモン公会議を招集し、十字軍派遣を宣言した。

1096年、第1回十字軍③
第1回十字軍によって建国されたエルサレム王国は、諸侯が帰還した後の兵力不足に悩み、聖ヨハネ騎士団やテンプル騎士団が設立されたが、サラディンがアイユーブ朝を建ててイスラム勢力を結集すると聖地を奪還出来なかった。

1169年、アイユーブ朝成立
1169年にイラク出身のクルド人であるサラディンが、アッバース朝カリフの宗主権を承認する宣言をする代わりに、エジプトにスンニ派のアイユーブ朝を建てた。アイユーブ朝はシリア方面に領土を拡張し、1187年には聖地エルサレムを奪還した。

1192年、鎌倉幕府成立①
日本では、都の貴族を中心に平安時代が11世紀に最盛期を迎えるが、政治が乱れ、有力農民が武器を持った武士が出現した。武士層は天皇を祖先とする平氏と源氏の下で勢力を拡大し、貴族に取り入る形で国政に入り込んだ。

1192年、鎌倉幕府成立②
1192年に源氏の源頼朝は征夷大将軍に任じられ、鎌倉に幕府を開き、政治の中枢が公家から武家に移行した。

同時期のインドでは、アフガニスタンで独立したトルコ系イスラム王朝ゴール朝が勢力を拡大し、1189年にトルコ系イスラム王朝のガズナ朝を倒して北インドに侵入している。

1206年、チンギス・ハンがモンゴルの君主に①
1206年にモンゴル高原の部族を統合したテムジンが、大ハンの地位に就いてチンギス・ハンと称するようになる。1209年には西夏を服従させ、1077年にセルジュク朝から独立したホラズム朝を、1221年に滅ぼした。

1206年、チンギス・ハンがモンゴルの君主に②
チンギス・ハンの死後もモンゴル帝国の拡大は続き、カラコルムを首都とした。

<英国>
1215年に失地王ジョンがマグナ・カルタを制定させられた。

<インド>
1206年にアフガニスタンのトルコ系イスラム王朝ゴール朝の将アイバクが独立し、デリーを首都にインド初のイスラム王朝、奴隷王朝(1206年~1290年)を建てた。この後の300年をデリー・スルタン時代と呼ぶ。

1258年、モンゴルのバグダード占領①
1258年に、モンゴル帝国第4第ハンであるモンケに派遣されたフビライとフラグによって、バグダートが占領され、アッバース朝は滅亡した。カリフは処刑され、約600年継承されたカリフ制は終焉した。フラグはイランを中心にイル・ハン国(1258年~1353年)を建てた。

1258年、モンゴルのバグダード占領②
1260年にモンケが没すると、フビライが大ハンとなる。都を大都(北京)に移し、1271年に国号を元とした。

<東ローマ帝国>
ニケーアに亡命貴族が建てたニケーア帝国が1261年にコンスタンチノープルを奪還しラテン帝国を滅ぼし、再興した。

<神聖ローマ帝国>
王朝が断絶し、神聖ローマ皇帝が存在しない大空位時代(1256年~1273年)が訪れた。ライン川流域の都市は、治安維持のためにライン都市同盟を結んだ。

1299年、オスマン帝国成立①
12世紀にセルジュク朝は衰退した。小アジアのアナトリア地方ではトルコ系のムスリム戦士が乱立し、その中のオスマン・ベイが1299年にオスマン朝を建てた。その子のオルハンの時には東ローマ帝国領内の都市ブルサを占領して首都とし、その子のムラト1世の時にはバルカン半島のアドリアノープルを占領し首都とした。

以下は各王の功績。

オルハン(1326年~1359年):
1326年に東ローマ帝国のブルサを占領

ムラト1世(1359年~1389年):
1362年にイェニチェリ創設
1366年にアドリアノープル占領

バヤジット1世(1389年~1402年):
1396年にニコポリスの戦いでハンガリー征服
1402年にチムール帝国とのアンカラの戦いで敗れる

メフメト1世(1413年~1421年):
1413年に帝国を再建

1299年、オスマン帝国成立②
オスマン帝国の軍隊は、シパーヒーと呼ばれる騎士階級と、カプクルと呼ばれる君主直属の常備奴隷軍団によって構成されていた。カプクルは強制帝にイスラム教に改宗させた軍人によって補充されており、イェニチェリの原型である。

1338年、室町幕府成立
14世紀に入り、鎌倉幕府の権威が弱まった事で、後醍醐天皇による倒幕が行われる。その後、武士層の不満が生じ、朝廷が南北に分かれる南北朝時代となる。1338年に征夷大将軍に任ぜられた足利尊氏が室町幕府を開く。

同時期の欧州では1328年にカペー朝が断絶し、バロア朝が成立すると、英国のエドワード3世が王位継承権を口実に北仏に侵入し、1339年に百年戦争が始まった。

1368年、明建国①
元の勢力が衰え、1351年には弥勒仏を信仰する白蓮教の指導による紅巾の乱が発生した。その中で農民出身の朱元璋(洪武帝)が頭角を現し、1368年には金陵(南京)を首都とする明を建国した。首都は第3代の永楽帝の時に北京に移される。

洪武帝は中書省を廃し、行政機関である六部、軍事組織である五軍都督府、官僚の監察組織である都察院を皇帝直属とする中央集権体制を敷いた。

また、徴税体制として里甲制(110戸を1里、その内の富裕な10戸を里長戸、残りを10甲とした管理する)、兵役を負担する衛所制(1衛 = 千戸所×5 = 百戸所×50:百戸所は112人)を定め、朱子学を国教とし、科挙を復活させた。

1368年、明建国②
明と日本は1404年から勘合貿易を開始している。1551年に大内氏が断絶するまで続く。

<朝鮮半島>
1392年に倭寇討伐で名を上げた李成桂が高麗に反乱し、朝鮮王朝を興した。

<中央アジア>
チャガタイ・ハン国が崩壊し、1370年に豪族のチムールがチムール朝を開いた。

<欧州>
フランス国王の圧力で1309年に教皇庁がアビニョンに移り、1378年には2人の教皇が立つ教会大分裂(大シスマ)が起った。この状態は1417年まで続く。

1402年、アンカラの戦い①
オスマン・トルコとチムールの戦い。1370年にサマルカンドを首都としたチムール帝国は、オスマン・トルコに領土を奪われたアナトリア諸侯の要請を受ける形でアナトリアに進出し、アンカラで戦った。

1402年、アンカラの戦い②
アンカラの戦いで勝利したチムールは明への遠征を行うが、途中で病死した。首都サマルカンドでは文化が発展した。

1455年、ばら戦争①
<百年戦争:1339年~1453年>
1328年にシャルル4世が没してカペー朝が断絶すると、シャルル4世の従兄弟フィリップ6世が即位してバロア朝を開いた。英国のエドワード3世は、母親がカペー朝出身である事からフランス王位継承権を主張してフランス領に侵入。毛織物業が発展したフランドル地方の支配権を巡って争いが発生した。

英国のブランタジネット朝はフランス西部を領有していたが、12世紀末の失地王ジョンの時に領土を失い、百年戦争でカレーを除くフランス領を失った。

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百年戦争中の英国でエドワード3世の孫のリチャード2世が即位したが、各地で反乱が相次ぎ、ブンラタジネット家支流であるランカスター家(赤薔薇)が王位を求めて挙兵し、1399年に王位はランカスター家に移った。ヘンリ4世のランカスター朝の始まり。

その次の次のヘンリ6世が1453年に百年戦争に敗れると、1455年にブランタジネット家支流のヨーク家(白薔薇)のリチャードが王位を求めて挙兵し、ばら戦争が始まった。

1455年、ばら戦争②
ばら戦争は当初はヨーク家が優位にあり、1461年にヘンリ6世は廃位させられ、リチャードの息子エドワード4世がヨーク朝を開いた。その弟のリチャードがエドワード4世の息子であるエドワード5世を暗殺し、リチャード3世として即位したため、国内は混乱した。それを見てランカスター派のヘンリ・チューダーが挙兵し、ヘンリ7世として1485年にチューダー朝を開いた。

ヘンリ7世とエドワード4世の娘エリザベスが結婚する事で両家は和解した。

ばら戦争に加入した諸侯は没落し、国王直属の裁判所、星室庁が設置され王権が強まり、絶対王政時代が到来した。

第3章 近代(15世紀末~19世紀)
1492年、コロンブスのアメリカ到達①
13世紀にレコンキスタを完了させたポルトガルやスペインは、オスマン・トルコに抑えられていた香料貿易の利益を手にするため、航路開拓を行った。1488年にはバーソロミュー・ディアスがアフリカ南端の喜望峰を発見し、1498年にはヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を超えてインド航路を開拓した。

1492年、コロンブスのアメリカ到達②
1492年にスペインの支援を受けたコロンブスがアメリカ大陸に到達する。ポルトガルとスペインは、ローマ教皇ロドリゴ・ボルジャの仲介で1494年にトルデシラス条約を結び、大西洋上に境界線を設置して世界を二分割した。

1500年にポルトガル王の支援を受けたカブラルがブラジルをポルトガル領とし、1509年にはディワ沖の海戦でエジプト、ベネチア等の軍を破ってインド洋における権益を確立した。

1492年、コロンブスのアメリカ到達③
ポルトガル貴族だったマゼランは、スペイン王カルロス1世の支援を受け、1519年~1522年に世界周航を達成した。南米のマゼラン海峡を回る南西航路の開拓。

<ロシア>
1480年にロシア帝国の礎となるモスクワ大公国が、キプチャク・ハン国から独立した。

<中央アジア>
チムール帝国が東西に分裂し、1500年、1507年にトルコ系のウズベク族に滅ぼされた。チムール一族のバーブルがインドに逃れ、1206年から続いていたイスラム系のデリー・スルタン朝の最後の王朝ロディー朝を滅ぼし、ムガル帝国(1526年~1858年)を築く。

1517年、ルターの宗教改革①
教会の世俗化に対して、14世紀後半から英国やフランスで教会革新運動が起っていたが、15世紀末からはドイツで教会改革が叫ばれた。
神学者マルティン・ルターは、ローマ教皇レオ10世が発行した贖宥状(罪を軽減する)を批判し、1517年には「95ヶ条の論題」を発表した。
ルターの主張は聖書への回帰であり、人の罪を軽減出来るとするローマ・カトリック教会の存在を否定した。1521年に破門され追放されたルターはザクセン選帝公に保護された。

1517年、ルターの宗教改革②
ルターは1534年に旧約聖書のドイツ語訳を完成させた。15世紀半ばにグーテンベルクによって発明された活版印刷によって広まり、プロテスタントの礎となる。

スイスでも宗教改革運動は広まり、フランス人のツィングリの改革運動をカルバンが受け継ぎ、1541年からジュネーブで救いは神によって定められているという予定説を主張した。カルバン派(ユグノー、清教徒、ゴイセン)はルター派と並ぶプロテスタントの二大宗派となっていく。

<中東>
1517年にオスマン・トルコがエジプトのマムルーク朝を滅ぼし、メッカとメディナの保護権を獲得し、イスラム世界の盟主となる。

1533年、ピサロのインカ帝国征服
スペイン人のピサロによってアンデス山中のインカ帝国が征服される。中南米では膨大な金銀が採掘されるため、安価な銀が欧州に流入し、物価高騰や旧来の産業資本やドイツの銀山経営者没落等の影響があった。

<欧州>
1534年にイギリス国教会を誕生し、同年にフランスでカトリック修道会イエズス会が設立された。

<中東>
オスマン・トルコが1538年のプレヴェザの戦いでキリスト教国を破り、地中海を支配した。

1558年、エリザベス1世がイギリス国王に①
1534年に設立されたイギリス国教会は、カトリックから分離し、共通祈祷書や礼拝形式を統一する事でプロテスタント化が進んだ。メアリ1世(1553年~1558年)はカトリックを復権させようとしたが、その後のエリザベス1世(1558年~1603年)は首長令や統一法を復活させ、イギリス国教会を確立した。

以下は、エリザベス1世の施策。

・北米の植民地化
・ユグノー戦争(1562年~1598年)で新教派支援
・スペイン領オランダ独立支援
・スペイン無敵艦隊撃破(1588年)
・東インド会社設立(1600年)

1558年、エリザベス1世がイギリス国王に②
エリザベス1世は貨幣改鋳を行い、毛織物の大陸への輸出を保護し経済面を活性化させた。毛織物の貿易市場アントワープがあるネーデルラントが1568年に独立戦争を起こすとアントワープが没落したため英国内で失業者が増大し、その対策に貧民救済を義務付ける救貧法を制定した。

<ドイツ>
1555年のアウグスブルクの宗教和議で信教の自由が保証される。

<ロシア>
1533年にモスクワ大公国でイバン4世が即位。1547年以降にツァーリと名乗って中央集権化を進める。

<インド>
ムガル帝国でアクバル帝(1556年~1605年)が即位し、ムガル帝国の勢力を広げる。

1588年、アルマダ戦争①
16世紀末から17世紀の欧州では貴族が弱体化し、国王が絶対的権力を持つ絶対王政が確立していた。宗教的にも王権神授説が加わり、英国やスペイン等が絶対王政が確立していた。

スペインはオスマン・トルコと対立し、1571年のレパントの戦いで勝利して地中海の覇権を手に入れた。

1588年、アルマダ戦争②
フランスでカルバン派(ユグノー)が勢力を拡大し、1562年~1598年にユグノー戦争が勃発した。フェリペ2世はカトリック支援のために介入するが戦争は泥沼化した。

1589年にバロア朝が断絶し、フランス国王に即位してブルボン朝を開いた新教徒のアンリ4世がカトリックに改宗し、1598年のナントの勅令で信教の自由を承認した。

さらにフェリペ2世の異端不寛容政策により、1568年~1609年にはオランダ独立戦争が発生し、反乱を支援した英国との対立を決定的にした。

1588年にスペインは艦隊を英国に差し向けるが英国艦隊が勝利し、英国の覇権が確定した。

1588年、アルマダ戦争③
スペインは1580年にポルトガル王を兼ねてイベリア半島を支配したが、一連の対外政策で破産状態になり、オランダ独立(正式な承認は1648年のウェストファリア条約)によって毛織物市場であるアントワープを失い、アメリカ大陸からの銀の輸入も激減したため、スペインは衰退した。

<ロシア>
モスクワ大公国でイバン4世が親衛隊オプリチキーナによって貴族を粛正する恐怖政治(オプリチナ政策)を行い、1580年代にはシベリアに進出した。

<インド>
1565年にムガル帝国第3代アクバル帝が非イスラム教徒への人頭税(ジズヤ)を廃止し、官僚制度を整備した。

1603年、江戸幕府成立①
1603年に征夷大将軍に任じられた徳川家康が江戸幕府を開く。

1603年、江戸幕府成立②
1641年に日本ととの交易相手をオランダと中国に限定する鎖国制度が完成した。

<英国>
1603年に、エリザベル1世の後をジェームズ1世(ジェームズ6世)が継ぎ、スチュアート朝を開く。

<ロシア>
モスクワ大公国でイバン4世の死後、1613年に皇帝に選出されたロマノフがロマノフ朝を開く。

1618年~1648年、三十年戦争①
1555年に神聖ローマ皇帝カール5世は、アウグスブルクの和議で信教の自由を保証したが、自由が領主のみにしか認められなかった事やカルバン派が宗教和議の対象外となった事が対立の原因となった。

1618年にハプスブルク家出身のフェルディナント2世がボヘミア王になり、プロテスタントを弾圧すると民衆が蜂起し、三十年戦争が始まった。

〇ボヘミア・ファルツ戦争(~1623年)
1619年に神聖ローマ皇帝に即位したフェルディナント2世が、スペインの支援を受けてプロテスタント諸侯を破る。

〇デンマーク・ニーダーザクセン戦争(1625年~1629年)
新教国デンマークが介入するが、皇帝軍に撃破される。

1618年~1648年、三十年戦争②
〇スウェーデン戦争(1630年~1635年)
新教国スウェーデンが介入。

〇スウェーデン・フランス戦争(1635年~1648年)
反ハプスブルクを主導したフランスが参戦。

1648年のウェストファリア条約でルター派に加えてカルバン派にも信仰の自由が保証され、スイス、オランダの独立が国際的に確認された(ハプスブルク家の勢力衰退)。

1618年~1648年、三十年戦争③
ウェストファリア条約でフランスはアルザス地方を獲得し、スウェーデンは北ドイツの領土を得た。ドイツ諸侯に領土主権が認められたため、神聖ローマ帝国は小国へ分裂し、ハプスブルク家の支配地はオーストリアのみとなった。

三十年戦争の間、英国ではカルバンの影響を受けてイギリス国教会改革を目指す清教徒が勢力を伸ばし、1628年には議会の同意無しでの課税を禁止する「権利の請願」をチャールズ1世に突き付けた。

1642年には王党派と議会派で内乱状態になり、議会派はクロムウェルの指導により1645年に王党派を破るが、議会派はクロムウェルの独立派と穏健な長老派に分裂し、再び内乱状態となる。

独立派は1649年にチャールズ1世を処刑して共和制を開始した。クロムウェルの死後、長老派が1660年にチャールズ2世を擁して王政が復古する。

1618年~1648年、三十年戦争④
小国に分裂したドイツで、東北部のブランデンブルク選帝侯国とプロイセン公国が1701年に合併し、プロイセン王国が誕生する。フリードリヒ・ヴィルヘルム1世による貴族階級(ユンカー)を中心とした絶対王政。

神聖ローマ帝国皇帝位を世襲するオーストリアでは、1660年代から地中海に進出し、1683年の第2次ウィーン包囲を行ったオスマン・トルコに勝利し、1699年のカルロヴィッツ条約でハンガリーやトランシルヴァニア等を獲得した。

同時期にあった事として、1580年にスペインに合併されていたポルトガルが、スペインが衰退する中、1640年に独立。インドではムガル帝国が栄え、第5代シャー・ジャハンが1632年から約20年をかけてタージ・マハル廟を建設した。

1756年、七年戦争
三十年戦争後、神聖ローマ帝国皇帝の支配地はオーストリア周辺に限られたが、次第に勢力を拡大していた。1711年に即位したカール6世の死後、娘のマリア=テレジアが王位を継ごうとしたが、プロイセンとフランスが異を唱え、1740年にオーストリア継承戦争が始まる。

1748年のアーヘンの和約によって、マリア=テレジアがオーストリア王になり、夫のフランツ1世が神聖ローマ皇帝に即位したが、シュレジエン地方をプロイセンに割譲する事になった。

そこでマリア=テレジアはブルボン家と同盟を結び(外交革命)、シュレジエン地方奪回のために七年戦争を始める。1763年のフベルトゥスブルク条約でシュレジエン地方がプロイセン領として確定した。

1769年、ワットが蒸気機関を改良①
17世紀の英国では清教徒革命と名誉革命を経て絶対王政が崩壊し、市民社会が形成されていた。その結果、工業が家内制手工業から工場制手工業に変化していた。

以下が産業革命の要因となる。

<労働力>
18世紀には議会の承認の下で地主が多くの土地を囲い込んで中小農民が賃金労働者として都市に流入した。

<資本>
海外植民地を多く獲得し、三角貿易(奴隷、綿花、製品)が行われ富が蓄積されていた。

<技術>
1733年:ジョン=ケイが織りの速度を倍にする飛び杼を発明
1769年:ワットが蒸気機関を改良
1779年:クロンプトンのミュール紡績機
1785年:カートライトの力織機

1769年、ワットが蒸気機関を改良②
綿工業の機械化は他産業も発展させ、従来の大地主と領民という階級に代わって資本家と労働者という階級を産み出した。それは労働者の選挙権を求めるチャーチスト運動に繋がっていく。

1769年、ワットが蒸気機関を改良③
各国の本格的な産業革命は、1825年に英国が機械製品の輸出を解禁してから始まる。フランスは七年戦争の敗北によって海外市場を失い、フランス革命の影響もあって機械化が普及するのは1830年代からである。ドイツでも同時期にライン川流域で綿工業における産業革命が発生している。

<ロシア>
1762年にピョートル3世(七年戦争でプロイセンと単独和議を結ぶ)をエカテリーナ2世が追放し、1771年にはクリミヤ半島を占領し、1772年にはプロイセンやオーストリアとポーランドを分割した。

1776年、アメリカ独立
清教徒が1620年にアメリカ大陸に到達して以降、英国は植民地産業を圧迫していた。七年戦争での戦費出費による財政難から植民地への課税を強化し、それが米国独立へと繋がっていく。

1789年、フランス革命①
16世紀から続く絶対王政下にあったフランスでは、アンシャン=レジーム(旧制度)と呼ばれる社会の下、聖職者と貴族に免税特権があり、市民や農民に政治的権利は認められていなかった。その状況下で英国から公正な社会実現を目指す啓蒙思想が伝わり、市民に大きな影響を与えた。
1788、ルイ16世が財政破綻を前に特権階級へも課税するために三部会を招集した。
1789年の三部会は特権階級と第3身分(市民、農民)の争いとなり、市民が蜂起してバスティーユ牢獄を襲撃、革命が始まった。

1789年、フランス革命②
1792年に成立した国民公会は、王権廃止と共和制樹立を決議した。その後、国民公会は1795年憲法によって解散し、ナポレオン台頭まで5人の総裁からなる総裁政府がフランスを統治した。

こうした西欧の混乱を突いて、1795年にプロイセン、オーストリア、ロシアがポーランド分割を行った。

1804年、ナポレオン皇帝になる①
革命後のフランスは総裁政府が政権を担ったが、共和派、王党派によって社会は混乱していた。1793年に結成された第1回対仏大同盟の軍事的脅威も存在し、1795年にはナポレオンがパリで王党派が起こした反乱を鎮圧した事で頭角を現していく。

以下は、対仏大同盟の経緯。

〇第1回(1793年~1797年)
ルイ16世処刑に対して結成。オーストリア軍が敗れた事で解消。

〇第2回(1799年~1802年)
ナポレオンのエジプト遠征に際して結成。英国とアミアンの和約を結んで解消。

〇第3回(1805年)
ナポレオンの皇帝即位に対して結成。ロシア・オーストリア連合軍が敗れ解消。

〇第4回(1813年~1814年)
ナポレオンのロシア遠征敗退に対して結成。ナポレオンが敗れ、皇帝退位。

1804年、ナポレオン皇帝になる②
ナポレオンは国立銀行設立や税制、教育改革等の内政に手を付け、また、革命時に政府がキリスト教を排斥したために悪化したローマ教皇庁との関係を1801年の宗教協約で修復した。
1804年には近代的な民法であるナポレオン法典を発布。同年に皇帝位につくと、1806年には南ドイツの領邦を集めてライン同盟を結成させ、忠誠を誓わせ、962年に成立した神聖ローマ帝国を消滅させた。
1807年にはプロイセンから奪った土地でワルシャワ大公国を建設している。そして屈服しない英国を経済封鎖するために出した大陸封鎖令(1806年)、ミラノ勅令(1807年)によって機械製品を欧州諸国が輸入出来なくなり、経済的打撃を受けた。

1804年、ナポレオン皇帝になる③
ロシアが大陸封鎖令を破って英国と貿易を行い、ナポレオンは1812年に遠征を行うが焦土戦術によって撤退した。ナポレオンは欧州諸国との戦いに敗れ、エルバ島に幽閉され、その後、セントヘレナ島に幽閉される。

欧州各国は革命以前の絶対王政を正統とする保守的な国家体制(ウィーン体制)を作り上げた。

ナポレオンと英国の戦争の間、米国は中立を宣言し、欧州との中継貿易で利益を出したが、英国が海上封鎖を行った事で宣戦布告し、1812年から米英戦争が始まった。ナポレオン敗北後に兵力に余裕が出来た英国がワシントンを占領したが、長期の戦争で疲弊していたため、1814年のガン条約で停戦が決まった。

1804年、ナポレオン皇帝になる④
フランス革命の余波はラテン・アメリカ諸国にも及び、英国はラテン・アメリカの市場を狙って南米諸国の独立を支持した。
米国も南米への影響力を行使するため、1823年のモンロー宣言で欧州諸国はアメリカ大陸に干渉すべきでないとした。

他に1821年にはギリシア独立戦争が発生し、1829年にロシアとオスマン・トルコの間でアドリアノープルの条約が結ばれた独立が承認された。

1840年、アヘン戦争①
清は1616年に満州で女真族が建国した金が、1636年に清と改名し、1644年に明が滅ぶと勢力を拡大した。

〇康熙帝(1661年~1722年)
1683年:中国を統一
1689年:ネルチンスク条約でロシアとの国境を確定。

〇雍正帝(1722年~1735年)
1727年:キャフタ条約でモンゴルにおけるロシアとの国境を確定

〇乾隆帝(1735年~1795年)
1757年:外国貿易を広州一港に限定
1759年:ジュンガル部(1758年)に続いて回部を平定
1793年~:英国使節が通商要求(1816年、1834年)

〇嘉慶帝(1796年~1820年)
1796年:白蓮教との乱(~1804年)で国内混乱

〇道光帝(1820年~1850年)
1833年:英国東インド会社の対清貿易独占権廃止
1839年:林則徐、広州でアヘン没収
1840年:アヘン戦争開始(~1842年)

18世紀中頃の英国は清との貿易で茶の輸入量が増加したが、輸出品が無いという輸入超過であり、銀の産出地であったアメリカを独立で失った事で蓄積された富が流出していた。18世紀後半からアヘンを売る事で、貿易は逆に英国有利となっていく。

1840年、アヘン戦争②
清はアヘンを取り締まったが、英国は貿易自由化を目的に武力介入し、1842年の南京条約で以下を約束させた。

・香港の割譲
・上海、寧波、福州、厦門、広州の開港
・公行(特許商人)の廃止
・賠償金の支払い

さらに1856年のアロー戦争では、天津条約でさらなる開港(牛荘(営口)満州、登州(芝罘):山東、漢口:長江沿岸、九江:長江沿岸、鎮江:長江沿岸、台南:台湾、淡水:台湾、潮州:広東省東部、後に同地方の汕頭に変更、瓊州:海南島、南京:長江沿岸、等の華北や長江流域の内陸港を含む10港)を認めさせ、その後の北京条約で九龍半島を割譲させた。

1840年、アヘン戦争③
アヘン戦争やアロー戦争により、さらなるアヘン流入や賠償金が齎した物価高騰や重税により、1853年~1864年に太平天国の乱が発生する。地方勢力が力を持った事で地方分権化が進んだ。

一方の英国では、1840年代に穀物法と航海条例が廃止されて自由主義が実現し経済力が高まっていた。

<フランス>
ウィーン体制下でブルボン朝が復活したが、シャルル10世の旧制度が反発され、1830年の7月革命で失脚し、次のルイ=フィリップも1848年の2月革命で打倒された。

以下は、二つの革命の特徴。

〇7月革命
ティエール、ラファイエット指導による自由主義の大ブルジョワ中心の革命。選挙権は拡大したが、制限選挙のまま。

〇2月革命
ラマルチーヌ中心、ルイ=ブラウン指導下で中小ブルジョワと労働者中心の革命。ラマルチーヌ中心の臨時政府による第二共和政が樹立され、普通選挙によりルイ=ナポレオンが大統領になる。

<トルコ>
支配下にあったエジプトとの戦争。

〇1回目(1831年~1833年)
1805年よりエジプトの支配者となったムハンマド・アリーがトルコに領土を要求。
(トルコ、ロシア 対 エジプト、英国、フランス、オーストリア)

〇2回目(1839年~1840年)
ムハンマド・アリーがエジプト、シリアの総督世襲権をトルコに迫って開戦。1840年のロンドン会議でエジプトはシリア、クレタ島を失うが、エジプト、シリアの総督世襲権を獲得した。
(トルコ、四国同盟(ロシア、プロイセン、英国、オーストリア) 対 エジプト、フランス)

1853年、クリミア戦争①
18世紀から19世紀にかけてのロシアは、オスマン・トルコ衰退により、黒海沿岸やバルカン地方への南下政策をとっていた。その勢力拡大を阻止しようとする英国、フランスとバルカン半島の権益を狙うオーストリアの間に東方問題という国際問題が発生していた。

ロシアは、オスマン・トルコ領内のキリスト教徒保護を名目にトルコに進軍し、1853年にクリミア戦争が始まる。ロシアの勢力拡大を阻止したい英国、1851年のクーデターで政権を握ったばかりで威信を高めたいナポレオン3世(1852年~1870年)のフランスが1854年にロシアに宣戦布告し、1855年にはイタリア統一戦争中のサルディニア王国がフランスの支援を必要としてロシアに宣戦布告した。

ロシアは、オーストリアが中立を宣言したために国際的に孤立し、1856年に敗北した。

1853年、クリミア戦争②
1856年のパリ条約で、オスマン・トルコの領土保全と、黒海の非軍事化が定められた。自由主義の広がりや各国が同盟関係維持よりも自国の権益を主張するようになった事でウィーン体制は崩壊した。

ロシアはクリミア戦争敗北を機に資本主義政策を進め、1861年には農奴解放令を発布して近代化を図ろうとした。

<インド>
18世紀後半から19世紀にかけて英国が反ムガル帝国のマイソール王国、マラータ同盟、シーク教国を保護下においていた。産業革命による自由貿易でインドの綿織物業は壊滅し、英国の植民地支配への不満が1857年のセポイの反乱に繋がっていく。1858年に反乱は鎮圧され、インドは英国の植民地となる。

1861年、リンカーン大統領に①
米国は1803年にフランスからルイジアナ、1819年にスペインからフロリダを購入し、1845年にはテキサスを獲得する等、領土を拡大していた。領土拡大により、南部(自由貿易と奴隷制度拡大)と北部(保護主義と奴隷制度廃止)が産業基盤の違いから対立し、1820年に北緯36度30分以北には奴隷制度を認めないミズーリ協定を結んだが、1854年には協定が破棄され奴隷州が増えた(カンザス・ネブラスカ法)事で対立が激化していた。

1861年、リンカーン大統領に②
1860年に北部のリンカーンが大統領に当選すると、南部は認めずにジェファソン・デーヴィスを大統領にアメリカ連合国を結成して連邦を脱退、翌年にリンカーンが大統領に就任すると南北戦争が始まった。
連邦側は、ホームステッド法(5年間西部の公有地に定住し耕作すれば160エーカーを無償供与する)で西部の支持を得、1863年の奴隷解放宣言で戦争の正当性を掲げて英仏の南部への支援を阻んだ。1865年に南部の首都リッチモンドが陥落して南北戦争は終結した。

<イタリア>
サルディニア王国エマヌエル2世が1859年にオーストリアとの戦争に勝利し、1861年にイタリア王国を建設した。1866年にはベネチアをオーストリアより返還され、1870年には教皇領を併合した。

1868年、明治維新①
欧州諸国のアジア進出に伴い、日本の鎖国体制は終わりを継げ、幕府の権威は失墜し、1867年には政権を天皇家に返す大政奉還が行われた。

1868年、明治維新②
旧幕府軍は新政府に反抗し、1868年~1869年に戊辰戦争が発生した。新政府は廃藩置県や四民平等、徴兵令、地租改正等の改革を実行した。

1868年、明治維新③
明治維新後の新政府は外国との交渉を積極的に行い、1875年には樺太・千島交換条約を結んで、樺太をロシア領、千島列島全島を日本領とした。

1871年、ドイツ帝国成立①
ドイツは1814年のウィーン会議でのウィーン体制下で、35の君主国と4の自由都市からなるドイツ連邦に再編されていた。1848年の2月革命の影響で3月革命が発生し、プロイセン王は自由主義に基づく憲法制定を約束した。

当時は大ドイツ主義(オーストリアを中心とした統一)と小ドイツ主義(プロイセンを中心とした統一)が対立していたが、1849年のドイツ憲法では小ドイツ主義が採用された。

1871年、ドイツ帝国成立②
1861年にプロイセン国王となったヴィルヘルム1世は、ビルマルクを首相に抜擢し、1866年の普墺戦争でオーストリアに勝利した事でオーストリアを排除した北ドイツ連邦を成立し、1870年の普仏戦争でフランスに勝利しドイツ帝国を成立させた。

排除されたオーストリアは1867年にオーストリア・ハンガリー帝国を成立させた。

第4章 現代(20世紀~21世紀)
1904年、日露戦争①
1876年の日朝修好条規で、日本は清の属国であった朝鮮を独立国とし、1884年に日本の支援を受けた金玉均のクーデター(甲新事変)が失敗すると清と日本の対立は決定的になった。

1885年の天津条約で、朝鮮出兵時の相互事前通告を約束した天津条約を結び、1894年の東学党の乱で出兵した清軍に合わせて日本も出兵し、日清戦争が勃発。勝利した日本は遼東半島や台湾を割譲させるが、ロシアなどの圧力(三国干渉)で遼東半島を返還した。

日本が返還した遼東半島を租借したロシアは1900年の義和団事件に応じて満州に出兵し、事件後も撤退せずに朝鮮への進出を狙った。英国は1902年に日英同盟を結び、ロシアの勢力拡大を警戒した。

1904年、日露戦争②
1904年に日本の仁川、旅順への奇襲攻撃をきっかけに日露戦争が始まる。1905年のポーツマス条約で朝鮮への優越、南満州鉄道の譲渡、南樺太の領有等が日本に認められた。

これ以降、1899年に中国市場の門戸開放と機会均等を提唱した米国と日本は満州権益を巡って対立するようになる。

1911年、辛亥革命①
列強による植民地化への無力から、清朝打倒の革命運動が活発化した。代表的なのは1894年に孫文がハワイで結成した興中会である。孫文は1905年に東京で中国同盟会を組織した。

1911年には清朝が義和団事件の賠償金支払いによる財政危機を打開するために民営鉄道の国有化を宣言した事で、四川で暴動が発生し、辛亥革命の発端となった。

1911年、辛亥革命②
以下の段階。

〇第1革命
1911年に帰国した孫文が南京で臨時大総統に選出され、1912年に中華民国建国を宣言。清朝は軍閥の袁世凱に革命鎮圧を任せたが、袁世凱は革命はと取引をして裏切り清朝は滅んだ。

〇第2革命
袁世凱は孫文から大総統の地位を得て、主導権を奪還しようとする国民党(中国同盟会を母体とする)を弾圧した。国民党は武装蜂起するが鎮圧され、孫文は海外へ亡命した。

〇第3革命
袁世凱は皇帝になろうとするが、反対する武装蜂起が続き、1916年に病死。中国は軍閥が分立する状態になった。

1914年、第1次世界大戦開始①
三国同盟:
1882年にフランス孤立化を目的にドイツ宰相ビスマルクの主導で、ドイツ、イタリア、オーストリアの同盟が結ばれた。ビスマルク辞任後、ヴィルヘルム2世はオスマン・トルコからバグダードの鉄道敷設権を獲得する等して、英国の植民地政策と対立した。

三国協商:
ドイツとロシアの関係は悪化し、ロシアは露仏協商を1891年に結び、英国は1907年に英仏協商、ロシアと1907年に英露協商を結んで三国同盟に対抗した。

当時のバルカン半島ではゲルマン系やスラブ系の民族が混在しており、汎スラブ主義(スラブ民族の言語・文化的統一)と汎ゲルマン主義が対立していた。

1914年、第1次世界大戦開始②
サラエボ事件:
オーストリアが1908年に併合したボスニア州のサラエボで、オーストリア皇太子夫妻が汎スラブ主義のセルビア人青年に暗殺される。オーストリアはオーストリア人判事を入れた裁判を要求したが受け入れられず、セルビアに宣戦布告した。

三国同盟と三国協商の戦いという世界大戦へと拡大していった。戦争は三国協商側の勝利に終わったものの、英国やフランスは没落した。1919年のヴェルサイユ条約で全ての海外植民地を失い、過酷な戦後賠償を課せられたドイツではファシズムが台頭していく。

一方で、戦前は最大の債務国であった米国が、戦時生産によって工業生産力を増大して最大の債権国となった。

1914年、第1次世界大戦開始③
1920年に国際連盟が誕生した。理事国全会一致でのみ制裁が可能である事や米国やソヴィエト連邦が加盟していない欠点があった。

第一次世界大戦後は軍縮の流れがあり、1921年~1922年のワシントン会議で英、米、日、伊、仏、中、蘭、ベルギー、ポルトガルの9カ国により主力艦を制限する海軍軍縮条約、日英同盟破棄が決められ、1930年のロンドン軍縮会議では英、米、日の補助艦の制限が決められた。

1917年、ロシア革命①
ロシア革命は、以下の二つを指す。

①3月革命:1917年にロマノフ朝が倒れた
②11月革命:ソヴィエト連邦成立

3月革命では立憲民主党を主とする臨時政府が成立し戦争を継続したが、戦争に反対するレーニンがボリシェビキ(多数派)を率いて帰国し、11月革命でソヴィエト政権を樹立した。

1917年、ロシア革命②
レーニンを議長とする人民委員会議は重要産業や農地の国有化を推進したが、1918年の普通選挙で社会革命党が第1党になったため武力で議会を閉鎖。ボリシェビキを共産党と改称して一党独裁体制とする。
さらに革命を世界へ広げる国際組織コミンテルン(第3インターナショナル)を1919年に結成した。
成立直後のソヴィエト政権は、自国への革命波及を恐れる列国により、ロシア国内に残されたチェコ軍救出を名目に対ソ干渉戦争(1918年)が行われるが、ソヴェエトは崩壊しなかった。

1917年、ロシア革命③
レーニンは1921年に戦時共産主義を廃止して強制食糧徴発を辞め、農民による余剰農産物の自由販売や私営中小企業の存在を認める新経済政策(ネップ)を採用した。
レーニンの死後、社会主義国家建設を唱えるスターリンと世界革命論を唱えるトロツキーの対立が表面化し、1928年にスターリンはトロツキーを追放し、第1次五か年計画を発。ソヴェエト連邦は世界有数の工業国となり、1933年には国際連盟に加盟した。

<中国>
日本の21ヶ条の要求に対し、五・四運動という反日運動が起こり、1924年に広州で政府を樹立していた孫文の国民党と、ソヴィエト連邦の影響で成立した共産党の第1次国共合作が成立。孫文の死後は蒋介石の指導で北伐(北方軍閥の征討)が行われ、1928年に中国統一が実現した。

1933年、ナチス政権誕生①
1920年代の欧州は、米国の戦後復興資金に依存し、経済回復していたが、1929年10月24日(暗黒の木曜日)に発生した株式大暴落で米国資本が欧州から撤退し恐慌が広がった。

恐慌対策として、海外植民地を多く持つ英国やフランスが排他的ブロック経済を形成し、高関税を課して他国の商品を閉め出す保護主義貿易を行い、有力な海外市場を持たないドイツ、イタリア、日本では有効策を打ち出せない議会政治への失望から、民族主義的なファシズムが支持を集めた。

<イタリア>
ヴェルサイユ体制打破を唱えるムッソリーニが1919年にファシスト党を結成し、1922年にローマへ進軍し首相に就任。1927年にアルバニアを保護国化し、1936年にはエチオピアを併合した。

1933年、ナチス政権誕生②
ドイツでは、ヒトラー率いるナチスが1932年の議会選挙で第1党となり、ワイマール憲法を停止して国会の同意無しに法律を制定出来る全権委任法を可決して一党独裁体制を築いた。
1934年に総統になったヒトラーは1935年にザール地方を奪還して再軍備宣言を行った。

<米国>
フランクリン・ルーズベルト大統領の下で大規模な公共投資で雇用を創出するニューディール政策をとった。

・農業調整法(AAA、1933年)
農産物価格向上を目的に農業生産を制限
・テネシー川流域開発公社(TVA、1933年)
テネシー川流域の総合開発。
・全国産業復興法(NIRA、1933年)
政府による産業統制、労働者の地位保障
・ワグナー法(1935年)
労働者の団結権と団体交渉権保障を立法化

他に1933年のソヴィエト連邦承認や、善隣外交としてラテン・アメリカ諸国への軍事干渉停止等。

<スペイン>
1931年に革命が起こり共和制に移行して、1936年に左翼諸派による人民戦線内閣が誕生したが、フランコ将軍が反乱を起こした(スペイン内乱)ドイツとイタリアはフランコ派を援助した。

1940年、日独伊三国同盟①
1932年に発生した満州事変を、国際連盟に派遣されたリットン調査団は侵略行為とし、日本は1933年に国際連盟を脱退した。同年にドイツも国際連盟を脱退し、1937年に国際連盟を脱退したイタリアも合わせてソヴェエト連盟への対抗を名目に1937年に日独伊防共協定を結んだ。
ヒトラーは1938年にオーストリアを併合し、1939年にチェコ全土の併合に乗り出し、次にポーランドに進出した時点で、1939年9月に第2次世界大戦が開始された。

1940年、日独伊三国同盟②
ソヴィエト連邦は独ソ不可侵条約によってポーランドに進軍し、半分をドイツと分割統治し、バルト三国等を支配下に置いた。
1940年に日本が北部仏領インドシナに進駐すると日独伊三国同盟が結ばれた。この同盟が米国を刺激し、対日石油禁輸等が行われた。

1945年、第2次世界大戦終わる①
1939年のドイツによるポーランド侵攻で始まった第2次世界大戦は欧州中心の戦いであったが、1941年に日本が真珠湾攻撃を行うと戦線はアジアに広がった。

1945年、第2次世界大戦終わる②
1942年6月のミッドウェー海戦で日本が主力空母のほとんどを失うと米国は反撃に転じ、1944年に日本がサイパン、グアムを失うと日本本土が空襲にさらされるようになった。
欧州では、1943年にドイツがスターリングラード攻防戦で敗北し、1943年9月にイタリアは連合国に降伏した。
ドイツは1945年5月に無条件降伏し、日本は同年8月に無条件降伏する。

1945年、第2次世界大戦終わる③
1945年4月にサンフランシスコに50ヵ国が集まり、同年10月に国際連合が発足した。日本の進出により旧宗主国の支配から脱した東南アジア諸国では民族運動が高まり独立を達成する一方で、東欧は社会主義化しソヴィエト連邦の支配下に入った。

中国では対日という共通の目的が無くなった事で国民党と共産党の内戦が起こり(国共内戦)、1949年に敗れた蒋介石が台湾へ逃亡し、中国本土では共産党主導の中華人民共和国が成立した。

台湾に逃れた蒋介石は中華民国として米国に承認され、1971年まで国際連合での代表を維持した。

1950年、朝鮮戦争①
1945年8月15日の日本敗戦と同時に、朝鮮では建国準備委員会が組織され、同年9月には朝鮮人民共和国成立が宣言された。しかし、独立は達成されず、ヤルタ協定に基づき北緯36度線を境にソヴェエト連邦と米国の統治下にはいった。

1948年に南朝鮮で米国主導の選挙が行われ李承晩を大統領にする大韓民国が成立し、同年に北部では北朝鮮民主主義人民共和国が成立した。

1950年、朝鮮戦争②
1950年6月25日、北朝鮮軍が武力統一を目指して38度線を越え朝鮮戦争が始まった。ソウルが陥落すると米国が韓国支援に乗り出し、中国国境の鴨緑江に達すると、中国が義勇軍を派遣して戦線は膠着状態に陥った。

1953年に休戦協定が結ばれ、以後38度線が停戦ラインとなっている。

1950年、朝鮮戦争③
朝鮮戦争では後方補給基地としての日本の重要性が増し、経済が回復に向かった。1950年には警察予備隊が設置され再軍備が開始した。
1951年のサンフランシスコ平和条約で日本は独立を回復し、日米安全保障条約で極東における米国の後方基地として冷戦構造に組み込まれた。

1965年、ヴェトナム戦争①
1945年にホー・チ・ミンがヴェトナム民主共和国の成立を宣言したが、独立を認めないフランスと1946年から第1次インドシナ戦争が始まった。
1954年のディエンビエンフーの戦いでフランス軍が大敗すると、ジュネーブ休戦協定が結ばれ、北緯17度線以北にソヴィエト連邦等が支援するヴェトナム民主共和国、以南に米国が支援するヴェトナム共和国が生れた。

ヴェトナム共和国初代大統領ゴ・ディ・ディエムは、次第に国民の支持を失い、政権打倒を目指す南ヴェトナム解放民族戦線(ヴェトコン)が誕生し、ゲリラ活動を行った。

1965年、ヴェトナム戦争②
1964年、北ヴェトナムのトンキン湾で米軍の駆逐艦が北ヴェトナム軍の魚雷攻撃を受けたとされるトンキン湾事件が起きると、米国(ジョンソン大統領)は軍事介入を開始。1965年には大規模な空爆(北爆)を行い、ヴェトナム戦争が始まった。
1968年には北ヴェトナム軍とヴェトコンによる大規模攻勢(テト攻勢)が始まる。

米国のニクソン大統領は、1970年にカンボジア、1971年にラオスに侵攻して北爆を再開するが戦果は拡大し、1973年にはヴェトナムとパリ和平協定を締結した。米軍が撤退した後の南ヴェトナム軍は敗走を重ね、1975年にはサイゴンが陥落し、1976年にはヴェトナム社会主義共和国が成立した。

1965年、ヴェトナム戦争③
1961年に米ソに中立的立場をとる国々が集まり、第1回非同盟諸国首脳会議が開催され、1963年にアフリカ統一機構(OAU)が成立した。
中国は独自の共産主義化を目指し、毛沢東、林彪等が、毛沢東の次の国家主席である劉少奇が資本主義化を企てたとして失脚させ、文化大革命として知識層を弾圧した。

1974年、第4次中東戦争①
第1次世界大戦後の中東では、英国が戦費をユダヤ資本から得るためにパレスチナへのユダヤ人国家建設を約束し、一方ではアラブ諸国に独立承認を約束していたため、入植したユダヤ人とアラブ人との摩擦が発生していた。

第二次世界大戦後、国際連合はユダヤ人国家とパレスチナ人国家にパレスチナを分割する提案を行い、1948年にイスラエルが誕生した。

〇第1次中東戦争(1948年~1949年)
アラブ諸国(エジプト、イラク、サウジアラビア、シリア、レバノン)等によるイスラエルへの武力行使。イスラエルが勝利し、パレスチナ難民が約100万人発生した。パレスチナ難民はパレスチナ解放機構(PLO)を組織しイスラエルと武力闘争を展開していく。

〇第2次中東戦争(1956年~1957年)
アスワン=ハイ=ダム建設のために、エジプト大統領ナセルが、1956年にスエズ運河国有化を宣言し、反対する英国、フランス、イスラエルが武力侵攻した。国際連合の調停で停戦し、スエズ運河の国有化は達成された。

1974年、第4次中東戦争②
〇第3次中東戦争(1970年)
イスラエルが6日間戦争とされる圧倒的勝利でガザ地区、ヨルダン川西岸、シナイ半島、ゴラン高原を獲得。

〇第4次中東戦争(1973年)
エジプト、シリアがイスラエルに侵攻。1968年に結成した石油輸出国機構(OAPEC)がイスラエルを支援する米国に石油禁輸政策をとり、エジプトがスエズ運河を奪還した。

1979年にエジプト・イスラエル和平条約が結ばれたが、他のアラブ諸国の反発を招き、1981年にエジプト大統領サダトは暗殺された。

東西緊張緩和の流れは他国にもあり、1972年に米ソ間で第1次戦略兵器制限交渉が調印され、東西ドイツ基本条約で東西ドイツが相互の主権を承認した(両国の国際連合加盟は1973年)。

1972年には米国大統領ニクソンが訪中し、周恩来首相と会談して国交を正常化した。

1989年、冷戦終結①
1985年にソヴィエト連邦共産党書記長になったゴルバチョフはペレストロイカ(改革)路線を推進し、市場経済導入や言論の自由を認めた。1989年には冷戦終結を米国とのマルタ会談で宣言している。

1990年には東西ドイツが統一され、連鎖的に東欧で共産主義体制が崩壊した(東欧革命)。

1989年、冷戦終結②
1990年のバルト三国独立を皮切りに、ソヴェエト連邦内部で独立要求が高まり、保守派が1991年に反ゴルバチョフのクーデターを起こすが失敗。ゴルバチョフに代わってロシア共和国大統領エリツィンが主導権を握り、1991年12月にゴルバチョフは共産党解党を宣言した。

ソヴェエト連邦は消滅し、ロシア共和国を中心とする独立国家共同体(CIS)が成立した。

1999年、EUのユーロ導入①
1967年にフランス、西ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクからなるヨーロッパ共同体(EC)が成立。ECは加盟国間での関税撤廃や城外への共通関税設定等の関税同盟だった。

英国は北欧諸国等とヨーロッパ自由貿易連合(EFTA)を結成していたが、1973年にアイルランド、デンマークとECに加盟した(拡大EC)。

ECはさらに通貨統合を目指し、1991年に単一通貨導入とヨーロッパ中央銀行設立による経済的統合等を目指すマーストリヒト条約を採択し、1993年にはヨーロッパ連合(EU)へと発展した。

1999年には単一通貨ユーロが導入された。ただし、英国、デンマーク、スウェーデンは単一通貨に参加していない。

1999年、EUのユーロ導入②
2004年にバルト三国、ポーランド、チェコ等もEUに加盟した。EU内部では財政状態の違う国の統合を進めた結果、南北格差が生じ、失業が外国人排斥が問題になっている。

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二つある正義

この数か月間調べている事について。

上手く纏まらない。

歴史上、人間社会を規定するルールは常に二つあった。

古代においては、「神の定めた法」と「村の掟」。現代においては「国の定めた法」と「会社や学校のマイナールール」。

人間単体で考えた場合、外刺激と思考の関係となる。

人間は常に様々な情報を外部から摂取しており、痛みや痒み等の触覚、色や形等の視覚、香や臭等の嗅覚や、騒音を並列に理解していては思考も行動も成り立たない。

人間内部で優先順位を付ける必要があり、そのためにルールが必要になる。例えば、眠たいという気持ちと、会社に行きたいという気持ちが並列にならないよう、自らの中に秩序がある。

「~ねばならない」という気持ちが人間を規定しており、無秩序な情報摂取から精神を守っている。一方で、秩序が成り立つためには、様々な外部刺激が必要で、全く刺激が無い状態に陥った場合でも精神は崩壊してしまう。

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上記のような事を何年か考えている。考えを纏めるために必要なのは歴史の本のような気がしている。他に様々な情報が必要で、自分の中でどうでもよくなるまで、関係すると思われる本を読むのだと思う。

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満腹亭へようこそ

読んだ本の感想。

筒井康隆著。1998年5月30日初版第1刷発行。



グロテスクな描写が多い短編集だった。

収録されている短編「薬菜飯店」は、『ジョジョの奇妙な冒険 第4部』に登場するトニオ・トラサルディーの元ネタになったとされる小説。

以下は、「アニヲタWiki(仮)」の「トニオ・トラサルディー」へのリンク。

https://www49.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/10057.html

あるいは酒でいっぱいの海
酸素からヘリウムを取り出す薬を発見した話。海水は、H2O、MaC1、MgC1等で出来ているため、O16をC12に元素転換すると酒になり、世界中の海が酒になる。
その酒を飲んだ主人公は、人体の99%が水であるために酒になってしまう。

最高級有機質肥料
植物星人が住むミトラヴァルナに赴任した地球人大使の話。
植物星人は人間の排泄物を美味と思っており、その話を聞いた主人公は自閉症になってしまう。植物星人から見れば、地球人も植物の死体を加工せずに食べているわけで本質的には変わらない。

薬菜飯店
神戸にある薬菜飯店の話。

以下の料理で合計19,600円らしい。

鹿葉茶:
胃腸の働きを良くし、食欲を増進する。中国山西省 呂梁山脈に生える鹿葉を使う。密天鹿という鹿は、この草しか食べないから90年も生きるらしい。

賭揚辣切鮑肝(視力回復):1800円
鮑の肝。新種のナス科の植物の種子 辣切を薬味として使い、内臓の塩化カルシウムに作用して視覚領域全般を良好にする。

鼻突抜爆冬蛤(肥厚性鼻炎治癒):1800円
蛤の油炒め。鼻子撞抜というトカゲの皮下脂肪から採取したキリアン油を使用しており、食べれば鼻中隔の手術をしたのと同じ効果がある。

焦鮮顎薊辛湯(鼻中隔彎曲症治癒):1800円
ドイツアザミに近い外来種のアゴアザミのスープ。ドイツ山岳地帯の人が若葉と根を食用にする。

⇒蛤の油炒めとアザミのスープの効用が逆の気がする

黒焙夏家雀舌(肩重軽癒):3500円
雀を生きたまま焼いて、苦しんでいる内に舌を切る。その時に分泌される唾液が薬になる。

煽首炸奇鴨卵(咽喉疾患治癒):1800円
黒海にしかいないビロウドキンクロガモの変種の卵で、特殊な色素顆粒が喉に作用する。

味酒珍嘲浅蜊(肺臓清掃):1800円
インドの海岸でしか採れないアカオゴリアサリに含まれる成分が、肺臓内の不純物を分解する。野菜はユリ科の薬草を改良した貝母改変を使用する。

鉄板俵疾猪鼻(胃炎治癒):1800円
ランドレースという豚の鼻を切り落とし、俵に詰めて72日間、日陰の地面に埋めたものを鉄板焼きした。胃の粘液の酸の分泌を抑える効果がある。

冷酔漁海驢掌(肝機能賦活):3500円
絶食させて石を呑ませたニホンアシカの前脚。デヒドロコール酸、緑馬皮、メチオニンを含み、胆汁分泌、大社、解毒等の肝機能を正常にする。

忌馬蟻湯:
インドのタール砂漠にしかいないイミアリの汁。肥厚性の胃炎や肝臓に作用する。

熱辣径湯鍋巴(膝関節炎治癒):1800円
中国の米の変種を使い、膝関節の実質細胞の悪い部分を除去する。

蟹甲癬
クレール星に移住した人々に蔓延する奇妙な病。クレール蟹に寄生する細菌が人間に取り付き、右頬を甲羅に変える。最近は人間の脳を蟹味噌に変えて、頬に付着させる。
人間に乱獲されたクレール蟹が復活しないと、人間達が絶滅してしまう。

アル中の嘆き
幽霊になったアルコール中毒者が、酒に酔う事が出来ない話。

顔面崩壊
シャラク星という気圧の低い星で、ドド豆という豆を調理した結果、豆が顔面に食い込み、寄生虫等に食われ、人口顔面を取り付ける話。

肥満考
肥満気味の女性小説家が発狂し、周囲の人間を撃ち殺していく話。

定年食
1931年?生まれの55歳である寺村が、定年退職後に親族に食われる話。

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ライバル国からよむ世界史

読んだ本の感想。

関眞興著。2015年10月1日 第1刷発行。



国境を定めた隣接する国同士の対立について。

第1章 ドイツVSフランス
フランスとドイツは、16世紀~17世紀に国民国家が成立する以前から国境地帯の領地争いをしていた。近代で問題となるのは、1871年のドイツ統一時にフランスから割譲されたアルザス・ロレーヌの問題で第二次世界大戦の原因の一つになっている。
第二次世界大戦でフランスがナショナリズムに基づく戦争に限界を感じた事が戦後協力を加速させる事になったという意見がある。

西欧の基本はフランク王国のカール大帝に遡る。ゲルマン人、キリスト教、ローマの伝統が三位一体化した欧州という歴史的世界は、この頃から始まる。

彼の死後、フランク王国は西フランク(フランス)、中部フランク、東フランク(ドイツ)に分割される。フランスでは10世紀末に成立したカペー朝で嫡男が絶える事無く続き(カペーの奇跡)、中央集権化が進む。カペー家が途絶えたところで百年戦争が発生し、ヴァロア朝に続く。

ドイツでは分裂傾向が固定化し、1648年に三十年戦争が300あまりの領邦国家があったらしい。そして、16世紀末期にフランスで成立したブルボン朝との国境問題が明確になっていく。

<ブルグント地方>
フランス南西部、ゲルマン人のブルグント王国があった。843年のヴェルダン条約で中部フランク王国に編入されるが、後に東西フランク王国の争奪の的となる。

9世紀末には南ブルグント王国と北ブルグント王国に分裂し、北ブルグントはソーヌ川を境に分裂し、西側はフランスに属する諸侯国になり、ブルゴーニュ公国となる(東側は高地ブルグント)。

ブルゴーニュ公国は1477年に断絶し、姻戚関係から領地はハプスブルク家が領有する事になり、ハプスブルク家はスペインとも姻戚関係を持ったため、フランスはスペインとネーデルランド、ブルゴーニュ公国でハプスブルク家に挟まる事になる。17世紀~18世紀にフランスに君臨するルイ14世が領土拡大に邁進するのは、こうした状況下による。

<アルザス・ロレーヌ>
ロレーヌは、ブルゴーニュ公国の東方にあるブルゴーニュ伯領(フランシュ・コンテ)の北方にあり、東側にアルザス、西側にシャンパーニュがある。シャンパーニュは中世経済の中心で、定期市が開催されている。
ロレーヌは、三十年戦争中はフランスの支配下にあり、ファルツ継承戦争後に神聖ローマ帝国に帰属する。18世紀になってマリア・テレジアの夫であるフランツが神聖ローマ皇帝になる事をフランス王が了承する代わりに、再度フランスの領地になる。

アルザスの中心都市ストラスブルーは「道の都市」という意味で、東西南北の交通の要衝にあり、EUのヨーロッパ議会が置かれている。やはり三十年戦争でフランスに占領され、ファルツ継承戦争でアルザス全域がフランス領になる。

第2章 オーストリアVSドイツ、フランス
オーストリアという国家はオストマルク(東辺境領)が語源で、16世紀以降はオスマン帝国に対する欧州の防波堤という機能を果たす。

オストマルク自体は、9世紀頃にアヴァール人やマジャール人に対応するために設置されたとする。

神聖ローマ皇帝となるハプルブル家はスイスの出身で、14世紀中頃に7人の選帝侯によって選出される。15世紀後半に神聖ローマ皇帝となったマクシミリアンによる婚姻政策によってハプスブルク家は広大な領土を獲得する事になる。

その後、1700年のスペイン継承戦争でベルギーやミラノ、ナポリ王国等を獲得し、1733年のポーランド継承戦争でトスカナ王国やポーランド南西部を獲得し、オーストリアは多民族国家となっていく。

そして第一次世界大戦後の民族自決の原則に則り、帝国としてのオーストリアは崩壊する。

第3章 スペインVS地中海世界
スペインは地中海諸国と対立しながら大西洋に進出した。

スペインは、以下の国が王族の結婚により生まれた。

①レオン・カスティーリャ王国
8世紀初めに成立した「アストゥリアス王国」はスペイン北西部にあったゲルマンの西ゴート王国の継承者を自任する。レコンキスタ(キリスト教徒によるイスラム教徒からの領土回復運動)の中心的勢力となる。
10世紀には都をレオンに移し、「レオン王国」と改名する。11世紀にはカスティーリャ王国と合併し、「レオン・カスティーリャ王国」になる。完全統合は13世紀頃でイベリア半島の2/3を支配した。

②アラゴン・カタルーニャ王国
ピレネー山脈の南北に領土を有したパンプローナ王国を祖とする。12世紀に隣接するカタルーニャと連合王国を形成するが、カタルーニャには南フランス出身者が多いために言語が異なり、現在でも分離独立運動が発生している。

<ポルトガル>
レオン・カスティーリャ王国のレコンキスタを応援するためにフランスから来た諸侯の一人がカスティーリャ王の娘と結婚し、ポルトゥカレ伯に封じられる。その子である1143年にアルファンス・エンリケスがローマ教皇の仲介でポルトガルを独立させる。

<カタルーニャ>
アメリカ大陸との発見によって起きた商業革命により打撃を受ける。新大陸との貿易はセビリャにのみ許可され、カタルーニャの都市バルセロナは参入出来なかった。
フランスはカタルーニャを支援し、1659年のピレネー条約でスペインがフランスにカタルーニャの一部領土を割譲し、現在のフランス・スペインの国境が画定した。
スペイン継承戦争でもカタルーニャはハプスブルク側につき、中央政府に反抗。その後、ラテン・アメリカとの交易が認められると繫栄し、19世紀にはスペイン産業革命の中心になる。

<バスク>
バスク人は古代からビスケー湾のバスク県に居住した。カール大帝のスペイン遠征時の逸話から作られた『ローランの歌』はバスク人との戦争を背景にしたものらしい。

後にカスティーリャに併合されていくが、バスク人はビスケー湾での漁業から始まった航海術に長けており、大航海時代には海外に進出した。19世紀には近辺の資源を背景に産業革命の中心になる。

第4章 ロシアVS北欧諸国
バルト海を取り巻く国家群。ロシア帝国にとってバルト海への出口確保は大問題だった。

この地域に最初に君臨したのはゲルマン人の一派であるノルマン人で、9世紀頃からバルト海や北海に進出し、ノール人やデーン人、スヴェーア人に分派し、ノルウェー、デンマーク、スウェーデンを作る。

他にウラル語族系のフィン人やエストニア人、バルト語系のリトアニア人やラトヴェア人、スラヴ系のロシア人とポーランド人がいる。

その後、12世紀頃にドイツ騎士団がバルト海域に領土を拡大した影響を受け、エストニア - デンマーク、ラトヴェイア - ドイツ騎士団、リトアニア - ポーランドの関係が強化される。そして、14世紀末にはデンマーク王母マルグリーテ主導で、デンマーク、スウェーデン、ノルウェーの同君連合(カルマル同盟)が樹立される。

1520年にカルマル同盟が崩壊した後、デンマーク、スウェーデン、ノルウェーはプロテスタントを採用し、絶対主義化を進めていく。その後、スウェーデンは17世紀に最盛期を迎えるが、1700年頃に始まった大北方戦争でロシアに敗れ、エストニアやラトヴェイアを割譲する事でロシアにバルト海への出口を渡し、スウェーデンの長期停滞が始まる。19世紀を通じてスウェーデンは戦争に参加せず、国内の民主化が進んで議会主義が発展した。

第5章 イングランドVSスコットランド、アイルランド
英国は、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4地域が連合して出来た国である。

北部のスコットランドや南西部のウェールズに居住するケルト人がブリテン島に入ったのは紀元前6世紀頃とされ、ローマ進出は紀元前1世紀であり、ローマ皇帝ハドリアヌスが築いた長城がイングランドとスコットランドの境界線となる。

<イングランド>
ゲルマン民族のアングル族とサクソン族の「アングル人」に由来する。

5世紀から9世紀頃まで七王国時代として、ブリテン島南部に七つの王国が群立していた。9世紀頃にはノルマン人が襲来し、戦いの中でウェセックスのエグバードがイングランドを統一する。

ノルマン人はイングランドに大きな影響を残し、11世紀後半にはフランスのノルマンジー公のウェリアムがイングランドを征服し、ノルマン朝を作る。

<ウェールズ>
ケルト系ブリテン人の中小部族国家があった。13世紀半ばにウェールズ大公を名乗る人物が現れ、マグナ・カルタに調印したジョン王の孫、エドワード1世の時代にイングランドに併合される。イングランド王子を表す称号「プリンス・オブ・ウェールズ」は、ウェールズ人への懐柔のために王子に与えられた称号。
バラ戦争で勝利したチューダー朝はウェールズ大公の末裔であるため、ウェールズは実質的にイングランド王の出身地となる。

<スコットランド>
9世紀頃に王国が成立。16世紀のイングランド女王エリザベスに子供がいなかったため、姻戚関係からスコットランド王のジェームズ6世がジェームズ1世としてイングランド王となる(スチュアート朝)。

第6章 ユーゴスラヴィアの戦い
1991年に崩壊した「ユーゴスラヴィア」という国は南スラブ民族の国という意味で1932年に誕生した。その前は、1919年に成立した「セルブ・クロアト・スロヴェーヌ王国」でセルビア人、クロアチア人、スロヴェニア人によって構成される国家という意味。

ユーゴスラヴィア人は存在せず、内部に多くの民族を抱える矛盾が当初から存在した。

バルカン半島に南スラブ系民族が移住したのは7世紀頃で9世紀には東ローマ帝国の影響でギリシア正教を採用する。12世紀後半にはシュテファン・ネマーニャが諸部族を統一し、コソヴォを中心にした南スラブ地方を中核に、セルビアにとっての国家の原点を建設する。
セルビアは東のブルガリア王国と戦いながら領土を拡大するが、1389年のコソヴォの戦いでオスマン帝国に敗れ、19世紀末までオスマン帝国の支配下に組み込まれる。

19世紀には「大セルビア主義」というナショナリズムが勃興し、1877年の露土戦争後のサン・ステファノ条約を経て、ベルリン条約でセルビア王国は正式独立する。

1908年にオーストリアがオスマン帝国の混乱に乗じてボスニア・ヘルツェゴビナを完全併合するが、この地域を狙っていたセルビアの反オーストリア感情を煽り、第一次世界大戦へと繋がっていく。第一次世界大戦後のユーゴスラヴィアは当初から民族対立を内包しており、東西冷戦崩壊後に問題が表面化する。

特にボスニア・ヘルツェゴビナは人口比で45%がボシュニャク人、1/3がセルビア人、1/7がクロアチア人であり、簡単に分離を認める事が出来ないため、戦闘が拡大。1995年のデイトン合意ではボシュニャク人とクロアチア人主体のボスニア・ヘルツェゴビナと、セルビア人主体のスルプスカ共和国の国家連合となった。大統領は3民族の持ち回りとする。

第7章 ポーランドVSドイツ、ロシア
ポーランドの語源となるポラニ族の首長ミェシュコは、10世紀後半に神聖ローマ皇帝オットー大帝から公の位を受け、ピアスト朝を始めた。

このとき、ミェシュコ1世がカトリックを受け入れたため、ポーランドは東欧には珍しいカトリックの国になる。

ピアスト朝の最後のカジメシュ3世には男児がおらず、ハンガリー王がポーランド王位を継承するが、彼も男児に恵まれず、娘のビャドビガが国王に選ばれてリトアニア王と結婚し、ヤゲロ朝が始まる。

ヤゲロ朝は1410年にタンネンベルクの戦いでドイツ騎士団に勝利し、黒海にまで至る領土を実現。中世ポーランドは全盛期を迎える。しかし、17世紀になるとスウェーデン等の周辺大国がポーランドに侵入し、1772年、1793年、1795年の分割でポーランドは地図上から消滅した。ポーランド分割では、ドイツ騎士団に由来するプロイセン公国にも領土を奪われている。

第一次世界大戦後、ポーランドは国民国家を復活させるが、領土がかつては違うため、1920年にソヴィエト連邦と戦い、東方に領土を拡大。ドイツからはポーランド回廊として西プロイセン地方を獲得し、ドイツが東プロイセン地方のケーニヒスベルクへの陸上交通を遮断されたため、第二次世界大戦の直接的きっかけになる。

第8章 ロシアVSウクライナ
東欧で最初に成立した国家がノブゴロドを継承するキエフ・ルーシで、ロシアとウクライナはそれぞれがキエフ・ルーシの継承者を自称している。

ウクラナイナの地名は12世紀頃から出てくるが、ナショナリズムは19世紀頃からである。

15世紀頃のウクライナはヤゲロ朝ポーランドに支配されており、コッサクと呼ばれるロシアで強化された農奴制を嫌った農民や没落貴族等によって構成されていた。コサックはポーランドによる締め付けを嫌い、1654年のペレヤスラフ協定でロシアに自治を認める事と引き換えに臣従した。

そして18世紀初の北方戦争を利用して独立を目指したウクライナは敗れ、束縛が強化される。1922年に誕生したソヴィエト連邦の一員となる。1991年には独立を達成。

第9章 コーカサスVSロシア、トルコ
コーカサス山脈を軸に南北に分かれた地方。北はロシア領、南はジョージア、アルメニア、アゼルバイジャンからなる。

<ジョージア>
4世紀頃にキリスト教を受容。地域統一は10世紀頃でセルジューク朝に勝利し、12世紀には西アジアの大国となったが、モンゴルの攻撃によって凋落した。

さらにティムールやオスマン帝国、サファヴィー朝の角逐の場となって一部にイスラム教が流入。

18世紀末にはロシアの進出が始まって露土戦争後の1878年にアルメニアやアゼルバイジャンとともにロシア領化される。

以下の2つの民族。

①オセット人
グルジア中央部の南オセチア自治州等に居住し、総人口60万人ほど。グルジアへの同化政策が強化されたため、民族国家建設の動きがある。
②アブアジア人
グルジア西部の黒海の北東部を占める地域に居住。やはりグルジアへの同化政策が強化されたため、2008年にロシアによってグルジアからの独立が保障された。

<アルメニア>
古代にアルメニアからトルコ北東部にかけてウラルトゥという国家があった。紀元前8世紀にはメソポタミアから北上したアッシリアの攻撃によって衰退し、4国対立時代のメディアによって滅ぼされる。
その後、アケメネス朝ペルシア帝国時代にアルメニア人が移住し、紀元前1世紀には大アルメニア王国を建設する。最終的にオスマン帝国の支配下に入るが、商業的に成功した者も多い。
隣国アゼルバイジャンにナゴルノ・カラバフというアルメニア人居住区があり、1992年にアルメニアとナゴルノ・カラバフを結ぶ回廊をアルメニアが占領している。

<アゼルバイジャン>
紀元前4世紀にアルバニアが建設される。4世紀にキリスト教を受容するが、7世紀以降、アラブの支配下でイスラム教徒が増加する。19世紀にロシア領になり、1918年にアゼルバイジャンが成立。バクー油田の開発で20世紀初頭まで経済的に繁栄した。

第10章 イスラエルVSアラブ諸国
歴史的なシリア:
地中海の東海岸地域。シリア、ヨルダン、レバノン、イスラエル等。小アジアやメソポタミア、エジプトを結ぶ交通の要衝。紀元前13世紀以降に活躍が活発になり、レバノンを拠点とした地中海貿易のフェニキア人やシリアを拠点にした内陸アジア貿易のアラム人、さらに紀元前8世紀のアッシリア、紀元前6世紀のペルシア帝国が続く。

アラブ世界では、イスラム教が普遍的性格を持つため、オスマン帝国再興や地域の伝統を踏まえた国家建設という形では意見が一致し難い。

第一次世界大戦時の英国による以下の取り決めが混乱の原因になっている。

①フサイン・マクマホン書簡
メッカの太守であるハーシム家のフサイン・イブン・アリーに将来のアラブ独立を約束。
②サイクス・ピコ密約
フランスやロシアと第一次世界大戦後の中東地域分割を約束。
③バルフォア宣言
ユダヤ人に国民国家建設を約束。

18世紀のアラビア半島ではコーランの原点に戻るべきとするワッハーブ派という運動が起きており、サウジ・アラビア当主のサウド家の支持を受けていた。1932年にはサウド家のファバド・イブン・アブドゥルアジズがハーシム家のフサインが建国したヒジャーズ王国を滅ぼし、メッカとメディナの支配者となる。

このようにイスラム教内でも宗派対立があるが、1948年に建設されたイスラエルとの対立が最大の混乱要因となっている。

イスラム教は普遍国家を建設を目指している。西洋でも中世には同じようにローマ教会が大きな権威を持っており、16世紀になって各地で主権国家が建設され、世俗勢力がキリスト教会を抑えた。同じような動きがイスラム世界にも発生するかもしれない。

第11章 イランVSイラク
イスラム教において初期の正統カリフ時代の拠点はメッカやメディナにあり、ウマイヤ朝では都がシリアのダマスカスになる。その後、アッバース朝において都はイラクのバグダードになり、この頃にイランにもイスラム教が広まった。

10世紀以降にはトルコ人にも一スラム教が広まり、17世紀半ばにイランのサファヴィー朝とオスマン帝国で国境に関する条約が締結され、現在のイラクとイランの国境が基本的に決定する。

1979年にイランのパフレヴィー朝が倒れ、イラン・イスラム共和国という厳格なイスラム教教義に基づく政治が始まった事は大きな衝撃だったとする。その後のイラン・イラク戦争は民衆や専制君主を倒した事が、独裁制にとって脅威だった事と関係するかもしれない。

第12章 アフリカの争い
1960年はアフリカの年とされ、17の国家が独立した。

<ナイジェリア>
海岸地帯(ヨルバ人、イボ族)では欧州の影響でキリスト教が拡大し、北部(ハウサ族)ではアラブとの交易でイスラム教が勢力を持つ。
東南部のイボ族が多い地域で石油資源が発見され、この地域がビアフラとして独立しようとした事でビアフラ戦争が発生した。

アフリカは鉱物資源の宝庫であり、混乱要因の一つになっている。

第13章 ロシアVSイギリス、アメリカ、そしてタリバン
1979年のソヴィエト連邦によるアフガニスタン侵攻はイスラム諸国に大きな衝撃を与えた。支援を要請されたサウジアラビアは資金援助やムジャヒディーン(イスラム兵士)を送る名目でも国内過激派一掃を行っている。

この時にアメリカ中央情報局やパキスタンの援助で作られた組織がアルカイダ等のイスラム過激派の基盤となっている。

歴史的にアフガニスタンは東西交通の要衝であり、様々な民族の支配下になっている。原罪のアフガニスタンの領土が北東部に長いのは、ワハーン渓谷を主とするためであり、タジキスタン、パキスタン、中国との緩衝地帯になっている(ロシアと英国の緩衝地帯だった事の名残)。

第14章 ロシアVS中国
古代中国の国境は万里の長城であり、農耕地帯と遊牧地帯を分けた。清朝初期に中国の領土がチベットから中央アジアまで拡大した時に、ロシア帝国はシベリア方面に進出しており国境問題が顕在化した

1689年のネルチンスク条約でロシアと中国の国境はアルグン川とシルカ川にそそぐゴルビツァ川、外興安嶺を結ぶ線となる。

その後、1858年のアイグン条約、1860年の北京条約でアムール川左岸と沿海州がロシア領となった。

西方モンゴル高原に至る国境は1727年のキャフタ条約で決定され、1864年のタルバガタイ条約、1881年のイリ条約でロシアが中央アジアに進出していく。

中央アジアには5つの国家があるが、実際には100以上の民族が居住しており、国境線に意味が無い状態となっている。

第15章 中国VSインドVSパキスタン
シッキムはインド北東部の地名で、ネパールとブータンの間にあった王国。19世紀末に英国の保護領となり、1947年のインド独立によってインドに継承されて1975年にインドの州になる。
中国にとってはチベットは属国であり、チベットの属国であるシッキムは中国領という認識があり、対立が発生している。

チベットと英国は1914年にシムラ協定を調印し、チベットは中国の宗主権を認めるが独立国家とされた。このとき、チベットとインドの国境がマクマホン・ラインとされたが中国は認めていない。

それが1959年の中印国境紛争の原因となる。

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インドとパキスタンの領土紛争は、英国がインド支配を行う最終段階で北西インドのパンジャーブ地方を支配したシーク教団と戦い、英国を支援したジャンムー地方の貴族がカシミールの土地を与えられた事から始まる。彼はヒンドゥー教徒だったが住民の多くはイスラム教徒だったため争いが発生した。

現在のカシミール地方は、インドが支配するジャンムー・カシミールとパキスタンが支配するギルギット・バルチスタン州、中国が支配するアクサイチンに分かれている。

第16章 東南アジアの争い
13世紀から16世紀初頭までマレーシア、インドネシア、フィリピン南部を支配したマジャパイト(最後で最大のヒンドゥー国家)があったが弱体化し、イスラム教のマタラム王国がジャワ島を中心に勢力を強めた。

同時期は欧州諸国進出の時期でもあり、「インドネシア」が国として纏まったのは植民地化したオランダになる。

多くの島々からなる国家に、植民地への倫理政策によって知識人を育て、やがて植民地体制を批判する勢力となる。

商人の宗教であるイスラム教は商業活動を通じて東南アジアに進出するが、豊かな穀倉地帯であり季節風とサンゴ礁のために貿易港が発展しなかったジャワ島ではヒンドゥー文化が維持され、ジャワ島伝統のアニミズムや祖霊崇拝と一体化して独自の文化を持っている。

他に東南アジア地域で重要な要素は華人とされる中華系の人々で、シンガポールでは支配的地位を保っている。

第17章 中国VS朝鮮VS日本
この地域の歴史的特徴は「中華帝国」である。周辺地域が朝貢貿易を行いながら、中華に学んで国家建設を行った事を特色とする。

紀元前8世紀から紀元前3世紀頃の春秋戦国時代を制した秦が中華帝国の最初とする。

日本では10世紀頃から中国との正式な国交が無くなり、商人や僧侶の交流が盛んになり、ヴェトナムでは10世紀末の呉朝や丁朝で独立を達成し、11世紀の李朝で長期政権が樹立されている。

第18章 ラテン・アメリカ諸国の争い
19世紀の欧州で国民国家が建設され、各国が経済力拡大に努める中で、ラテン・アメリカ諸国は先進国への食糧や原料の供給地として発展した。

英国人が中心となって開拓したカナダや米国を「アングロ・アメリカ」と呼ぶのに対し、スペインやポルトガルによって植民地経営が行われた地域を「ラテン・アメリカ」と呼ぶ。

18世紀末のフランス革命の影響を受けた混乱で発生した独立運動では啓蒙思想家である軍人に指導された独立運動が発生した。

<ラ・プラダ諸国>
アルゼンチン、パラグアイ、ウルグアイ。ラ・プラタ川を生命線にして植民が行われた。1530年代にアルゼンチンの首都となるブエノス・アイレスが建設され、18世紀に本国との直接貿易が許される事で発展した。
ラ・プラタ川の対岸にはブラジルの南下に対抗するための要塞モンテビデオが建設され、ウルグアイの首都となる。
パラグアイでは先住民と白人の混血が進み、アルゼンチンとは異なる風土が育まれる。

<グラン・コロンビア>
エクアドル、コロンビア、ベネズエラ。1819年にシモン・ボルバルによってスペインから解放されるが、南米諸国の協力は実現出来ず、3国に分裂する。
エクアドルとペルーの間にはアマゾンの密林地帯の国境問題があり、1998年にエクアドルがアマゾン地域領有を諦める事で緊張が緩和した。

<太平洋戦争>
チリ北部のアントファガスタ地方をめぐる戦い。鉱物資源が豊富であり、1879年にはチリ硝石会社をめぐってチリとボリビア・ペルーの間で戦争が発生した。1883年の講和条約でチリの領土となる。現在でも問題は残っており、ボリビアは1975年にもチリに回廊地帯の割譲を要求し、両国は国交断絶した。

<チャコ戦争>
ボリビアとパラグアイの戦争。チャコはパラグアイ川東地方を指す。太平洋戦争に敗れて太平洋への出口を失ったボリビアが、パラグアイ川からラ・プラタ川を経由して大西洋に出るためにチャコ地方への進出を開始。1928年に始まった戦争は1935年まで続き、1938年の和平でパラグアイが主張した領土のほぼ全てを確保した。

第19章 太平洋上の争い
以下の3つの区分。

①ポリネシア
多くの島々の意味でハワイを頂点に、オーストリア大陸東方のニュージーランド、イースター島の3つの島で構成される三角形に入る。
②メラネシア
赤道以南で東経180度から西にある島々。黒い島々の意味で十院の皮膚が黒い。パプア・ニューギニア、フィジー諸島、バヌアツ等を含む。
③ミクロネシア
小さな島々の意味で、赤道以北で東経180度から東経130度の間の島々。

第一次世界大戦前まではドイツ領があり、第一次世界大戦後に日本がドイツ領を継承する。その後、第二次世界大戦を経て独立国家が乱立している。

第20章 アメリカVS中米・カリブ海諸国
米国は独立以来、モンロー宣言で旧大陸の新大陸への干渉を牽制しながら、西方への進出を行った。1846年~1848年の米墨戦争によってカリフォルニアを獲得し、大西洋と太平洋の両方に面する国になった事が大きい。

さらに南北戦争(1861年~1865年)を経て北部産業資本が経済を支配し、新しい進出の矛先をラテン・アメリカに向ける。穀物の輸出先でもあるし、現地農園への資本投下も進む。

1913年に完成したパナマ運河は米国によって実質的に支配されている。パナマ人の不満は大きく、1977年に結ばれた新運河条約で1999年に運河の施政権はパナマに返還された。

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新・井沢式日本史集中講座 1192作ろう鎌倉幕府編

読んだ本の感想。

著者:井沢元彦。第一刷 2009年3月31日。



以下は、『井沢元彦の書斎』へのリンク。

http://www.gyakusetsu-j.com/

中世日本で発生した権力と権威の分離について。

<時代背景>
古代日本の土地管理には、中国から輸入された「公地公民制度」が用いられていた。日本中の全ての田を天皇家保有とし、一般庶民に「口分田」という形で貸し出し、収穫の一部を税として納めさせる。

貴族層が力を増すと、新たに開墾した土地は私有地として認められる事になり、「公地公民」は形骸化する。私有地の治安を維持するための私兵集団が武士となる。

当時の武士層は農民でもあり、開拓した土地を貴族でなく、自らの私有地として認可されたい欲求があった。鎌倉幕府は、こうした武士層の不満を取り込む形で政権を奪取する。

<鎌倉幕府の方法論>
権力(経済力や軍事力)だけで支配は出来ない。権威が必要となる。

日本においては天照大神の血を引く天皇家が最高権力の正当性と認められた。藤原氏も天皇家を滅ぼす代わりに天皇代理である「関白」という位を設ける事で権力を正当化した。

海外では旧権力者を滅ぼす事が当たり前だが、日本では天皇家の血統が信仰対象となっているため、天皇家を滅ぼして成り代わる事が出来ない。西洋では王権は神によって与えられたという権威付けがなされるが、日本では天皇家が神となる。

そこで日本初の武士政権をひらいた源頼朝は、「征夷大将軍」という役職を望んだ。最初の武士政権である「鎌倉幕府」の幕府とは、テントで作った臨時前線基地の意味。

前線基地である幕府は中央から離れた遠征地にある前提があり、中央から細かく指示を確認する事が出来ないため、幕府の最高指導者である「征夷大将軍」は独自の徴兵権と徴税権を認められた。

「征夷大将軍」は遠征しているという名目であるから都に行く必要が無く、東国で自由に徴兵権や徴税権を行使可能。後白河法皇は、源頼朝の要求を拒否し、右近衛大将という首都を守る役職を与えようとしている。

源頼朝が「征夷大将軍」に任命されるのは、後白河法皇が亡くなり、後鳥羽天皇が実権を握る1192年である。

<源頼朝と武士層の対立>
幕府体制が出来た後、源頼朝は自分の娘である大姫を天皇家に嫁入りさせようとしている。

著者は、こうした行為が反朝廷の武士層への裏切り行為であり、源頼朝が暗殺された可能性を示唆している。鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡』には源頼朝の死に関する記述が無い。

その子達も暗殺されている。

鎌倉幕府の三代目将軍 源実朝は鎌倉の鶴岡八幡宮(京都の石清水八幡宮から神を招いた。応神天皇を祀っているという説もある)で暗殺されており、天皇側の人間が身内の氏神の前で人を殺すのは不自然とする。

軍団の長である「征夷大将軍」には、軍人以外を支配する正当性が無く、源頼朝は天皇家を権威を借りようとしたが、反発されたのかもしれない。

その後、鎌倉幕府は公家の子弟を宮将軍とするが、実権は補佐役の執権である北条一族が取り仕切る事になる。

<御成敗式目>
鎌倉幕府にて、武士の権利を成文化、法律化したもの。

国家の枠組み、主権者等には語られず、トラブル対処マニュアルとして成り立っている。

土地を耕して20年経過すれば私有地として良い(第八条)等の時効概念が適用されている。さらに土地所有権の絶対性があり、第二十六条では親が子に与えた土地を、気持ちの変化によって相続を替える事が出来るようになっている。

これらは土地所有権を絶対視する「一所懸命」の武士の原理であり、全ての日本人には共通しないと著者は主張する。

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砂漠ではスーツを着よう

以下は、「それどこ」の「マンガ『マスターキートン』の知識「砂漠ではスーツがいい」は本当か? マジの砂漠にスーツで行ってみる 」の記事へのリンク。

http://srdk.rakuten.jp/entry/2017/01/31/110000

砂漠ではアウトドア用のジャケットよりもスーツの方が過ごし易いという話。

色々と挑戦していて面白いWebサイトだ。

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文系のための数学教室

読んだ本の感想。

小島寛之著。2004年11月20日第一刷発行。



経済学や社会学、現代政治等の根底にある「数学」についての本。

その本質は解析学(微分積分)であり、経済や社会概念に距離を定義する事で、「~に限りに無く近付く」という極限概念を当て嵌め、微分積分による関数化を行う。

距離には「三角形の二辺の和は残り一辺よりも長い」という特徴があり、数値の集まりにその特徴が満たされるなら距離を計測しているものとして、距離による定義が可能とする。

⇒様々な問題を微分積分により、数式で表現する

<積分>
積分を関数の面積を求める方法である。

積分を「日本全体の地価を求める方法」から理解する。

ステップ1:
実際に売買された土地の価格が、周辺地域の地価を代表していると仮定し、各都道府県毎の代表地の値段を集計する事で、近似的に日本全体の地価を計算する。

ステップ2:
より正確に日本全体の地価を計算するために、各市町村の代表地の値段を集計する事で近似的に日本全体の地価を計算する。分割を細かくした方が実体に近付く。

ステップ3:
さらに正確に日本全体の地価を計算するために、無限小の区域の値段を集計する事で日本全体の地価を計算する。

この無限小の面積を仮定し、それら全ての値段を足し合わせた「理想計算」が積分の本質である。

<微分>
微分とは、連続的に変化する関数を、階段のように変化する棒グラフのように考える作業。

上記の<積分>における地価の話に例えると、無限小の理想的地価を表す関数を探す事になる。微分によって極大値や極小値を求める事が出来る。

微分を「企業の利益を求める方法」から理解する。

ステップ1:
企業の時系列毎の利益額が連続的な関数で表されているとする。

ステップ2:
企業の利益額を年次毎の棒グラフで表現する。

ステップ3:
企業の利益額を無限小の期間毎の棒グラフで表現する。

無限小の期間をeとして、特定時点Xにおける企業利益を表す式をG(x)とすると、特定時点Xにおける瞬間的利益は、G(x+e) - G(x)と表現する事が出来る。eは無限小なので計算結果から削除可能であり、変数がxのみの式を計算結果とする事が出来る。

****************

<セマンティックスとシンタックス>
以下の論理を扱う2つの立場。

①セマンティックス(真偽で考える)
個々の文の真偽を考える。

②シンタックス(推論の繋がりで考える)
形式的推論の仕方だけに注目する。

日常会話ではシンタックスが重要視される。自分の主義主張と合わない意見を非論理的と考えるのはセマンティックな立場である。個々の真偽に拘る事で相手の推論の仕方を否定している。正しい事 = 自分にとっての正義を話す事が論理とは言い切れない。

セマンティックな論理学は19世紀のフレーゲに始まり、20世紀初頭のラッセルとホワイトヘッドによって完成されたとする。

セマンティックスな観点では、文は真と偽の二種類しか無いが、日常的思考では物事に明確な白黒が付く事は珍しく、20世紀の数学者フランク・ラムゼーは正誤の中間的状態もあると考えた。

哲学者ロバート・ストルネイカーはフランク・ラムゼーの思想を「確率」を利用して発展させようとした。しかし、条件付き確率を使用した思想は、数学者デビット・ルイスによって否定されたらしい。

<神の存在証明>
神を数学的に証明する試みについて。

デカルト:
以下の三段論法で神の存在を証明しようとした。

①神であるならば完全である
②完全であるならば存在する
③神は完全であるのだから存在する

仮に存在していないのなら、その点で欠けている部分があり、完全ではない。

スピノザ:
1677年に出版された『エチカ』にて、八個の定義(言葉の取り決め)と七個の公理(規則)から、幾何学と同じ論証方式で、定理11にて神の存在を証明した。

パスカル:
期待値という考えから、神を信じた方が得であるとした。

著者は、上記の方法論はシンタックス(推論の手続き)には問題が無いが、それは提供される個々の文の真偽とは別問題とする。

これは神の存在証明に限らず、数学によって基礎づけられている現代社会そのものが予定調和的に導出されたものであり、論理外部の経験や日常生活の補助が無ければ崩壊する事を示唆している。



<人間の実存性>
ヴィトゲンシュタイン:
世界を自らに降りかかる全ての偶然や必然とした。自分の生前や死後や他者の存在は確かめようのないものであり、世界は「私」であると考える(独我論)。そして世界の境目を「言語」として、言語的に捉えられる射程を世界 = 私の境界線とする。

私の認識全体 = 論理空間の中にある事実が世界である。神は語り得ぬものであり、世界から排除して私に拘る事になる。



ハイデッガー:
人間を「現存在」という名称で呼び、現に与えられた環境を他の「可能な」環境と重ね合わせ、相対化し、過去や未来を開く事が出来るとした。
そうして人間が生物学的環境から世界へ超越出来る事を、<世界-内-存在>とする。人間以外の存在は、現存在である人間が了解する事によって存在する(存在企投)。

⇒上記の二人の意見に共通するのは、数学も人間が了解する事によって存在出来るという思想?

近代以前の数学は神の意志に近付くための超越的思念だったが、20世紀になってからは「私」という尊い存在のための実在の証になっている。

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トランプ大統領の経済政策

日経ビジネスからのコピペ。

米国大統領トランプについて。

〇期待される事
オバマ政権にて強化された規制の緩和。ドッド=フランク法(金融機関の説明責任と透明性の向上)や外国口座税務コンプライアンス法(米国外の金融機関に顧客口座情報の報告を義務づける制度)、インバージョン規制(税率が低い国への本社移転を規制)等が緩和される事でビジネス環境が良好になる。

特に法人税軽減が期待されている。

米国の法人税は約40%(先進国の平均は20%)で、トランプ大統領は選挙期間中、法人税率を15%まで引き下げると主張している。さらに米国ではワールドワイド課税(米国外で上げた利益を配当で米国に持ち帰ろうとした時に課税される制度)があり、高い法人税率と相まって企業の海外移転へのインセンティブが高くなっている。

税制改正の中では国境税調整が大きな柱になっており、米国企業の輸出売上を課税から控除する一方で、輸入仕入れ高を経費として認めない事になっている。これが実現した場合、輸出有利となって米国内に生産拠点を回帰させるインセンティブが高まる。

ちなみに日本の消費税は輸出免税となっているため、輸出しない内需企業が税金を負担する事で、国家が輸出を志向する体制になっている。米国の国境税調整は、これに近い思想かもしれない。

国境税調整は貿易赤字に対する課税という意味合いもあり、巨額の貿易赤字を抱える米国が国境税調整から得る税収は10年間で1兆ドル、法人税率に置き換えれば8%に上るとされる。

税制改正の見通しは2017年8月までに明らかになる見通し。

〇日本への姿勢
2016年12月の日本の貿易黒字は4705億円で、2007年12月以来の水準である。ドルベースでも39.6億ドルで、2007年12月以来の水準となっている。

2017年1月11日にトランプ大統領は、「中国、日本、メキシコとの貿易で米国は巨額の損失を被っている」と発言。1980年代前半の「レーガノミクス」が大幅なドル高進行によって行き詰まったという歴史的教訓を、トランプ氏も知っていると思われる事から、今後の米国政府はドル安を志向すると予想する。

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ドーナツを穴だけ残して食べる方法

読んだ本の感想。

編者:大阪大学ショセキカプロジェクト。
2014年2月14日 初版第1刷発行。



第0章 ドーナツの穴談義のインターネット生態学的考察
『ドーナツの穴だけ残して食べる方法』という語句がインターネット上で流布していく過程について。

以下は、「2chコピペ保存道場」の該当記事へのリンク。

http://2chcopipe.com/archives/51438064.html

以下は、「Google トレンド」へのリンク。

https://www.google.co.jp/trends/

上記のWebサイトで調べると、2009年以前には「ドーナツの穴」という語句はほとんど検索されていない。その後、以下の三度のブームがある。

①2009年9月
2009年9月28日の以下の記事が切っ掛けと思われる。

http://portal.nifty.com/2009/09/28/b/

②2010年3月~2010年10月
2010年3月24日に「2ちゃんねる」に投稿された以下の記事が切っ掛けらしい。

http://rocketnews24.com/2010/03/25/%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%84%E3%81%AE%E7%A9%B4%E3%81%A0%E3%81%91%E6%AE%8B%E3%81%97%E3%81%A6%E9%A3%9F%E3%81%B9%E3%82%8B%E6%96%B9%E6%B3%95/

③2011年10月~2013年1月
NHKの連続テレビ小説「梅ちゃん先生」の2012年6月22日、23日の以下のやり取りが切っ掛け?少々時期がずれている気がする。

以下は、「梅ちゃん先生まとめwiki」ヘのリンク。

http://seesaawiki.jp/umechan/d/%a5%c9%a1%bc%a5%ca%a5%c4%a4%ce%b7%ea%a4%cf%a5%c9%a1%bc%a5%ca%a5%c4%a4%ce%b0%ec%c9%f4%a4%c8%b8%c0%a4%a8%a4%eb%a4%ce%a4%ab

****************

以下は、著者が見つけた2009年9月以前の「ドーナツの穴」に関する記事へのリンク。

①おとぼけ映画批評その5

http://movie.tatsuru.com/html/otoboke5.html

②フジテレビ「ランチの女王」第6回放送

http://www.fujitv.co.jp/b_hp/lunch/story4_6.html

③老荘思想入門編第四講

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Tachibana/8318/roushi_4.html

④アメリカンジョーク

http://yellow.ribbon.to/~joke/0001.html

2005年以降、「ドーナツの穴」に関するネタは繰り返し用いられ、2006年6月29日に用いられたスレッド名が定型文として定着したらしい。

http://mimizun.com/log/2ch/news/1179640948/

人々の興味をひいた文章が、繰り返し話題に上る中で、より良い表現に置き換えられながら継承されていく。これは新たな価値観の創出だ。

ちなみに筆者の研究によると、インターネットの掲示板においてアスキーアートや2ちゃんねる語を用いる傾向が強いほど議論発散傾向があり、弱いほど議論深化傾向があるらしい。混沌としているインターネット上の意思疎通にも法則が存在する。

第1部 穴だけ残して食べるには
第1章 ドーナツを削る-工学としての切削の限界
工学の話。柔らかいドーナツを削る方法の模索。

第2章 ドーナツとは家である-美学の視点から
    「ドーナツの穴」を覗く試み

美学の観点。

マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」では、マドレーヌを食べる事で昔の記憶が甦る。お菓子に纏わる愛情の記憶は、愛情によって保護された家の記憶と結び付き易いとする。想い出と結び付いたドーナツは、食べられた後も、食べた人間にとっては存在し続ける。

第3章 とにかくドーナツを食べる方法
数学的解釈。

ドーナツを四次元空間に定義する事で、穴だけを残して食べる。三次元のみを把握している観測者がドーナツの穴を認識している間に、ドーナツを食べれば、観測者は食べた事を伝えられるまでドーナツの穴を認識しているらしい。

第4章 ドーナツの穴の周りを巡る永遠の旅人
    -精神医学的人間論

精神医学というよりは人生論になっている。

ドーナツの穴が消えたのでなく、周囲の壁が消えた。穴が消えないように人間の理想も消えないとする。

第5章 ミクロとマクロから本質に迫る-歴史学のアプローチ
ドーナツに穴が空いている理由を考える。

〇ミクロ的アプローチ:
「ドーナツに穴が空いている」という条件を認め、信条(イデオロギー)と具体的利害関係から理由を考える。

〇マクロ的アプローチ:
「ドーナツに穴が空いている」という前提条件を疑う。

日本における健康保険法施行を医師会の利害関係からミクロ的に解析し、東西冷戦をマクロ的に疑う事で、他者の脅威が西側陣営を結束させたという解釈を導く事が出来る。

第2部 ドーナツの穴に学ぶこと
第6章 パラドックスに潜む人類の秘密
    なぜ人類はこのようなことを考えてしまうのか

「ドーナツの穴だけ残して食べる」という言葉は、論理階型の混同の誤りである。

一般化や抽象化のレベルが違う言葉を同一のものとして使用する。「ドーナツの穴」という名は、お菓子の真ん中の穴とは論理階型のレベルが違う。お菓子を食べる事は出来るが、「ドーナツ」という名を食べる事は出来ない。

人類社会は論理階型の混同によって成立している面があり、個々の商品より論理階型のレベルが一段上の貨幣が商品と一緒に流通していたりする。

論理階を認識する事により、学習された事柄をメタな視点から考察し改良する事が可能になる。

第7章 ドーナツ型オリゴ糖の穴を用いて分子を捕まえる
ドーナツの話というよりは、シクロデキストリンというオリゴ糖の話になっている。有機溶媒や油中の有害物質除去に使用出来るらしい。

第8章 法律家は黒を白と言いくるめる?
法解釈の話。

ドーナツ事件として、西川産業という会社の「ドーナツクッション」という標章が、寝具会社テンピュール・ジャパン「ドーナツ・のロゴタイプの商標権を侵害しているか争われた。

裁判では、法的に「ドーナツ」が解釈されたらしい。

第9章 ドーナツ化現象と経済学
ドーナツ化現象の背後にある日本の経済成長について。

高度経済成長期には、居住環境が悪化した都心部から郊外に居住する人の増加した。現在では、都心回帰として重要施設が都心部に戻って来ている。

筆者は生活を補助する共同体再興を提案している。

第10章 ドーナツという「近代」
ドーナツの歴史は、人々はどのようにドーナツを見てきたかという問題に置き換え出来る。

それは「近代」の想像力によって始まるとする。浅田彰は『構造と力』のいて、クラインの壺によって「近代」を図示した。近代は脱コード化(共同体の権威が法の支配によって代替されていく過程?)によって特徴付けられる。

近代的な国民と国家の関係は内と外の反転を伴い、国民がいるから国家であり、国家があるから国民がいる。

浅田彰は近代以前の空間イメージを二元論的な象徴秩序で図示した。超越的中心と放逐されたスケープゴートが分離する事で秩序が生み出される。対等な関係から上下に分離した人々の存在によって秩序が明示されている。

前近代の神に代わって中心に「貨幣」が収まる。ドーナツをクラインの壺に見立てると、ドーナツを近代を形作る様々なイメージと結び付ける事が出来る?

第11章 法の穴と法規制のパラドックス
     -自由を損なう行動や選択の自己決定
     =自由をどれだけ法で規制するべきなのか?

法の役割の意義と限界。

ドーナツの穴とは概念であるが、法世界も概念で構成されている。

第12章 アメリカの「トンデモ訴訟」とその背景
1994年の「マクドナルド・コーヒー事件」には一定の法的正当性があるとする。新聞報道等が理解を歪めている。

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対称性人類学

読んだ本の感想。

中沢新一著。2004年2月10月第一刷発行。



難しかった。人間を構成する二つの論理という発想は面白いと思う。時間をおいてから再読すると思う。

対称性の思考:
物事の共通性や同質性を見い出す。

非対称性の思考:
物事の相違点を見い出す。

序章 対称性の方へ
神話は科学とは異なる二項操作を用いる(対称性の論理)。

科学ではアリストテレス論理を用いる。その特質は矛盾律であり、Aである事と非Aである事は両立出来ない。神話においては動物が人間のように話したりするなど、Aと非Aの混合が見られる。

神話は人間と動物の非対称的関係を覆し、同質性を伴う対称性の原理を作動させる。

第一章 夢と神話と分裂症
科学では完成型は非対称性の論理を用いるが、新しいアイディアが生まれる時には対称性の論理が用いられたりする。無意識領域で直観的に見つかったアイディアを、非対称性の論理に翻訳する。

言葉は抽象化能力が高いので、高次元を上手く表現出来ず、特に神話では圧縮した言葉での暗示が用いられる。

以下は、神話思考の特徴。

①対称性の論理を用いる
②三次元に収まらない高次元を圧縮や置き換えによって表現
③全体と部分が一つながりになるような思考

以下は、分裂症の研究から見出された無意識の原理(イグナシオ・マッテ・ブランコ)。

①一般化
アリストテレス論理は個体についての認識を出発点にするが、無意識は個体が含まれる「種」に関心を示す。一般化していく傾向。そのため、個人でなく「日本国民」や「人類」等の種を個体や個人のように扱う。
②対称
科学は、物事を分離し、矛盾を生み出す混じり合いが生じないようにするが、無意識は非対称を対象のように扱う。分裂症の例では、「ジョンはピーターの父である。だからピーターはジョンの父である」という思考が進められる。

対称の原理が適用される時、時間的継起はあり得ず、部分と全体は同一になる。

第二章 はじめに無意識ありき
人類に特徴的な象徴的思考力について。

他の生物は、装飾品等の意味を圧縮した象徴を作らない。

象徴的思考は無意識を必要としており、幾つもの意味を横断的に繋ぎ合わせる。それは自分内部を流れる流動的知性を必要とする。流動的知性によって、社会についての知識と動物についての知識が組み合わさる等して、動物が社会参加する神話が生まれる。

著者の仮定として、現生人類の言語には、①無意識の側から自律的な運動を通して突き上げる秩序、②出来上がった言語体系として既に構成された秩序があり、その二つがせめぎ合って具体的な言葉が語りだされるとする。

人間の心は二つの存在様式が同時作用するバイロジックである。

・同質的で不可分の全体
自己と他を同一と見做し個体は存在しない。
・分割し不均質にする存在様式
全現実を分割不能であるように扱う。



第三章 <一>の魔力
多次元的な価値を、単一の価値尺度に還元し、数えられるものとする<一>の原理について。



現生人類の経済は、『贈与』と『交換』という二つの原理(バイロジック)から成る。

贈与:
対称性の原理。贈る事による社会的信用や名誉等の多次元的価値が贈り物に圧縮される。

交換:
非対称性の原理。売り手と買い手の間に人格的絆が無い。

贈与は多次元的価値で構成されているが、交換は価格という一次元の価値で構成されているため、単一尺度で軽量可能。資本主義社会においては、『贈与』は私的領域で役割を果たし、『交換』が主となる。

***************

こうした非対象の論理の優位の端緒は、一神教の出現による<一>の出現であるかもしれない。

人間から絶対的距離で隔絶された一神教の神は、人間と精霊との対照的関係を、神と人間との圧倒的非対称関係に作り変える。

一神教世界の中で、キリスト教社会の中に資本主義が発達した理由は、「三位一体」の思想にあるとする。



キリスト教の神は、父と子と聖霊の三つの位格を持つ。聖霊は精神の仲間で、対称性の論理で動く無意識と直接結び付く心を神の本質に取り込んでいる。

そのため、キリスト教は対称性の論理と非対称性の論理のバイロジックとして作られた得意な一神教となっている。キリスト教の教義にはアリストテレス的論理を壊す反論理が組み込まれており、不条理を論理化出来る。

12世紀~13世紀頃にイスラム教が厳禁した利子を、キリスト教は承認する。聖霊の組み込みという形で、生産的な無意識は既に取り込まれている。

第四章 隠された知恵の系譜
現代社会においては、対称性の論理(無意識)は抑圧されるとする。

解決策は、流動的知性 = 無意識の中から出現する新しい知性の形態を創り出す事とする。

<アフリカのレレ族>
バンツー系部族の一種。

二項操作によって世界秩序を構成しており、人間と動物、男と女、右と左のように区別し、様々な儀式で差異を確認する。

儀式の中で特殊なのは穿山甲(アリクイ)を食べる儀式であり、鱗を持っていながら(魚の特徴)、気に登る(動物の特徴)。レレ族の動物分類学のどこにも所属出来ない怪物であり、それを食べる事により、自らの文化基礎にある分類原理が人工的虚構に過ぎない認識を与え、対称性の論理に接続する。

人間の知性は三次元より高い次元を思い描けず、高次元を理解する事は不可能。メキシコのウィチョル族は、幻覚性植物等により高次元に接続しようとする。

男性が参加する儀式によって手に入る秘密智は、女性が対称性無意識のままに日常生活を送る中で自然智として浮かび上がるものかもしれない。

第五章 完成された無意識-仏教<1>
レヴィ=ストロースの構造人類学と仏教の類似性。

仏教では輪廻によって人間と動物の隔たりを無くす対称性原理が作動しているかもしれない。仏教における布施は、贈る者が送っているという感覚を持たずに、贈る者と贈られる者の区別が発生しない状況での純粋贈与が理想とされる。

フロイトの見い出した無意識は、自己と他者の区別を行わず、個体はそれより大きな実在の中に発生した結び目である。仏教も同じように自己が実在せず、無限の連鎖の結節点に存在する結び目とする。

全ては広大な縁起の相互作用の中にあり、自己が実在すると錯覚する人間は、自己の外にあるものを欲望対象として執着する。それは妄想によって作られた非対称の世界であり、妄想を吹き払う事で正しい認識を取り戻すべきとする。

第六章 原初的抑圧の彼方へ-仏教<2>
仏教は、言葉を発生させるために一次刺激を抑圧する原初的抑圧の向こう側にある流動的知性の働きを全面的に開花させ、世界を変える思想?

『般若経』では仏教の主題は流動的知性にあるとし、その後に登場した『華厳経』では流動的知性の作動する論理(空の内部構造)が主題となる。

心を無限集合として理解する。流動的知性は言語的知性よりも濃度が高い無限集合。

粗大知性:
非対称性論理。言語と一体になって意識の働きを生み出す。

微細知性:
対称性論理。流動的知性を表す。

粗大知性はしばしば自らを全体的真理であると思うが、国家を持たない社会では力の源泉が精霊が管理する微細権力としてしか作動しない。人間社会に力の源泉が持ち込まれると、粗大権力が国家を組織化していく。

華厳経では、ものに自性は無いが、他との関係性の中から独自性の感覚が備わるとする。

第七章 ホモサピエンスの幸福
仏教における幸福は、抑圧されない無意識(大楽)を体験する事?

幸福感は、対称性原理の一環として、時間的継起を伴わないまま無限に続き、同質性を持った感情によって繋がり合う事を理想とする。

それは宗教的愉悦や性的愉悦と同等であり、宗教が社会的影響力を喪失した19世紀以降のモダン芸術においては高次元無意識への通路を開く事が主題となっていく。

印象派では輪郭の消失という現象が発生し、光や色彩が画面全体に浸透していく。風景を描く画家の位置までが同一性を失って揺れ動く。それによって対称性無意識の作動が始まるとする。

キュビズムにおいては三次元以上を思い描く事の出来ない人間知性の外の現実を表す。

資本主義社会においては全てに値段が付けられるが、対称性の論理で作動する人間の無意識は順序付けたり数えられるものでないため、無意識の領域に商品化が及ぶと、無意識は抑圧されてしまう。

第八章 よみがえる普遍経済学
合理性や功利性にのみ基づく「限定経済学」に対抗する「普遍経済学」。

人間の欲求には、非対称性の論理に従って順序性を保ち、諸段階に応じて媒介が挿入される「生の衝動」と、順序性を無視して一気に最終地点まで雪崩れ込もうとする「死の衝動」があるとする。

「死の衝動」は対称性の原理で動く無意識そのものである。

その中で『贈与』は合理主義を超えた無意識の論理で動く。原初的抑圧の前にある心の大陸において行われる活動で、価格によって抑圧されない。



終章 形而上学革命への道案内
国家以前の社会では、権威は自然の中にあった。

国家以後は精霊達は世界の表面から見えなくなり、ハイデッガーはこうした現象を「形而上学化」と呼んだ。経済活動は価格によって一元化され、商品の集積場としての資本主義社会が生み出される。



かつての王はシャーマンとして自然の源泉を力の本質としたが、近代においては力の観念を形而上学化するため、具体的な肉体が死んでも変化する事の無い「法人」という観念が作り出される。



しかし、人間の本質である対称性無意識は変化しないため、人間は理性的な形而上学だけでは満足出来ない。

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危機を克服する教養

読んだ本の感想。

佐藤優著。2015年1月31日 初版発行。



佐藤先生の考える選良主導主義の根源について。宗教思想が元になっている?

携帯電話の販売員の例えが出て来る。少数の指導者(選良)が様々な状況に対応するマニュアルを用意し、店員はマニュアルを暗記して販売活動に勤しむ。店員は代替可能な部品でしかないが、指導者層は掛け替えのない人間である。

少数の天才や預言者(理屈を超えた外部に接続出来る存在)が構築した思想を大義名分として、多くの人間が命を懸けるという事なのか。

福本和夫:
戦前の地下共産党指導者。
エルンスト・トレルチの『歴史と階級意識』とレーニンの『なにをなすべきか』に基づいて、労働運動を組織する前に、優秀な人間が大衆から分離して運動のレベルを上げるべきとした。他に、『哲学入門』の田辺元の影響もあるらしい。

<カトリック>
第一バチカン公会議で以下を決定。

①謬説表
言説の正誤をローマ教皇が決める。ローマ教皇の不可謬性が確定した。

②マリアの無原罪の昇天
マリアに罪が無いため、天国にいるとする。

⇒カトリックは絶対的権威を確立したためにナチズムに対抗出来たとする

ヒトラーが尊敬したルターの提唱する主観主義では全ての人間の価値が並立してしまう。ヒューマニズムは人間に価値を置く思想であるがために、人間同士の戦いが神々の戦いになってしまう。善は自己絶対化の誘惑に逆らえず、人間を圧迫してしまう(務台理作の『ヒューマニズムとは何か』)。

人間は宗教を信じずにはいられず、多くの人間を導く絶対的権威が必要という思想?

<モナドとアトム>
世界を構成する単位としての二つの思想。

無数のモナドは全てが異なり、消去は出来ず、作り出す事も神にしか出来ず、他のモナドとの出入りも出来ない。一つのモナドが大きくなる時は、他のモナドが小さくなったりして調和がとれる。

対して、アトムは全てが同じで、合わせたり束ねる事で世界が成り立つ。選挙は全員が平等なのでアトムの思想。

欧州共同体は複数の共同体が並立するのでモナドの思想で、市場原理主義のような普遍主義は全体に同一を求めるのでアトムの思想。

キリスト教ではプロテスタンティズムがモナドロジー的構成で、カトリシズムがアトム的とする。

<神学>
神学は学問の形でなくても構わない(カール・バルト)。

神学は人間を超越した外部に接続する事を目的とする。人間は神ではないので、神を理解出来ない。類比として、別のものの形で神の意志を推測する?

<陰謀論の戦い>
太田龍(世界は爬虫類が進化した指導者に支配されていると主張)と、副島隆彦(世界はロックフェラー財閥等に支配されていると主張)が論争すると、支配者が哺乳類か爬虫類かの争いになるらしい。

⇒上記の話は、佐藤先生の著作で偶に出てくる

何となくだけれど、佐藤先生は人間の思想というものが絶対的権威を持つ状況を望んでいるんだと思う。『知性』というものが大した事がないという事になると、歴史上の様々な議論や思想が爬虫類の陰謀と哺乳類の陰謀と同列に語られる事になってしまう。

そうした事が嫌なのではないか。

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ぼくたちが本当にシタかったこと

読んだ本の感想。

白都くろの著。2016年10月23日 初版第1刷発行。



アダルトビデオ製作者養成学校に通う者達の話。著者は本書を書くにあたって実際にアダルトビデオ関係者に取材したのだと思う。取材した事柄をそのまま書いている印象で、物語として整理されていない印象をうけた。

以下は、著者の参考文献。



成人映像専門学校:
アダルトビデオ大手メーカー「ホットサン」によって設立された専門学校。アダルトビデオ製作に関する技術や知識を学ぶ事を目的とする。

【登場人物】
渡戸愁:
主人公。依存症気味の母親に育てられたため、女性から一歩離れた付き合い方をするらしい。肉欲と愛情を分けたい欲求が、愛や恋と切り離して性欲を処理出来るアダルトビデオに頼る理由であるのだとか。

九重紗英:
大学の文学部に通っていたが、性を主題にした文学作品(マゾッホ、谷崎潤一郎、蛭田亜紗子、南綾子、山田詠美、瀬戸内寂聴等)に興味を持ち、性をテーマにした小説を書くための情報を入手するためにアダルトビデオ専門学校入学を決意したらしい。

五十嵐彩香:
元ジュニアアイドル。中学生以降にアイドルとしての仕事が無くなり、もう一度注目されるためにAV女優を目指す。

近八侑李:
元AV女優。19歳という設定だけど、多作品に出演しているのに10代とは思えない。

七崎つぐみ:
主人公が好きな顔立ちらしい。父親の転勤について各地を転々とする。アダルトビデオに偏見が無く、カリキュラムが自由ですぐに旅行が出来るから成人映像専門学校に入学した。

二道美奈:
九州の博多出身。高校卒業後、地元の親戚のスナックを手伝うが、面白い事が無いので東京に来る。生活費の心配があったので入学すれば奨学金がもらえる成人映像専門学校入学を決断。このプロフィールで18歳という設定は無いと思う。

三ツ田阿紀良:
主人公の友人。将来はAV女優のプロダクション経営をしたいらしい。自分の事務所のためにナンパで女性の電話番号と顔写真を収集している。

タダノ(TDN):
40代前半のAV監督。何故か主人公をライバル視している。

主人公達、特に女性陣が全員10代という設定に無理があると思う。本人達が語るプロフィールからして、若くても20代前半。それから、女性キャラクターが多過ぎる。知識偏重型と経験豊富型の二人に絞って書いた方が良いと思う。

多分、著者が取材した事柄をそのまま書いているので、このようになっている(キャラクター設定と合わない人生経験等)。

「性」を職業にする人々を漫画のようにデフォルメした形で描くのか、現実性を感じるさせる取材形式で描くのかで著者が揺らいでいるように感じられた。

他の「性」に関する物語も、同じような印象がある。

以下は、思い付いた他作品についての雑感。

①紫藤ももえの風俗4コマ漫画オトコとオンナ
以下は、「紫藤ももえの風俗4コマ漫画オトコとオンナ 」へのリンク。現役風俗嬢が描く四コマ漫画。こちらの方が乾いた印象がある。

http://www.aaa-fuzoku.com/manga/otoko-to-onna

②都立水商(室積光著)
水商売に関わる専門学校の話だけれど、完全にデフォルメされている。作者の思い描く理想世界という感じで、性風俗従事者や野球選手が理想的人格の持主として描かれている。



③性職者(画・森永茉裕、作・光風治)
性風俗従事者の人生を物語化したドキュメントコミック。描いている側もかなり体力を消耗した印象。重い話が多い。



④天使に見捨てられた夜(桐野夏生著)
村野ミロシリーズ第2弾。失踪したAV女優を探す女探偵の話。

桐野先生は、女性なので女性に対する嫌悪感を遠慮無く描く事が出来るのだと思う。『男性は、女性を実体でなく偶像として愛する事がある』という主題なのか?



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