自閉っ子のための努力と手抜き入門

読んだ本の感想。

著者:ニキ・リンコ/浅見淳子。
2012年8月8日 第一刷発行。



以下は、「治しやすいところから治す--発達障害への提言」へのリンク。

http://blog.goo.ne.jp/tabby222

P95~P100に記載されていた余生に向けた準備が面白かった。

①若い時間を楽しんでおく
著者は、二年ほど貯金を後回しにして遊びにお金を使ったらしい。期間限定で遊んで思い出を作る。実際によってみると予想ほど面白くない事がある。

②撤退する項目を予想しておく
仕事を辞める事によって必要無くなる努力がある。加齢で判断力が衰える前に、将来的に不必要になる努力を予想しておく。

③心配し過ぎない/変わる情報は集めない
介護や病気については、実際に経験するまでに状況が変わる。具体的な情報に拘らず、自らが老いて病むという大枠に沿って抽象的に準備しておく。

④立地情報は集めておく
相性の良い居住地の条件は積極的に集めておく。居住地は動かし難い。

⑤長く楽しめる道楽を見つけておく
使う機能や感覚が被らない楽しみを複数見つけておく事で、衰えた時の準備とする。

⑥自分が年上になる事に慣れておく

⑦人に頼む練習をする
多数派とニーズが違うと、周囲の見計らいが難しい。頼む事の言語化を事前に済ませておき、認知機能が若い内に暗記しておく。

⑧他人の助言に従えるようになっておく
加齢によって判断力が衰えた場合、年下の指導者との付き合いが重要になる。

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著者は、高次脳機能障害者と親和性を感じるとする。生まれつき出来ない人間と、事故によって出来なくなった人間に共通点があったりする。



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P196あたりに書いてある「指示に従わせる方法」は結構有効だと思う。

「やってみたら楽しいよ」と言われるよりも、「ノルマだから指示に従わなければならない」とされた方がやり易い。

誰かに楽しいと言われて楽しいと、負けた気分になる時がある。他人の言われた通りに、自分の事が全て実現する事は恐怖。新しい事を始めるのには努力が必要で、楽しいとすると努力が正当に評価されない感覚がある。

自分の予測が外れると恥ずかしい感覚がある。自分は首尾一貫していたい欲求が強い場合、内面を予測される不快感と相まって反発する。

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今週が終わった

久しぶりに勤めている会社が倒産した場合について考えている。

会社員であるという事は、一つの宗教に入信する事であって、その戒律を守る事で自らが共同体のルールに従う人間である事をアピール出来る。

会社員でない僕が、どのように社会と関わっていくか想像出来ない。

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日記、本を読む事

今日、職場で「韓国起源説」が話題になった。

そこで、日本の映画「ゴジラ」が米国の映画を真似している話や、青森県の戸来村にあるキリストの墓について話すと、場の空気が白けてしまった。

日本人(我々)の話でなく、韓国人(彼等)の起源主張について話すべきだったようだ。

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本を読む事は、読者として作者に対峙する事なのだと思う。

読者である僕の情報収集手段は、基本的に本を書いた作者に委ねられ限定されている。閉ざされた視点から、基本的には作者が提示する情報を信頼するしかない。

大勢の人間ではなく、作者という選抜された人間に導かれる。

物語自体も、選ばれた主人公が世界を動かす事で描かれる。国や民族を仮定する場合も、そうした概念を人間に准える事によって理解しているから大きくは変わらない。

始まりがあって終りがあり、限定された時間の中で原因と結果が示される。

対してインターネット世界にあるのは、僕と多くの人間との対峙だと思う。

情報発信者は限定されないし、提供される情報の始まりと終わりは見えない。僕は掲示板やブログの記述を途中から読み始め、途中で読み終わる。原因と結果は定かではない。

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インターネット上の仮想空間では、『知性』という概念がそれまでと異なるものとして定義されるのだと思う。現実世界では愚かとされる言動が賢い事になるし、実際に成果を出す事に繋がる。

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目覚めた

妙な時間に寝て起きるようになっている。

今週が早く終わりますように。

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お金の流れで読む日本の歴史

読んだ本の感想。

大村大次郎著。2016年3月12日 第1刷発行。



色々な本から引用したのだと思う。

第1章 古代から日本は“技術立国”だった
古代日本は紀元前から大陸と交易し、4世紀頃には侵攻に近い事をしていたとする。

三内丸山遺跡(紀元前3500年~紀元前2000年頃の集落)からは、狩猟で用いた石鏃に天然アスファルトが接着剤として使用されており、技術力の高さを示している。

日本は細長い島国であり、国中が水路で結ばれた状態で、船を使用した広域交易網が技術発展を支えたとする。

<大化の改新>
645年(皇極4年)に蘇我入鹿が暗殺され、国の制度が一新された事件。

蘇我氏は、雄略天皇時代に整備された斎蔵(祭具を保管した蔵)、内蔵(官物を保管した蔵)、大蔵(全国からの貢物を保管した蔵)を管理しており、税を管理する役職に就いて出世したとされる。

日本書紀で私人所有の倉が述べられているのは蘇我氏だけで、高い経済力を示す。大化の改新には、財の一極集中を正す目的があったのかもしれない。

〇班田収授法
大化の改新の後に、土地の私有を禁止し、民に土地を貸し与えて、租庸調の税を取り立てる事にする。他の税に出挙があり、春夏の二回、農民に種籾を貸し出し、収穫時に利息を付けて返還させた。

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古代の財政制度は、741年(天平13年)の国分寺、国分尼寺建立や、743年(天平15年)の東大寺の大仏造立の財源ねん出のための墾田永年私財法(新たに開墾した土地を私有地として認める)によって揺らぐ事になる。新田からの税収が一時的に増加したが、豪族の新田に雇われる農民が班田を放棄するようになったため、朝廷の力が落ちたとする。

また、東北地方との戦争もあり、38年戦争(774年~812年)では、俘囚(強制的に東北から移住させられた人々)の存在が治安を乱し、自衛のために武家の祖である武装団が生まれていく。武装団は関東以東に多く、鎌倉幕府の基礎となる。

<菅原道真>
寛平、延喜の改革を実施。

宇田上皇の信認を得て、貴族と豪族の関係を断って、国司による支配を復活させようとした。

班田収授の前提として、領民の人間数把握が必要で、律令制では6年に一度、戸籍が作られた。しかし、800年代初めから戸籍作成はまちまちに行われるようになり、800年代後半には納税者数が奈良時代の1/3になっていた。

地方豪族が貴族と結び付き、私有地である荘園を形成していく。

第2章 武家の台頭―これは社会経済の大変革だ
以下は、「経営者・平清盛の失敗~平家滅亡の経済学」の記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-1341.html

平安時代末期から、「武」を専門とする貴族が登場し、また、地方豪族が治安の悪化に伴い武装するようになり、これらが武家となっていく。

以下の2つの勢力。

①平氏
西部を拠点に日宋貿易で力を蓄えた。旧来の朝廷システムに依拠する事で権力を得た。

②源氏
東国を拠点に新たに勃興した武装団を束ねて権力を得た。

源氏が勝利し、朝廷から任命される形で政治上の権限を朝廷から源氏に委譲させていく。この新興武家政権は、関東を中心とした数カ国を直接統治し、他の地域は御家人に支配させる封建制度(各地域を豪族が統治する)を採用したために脆弱な財政基盤しか持たなかった。

<後醍醐天皇>
1331年に倒幕の旗揚げをし、1333年から建武の新政を始める。延喜、天暦(900年~957年)を利用歳、律令時代に国家システムを戻そうとした。

しかし、鎌倉幕府が倒れても、全国の農地の多くは武家が所有しており、軍事力を持たない朝廷に新政は不可能だった。

1335年には足利尊氏が反乱を起こし、「元弘没収地返付令」(建武新政府に没収された武家の領地を戻す)という宣言により武家の指示を取り付け、南北朝時代を経て、室町幕府を開く。

朝廷が二つに分かれた南北朝時代は10年に満たないが、室町幕府は支持を取り付けるために自領を削って武家を引き付けようとしたために、相対的に発言権の弱い政権になった。

室町幕府の費用は、酒屋土倉(金貸)役からの収入で賄ったとする。さらに、三代将軍足利義満の頃には日明貿易を画策する。

日明貿易では勘合貿易(勘合符を持った貿易船にのみ貿易を許可する制度)にて、足利将軍家には明の皇帝一代につき、100枚の勘合符が支給された。中華皇帝一代で百隻分の日明貿易が出来る。

1434年(永禄6年)の記録では、明に一隻を派遣するのに1500貫文の経費が掛かっている。さらに輸出品の経費に1万貫文程度が必要だった。足軽一人の報酬が年1貫文前後だったので、これを500万円とすると、1万数千貫文は約500億円~600億円程度の費用になる。

この費用のため、八代将軍足利義政の時代には、勘合符を300貫文でバラ売りするようになった。応仁の乱が発生したのは、この頃である。

第3章 信長の関税政策、ザビエルの思惑、
    信玄の経済的ハンデ

戦国時代、南蛮貿易における利権と絡み、西日本を中心にキリスト教が広まった(フランシスコ・ザビエルにも武器商人という側面がある)。1570年代~1630年代までに、日本とポルトガル貿易の取引額は290万クルサド~440万クルサドになったという。20クルサドが一人の1年間の生活費とされたので、20クルサド = 2石とすると、29万石~44万石の貿易額になる。100万石の大名の1年分の年貢収入と同程度。

織田信長の優位性も貿易によるとする。西日本と東日本を結び、木曽川の支流大川と天王川を結ぶ物流拠点である津島を領有。織田信長は、足利将軍を擁しての上洛後に、畿内六カ国の管領への推挙を断り、堺、大津、草津を所望した。交易からの関税による利益。

さらに、物流拠点を押さえる事は、敵国への経済制裁を可能にし、1577年には若狭湾を航行する船に、上杉謙信領への米の搬入を禁止している。火薬の原料となる硝石が国産化されるのは1580年代であり、内陸の武田信玄には大きな経済的ハンデになったと思われる。

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織田信長の経済的功績の一つは、金銀を通貨とする事によるデフレ克服である。

中世に日本において、宋朝が鋳造した貨幣を使用していたが、元朝が紙幣使用を強制した関係で、不要になった銅銭が大量流入した反動?により、戦国後期から貨幣不足となっていた。

1569年には近畿地区に金・銀を通貨として使用する事を定めた法令を発令し、それが後の体系的通貨制度に繋がっていく。

第4章 「江戸時代が260年続いた」本当の理由とは?
豊臣秀吉による太閤検地は、田畑の所有者を特定し、年貢収入システムを一元化した。戦国後期から江戸時代にかけても交易は重要なテーマであり、江戸時代には東国経済の大阪経済圏からの脱却が大きなテーマだった。

以下は、『江戸の経済システム』の記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-1119.html

1726年時点で、江戸の酒の22%、醤油の76%、木綿の34%、油の76%、繰綿の100%は大阪に依存していたとする。

それでも江戸幕府は直轄領と親藩の領土を合わせて日本領の1/4になる800万石を有しており、強い経済基盤を持っていた。さらに、定期的に武士の借財を帳消しにする措置を行い、武士が没落して浪人になり、社会不安を引き起こす事を防いでいた。

以下は、『お江戸の小判ゲーム』の記事へのリンク。約50年に1回は、武士の借金が帳消しにされていた。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-1907.html

第5章 明治維新を成功に導いた「お金の強い力」
1853年のペリー来航により、日米和親条約等の対外条約に幕府が朝廷の許可を求めた事で、幕府の威信が削がれたとする。さらに、1862年には参勤交代を3年に一度とした事で初版に財政的余裕が生れた。

日本は、大和朝廷発足以来、天皇が国の最終決断を行う建前になっており、武家政権は調停が幕府に一時的に政権を委譲している事になっていた。幕府とは「戦争を指揮する機関」という意味であり、名目上は朝廷の軍機関である。

そのため、大政奉還によって政権を朝廷に返し、版籍奉還(旧藩主を世襲でない知事にする)や廃藩置県(徴税権や立法権を国に一元化)によって中央集権化を進める事が出来た。

<地租改正>
農地に対して近代的所有権を確立し、金銭で税金を支払うようにさせた。商業地にも地租を課すことにより、商工業にも課税した。

年貢の場合、毎年の取れ高によって年貢率が変わったが、地租は土地代の3% = 収穫米の平均代価の34%程度に設定しており、収穫高が多いと農家の収入が増える制度だった。

<生糸>
日本開国時は欧州の生糸が不足の時期だった。1840年代にフランス等で生糸生産国の蚕の病気が流行し、1868年は全滅の危機に瀕していた。

さらに米国で絹製品の需要が増し、1870年代には世界の生糸市場の5%を占めていた米国が1906年~1910年には38%を占めるようになり、世界最大の生糸消費国となっていた。明治末期には生糸の7割を日本から輸入していたらしい。

第6章 日清・日露戦争、「戦費」はどう賄ったのか
明治期における軍事費の割合は意外と低く、戦争をしていない時期は歳出の30%くらいが軍事費だった。ちなみに英国は第一次世界大戦までの10年間で国家予算の平均41%を軍事費に投入している。

戦前は庶民に直接税を課しておらず、現在の所得税は第二次世界大戦直前の臨時特別税から始まる。

軍事費のほとんどは、1875年頃から酒税を主とした税で軍事費を賄ったとする。1878年に1石1円の酒税、1882年に1石4円となり(1石は一升瓶100本分)酒代の20%くらいが税金だったらしい(現在の酒税はビール350mlあたり、77円でビールを210円とすると50%以上の酒税が課せられている事になる)。

1882年の増税で年600万円以上の増収となったが、1882年から日清戦争までの陸軍の増強費が年400万円、海軍が年300万円なので、ほとんどを酒税で賄った事になる。

大正時代当時の酒税は1億円程度であり、20個師団の年間費用8000万円、60万tの海軍の年間費用5000万円のほとんどを賄った事になる。

第7章 太平洋“経済”戦争!当事者たちの懐事情は?
明治維新から第二次世界大戦前までで、日本の実質GNPは約6倍になり、実質賃金は約3倍、実質鉱工業生産は約30倍になった。

しかし、日本の経済成長は他国との貿易摩擦を生み、特に1929年の恐慌から1932年までの回復は円安を背景にした輸出振興策によるものであり、欧州諸国との軋轢の原因となった(1929年に100円 = 約49ドルだったのが、1933年には100円 = 25.23ドルになっている)。

当時の日本の主力商品は綿製品であり、1933年には英国を追い抜いた。英国はブロック経済化を進め、日本は満州に活路を見い出すが、中国に権益を求める米国と対立する事になる。

昭和5年の調査では、当時の日本の47%は第1次産業に従事し、第2次産業は20%、第3次産業は30%となっている。生活格差は激しく、文明開化以降は欧米に対抗するために優遇された財閥の巨大化も不満を煽ったとする。

結局、日米は開戦するが、海外から軍費を借りる事の出来ない日本は、公債の日銀引き受けによって軍費を賄った。通常、中央銀行の公債引き受けはインフレを引き起こすが、物資統制によってインフレを抑制し、経済の混乱を防いだとする。

第8章 高度成長とバブルの“収支決算”をしよう
1960年代に池田勇人首相によって所得倍増計画が発表させた。10年間で国民所得を26兆円に倍増させる事を目標にした経済政策は7年で目標を達成した。

国民の給与を上げたため、多くの国民が豊かさを実現出来たとする。

さらに、日本軍関連の技術が自動車産業や電器産業の礎となり、日本経済は原料を輸入して製品加工して輸出する事を主産業として成長した。

この構造はバブル崩壊の影響を受けていない。1991年と2007年では日本の輸出は2倍になり、コンスタントに10兆円程度の貿易黒字になっている。

それなのに給与が下がるのは、所得倍増計画の逆をいく、派遣社員を増やす政策に問題があるとする。1980年に所得が1億円だった人間の所得税率は75%だったが、2016年現在で40%まで下がっている。

特定の人間だけ潤う社会は長続きしないと主張。

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