東アジアの兵器革命

読んだ本の感想。

久芳崇著。2010年12月10日 第一刷発行。



16世紀末の万暦朝鮮の役(文禄・慶長の役:1592年~1598年)において、明や朝鮮の捕虜となった数千人の日本兵が鉄砲と戦術を広めた話。

崇禎11年(1638年)に刊行された『軍器図説』には、輪番による火縄銃の一斉射撃が戦術として紹介されており、中国史料では日本から伝来した事になっているらしい。長城の合戦における鉄砲の三段撃ちは真偽が疑われているが、少なくとも16世紀末の朝鮮の役では使用された戦術であるらしい。

明朝においても16世紀半ばからポルトガルの鉄砲を模した鳥銃を使用していたが、銅の鋳造により製造したものであって五・六発も放てば破裂の危険性があったが、日本製の鉄砲は鉄の鍛造であり破裂の心配が無かった。

その後、日本からの捕虜を得て鍛鉄製鉄砲が朝鮮半島や中国に広まったとする。

<楊応龍の乱>
16世紀末に播州で発生した反乱鎮圧に鉄砲が使用されている。朝鮮の役に従軍した部隊が動員されており、弓矢を主体とする反乱軍を火器を使用して鎮圧したとされる。

朝鮮の役で明軍の火器は有効活用されておらず、明軍が日本軍から鹵獲した鉄砲部隊を活用したのかもしれない。

『神器譜』の巻一には、万暦30年(1602年)の情勢として、「最近では虜を退けるのは、ただ日本の鳥銃でしかない」と記述されているらしい。さらに、『神器譜』の巻四には、万暦25年(1597年)の頃に、モンゴルの大軍が遼東に来寇した際、投降した日本兵の鉄砲による輪番射撃でモンゴル側の首領を負傷させて退けた記述がある。

<明における火器>
明における火器製造は、当初は兵仗局に限定され、王朝の厳格な統制によって管理されていたが、15世紀末から16世紀半ばには辺境の衛所でも火器が製造されるようになっていた。

明代初期に制定された徴兵システムは軍人の大量逃亡等で機能しなくなり、明代中期以降の明軍は私兵集団を中核とするようになる。反乱を起こす可能性のある強大な国内軍事勢力の出現は無かったが、外部からの侵略に弱い状態になる。

明軍の将軍達は、火器を自前で調達するようになり、万暦47年(1619年)のサルフの戦いにて明軍は騎馬中心の女真族に敗れる(火器を十分に調達出来なかった?)。

明朝における火器技術は、主に中国周縁部における軍事担当者に個別に受容されたものであるが、女真族勢力は火器に精通した明朝側の人材を積極的に受容し、八旗の火器専門部隊も編成され、清朝による中国支配に重要な役割を果たすようになる。

明においても火器使用の専門機関である京営を中心に新式火器の導入体制を構築したが、政府統制等が障壁となり有効に機能せず、粗悪な火器が作成されたとする。

<嚕蜜銃>
オスマン帝国から明に伝わった銃。欧州の銃と同時期(1554年頃)に伝来したらしい。

以下は、「戦国日本の津々浦々」の「嚕蜜銃(ルーミー銃)」へのリンク。

http://proto.harisen.jp/mono/mono/rumi-juu.html

日本式鉄砲が小型で、頬付け床尾(頬に床尾を当てて銃を構えて射撃する)、瞬発式発火装置(引き金を引くと火縄が落ちて着火し、弾丸が発射される。瞬時の点火のため命中精度が高い)という特徴を持つのに対し、肩付け床尾(床尾を型に当てて銃を構えて射撃する)、緩発式発火装置(引き金を引くと火縄が押し付けられて着火し、弾丸が発射される。確実に着火し不発が少ない)という特徴がある。

日本式銃と並ぶ鉄砲の主要モデルとなったらしい。

<朝鮮半島の火器>
朝鮮の役における日本兵捕虜を介して日本式鉄砲が伝えられ、鉄砲生産国となる。

万暦47年年(1619年)のサルフの戦いでは、明朝に日本兵鉄砲隊3500人を含む1万3000人の援軍を派遣しており、17世紀中葉にシベリアに進出したロシア軍と黒竜江付近で衝突した清軍が、ロシア軍の火器に圧倒された際は、順治11年(1564年)に朝鮮王朝に鉄砲隊百名の援軍を要請している。

さらに、順治15年(1668年)にも清朝の求めに応じて二百名の鉄砲隊を派遣し、ロシア軍を圧倒している。

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作物にとってケイ酸とは何か

読んだ本の感想。

高橋英一著。2007年9月25日 第1刷発行。



必須栄養素以外に、植物に環境ストレス耐性を付与する養分としてのケイ酸。

<ケイ酸>
以下は、Wikipediaの「ケイ酸」の記事へのリンク。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%82%A4%E9%85%B8

1824年に発見さたケイ素は、地球表層の(岩石圏、水圏、気圏等からなり、地球全体の約7%)の重量の26%を占める。50%の酸素に次いで多い。ケイ素は酸素との親和性が高いため、自然界では二酸化ケイ素、またはシリケイト(塩)として存在する。二酸化ケイ素が水に溶けるとケイ酸になる。

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ケイ酸を多く吸収するケイ酸植物はイネ科植物(白亜紀末に現れる)に多く、乾燥化によって縄張りを広げ、陸地面積の1/4を占める草原を形成している。

双子葉植物は動物に食べられないように有害物質を含むが、イネ科植物は体表面を硬くして摂食し難くしている。体を強固にするためにケイ酸を利用する。

さらに植物は葉の表面の気孔以外の部分をクチクラという不透水性の層で覆って水分の発散を抑制しているが、イネではケイ酸をクチクラ周辺に沈積しており、水ストレスを軽減している。

また、ケイ酸を多く施した水稲は、より直立型の葉になって受光態勢が良くなる事が知られており、食害のストレスや水ストレス、光不足のストレスを軽減するためにケイ酸が利用されているとする。

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日本におけるケイ素研究は、1917年にいもち病に罹病した水稲の葉のケイ素含有率が低い事が報告された事から始まる。ケイ素と水稲の耐病性の関連が知られるようになり、また、1940年代に実施された老朽化水田の研究から、ケイ素補給の必要が知られるようになる。

水田は畑と比較して多量の灌漑水の供給を受けており、有害物質を洗い流す反面、土の表面が大気から遮断されているため、土中の酸素が生息する微生物によって消費され、強い還元状態になる。

すると土の中の鉄が還元されて溶け易くなり、下層へ溶脱するが、それに伴ってマンガンやケイ素も溶脱する。そのため、1952年から製鉄工場から排出される鉱滓(主成分はケイ酸カリウム)をケイ酸補給資材として利用するようになる。

水稲は大量のケイ酸を必要とする反面、水田のようにケイ酸を多量に消費する環境にある。第二次世界大戦まではケイ酸の供給源だった稲原堆肥が、労働力不足のために施用されなくなったため、ケイ酸肥料が作成されるようになった。

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数学嫌いが治る本

読んだ本の感想。

竹内薫著。2004年11月15日 第1刷発行。



数学嫌いは治らなかった。

最終的に『ブラックショールズ式』を理解する事を目指す本だと思う。

『ブラックショールズ式』は以下から構成される?

①確率
②三角関数
③微分積分

微分積分を店舗の売上で理解する考え方が面白かった。微分は売上の「対前年比」であり、各年毎の増加(減少)分を示す。積分は、各年の売上の対前年比の合計から売上全体を構成する。売上の「対前年比」をさらに微分すると、売上増加(減少)の加速度を知る事になり、さらに瞬間的な変動が分かる。

自動車の走行距離で示すと、年間走行距離を求める事が微分であり、今までの年間走行距離から総走行距離を求める事が積分になる。

ブラックショールズ式の場合、秒単位で変化する変動を扱うので、短期的変動を知る微分が重要概念になる。

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『ブラックショールズ式』は、金融派生商品の価格を決定するものであり、価格 = 株価 × N - 権利行使価格 × N /長期債券で運用した場合の利益となる。

上記を求めるには、将来の株価を予測する事が大切であり、そのためには株価の変化率を微分で求める必要がある。本で推奨しているように、紙に書いて計算しなかったので良く分からなかった。

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数学でつまづくのはなぜか

読んだ本の感想。

小島寛之著。2008年1月20日第一刷発行。



第1章 代数でのつまづき
<負の数>
マイナスの理解について。

著者は「方向算」と「単位算」によるマイナスの理解を推奨する?気球の上下に例えると、マイナスの掛け算を以下のように理解出来る。

(+3)×(+5):時速3㎞で上昇する気球の5時間後の位置
(-3)×(+5):時速3㎞で下昇する気球の5時間後の位置
(-3)×(-5):時速3㎞で下昇する気球の5時間前の位置

⇒マイナスにマイナスをかけるとプラスになる事を説明可能

<文字式>
文字式が理解出来ない人間は、「書き方の約束」を知らない事がある。

「3X-X=3」としてしまい、「3X-X=2X」と出来ない。

文字式の本質的役割は、「無限個の具体例を一つの式で表現出来る事」にある。と定義する事で、全ての(具体的な数の全て)に当て嵌まる等式を表現可能。「3X-X=3」では、Xに1や2等の具体数を代入出来ない。

文字式によって以下の手順を理解可能。

①3桁の数を指定する
②上記①で指定した3桁の数を繋げた6桁にする
③上記②の6桁の数を7で割る
④上記③で得られた商を11で割る
⑤上記④で得られた商を13で割ると、上記①の数に戻る

最初の3桁の数を257とすると、以下のようになり、理解出来ない。

①257
②257257
③257257 / 7 = 36751
④36751 / 11 = 3341
⑤3341 / 13 =257

しかし、上記①~⑤を文字式で表現すると以下のように出来る。

①指定する3桁の数をXとする
②1000X + X = 1001X
③1001X / 7 =143X
④143X / 11 = 13X
⑤13X / 13 = X

文字式によって具体数を抽象化する事で、全ての数に当て嵌まる普遍的な法則を理解出来る。だから、「3X-X=2X」となる。

<2次の代数>
2次代数の難しさは、比例的感覚が通用しない事にある。2の2乗に3の2乗を足すと、2と3の合計値の2乗にならない。

著者は、2次方程式の二つの原理を以下とする。

①2次式は1次式掛ける1次式と因数分解可能
②二数を掛けて0になるなら、すくなくともどちらかは0である

文字式での2次代数を象徴するのは、(a + b)の2乗であるが、この計算の結果はaの2乗とbの2乗の他に、2abという意外な項が出現する。

著者は、2abを体感するために、「十円玉Aをはじいて、止まっている十円玉Bに衝突させる」という事を数学的に表現する。

以下の変数。

V:最初にはじかれた十円玉Aの速度
a:はじかれた十円玉Aの衝突後の速度
b:止まっていた十円玉Bの衝突後の速度

物理における二つの原理では以下の通り。文字式でも表現する。

①二つの十円玉の速度合計は衝突前後で変化しない
a + b = V

②二つの十円玉の速度の2乗の合計は衝突前後で変化しない
aの2乗 + bの2乗 = Vの2乗

(a + b)の2乗は、Vの2乗と等しい。上記②から、Vの2乗はaの2乗とbの2乗の合計なので、(a + b)の2乗の結果として出現する2abは0という事になる。つまり、aかbの少なくとも一方は0だ。

つまり、十円玉Aと十円玉Bは両方とも止まっているか、どちらか片方だけが動いている事になる。

⇒物理現象を数式で表現する試み

第2章 幾何でのつまづき
幾何教育における証明の困難は、図で見て当たり前の事を数式で表現する必要性を理解させる事だとする。

ギリシャ文明以前のエジプト等の幾何学では、図形の法則(三角形の内角和は180度等)を「事実」として、その理由には興味が無かった。

ギリシャ文明では、図形の法則を相互に関連付け、根拠付ける事に興味を持った。簡単な幾何の法則を出発点に、複雑な事象を説明する。公理(少数の法則)から論理的に、定理(論理によって証明された法則)を積み上げる事で、具体的に検証せずとも論理的に正しい事を証明する。

こうした「公理系」の方法論が後代の数学の基本的型となる。

公理系における論証では、定理を証明する時に、それ以前に得られていない法則を利用しない。しかし、人間は幾何(実際に生活している空間を対象にする)では、経験的に知っている事(2点の最短距離は直線等)が多いため、その知識が邪魔になる。

<MIUゲーム>
公理系理解のためのゲーム。

「M」、「I」、「U」、「ミュー語」の4つの語がある。

以下の5つの公理が提示される。

公理①MIはミュー語である
公理②ミュー語の最後がIであれば、
   その後にUを付加した語もミュー語
   (M~I ⇒ M~IU)
公理③Mから始まるミュー語であれば、M以外の部分と
   同じ語句を後ろに繋げてもミュー語になる
   (M~ ⇒ M~~)
公理④ミュー語にIIIが含まれていたら、IIIをUに置換可能
   (MIII ⇒ MU)
公理⑤ミュー語にUUが含まれていれば、削除可能
   (MUU ⇒ M)

上記の公理から、MIUという語句がミュー語であるか判断すると、上記①と②からミュー語であると証明可能。証明の結果、MIUはミュー語であるという定理が手に入った事になり、他の語句の判断に使用出来る。

このように公理系とは、定まった公理から出発し、新しい定理を入手するシステムである。

<ゲーデルの不完全性定理>
上記のMIUゲームからゲーデルの不完全性定理を理解する。

ゲーデルの不完全性定理:
公理系内部の論理では、命題を証明する事も否定する事も出来ない。

MIUゲームの公理系では、「MUはミュー語でない」という命題を証明不可能。

MIUゲームで最初に与えられるMIという文字からMUを作る事は出来ない。公理②~公理⑤のどの公理を使用する場合でも、使用前のミュー語に含まれるIの個数が3の倍数でないなら、使用後に出来たIの個数も3の倍数にならない事が確認可能。

よって、MIから出発すると、Iの個数が0(3の倍数)であるMUに辿り着く事が出来ない。

「3の倍数」というミュー語とは無関係の整数論上の論理を導入しなければ、「MUはミュー語でない」を証明出来ない。

第3章 解析学でのつまづき
関数(一つの量Xを別の量Yに変化する機能を表現する)は、17世紀頃の数学者ライプニッツによって命名された。

ライプニッツが作った関数記号f(x)は関数を区別するラベルであり、「f」は規則を表し、xとして何かが入力されると、xに対して規則に定められたyを出力する。

中学生が関数を習う時、座標平面でのグラフと関係付けるが、座標平面のグラフは関数よりも先に、17世紀の数学者デカルトとフェルマーによって完成された。

その結果、代数計算の結果を線分の長さとして表現する事が可能になり、幾何学での図形の性質を、代数計算に置き換える事が可能になった。

以下の小説では、主人公が蝉の声をカウントし、気温を計算するエピソードがあるらしい。関数の応用例。



<微分>
関数の発見は、17世紀のニュートンとライプニッツによる微積分の発見と対になる。複雑な関数を一次関数で局所的に近似する方法。

関数の極大値や極小値を簡単に求める手法。極大値(極小値)とは、その近くの範囲で最大(最小)になっている値。

S(a) = (10X - Xの2乗)について考えるとする。Xの2乗を最大化する値をaとすると、Xをaから少し(超微小量e)だけ変化させると、あまりに変化値が小さいため、関数値は変化しない。

そのため、S(a) - S(a + e) = 0となる。eは超微小量なので、無視しても影響が無いとすると、-10 + 2a = 0という式になり、a = 5になる。

超微小量eという不思議な数を仮定しつつも、正しく極大値や極小値を求める事が出来る。

19世紀の数学者コーシーは、超微小量の代わりに、極限(限り無く近付くが到達しない)という概念を導入し、これが現在の標準となっている。

この章はとても難しかった。

以下は、「やるおで学ぶ微分積分 」へのリンク。

http://yaruomatome.blog10.fc2.com/blog-entry-371.html

第4章 自然数でのつまづき
数を唱える事と、数を理解する事はイコールで無い。

集合と写像を応用すると、「三匹の猫」、「三個の林檎」、「三本の鉛筆」に共通する性質としての3がある。数という抽象概念を理解するために、具体性から離脱して抽象化する。

第5章 数と無限の深淵
自然数や文字式、論理を数学で形式化困難な理由は、それが人間の脳内に本来的に備わり、客観視する事が難しいためである。その背景には無限を理解する事の困難がある。

この章も難しかった。フォン・ノイマンの超限順序数等。無限を一つの実体として、計算の対象とするらしい。

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世界史の極意

読んだ本の感想。

佐藤優著。2015年1月10日 第1刷発行。



著者の主張は選良主義なのだと思う。国家を主導する選良が「物語」を作り、それに大衆が従う。選良が支配するのは自国民のみであり、領域外の事象は所与と見做す。インターネットが普及した現代には合わないかもしれない。

著者は資本主義は必然的にグローバル化を伴って帝国主義に発展するとする。共産主義は資本主義のブレーキ役となったが、ソヴィエト連邦崩壊によって資本主義が加速し、新・帝国主義が生まれたとする。

帝国主義下では、排外主義的なナショナリズムが盛んになる一方で、小さな民族に主権を持たせる事で危機を乗り越えようとする動きが出て来るとする。

〇アナロジーによる理解
神学ではアナロジー(類比)を用いる事を特徴とする。類比によって論理を超えた複雑を理解出来るとする。

類比とメタファー(隠喩)は次のように違う。

類比:神には知恵がある
隠喩:神は獅子である(神は獅子のように怒る)

隠喩は神と獅子のように違いがあるものを比較する事で差異を際立たせる。類比では類似性の要素が強い。神という見えない存在について考える事を可能にする(著者は隠喩を類比に含めて構わない立場)。





第一章 多極化する世界を読み解く極意
社会経済史から時代状況を読み解く。

1870年代はスエズ運河買収やアフリカ植民地化等の帝国主義が盛んになった時代。1873年~1896年の大不況が原因となり、巨大企業が国家と海外植民地を求めたとする。

そこに至るまでには16世紀以降の資本主義の歴史がある。

〇重商主義
国家が商工業を育成し、貿易を振興する。16世紀前半にスペインがアメリカ大陸から金銀を収奪した事から始まり、17世紀には貿易差額主義として国家が輸出入を規制するようになり(1600年の東インド会社等)、国内産業を保護する産業保護主義に至る。

〇自由主義
産業革命が起こり、資本家が強くなると国家規制を無くすように主張する。19世紀初頭の英国は覇権国であり、余計な規制が無い方が競争に有利。1870年代に英国の優位が脅かされる事で、帝国主義が始まる。

〇帝国主義(独占資本主義)
レーニンは『帝国主義』で以下の定義をする。

・資本集中によって独占が出現
・金融資本(銀行など)の優位
レーニンは株式発行が金融分野における寡占を強めるとした。
・資本輸出(投資)が重要になる
・多国籍企業形成
・主要国による勢力圏分割の終了

〇国家独占資本主義
国家が資本に介入し、労働者の利益になるようにする。1950年代~1970年代は福祉国家の時代だった。

〇新自由主義
1991年以降は米国覇権が確立し、あらゆるモノが国境を超えるグローバル化が加速する。政府規制を排し、競争を推進する思想。

現代は、米国の弱体化により新帝国主義の時代になったとする。英国が覇権国家だった時代は自由貿易の時代だったが、英国が弱くなった1870年代に帝国主義が主流になったのと同じ流れ。

国家機能が強化され暴力性が高まる。

19世紀末から20世紀にかけて社会が、金融資本主義の問題に対処した方法は以下の通り。

①帝国主義
外部から収奪する。
②共産主義
③ファシズム
社会問題を国家介入で解決する。



<資本主義の本質>
マルクス経済学では、資本主義の本質を労働の自由化とする。

・契約の自由
身分制や土地の拘束から離れて自由に移動出来る労働者
・生産手段からの自由
土地と生産手段を持たない労働者

労働力の価値(賃金)は、①労働者の体力維持、②再生産(家族の維持)、③教育費用、等によって決まるとする。

恐慌は資本の過剰によって起こるとする(宇野弘蔵)。生産を増やすために労働力の価値が高まると、賃金が上がって生産しても儲からなくなった状況。イノベーションによって少ない労働力で生産する事で問題は解決する。

<物語>
ゲシヒテ(歴史上の出来事の連鎖には意味がある)とヒストリー(年代順に出来事を客観的に記述する)という二つの概念があり、歴史を他の知識と結び付けて理解するにはゲシヒテが有効とする。





第二章 民族問題を読み解く極意
民族とナショナリズムの関係。

中世欧州では教会と社会が一体化しており、現代のような民族意識は無かった。

西欧では百年戦争(1339年~1453年)の頃に中央集権化が進み、国家が成立する。対して15世紀末の神聖ローマ帝国(中東欧)は混沌としていた。

そして宗教戦争である三十年戦争(1618年~1648年)の終戦処理であるウェストファリア条約で、内政権と外交権を有する主権国家がの概念が生まれる。この時の神聖ローマ帝国の領邦国家は300程度。

こうした生まれた主権国家システムの概念は、フランス革命後のナポレオン遠征によって欧州の民衆にも広まっていく。

以下のナショナリズム論

〇ベネディクト・アンダーソン
道具主義として、民族は選良によって統治のために創られるとする(公定ナショナリズム)。原初主義として、民族には根拠となる源(言語や地域等)が具体的にあるとする説とは異なる。

出版により標準語が広まった影響があり、多くの読者を想定した媒体が我々意識を生み出したとする。

〇アーネスト・ゲルナー
道具資本主義を提唱。ナショナリズムという運動から民族が生じるとした。産業社会になり文化的同質性が身分制から解放された人々に広まった影響とする。社会が流動化し、広範囲に教育を実行する国家が必要とされた。

〇アントニー・D・スミス
エトニ(共通の祖先を持つ内的連帯感を持った集団)の提唱。エトニを持つ集団でなければ民族を形成出来ないとした。





ネイションの語源はラテン語の「ナチオ」であり、中世の大学で出身地を同じくするサークルを意味する。

ヤン・フス(1369年?~1415年)は、カレル大学にてボヘミアのナチオに参加し、聖書をチェコ語訳したフスが異端として処刑された後に発生したフス戦争にてカレル大学のボヘミアのナチオからチェコのエトニという思想が出たとする。

<ハプスブルク帝国の事例>
18世紀においてヨーゼフ二世がドイツ語公用語化政策を進めるが、ハンガリーのマジャール人の反発を受ける。ハンガリーでは民衆的ナショナリズムも育ち、マジャール語による出版物の普及により想像の共同体の素地が出来ていた。

1867年にオーストリア=ハンガリー二重帝国としてハンガリーは自治を認められるが、ハンガリー王国はマジャール語化政策によって他民族に公定ナショナリズムを突き付ける。

やがて第一次世界大戦敗北によって二重帝国は分離し、各民族が自立していく。

<中央アジアの事例>
帝政ロシアまでは国家が存在しない。血縁や地縁による部族意識やムスリムによる宗教意識等。

1920年代~1930年代にスターリンが恣意的に分割線を引き、ムスリム系の自治共和国が生まれる。人為的に作られた民族であるあるため、ウズベキスタンに属するサマルカンド、ブハラという都市にペルシャ語を話す人々が過半数を占める等の問題が発生する。

スターリンはイスラムの慣習を尊重すると同時に、イスラム系諸民族のエトニを刺激し、民族意識を刺激する事でイスラム原理主義が浸透する土壌を無くそうとしたとする。

ソヴィエト連邦崩壊後は、部族を中心とする選良が権力を握り、イスラム原理主義が拡大。







第三章 宗教紛争を読み解く極意
キリスト教とイスラム教の歴史。

イスラム原理主義は単一カリフによる世界帝国樹立を目指す。イスラムにはキリストという媒介が無く、神が命じればすべてを破壊して良いとする。

原罪を想定するキリスト教の世界観は人間社会の苦しみを当然とするが、イスラム教では悪となり暴力が肯定される。

カトリック教会はイスラム過激派への対応を目指しており、2013年のローマ教皇ベネディクト一六世の生前退位はそのための準備とする。

イスラムもカトリックも価値が全て金銭によって換算され、金の増殖が自己目的化する資本主義に対し、見えない世界(超越的なもの)への想像力が欠落する事象を埋め合わせる事を目指すとする。

キリスト教は啓蒙思想が席巻した18世紀を経て変化したとしており、ケプラー以降の天文学と整合性を取るために、神の居場所を天上でなく心とした(シュライエルマッハー:1768年~1834年)。これは主観的な心理作用と神を区別出来なくなる危険性を示す。

そこで現代神学の父カール・バルト(1886年~1968年)は、神は物理的には天上にいないが、上にいる神とした。神学は不可能の可能性に挑む事と主張。

1914年の第一次世界大戦で神無しに理性で人間社会を解釈する啓蒙主義が崩壊し、非合理な情念が人間を動かすとされた。

**************

欧州共同体とイスラム国は、ナショナリズムを超えるベクトルがある点で似ている。

コルプス・クリスティアヌム(キリスト教共同体:一神教、ギリシャ古典哲学、ローマ法という三つの要素から構成された文化総合体)に沿って勢力を拡張しようとする欧州共同体に対し、イスラム国はネットワークによって世界中が結び付く。

アーネスト・ゲルナーは、『民族とナショナリズム』のP136~P137でイスラム原理主義として以下を指摘。

・儒教と異なり、哲学的思弁を駆使しないために簡単で
 近代化の中でも生き残った
・強力な超越観念を持つために儒教より強い
・信仰の仲介者がいないため、道徳的言説の幅が広い。
 それ故に広域で影響を発揮する
・唯一神を極端に強調すれば知的整合性を無視可能
・論理を無視して「大きな物語」を作る事が出来る





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喧嘩両成敗の誕生

読んだ本の感想。

清水克之著。2006年2月10日第一刷発行。



喧嘩両成敗とは、喧嘩した両者の「理非」を問題にせず、双方を罰する規定である。

日本には「痛み分け」という発想がある。英米法では「全てか無か」という損害賠償の発想を、過失相殺として損害の割合を被害者・加害者で相殺する制度もある。

損害を分担する事で調和を図る発想。

第一章 室町人の面目
室町時代の人々の名誉意識は激しいものだった。

1432年(永享四年)には、立小便している姿を稚児に笑われた事から、北野天満宮と金閣寺の僧侶が衝突し、北野天満宮が襲撃されかかる事件が発生している。

この章では、人々の名誉意識が殺し合いに発展した事例が記述される。こうした意識は江戸前期の武士社会においても共有されたらしい。

第二章 復讐の正当性
16世紀に来日した宣教師ヴァリニャーノは、日本人の名誉意識と、同時に時節が到来するまで忍ぶ陰湿を記述している。

大名でさえも臣下の憤怒を制御出来ず、罰する場合には即時に殺してしまう事があったとする。社会的に復讐としての親敵を殺す事は正当化されていた。

公権力による禁止(御成敗式目第三四条による女敵討禁止等)があっても、慣習的に復讐は継続していた。自力救済(名誉や財産を自分で回復する)が通用する社会。

そうした中では、自殺も復讐手段として存在しており、伊達政宗によって1536年(天文五年)に制定された分国法(塵芥集)では、自殺した者が遺言の敵を記した場合、伊達氏が代わって成敗するという条項がある。

欧米では、自殺した場合、敗北を認めた事になる。

第三章 室町時代の個と集団
室町時代の集団主義について。

不本意なトラブルに巻き込まれた時には、頼もしい支援集団を得る事が大切。

1479年(文明一一年)に発生した五条坊門油小路での妻敵討事件では、梅酒屋という酒屋の主人が妻の密会を知り、間男を殺害している。間男が赤松政則(京都治安維持にあたる侍所を務める)の被官だったが、梅酒屋の息子が板倉氏(幕府重臣である斯波義廉の被官)と主従関係を結んでいた事から、赤松氏と斯波氏の争いに発展する。

⇒この事件は、梅酒屋主人が妻を殺す事で痛み分けの解決となっている

室町時代の諸身分集団は、個々の構成員に危害が及んだ時に、その危害を自らが受けたと同様に見做した。それだから、少しのトラブルが双方の属する集団の争いに発展してしまう。

さらに復讐の対象は加害者当人でなく、加害者が属する集団の誰かに向けられる事もあった。

第四章 室町のオキテ
公認された落ち武者狩りについて。

中世欧州ではアハト刑といって、家族や氏族との関係を断たれる刑罰があった。アハト刑を宣告された者は殺害しても良かったし、法による保護の対象とならなかった。

日本における落ち武者狩もり同様で、敗者からの財産略奪は当然視されていた。

そこで室町幕府は、南朝落胤や公家といった堂々と処刑出来ない者達を流罪とする事で、法外者とし、幕府が死刑執行の責任から逃れる形で殺害する事があったとする。

室町幕府は私刑を封じ込める姿勢をとっていたが、私刑の世界に犯罪者を放擲する事で、事実上の公刑を実現していた。自力救済の社会に依拠する、公権力としての室町幕府。

第五章 喧嘩両成敗のルーツをさぐる
中世から近世にかけての自力救済観念の克服は、権力者による抑圧でなく、それ以前からの紛争解決のための法慣習蓄積によって為されたとする。

双方を同罪とする事に強い拘りがあり、犯罪を穢として関わった双方を抹消する思想があった。著者は衡平感覚と相殺主義と呼ぶ。

日本における「折中の法」として、係争対象の利権を当事者間で折半する事で問題解決を図る思想。一方が確定的に勝利する事は望ましくないとされた(同様の事例は中世欧州にもあるらしい)。

〇中人制
第三者(中人)が紛争調停を行う制度。中人の調停は折中と呼ばれた。

〇解死人制
加害者集団から被害者集団に解死人という謝罪の意を表す人間を差し出す紛争解決慣行。解死人は処刑されず、原則的には解死人の顔を見る事で被害者の名誉が満たされるとした。

第六章 復讐の衝動
古典芸能から考える復讐。

能の演目「正儀世守」:
父敵である大臣を討った正儀、世守という兄弟の処刑を、母親が官人と論争して助け出す話。

母親の論理は敵討ちを正当化するものであり、官人側の「殺人者は死刑にする」という思想と対立する。そして、大臣一人の殺害の罪だから、兄弟の内の一人を処刑しようという提案に対し、誰もが他を庇おうとするため、全員の罪が許される。

*****************

室町幕府は自力救済の慣行に依拠しながらも、それを乗り越えようという志向性もあり、本人切腹制が自力救済抑止のための具体的紛争解決原則だった。

切腹は名誉ある処刑方法とされ、罪の責任を加害者だけに負わせる事による反発を誇り高い処刑方法で補った事になる。そして室町幕府は被害者が何人いようと加害者一人を処罰する事に固執したらしい。

しかし、例えば1424年(応永三一年)の守護大名 赤松氏の四男が将軍近習を殺害した事件では、加害者が失踪したために無関係の代官が切腹している。

本人切腹制の貫徹は困難だったようだ。当事者も本人の処遇ではなく、喧嘩が集団間の紛争に発展した以上、相殺主義に照らして妥当な身分の者が処刑される事を望んだ。

第七章 自力救済から裁判へ
喧嘩両成敗と裁判は本質的に矛盾する制度である。

江戸幕府は関ヶ原の戦いや大阪冬の陣・夏の陣、将軍上洛の時等に喧嘩両成敗法を発令しているが、それは臨時的措置で原則的には喧嘩両成敗を採用していない。

支配権を公的なものへ高めるために公正な裁判を実現する必要があった。紛争を民衆の自力解決に委ねるのでなく、権力者の法廷に訴え出させる。

中世以来の法慣習は戦国大名によって体制化されていき、それは江戸幕府に結集する。

〇赤穂事件
1701年(元禄一四年)の赤穂事件では、喧嘩両成敗が適用されなかった事で騒動が発生し、最終的に双方が痛み分けの採決となっている。

当時の記録では、松ノ廊下事件の審理に当たった目付 多門重共が「あまりに片手落ち」と抗議したり、儒学者の浅見絅斎が喧嘩両成敗を採用すべきと自著で述べている。

18世紀になっても衡平を実現するためなら、事件の原因特定に拘らない感覚があった。

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妻はなぜ夫に満足しないのか

読んだ本の感想。

安岡博之著。2007年11月10日 初版発行。



第1章 オンナのフマンを受け止められないオトコ
妻の不満に気付かない夫は多い。

女性は不満を直接はフィードバックしない傾向があり、依頼も直接的でない。女性は命令文で発言し難いのだとか。また出産すると、それ以前は許していた事が許せなくなる事があり、出産後5年間での離婚率は高いらしい。

男性は同じ目標を持つ事で人間関係を作るが、女性の交流は会話が主になる。ストレス解消方法も同様。

女性の不満を知るには、普段からの会話に注意し、相手の欲するところを知る必要がある。そして、問題の解決点を見極めるのでなく、相手への共感をアピールする。

第2章 稼ぐことこそ男の価値
現代日本では収入が人間の尺度となる。

女性の理想の型(三高等)を満たすものであり、収入のように明確な基準がある。さらにそれが最低水準で、女性側の要求水準は高い。

第3章 したくもないセックスで演技する女たち
したくもないセックスで演技をする女性は多い?

女性には争いを避ける傾向があり、多少我慢してでも応じる事がある。女性には身支度が必要で準備に時間的余裕が必要。一方で、男性側は性交渉拒否を人格否定のように感じる事がある。

セックスには男性本位な部分があり、相手を満足させるよりも、男性側のストレス発散の意味合いがある。仕事の状況によっても男性の性欲は変わり、女性に受容される事で、自己嫌悪的不安感を解消しようとする。

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戦争と文明

読んだ本の感想。

A・J・トインビー著。昭和34年10月15日 初版第1刷発行。



諸文明の挫折は、戦争から始まるとする。

本書での軍国主義とは、武力が問題解決の唯一の手段と信じる精神である。

国家があり、他国との関係上は戦争に備えなければならないから、軍国主義は必ず生じる。そして、群雄割拠の戦国時代は一強国によって統合され世界国家となる。

軍国主義は必ず手を広げ過ぎて我が身を滅ぼすのであるし、戦争に勝つ事を目標に他の活動が疎かになる。

****************

かつて宗教的狂信によって行われた戦争は、神の失墜によって国民的狂信による戦争に変わった。信仰に根ざさない寛容は人間の精神に拠点を保つ事が出来なかった。精神は真空を嫌うため、宗教という悪霊が出て行った場所に、国家という新たな悪霊が居座る事になる。

軍事的徳が賛美される社会的環境では、社会的諸力が自然の諸力と区別されないし、自然の諸力が人間の手に負えないものと見做される。犠牲者の観点からは、病原菌の流行と敵国からの侵略は区別できず、その廃止の可能性は空想し得る程度でしかない。

西洋文化の源泉は、①キリスト教(ギリシア文明社会の内的プロレリアート)、②部族信仰(ギリシア文明社会の外的プロレリアート)、③国家信仰(支配的少数者への崇拝)であるとする。

キリスト教が力を失うと、他の二つによって全体主義的局地的国家が誕生していく。

<スパルタの例>
軍事を重視過ぎた結果、他の面における人材育成に失敗し、勢力を失ったとする。

スパルタの軍国主義化は、紀元前八世紀に全てのギリシア都市に提出された人口増加という問題への対処である。他の諸都市が海外に植民地を建設したのに対し、スパルタは近隣のメッセニア人を侵略(第一次メッセニア=スパルタ戦争は紀元前736年~紀元前720年頃)し、メッセニア人の反抗(第二次スパルタ=メッセニア戦争は紀元前650年~紀元前620年頃)を経て、支配のためにその後の百年をかけて軍国主義的制度を整備し、紀元前550年頃にリュクルゴス制が提唱される。

スパルタ市民は全てが国家から分割地を支給され、働かなくても生活を維持出来るようにし、全精力を戦争技術向上に捧げる事になる。

そしてスパルタはアテナイがスパルタの公奴と同盟を結ぶ可能性を危惧し、ペロポネソス戦争(紀元前431年~紀元前404年)を戦い、勝利はしたが新たな問題に直面する事になる。

スパルタは広い多文化領域を支配しなくてはならず、それまで培ってきた軍事的才能以外を持つ人間を育成しなければいけなくなった。さらに勝利の結果、貨幣経済に巻き込まれ、スパルタの身分制は大きく揺さぶられた。

そうした環境変化があってもスパルタはリュクルゴス制を維持したが、制度は次第に劣化し、我慢している少年を死ぬまで鞭打つような制度になっていく。

<アッシリアの例>
軍事力拡大に勤しむも、多方面に敵を作って滅亡した国。

アッシリアは軍国主義国家として戦争技術改善に取り組み、紀元前825年頃の壁画と、その二百年後の壁画を比較すると、歩兵用の楯を持った騎兵が甲冑騎兵になり、サンダルよりも行動し易い長靴を履くようになり、戦車も乗員数が増えている等の改良が行われている。

最大の改良は、テイグラート・ピレセル三世(在位紀元前747年~727年)かサルゴン(在位紀元前722年~紀元前705年)にはじめられた常備近衛兵の制度である。アッシリアはパピロニア世界の辺境にあって、ザグロスとタウルスの山地に住む蛮族に対抗するために軍力を高めたらしい。

⇒ローマの事例から類推すると、アッシリアの常備軍設置は社会解体が進んだ事の兆候と見做す事が出来る。マリウス時代のイタリアで常備軍設置が必要とされた理由は、農民層が遠隔地への遠征のために土地から切り離され没落したためである。土地から生計を得る事が出来ない人々が革命を起こさないように農業に代わる仕事を与える必要があった。

破局の切っ掛けは、アッシリアが紀元前745年にバニロニア地方に侵略した時に始まったとする。その後、反アッシリア運動が発生し、①紀元前731年~紀元前721年にバビロニアのカアルデア部族が政治的に統一、②カルデア人とエラム人の同盟締結し、アッシリアとの長い戦争が始まる。

そして、アッシリアは紀元前614年~紀元前610年に発生した戦争で滅亡してしまう。

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P161~P162に、防御に関する意見が記述されている(『科学理論と宗教』E.W.バーンス著のP474~P475からの引用)。

防具の発達は、進化において魅惑的ではあるが破滅的である。

あらゆる生物が甲羅を固くする戦略を採用するが、そのために動きが鈍くなって菜食を主としなくてはならなくなる。その結果、滋養になる動物性食物を取る敵と比較して不利になる。

⇒中華帝国と遊牧民族の関係に似ている

**************

軍国主義者は内乱によって滅ぼされる。

アレクサンドロスがダーダネルス海峡を通過して11年と経たぬ内にアケメネス朝を蹂躙したが、その後の42年はマケドニア人同志の争いが発生した。その1000年後には同種の現象がイスラム教徒の間で発生する。

さらに、軍国主義は防衛のために設置されても、それを権力奪取のために用いる傾向がある。

アッシリアはバビロニア世界を東部や北部の蛮族や南部や西部にいるシリア文明の先駆者たるアラム人から防衛する役割があった?が、境界外への敵に使用していた武器を自らの同族に向ける事になる。

754年に、フランク王国のピピンが同胞たるロンバルディア人を攻めた事も同様で、異教徒のザクセン人との戦いに集中出来なくなった。戦争は後まで続き、シャルルマーニュ大帝は773年~774年にイタリア遠征を行い、ロンバルディア諸公国との紛争に巻き込まれる事になってしまう。

ティムールも同様で、イランやイラク、インド、アナトリアに攻め込んだために、ユーラシア大陸制覇という目的から遠ざかる事になった。

⇒辺境が内域を征服する事は困難。文化的に自らよりも先進的な国と同化する事は出来ない

古代中国に当て嵌めると、西部の蛮族を防ぐ役割を果たしていた秦が、闘争の場を内域とした事で、短期間に滅亡した事になる。

****************

軍国主義による勝利は世界帝国を誕生させるが、精神的退廃も伴う。

勝利者として、物質的な快楽を無制限に享受する事が、人間としての唯一の目的としてしまう?その後は弱い敵に負ける事になる。自軍は勝利からは大した利益を得られないが、敵は負ければ終わる状態だからだ。

殺戮によって手にした権力を維持するには残虐な手段を使用するしかない。

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藤島さんの深夜ごはん

読んだ本の感想。

奇水著。2015年11月25日 初版発行。



主人公がチープ料理を作る話。作者がネタを集められなかったようで、料理の意外性が少ない気がする。コーヒーで作るビール擬きは面白そうかな。

【登場人物】
藤島昭子:29歳の小説家
香ノ宮由紀:22歳のコンビニ店員
設楽渚:27歳の料理人?

藤島と設楽の別離の原因が最後まではっきりしなかった。自分と同じように孤独と思っていた女に男が出来て、自分との差を感じたから?

一食め サバの味噌煮と紅しょうが
サバの味噌煮の缶詰をガスコンロにかけて、紅しょうがをあえてご飯にのせる。

二食め コーヒーで作るノンアルコールビール
無糖の缶コーヒー大匙一杯と炭酸水を混ぜる。インスタントコーヒーでは香が強く出るようだ。

以下は、「女性の美学 どんな食事にもあうノンアルコールビールを簡単につくる魔法の小技」へのリンク。

http://josei-bigaku.jp/nonaruko-ru2016/

三食め 野菜と味噌ラーメン
味噌煮のカップ麺に野菜炒めを投入する。

四食め レトルトパックの親子丼とトマトで西紅柿炒蛋
レトルトパックの卵丼に炒めたトマトを入れる。

五食め おでんの汁でおじや
コンビニで買ったおでんの汁でご飯を煮る。

他に、チューブ入りおろし生姜と蜂蜜を湯に入れて混ぜた生姜湯等。

六食め チキンカツ丼
コンビニで買ったチキンカツを、千切りにしたキャベツとご飯と一緒に食べる。

七食め アンパンと牛乳
牛乳とアンパンを一緒に食べる(作者のネタギレを感じる)。

八食め 鶏肉とキャベツのサラダ
サラダ用チキンを千切り、カット野菜とトマトと混ぜる。

******************

藤島氏の小説に少しだけ興味がある。

①古都の酒
清酒を初めて作った寺の話。

②明治の終りから昭和にかけての話
明治末年に生まれた二人の女性が、大正の終りに女学生として出会い、一方の家は栄えてモダンガールとなり、一方は華族として良妻賢母を目指すが没落する。

その後、モダンガールは軍部に関係する仕事についた夫との関係に悩み、華族は満州に行って女優になる。やがて二人の間に思いがけない対立が起きる。

⇒この物語と藤島昭子×設楽渚の対立を絡めたかったのかもしれないが、明確にならないまますっきりしない話になってしまった

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なぜ存在するのか謎解き[オーパーツ]決定版

読んだ本の感想。

ラモント・ウッド著。第一刷 2013年3月31日。



本書で扱うオーパーツとは、現代の物品や信念が過去に出現している事を示す?現代では理解不可能な不条理も、未来において新たな物品や信念が生まれた時に理解されるものであるかもしれない。

1901年に発見された「アンティキテラの機械」は、コンピューターが使用されるようになってから古代のコンピューターと理解された。

第一部 歴史に突然現れた場違いな機械類
第1章 「聖ベネディクトと共にいる聖母と幼子イエス」/
    ヘリコプターのおもちゃが描かれた15世紀の油絵

1460年頃に描かれた祭壇画の一枚にヘリコプターのおもちゃが描かれている事。訳者補注として、竹とんぼのおもちゃは長屋王(684年~729年)の遺跡から発見されており、東晋時代(317年~420年)の葛洪著『抱朴子』に竹とんぼが紹介されているとしている。

第2章 アンティキテラの機械/
   海底から発見された古代のアナログ・コンピューター

日付を指定する事で日食や月食を予測出来たらしい。歯車を使用した精巧な機械は、1300年頃の欧州に登場した機械時計が初とされるが、アンティキテラの機械は紀元前65年以前に作られたとする。

第3章 アルキメデスの投石器とクレーン/
   ポエニ戦争でローマ軍を苦しめた兵器

紀元前214年のローマ軍によるシラクサ包囲時に使用された兵器。巨大な岩を飛ばし、クレーンのように船を持ち上げたらしい。
以下の記述が一致する。

①歴史家ポリュビオスによる紀元前110年頃の記述
②歴史化リウィウスによるアウグストゥス帝治世期の記述
③ギリシャの歴史家プルタルコスによる100年頃の記述

第4章 アルキメデスの殺人光線/
   ローマ軍を撃退した正体不明の兵器

紀元前214年のシラクサ包囲で使用されたとする兵器。170年頃と500年頃に記述されたポエニ戦争に関する史料では、太陽光を反射・集中させたとするが、史料の記述された年代がポエニ戦争から時間が経過し過ぎており信憑性が薄い?

第5章 アイオロスの球/
   数学者ヘロンが作ったローマ時代の蒸気機関

実用的な最初の蒸気機関は1712年のニューコメンの大気圧機関である。しかし、60年頃にはアレキサンドリアのヘロンによる「気体装置」という論文が書かれている。さらに紀元前25年の『ウィトルーウィウス建築書』には水を注入して火をかけると、水の沸騰による風によって回転する青銅球の記述がある。

ローマでは奴隷の労働力があったため、蒸気を労働に用いる需要が無く、見世物にしかならなかったとする。ローマ皇帝ウェスパシアヌス(9年~79年)は少額経費で柱を運送するとした機械技術者に報酬を与えなかったらしい(貧民の仕事が無くなる)。

第6章 H・L・ハンリー/
   アメリカ南北戦争で歴史上初めて軍艦を撃沈した潜水艇

1863年に建造されたハンリー式潜水艇。チャールストン港を拠点に南部州連合海軍によって操船された。敵の人員5名を殺害したが、事故等で自軍の21名を殺害しているらしい。蒸気機関や電力を使用出来なかったため、人力で運航された。

第7章 バベッジの階差機関/
   現代のコンピューターの原型となった自動計算機

チャールズ・バベッジ(1791年~1871年)によって1842年に考案された。当時は計算装置が存在せず、航海や工学、金融に必要な演算は様々な数表で中間結果を調べていた。しかし、数表の数値は手動で計算されていたため誤りが生じ易かった。バベッジの計画では、2万5000点の部品を有し、重量15屯、高さ2.4mの計算機械が出来る筈だったらしい。

二進数でなく十進数を用いる事や、情報・命令・数表の入力用に別々の記憶装置を用いた事が効率が悪いとする。

第二部 摩訶不思議な古代建造物
第8章 パルテノン神殿/
   黄金比率で表現された、古代ギリシャ最高の建築物

紀元前447年頃から16年をかけて建築されたパルテノン神殿。視覚上の微調整が組み込まれ、人間が眼球の湾曲のために直線や平行線を知覚出来ない事に合わせ、柱を先細にする事で直線的に見えるようにしている。

パルテノン神殿が直線で構成されているように見えるのは錯覚であるが、微調整がどのように計算されたのかは不明。

第9章 パンテオン/古代ローマのコンクリート・ドーム型神殿
コンクリートに必須の成分であるセメント粉は1796年に英国で初めて特許が取られた。しかし、126年に建築されたパンテオンはコンクリート造りである。

第10章 ギザのスフィンクス/古代エジプト最大のミステリー
一個の岩から作られた世界最大の彫像(長さ72m、幅6m、高さ20m弱)。左右の前脚の間に、トトメス4世治世の第一年(紀元前1401年)に据えられた碑文がある。一方で他の第4王朝の遺跡と異なり、水による浸食の跡がある事から、最後の大降雨があった紀元前3400年以前の建築物とする説や、それ以前とする説もある。

第三部 ミステリアスなオーパーツ
第11章 ヴォイニッチ手稿/
    暗号解読のプロもさじを投げた、
    世界で最も不可解な古文書

1420年頃に手書きされた古文書。未知の言語や植物、天文学的情報が記されているとする。

第12章 サッカラ・バード/
    古代エジプトの墓から出土した、おもちゃの飛行機

1898年に古代エジプトの埋葬地だったサッカラ(カイロの南)のエジプト人の墓(紀元前200年頃)から発見されたおもちゃ。飛行機に似ている。
水平尾翼を欠いており、おもちゃの鳥の可能性が高い。

第13章 ケネウィック人/
    アメリカのワシントン州で発掘された
    コーカサス系古人類

アラスカに人類が登場するのは、紀元前1万3000年頃とする。アジア的特徴を備えた人々で、後裔も同様。しかし、1996年に50歳代の白色人種男性の骨格がワシントン州ケネウィックで発見された。放射性炭素年代測定の結果、紀元前7300年頃のものとされる。

第14章 メイン州のペニー硬貨/
    ネイティブ部族のゴミ捨て場から発見された、
    11世紀ノルウェーの硬貨

1957年にメイン州の古代ネイティブ・アメリカン村の発掘中に発見された硬貨。ノルウェーの平和王オーラヴ3世治世(1067年~1093年)の初め頃に作られたもの。これ以外に米国内でノルウェー製人工物は発見されていない。
グリーンランドのノルウェー人を通じての交易があったのかもしれない。
グリーンランドのヴァイキングによる居留地は985年に作られ、記録される最後のイベントは1408年の結婚式である。

第四部 あまりにも先進的すぎた知識や技術
第15章 ジョン・ブラッドモアの医療器具/
    英国王ヘンリー5世を救った近代的外科手術

1403年に行われた無菌手術。英国中東部のシュルーズベリーの戦いで顔面を撃たれた16歳のヘンリーへの手術。蜂蜜やワイン(アルコール)、テレピン油を抗生物質として使用している。病原菌の存在は1676年に知られており、医療を担当したブラッドモアはギリシャやローマ時代の知識を活用したのかもしれない。

第16章 坤輿万国全図/
    1602年に中国で作られた奇妙な世界地図

1906年にドイツの地理学者マックス・エケルト=グレイフェンドルフによって考案された「エケルト第4図法」が使用されている。丸い世界を平坦な地図に描く方法。

中央子午線のみを直線とし、残りの子午線は中央から離れるに従って湾曲していく。

中国で作られた地図で初めて南北アメリカ大陸を描く(オーストラリアは描かれない)。中華皇帝の自尊心をくすぐるために中国が地図の中央に描かれる?

第17章 アルキメデス・パリンプセスト/
    紀元前の高度な数学理論が記されていた写本

曲線形状の体積測定や均衡・浮力、重心を探る方法等。
アルキメデスの著作で残っているのは3件の草稿のみで、2作は他言語に翻訳があったために生き延び、3作目は1874年に姿を現した。その中にアルキメデスが微分積分の基礎である無限和の概念を理解している事を示している記述があり、1671年のニュートンの業績を遡る事になる。
さらに、集合論の基礎である無限の逆説についても言及。Aが無限であるとして、BはAの2倍とする。無限は無限に等しいため、Aの2倍であるはずのBとAは等しくなる。

第18章 ネルソン・タッチとランチェスターの法則/
    ナポレオン艦隊に打ち勝った先験的な戦術

「ランチェスター方程式」は1916年に英国の技術者フレデリック・ランチェスターによって、軍隊の交戦による損耗を数学的に記述する方法として考案された。
長距離射程の武器を備えた戦力の比率は、実数によるのでなく、その2乗になる。5000人の軍隊と4000人の軍隊との戦力比は、5対4でなく、25対16となる。両者が戦い抜いた場合、4000人を全滅させるまでに5000人側は2000人を失う計算になる(25から16を引いた数9の平方根が生存者数を示す)。

1805年のトラファルガーの海戦においては、フランス軍46隻に対し、英国軍は40隻であった。ネルソンは軍艦数の不利を補うために、軍を8隻の第一艦列、16隻の第二艦列、16隻の第三艦列に分け、敵艦列の攻撃する場所を指定した。

第一艦列がフランス軍艦列の中央から数隻前を攻撃し、第二艦列がフランス軍艦列の中央を攻撃し、第三艦列がフランス軍後部艦列の12隻を攻撃するよう指定。

その結果、フランス軍艦列の後尾23隻が32隻の英国艦隊に立ち向かう事になる。ランチェスター方程式による優位性は2対1であり、英国艦列は10隻を失うが、フランス軍艦列の後尾は全滅する計算になる。

フランス軍艦列の前半分の23隻が反転して後尾を補強しようとすると、英国軍第一艦列の8隻を破る必要がある。ランチェスター方程式では、フランス軍艦列23隻は8隻を破る過程で2隻を失い、英国艦隊の残存する22隻と直面する事になる。

23隻(英国艦隊)と22隻(フランス艦隊)が戦うと、8隻の英国艦隊が残る計算になる。

******************

実戦では、ナポレオン艦隊は33隻が現れ、英国艦隊は27隻が動員された。そのため、ネルソンは8隻の遅延用戦力は活用せず、二艦列でフランス軍中央を分断した。その結果、英国艦隊は22隻を拿捕した。

ランチェスターの法則が提唱されるまで、歴史家はネルソンの作戦における艦船数を理解する事が出来なかった。

第19章 ハリケーン「パム」/
    「カトリーナ」を1年前に予見していた
    防災シミュレーション

2005年8月後半に発生したハリケーンを予見したシミュレーション。2004年7月のルイジアナ州都を舞台にした緊急対策準備の戦略演習における架空ソフト。カトリーナによって発生する事態を1時間単位で予測していた。

シミュレーションによるハリケーン「パム」では全人口の35%が避難するとしたが、実際には80%以上が避難した。また、政府機能の麻痺までは予測出来なかった。

第20章 ドゴン族の宇宙創造神話/
    驚くべき天文学的知識をもつ部族の
    シリウスにまつわる伝承

シリウスは実際には二つの恒星であり、伴星は1862年に発見された。この知識は西アフリカのドゴン族にも伝承されていたとする。フランスの人類学者マルセル・グリオールが1940年代にオゴテメリというドゴン族の賢人にインタビューした記録。
しかし、現代においてドゴン族にインタビューすると、一般のドゴン族はそのような神話を知らなかったとする。

第五部 自分の予言を的中させた人、
    時代を先取りしすぎた人

第21章 ダグラス・エンゲルバート/
    人間の知性を拡大した
    革新的コンピューターシステム「NLS」開発者

1951年に25歳だったレーダー技術者ダニエル・エンゲルバートが、考えたビジョン。ディスプレイを通じてコンピューターを操作する画面選択デバイスのアイデア。インターネットに類する構想もあったらしい。

第22章 プレンティ・クー/
    少年時代のビジョンにより、 
    自分の部族の危機を救った
    ネイティブ・アメリカンの族長

プレンティー・クーは、ロッキー山脈東側に居住するネイティブ・アメリカンのクロウ部族に1848年頃に生まれた(1932年死去)。11歳の時に、無数のバッファローが平原一面に広がった後に消滅し、焼印を押された動物が平原を埋め尽くすビジョンを見る。
さらに強風に煽られた森で、アメリカコガラが住み着く木以外が薙ぎ倒されるビジョンを見る。アメリカコガラは聞き上手な鳥であるために、成功と失敗の法則を体得しているらしい。

部族の評議会では、このビジョンを平原が白人の家畜に占拠され、それに逆らう部族は殲滅されると解釈。アメリカコガラのように学ぶ態度が大切と解釈された。

クロウ族は白人と闘わなかった唯一の部族とされる。クロウ族はインディアン保留地として、自分の生活領域を許諾されたらしい。

第23章 アクナーテン/
    世界初の一神教を創始したエジプトのファラオ

紀元前1350年頃に一神教を創始。一体の崇高なる創造主を認め、他の超自然を否定する。紀元前1347年にアマルナを建設し、アテン神を崇拝する宗教を創始し、アメンホテプ4世がアクナーテンに改名した。

アクナーテンは17年の治世を経て没しているが、太陽神アテンの宗教は即時に捨てられている。その後、アクナーテンの名は記念碑から削り取られ、存在自体が無かった事にされている。

第24章 ウィリアム・トーマス・ステッド/
    タイタニック号沈没を予知するも、
    事故の犠牲になったジャーナリスト

1912年のタイタニック号沈没について、1886年の小説仕立ての記事「生存者が語る中部大西洋における郵船沈没の様子」で予測したジャーナリスト。当人がタイタニック号に乗船し、事故の犠牲になっているらしい。
少女売春に反対するジャーナリズムを展開していたのだとか。

第25章 アルベール・ロビタ/
    19世紀末に出版された小説で
    20世紀の未来を予測していた風刺作家

アルベール・ロビタ(1848年~1926年)はイラスト入りの物語を多く書いた。

パリ・コミューン運動に巻き込まれ、破壊された世界を見た影響から、1882年に『20世紀』という小説を発表している。

1952年を舞台に、高校を卒業したばかりのエレーヌ・コロブリィが就職するところから物語が始まる。女性解放論への恐れには根拠が無い事を主張しているらしい。

作中のフランスには、10年毎に3ヶ月の革命を実行するイベントがあり、計画が練られ、流血は伴わないとする。これはパリ・コミューンの愚行を批判しているらしい。

以下が予測されている。

・1910年に壊滅的な戦争が勃発
・1920年に大量破壊兵器を使用する革命家によって
 ロシアが海中に没する
・ピアノは拷問楽器と見做され使用されない
・加工食品が配管で送られる
・電話装置や広告の普及

ちなみにアルベール・ロビタは第一次世界大戦を体験しており、7人の子の内、一人が死亡し、二人が重傷を負っている。1925年のインタビューでは、現代の目まぐるしいペースを嫌悪すると語ったらしい。



第26章 エイダ・ラブレス/
    世界初のプログラマーになった伯爵夫人

エイダ・ラブレス(1815年~1852年)は、1843年にコンピューター・プログラムについての本を書いた。父親はロマン派の詩人バイロン男爵。
1833年に、チャールズ・バベッジが階差機関について語ったパーティーに出席し、後に解析機関に関する論文の翻訳を行う。その中に注釈で解析機関がベルヌーイ数の計算に用いる手順を説明している。
その内容は、機械がベルヌーイ数を作るのに必要な各演算の実行ループの記述であり、そのままプログラム言語に落とし込む事が可能なものだった。

その記述が詳細であり、後代の論評者が変数の表示間違え等を指摘出来るため、これが世界最初のソフトウェアバグとされる。

第27章 データポイント2200/
    歴史から無視された世界初の
    デスクトップ・コンピューター

1967年にテキサス州のサンアントニオに起こったCTC社がマイクロプロセッサー革命を主導した話。1970年にデスクトップコンピューター「データポイント2200」を発表。

歴史家は1971年にインテルが行った4004プロセッサーチップの発表を、最初のコンピューターチップとするが、それより早い。

第六部 未来を予言した書籍、論文、映画
第28章 ヘクター・C・バイウォーター/
    太平洋戦争の16年前に日米の架空戦記を
    書いた英国スパイ作家

1925年に書かれた「太平洋大戦争」で日米開戦を予測。

日本が西太平洋を早期に制圧するが、組織的な米国の反撃と打破出来ないとした。ただし、予測した戦争期間は1931年~1933年である。不一致点は以下。

・奇襲攻撃はパナマ運河における自爆攻撃で始まる
・航空母艦は飛行機が小さ過ぎて限定的な成果しか無い
・空襲で宣伝ビラを撒き、政府が失脚する

しかし、米軍が日本軍の防衛線内に入り込むために島伝い作戦を行った点については予言が的中している。

日本海軍司令官 山本五十六は『太平洋大戦争』を読んでおり、本について訓練校で講義し、1934年にはヘクター・C・バイウォーターと一夕を過ごしている。



第29章 ジュール・ヴェルヌ/
    アポロ計画に酷似した小説を執筆し、
    数々の予言を行ったSF作家

1865年に書かれた小説『月世界旅行』について。1828年~1905年までの生涯で、電気や自動車、原子力潜水艦などを予想。

予言は全て当時知られていた技術を拡張したものである。



<第30章 エドワード・ベラミー/
    1887年に2000年のユートピアを
    予言した社会主義作家

エドワード・ベラミー(1850年~1898年)が書いた小説『かえりみれば』について。

当時は、『アンクル・トムの小屋』、『ベン・ハー』に次ぐ、ベストセラー第3位だった。物語は1887年に昏睡状態に陥った主人公が2000年に目覚めるところから始まる。

技術に関する予言はほとんど行わず、社会的変化を記述する。巨大企業が全てを取り纏め、政府が独占的雇用主となる。全員が同一の賃金が支払われ、労働力は軍隊のように組織化される。

⇒この辺りの記述は『百年法』と似ている

以下は、『百年法』の記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-2036.html

軍隊のような服従精神という文化的規範を伴う社会的進歩。予測出来ない要因が全く無い産業経済。選良に権力が集まる事を当然視する。



第31章 ヴァネヴァー・ブッシュ・/
    インターネットの概念に影響を与えた
    架空の装置「メメックス」提唱者

化学諮問委員ヴァネヴァー・ブッシュ(1890年~1974年)が1845年に、インターネットに類する百科事典閲覧装置を提唱した事について。

例えば、「マンハッタン計画」については副大統領のトルーマンさえ伝えられておらず、大統領になって初めて知った。文献閲覧用ツールの必要性を説く。

第32章 映画「ウワサの真相」/
    クリントン大統領のセックススキャンダルと
    コソボ紛争を予言した映画

1997年12月に公開された映画が、1998年1月のクリントン大統領のスキャンダルを予測していた話。

セックススキャンダルに巻き込まれた米国大統領が、米国をアルバニアでの軍事行動に巻き込んでしまう話。

映画と現実との差異は、現実では戦争が実際に発生した事にある。



第七部 前近代のキリスト教美術に登場する
    UFOの数々

第33章 「聖母子と幼き洗礼者ヨハネ」/
    聖母マリアの背後に
    UFOが描かれているキリスト降誕図

セバスティアーノ・マイナルディ(1460年~1513年)がフィレンツェのヴェッキオ宮殿所収の油絵に描いたUFO。

第34章 「キリストの洗礼」/
    空飛ぶ円盤が描かれているように見える、
    18世紀の絵画

1710年にレンブラントの弟子アールト・デ・ヘルデル(1645年~1727年)が描いた絵。描かれる円盤を良く見ると、中心に白い鳥が見られ、新約聖書ヨハネの福音書第1章32節にある「天からの鳩として」イエスの上の降るのを模倣している?

第35章 「サンタ・マリア・マジョーレ聖堂の建立」/
    358年の聖母マリア伝説に基づいて描かれた絵画

マソリーノ・ダ・パニカーレ(1383年?~1447年)によって1428年に描かれた絵画。

358年に聖母マリアからの夢のメッセージによってサンタ・マリア・マジョーレ聖堂が建立された事を示す絵。円盤でなく雲を描写?

第36章 「聖エミディウスを伴う受胎告知」/
    空飛ぶ円盤が聖母マリアに
    レーザー光を発射している絵画

カルロ・クリヴェッリ(1430年?~1494年)による油絵。

第37章 デチャニ修道院のフレスコ画/
    マーキュリー・カプセルと
    そっくりな空飛ぶ物体が描かれた壁画

1335年~1350年に描かれた壁画。セルビア正教会のデチャニ修道院の前面を覆うように描かれている。

第八部 まだ解明されていない天文学の謎
第38章 イアペトゥス/
    『2001年宇宙の旅』にも登場する、土星の謎の惑星

土星の最外郭にある順行衛星。直径1462㎞で、土星から352万㎞離れたところを周回する。

1671年にイタリア系フランス人ジョヴァンニ・カッシーニに発見されたが、土星の片側にある時しか見えないとされた。2007年にイアベトゥスに到達した探査機は、半球の大部分が煤に似た暗い部分で覆われている事を発見した。

第39章 フォボスとダイモス/
    『ガリヴァー旅行記』で詳細が述べられていた、
    奇異な火星の衛星

1725年の『ガリヴァー旅行記』や1750年のヴォルテールの短編『ミクロメガス』で触れられるが、二つの衛星が発見されたのは1877年である。

『ガリヴァー旅行記』では、架空の地ラピュータの天文学者が達成した高度な発見事例の実例として、内側の衛星が土星の直径3倍分の距離をおいて周回し、10時間という周回周期を、外側の衛星が直径5倍分の距離をおいて21.5時間の周回周期を持っていると記述。

これは実際と近く、フォボスは1.4倍の地点を7.6時間で周回し、ダイモスは3.5倍の地点を30.8時間で周回する。

第40章 フォボスのモノリス/
    火星の衛星で発見された奇妙な石柱

1988年にNASAの火星探査機「マーズ・グローバル・サーベイヤー」が発見した石柱。真上に近い角度からの画像であるため、実物の形状は判断出来ないとする。

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世界の辺境とハードボイルド室町時代

読んだ本の感想。

著者:高野秀行、清水克行。2015年8月31日第一刷発行。



以下は、「辺境・探検・ノンフィクション 作家 高野秀行オフィシャルサイト」へのリンク。

http://www.aisa.ne.jp/takano/

ソマリア内戦と応仁の乱は似ており、日本史を探求する事で、現代の辺境を理解出来るとする。

第一章 かぶりすぎている室町社会とソマリ社会
日本の室町時代とアジア・アフリカの辺境は複数の秩序が鬩ぎ合っている事に共通点がある。西洋式の近代的法と土着的な掟、或いは幕府法と地域社会の慣習の対立。

<中世日本の法的矛盾>
支配者である荘園領主は、自領内で盗難が発生すると、それによって生じる穢れを除去するために犯人を領外に追い出そうとする。犯人を処罰すると新たに穢れが発生するし、拘留すると穢れが領内に閉じ込められる。一方で、住民には盗難の現行犯殺害を容認する価値観があった。

⇒私刑による治安維持はソマリランドでも行われており、辺境は治安が良いとする

互いに監視が利く田舎は実は安全。自前のルールが無い都会の方が危険な面がある。氏族による庇護と報復のシステムは都会には無い。互いを知らない都会では復讐の心配が少ないのだ。

これは日本中世も同じで、自力救済が横行する社会から、復讐が公に認められる社会、復讐が制御され禁止される社会へと変化していく。賠償(金銭による補償)が無かった事が日本中世の特徴。

墓所の法理として、鎌倉末期から南北朝期に、殺人被害者の属した宗教集団が、犯行現場を被害者の墓所として加害者に請求した事例くらい。不吉な殺人現場を聖なる場にする事で、昇華する措置。

第二章 未来に向かってバックせよ!
日本中世史は、沢山の人間が集まって無から社会を構築する過程と言える。

古代日本は中華文明を範としたが、平安時代くらいから離脱を始め、専制国家から分権的封建社会に移行していく。文明化の名残で知識が下方分有された事が中世にも影響する?

辺境であった事で、律令の国である中国や韓国に無い神判(呪術的裁判)が日本や東南アジア、アフリカには確認される。技術革新によって人間が操作出来る部分が増えると神の領域が狭まっていく。



日本における変化は16世紀に発生していて、中世までは「サキ」という言葉には過去の意味しか無かった。未来は「アト」と表現され、未来を予測出来る前ではなく、背中側(後ろ)と表現していた。過去が前にあって未来が後ろにある認識は、多くの民族が共通して持った感覚であり、未来が制御可能という自信を得て感覚が変化した?

映画のタイトル「バック・トゥ・ザ・フューチュアー」は、古代ギリシャにおける未来が後ろにあり、「未来にバックする」という言い方に由来する。

****************

世界認識が変化すると支配論理も変わる。軍事政権は暴力の論理で社会を支配するが、自分より強い存在が出現すると支配出来なくなるため長続きしない。倫理や法による支配が求められる(北条泰時の御成敗式目や徳川綱吉の朱子学等)。

ソマリでは農耕文化が発達しない流動性の高い社会であったため、階級社会に移行しなかったとする。日本では、中華文明や欧米文明の流入が民族的自己同一性を刺激し、国を纏める意識が醸成されたのかもしれない。

小規模な例では、日本では応仁の乱前後の社会的緊迫によって地縁による地域共同体が形成された。村のルールが作られ自治が行われる。現代はそれに代わる寄る辺が求められる時代でもある。

第三章 伊達政宗のイタい恋
髭によって文化が分かる。

日本の絵巻物語に登場する中国人は「頬髭」を生やしている。日本人は口髭と顎鬚であり、中国文化に傾倒した日本人は頬髭を伸ばしたがる傾向がある(足利義持や豊臣秀吉は頬髭が長い)。

イスラムでは顎鬚が信仰の深さを表す象徴になっている。

日本で髭が一般的で無くなるのは元禄年間で、この時期に同性愛文化が廃れていく。日本の同性愛は男らしさの表れで戦国文化。

伊達政宗にも男色趣味があり、「愛の証のために腕に刀を立てても良い」とした手紙が残っている。

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中世から近世にかけての日本では新米より古米の方が高かった。古米は水を吸うと新米の1.1倍~1.3倍になり、それが新米との価格比と一致する。

現在でもタイやミャンマーでは古米の方が高い(タイ北部は新米派が優勢)。古米を籾米で保存していた時代は、風味が落ち難かった可能性。

流通が発達し、玄米で米を保存するようになった事で変化が発生した可能性。室町時代に特産物が発生するのは、流通の発達により、都市部で好まれる商品作物を栽培するようになったから?気候が寒冷な東北地方でも商品作物である米を作るようになると、飢饉が発生し易い。江戸時代に醤油が好まれるようになり、大豆を作るようになった影響もある。米を売って雑穀を購入した江戸時代の農民よりも室町時代の農民の方が米を食べたかもしれない。

織田信長の頃から銭中心の経済が石高制にシフトする。室町の貨幣経済は中国から輸入した通貨を使用していた。室町時代後半から中国が銭経済から銀経済に移行し、安定して銭が供給されなくなった影響。

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イスラムでの筋腫は、酒に都会的な印象があるため?街は物欲で満ちていて、そこに酒があるイメージ?日本の禁酒令のように食料品となる米を確保するためとは違う?

コーランでは酒に関する扱いが箇所によって異なる。「酔っぱらってモスクで祈ってはならない」、「出来るだけ飲まない方が良い」、「飲酒は悪魔の所業」の順に酒を禁止した?曖昧を嫌うイスラム。

第四章 独裁者は平和がお好き
現代でも独裁者は平和を求める。支配者には平和が好ましい。

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日本の農民は定住するが、タイの農民は離合集散が激しい。家督相続にも決まりが無く末子相続が多いのは末っ子が最後まで家にいる傾向があるから。上座仏教では死後は輪廻するために墓は作らない。

そのため、タイでは農民に税金をかけ難く、所得税や関税が中心?

第五章 異端のふたりにできること
著者達略歴について記述されている。

歴史学者は古文書を読んで理解しなくてはならないため、独学では厳しく専門的に学ぶ必要がある。特に現在では緻密になっているため、大学の文学部史学科等で専攻し、大学院で訓練する。

数学では若き天才が現れるが、歴史学は読み込んだ史料が重要であるため遅咲きが多い。

それでも作者の主観が介在する事は避けられず、帰納的に結論に至る事が出来ない場合、最初に結論を提示し、そこから傍証に繋げていく。物語を上手く書く事が重要になる。

著者達のスタンスとして、問題を軽く洒落のめしたいらしい。

第六章 むしろ特殊な現代日本
日本では中世から自殺が多い。イスラムやキリスト教では自殺は禁止されている。

真実を証明するために自殺する事も日本独特で、欧米では負けを認めた事になる。その人が自分の主張に思いを込める事が重視される?

日本は島国であり、外部から他民族が頻繁に攻め込まないため、国家統合が進んだ。議論が苦手なのはそのため?植民地支配された事の少ないタイやエチオピアも同様の傾向があるとする。

日本の応仁の乱前後の村社会形成も関係しているかもしれない。他人と違う事をしようとすると駄目だと言われる社会では自由は重荷になる。

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わが盲想

読んだ本の感想。

モハメド・オマル・アブディン 著。2013年5月17日 第一刷発行。



以下は、「モハメド・オマル・アブディン (@Abdinkun) | Twitter」へのリンク。

https://twitter.com/abdinkun?lang=ja

遊牧民的気質の人間が書いた日本探訪記という印象。

留学から就職、結婚と軽いフットワークで行っており、日本の計画性とはかなり違うと思う。著者の家族達も同様で、衝動的に見える著者を掩護し、上手くいっているように見える。

スーダン人の著者は流動的な社会で宗教によって自己同一性を確保しようとしているのに対し、大半の日本人は堅固な社会で宗教を代替しているように思える。

禁酒や礼拝に拘る著者が、ほとんどの日本人が就職活動を行い、人間性を会社都合で変える企業をカルト宗教に例える事は興味深い。

日本では職業人である事が社会的に認められる条件であるが、スーダンでは家族の評判や宗教的規律を守っている事が信頼される条件であるのかもしれない。

*******************

以下は、著者の略歴。

1998年1月:来日
盲人でありスーダンのハルツーム大学に通っていた19歳の著者が大学の閉鎖や盲人である事の困難から、日本で鍼灸の勉強をする留学プログラムに応募して合格する。

1998年4月:福井県立盲学校入学
入学前に特訓して一人で靴紐を結ぶようになれた事が嬉しかったらしい。標準的日本語の他に福井弁や英語も学ぶ。おやじギャグが日本語習得に有効だったらしい。日本語は子音が少なくて作れる音のパターンが少ないために、同音異義語が多い。

他にラジオを使用した学習や福井県国際交流領南センターでの学習。

2001年4月:筑波技術短期大学情報システム学科入学
鍼灸の教師になるか、政治や法律を学ぶかで迷い、どちらに進むにせよパソコンを勉強する必要があるとして、視覚障碍者が鍼灸や情報処理を学ぶ大学に進学。

著者は大学関係者が多いつくばの雰囲気に馴染めず、授業にもついていけない。飲酒の習慣が出来る。

2003年4月:東京外国語大学入学
情報処理から政治・経済に転換するため、東京外国語大学に入学する。日本文学と国政政治のコースで迷うが、スーダンの南北紛争の歴史について調べるため、アフリカ地域研究をテーマにするゼミに入る。

2007年4月:東京外国語大学院入学
「スーダン障害者教育支援の会」を立ち上げる。

2010年1月:結婚
従妹のライラの紹介で、一歳年下のアワティフと結婚。出会って一か月、ほとんど電話でしか会話しない。かなり慌ただしい感じだが、著者の親類達が違和感を持っていないように思える事が印象的。

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生活のリズムが乱れている

寝る時間に寝ていない。

少しだけ神経が張り詰めている。

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全てが一つになる

インターネット上の記事からのコピペ。

インターネット環境は、それ以前のテレビ環境の延長ではなく、人間社会に異なる態度や行動を生み出す。

1989年のベルリンの壁崩壊以降、2017年まで、グローバル化の理想は、世界に同時配信されるテレビ番組が目指した世界と繋がる。グローバル化は、1970年代以降、共有幻想として貿易、投資、旅行、情報等を通じて拡張された。しかし、冷戦後に進展したグローバリズムには、イデオロギーの成分が注入され、今では両者を区別する事が出来ない。

20世紀半ばから登場したテレビは、1960年代に最初のグローバル化を実現した。人々のライフスタイルや都市のあり方が大きく変化し、20世紀後半の世界はテレビとともに存在していた。テレビと政治、文化、経済は見えない導線で強く結ばれていた。

インターネットの普及はテレビ環境を塗り替えた。インターネット情報は物理的な媒体を必要とせず、情報を離散的に断片化して伝送可能にする。音楽レコードがCDになり、アルバムという形式から1曲ずつに離散し、1曲単位でストリーミングされていく。同じように映画やテレビ番組、書籍等も離散化し、ブログの文章は140字のツイートに変化した。

情報の塊はバラバラになり、個々の断片に価値が転位する時代になる。それは人々の生活や行動、意識にまで及ぶ。膨大な人々の感情的な発言が、リンクによってシェアされる。インターネットに接続する人々は多くの情報を持っているが、判断基準が多様で定まらない。

そこで最も信頼される判断基準は自己投影だ。それは防御でもあり、他者に指摘されると不利になる事を、誰かに言われる前に、誰かに擦り付ける。自分の問題点を非難出来ないから、他人に擦り付けて、自分には問題点がないふりをする。

それは同質化の過程であり、差異の消失を意味する。

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おいしい資本主義

読んだ本の感想。

近藤康太郎著。2015年8月20日 初版印刷。



朝日新聞やAERAは、こんなに恐ろしい人間が記事を書いているのかと思い怖くなった。

自立しようとして自立出来なかった人間の物語だと思う。「農」による自給自足により、社会から自立しようと試みるも、著者の思想
は同調圧力に抗えず、記述の節々に認知不協和が見られる。

****************

朝日新聞に勤務する著者が、新聞社に勤務しながら稲作を行った経験を綴る話。

著者は、1987年に朝日新聞に入社し、書きたい記事(日本のアンダーグラウンド音楽)が新聞に掲載されないため、29歳で外部の雑誌社に自らの記事を寄稿するようになる。

そうした事を20年以上継続した結果、新聞記者としての専門分野が無く、遊軍として毎週違うトピックを追いかけるようになる。同期が専門分野の担当記者となっていく事に焦りを感じ、50歳で片手間農業の企画を朝日新聞に提案する。

生活のメインは記者だが、自らが生きるための最低限の食糧は自作する事で、社会からの一定の独立性を維持する狙い?

********************

著者の試みは、失敗していると思う。

P75~P76に、「レイシストをしばき隊」についての記述がある。

以下は、web LITERAの「宮台真司がネトウヨを語る「あれは知性の劣化ではなく感情の劣化だ」」の記事へのリンク。

http://lite-ra.com/2014/11/post-601_4.html

刺青をして暴力を振るう「レイシストしばき隊」を格好良いとし、そうしたイメージ戦略が有効と書いている。著者は、宮台真司の意見に同意している。

著者は、自由に好きな記事を書きたいとしながら、「レイシストしばき隊」を批判出来ない。それは無意識的な作用で、暴力を認識出来ないようだ。

P200~P201に朝日新聞の従軍慰安婦誤報や福島原発吉田調書誤報の問題が記述されるが、著者はそれについても当事者意識を持たない。朝日新聞に20年以上勤務し、編集委員兼諫早支局長であるのに、問題に関する自分の見解が記述されない。

そして、著者の認知不協和が明確に感じられるのは、P151の農薬無人ヘリについての記述だと思う。自分の田が小学校の隣にあるとしながら、お世話になっている農家に逆らえずに農薬無人ヘリを申し込む。この部分の記述は繋がっておらず、著者の葛藤が感じられる。

*********************

自由になる事を目指しながら、著者は自由になっていない。

その理由は、具体を抽象化する能力の欠如であるように思える。著者が新聞記者として、一定の階級以上に出世出来なかった理由の一つは、抽象的に考える能力の弱さかもしれない。

著者が政治や経済、文化や歴史、道徳等について考える時、その思考は他の人間が書いた文章を想起する事によって代替される。思考構造が僕に近い。

「レイシストをしばき隊」を批判出来ないのは、『外国人に対する差別に反発する行為は無条件に肯定される』という文章が著者の中にあり、それを参照する事で著者の思考が組み立てられているからではないか?

それは全ての人間にとって同様で、自分の夢や目標をフィクションでなく答えられる人間はいないと思う。本で読んだ事や他人の意見を参照し、それを想像の代替にしているだけに過ぎない。

宗教や近代社会が命じる戦争に抗う事が出来ないのは、誰もが社会の仕組みという抽象的実体を理解出来ず、社会正義を暗記して従うしかないためであるとしてみる。

*******************

それでは、著者の考える歴史観を僕なりに整理すると、膨張欲求だと思う。

江戸時代の日本では人口が増えたため、刈敷農法(草を土に踏み込んで肥料にする)が盛んになった。水田一反に対し、十倍~二十倍の山野が必要になる。温帯で雨の多い日本は森林が増えるため、柴山状態を保つために伐採が行われ、水害が多発するようになる。

近代に至ってもそれは同様で、膨張のために辺境を開拓する。その方法は資本(お金)の蓄積で、資本投下を繰り返す事で、より多くの資本を作り出そうとする。

社会構成員も資本増加に巻き込まれ、あらゆる物品に価格が付加された結果、多くの人間の欲望が金銭によって計測可能になり、欲望が一般化、普遍化していく。同じ欲求を多くの人間が持つようになる。巨大な同調圧力。

そのため、際限の無い膨張や同調圧力から、どのように身を守るかが現代のテーマとなる。同調するか、独立するか、社会変革を目指すか?

著者自身は、堅固な階級を仮定しており、本当の意味での変化を望んでいないように思えた。

P187に『バートルビー』という中編が紹介されている。労働者が交換可能な歯車として、「断る力」を失い、他者と同じように振る舞う事を要請される事を示しているのだとか。

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分断から結合へ

以下は、「スクールカーストについて思い出す事」の記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-1486.html

アイドルの握手会という催しについて考えている。妹夫婦や会社の同僚がAKBの握手会に行く事が好きなので、握手会の話を聞く事が偶にあるが、聞く度に奇妙な気分になってくる。

妹はオタクに属する人間。スクールカースト下位に属するはずの人々が、スクールカースト上位に属しているであろうアイドルに奉仕?されている図が何だか奇妙だ。

インターネットが発達して、テレビの向こう側に存在していたはずの人々と、視聴者が直接接続される状況だと思う。

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恩田陸先生の初期作品、『六番目の小夜子』、『球形の季節』、『不安な童話』は物語の途中で終わる話だと思う。世界は、自分達の帰属する世界と、これから帰属する事になる向こう側の世界に分離しており、向こう側に移行する時点で種々の謎を残しながら話が切断される。

主人公達の属する現実の世界と、未知の将来との対比。作品世界におけるテレビは、現実世界に幻想的な世界を挿入する小道具になっている。

『三月は深き紅の淵を』以降の作品は、恩田先生が物語の続きを書こうとする試みだと思う。

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インターネットの登場は、普通の人々が介入出来なかったはずの世界に、普通の人々が介入する事を可能にした。

正義には二種類あると思う。法の正義と義理人情。

普通の人々はは共同体の倫理(義理人情)に基づいて思考し、正義や家族を優先する。対して、支配階級は法治国家における社会契約を重視する。

普通の人々は地縁や血縁に基づく共同体の維持を求めるが、支配階級は会社を潰したり、社会階層を入れ替えなくてはならない。それは普通の人々にとっての不正義となる。

それだから、政治や経営は選良達の談合によって決定され、普通の人々には彼等の正義に合うフィクションが提供され、その手段としてのマスメディアがあったのだと思う。国や会社の利益のために行われる施策は、「自分達は仲間である」という普通の人々の幻想を打ち砕くものであるから、社会一般からは隠蔽しなくてはならない。

インターネットの普及は隠蔽を不可能にした。現在の環境下で支持される人間は、「俺が何とかしてやる」と主張しながら共同体を設定し、その中に自らも入る事が出来ると思わせる人間である。

法治国家では全ての人々が平等とされるが、共同体の価値観では異物を排除しなくてはならない。それだから、異なる人々への論難はインターネット上での正義となる。

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何か予定を忘れている

今日は何か重要な予定があったはず。

それを昨日までは記憶していた。しかし、今日になって思い出す事が出来ないまま一日が終わろうとしている。

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水路の用と美

読んだ本の感想。

渡部一二著。2002年12月28日 第1版第1刷発行。



稲作社会を支えた水路について。

以下の歴史的経緯。

〇縄文期(稲作の始まり)
紀元前4世紀頃から、河川の下流域に発達した後背湿地や、谷地の湿地等の用水を得易い地域で稲作が始まる。

〇弥生・古墳期(灌漑・排水の原型)
鉄製農耕具が普及し、通水施設を構築して水田整備を行った。掛け流し灌漑として、上流の水田から次々に下流の水田に水利を導く。

〇奈良・平安期(灌漑溜池の築造)
区画に沿った形で用水路を整備する国家事業。香川県にある満濃池は、700年当初に築造された日本最古の大規模灌漑用溜池である。

〇中世(大型水利施設続出)
戦国時代になると、各国で河川段丘、洪積台地、上部三角州等にも水利施設が続出。江戸幕府は関東平野低地の開発を行い、多くの沼地が溜井となった。水利用の組織化も進み、水利慣行が成立した。

〇近世(河川制御技術の進展)
徳川幕府治世下の安定期に土木技術が発展。葛西用水、玉川上水等。測量技術も進歩し、等高線に沿って用水を流す横堰が梓川水系等で造られる。

〇近代前期(欧米技術導入)
明治時代以降、陽水ポンプ(氾濫低地の排水を可能にする)とセメント(灌漑施設の主要材料)が導入される。

〇近代後期(総合開発事業促進)
高度経済成長期に大型土木機械や施行管理の計画理論が導入されるが、自然破壊も問題になる。

〇現代(環境整備事業推進)
農業用水路から、水の多面的利用への転換。

********************

日本古代の水利用の基本は、自然界に存在する水を取水し、自然流下させ、稲作や生活用に利用する水路を作り出す事である。近世に至ると沖積平野の開発が進み、近世中期には河川の渇水流量全体を使用し尽して水源限界に状況に置かれる事になる。

河川流水の水位を意図的に上昇させ、灌漑に必要な推移を保つ井堰は、当初は流量の小さい小河川に作られたが、水需要が増加するとともに堰を設ける河川の規模が大きくなっていき、堰を築いては洪水の度に再建する過程を繰り返す事になる。

水を行き渡らせる水路網が形成される。開削時の目的が農業用水路だった水路の内、水勾配が緩やかで通水量が安定した水路は舟運用に使用されるようになり、水上交通網の一部となっていく。

また、人口が過密になっていくに連れて生活排水の浄化が意識されるようになり、生活に使用された汚水は隣接地の一角に貯められ、水生植物等によって浄化された後に排水されるようになった。

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ジュゴン

読んだ本の感想。

池田和子著。2012年6月15日 初版第1刷発行。



以下は、Wikipediaの「ジュゴン」の記事へのリンク。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%82%B4%E3%83%B3

ジュゴンは浅海で草を食む唯一の草食性哺乳類。寒い環境に弱く、海水が19℃以上となる北緯26度~南緯27度の海域(主にオーストラリア沿岸)に生息する。

ジュゴンが食べる海草は、海藻(ワカメや昆布等)とは異なり、根や茎、葉がある種子植物。ジュゴンは一日に体重の4%~25%程度の海草を食べるとされる。オーストラリアのモートン湾では、ジュゴンの群れが数週間から数ヶ月を同じ海域で暮らした結果、海草の地上部の73%~96%、地下部の31%~71%が食べられたという研究がある。

これは耕作的摂取であるという見方もある。

ジュゴンが海草を食べる事で、成長が早いが他の海草との競争に弱い先駆種(パイオニアスピーシーズ)が生育し易い環境となり、ジュゴンの摂餌圧によって海底土壌が掘り起こされ、土壌中の窒素固定細菌の活動が活発になり、海草の窒素固定率が向上し、栄養価が高くなる?

ジュゴンは先駆種であるウミヒルモやウミジグサを好んで食べる傾向があり、自らにとって好ましい環境を食事によって作り出しているのかもしれない。

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会社は生活の場

聞いた話。

ほとんどの会社員にとって会社は生活の場である。自らの居場所や友人、疑似家族を作るための社交場。それはビジネス書に記述される利益を追求する集団とは別概念である。

書籍によって会社を理解していると、その点を見誤る。普通の会社員の価値基準は、会社の利益ではなく、家族としての同僚(共同体)の利益である。

そのため、皆で決める事を好み、経営層がトップダウンで意思決定する事を嫌う。皆が納得出来るまで行う議論を主張する。その結果、会社では会議の回数や人数が増えていき、異端者を排除するローカルルールが厳格になっていく。細かいミスは全体に従わない事を意味するため、下らない事でも容赦なく取り締まる。

経営者が大企業を指向する場合、ほとんどの社員に生活の場を追求し、且つ、利益を求めなくてはならない。法秩序と小集団の秩序が並立する。各人が気付かない内に、自らの行動基準が変化していく。

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僕が欲しいのは居場所や社会参加のための免罪符であって、高尚な目的や利益が欲しいのではない。会社から独立して起業したい人達の大多数もそうであるかもしれない。

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老人が多い職場で働いている

一人の同僚が出社出来なくなった。

僕の帰属している職場は、高齢者が多く、徐々に若い派遣社員への入れ替えが進んでいる。来年度から一層の人員入れ替えが行われると思われ、比較的若い僕の立場も変化していくだろう。

いつまでも現在の会社に在籍し続ける事は出来ないのだろう。

何かを継続的に行う事が難しいと思っている。

出来る事は沢山あるけれど、やり続ける事が難しい。

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瀬戸内海航路と日本海航路

長野正孝先生の本を読んで考えた事。

批判が多いのだけれど、日本古代史を日本海航路と瀬戸内海航路の対立という観点から考えている点が面白いと思う。

以下は、「古代史の謎は「海路」で解ける」の記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-1925.html

以下は、「古代史の謎は「鉄」で解ける」の記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-2599.html

同じような考え方は山田真哉先生の本にもある。

以下は、「経営者・平清盛の失敗~平家滅亡の経済学」の記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-1341.html

日本海航路と接続する越前国を管理する平氏が、貿易による利を求めて瀬戸内海航路を整備したとする。

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外界と接続する港を造営するにしても、外界を拒絶する壁を建設するにしても、その真の目的は「生贄」を正当化する事なのだと思う。

交易において絶対的な安全を確保する事も、異邦人を完全に遮断する事も不可能。

人々に「安全」を納得させるために、仰々しい建築物や儀式を目立つ形で作り出し、責任者を明示する。問題を解決出来ない責任として、定期的に責任者に罰を与えておき、時には新しい責任者を据えれば状況改善を錯覚させる事が出来る。

王の起源とはそうしたもので、指導者に問題解決が委ねられた事は無いのだと思う。

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ファンタジスタドール イヴ

読んだ本の感想。

野崎まど著。2013年9月20日 印刷。



以下は、Wikipediaの「ファンタジスタドール」の記事へのリンク。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%AB

以下は、Wikipediaの「人間失格」の記事へのリンク。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%96%93%E5%A4%B1%E6%A0%BC

「ファンタジスタドール」というアニマの前日譚という事だけど、太宰治の「人間失格」のパロディになっている。いまいち良く分からなかった。

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古事記のひみつ

読んだ本の感想。

三浦佑之著。2007年4月1日 第一版発行。



歴史書の成立―プロローグ
「古事記」と「日本書紀」の違い。

例えばヤマトタケルの扱いが違う。古事記では、兄を殺し父に疎まれる存在であるが、日本書紀では親和的な親子関係になっている。

著者は、「古事記」を日本書紀以前の書物と考えている。

「日本書」の構想
史書と法―歴史を占有する国家
古代大和政権は、血縁等によらず成り立つ社会を目指し、法(律令)と法の根拠としての歴史書、経済を活性化する貨幣、中核としての王都を中国に倣い導入した。

それらは漢字という伝達手段によって統括される。

自分達が国家に帰属するという幻想には「歴史」が必要である。支配者の出自と、臣民との繋がりを確認する事により、安定した持続が可能になる。小規模な共同体では口頭伝達で構わないが、国家では文字による伝達が求められる。

大和朝廷が典拠とした中国の正史は、①紀(起源と天皇の事績)、②志(治世や国土)、③伝(臣下や人民の事績)の三つが揃った紀伝体の形式を取り、編年体の体裁を取る史書を「○紀」と呼び、「日本書紀」とは日本書の紀であったのが余白が詰まり、「日本書紀」になったとされる。

当初の「日本書」の構想では「志」、「伝」も記述される予定だったが、頓挫したものと思われる(「続日本紀」には「紀三十巻」と書かれている事も、「紀」以外の構想が存していた事を裏付ける)。

************

「日本書紀」では聖徳太子に始まる史書と法の編纂が、大化の改新によって中大兄皇子に引き継がれ、壬申の乱を経て天武天皇によって確立された事になっている。

天武朝における法と歴史
「日本書紀」によると、法の選定作業と史書の編纂作業は681年に相次いで天武天皇の詔によって開始された事になっている。法と歴史書は一体の国家事業だった。

著者は、上記の前提から同時期に「日本書紀」と「古事記」という内容が異なる二つの歴史書が編纂された事を矛盾とし、「古事記」が和銅五年に選録されたという古事記「序」を捏造とする。

「日本書 志」としての風土記
713年(和銅六年)に風土記選録の官命が出される。天皇家の事績を記録する「日本書紀」は縦の時間軸を保証するが、国土の記録として横の時間軸を掌握する試みと思われる。

「日本書 志」を編纂する資料収集目的?以下の要求。

①群や郷の名に好い字を付ける
②特産品目録作成
③土地の肥沃状態記録
④山川原野の名前の由来を記す
⑤古老が相伝する旧聞異事の記載

現在では五ヵ国(常陸、播磨、出雲、豊後、肥前)の報告文書と逸文が遺されている。各国に根付いた歴史(幻想)を掌握するつもりが、その混沌を「日本書 地理志」は実現出来なかったのかもしれない。

<出雲風土記>
国府のある意字群(都を起点とする山陰道の入り口)から反時計回りに各郡の記事を並べ、土地の肥沃状態を除いた四項目を記録する。
しかし、「国引き詞章」では、巨神 八束水臣津野命の鎮座した「意字の杜」を定点として、島根半島を西から東に俯瞰する構図を持つ。

⇒大和を中心とする国家が介在する以前に、出雲を中心とする版図の認識があった?

「日本書 伝」の構想
「続日本紀」には、親に孝行した子を顕彰する記事等が多く挿入されるが、それらは「日本書 伝」の変形かもしれない。

「聖徳太子伝」や「中臣鎌足伝」は存在する。浦島太郎の元祖 浦島子は、「日本書 伝」に加えられる人物だったかもしれない。

「日本書紀」の雄略22年には丹波の余杜群に浦嶋子がいたという記述がある。「話は別巻にあり」とされている事から、先行文献の存在が示唆されており、「万葉集」の歌人 高橋連虫麻呂が浦島子歌を作った時期より古い。

著者は、別巻とは、丹後国風土記逸文に遺された「浦島子伝」の冒頭部分にある伊預部馬養連が記した書物と推測する。「日本書 伝」が完成しなかったために、別巻とありながら該当する巻が「日本書紀」に存在しないと考える。

日本書紀の方法
日本書紀の神話叙述
「日本書紀」以前の歴史は、「過ぎていった歴史」を叙述するのでなく、季節のような「繰り返される時間」を説明する起源譚であったと思われる。

「日本書紀」では冒頭二巻を神代として、三巻以降に天皇の記事を連ねていく。神の世も過ぎ去った時間として歴史化する。中国の歴史とは違い、神々の時代から切れ目の無い時間が認識される。

多くの異伝を正伝と並べている事も特徴的であるが、正伝だけを読めば明瞭な展開を持つ。出雲神話が無い事からも、天皇家の事績を継起する時間の中で叙述する事が目的であり、その代償のように異伝が並べられる。

巻三以降は天皇に纏わる唯一の伝えのみが記述され、神代記における異伝は正伝を確認する方法でしかない。異伝にもくわえられなかった伝承は消えてしまう。

天皇像と皇太子象の構想
巻三以降の各天皇紀は編年体の体裁をとり、天皇の事績を中心に年月を追って事件を記述する。

「日本書紀」においては歴史を所有する支配者としての天皇像が強調されるが、「古事記」では息子であるヤマトタケルを恐れる景行天皇等の記述がある。

⇒「日本書紀」は安定した国家を記述する必要があった

時代の節目に賢い皇太子を配す事も特徴的で、「古事記」では仁徳天皇の弟である菟道稚郎子は病弱であるが、「日本書紀」では儒教的教養を身に付けた智者として描かれている。

管理される歴史
「日本書紀」によって完成された歴史は、天皇家を基軸とした神話によって、各部族の祭祀の起源や出自を一元化してしまう。

八世紀から九世紀にかけて出現した氏族神話(氏文)は、そのような状況で出現したとする。

現存する氏文は、「高橋氏文」、「古語拾遺」、「新撰亀相記」、「先代旧事本紀」、「住吉大社神代記」等がある。

古事記の成立
古事記偽書説について
古事記偽書説は、1979年に太安万侶の墓誌が見つかった頃から勢いを失ったとする。

以下の偽書説の根拠。著者は、「序」が偽りという立場を取る。

①続日本紀に撰録の記事が無い
②日本書紀に引用されない
③平安時代まで他書で存在が確認出来ない
万葉集の巻二・九〇番歌題詞に、「古事記曰、」とある軽太子と衣通王との恋物語の引用がある。

④序としながら上表文の体裁をとる
⑤署名が不備
⑥稗田阿礼が疑わしい
⑦序文の壬申の乱の記事が日本書紀に基づく
⑧本文に平安朝で無ければ書けない記事がある
⑨本文の万葉仮名が奈良朝以後の用法
「延喜式」祝詞に用いられた音仮名と近い用法とするが、古事記も延喜式も一般的な万葉仮名の用法に立脚しているだけであり、木簡の用字とも似ている。

特に、「上代特殊仮名遣い」における「も」の書き分けが偽書説への反論とする。八世紀の文献に用いられる「き、ひ、み、け、へ、め、こ、そ、と、の、よ、ろ」の12音については二種類の発音が区別されており、単語によって用いられる漢字の種類が違う。

古事記においては「も」の書き分けも見出され、古事記本文の成立が「序」より古い可能性を示す。同様の「も」の区別は万葉集 巻五の音仮名、702年の戸籍の用字にも残存するらしい。

⑩序文の日付は仮託されたもの

古事記「序」という存在
「序」は、書物の成立や内容を伝えるために添えられる文章である。

古事記の「序」は、文章の冒頭に「序」と記されながらも、上表文として書物の完成を命令者である君主に奏上する文章になっている。この形式は、弘仁年間(810年~824年)に見られるようになり、和銅五年の百年後である。

また、「序」で掲げられた古事記の内容紹介で、出雲神話が含まれず、中巻や下巻でも神武東征や崇神の夢、仁徳の炊煙等の取るに足らない業績を選んでおり、古事記本文を理解していない人物が書いたように思われる。

古事記とはいかなる書物か
著者は、古事記を律令国家において企図された書物とは考えない。

620年(推古28年)に編纂された天皇記、国記に連なる書物とした方が分かり易い。安康天皇を殺したマヨワを庇うツブラノオホミの話等、天皇に背く人物が記述され反律令的な性格を持つ。

偽造された古事記「序」
著者は、古事記の「序」は九世紀初頭に書かれたと推定する。

日本書紀の講書(日本書紀の訓読や講義をする公的行事)の講義記録とされる「弘仁私記」の「序」の一部が古事記の「序」と似ている。

「弘仁私記」の「序」は太朝臣安麻呂の同族である多朝臣人長が講師となって日本書紀を講じた際に書かれたとされる。著者は多氏一族が古事記の「序」の作成に関与したとする。

「弘仁私記 序」では嵯峨天皇が本記に誤りが混じるのを防ぐために講書を命じたとあり、この論理は「古事記 序」と同じである。

「先代旧事本紀」に「序」が書き加えられたのが九世紀初頭とされるが、この時代には歴史書を権威化するために「序」を書き加える流れがあったのかもしれない。

古事記の古層性
比喩の古層性
古事記の神話には音声表現の痕跡が多く見られる。

古事記では、ウマシアシカビヒコヂという神が、葦の芽のように萌え騰がる物によって生まれたとする。

上記は単純には比喩と言えず、ウマシアシカビヒコヂは葦牙そのものとも言える(神名はアシカビ)。比喩と比喩される対象とに分化されず、口頭的な表現であったものと思われる。

日本書紀では、あしかびの如く誕生した神は「国常立尊」であり、葦牙の如くは修辞としての直喩として自立する。古事記は音声を保持し続けており、表現の質が古い。

天津麻羅の象徴性
純粋な漢文体を志向した日本書紀には見られない表現。

<伊弉諾と伊弉冉の性交>
「成り合はぬ処」と「成り余れる処」の結合として書かれる。日本書紀では「雌の元」と「雄の元」と表している。古事記では韻を踏んだ語呂合わせから、音声を媒介にした表現と推測する。

<天の岩屋>
日本書紀の正伝では鏡作りの作業が描かれていない。古事記では鍛人 天津麻羅が女神 イシコリドメとの競作によって八咫の鏡を打ち出す。鍛人のマラ(男根)が石のように固くなるという意味であり、鉄を固めて鏡を作る作業と、天津麻羅の男根を固くする術とが二重化されている。

⇒古事記では和語を指向し、音声が残存している

古事記系譜の古層性
古事記は母系の系譜を伝えている。

神武天皇から用明天皇に至る31代の天皇系譜にて、29名の天皇に合計84名の后妃との結婚が記され、ほとんどの后妃は父親の名が記される。しかし、14名は父親の名を記さないで母や兄の名を記載したり、当人を祖としている。

例えば、垂仁天皇の条にて語られるサホビコ、サホビメの兄妹の母親(沙本之大闇見戸売)の親について父親の名でなく、母親の名(春日建国勝戸売)が記される。

ちなみに日本書紀では39代の天皇の后妃131名の内、8名が母系と見做せる(当人を祖とする事例は無い)。「祖」であった女性を、某之女としてしまう改変の逆は考えられず、古事記の系譜が日本書紀の系譜に変えられたと想定出来る。

<祖となる女性>
①河俣毘売(綏靖):師木県主の祖
②賦登麻和訶比賣命 (懿徳):師木県主の祖
③意富阿麻比売(崇神):尾張連の祖
④若比売(継体):三尾気等の祖

天皇家は父系継承の一族であり、母系継承の一族から後継者を娶ると、その一族が母系を捨てて父系に移行する事になる。日本書紀では兄妹による系譜を改変している様子もあり、古事記の系譜概念との違いが分かる。それは二代目の綏靖から九代目の開化に至る婚姻記事に特によく見え、県主と呼ばれる奈良盆地に本拠地を持つ大和の豪族層に多い。

これは天皇家の初期において、父系継承の一族が母系継承の一族を同化させていく過程とも思える。古事記系譜では継体天皇の時代で系譜に対する認識が違って?おり、先代天皇の女が次の天皇の后妃になる傾向がある。純血観念の成立?

倭武天皇
倭武天皇という呼称
常陸国風土記には、倭武天皇(ヤマトタケル)という、日本書紀や古事記に登場しない天皇の伝承がある。

風土記撰録の官命が出たのは、713年だが常陸国風土記が「群―里」の行政呼称を用いる事から、郷里制が施行される717年以前に成立した書物と思われる。

天皇系譜が日本書紀にて正式に認められたのは720年と思われ、それ以前には別の系譜があった可能性がある。

古事記中巻で直系の父子継承でないのは、十二代目の景行天皇とヤマトタケルの子である十四代目の仲哀天皇のみ。古事記ではヤマトタケルの物語の後に、ヤマトタケルの妃や子女の系譜が詳細に記述される。天皇以外では例外的で他に開化天皇の子である日子坐王に見い出せるのみ。

タチバナと倭武天皇
古事記や日本書紀では常陸国はヤマトタケルの通過点でしかないが、常陸国風土記では南端と北端にて土地の名付けをする等の事績を残している。

記紀との共通点は少ないが、タチバナという后との物語が共通する。

いくつもの倭武天皇
井戸を掘るエピソードや討伐エピソードの紹介。

律令国家として成立する以前の大和において、東国を征服した倭武天皇が存在したのかもしれない。さらに常陸国風土記のヤマトタケルには悲劇性が無く、常陸国風土記が編纂された時にはヤマトタケルの物語は確定していなかったと考えられる。

他に、ヤマトタケルの子である仲哀天皇の后である「息長帯比売(神功皇后)」は、日本書紀との記述と違い、常陸国風土記では中央で即位した事になっている。

神功皇后の子である応神天皇を始祖的存在とするために、神功皇后を聖母に位置付ける改変が行われたのかもしれない。

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赤い夢の迷宮

読んだ本の感想。

勇嶺董著。2007年5月9日 第一刷発行。



すっきりしない話。読まなければ良かった。

作者が最初に想定した殺人犯人は、小高紫伊(Cちゃん)だったんだと思う。

以下、ネタバレ含む。

【物語を改変した事による矛盾や不明点?】
①黒田令(魔女)が小高紫伊(Cちゃん)の死を予見出来ない
死を予見する超能力を持つはずの黒田令(魔女)が小高紫伊(Cちゃん)の死を予見出来ない矛盾。作者の当初の計画では、小高紫伊(Cちゃん)の自殺は、後の殺人を行い易くする偽装だったのではないか?

②地下室の死体
主人公が小学校時代に地下室で見つけた死体は何だったのか?
最後まで判明しない地下室の死体の正体。作者の当初の計画では、大柳源蔵(OG)が同窓会を開いた目的は、自家で殺人を犯した人間を見つける事だったのではないか?

③キャア
探偵役と見せかけた役立たず。何のために登場した?当初の計画では、もっと重要な役回りだったんだと思う。

【登場人物】
主人公:
34歳?小学校教師。

鵜飼明(ウガッコ):
34歳?生物を殺す事を好む異常者。

鈴木孝(ゴッチ):
35歳?野球選手として挫折し、建設業者となっており、二人の息子がいるが、妻とは離婚調停中。

結城玲二(ユーレイ):
33歳?小学生3年生の秋に、お化け屋敷でトラウマを体験し、同窓会への出席を拒否する。

キャア:
35歳前後。結城玲二(ユーレイ)から依頼され、結城玲二(ユーレイ)を装って同窓会に参加する。 

小高(森田)紫伊(Cちゃん):
34歳?法務省官僚と結婚して専業主婦になっている。

黒田令(魔女):
36歳?人間の死を予見する超能力を持つらしい。

稲山心愛(ココア):
34歳?いじめが原因で不登校になり、引き籠りになっている。自らを裏切った小高紫伊(Cちゃん)を恨んでいる。

大柳源蔵(OG):
70代。大金持ち。小学生時代の主人公達と遊んでいた。2年前に大柳家の家督を継承し、主人公達を同窓会に招く。

吉良:
60歳くらい。大柳家の召使。主人公が小学生時代の殺人鬼で、容疑を逃れるために右腕を切断し、生活反応を消したうえで右手首を警察に見つけさせたらしい。

【あらすじ?】
主人公達を含む幼馴染7人が、小学校時代に遊んだ大人である大柳(OG)に誘われ、同窓会としてかつて遊んだお化け屋敷を模した邸宅に宿泊する事になる。

そこで殺人事件が連続して発生する。吉良と鵜飼明(ウガッコ)の殺人競争であったらしい。

<小学校時代の出来事>
主人公が住む街には殺人鬼の噂があり、主人公が小学二年生の時に生活反応の無い人間の右手首が見つかり、その指紋が殺人鬼の指紋と一致したために、殺人鬼は死亡した事になっている。

主人公が小学三年生の夏に、大柳家の別荘に自分達の宝物を隠す事を計画する。別荘の地下室には、子供しか通れないほど隙間が狭い鉄格子があり、その中にある大量の猫の死骸を主人公達が発見する。驚いた主人公達は地下室から逃げ出すが、宝物を入れたデイパックを落としてしまう。

主人公は、小学三年生の冬頃に、結城玲二(ユーレイ)とお化け屋敷に宝物を入れたデイバックを取りに行き、地下室の天井からぶら下がる男児の死体を見つけ、その後、その記憶を消去する。

<同窓会の経過>
主人公達は、大柳源蔵(OG)に睡眠薬を飲まされ、眠っている間に、子供の時に遊んだお化け屋敷を模した建物にヘリコプターで連れて行かれる。途中で、台風が来る事を知った大柳源蔵(OG)は、所用のために台風が来る前にヘリコプターでお化け屋敷を去る。

その後、6時30分頃に、テレビに大柳源蔵(OG)の姿が映し出され、所用に間に合った事が確認される。

第一の殺人:
小高紫伊(Cちゃん)が自室で首を吊って死亡して見つかる。鵜飼明(ウガッコ)が、浮気現場の写真を見せたために自殺したとされる。

第二の殺人:
黒田令(魔女)が屋敷の違和感を調べるために屋敷の外に出たところで吉良に殺される。

第三の殺人:
助けを呼びに行こうと屋敷の壁を上って外に出た鈴木孝(ゴッチ)が墜落して死亡する。

第四の殺人:
鵜飼明(ウガッコ)の独白から始まる。大柳源蔵(OG)から、吉良を対戦相手とする殺人競争を挑まれ、勝つために人間を殺していた。小学校時代から隠れて他人に危害を加えていたらしい。自室で独白中に吉良に殺される。

第五の殺人:
主人公とキャアは、屋敷内を調べて吉良がいない事を確認していた。その状態で鵜飼明(ウガッコ)が殺されたため、主人公はキャアを機械室に閉じ込める。キャアは吉良に殺される。

一人だけ生き残った主人公は、誰もいないお化け屋敷で目覚める。幼馴染達の死体は無くなっており、全ては主人公の妄想とされる。幼馴染達と連絡を取ろうとするが、行方不明扱いになっていて連絡が取れない。

大柳源蔵(OG)が使用したトリックは、お化け屋敷を模した建物を、自らが所有するビルの屋上と、僻地の二カ所に建てる事だった。最初、主人公達はヘリコプターで移動すると見せかけられて、ビルの屋上にある屋敷に監禁されていた。大柳源蔵(OG)や吉良はビルの地下通路を使用して、主人公達を襲撃していた。

そして、一人だけ生き残った主人公を眠らせ、僻地にあるお化け屋敷に連れて行き、死体が無い事を理由に全てを主人公の妄想にする。

大柳源蔵(OG)は、狩る者と狩られる者のドラマが見たかったと語る。

主人公は鈴木孝(ゴッチ)の墜落死体を始末する大柳源蔵(OG)と吉良の姿が、ケーブルテレビに撮影されていた事を証拠と主張し、大柳源蔵(OG)に自首を約束させる。

次の日、大柳源蔵(OG)が所有する第一大柳ビルの屋上で火災が発生する。主人公には原稿用紙が送付され、そこに一連の事件の経過が綴られていた。主人公の思考まで書いてあり、読んでいる内に主人公が発狂する。

全ては妄想だったかもしれないと思わせるラスト。

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古代史の謎は「鉄」で解ける

読んだ本の感想。

長野正孝著。2015年10月30日 第一版第一刷。



著者は、前方後円墳を古代の公設市場と考える。朝鮮半島での戦争により、鉄や傭兵の交易が盛んになった事で巨大な古墳が造られ、朝鮮半島での戦争が終結した事で、新たな古墳が造営されなくなったとする。

第一章 鉄を運ぶために生まれてきた海洋民族「倭人」
一・一 鉄を巡る争いは漢の武帝の朝鮮侵略より始まった
朝鮮半島の鉄は、紀元前三世紀に戦国七雄の燕によって開始され、紀元前194年に衛氏朝鮮(燕や斉の亡命者と原住民の連合政権)が平壌を首都とした。

漢の武帝は紀元前194年に水軍を編成して朝鮮半島に侵攻し、鉄資源を支配した。武帝は漢四群(楽浪、玄菟、真番、真番)を作った。その後、朝鮮半島の王は中国に承認される仕来りが続く。

一・二 朝鮮半島の鉄―海は倭船、陸は高句麗の馬が運んだ
朝鮮半島の鉄は漢が国家統制し、長剣は倭や辰漢に、短剣は高句麗等に配られたらしい。日本に輸入された鉄剣は豪族の墳墓の副葬品として残った。200年~400年頃の墳墓出土刀剣を比較すると、筑前や豊後よりも、丹後や播磨、但馬、上野の方が多いため、鉄の路の存在が推測出来る。

朝鮮半島の西側は大河が島の多いリアス式海岸のため舟での移動が容易であり、東側は平原が多いため馬で移動したとする。

一・三 日本への鉄は小舟で対馬海峡から運ばれた
紀元前後まで朝鮮半島の鉄は、海峡周辺の倭人が手漕ぎの丸木舟を使用して対馬海峡を渡ったと推測。

一・四 対馬海峡を通る流儀―季節・船・天候
『三国史記』では、倭が新羅を襲撃する時期は、旧暦の四月~六月であり、寒い冬場は交易出来ない。また、天候を選ぶ重要性が卜骨の神頼みに繋がったとする。

一・五 地域格差がはなはだしい鉄の加工技術
紀元前四世紀~紀元前二世紀の北部九州で鉄器が使用され始め、三世紀頃には石器が使用されなくなり、鉄器製作が始まる。他の地域では鉄は普及していない。日本海沿岸の鉄器技術に差が大きいとする。

一・六 倭人とはどこの地域、どこの国の人間を指すのか?
著者は、倭人とは日本海を拠点とした海洋民族と推測する。一世紀頃までの中国人の倭に対する認識は、遼東半島以遠の、鉄交易と漁業に従事した人種であり、五世紀頃までの倭人は首都や王を持たなかったのではないか。

一・七 倭人はなぜ中国に朝貢し続けたのか?
奴国が漢に朝貢した57年は、楽浪郡が高句麗の襲撃を受けた10年後であり、交易網を保護して貰う狙いがあった?

第二章 「倭国大乱」前夜の日本海沿岸「鉄の路」
二・一 日本列島は水世界
弥生時代は寒冷化が進んだ小氷河期だった(気候変動から邪馬台国を考える:山本武夫、倭人をとりまく世界:辻誠一郎)。海水面は現在より数メートルは高く、瀬戸内海から舟で琵琶湖まで移動出来た。

二・二 ハンザ同盟に見る連携都市国家像
五世紀の「宋書 倭国伝」の武の上表では、東北から朝鮮半島までを国としている。著者は、多民族が交易理研で結ばれたハンザ同盟のような社会を予想する。

13世紀~17世紀のバルト海を中心とする商業都市連合。そのルートは、①北海沿岸ルート:バルト海からデンマークのリューベック、ハンブルク、さらにロンドンまでをつなぐ、②内陸ルート:デンマークのリューベックから、ドイツ内陸都市を結ぶ、③ライン川ルート:ドイツのケルンからイタリアのヴェネツィアに抜ける。

倭国は高句麗と戦いつつ、交易ルートを維持したとする。

ニ・三 黒曜石と土笛が語る草創期の「鉄の路」
倭人の交易範囲を推測する。

黒曜石の交易ルートでは、隠岐の島の黒曜石は日本海岸を東に北陸まで達しているが朝鮮半島に運ばれた痕跡が無い。一方で一世紀から二世紀頃には朝鮮半島の鉄が到達したようで、この頃に多くの漂着難民が朝鮮半島から渡来したと予想。

⇒朝鮮半島から隠岐の島、出雲の航路

土笛陶塤という中国渡来の楽器は、①北部九州、②山口県響灘、③島根県宍道湖周辺及び丹後半島に分布の中心がある。出土の東限が丹後半島である事から、鉄の路の東限もこのくらいと推測。

二・四 卜骨遺構でわかる卑弥呼の世界
平安時代前期に五行陰陽道が普及するまで、動物の骨を焼いて吉凶を占う卜骨は重要な祈祷方法だった。航海安全を祈願した後は、卜骨を各地の貝塚に捨てるため、倭国の勢力範囲を推測する材料となる。

伽耶の金海府院洞貝塚を起点に、九州から鳥取、北陸の敦賀、邑知潟辺りを倭国と考える。紀元前後までは九州から山陰、丹後までだったのが、三世紀頃には能登半島付近まで勢力を拡張(石川県中能登町の宮古古墳群)。

二・五 なぜ離島や僻地から鉄のナイフが出土するのか
神奈川県三浦半島や、伊豆諸島の利島等から出土する鉄器について、偶然の漂着としている。

二・六 環濠遺跡はなぜつくられたのか
交易が柵を生んだとする。纏向や唐古には当初は環濠が泣く、農耕民族の遺跡に環濠があるとする。拉致や略奪を防ぐため環濠。

第三章 高句麗の南下によって生まれた「倭国大乱」
三・一 「倭国大乱」はなぜ起こったのか
一世紀~二世紀の倭国大乱について。
300年頃に奈具岡遺跡、途中ヶ丘遺跡、志高遺跡が消滅し、丹後では弥生後期に集落の様相が変化し、特徴ある墳墓が出現したという。

後漢書 東夷伝等では、146年~189年頃に、倭国が乱れたため卑弥呼を女王としたという記述がある。

著者は、一世紀に高句麗の南下が発生し、玉突き状態で難民が鉄を携えて日本に押し寄せて社会変革が起こったと推測している。

三・二 朝鮮半島の地形「西船東馬」が作った民族大移動
朝鮮半島は南北約850㎞、東西約350㎞で、半島中央に太白山脈があり、その東部は亜寒帯で牧畜にのみ適し、西部はリアス式海岸が続き農業や交易が盛んとする。

楽浪郡は、馬で太白山脈を越えれば簡単に襲う事で可能であったとする。

三・三 「倭国大乱」の引金は高句麗の楽浪侵攻
37年に楽浪郡が高句麗によって襲撃され、後漢は44年に奪還したとされる。その後、後漢は高句麗に接する地域を間接統治に切り替えたとする。外交窓口を残した撤退。

三・四 地図から消えた朝鮮半島東部の中小国家
以下の民族が高句麗に圧迫されて日本に逃れたとする。

夫余:
哈爾浜、斉斉哈爾等の平原の国。高句麗が楽浪郡を攻めた時は後漢に助けを求めた。その後、三世紀に高句麗の略奪を受け、鉄を作る技術を朝鮮半島全域に広げたとする。

東沃沮:
豆満江河口に位置し、一世紀には高句麗に臣属したとする。

濊:
朝鮮半島東側に沿った国。後に新羅となる。

挹婁:
ウラジオストク、アムール川の河口に位置し、夫余に従属し、その後は放浪の民になったとする。

三・五 難民達はどのように日本海を渡ったのか?
リマン海流:
沿海州や朝鮮半島東岸に沿って反時計回りに流れる寒流。流れに乗って対馬海流に乗り換えれば、朝鮮半島から山陰や北陸に漂着可能とする。

出雲半島や丹後半島は出っ張ている地形が目印になり、多くの難民を集めた予想。それが国情に影響?

三・六 日本海を渡る知恵―準構造船の技術革新
朝鮮半島から500㎞を移動するには細見の丸木舟では不可能。五世紀初めから波除板を継いだ幅広い準構造船が登場するが、この技術は難民が齎したのかもしれない。

第四章 「倭国大乱」の実像と発掘された「鉄の路」
四・一 「播磨国風土記」の新羅の王子は漂着難民
播磨国風土記に天日槍命の物語がある。一世紀頃に淡路島に出来た製鉄遺跡五斗長垣内遺跡と関連しているかもしれない。

但馬地区にも、鉄製品を出土する東山墳墓群や立石墳墓群があり、九州を上回る量の鉄器を出土する地域が続出して古墳時代に繋がる。

四・二 鉄の副葬品を有する異形墳墓の大量発生
一世紀頃の日本の墳墓は縄文時代からの土葬や中国・朝鮮半島風の支石墓だったが、二世紀頃から四角い積石塚が増え、多様な墳墓に至る。

丹後では古墳時代でも異形の墳墓が増加し、漂着難民の影響が見える。

四・三 信州における不思議な大陸との交易
信州では、木島平村の根塚遺跡等の鉄製品を出土する遺跡がある。石川日出志は、『農耕社会の成立』で朝鮮半島南部から北陸、長野を経由して関東に至る交易ルートを提唱している。

四・四 川を上り南に向かった無数の光る塚
中国地方や北陸の谷筋にある円墳は、遊牧民の目印だったとする。それは洪水時の避難場所であり、休憩場所だったかもしれない。

四・五 なぜ、光る貼石墳墓をつくったのか
夫余や高句麗があった地域に、貼石墳は分布する。墳墓の斜面に石を貼って光を反射させ、遠方からも見えるようにした。遊牧民が渡来し、海岸から川岸に作った一里塚とする。

四・六 突然できた日本海の鉄の集落
丹後半島では、紀元前四世紀~紀元前二世紀に扇谷遺跡等の30カ所以上の古代製鉄遺跡があり、100年~200年頃にはおお風呂南遺跡等が大量の鍛冶後とともに登場する。

それらは小さな鉄器を叩いて作る遊牧民の鉄加工技術で、六世紀後半のたたら製鉄まで、日本では完全な製鉄技術は無かった。

四・七 国内港湾都市出雲―漂着難民がつくった港町
倭国大乱時期に、四隅突出型墳墓が広島県三次市に出現する。それは二世紀半ばに鳥取や島根、石川、富山の臨海部に広がり、総数は103にもなるという。

国際的な地域連携の可能性。

四・八 古墳と鏡、卜骨が語る出雲の不思議
出雲では、西谷墳墓群と対峙する形で、三世紀後半から東端に荒島古墳群が登場する。西谷が三世紀から四世紀頃に衰微するのに対し、荒島古墳群は700年頃まで続いた。

出雲半島の沖合にある隠岐の島の隠岐国総社 玉若酢命神社の主神は丹後王国と関わりがあるとする。丹後では古墳のほとんどが前方後方墳であり、独自性がある。

出雲の四隅突出墳を地方国家の特徴とし、鏡や卜骨が出土しない事と合わせると、独自の国家があったのかもしれない。

四・九 渡来人がつくった瀬戸内海東航路
出雲に着いた遊牧民の多くが、陸路で瀬戸内海の吉備に移り、三世紀には瀬戸内海海路を整備したとする。彼らが作る古墳には、目印や飲み食いの場所という機能もあったとする磯久。

四・一〇 鉄が結んだ丹後半島横断運河と丹後王国
浅茂川と竹野川を遡り、船を曳いて大風呂南墳墓群に出る、横断運河。鉄を運ぶ路と仮定する。日本海側最大の前方後円墳である神明山古墳は、竹野川の入口を示すとする。

四・一一 丹後と出雲は鏡を使わない別の社会だった
『三角縁神獣鏡の時代』(岡村秀典著)、『海を渡った鏡と鉄』(君嶋俊行著)では以下の分析がある。

①鏡の範囲
紀元前一世頃の九州の遺跡から漢鏡が多く発見されるが、当時の奈良盆地の遺跡からは鏡はほとんど出土しない。

②鏡ブーム
倭国大乱の頃に鏡ブームが発生し、奈良盆地にて鏡の出土量が急増する。

③山陰で出土しない
一世紀、二世紀頃の出雲では漢鏡は出土しない。

④瀬戸内海交易
古墳時代には全ての鏡が瀬戸内海に出土する。これは四世紀後半から瀬戸内海で鉄の交易が始まった時期と一致している。

四・一二 三角縁神獣鏡の謎は、謎ではない
著者は、三角縁神獣鏡は九州に渡った原盤がヤマトで大量に複製されたとする。

四・一三 鉄から見た卑弥呼の国―倭国と大和は別の国
奈良にある大和古墳群は、卑弥呼の時代には鉄の交易路から外れていたとする。四世紀初頭に作られた桜井茶臼山古墳には宗像神社があり、この時に九州からの鉄の路が繋がったとする。

第五章 「倭の五王」時代の鉄取引
五・一 舎人親王のたくらみ
神功皇后を舎人親王が創造した理由は、応神天皇がヤマト出身という物語を作るためとする。

五・二 「倭の五王」時代の倭国の範囲と国の性格
倭の五王は、413年~478年に歴代中国王朝に9回朝貢している。この時代の倭は、鉄交易によって結ばれた都市連合で、北は新潟や信州、日本海側は丹後や出雲、南は九州・南西諸島の範囲と予想。中央集権的王権は無かったとする。

五・三 敦賀王国を作った応神天皇
「日本書紀」は敦賀の王であった応神天皇を都怒我阿羅斯等という架空の人物にすり替えたとする。

敦賀には、一世紀頃の方形周溝墓の民族が渡来(吉河遺跡)し、敦賀市東部の山裾に七世紀まで古墳が作られ続ける。高句麗系の貼石の方墳とは違い、朝鮮半島南部の円墳に近い。

著者は、応神天皇を祀る神社が能登や敦賀、舞鶴、美浜にある事から、応神天皇を朝鮮半島南部から渡来した豪族と推測する。氣比神宮を拠点とする交易圏が、それまでの船を細かく繋いだ輸送法から、風と潮を利用した輸送法への変化に伴い出現したとする。

五・四 副葬品の武具から読み解く五世紀の国情
応神天皇即位は390年とされており、この頃から波除板を設けた準構造船が出現したとする。五世紀後半から六世紀の古墳から馬具や甲冑等が出現する例がある(宮崎県 島内横穴墓群等)。著者は、当時の日本に鉄製武具を作る能力が無いとして、九州、山陰、北陸、関東の豪族が朝鮮半島からの戦利品として持ち帰ったと推測している(他に兵を集めた見返り等)。

五・五 鏡と古墳から読み解く瀬戸内海の「鉄の路」
瀬戸内海航路開通を、463年の吉備の乱の記述(新羅と結託したという記述)や、瀬戸内海古墳等の鉄の遺構等から、雄略天皇の時代と考える。高句麗になびく都市が日本海沿岸に現れ、瀬戸内海航路を開発する必要性。

瀬戸内海で交易が行われるようになった時を四世紀中頃とすると、沖ノ島神事が始まったのは四世紀後半であり符牒が合うとする。

愛媛県今治市大三島(瀬戸内海最大の難所とあれる芸予諸島の中央に位置する)に鉄器を副葬品とする古墳が出土し始めるのも四世紀後半とする。

五・六 時代によって変わる鉄取引
    ―玉石、サービス、奴婢、鏡そして傭兵
倭国における紀元前後の輸出品は主に奴隷であったが、三世紀末には鏡と交換するようになったとする。

第六章 高句麗と倭国・大和の戦い―負けるが勝ち
六・一 倭国が朝鮮半島で戦った理由―「鉄の路」の維持
高句麗はツングース系騎馬民族が作った民族で、騎馬戦力を保有したとする。

著者は、高句麗が倭が維持している百済、新羅内の交易網への攻撃として、391年~480年に、倭と高句麗の戦いが起こったとする。「越境の古代史」(田中史生著)では、四世紀後半以降の倭は、朝鮮半島諸国から物の贈与を受ける代わりに軍事的支援を行ったとする。

六・二 強かった高句麗―騎馬民族の強さの秘密
平壌の安岳三号墳は、357年に死んだ高句麗の王侯貴族の墓であり、壁画から当時の高句麗の様子を知る事が出来る。鎧馬による武装。

広開土王碑には、391年に倭が高句麗に攻めたので倭を破ったとあるが、日本書紀では「百済が非礼をした」とした書かれていない。

六・三 倭が負け続けたわけ―馬、狼煙と海路の制約
朝鮮半島における高句麗の狼煙ネットワーク等。

日本海からは秋から春先まで補給を行う事が出来ず、船で交易路で動かすには海岸線に沿って20㎞毎に港が一つ要る。

六・四 古代高句麗ブームの到来
四世紀末に高句麗と戦った倭に、高句麗文化が流入したと推測。埼玉古墳群に属する稲荷山古墳からは高句麗特有の蛇行状鉄器を装着した馬形の埴輪が出土しており、酒巻古墳群の14号墳からは高句麗文化の影響を受けた人物埴輪が出土している(「みすら」の髪型をした男の埴輪)。

六・五 伽耶、百済救済のための瀬戸内海航路
高句麗に敗北した後、倭は半島東側の交易拠点を失ったとする。代わりに、高句麗や新羅の勢力が伸長し、敦賀の応神天皇や関東の毛国が受容したとする。日本海沿岸は新羅と倭国が共同で港を経営するようになり、蘇我氏台頭に繋がる。

倭国と百済は高句麗に対抗するため、大和と九州を結ぶ瀬戸内海航路を作るようになる。当時は新羅の王子来航から400年経過しており、吉備や淡路、河内湖を結ぶ経済圏があったが、西瀬戸内海は通れなかった。

日本海を通れなくなった百済が、瀬戸内海を使用するようになったとする。

六・六 水鳥の紋章の謎
水鳥を倭国水軍の紋章とする。応神天皇陵からは、水鳥が出土し、水鳥は伽耶のある部族の紋章であるらしい。

六・七 大和に鉄鋌と馬が運ばれたわけ
五世紀頃の高句麗との戦いを通じて、鉄や馬が交易されたと考える。

百済から大阪平野に馬が移送され、毛国勢力範囲だった信州や群馬にも遊牧民由来の牧が作られたとする。鉄製品製作も盛んになり、柏原市大県遺跡群が五世紀から六世紀に発展した。

六・八 謎の国・伽耶がつくった西大阪の工業団地
562年に伽耶が滅亡してから、伽耶人が少しずつ瀬戸内海を経由して日本に移住したとする。伽耶国の紋章は水鳥であるが、応神天皇の古墳からも水鳥の埴輪が出る。
工人の多くが大阪平野に移住したため、却って工業力が高まったとする。

六・九 鉄鋼王・継体天皇がつくったヤマト王国の骨格
527年の磐井の乱で、継体天皇は大和朝廷として初めて水軍を瀬戸内海に通した。

また、中国山地の砂鉄を利用する鍛冶技術が確立し、朝鮮半島と交易する利点が無くなる。白村江における大和の主力は、大和や信濃、静岡、東北のようであるが、兵站の不利から朝鮮半島での戦いは不利である。

これらが後の大和朝廷の骨格を形成した?

第七章 解けた前方後円墳の謎―古墳は鉄の公設市場
七・一 『日本書紀』にもない不思議な王墓
記紀には、王権・王墓の話が無い。「○○の陵をつくった、葬った」という程度の記述。

七・二 四角と円の結合を求めた日本型公設市場
三世紀中頃から七世紀まで、5200基の前方後円墳が全国で作られたが、長さ200m以上のものは35基、その内32基が奈良、大阪、兵庫、残りは岡山に2基、群馬に1基である。それらは全て水路の近くにある。

それらは経済的原理が働き、畿内から流行として伝播したと思われる。単なる陵墓でなく、人や舟が集まる市場。

朝鮮半島南部の円墳と、遊牧民の角墳が融和して前方後円墳になったという意見。

七・三 遊牧民の塚の役目は終わった
    ―そして、四角も円もなくなった
三世紀まで造られていた小さい墳墓が作られなくなってから、しばらく時間を置いて前方後円墳時代が到来する。公設市場としての塚の集約化?

七・四 丹後からヤマトへの「鉄の路」
近畿の四世紀頃の鉄器は、奈良県桜井市のメスリ山古墳、大阪府茨木市の紫金山古墳、京都府南丹市の園部垣内古墳、大阪府藤井寺市の津堂城古墳等の副葬品は、ほとんどが武器であるが漂着難民が持ち込んだ物と推測する。

佐紀古墳群は、大和川の源流佐保川と、淀川の上流木津川の分水嶺に位置し、二つの川を掌握する舟運の拠点である(奈良の都が出来た場所)。丹後からの鉄の供給ルートとなり、鏡を輸出した可能性(木津川市山城町椿井大塚山古墳から三角縁神獣鏡が32面出土している)。

当時の奈良は水運が発達しており、「日本書紀」の崇神天皇の条にある「官軍が進んだ時に、この地で草を踏み均した」という均した(ならした)が奈良の語源という説があるが、舟を通すために樹木を伐採し、舟通しを作ったと考える。阿倍比羅夫による658年、659年の遠征は、石神神宮から舟通しを通って敦賀を経由して北上した?

七・五 大和の五大古墳群は地の利を得た巨大公設市場
以下の特徴。

①大和古墳群
天理・桜井にある最初の古墳群。当時の奈良盆地は大湿原で、この地は湿原の端に位置し、大和川と山側の交易路の中継場所であったらしい。鉄を交易していた痕跡が無く、吉備からの円筒埴輪の対価が研究課題とする。

②馬見古墳群
大和側の支流が本流に集まる狭隘部を睥睨する拠点にある。大量の鏡が出土する。

③古市古墳群、百舌鳥古墳群
一部を除き、高句麗との戦争後に造られる。瀬戸内海航路が開通し、交易規模が大きくなる。古市古墳には大溝があるが、外洋船から大和側を上る小舟に乗り換えるために、船を寄せる機能を持った水路だった?

七・六 前方後円墳はなぜ普及したか?
    ―交易の実利を得た公設市場
全国的に前方後円墳が普及する。宗教宗派祖霊を同化させる共通規範を持ち、公設市場、接待や宿泊の場としても機能した。古墳には需給バランスが働き、ある地域で古墳数が一定量になると、埋葬者が出ても群集墳になるケースが出てくる。

七・七 前方後円墳はなぜ巨大化したか?
伽耶や百済の軍備のために、大和の古墳に鉄の多量副葬(備蓄)が拡がったとする。戦時需要のために、公設市場の古墳が河内平野に下りて、大きな古市古墳群と百舌鳥古墳群が出来る。

応神天皇陵の誉田御廟山古墳からは、金銅製製金具や鮮卑系の馬具等が大量に出土するが、瀬戸内海航路でなければ運べない量。

奈良盆地での水運から陸送への積み替えの需要が増加ししたため、五つの古墳群が兵要地誌上の拠点に百年以内に造られたとする。

七・八 前方後円墳はなぜ消えたか?
前方後円墳は六世紀末に、鉄の自給確立や、朝鮮半島での戦争が無くなったために需要が落ちて新しい古墳が造られなくなったとする。仏教伝来により、旅の形と埋葬も変化した。

八世紀には隋、唐の駅制、延喜式で道路が整備され、船の一部が馬の輸送になり、古墳ビジネスの必要性が薄れた。

七・九 古墳の環濠は港であり防御柵であった
古墳の環濠は安全のための機能。古代地中海都市のガレー船の港でも、柵は無いが城壁と港の水路が防御と輸送機能のバランスを持って建設されている。

七・一〇 埴輪の役割
埴輪は岡山県を中心とする吉備地方(岡山県から広島県にかけて)で発生したという。最初は円筒埴輪で、著者はパーティションとして、円筒埴輪を動かせる壁として使用したと考える。

第八章 「現場の常識」で歴史を見直そう
八・一 文献学と現場主義の対立
著者は、現場のカンから、古代の船は対馬の西側を通ったとする。17世紀の朝鮮通信使の航路は東側である(帆船時代)。出発点は和多都美神社とする。

四隻後半から馬や甲冑の運搬が発生して帆船時代になり、五世紀半ばからヤマト政権が交易船を通せるようになる。

八・二 言葉のトリックに騙されるな
「通る」という言葉の概念の幅について。

軍隊や大規規模な交易を行うような「通る」を可能にする瀬戸内海航路。

八・三 「ヤマト政権ありき」に疑問を感じるべき
日本海側と朝鮮半島西海岸に点在する都市の倭国の存在。

八・四 能登半島にも、船を陸で曳く道があった
ハンザ同盟では、12世紀の北欧に君臨した赤髭王バルバロッサに資金提出させ、ユトランド半島を超えるために、エルベ川からバルト海に94㎞のシュテクニッツ運河を造っている。

著者は能登半島においても応神天皇が運河を造っていると推測する。

八・五 歴史的水路を顕彰するヨーロッパ、目をつぶる日本
水路輸送の接点に公設市場が出来る理論を日本史に応用すべきとする。

継体天皇は畿内の水路を整備し、淀川水系の樟葉、筒城、弟国と都を移し、20年後に大和に入ったとする。武烈天皇が数年毎に三度の遷都を行ったのも水路や道路整備と関係すると考える。

八・六 葬られた倭国の卜骨祭祀と騎馬民族の四神崇拝
海洋民族倭国の祭祀は航海安全の卜骨祈祷であり、丹後・出雲は遊牧民族の流れを汲む四神崇拝に近い世界と考える。

八・七 祭祀場に化けた倭国時代の港の船宿と望楼
弥生時代や縄文時代の神殿や祭祀用設備は、望楼であるとする。

一世紀や二世紀の日本は巨木が簡単に入手可能で、室町時代までは鋸が無かったので板壁を作る事が難しかったため、柱は丸太のまま使用された。柱の太さに驚くが、中世の大規模建造物ではない。

八・八 古墳の台所・トイレまで水の祭祀―「何でも祭祀」
古墳は最初は祖霊儀典の場であったが、やがてビジネス集会場になったとする。三重県松阪市 宝塚古墳では水を流す施設、水槽のような施設があるが、もてなしの宴会を行う場だったかもしれない。

八・九 「邪馬壹国論争」―もう神学論争はやめよう
卑弥呼を西日本の海洋都市国家共通の利益である鉄の安全輸送に貢献した巫女と考える。渡海すべき対馬海峡付近の日本海にいたとする。そこで卑弥呼の倭国は九州から日本海であったとする。

当時は「国家」が無く、陳寿が間違えて卑弥呼を女王と呼称したとする。当時は山陰道も瀬戸内海も通れないので、近畿に邪馬壹国が存在した筈が無いと推測。さらに大和古墳群(邪馬壹国近畿説の有力な証拠とされる箸墓古墳がある)に鉄が届いていない。

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病人見舞い

親族が急病になり大変だ。

自分も年をとったし、周囲の人間も老いている。

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色々と削られた

何だか疲れている。

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ゾンビのように

今日は一日中、自動的に行動している気分だった。

毎日の行動がルーティン化されているので、定められた時間に定められた事をしていれば時間が過ぎている。

以下は、「やる夫はいつもの朝を迎えるようです 」へのリンク。

http://mukankei151.com/wp/archives/31691

全ての人間は何者かに見張られている事を意識しており、違えないように注意している。集団から排斥されないために。

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戦争と飢餓

読んだ本の感想。

リジー・コリンガム著。2012年12月20日 初版印刷。



戦争の中心的要因としての食糧の役割は大きい。

第二次世界大戦において2000万人以上が飢餓で亡くなった。これは軍人の戦死者数1950万人に匹敵する。1930年代に先進各国が直面した、増加する都市人口を養う食糧の問題は、21世紀初頭では発展途上国にて発生している。

第二次世界大戦は食料政策に大きな影響を及ぼし、合理化と技術革新で農業部門を強化した米国が、戦後の食糧分野で支配的な地位を占めるようになったとする。

第1部 食糧―戦争の原動力
日独双方とも、社会秩序を壊す事無く、不平等を改善するために、農地確保(領土拡張)を選択した。

<ドイツ>
19世紀終盤以降のグローバル化によってドイツは、世界市場の一部になるか、既存秩序を維持するかの選択を迫られる事になった。

18世紀の欧州では食物の3/4は植物由来だったが、交通機関の発達によって食糧輸送費が下がると、特に1870年代以降は肉の摂取量が増加し、一人当たり年間16kgの消費量が、1914年には年間50kgまで増加した。

ドイツは、ビルマルクが設けた保護関税によって、エルベ川東部の農地を保護していたが、1890年代から関税障壁を撤廃した(1902年には保護関税を再導入)。

1914年にドイツは世界最大の小麦不足地域となっていたが、農業保護政策によって都市部への人口移動が遅れ、人為的に食料価格が高い事への抗議行動が勃発していた。

第一次世界大戦後のナチスの政策も食糧確保に重点を置いており、ヒトラーの著書『第二の書』では、米国西部に匹敵する領土を確保すべきとしている。しかし、1940年末までにドイツが支配した地域は、農業部門が戦争に備えておらず、海上封鎖の影響が大きかった。そのため、ドイツの対ソ戦は食料確保という側面がある。ソヴィエト連邦で使用されていたウクライナの穀物をドイツが確保する目論見。

<日本>
日本でもドイツと同様に、増加する都市部の工場労働者に供給する食料の問題を抱えていた。

第一次世界大戦後に肉の消費量が増加し、1919年から1937年に倍増した(一人当たりの年間消費量2kg、ただし魚介類は除く)。さらに、米の消費量が増加した。1914年には1890年と比較して一人当たり25%ほど米消費量が増加し、1929年時点では都市住民の消費する米の量は農村住民と比較して25%多かった。

第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけて人口が30%増加した事もあり、食糧確保のために植民地が利用された。ドイツと同様に、保護と規制緩和の対立があり、産米増殖計画により1915年に5%だった米の輸入割合は1935年には20%まで上昇したが、米の価格低下によって国内農家は打撃を受けた。

1937年に農林省が「二十カ年百万戸移民送出計画」を立ち上げる。農林省の理想とする農地の広さは一戸当たり一町六反(約1.6ヘクタール)だったが、国内に農民が多過ぎるため、農業人口の31%は土地を割り当てる事が出来ない。そこで、ドイツと同様に植民地(満州)を開拓する事を目指すもの(百万戸は1936年当時の農業人口の1/5)。

⇒地主階級を棄損せずに、小作農を中産階級に引き上げる事を目指す

第2部 食糧をめぐる戦い
戦争は食料需要を増加させる。

若い男性は、一日に約3000㎉を必要とするが、訓練中の兵士は3429㎉、低温化で激しい任務に就く場合は4238㎉、猛暑下での戦闘には4738㎉を要する。肉体労働を担う後方支援要員も同様。

自由市場は戦時中は放棄され、国家が資源を管理する力が強まる。国内の食料を配分する配給制度が確立される。

<米国>
1930年代に農業の機械化が発生し、第二次世界大戦は食料品を売る場を提供した。農業労働者の需要が増し、1943年には350万人の農民が徴兵を免れたとする。人手不足が一層の機械化を促進し、1941年~1945年で農家が利用する機械数は二倍になった。

戦後も農業生産性は1980年代後半まで高まり、1940年代に一農家で約10人を養っていたが、1980年代後半には約90人ほどになった。

⇒第二次戦争終結時に農業が繫栄していた事が、米国優位の原動力となる

<英国>
農務省主導の農業再編が発生し、パン用小麦の国内生産を増やすと同時に、肉や乳製品などの高エネルギーの凝縮食品を優先して輸入した。
1930年代の英国が唯一自給出来る食料は牛乳だったが、小麦やじゃが芋への転換が進む。牧畜用草地4ヘクタールは12人を養うが、同じ面積の小麦畑は200人、じゃが芋畑は400人を養う。

牧草地を耕すためにトラクターの利用が促進され、1939年~1946年でトラクター数が4倍に増えた。

⇒英国は米国や英連邦の国々との貿易を維持していたので、国内消費カロリーの56%を輸入に頼りつつも、戦時体制を継続出来た

◎植民地への影響
一方で、英国の植民地への搾取的性質は強まった。連合国軍が駐留し、比較的報酬の高い仕事が生み出された事から、貧しかった経済に現金が流れ込み、消費財需要が高まってインフレが発生した。

英国国民は価格統制や配給制度によって戦時インフレから守られていたが、植民地管理下の人々は守られていなかった。例外は中東で、中東補給センター(MESC)が地域内の通商と農業を再編したとする。中央組織が食糧や必需原材料を一括管理し、必要な場所に再配分。

<ドイツ>
米英とは異なり、人手不足が機械化によって解消される事は無かった。ポーランド侵攻の前から農民が都市に流出していたが、宣戦布告後、150万人が農村から軍隊に招集された。

空襲などにより、製造業の能力が低下し、19944年には農業設備製造が40%低下した。人手に頼る部分が多くなり、1941年秋には、ポーランド人等の強制労働者約250万人が、国内食糧栽培の20%程度を担ったとする。

⇒ドイツは東欧を食料供給源と計画していたが、実際には西欧の方が食糧生産効率が高かった。デンマークとフランスが戦時中のドイツに供給した食肉約152万トンは、ソヴィエト連邦が送り出した約73万トンより多い

ドイツの、ウクライナをドイツの穀倉地帯と見做し、西欧の占領国を短期の食糧源とした戦略が敗北の原因かもしれない。

<日本>
戦前の英国が重量比で食料の半分を輸入していたのに対し、日本は二割程度だった。しかし、貿易体制を維持出来なかったために飢餓が発生した。

英国では穀物輸入減少を補うために、畜産の一部を耕作に切り替えたが、日本は以前から耕作中心であり転換余地が小さかった。

一方で、国内に駐留する兵士数は1941年の100万人(米消費量:年間16万1000トン)から1945年の350万人(米消費量:年間74万4000トン)に増加した。兵士だけで国産米の半分を消費したとする。

****************

米国、西欧、日本では第二次世界大戦によって小作農社会が崩壊した。戦時動員で都会へ出た農村人口の大半は、戦後も農村に戻らずに工場労働者となり、戦後の経済復興を支える労働力となった。

日本とドイツは、生存圏を拡張する事で無く、市場経済に基づいた国際貿易に組み込まれる事により、食料不足を解消する道を選択する事となる。

第3部 食糧の政治学
戦争は栄養学の進歩とも関わっている。19世紀後半に食物が蛋白質、炭水化物、脂肪から出来ているという理解が成り立ち、1930年代後半には人間が必要とするカロリーの量と種類は年齢、性別、活動水準によって異なる事が判明した。

<日本>
栄養学を軍事に応用する試みがあり、1921年に兵食研究調査委員会が設置され、1920年代に兵士に年間13kgの牛肉が与えられた(当時の民間人の消費量は年間1kg)。

経理局衣糧課 丸本彰造の指揮下で、カレー、シチュー、唐揚げ、中華麺等が提供されたとする。日本食は地方毎に味の違いがあり、標準化された味を導入するには外国食が便利だった。

⇒戦争による供給減少により、兵隊食は質素になった

<ソヴィエト連邦>
第二次世界大戦によって亡くなった死者は全人口の15%、約3000万人とされるが、軍人は900万人程度とする。1942年~1943年にソヴィエト民間人が一日に摂取したエネルギーの平均は2555㎉とされ、英国やドイツより500㎉は少なかったとする。それまでの共産主義の失敗により、国民の多くが窮乏に慣れていた事が士気低下を妨げたと推測。

<米国>
第二次世界大戦において農業景気に沸いた唯一の国。軍需産業に成長によって賃金が増加し、戦前よりも労働者階級の肉消費量は17%増加した(富裕層は4%減少)。
他国よりも配給制度に慎重だった事から、栄養学者の影響力が限られたとする。それでもビタミンの必要性等は周知されたらしい。

多様な人種の国民を満足させるため、均質的な軍隊食が導入されるようになる。豊かな戦後世界が宣伝された事により、消費する権利のために戦う意識が生じる?

◉配給政策(英国とドイツ)
英国は配給は国民に平等に犠牲を払わせる制度としたが、食糧事情の厳しいドイツは効果的な分配を重視した。

ドイツでは、重労働を行う者に3600㎉、通常の消費者に2400㎉を配給した。英国では栄養学を導入せずに同一の分配を保証した。

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英国では、戦争によって上流、中流の食生活水準が低下したのに対し、労働者階級の水準は上がった。失業が減って賃金は上昇し、価格が統制されたため、肉や卵が入手し易くなった。

さらに栄養学の普及はビタミンやカルシウムの摂取量増大を齎した。

第4部 戦争の余波
第二次世界大戦後の世界は、1939年と比較して食糧総量が12%落ち込んだ。

その中で、唯一健全な経済を保った米国の地位が向上した。世界人口の1/3(8億人)が飢える中で、他国に食糧を供給し、米国製品が流通する国際市場が形成される。

余剰食糧を送られた第三世界は、1960年代の緑の革命を経過しても、先進国の保護主義政策により、農業生産物の輸出立国となれていない。

戦時中の日本と米国では、軍隊食が郷土食を避けて均質になるよう配慮されたが、この傾向が世界的に拡大される事になる(米食が日本食の中心食材となったのは、1930年代の大量徴兵により、米食に慣れた日本人が増大したため)。

世界各地に米国の料理が普及し、コカ・コーラやスパムが知られるようになる。米国の食習慣が世界中に広まる。

栄養学の普及も顕著であり、食料は身体に影響を及ぼす栄養素の総和と再定義された。それは加工された食品を過大評価する事にも繋がり、硬化油とコーンスターチの集塊を、低脂肪というだけで健康食としてしまう事に繋がる。

加工食品に依存した現代の食生活は過大な肥満の原因となり、肉や乳製品の需要増大は食料資源圧迫の原因となる。

混乱期においては自由市場は頼りにならず、国家による統制経済と配給制が施行される事になるが、これから食糧危機が発生した場合、社会の結束を守る圧力が各国政府にかかるかもしれない。

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