ハプスブルクとオスマン帝国

読んだ本の感想。

河野淳著。2010年5月6日第一刷発行。



オスマン帝国の脅威に直面した16世紀の中東欧にて、従来と異なる政治システムが採用された事について。

オスマン帝国の脅威に対して諸侯の協力を取り付けるため、情報に裏付けされた解決策を提示する手法。そのためには情報を収拾・解析する思想が必要。キリスト教世界の一地方に過ぎない中東欧においては聖性を正当性の根拠とは出来ない。情報開示による正当性の裏付けが探求される事になる。

思弁政治から実証主義政治への移行。

思弁政治:
宗教等の不可視の価値体系によって主張の正当性とする(宗教的に善であるか悪であるか)。都市国家を除き、全体を一覧出来ない中世王国においては、現実的?

実証主義政治:
現実を材料に主張の正当性とする(損得を数値で示し、論理的に立証する)。広範な地域を一覧するための思想が必要となる。

<実証主義政治の前提条件>
16世紀のハプスブルク帝国において採用された実証主義政治は、以下の2つの思想的変化を必要とした。

①数量化革命
万物を数量化し、計算対象とする考え方。複式簿記等。

②十六世紀文化革命
経験を中心に据えた知的活動。文字の普及に伴い、経験から獲得した知識を文字にして発表し、それを用いた人々が知識を改良する事で経験に基づいた知の体系が出来上がる。

⇒秩序立った正確な情報処理を重視する傾向。

⇒数値や文字によって、広範な地域を一覧可能にする。

それまでの中世社会においては、思弁政治が一般的。宗教は実験や観測の上位にあった。

アナロジー(類推)という手法による国家理解。類推は、「AとBが似ている」という事から、実質的な結び付きを想定する。中世においては人体と国家を比較し、頭に対する四肢の服従という思想があった。

アナロジーによる国家理解は、キリスト教会を人体に比する事によって理解した伝統を継承したもので、教会と王権が争う叙任権闘争(11世紀~12世紀)において、宗教に頼らない世俗国家の存在意義を新たに模索する事になる。

キリスト教世界においては、地上の国は一時的な必要悪とされたが、アリストテレスの思想が導入され、集団で生きる人間の社会を形成する国家を必要不可欠とした。

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ハプスブルク家がオスマン防衛に関与し始めたのは、1522年からである。この年にオーストリア公フェルディナントがクロアチアに対オスマン防衛の兵を送っている。本格的な対オスマン防衛は、1527年にフェルディナントがハンガリー・クロアチア王位を得てからである。

<宮廷軍事局>
1556年に、フェルディナントは、対オスマン防衛機構を掌握するために、宮廷軍事局を設立した。それまでの戦争や外交活動は個人的であり、事柄の記録や文書の保管が組織的に行われていなかった。専門の顧問官が、報告書や書簡を記録し、整理する事で一貫した政策を取る必要性。

⇒情報を蓄積する事で、「事実に語らせる」という、近代政治における武器を手に入れる。

<クロアチア>
対オスマン防衛の拠点としてのクロアチアの重要性。

以下は、Wikipediaの「クロアチア」の記事へのリンク。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%A2%E3%83%81%E3%82%A2

16世紀中頃のクロアチアは、同君連合の形でハンガリー王国の一部となっており、対オスマン防衛のために常時動員可能な兵力を1万3000人程度備えていた。
軍事費用は、年間50万グルデン~60万グルデン必要だったが、クロアチアにおける税収入は年間2万7000グルデンであり、ハプスブルクからの援助を必要とした。

ハプスブルクは、防衛費用低減や人員確保のため、軍事植民制をクロアチアに導入。1530年代から、避難民を国境付近に入植させるようになる。無償での軍役の代わりに、世襲財産としての土地を与える(ギリシャ正教も容認)。

⇒17世紀のクロアチアにおいては、クロアチア諸侯とハプスブルク家の論争が見られた。軍事植民地の支配権を巡る争い。それは思弁政治と実証主義政治の争いでもあった。王国 = 身体論によって、クロアチア内の軍事植民地もクロアチア諸侯の支配に服すべきであるとする主張と、現実的にオスマン帝国の脅威を指摘する主張。両者は交わらない。

<オスマン帝国の蹉跌>
14世紀からビザンツ世界を取り込み始めたオスマン帝国は、16世紀に至るまで地中海世界を中心とする経済システムを支配した(奢侈品を中心とする現状維持的な遠隔地商業)。16世紀末頃から、北西欧州において、生活必需品にまで食い込んだ拡大志向の経済活動が盛んになっていた。
オスマン帝国の軍事活動によって、中東欧が旧経済の支配下に置かれた場合、北欧州の経済システムが順調に育つ事は無かったと思われ、ハプスブルクが結集した軍事力によってオスマン帝国の拡大を防いだ事が、資本主義的経済システムの拡大を約束したと言える。

⇒17世紀のオスマン帝国は、欧州に対する原料供給地、製品市場となり、低収益部門を担う形で欧州経済に取り込まれた。

⇒オスマン帝国は、中東欧の支配に失敗し、また、経済思想の変化にも対応出来ず、産業保護や輸出の奨励を行わなかった。

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規制を求める心

Wedge September 2015 P38~P45 『遅すぎる再稼働 原発規制は的外れ』からコピペ。

福島原発事故の反省から、2012年9月に原子力規制委員会が発足した。政治の介入を受けない「独立行政委員会」として、約180の法、政令、省令、規制の改正を行う。これらを「新規制基準」と呼び、従来には無かった重大事故や天災への対応が整備された。

新基準に基づく原子力発電所の審査は遅れており、原子力規制委員会の田中俊一委員長は、「」審査は原子炉一基、半年で終わる」と当初は述べたが、2年が経過しても終了したのが一基のみである。

再稼働遅延の影響で、電力各社の経営が悪化し、電力料金は20%~30%上昇。火力発電の燃料代は、2014年度で4兆円かかったと推計される。電力会社10社の新基準への対応費用は推計で2兆5000億円程度である。

<原子力規制委員会の姿勢への疑問>
許認可権を持つ原子力規制委員会が、意志疎通を拒否して一方的に意見を押し付ける場面がある。「事業者と私達は対等ではない。こちらの決定を受け止めるべきだ」

官僚機構の宿痾とされる書類好きの形式主義があり、事業者が原子力規制委員会に提出する書類は、正式なもので8万ページ~10万ページになり、扱う書類はその数倍になる。書式の間違いや誤字脱字を役人がチェックし、書き直しを求める。

原子力規制委員会が電力会社に具体的な指示をしない事が頻繁に多い。意見を明確に示さずに、電力会社側に過剰対策をさせる。上司の意見に過剰に反応し、責任を電力会社に押し付ける責任逃れ。

⇒行政訴訟時に責任逃れをする発想

電力会社側の問題としては、原子力規制委員会に実情を理解して貰う取り組みをしていない。米国では電力会社が業界団体を作っており、情報共有や当局との交渉、国民への情報公開を行っている。

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過剰設備、リスクゼロを求める弊害についても意見がある。新規制基準により監視が必要な設備が増加した結果、監視の緩くなる危機が発生する可能性や、想定外への対応遅れ等。

日本の原子力規制委員会は、リスクの大小に関わらず、全ての事象に対して個別に最大限の規制を発想を選択している。米国等に導入されている「確率論的安全評価」(PSA)は取り入れられていない。

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福島原発事故における以下の教訓。

①ベントさえ開けば、水の除染効果で避難の必要は無い
東京電力が発表した、敷地内の正門付近における2012年3月14日深夜を境に100倍上昇している。2号機の格納容器から、溶融炉心の放射能が、ベント失敗により直接空気中に放射された時刻である。

ベントを行うと、格納容器のサブレッションチェンバに溜めた水を潜らせた上で放射能が放出される。水を潜らせる事による事による除染効果は大きい。

2号機のベントが失敗した原因は、2つある弁の1つを開く事が出来ず、ラプチャーディスクを破れなかったからである。安全対策の過剰による逆効果。

⇒2号機のベントが成功していれば、年間1500msvから年間1.5msvまで放射線量が低下し、非難の必要が無くなる(国際放射線防護委員会が勧告する避難船料は年間20~100msv)。

②長時間の全電源喪失となっても、炉心減圧や注水を
 適切に行えば炉心溶融を回避可能
炉心溶融は、燃料を覆う被覆管のジルコニウムと水が化学反応して発生する大量の熱によって起きる。炉心温度が高い状態で水を入れると炉心溶融を招いてしまう。水は冷却に不可欠であるため、炉心の高温状態を無くせば良い。圧力容器の弁を強制的に開いて、格納容器の蒸気を逃がす減圧操作。
福島での事故においては、2、3号機は減圧で燃料棒を冷やしたものの、注水実行まで2時間ほど中断があったため、燃料棒の温度が再上昇してしまった。

③既存の安全設備は良く働いた
既存設備にある安全設備の多くは、殿堂が多い。電源無しで使える安全設備は、崩壊熱で生じる蒸気を利用して動くポンプである。2号機に備えられた原子炉隔離時冷却ポンプが3日間も動き続けた事を特筆すべきとしている。これらの設備が動いている間に外部電源を復旧出来れば、安定冷却に持ち込む事が出来る。

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規制の問題点を指摘するだけでなく、代替案を用意するべきだと思う。

安全設備や書類を過剰に増やす事による弊害は誰にでも分かる事で、現場運転員の危機対応能力向上や電力会社が能動的に安全向上に取り組むよう動機付ける事の重要性も誰にでも分かる。

それらをどのように正当化するかの問題だと思っている。

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誰が円を売っているのか?

ユーロが値下がりしている。1ユーロ = 1.6ドルくらいだったのが、1ユーロ = 1.2ドルを下回るくらい。

ユーロ売り関連のポジジョンだけなら1000万円くらいの利が出ているけれど、その他のポジジョンで損が出ているので、収支は均衡している。円売り圧力が相当に高い。

何となくだけれど、既存の方法論ではなく、別の考え方が必要だと思っている。仮想通貨への投機手段も増えているので、こちらへの資金をもっと投入すべき。

会社員なのに、こんな事を考えてしまうのはどうなんだろう?

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以下は、雑誌やインターネットの記事からのコピペ。

円売りの圧力が根強い。貿易収支の赤字幅縮小等、円高要因は存在するが、年金資金等の機関投資家が対外証券投資を増やしている。

2015年上半期でみると、米国シカゴ・マーカンスタイル取引所の「IMM通貨先物取引」の状況は円売りポジジョンを巻き戻して、円を買い戻す動きが見られ、2015年4月下旬には、円売りポジジョンが中立まで調整された。しかし、そうした投機筋の円先安観が後退する一方でも円売りが優勢であり、安いドルへの需要の高さが伺える。

<経常収支>
2015年1月~2015年4月では、円売り要因としての対外直接投資を穴埋めする形で対外証券投資が加速しており、円買い要因としては経常収支黒字が拡大している。

⇒日本の経常収支黒字は、2010年に19.4兆円(貿易収支は9.5兆円)を記録して以降急減し、2014年には2.6兆円(貿易収支は-10.4兆円)になっている。2015年1月~4月の経常黒字は5.6兆円(貿易収支は-0.5兆円)であり、前年同期と比較して6.3兆円の改善(貿易収支は4.5兆円の改善)。

⇒このままの状態が継続すると、2015年は15.1兆円の経常黒字(貿易黒字は0.4兆円)となる可能性。

<証券投資>
2014年8月以降、年金基金による外国株投資増加を主因として、月平均1.3兆円の円売りが発生していた。2015年5月には年金基金の外国株投資縮小により、月平均0.5兆円の円売りになっている。

日本以外の各国も利下げを行っており、金利差縮小によって外国債券投資は売り越しとなっている。特にユーロがキャリー・トレードの資本調達通貨として売られる傾向がある。

<日米の金融政策>

○日本の金融政策
2017年4月に予定されている消費増税を踏まえ、量的緩和が継続される可能性と、2016年7月の参議院選挙までは過度の通貨変動を抑制する思惑がある。

○米国の金融政策
2015年6月17日に公表された米連邦公開市場委員会の金利見通しは、2016年の1年間で合計1%の利上げが行われるとの見通しが中心であった。3ヶ月に一回、0.25%ずつの利上げと考えるべきであり、世界経済の強さが前提となる。2016年11月には大統領選挙もあり、その頃にはドル高容認が困難になる可能性も考慮すべき。

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米国の利上げに関する予測。

2015年8月29日に、米連邦準備理事会副議長や、米アトランタ連銀総裁から米国の利上げに関する発言が出ている?2015年9月に米国の利上げが行われるか否かは、これからの情報を解析する必要があるらしい。

過去に行われた利上げにおいては、米ドルは利上げ開始まで上昇するものの、利上げ後は下落する傾向がある。また、1970年以降、4年連続でドル・円相場が上昇した事は無いらしい。2014年末のドル・円相場は1ドル = 119円60銭程度。

以下は、過去の米国利上げ局面。

○1994年2月~1995年2月
米国において7回、3%の利上げが実施された。この時は、日本の貿易黒字に対する円高圧力が高まっており、1ドル = 80円割れまで円高が進む。

○1999年6月~2000年5月
米国において6回、1.75%の利上げが実施された。日本においては1999年2月にゼロ金利政策が導入され、日本の景気回復期待を背景に円高が進んだ。

○2004年6月~2006年6月
米国において17回、4.25%の利上げが実施された。この時は、米国の経常赤字拡大を是正するために、日本の金融当局が35兆円のドル買い・円売り介入を実施したものの円高が進行した。

⇒過去における米国の利上げは、世界的な金利上昇の契機と見なされ、金利差ではなく金利上昇余地が着目されるようになる。その結果、金利上昇余地の高い円やユーロが買われる。

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色々と読んでいると、「国家が管理する金利」によっては人間社会を統制不可能になっている可能性が浮上すると思う。

国家が企業を管理し、企業が国民生活を保障する生活スタイルへの疑問。

2015年1月~3月において、企業の経常利益総額が国民所得全体に占める割合は12.6%であった。これは2007年の同時期の11.8%を超える水準である。

2015年度の日本企業の想定為替レートの平均は、1ドル = 116円40銭程度であり、1円の円安によって営業利益が0.5%程度押し上げられるらしい。通貨価値を棄損する事は企業への援助である。

国家が金利を操作し、それによって通貨価値が低下し、企業は儲かっている。しかし、それが家計の実質所得には反映されていない。雇用や賃金の増加は遅行的であり、これから現れるという意見があるが、そうはならないのではないか?

多分、何か大きな変化が発生している。それは新聞や雑誌、テレビを見ていても分からないし、明確な兆候が見てとれる時には手遅れになっているのだと思う。

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物語の重要性

数値や実例を大量に集めても、それだけでは使用出来ない。

何らかの「物語」を作り出さなくては情報を活用出来ない。

以下は、ジェフ・ホーキンス著「考える脳 考えるコンピュータ」のP46~P47からのコピペ。

人類が絶滅した後、宇宙人が地球人の生活を調べにやってくる。彼らは道路に当惑する。何のために使用するものなのか?解明のために記録の収拾が開始される。材質・形・長さ・分布・標識・ETC。しかし、詳細な情報を集めても『意味』を見出せず、『理解』に至る事はない。
やがて、宇宙人の1人が叫ぶ。
「わかったぞ。この星の生物は、我々のように瞬間移動が出来なかったんだ。移動を補助するために地面を加工する必要があったんだ。」

⇒説明するためには、「移動補助設備」という概念、移動とは何かに関する説明、人類特有の欠落(瞬間移動不可)、etcを説明する必要がある。

⇒発達障害も同様で、説明するための「物語」を構築出来なければ、「空気が読めない病気」と適切でない理解をされてしまう。

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以下は、「ピラミッドやらなんやら」の記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-1951.html

巨大な建築物を「王族の墓所」として解釈するか、「水流調節用施設」として解釈するか。

以下は、「アスペルガー者?の会話について」の記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-972.html

「発達障害」を説明する物語の一例。

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今後、100年間で新しい物語(物語ですらない?)が発明されるのだと思う。

おそらく、インターネット上の情報や言語の蓄積が新しい思想を生み出す。

遥か古代において、「神」が発明された時の事を考えている。猿は「神」を信じないと思っている。猿人や原人はどうか?ネアンデルタール人や初期のクロマニヨン人はどうか?

人間が、自然や生死、運命を感じ取った時に、それらを説明する物語として「神」が作り出されたのだと思っている。

それらは、農耕や都市、階層、etcの新しい概念が誕生する度に形を変える事になる。

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古代の聖人達は実在しなかった?

孔子や孟子、ソクラテスやキリストの伝承は、様々な人々の創作や言動の集積であり、特定の時代における特定層の人々の思想を集めるために、古代の偉人達が作り出されたとする説がある。

同様に、インターネット上において各人が発信する情報の数々を集積する形で全く新しい知性が誕生すると予想する。

それは人間ではない何者かであり、人間の時代を終わらせるはず。

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鉄人の話

以下は、Wikipediaの「稲爪神社」の記事へのリンク。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E7%88%AA%E7%A5%9E%E7%A4%BE

兵庫県明石市の神社。推古天皇の時代(592年~628年)に、朝鮮半島(戎人?)より鉄人という人間が8000人を率いて日本に来襲した。討伐を命じられた愛媛県の越智益躬が故郷の大山祇神に祈ったところ、鉄人の弱点である足裏を射るべしとのお告げがあり、お告げ通りに鉄人を殺す事に成功する。

越智益躬は神に感謝し、大山祇神が現れた地に稲爪神社を建設したらしい。

⇒ギリシャ神話にあるアキレス腱を射ぬかれて殺された話と似ていると思う。

心理学的な枠組みから似たような物語が作り出されてしまったのか、西洋の神話が伝わったのかのどちらか?

物語の根拠は日本書紀ではなく、越智系図と予章記?明石市にも似たような伝承があるらしい(稲爪神社縁起)。

以下の2つの伝承。

①二中歴(九州王朝の年号を記録)
581年に、播磨に新羅人が来襲したという記録。

②兵庫県 蟹坂坂上寺の記録
雄略天皇の時代に、赤浦鉄人という人物が、天皇の勅命を受けた小野大樹に討たれている。

⇒越智系図や予章記の真偽が疑わしい事から上記①、②の記録を基にした創作と考える?

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創作であったとして、「弱点の足裏を射ぬく」という話はどこからやって来たのだろう?

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「弓」とかいう有能兵器

インターネット上の『「弓」とかいう有能兵器 』、etcの記事から適当にコピペ。

弓矢は、出土した石の鏃や、洞窟に残る壁画から紀元前1万年~紀元前8000年頃には発明されていたと思われる。

紀元前7万年頃に地球が最終氷期に突入すると、大型哺乳類が大量絶滅したため、それらを狩るための投槍よりも、中型小型の獲物を狩るための道具が必要になる。それが弓矢であったと推測。

以下は、弓矢の長所。

①持ち運びし易い
発射装置である弓は嵩張るが一つだけ携帯すれば良く、弾である矢はコンパクトなので大量に携帯可能。
②発射に要する動作が少ない
矢を発射するエネルギーは、引っ張られた弓が「元に戻ろうとする力」を利用しているので、身体動作は「右手で弦を引っ張る」→「右手を放す」だけ。全身運動が必須な投槍や投石と違い、忍び寄っての攻撃が可能。
③全方位に攻撃可能
人間の身体構造上、手で上方向に投げるのは難しい。しかし、弓矢は上空の獲物も狙う事が出来る。樹上の動物や鳥を狩りの対象に出来る。

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以下は、弓の種類。

①単弓(セルフボウ)
一つの材料のみで作る。石器時代の人々やアフリカの原住民が使用?

②長弓(ロングボウ)
矢の威力を上げるために、弓を長くした。長い弓の方が弦を多く引き絞る事が可能で、弦が矢を押す時間を長くする事が出来る。紀元前8,000年の時点で、既にに全長1.5m程度の長弓があったらしい。

③複合弓(コンポジットボウ)
堅くて丈夫な素材と、柔らかくしなる素材を組み合わせる。中央アジアの遊牧民が、少なくとも紀元前2,000年には実用化していたらしい。

<例>
トルコ弓:
木を土台として中心に据えて、外側に「動物の腱(弾力のある材料)」、内側に「動物の角や骨(堅い材料)」を貼り付け、膠で固める。弓を引き絞る時、弓の外側は「引っ張られ」、弓の内側は「圧縮」される。弓の外側にゴム、弓の内側にバネを設置しているようなもので、弓を引き絞るとゴムが伸び、バネが圧され、大量のエネルギーが蓄積される。

⇒矢の威力を保ったまま弓を小型化。機動性を阻害することなく短い状態で強い弓を実現。

④弩(クロスボウ)
弓を台座に横向きにくっつけ、台座には弦を引っ掛ける金具(引き金)がついていて、銃のように使用可能。中国では紀元前5世紀の時点で既に実用化されていた。
威力や操作性は高かったが、速射が苦手。1分に2~3発程度。通常の弓は、熟練兵なら1分に8~10発。3倍以上の差。

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遊牧民の戦闘力を支えた技能としての騎射。馬上でも扱いやすいコンパクトな複合弓が騎射の基本?

<パルティアン・ショット>
遊牧民族国家 パルティア王国(BC247年~BC226年)にちなんだ名称。

・敵と向かい合ったら逃げる。

・追いかけて来たら、逃げながら後ろ向きに一斉射撃。

・敵の陣形が崩れたら、騎馬で突撃。

・相手が怯んだところで一斉射撃。

・相手が追ってきたら、逃げながら後ろ向きに一斉射撃。

常に敵と一定の距離を保ち、徹底的に白兵戦を避ける。相手を一方的に攻撃出来る。遊牧民族以外が弓騎兵を育成しようとすると、莫大な手間と時間が必要になるため、難易度が高い。乾燥した地域の民族は弓騎兵を前提とした複合弓を、湿度が高く雨の多い地域の民族は歩兵を前提とした単弓を採用する傾向がある。

⇒動物性の素材は劣化の問題があるため、材料となる家畜を大量に飼育し続けなくてはならない事も影響?

湿度の高い日本では複合弓は普及しなかった。

和弓は、竹を3層に重ね、それぞれの層の「焼き入れ具合」や「素材の厚み」を調節して、強い反発力を得ている。藤蔓で巻いて漆で固めて湿気対策をする。さらに、弓下部の方が短いため、馬上で操作し易い。

⇒竹は日本では入手し易い。

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生きている

今日も体が上手く動かない。

毎日が非生産的なので、自分なりの目的を持ちたい。こうした事は、今までも考えていて、これからも考え続けるのだと思う。

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インターネット上に美術館を作る構想を知人に話したら、出来上がったら見せて欲しいと言われた。そんなに気力に満ちていないから、考えているだけなんだよな。

①美術品を撮影する
②インターネット上にアップロードする
③Webサイトの体裁を整える

色々と面倒だと思う。

歴史的な逸話を縦軸に品物を並べていくと、追加で500万円くらいを購入する必要があるのか?感覚で何となく購入してきたのでテーマが自分でも分からない。

単純に写真を添付するだけでなく、由来や歴史的意味まで書くとなると相当な学習が必要になる。本当にそんな事が出来るのか?

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思うように動けない

色々とやりたいけれど、体が思うように動かない。

世界的な株安の原因を中国経済の変調と見なす意見が多い。一定以上の経済成長を遂げた国家において、労働賃金上昇は不可欠。

中国においても労働費用増加を許容すべき時期で、従来の企業優遇は不可能になったと見るべき?

短期的に注目すべきは、2015年9月に予定されていた米国における利上げの可能性が減じた事。市場が米国における利上げ延伸を織り込むのならば、為替市場や商品市場におけるトレンドが出来上がる事になる。

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各種媒体で検討されているのは、国家による経済管理が不可能になった可能性。

その辺りを考える体力が自分には無い。たったこれだけの文章を書くだけで一苦労だ。

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株式を買いたくなってきた

本当は月末まで待って、少しずつ小分けするのが良いのだと思う。が、何だか興奮してしまう。世界的に株価大暴落。面白くなってきた。

以下は、何となく考えている事。

・ユーロの売りポジジョンの構築
・プラチナ関連の投資信託の購入

普段から勉強していないので、具体的な事を思いつけない。それでも面白い、面白い。

これは良い。

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哲理と実践の違い

発達障害を説明する困難について。

以下は、「易経について」の記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-1968.html

「易経」を、それまでの自然理解への反逆と考える。自然を精霊が支配する神秘的存在と考えるのでなく、理論や法則等の因果律の絡み合いと考える?

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発達障害の考え方も同様で、人間理解を大幅に変えるものと考える。

現状における人間理解の大半は、シミュレーション仮説を前提にしている。

他者の行動を認識し、「自分がこのように行動するのは、○○と考えている時である。だから、この人は○○と考えている」と他者を鏡として、自らを映す事によって人間行動を説明する。

発達障害は、人間を因果律の集合と見なす。

以下は、「なぜ伝わらないのか、どうしたら伝わるのか」の記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-1562.html

以下は、「発達のつまずきから読み解く支援アプローチ」の記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-1664.html

人間を法則や原理から読み解く事の危険性は意識すべきだと思う。しかし、そうした事は社会的に逆らえない義務を生み出していると思う。

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人間を法則や技術によって理解出来るという思想は、様々な所で議論を引き起こしていると思っている。

「ザ・ゲーム」(ニール・ストラウス著)と、それを参考にしたと思われる「ぼくは愛を証明しようと思う。」(藤沢数希著)が、インターネット上の人工知能関連の掲示板で話題になっていた。

ナンパ理論に関する物語。女性に好かれるための技術があるとする。着飾り、体を鍛え、話術を磨き、心理学を学ぶ。さらに実践で鍛える事によって女性から好かれるようになるという話なのかな?

人工知能関連の掲示板での論点は、形式を習得する事によって、他人に好かれるようになる事が出来るのなら、機械的知能に人間性を付与出来るというものだった。人間性が法則や原理の集合ならば、機械的に再現可能なはずである。

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「ザ・ゲーム」で示唆されている問題は、人工知能よりも発達障害者への教育に関して当て嵌まると思う。

単に形式を記憶しているだけならば、相手にパターンを見抜かれる可能性があるし、人間性が向上するわけではない。ほとんどの人間とは刹那的な関係しか結べないのなら、それに労力を注ぎ込む価値は無いのではないか?

例えば、「シャドウイング」という技術がある。他者の問い掛けに対して、適切に相槌を打つ技術である。「シャドウイング」を身に付ければ、相手に話を聞いていると思わせる事が出来る。しかし、それが形式でしかないのなら、以下のような問題が生じる。インターネット上の掲示板からのコピペを少し変えたもの。

【開始】
発達障害者に話しかけると、眉間に皺を寄せた神妙な表情で時折、頷きながら私を見つめていた。私の問いかけにも、黙って頷き続けるだけだった。私は思う事があり、話すのをふいに止めてみた。彼女はそれでも表情を変えず、一定の間隔で二、三度頷いた。それから、はっとしたように、頷くのをやめた。ああ、この子は、本当に誰の話も聞いて無かったんだな、と改めて思った。誰かに何か言われた時は、眉間に皺を寄せて神妙な顔で頷いていれば終わる、という風に思っていたのだろう、と思った。
【終了】

上記は、発達障害者がコミュニケーション技術を身に付けてしまったが故の悲劇だと思う。他人の話を聞いているように見せかける事は大変な技術であり、習得するには多大な努力があったものと思う。しかし、努力した事によって、返って悪い印象を与えてしまう。聴覚情報の処理の問題か、集中維持の問題かは分からないが、話し言葉の理解に難点がある事を周知しておくべきだった。

ナンパ技術もそうだけど、素の自分が好かれないのなら、予めそうした自分を見せないとトラブルの原因になると思う。

人間に関する法則や原理は、相手を受容するために活用するもので、普通でない人間を普通であるように見せることには害しかない。

まず、当人に関する客観的な情報を集めるべきだと思う。

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悩んでいる事

職場で障害者雇用対象者の処遇について相談される。

「あの人、何もしていないのにツカレターと言ってんだよね。遊ばせておくわけにもいかないから、何かやらせた方が良いと思うけどどうしよう?」

どうすれば良いのか僕にも分からない。

上記の意見は、僕にも適用されているはずで、自分が役に立つ人間であるとアピール出来ない事が、僕の辛さの原因であると思う。これは生まれた時から継続している悩みだと思う。

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投資家ならば、敢えて損失を出す資産を抱え込む事を選択していると思う。長期的な変転に備えるためには、損失を許容するべきである。

<具体例>
あなたが1989年にタイムスリップしたとする。以下の事実を、あなたは知っている。

①日本株は、過去10年間で平均で年率21.2%値上がりした
②日本企業は、米国の物件を買い漁っている
③日本企業の世界的評価は最高である

1989年当時の日本では、日本株以外での資産運用は考えられなかったはずである。しかし、1989年時点で財産の全てを日本株で運用した場合、大損をしてしまう。

ここでの困難は、周囲の人間を説得困難であるという事。ほとんどの人間が、日本株を優良と見なしている中で、劣後していると見なされている他資産への資金投入を行う事は難しいはず。

誰だって馬鹿だと思われたくないから、社会的評価には逆らえない。だからこそ、他人を説得するための「正義」が必要であり、逆らえないような大義名分が求められるのだと思う。

優劣に関する評価は移り変わっていくもので、常に勝ち続ける事は出来ない。資産配分に多様性を導入する事が、平穏を獲得するための方策なのだと思う。

****************

役立たずを殺す事は、人間の歴史的には当然の事だったのかもしれない。しかし、平均寿命が長くなり、多くの人間が役立たずとして20年~30年を過ごす事が確実視される中で弱肉強食が社会の一般的見解になる事は無いと思う。

僕は社会と関わるために会社員となる人生を選択したが、こうした状態がいつまで続くのか。役立たずと言われている人は、僕自身の事であり、自分が役立つための方法を考えていると息苦しくなってしまう。

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何となく辛い

日々の生活の繰り返しを何となく辛く感じる。

特に不満は無いはずだけど何かが違う。

しばらく前までの自分と今の自分とで、考え方が何か変わっていて、同じ事を考えていても違う結論に至るので、自分が違う人間になっている気がする。

以前までの変化は、感じ方の違いだけどれど、考え方の何かが変化している。

出来事の思い出し方も違うので、もう思い出す事が出来ない事が大分ある。

こうやって緩やかに死んでいくのだと思う。

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古い物を見ている

フランス革命時に使用されていたフランスの紙幣を買った。

古い物を見ていると癒されると思う。

書いてあるサインは、王族のものと説明されたけど、証明出来ないと思った。

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易経について

読んだ本からのコピペ。

以下は、Wikipediaの「易経」の記事へのリンク。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%93%E7%B5%8C

「易」の字は、蜥蜴を側面から見た象形文字で、「日」は頭部、「勿」は足と尾とされる。蜥蜴が体色を変化させる事から、易の文字は変化するという意味を持ったらしい。

初期には運勢を判断する言葉を集めただけだったが、後に注釈や統一理論が展開され、一種の哲学となる。

⇒当初は神意を聴くための原始的呪術だったが、神秘性が排除され、人間自身による問題追及となる

⇒呪術の人間化

易経は、変える事の出来ない宿命を知るのでなく、従うべき法則を見つける事で運命開拓を行う。

***************

原始的社会においては、神託に従う事で自らの思想・行動を正当化し、部族全体の意志統一を得る。

古代中国においては、「亀卜」と「筮占(易経の原型)」が神意を示すとされた?

<亀卜>
紀元前13世紀頃の殷王朝の時代に盛んに行われた。聖獣である亀や水牛の甲羅や骨に神意が宿るとした。亀甲に穴を開け、裏面から焼く事で罅割れを作り、その形や光沢によって吉凶を判断する。

<筮占>
周王朝(紀元前11世紀から紀元前8世紀頃)において発展した。多年生の草や竹の本数を数える事で吉凶を判断する。

⇒、「亀卜」と「易経」は、両方とも原始的呪術信仰から生じたが、大きな相違がある

「亀卜」は霊性に依存する度合いが大きいが、「易経」は数理を基礎としており、論理的に発展する余地があった。「易経」が盛んになり、「亀卜」が廃れた背景にあるのは農業技術の発展による人間の力への確信と思われる。

農耕に関連する季節・気候・天文・暦数についての知識が蓄積された結果、自然現象に一定の法則がある事が分かり、神の存在は疑われるようになる。法則に順応する事によって運命を開拓するという思想の根源。

「易経」の思想的裏付けは、春秋戦国時代から秦漢に渡る時期に完成されたとする。古代封建制・宗族制から郡県制・家父長制への移行期であり、伝統的権威が失墜していく過程で変化を説明する哲学としての「易経」が必要とされた?人間に関する法則を見つけ、変化する事象を支配する欲求?

**********

「易経」は儒家の経典(六経)の一つとされ、漢代になって儒家思想が国家統一の学問となると非常に盛んになり、初期には六経の末であったのが、遂には他の五経を統括する地位となる。

漢代の「易経」は、象数易と呼ばれ、天の運行や天変地異を説明した。

王弼(226年~249年):
道家思想の立場から、漢代象数易を一掃し、老荘思想に基づいて解釈し、哲学的意味を見出す。

孔穎達(574年~648年):
「五経正義」に「易経」の解釈を載せる。

朱熹(1130年~1107年):
道家的解釈の排除。儒教哲学としての「易経」の体系化。

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危機の二十年

読んだ本の感想。

E.H.カー著。1952年1月30日 第一刷発行。



1919年~1939年の国際政治に関する概観。

正義について考えた本だと思う。

第一部 国際政治学
第一章 新しい学問の始まり
第一次世界大戦後、国際政治を一般的に理解しようとする欲求によって国際政治学は誕生した。人間の精神は、分析に先立ち目的が必要である。

人間が新分野にて行動するためには、願望や目的が強く、事実や手段を分析しようという傾向が弱い段階が最初に現れる。ユートピア的段階。目的に対する熱望の強い初期段階が人間の思考の本質的基盤であり、願望は思考の父である。

次の段階は、分析。ユートピア的時期の終わりを告げるのはリアリズムである。リアリズムは、事実認識と原因結果を分析する。リアリズムは、目的を軽視し、思考の機能は変革不可な事件の生起を研究するとする立場に陥りがちである。

客観的に考えて、抵抗勢力の強さや必然性を認めると行動を否定する事になる。

第二章 ユートピアとリアリティ
ユートピアとリアリティは思索の二面性を象徴する。

ユートピア(自由意志、理論、左翼):
意志の力によって現実を否定する。理論を現実が従うべき規準とする。思考が外部条件に制約される事を拒絶。一般原則を確立し、それによって特殊を検討する。絶対的な倫理基準への希求。

リアリティ(決定論、実際、右翼):
変える事の出来ない因果関係に従う。理論をもって現実を法典に編み込んだものとする。意識的に行う推論でなく、経験的に生まれる直観に従う。一般は無い、あるのは特殊だけである。倫理は相対的であり、普遍的ではない。

現実主義者としての官僚は、現行秩序を守り、行動基準としての先例を義務とする(経験は学問よりも価値がある)。理想主義者にとって一般原則は簡明であるが、経験主義的な官僚にとっては実現困難。左翼が官僚を非難する所以。左翼は政治行動の原理を考え出す事が出来るが、実際的経験に欠ける。

リアリティによってユートピアの基盤を明らかにしていく事は準備として不可欠であるが、リアリティは目的を諸事実から機械的に生み出されるものと見なしがちで変革を主導出来ない欠陥がある。

第二部 国際的危機
第三章 ユートピア的背景
近代ユートピア的政治思想は、神の権威に支えられた中世の体制が崩壊した頃にまで遡る。

ルネッサンス期のリアリスト達が倫理は政治の手段として、教会に代わる道義の裁定者として国家を押し立てたのに対し、権威に支配されない倫理基準が求められた。

ギリシア人が提示したような、人間の直覚に基づく自然法の理論。17世紀、18世紀に科学の分野において諸原理から物事を演繹する方法論が確立し、それが人間性にも応用されるようになる。人間の良心 = 理性が道徳法則を決定し、啓示に代わるとする。

ジェレミイ・ベンサム:
世論による救済の理論を作り出す。最大多数の最大幸福。人間の数だけ正邪の基準があるとする見解を無政府的とする。
①善と幸福を同一視
道徳的自然法則が理性的に決定されると、人間は必ず従うとする推定を裏書
②理性主義、個人主義の地盤を拡大

ジェイムズ・ミル:
ベンサムの弟子。世論が間違いない事を主張。

自由主義の本質的な基盤をなすのは、世論が理性的な態度で訴えられた問題について正しい判断を下すとする信念である。

<19世紀の楽天主義>
①善を追求する事は理性の働きによる
②知識の普及によって全員が理性的になる
③理性的な人間は正しく行動する

⇒ルソーとカントは、戦争は君主が自己利益のために行うものであり、世論が支配する共和政では戦争は起こらないとしている。

こうした思想が第一次世界大戦後の国際政治において適用され、19世紀の経済発展段階において有効に機能した理性主義を発展段階の異なる国々適用した事で問題が発生したとしている?抽象的な一般原則を六十にもなる国々に標準として適用する事は紛糾の種となる。

世論への自由民主主義的信念は以下を前提にしている。

①世論は勝つ
②世論は正しい

しかして、世論に訴える事で戦争を防ぐ事が出来るとした国際連盟は第二次世界大戦を防げなかった。人間が愚鈍であるのか、それとも邪悪であるのかユートピアンは悩む事になる。

第四章 利益の調和
社会は、人々が一定の行動規準に従わない限り存立出来ない。そして、人々が規準に従う理由が政治哲学の基本問題である。以下の二つの理由付け。

ユートピア:政治を倫理の機能とする
私欲よりも公共善を優先する事は個人の義務である。

リアリスト:倫理を政治の機能とする
強者には従うべきである。

上記二つの答えには異論の余地があり、理性と義務が衝突すると信じる気にはなれないし、単純な強者の正義には満足出来ない。

18、19世紀のユートピアニズムは二つの異議への回答に一見成功した。最大多数の最大幸福の理論やアダム・スミスのような自由放任の理論を活用し、個人の自己利益追求と共同体の利益増進を同一視した。利益調和の理論。

「共同体における善は、各個人にとっても善である」

アダム・スミスが、各個人が自己利益を追求すると、「神の見えざる手」によって共同体の利益も増進するとした形式は、18世紀の経済構造に的確に当て嵌まった。生産が高度に特殊化されていない小生産者と商人の社会。

しかし、産業資本主義と階級組織が社会構造として認知されると、有力団体が自らの利益を全体の利益と強調するようになる。利益調和の理論が存続したのは、生産と人口と富が膨張したためである。新市場が利益を齎したので、世界は自然的調和という理性的プランに基づいて秩序立てられているという信念が説得力を持った。

⇒市場が無限に拡大する事が利益調和の暗黙の前提である。

各個人が自己利益を追求する事で共同体全体の福利を無意識に作り出すとする思想を国際政治に応用すると、民族間の分業に行き当たる。各民族が特有の適性によって特定の任務を遂行する事が人類の福祉への寄与となるとする。1918年までは、こうした理論によって諸民族がナショナリズムを伸ばす事で国際主義の目的を増進させる事が出来ると信じられていた?

⇒第一次世界大戦後に民族自決が世界平和の鍵となるとされた理由であるらしい。

19世紀になると、自由貿易は工業的に優位に立つ国にとっては正しい政策であるが、弱小国は保護貿易によって発展すべきとする思想が普及し、関税によって国内産業を保護した米国とドイツが台頭する。自由放任は経済的強者の楽園であり、保護関税は経済的弱者の自己防衛とする。

<ヘーゲルの哲学>
現実を諸観念の永遠に繰り返し続ける衝突と同一視する。
  ↓
マルクスは、ヘーゲル的衝突を唯物論的に経済上の利益集団の階級闘争の形で示した。資本家と労働者の利益調和の信じない労働者政党の出現。
  ↓
ダーウィンの進化論は、絶え間ない生存競争と適応し得ない者の消滅による進化を提唱した。

上記の理論が導入されると、自由放任による共同体の利益とは、闘争に勝ち抜いた者達の福利という事になる。国際政治においては不適性国家の消滅による進歩の信念が帝国主義に内包されている?

それまで、共同体の利益が個人の利益であるとする口実で奉仕を強いられてきた人々の地盤が変動する。自由主義の動員力は弱まり、弱者の利益に目を塞ぐか不均衡を是正する来世を仮定するか。

こうして時代遅れとなりつつあった理論が、米国から第一次世界大戦後に登場したのは、米国で自由放任の歴史が特殊展開した事による?米国は保護関税を是認したが、広大な国内市場を持ち、国家による人為的調整を必要としなかった。

全ての国が平和において一致する利益を持ち、平和を攪乱しようとする国家は理性を持たない道義の無い国家である。こうした理論を戦争によって独立した民族や領土を獲得した国々に納得させる事は困難。現状維持を願う国家と変革を願う国家が存在するという好ましくない事実。

19世紀までの個人と共同体との利益相反は、未開地域に進出する事による新市場開拓によって解決していた。開発余地が無くなる事により、個人と共同体、国家と国際社会との利益相反が目立つようになる。理性と徳行との合一は信用されなくなる。

第五章 リアリストからの批判
「正義とは強者の権利である」というテーゼは理論と実際の違いに困惑した無力な少数者の抵抗の言葉であるとする。マキャヴェリを最初の重要な政治的リアリストとする。以下の信条。

①歴史は原因と結果の連続
歴史過程は分析され理解出来るのであり、「想定」によって方向づけられるのでない。
②実際が理論を創る
良い意見は君主の英知から生まれるのであり、良い助言から生まれるのでない。
③倫理が政治の機能
人々は強いられて正直であるようにされている

16、17世紀のリアリズムと20世紀のリアリズムの違いは、進歩を受容した事にあるとする。ユートピアニズムでは、静止した絶対的倫理基準を信じながら進歩を信じるが、リアリズムは動的な相対主義であり決定論的である。

リアリストによると倫理観念は原因でなく結果である。環境が意見を作る。理論は事態を説明するために考えられるのであり、事態の進行過程を作らない。

リアリストは思想が相対的なものであるとし、固定的絶対的正義を主張するユートピアンと対立する。ユートピアンが利益調和の理論を説く場合、自己の利益を普遍的利益のように装い、自己利益追求と共同体の利益追求を同一視するとする。しかし、同様の主張が他者から成されると、そうした合致は信じられなくなる。

社会道義の理論とは強者が自己と全体を同一視し、自己の世界観を共同体に押し付けるために作り出すとしている?やがて弱者が力をつけると自然的調和でなく、人為的な方法による調和が志向される。

19世紀において英国が圧倒的に優位にあった時の自由放任は、非特権的国家群には信用されない。英国による世界市場支配が終わると、国際経済的道義に関する思想は混沌とする。国際平和は支配的強国特有の既得権である。

国内政治における国家的団結の訴えは、団結を利用して自己の統制力を強行出来る支配的団体から為される。世界連合の主張は、結合した世界を統制出来る支配的国家から出される。支配的国家群の中に入ろうとする国家は、自然に国家主義を拠り所として支配的国家の国際主義に対抗する。国際的秩序とは、それを他の国家に押し付ける強味を感じる国のスローガンとする?

リアリストによると、ユートピアンの絶対的普遍的原理は、実際には特定時期の特定利益についての特定解釈を無意識に反映したものとなる。ユートピアニズムの破綻は、絶対的で公平無私の基準を提供し得ない事による。そしてユートピアンは、基準の挫折に当面すると、非難する事に逃げ口を求める?

第六章 リアリズムの限界
リアリズムは行為の源泉を提供出来ない。

一定の事実が変更出来ないと信じるのは、その事実を変更したくない事の反映である。一貫したリアリズムは以下の四つを考慮していない。

①限定された目標
政治を無限の過程と考える事は人間の心に合わない。政治の考察者は有限の目標を考えるしかない。リアリストは自らの根本原理を否定して、歴史的過程の外に究極の現実を想定する。マキャヴェリは蛮族からのイタリア解放、マルクスは階級無き社会(プロレタリアートの勝利による弁証法的唯物論の過程が終わるとする)、ヘーゲルは自らの弁証法を絶対の真理とする。
②心情的な訴え
世界大戦は最後の戦争と思うから耐えられた。
③道徳的判断の権利
正しく包括的、決定的な解決策への確信
④行為の根拠
あらゆる宗教は完璧な至福の状態を想定する。

ユートピアニズムの超理性的な願望と情熱が無ければ、挑戦は出来ない?一貫したリアリズムは、歴史的過程全体を受けとめ、過程に対する道徳的判断を除外する。しかし、成功するなら正しいとする信念んは目的ある思考を空虚にし思考破壊を齎すとする。「~でなければならない」という言葉の無意味を示唆するリアリズムはどの時代でも受容されない。

社会は理想(ユートピア)と制度(リアリティ)の鬩ぎ合いによって成り立つとする?理想が制度として具体化されると、理想的でなくなり、新しい理想によって打倒される。そうした相互連関が政治を織り出すとしている。

第三部 政治・権力・道義
第七章 政治の特質
古来より人々は半恒久的集団を形成しており、そこで人々の行動に関わり対処するのが政治である。以下の二つの姿勢。

①利己心
他者を押さえて自己を主張する意志。
②社交性
他者と協力する。

大部分の人々が協力しない限り社会は存立しない。社会を維持するための団結を維持するための制裁が必要になる。制裁は、社会に代わって行動する支配的グループ、個人によって行使される。大抵の社会では構成員となるのは自由意志により、最終的な制裁は追放である。国家は構成員である事が義務付けられており、強制が支配層によって規則として行われる。強制は、支配層が被支配層を利用する事を意味する。

国家は良心と恐怖によって成り立つ?政治行動は道義と権力の整合の上にある。権力を道義化する事も、政治から力を取り除く事も出来ない。無抵抗や無政府主義は失望感を抱く場合に限って受容され、道義と権力を区切る思考は人間の願望に逆らう。

理想は制度化されないし、制度は理想化されないとする。

第八章 国際政治における権力
権力の衝突が解決すれば、それは行政上の手続きに従う事項になる。権力は政治の本質的要素であり、政治的問題を理解するには、問題の争点を知るだけでなく、当事者間の力関係を知る事が肝要である。

第一次世界大戦後に自由主義の伝統が国際政治に持ち込まれると、ユートピアンは、国際連盟設立によって国際関係から権力を駆逐し、討議が活用されるようになると真面目に信じた。しかし、それは現状維持を利益とする大国が権力独占を享有していた事情による。大国の絶対支配は国際政治における自然法則を構成する事実である。ドイツの軍事力がフランスを凌駕すると、多数の小国はドイツの側についた。

統治を国際化するには、権力を国際化しなくてはならない。その点で、ヴェルサイユ条約によって行われた国際的統治は一時的性質のものであった。国際分野における政治的権力を以下とする。

①軍事力
軍事力の強さは政治的評価の分かり易い基準である。軍事能力は政治的地位に反映する。権力の行使が常により協力になることへの欲求を生むのはそのためとしている。生きる意志と権力への意志の間に一線を引く事は不可能。国家的統一によって目標を達成した国家主義は自動的に帝国主義へ発展する。人間は他者からさらに何かを獲得しない限り、現在持っている物を安全に保持していると思えない?
②経済力
経済力は軍事集団と結び付く事で役立つ。
重商主義:
国内における生産を奨励し、国外から購入しない事で貴金属として富を蓄積する事が国を強大にするとした。
自由放任の理論:
政治と経済の理論的分離。政治的機能が最小の時に最大の利益があるとした。

著者は、19世紀の自由放任を経て、経済を政治の一部とする時代になったとしている?第一次世界大戦においては、交戦国の経済が政治的機能によって組織された。軍事力の代わりに、経済的進出や資本提供によって優越者の強さを示す事が可能。

③意見を支配する力
説得する術は政治的指導者に必要な素養。政治的に重要な意味ある意見を持つ人の数が増大した事で、宣伝が必要になる。説得の方法は、彼らの意見に適応するものである。現代の政治は広範な大衆の意見に依存する。

大量生産、準独占、価格統一等の経済的条件で発展したマスメディアは意見の中央集権的統制を容易にした。意見の国有化は産業の国有化と同一歩調で進む。

国家権力から分離された国際的世論に実効性は無く、意見を支配する力は軍事力、経済力から分離され得ない。

①意見は身分と利害関係によって条件付けられる。
②支配者は容易に自説を押し付ける事が出来る。

そして、宣伝には以下の制約がある。

①事実と合致する必要がある
意見生成に必要な客観的事実が存在する。
②ユートピアニズムによる制約
人間は、力が正義を創るという説を結局は容れない。圧迫は犠牲者の意志を強くする。

強者が弱者の犠牲において意見を統制出来るというんは真実でない。

国家による宣伝が国際性を自称するイデオロギーで装って行われる事は、共通の諸理念の国際的根幹 = 国際的道義が存在する事を示している?

第九章 国際政治における道義
道義に関する以下の問題。問題を不明瞭にしている。

①道義は以下の三つの事柄を含めて用いられる
(1)哲学者の道徳律
(2)普通人の道徳律
(3)普通人の道徳姿勢

(2)と(3)は相互的であり、人間の態度は道徳律によって影響される。普通人の政治的道義が論じられる事は少ない。ユートピアは既得権の道具となり、現状を攻撃する人間を叩く武器となる。

②範囲指定の問題
国家の道義と個人の道義か判然としない。

専制的個人支配の時代は、個人の道義と国家の道義は区別されなかった。国家の行為には君主が個人的責任んを負った。国家機構が複雑化し、立憲政治が発達すると、人格が君主から国家に移る。国家が人格を持つとするから自然法を基盤に国際法を作り出す事が可能になる。

諸国家を人間のように擬制する事で相互に義務を負うとする。それは国家に権利を与える事が容易になる事であり、個人に対する国家の無制限な権利主張と結び付く。

国家の人格性は要請された性質であり、真偽は議論の対象とならない。発達した社会構造を取り扱うために人間精神が案出した道具。政治的発展が国家の団体責任という擬制を必要とした。

そして人格化は制度の継続性を表す思考の部類に入る。国家の責任性を仮定する事は、国際関係について明確に考えるために必要な思考空間に立つ条件である。

そして国家の道義は擬制として成文化した法規に近いのであって、愛他心のような本質的に人間的な性質を普通んは期待されない。そうした道義的義務に絶対的とされるものがないと、共通の基準を全ての国家に順守させる事は困難。

個人が良心を作るには社会を必要とし、国際道義を作るにはどのような社会が必要か?国際秩序においては力の果たす役割が大きく、道義の役割は小さい。

第四部 法と変革
第十章 法の基盤
国際問題に関する政治と法の関係。法を政治から独立したものとして、倫理的優位を確立する事は可能か?

国際法は、国内法の基本要素である以下の制度を欠いている。

①司法
共同体全体に拘束力が承認されている裁判所が無い。自ら従おうとする国家に特定の義務を負わせるのみ。
②執行
法の順守を強制する権限を持つ機関が無い。被害者側の権利は自助の権利である。
③立法
原始共同体のように慣習のみを源泉とする。先進の諸国家共同体においては直接の立法が法源である事が多い。

こうした国際法の欠陥は、法としての資格を国際法から奪わない。法の基本的性質を国際法は備えている。法の権威の根源を倫理(ユートピアン)とするか力(リアリスト)とするかの問い。

ユートピアンは自然主義者として自然法を法の権威とする。リアリストは実証主義者として国家の意志を法の権威とする。

◎自然主義者
原始共同体では法は宗教と結び付いており、自然法は神の法と同一視された。ルネッサンスを経て、非神学的倫理基準となる。自然法と理性の同一視。近代国際法は、そうしたユートピアンの系譜を引く。
過去の自然法観は、静的で一定不変の基準だったが、19世紀末から変遷する自然法という概念が登場。特定の時、場所で人々が感じる正しさを拠り所とする。

◎実証主義者
法を命令として定義する。強制する権威の存在が法の拘束力の根源。法は、固定した倫理基準の反映でなく、特定の時期における特定国家の支配集団の政策と利益を反映する。

法と政治社会は不可分の関係にあり、国際法も国際共同体の一機能であり、その欠陥は機能する共同体の未発達な性質に基づく。国際法は、他の法よりも力の要素の優位が際立つ。

社会は法だけでは成立せず、現行を維持したい保守派と、変革したい急進派の闘争の場である。法規は政治的合意の所産であり、法の権威は政治を源とする。

第十一章 条約の不可侵性
私的契約上の権利を守る事は、法の機能の一つである。

諸国家の唯一の成文上の義務は条約に定められたものであり、国際法上の条約の地位は国内法における契約よりも高いと見なす。

条約は原理上法的拘束力を持つが、当事国間の実力関係が変化すれば条約は消滅するという考え方もある。諸条約の違反は、国際法の軽視でなく、以下のように道義的妥当性を欠いている事を根拠とする事が多い?

①強迫下に署名された条約
②不公正な条約

そして国際条約自体の道義的拘束性を否定する意見。条約を力の道具として見る。法を倫理から分離された力の手段として見るリアリストの見解。

国際法の尊重が維持されるのは、国際法が自らを修正・改廃する政治機構を認知する事?それは政治の仕事としている。

第十二章 国際紛争の司法的解決
国際法には紛争解決のための強制力を持つ裁判管轄権は認められていない。19世紀末まで、国際紛争に適用される司法的手続きは、特定の紛争を仲裁裁判官に付託し、特別の合意を取る形式を取った。

国内法では全ての紛争が理論的には裁判所に付託し得る。国際法の場合、当事国が法の拘束力を認めない限り裁判の権限は無い。紛争の司法的解決は、法の存在を前提とし、法の拘束力が認められている事を前提とする。拘束力は政治的事実から生まれる。国際関係における合意は、国家の安全に影響しない諸分野に限られる傾向があり、紛争の司法的解決が有効なのはそうした分野である。

政治的合意は時や場所によって変化する。そのため立法者は法の下に起こる全てを予見出来ないため、司法上の自由裁量の余地を認めなくてはならない。感覚的正しさの余地。それは社会状態の変化に対応して変わる。

国際法の場合、個々の構成国の利益に優先する全体の福利という思想が広く認められていない事が問題となる。

第十三章 平和的変革
道義的判断の基準は、戦争の侵略的性質や防衛的性質でなく、変革の特質によらなければならない。

政治的変革に力は不可欠の要素である。労働階級の不満を解決する社会立法の発達は、労働者が革命やストライキで実力を行使したから?

国際政治における変革は、国際共同体が組織化されていないため複雑な問題になる。立法過程も司法過程も政治的秩序の存在を前提にする。

立法府確立には、政治社会に実在する同意と強制の組み合わせを必要とし、国際政治においては統合された国際政治秩序が条件となる。対応する国家を持たない社会。

紛争当事国を平等に扱う司法的手続きは、力の要素を認められないため国際紛争を取り扱う事に適さない。立法手続きは力の要素を認める事は出来るが、国際的変革には適用され得ない。拘束力を持つ立法権能が無い。

しかして、力の要素を除去して、共通感覚に基づいて平和的変革を基礎付けようとする願望はある。共通感覚と機械的調整という考えとの折衷による変革の達成?

結論
第十四章 新しい国際秩序への展望
1919年~1939年の危機は、前半の十年に夢見られた期待が、後半十年には諦めに変転し、ユートピアからリアリティへ変わった。

1920年代の期待は、18世紀までの英国主導による治安が保たれ、開拓が拡張する事で衝突が調和され、個人の福利と共同体の福利が同一で、経済的正しさと道義が一致した時代の面影を引いた幻想だった。

以下は、ユートピアの悲劇

①見苦しい崩れ方と絶望感
国際関係を理性的に説明する事は不可能になった。非文明人のものであったはずの残虐行為が、文明人相互で行われた。
②理性の終わり
利益調和が破綻し、ユートピアが既得権の道具となった。

全体の福利を適者の福利と同一視するダーウィン理論や、自然的利益調和の理論が全体の指示を集める事は出来なくなった。

国際政治は国民国家を単位として展開される。フランス革命に端を発する個人間の平等への要求は19世紀に入ると社会的集団間の平等への要求に変わる。それは特権階級と非特権階級との衝突が国際社会に移行する事を意味する。

世界的動乱の原因となった不平等は国家間の不平等だった。自由放任主義者の個人間の平等や、マルクスの階級間の平等ではない。

国家に代わる諸単位を考えると、以下の問い方になる。

①政治的諸単位を領土的性質にする必要はあるか
②領土的性質であるなら、国民国家を選ぶ必要はあるか

かつて国境は今ほど厳密でなく、軍事や経済の技術が権力と領土を溶接した。政治的単位の境界線を越えた思想への訴えは持続的に行われている。それに関する二つの傾向。

①集中化
拡大する政治的、経済的単位の形成。情報組織、技術的手段の進歩や大規模資本主義発達と関連する。
②分解
拡大する政治的単位にも限界や規格がある。

主権の概念は将来において不鮮明で曖昧となる可能性。主権は、中世紀体制崩壊後に、諸国家によって主張された権能の独立性を表明するために考え出されたもの。それは便宜的ラベルであり、政治、法、経済における主権の区別、内外での区別が為される時に単一特定の現象を明示するラベルの機能を果たし難くなった。

優位に立つ国家の支配力に国際秩序を基づかせようとすると、最強国の権利を是認する事に行きつく。道義的争点に関わらず、力の問題は厳存する。

しかして道義を無視する事は出来ない。国家は被治者の同意ちおう道義的基礎を必要とする。国際秩序も一般の同意を前提にする。新しい国際秩序の成立は圧政的であるが、それは道義的正統性に基づく?

衝突は避けられず、経済再建に調停への望みがあるかもしれない。大規模投資は雇用を作り出す社会的目的による。その核心は経済的な実質利益の放棄であり、雇用や社会的安定が利益や消費より重視される事は社会的変革の原因となると思われる。

力が国際関係を支配すると軍事的必要に利益が従属し危機が激化する。道義や回復すると情勢に希望が現れるとする。社会目的が国境によって制約されない事が理解されるようになる。

連邦等の高度な上部構造を考えるには、それを構築する地盤を知る必要がある。

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インサイドボックス 究極の創造的思考法

読んだ本の感想。

ドリュー・ボイド/ジェイコブ・ゴールデンバーグ著。
2014年5月15日 第1刷。



創造的思考を行う以下の5つの技術について。創造性は、一定のパターンから生み出す事が出来る。身の回りの制約の中から考える。最初にアイデア(機能)を生み出し、それによって解決出来る問題(形式)を考える = 機能は形式に従う。

①引き算
要素を洗い出し、削除した要素を他の要素で代替するよう思考実験する。最重要要素と、些細な中間の、欠かせない要素を削除する。
<例>
メッセージの文字数を部分的に削除したツイッター、ボタンとディスプレイをリモコンやテレビ画面で代替したDVDプレイヤー

・好ましくない要素を取り除いただけで終わらない
・欠かせない要素を取り除く
・削除した要素の代替物を慌てて決めない
・認知不協和に屈しない
→馴染みの無い状況では、認知不協和を解消するために、
 解り易く説明したい欲求が生まれる
→馴染みの何かで説明してしまうと、
 新しい発想を逃す可能性がある
・単なる簡略化に陥らない
→機能を取り除いたり、質を落とすだけでは
 新しい価値は生まれない

②分割
製品を分割して要素の組み換えを行う。要素間の位置関係や時間的前後関係を変える。
以下の3つの方法。
(1)機能的分割
 製品から機能を取り除き、位置や登録順序を変える
(2)物理的分割
 ランダムな物理的線引きに沿って製品を分ける
(3)機能を維持した分割
 製品をミニチュア版に分割し、
 各々が機能を維持した場合を仮定する

分割を行った事で生まれた商品の利点、価値、市場について検討してみる。しかる後に実現可能性について考える。

上記(1)~(3)の例として、(1)モーター機能を室外に出したエアコン(2)内部スペースを物理的に分割して安全性を向上させた潜水艦(3)PCの記憶装置を小分けして生まれたUSBメモリ

時間的組み換えの例としては、先に料金を支払うプリペイド式携帯電話等。

・分割した要素を空間と時間の両面で並べ替える
・構成要素をリストアップする時点で分割は行われる
・上手くいかない場合は解像度を変える
→構成要素の一つに着目したり、より広い視点から考える

③掛け算
構成要素をリストアップし、特定要素の数を増やし、複製に原型と異なる性質を持たせる。

<例>
二枚刃の剃刀、両面テープ、住宅ローン

・新しい要素を増やすだけで良しとしない
→機能を追加するだけでは複雑になる
・複製した要素を変更する
→二枚刃の剃刀の場合、
 一枚目が髭を毛穴から引っ張り出し、
 角度を変えた二枚目が髭を切る
→角度を変える変更により、新しい価値が生まれる
・属性を複製するだけでは終わらせない
→要素は製品の一部で、属性は変更可能な性質
→目覚まし時計のアラームは要素だが、その音量は属性
・複数の複製を考える
→2倍、3倍、・・・・と考えていく

④一石二鳥
構成要素を洗い出し、以下の3つの方法で新しい機能を加える。

(1)外部要素に機能を移す
(2)内部要素に機能を追加する
(3)内部要素に外部要素の機能を移す

一石二鳥を行った事で生まれた商品の利点、価値、市場について検討してみる。しかる後に実現可能性について考える。

上記(1)~(3)の例として、(1)アプリ開発を外部委託したiPhone(2)俳優兼演奏者というアイデアで2006年にトニー賞を受賞したスウィーニー・トッド(3)品物に物語を付け加えたテールズ・オブ・シングス

・相性が良さそうな要素と課題だけを組み合わせない
・当たり前の要素を見落とさない
・複数の機能を束ねる事と混同しない
→要素がばらばらだった時と同じ機能を担っているだけでは
 新しい価値は生まれない
・上記(1)~(3)の全てを試す

⑤関数
製品に関する変数をリストアップし、表に割り振る。複数の変数間で関数関係を作り出せないか考える。関数によって作り出した製品の利点、価値、市場について検討してみる。しかる後に実現可能性について考える。

互いに関係の無い変数間にも関数関係を構築出来るか考える事も可。一方の変化に合わせて、他方の性質を変える事で価値が生まれる可能性。

<例>
当日の気温や販売時間によって商品の値段を変える、温度によって色が変わる哺乳瓶

・要素と変数を混同しない
→変数は製品の性質の中で変化する余地のある性質
・時間を惜しまずに、適切な表を作成する
・複数の関数を検討する
・操作出来ない同士の変数間には、関数を生み出せない

****************

矛盾は、歓迎すべきものと書いてあった。

矛盾は、以下の3つから構成される

①利益や恩恵の要求
②利益や恩恵を得るための費用
③上記①、②を結び付ける連結要素

上記③が暗黙の思い込みである事が多いとしている。

<例>
SETIのデータ解析

利益:計算機械の能力を増強したい
費用:支出は圧縮したい
連結要素:支出はSETIの予算から出さなくてはならない

⇒一般からPCの余剰処理能力を寄付して貰う事で矛盾を解消

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古代中国における戦争の変化と哲学

本に書いてあった事のコピペ。鉄器の普及によって中国における戦争が変化したという話。

紀元前4世紀、5世紀頃を境にして、中国における戦争の質が変化した?

以下は、この前書いた『権力とは何か』の記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-1962.html

以下は、Wikipediaの「春秋時代」の記事へのリンク。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E7%A7%8B%E6%99%82%E4%BB%A3

以下は、Wikipediaの「戦国時代」の記事へのリンク。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E5%9B%BD%E6%99%82%E4%BB%A3_(%E4%B8%AD%E5%9B%BD)

<春秋時代:儀礼を重視した戦争>
軍隊は農民兵を徴収した小規模な組織であり、軍事訓練や長期戦の概念は無い。封建的社会構造のため、将軍になれるのは貴族だけであった。

⇒原始的な乱闘。占い師による吉凶の判断が重視され、限定的な戦争が限定的な目的のために行われる

<戦国時代:占領を目的とした戦争>
軍隊は職業軍人を核とした常備軍。本格的な徴兵制度が導入され、定期的に訓練が実施される。封建社会は崩壊し、有能な個人が指揮官となる。

⇒組織による戦いの始まり?

【鉄器普及の影響】
上記のような変化は、鉄器の普及に起因するという意見。中国において鉄の存在は紀元前500年以前から知られていたが、精錬技術が未熟であったため希少品だった。ジョゼフ・ニダームによると、中国北部において鉄器が一般的に使用されるようになるのは紀元前4世紀中頃?

鉄器普及以前は、強力な武器は少数の有力家臣が持つ秘蔵品であったが、鉄器普及以後は、常備軍や徴収兵が強力な武器を大量に備えるようになる。

【孫子の前提条件】
上記のように大規模な軍隊が誕生した事により、「孫子」の兵法のような組織科学が必要とされるようになる。「孫子」において論じられる軍隊は、職業軍人的将軍に率いられた大規模な軍隊である。「孫子」が前提とする10万人規模の軍隊は、紀元前500年以前には存在しない?

大規模な軍隊を独立行動可能な戦術部隊で編成し、鉦・銅鑼・旗・太鼓・etcの音や動きに合わせて指揮する。軍事訓練を受けていない農民兵に、そのような事は出来ない。

さらに「孫子」は優れた将軍について論じており、世襲貴族を高級将校にするのでなく、職業軍人の権威を重んじたと思われる。

⇒「兵法」という組織科学の誕生。大規模組織は占いによっては統制不可能。詳細な計画、協調行動、組織的指示、軍律が必要となる。軍隊の中核は、専門家によって構成されるようになる。

【軍備以外への影響】
鉄器普及によって大規模な水利工事、城壁建設等が行えるようになる。上記の軍隊整備と含め、膨大な人員・資金が必要となるため、住民登録や徴税のための官僚制が施行される事となる。

工事の管理や監督、軍隊の後方支援や運用計画について複雑な問題が発生する事になり、政治組織に関する研究が行われる。

****************

春秋時代以前の中国においては、亀甲や筮竹による占いが決断に影響したとされるが、時代の変化によって占いに代わる実践的哲学が必要とされるようになる。

行政や戦争、管理、運用、手続きに関する理論や原則を指導者達は必要とした。占いに代わる哲学を考え出す哲学者への需要は高まる。哲学者達は遊説家として、諸侯を渡り歩き、この時代に中国の哲学的基盤が形作られる。

旧来の思想が否定される状況下で、哲学者は数百年、数千年に渡る知的影響を残す事になる。

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面白いと思うのは、最終的には理想主義が勝利した事。

この時代において重宝されたのは、富国強兵を実現し、内政や外交の問題を解決出来る実務家であったはずで、平和や徳の重要性に耳を傾ける君主はいなかったはず。

しかし、現代において影響力を最も保持し続けているのは、孔子や孟子等の道徳を重視する理想家であり、陰謀や政略を巡る論説家はそれほどの名を残していない。

現実的に考える人間は強いけれど、別の面では弱いのかもしれない。

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正当化されるのは何故か

以下、何回も書く事。結論の出ない問い。

虐待されても仕方が無いと思われてしまう人間がいると思う。

罰を与える事の正当化。それによって社会効率が増す事になっている。

以下は、かなり前に書いた「アスペルガーは千葉へ行けない」の記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-52.html

僕が会社の用事で千葉へ行こうとする。すると、周囲の人間が僕に対して「到着時刻」、「自宅から千葉までの経路」、「自宅から駅までの所要時間」、etcを質問する。それらの質問に回答出来ないと、僕のだらしなさが立証された事になり、僕は千葉へ行く事が出来なくなる。

それは僕だけが対象になるのでなく、そうした質問攻めの対象になる人間が一定の割合で存在するらしい。

待ち合わせ場所や待ち合わせ時間を決める、携帯電話の番号を交換する、etcの解決方法は指向されない。問題を解決出来るかどうかでなく、対象者の偽りを見抜く事が主目的になってしまう。

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以下もしばらく前に書いた記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-1621.html

発達障害者に苦しめられている人達の意見をインターネット上の掲示板で読む事がある。感じられるのは、『発達障害』を捉える方法が、未だに人間社会では完成されていないという事。

『性格』という観念を通して発達障害を考える場合、報酬や罰則によって対処出来ると思い込んでしまい、それが上手くいかないと細かい監視が功を奏する事になってしまう。

以下のようなアプローチが多いと思う。

・自分の彼女がボロボロの服を着ている。
  ↓
・近所の衣料量販店に連れて行く等して、
 彼女を女性向けの服に慣らそうとする。
  ↓
・彼女が買った服を着ないので怒り出す。

職場の発達障害者に困らされている人の意見も同様で、皆で無視をして、屈辱感を与える事によって鍛えてやろうとしたのに少しも感謝されてないような意見があったりする。

*******************

これは実践的な哲学の問題だと思う。

以下は、『エンゼルバンク』という漫画についての記事。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-229.html

『エンゼルバンク』の作者は、無自覚的に発達障害の問題を描いてしまったのだと思う。

発達障害者というか、自らと異なる思考体系の持ち主と相対すると、相手が何も考えていないように感じるし、だらしがなく思える。それは矯正しなくてはならないように強く感じられる。

矯正方法は簡単だ。相手に「オモイヤリヲモツヨウ」にアドバイスしたり、考える事を強制すれば良い。

上記の前提として、自らが優しさを持っており、考える事が可能で、それによって物事を解決出来る事がある。

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では、思いやりを持つ事や、考える事を説明出来るのかというと、説明は出来ないはずだ。

自分と異なる事が嫌なだけで、現実には優しさや思考は存在しない。

数年間は、こうした事について考えているけれど、同じ所をグルグルと回っている気がする。

人間の思考や行動には何らかの型があるようで、型に沿って正誤を判定している。それが上手くいくかどうかはどうでも良いらしい。

僕達は何かに規定されている。

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機械より人間らしくなれるか?

読んだ本の感想。

ブライアン・クリスチャン著。2012年6月4日 第1刷発行。



第一章 ≪最も人間らしい人間≫賞への挑戦
著者が、毎年一回行われるチューリングテストの大会(ローブナー賞大会)に、審判員として出席した話。プログラムが、5分間の会話で審判員の30%を騙して人間と思わせれば合格となる。2008年大会では合格に後1票まで迫り、著者の出席した2009年はターニングポイントになる可能性があった。

著者は、大会までの数カ月を使用して、①人間らしく振る舞う事②人間らしいとは何を意味するか、の2点について学者達の意見を聞く事にする。

第二章 ボットにアイデンティティはあるか
機械はパスワード、暗証番号等の「内容」に基づいて認証を行う。人間は、顔つき、声等の「形式」に基づいて認証する。相手の気持ちや感じ方を共有する事と、相手について知る事は違う。

機械が過去の会話集を集めれば、本物の人間のように会話出来るかも知れない。過去の会話のこだまとの会話。数千人の人々が話した数千の会話から無作為に選ぶ。

そうした会話機械に欠けているの、中心に存在する個人のビジョンであり、一つ一つの会話が申し分なくても、全体としてみると一貫性が無い。会話の幅を広げると、一貫性が無くなる。

以下の2つの派閥。

①意味論
言語的な理解をプログラムする事で好ましい会話が出来る。

②経験論
言語的な行動をプログラムする事で好ましい会話が出来る。

過去においては、機械翻訳は意味論的に、規則に基づいて言語を理解しようとしていた。構文を解析して意味を把握し、別の言語の規則に従って文章を組み立てる。1990年代からは、経験論的に、統計手法を使用して翻訳する方式が主流になっている。

そうした経験論的な手法には、言葉通りの意味でない言葉に対応出来ない事と、一貫性を保てない弱点がある。人間らしいとは、一つの視点を持つ特定の人間であるという事である。

あらかじめ用意された台本に従って返答するチャットボットにとって、詳細を問う質問に答える事は困難。そうした質問の意味を正確に把握するには文脈が頼りになる。

第三章 「自分」とは魂のこと?
伝統的に欧州の哲学は、肉体と魂を別のものとしてきた。理性を重視。著者は、現代の社会常識や教育等は理性を重視し過ぎているとしている?人間は完全に理性的にはなれない。

人間は魂のみで、肉体は魂の容器とする思想は感覚や肉体を蔑にする。計算機械は、意識 = 魂を基盤とする?一度に一つの事のみを実行し、意識的思考によらない限り変化しない。

第四章 ロボットは人間の仕事をどう奪う?
1964年~1965年にマサチューセッツ工科大学 ジョセフ・ワイゼンバウムが開発した会話プログラム「イライザ」について。精神病患者との対話療法に一定の成果を出したらしい。人間の精神を癒すのに、理解は不必要かもしれない。

神経言語プログラミングという心理療法では、患者の恐怖の原因を突き止めない。問題解決に原因理解は不必要かもしれない。

個々の問題に対応マニュアルを作成する事は現実的でなく、各担当に権限を委譲する事が現実的である。企業における階級制度は、人間が自らに対して抱いている階級制度を真似て作ったものであり、マイクロマネジメントも意識的認識を偏重し過ぎた結果かもしれない。

上から下に、一つずつ論理的に行動させるように、人間は出来ていない。機械が人間の仕事を奪うのであれば、その前に人間の仕事が非人間的になっていなくてはならない。機械は人間を解放するはずである。

第五章 定跡が人をボットにする?
20世紀における人工知能と人間の対決は、主にチェスにおいて行われた。チェス自体の変化により、2002年にボビー・フィッシャーは、「チェスでは死んだゲームである」と宣言した。数千の定跡を丸暗記するだけで、チェスで勝利する事が出来る時代。

人間であると示す事は、定跡から外れる事を示す事であるが、定跡に従う事が当たり前になっている。

チェスで人間に勝てる計算機械が誕生した事で、「人類よりも計算機械が優秀」、「チェスは知性の試金石でない」の2つの思想が生まれた。

定跡には、序盤定跡と終盤定跡がある。初期配置から指せる手数は膨大であるが、駒の少ない終盤は可能な盤面を予めデータベースに記録可能。ゲーム開始は序盤定跡から外れた時で、ゲーム終了は終盤定跡に入った時である。

手紙の書き方でも、頭語と結語の書き方は定形的、儀礼的であるが、言外の意味や文脈は微妙である。最初と最後は文化で決まり、自分の言葉ではない。誰もが標準的な文章パターンに従い、無意識的に定跡化した文章を書いてしまう。

定跡化による丸暗記の優位を覆すために、チェス960(初期配置が960通りある)等のゲーム形式が作られている。分析能力の本質が問われている。

第六章 エキスパートは人間らしくない?
人間性とは、システムから外れて一般領域に出るためのものであり、エキスパートから反エキスパートに移行するためのものである。人間は特定の目的とは関係無い事が出来る大きな背景を持つはずである。

機械は誕生したすぐに設計者が思い描いた役割を果たす。機械の本質は、実存よりも前に存在している。実存主義者の主張として、人間は機械とは異なりまず実存し、その後に定義される。

人間には初期装備された目的が無く、自分で目的を探す。全体は各部の総和でないため、二頭筋やRNAに機能があっても、自分自身には機能が無い事になる。各部の機能を認めると、全体が各部の総和でないとする理論にも限界がある事になり、人間が存在意義を選択する能力にも限りがある事になる。

⇒実存主義者は階級主義者である。

身体性を自分の中心に据えるべきであり、陰鬱な感覚の原因は感情でなく、ビタミンD不足である可能性が高い。

実存主義者は、自分が従うべき基準を自分で選択すべきとする。現実を明確な定義が存在するゲームのように考える事は出来ないため、自分の目的を探し続ける実存主義的不安が発生する。自由の不安。

第七章 言葉を発する一瞬のタイミング
人間の独創性という観念には、神聖な自我という前提がある。

1930年代~1940年代に計算可能性理論が誕生した。計算機械を概念として、理論的な能力の範囲や限界について考える。1960年代~1970年代には、時間的空間的制約を考慮した計算複雑性理論が生まれる。実生活では、タイミングが重要である。

本物らしさは自発性の中にあり、そのためには状況変化に即時に追随するのでなく、タイミングが必要となる。ほとんどの会話システムは、会話の途中に割り込む事が出来ない。現実の会話はターン制でなく、会話が同時進行したりする。

第八章 会話を盛り上げる理論と実践
1971年に、アルバート・メラビアンが発表した「7-38-55」のルール。会話内容の55%は仕草、38%は口調で伝わり、言葉が伝えるのは7%である。チューリングテストでは7%で人間性を示さなくてはならない。

会話はチェスのように競争的でなく調和的である。ディベート能力は会話能力でない。そのためには、相手が話す事が出来る事を配慮しながら話すべきである。ホールド = 会話の手掛かりとなる言葉。

第九章 人間は相手の影響を受けずにいられない
1972年に開発されたチャットボット「パリー」。妄想型統合失調症の患者を演じ、聞き返しをするのでなく、会話の主導権を握ろうとする。自我のあり過ぎる計算機械。

現実の会話では、双方向的意思疎通が重要である。人間は新しい意味を伝える複雑な表現を新たに作る事が出来るし、その意味を理解出来る。チェスでは、序盤の理論を吸収するだけで世界ランキング200位以内に入るが、それ以上になるには独自のアイデアが必要になる。

心の完全性や一貫性、単一性のためには意思疎通が存在しなくてはならない。人間は多くの自我から構成されており、複数を一つにして完全体に戻りたいと願う。人間は追随したいと願いながら、突発的な変化に直面する。

第一〇賞 独創性を定量化する方法
1948年にクロード・シャロンが書いた「通信の数学的理論」にある「通信」を科学的に評価する概念。テキスト予測とテキスト生成は数学的に同等であり、入力しようとする言葉を事前に予測出来る計算機械があれば、人間のように言葉を作るくらい知的である事になる。

情報量を測る事は予想外の度合いを測る事であり、エントロピーが高いほど情報量は多くなる。発生を予測出来ない事が独創性である。

圧縮方法や、人間の意志疎通における圧縮・解凍との類似。シャノンのゲーム = 相手の考えた単語を当てるゲームを最適に行う = 言語を最適に圧縮可能 = 言葉を理解している。

第一一賞 最も人間らしい人間
ローブナー賞にて、人間のサクラに贈られる「最も人間らしい賞」。審判員から人間であるという得票を最も多く集めたサクラに贈られる。

現実に計算機械が、ローブナー賞メダルを獲得すれば、チェスの地位が下がったように会話の地位も下がるかもしれない。

人間がチューリングテストで勝ち続ける事は、一種の権利意識・地位の保全である。

計算機械と人間の対立の歴史は、形式と独創性の対立であり、今後も人間の自己認識は変化し続けるはず。

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権力とは何か

読んだ本の感想。

安能務著。平成11年10月20日 第1刷発行。



西洋とは異なる中国独自の権威体系について。

西欧世界においては、最初に「神」が存在し、中世において1000年以上続いた神 = 教会による支配から人間による支配への移行が発生している。

中国においては、「神」の定めた秩序の無い「混沌」において共存するために秩序が築かれ、秩序を維持する標識としての権力が生まれた。それは、紀元前8世紀から550年ほどを必要としたとしている。

以下は、『木を見る西洋人 森を見る東洋人』の記事へのリンク。絶対者 = 神を必要とする西洋的思考と、相対的に考える東洋的思考の相違について。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-722.html

西欧世界においては権力が正義の味方である事が前提とされるが、中国においては権力は合法化された暴力であり、権力者が私腹を肥やす手段である。

西欧世界は、中国ほどに権力の本質を知らない。「神」の存在しない混沌の世界で、支配権力を巡る切磋琢磨を繰り返したのが中国の歴史とする?

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日本の事情は中国とは異なり、「天皇」という権威と中国から輸入した理論の合一が為されている。

日本が隋や唐から政治システムを学んだ時代には、中国においては孔子・孟子による正統性の理論が普及していた。皇帝とは天の秩序を地上に再現する存在であり、天命によって徳高い者が皇帝に任ぜられる。

日本は、そうした儒学の伝統が無い状態で中国式の律令システムを導入する必要があった。

天皇家の正統性を根拠付けるのは、長期間継続した祭儀権の継承性と、祭儀の対象である神々の偉大さである。そのために日本では神祇官と太政官が並立され、祭儀は天皇の最も重要な仕事となった。

神話を正統とするために、日本神話が編集され、神社が建築される。

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第1章 権衡と軽重
「権」とは、秤の錘の事である。物の重さは価値であり、権力には人間の価値を決める機能があった。それが一般に判断の基準を示す標準となる。

以下は、Wikipediaの「商鞅」の記事へのリンク。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%95%86%E9%9E%85

秦において政治改革を実施した商鞅は、法治主義者であり、身分階級に関わらず、全ての人々が服すべき公平な法律を作った。法律は、権力の誤り無きを期するために生まれたものであり、権力は君主が独り制するものとした。信賞必罰ならば国は治まり、君主が権力を専行すれば威は高まる。

権力は権力者自身にあるのでなく、権力者は権力の操作者とした。

第2章 権威と魔性
以下は、Wikipediaの「黄石公」の記事へのリンク。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E7%9F%B3%E5%85%AC

「威」とは、他人に畏敬の情を抱かせて、尊崇や服従の念を生じせしめる力である。賞罰を明確に定めて、確実に行えば、威厳を身に付ける事が出来るとした。

権威は権力に正統性を付与して、補完する力である。正統性は、大衆の認知や社会的承認を得たものでなくてはならない。カリスマが権威を備えるには、人々の願望を叶え、夢を掻き立てる力を持つ必要があり、普遍的な社会的価値を大衆と共有しなくてはならない。

第3章 権軸と流通
太公望の話。

以下は、Wikipediaの「呂尚」の記事へのリンク。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%85%AC%E6%9C%9B

権力は特定人物の独占物でなく、交換価値があり、社会的に流通させなくてはならない。その主導権を権軸と呼ぶ。権力とは権力の場で機能する力であり、権力を操作する技術を権謀とする。

儒家は、政治哲学の理想を追求したが、太公望を始祖とする法家は、政治の現実処理に取り組んだとしている。

第4章 権度と覇王
太公望は、3人乗りの戦車に乗って戦う「車戦」を発明し、野戦における「中央突破」の戦術を発見したと伝えられる。「牧野の戦い」では3000の手勢で10万に及ぶ商朝の大群を中央突破して撃破したという話。

太公望は斉国に封じられ、後に斉国の桓公が覇王となる。

覇王の目的は、周王朝零落後の中原に秩序を取り戻す事であり、覇権は原初における権力の形だった。覇権は同好同悪に基づく認知や承認を必要とせず、力によって正統化された。

三度(天祥、地宜、人順):
上度は天が祥瑞を顕して人々の希望が湧く事。下度は季節が順調で人々の営みに齟齬が無い事。中度は人々が順調に振る舞っている事。

度には物事を度る意味があり、それが転化して法則や基準の裏付けの意味となる。その基準や裏付けから権度 = 権力の基準、裏付けの概念が生まれた。

第5章 権制と勢節
孫子の兵法について。
覇王の兵についての記述。覇権は、自己規制を除けば、拘束を免れた権力である。軍隊の統率権も絶対的権力であり、軍権は覇権の一種である。

権力を解明の必要の無い自明のものとした。

第6章 兵権と節制
呉起について。

以下は、Wikipediaの「呉起」へのリンク。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%89%E8%B5%B7

孫子の絶対的な覇権に対して、呉起は相対的な一般権力を考えた。上下の別はあっても君主は絶対的な存在で無く、礼儀を守らなくてはならない。

権力には節制が不可欠であり乱用してはならない。ただし軍律は絶対であり、違反を赦してはならない。

第7章 軍権と推轂
中国において春秋時代が過ぎて戦国時代に入ると、勢力均衡による現状維持を保とうとする了解が生まれた?覇王の時代とされた春秋が去り、覇王によって支えられた秩序を列国が維持しなくてはならない。

以下は、Wikipediaの「慎到」の記事へのリンク。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%8E%E5%AD%90

天子は天の子供で、必然的に天下を支配する権力を持つとする儒教の主張を戯言とした。天子は秩序の象徴で、天下が存在する事を示す符丁に過ぎない。

創造主 = 神の存在しなかった中国においては、絶対的存在はあり得ず、森羅万象は陰陽によって成り立ち、変化は相互変化と相互補完で説明された。支配と従属の関係も固定されておらず、捨て去る事の出来る相対的関係である。

第8章 君権と法制
以下は、商鞅の説いた政治社会の始まり。

天地開闢とともに人民が生まれ、彼等は自分だけを愛した。その結果、他人との感情が険しくなるから世は乱れた。人々は他人に勝とうとして腕力を使い、争いが起こるが、相手の理不尽を決める基準が無い。基準が無ければ、自分の信じる事を通す事が出来ない。そこで賢者が現れて基準を立て、無私を教えた。人々は他人を愛する仁を覚えた。それが久しく続いて世は再び乱れる。聖人が再び現れて、乱れを収拾するために土地、財貨、男女の区分を定めた。区分を定めると規制するための禁令を設ける。禁令には司る者が必要であり官吏を立てた。官吏を纏める中心として君主が立てられる。

⇒上世は身内に親しんで自己を愛し、中世は賢人を尚んで仁を説び、下世は貴を尊んで官を尊んだとした

⇒君主の役割は官吏を統括する事であり、支配の役割を担っていない

君主の正当性は、所定の手続きと玉座によって保証される。君主は制度の産物で、権力は玉座に付着し、君主に具わっていない。だから、権力闘争が発生し、利益の分配を巡る権謀術数が渦巻く。

第9章 権謀と術数
中国における伝統的な権力闘争の一側面は、余禄と役得の多い官職を入手する争いである。

マキャヴェリズムにおいては力の衝突が想定されているが、権謀術数の場合は駆け引きの技巧が重視され、利権の分配や妥協が想定されている。

第10章 権柄と賞罰
賞罰は権力の二柄とする。それ故、賞罰は権力の威容を誇示し、秩序を保つ手段となる。

賞罰は権力者が権力を握っている具体的証しである。賞を授けられた事が栄誉とされ、受刑者が蔑まれるようになれば賞罰は正当性を認知された事になり、権力は承認される。

第11章 権力と繆行
中国においては、聖人教化の時代が過ぎて、王朝による政治支配が始まったとされる。変化の要因は人口増加である?韓非子によると、人口が少なければ分配の問題が発生せず、人口が増えた事によって権力の必要性が生じる?

言動に一定の論理と基準を定める必要性。

第12章 権力と制度
君主には、凡庸で愚鈍な者も多い。愚かな君主でも存在するためには、制度的裏付けが必要となる。監察権を実直で有能な者に渡す。宰相の概念。

第13章 権力とは何か?
以下は、Wikipediaの「晏嬰」の記事へのリンク。 斉国において60年ほどを宰相として過ごしたとされる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%8F%E5%AD%90

彼が権勢を保った理由は、権力の使用方法に熟達していたからとされる。

中国においては、西欧世界のような神聖不可侵で絶対的権力は存在しない。陰陽の相互補完と相互転化で成り立つ混沌の世界に絶対的権力は存在し得ない。

西漢王朝の祖法には、以下の三カ条があった。

①劉邦の血筋を引く者以外を皇帝にしてはならない
②無効な者に対する封候の禁止
③皇帝は宰相府に対して過干渉してはならない

上記③から、場合によっては皇帝に対抗出来る宰相が生まれた。宰相の任命権は皇帝にあったが、圧倒的優位ではない。

皇帝も宰相も制度によって正当性が担保されるため、自前の権力は存在せず、権力者は驕らずに節制しなくてはならない。支配と従属の関係でありながら、君臣は役割を分担して担っている。

権力は秩序であり、法に保障されて存在し、制度に支えられて存続した。制度は権力の表徴で、権力者は表徴の具現であり標識である。

権力によって牛馬を水場に連れて往く事は出来るが、水を飲めと強制出来ない。権力は何でも出来るが、全ての事は出来ない。

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体調が悪い

頭が痛い。

ここしばらくは、こんな感じだ。

生活は安定しているので、だらだらを楽しみたい。

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良く分からない事

以下は、『古代史の謎は「海路」で解ける』の記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-1925.html

6世紀に大和朝廷が食糧供給基地である屯倉を開くまで、瀬戸内海は航行困難であったという話。

1世紀頃に100年間活動した淡路島の製鉄遺跡 五斗長垣内遺跡について言及あり。

以下は、Wikipediaの「五斗長垣内遺跡」の記事へのリンク。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E6%96%97%E9%95%B7%E5%9E%A3%E5%86%85%E9%81%BA%E8%B7%A1

6世紀になるまで瀬戸内海が航行困難だったのなら、1世紀頃の淡路島に大規模な製鉄遺跡があるのは変な気がする。どのような必然性があるのか?何か見落としていると思う。

*************

以下は、『多民族国家日本と古代道路』の記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-1379.html

機内に道路が造られるのは6世紀頃?

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決着がついた事

自分の中で考えていた事に一つ区切りがついた。

NHKで放映された『NEXT WORLD 私たちの未来』の「第3回 人間のパワーはどこまで高められるのか」の寸劇に関する疑問。

以下は、「能動的に愛を求める事」へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-1956.html

①何故、アンドロイドの話なのか
『NEXT WORLD 私たちの未来』の第3回における特集内容は、パワースーツ等の能力強化機材であり、アンドロイドの取材はしていないはず。
関係無いアンドロイドの話になったのは、制作者サイドに自らを肯定する人造生命への欲求があったものと推測される。

②何故、盗み出さなくてはならないのか
自らに似たアンドロイドを購入する資金はあるのに、所望するアンドロイドは金欠を理由にして盗み出す。制作者サイドの感情として、自らのエゴを優先したのでなく、助け出したという形式にする必要があったものと推測。

③何故、社会的制裁を受けないのか
アンドロイドを盗み出したのに、社会的制裁を受けるどころか、アンドロイドと結婚している。自らが人道的優位にある確信。その確信を維持するためにこそ、アンドロイドを差別する人々を登場させなくてはならない。

『NEXT WORLD 私たちの未来』、『カスタム・チャイルド―罪と罰―』においては、「老い」というのが裏テーマになっていると思っていて、老いて醜くなった自らを信望する人造生命への欲求が根底にあるのだと感じている。

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自らのエゴは主張し難いのだと思う

以下は、Wikipediaの「陳橋の変」の記事へのリンク。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B3%E6%A9%8B%E3%81%AE%E5%A4%89

「自分から皇帝になったんじゃない。部下がどうしてもって言うから」

宋の太祖である趙匡胤こそが、「友達が勝手に応募しちゃって」とか主張するミス・コンテスト出場者の太祖であるのかもしれない(もっと古い例があるかな)。

社会的規範というのがあって、自分から進んで行ったのでなく、誰かを助けるために行ったという形式にする必要があるのだと思う。

以下は、やる夫スレの「日米人工知能論」の記事へのリンク。

http://mukankei151.blog47.fc2.com/blog-entry-10591.html

アメリカ製人工知能
→何故か高確率で暴走し人類の敵になる

日本製人工知能
→何故か高確率で暴走し冴えない男の恋人になる

⇒米国、日本の区分けでなく、自らが能動的に作り出したのか、受動的に引き取ったかの違いであると感じる。創造主は、被創造物に愛を注ぐものとする。しかし、親は子を選べない。醜い存在はいらない。ならば、他所で創られた美しい存在が自らを熱烈に愛する設定にした方が心地良い。

以下は、『風の谷のナウシカ』に関する記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-281.html

『風の谷のナウシカ』も似たような話と思っていて、主人公が腐海や巨神兵を作り出したのでなく、それらは穢れた他者の制作物である。穢れた存在によって作り出された人造生命から熱烈に好かれる設定?

戦争を無くすために創り出された巨神兵が予期せぬ暴走をして世界が滅びてしまったのだから、理想世界を実現する争いの心を持たない新人類を創り出しても予期せぬ問題が発生するはずである。

自然の守護者である事は、道徳的優位にあるための条件であり、自然を改変したり、人造生命を作り出す事は禁忌とする思考が広く行き渡っているのかもしれない。

****************

アイドルが好きな人の話を聞くと、「自分が貢献出来る」という事がアイドルを好きになる理由なのかもしれないと感じる。助けてあげれば自分を好きになる。特に、悪者から救ってあげれば確実に自分を好きになる。そのような観念があるように感じる。

それは日常の人間関係にも当て嵌まっており、自分が他人に貢献出来ると思うからこそ、自らが他人に好かれると思うのかもしれない。

自らを好む人造生命を作り出す試みというのは、そうした所に根本的矛盾がある。

誰にも貢献出来ない醜い自分を好きになる存在は不条理であり、その好意に納得出来ない。だから、虐げられている存在を救ってやるための舞台装置が必要になる。

突き詰めて考えていくと広がりそうなテーマだ。

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望ましい人生

望ましい人生というのがあるような話を聞いた。

重要なのは学生時代で、一度しかない青春を謳歌しなくてはならないそうだ。

僕が学生時代には、スクールカーストという言葉は一般的でなくて、僕自身は同学年での上下関係というのが良く分からなかったと思う。

スクールカーストとは、同学年なのに妙な階級意識を持った人達を説明出来る言葉と把握している。フィクションの世界で行われる素晴らしい生活に近付ける人間ほど望ましいという事なのだと思う。

以下は、「周囲の人間の男女交際の記憶」の記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-823.html

人目を引く程度の容姿であってもアニメの声優の話が好きだったり、並以上のコミュニケーション能力があっても女性が苦手な人がいる。選択出来た場合でも、望ましい人生を選択する人は、どのくらいいるんだろう。

少なくとも、僕の人生は望ましいものではないと思う。

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日本における進化論

以下は、「縄文数学や地動説導入とか」の記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-1948.html

日本における「地動説」の導入について書いたので、「進化論」がどのように導入されたのか何となく探してみた。

「日本人とは何か。」(山本七平著)にそれっぽい記述を見つけた。

鎌田柳泓(1754年~1821年):江戸後期の心学者。

鎌田柳泓は、珍しい朝顔を人為的に造れる事から、そうした事が自然に行われて様々な生物が出現したと考えた。天下にある植物は一種より変化し出現したとするも可。動物も一種より散じて万種になったとみるべし。

人間の胎児が進化の過程を経過して生まれてくる事に着目。人間は、胎中より展転変化して生じる。

自然淘汰の考え方も導入し、陽気や地湿に和合して、生き易い種が残るとした。

明治以後に、西欧の進化論が渡来した時に、日本人が少しも抵抗を感じなかった事に、欧州人が逆に衝撃を受けたというエピソードがあるらしい。

日本には、「神による創造」という思想は無かった?

これは無神論とも関係しているのだとか。

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能動的に愛を求める事

『カスタム・チャイルド―罪と罰―』(壁井ユカコ著)に引っかかった理由に思い至った。物語の構造が、NHKで放映された『NEXT WORLD 私たちの未来』の「第3回 人間のパワーはどこまで高められるのか」の寸劇の内容と重なる。

以下は、『カスタム・チャイルド―罪と罰―』に関する記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-1954.html

以下は、『NEXT WORLD 私たちの未来』の「第3回 人間のパワーはどこまで高められるのか」 に関する記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-1762.html

上記の2つの物語は、似ている。

カスタム・チャイルド:
返品されたデザイナーズ・チャイルドを育てる女性の逸話。デザイナーズ・チャイルドは、実母でもないのに育ててくれた事で、恩義を感じ求婚する。

NEXT WORLD 私たちの未来:
アンドロイド・マネキンを盗み出す老人の話。盗み出したはずなのに、人道を主張し、アンドロイド・マネキンと結婚する。

以下の2つの特徴。

①自ら求めない
人造生命を自分から購入する事は、悪しき所業とされている。他人が購入した人造生命を引き取る事で、人道的正義を主張する。人道的に正しい事をしたので、人造生命から感謝される。

②解り易い悪
差別や悪意の存在。人造生命を作り出す社会システムは批判しない。弱い悪役を作り出し、戦う事で自らの正義を主張する。

正義であるはずの主人公側が、結局は人造生命を劣った存在と見なしている事に違和感があった。優れた種である自分が、劣った種を救済してあげるという形式。ただし、劣った種としながらも好ましい存在であり、自らを慕っていなければならない。

******************

誰にでも、好ましい存在を作り出し、慕われたいという欲求があるのだと思う。しかし、そうした欲求を成就しようとする事は「悪」と感じられる?

だから、デザイナーズ・チャイルドなりアンドロイドを購入するのは、他人の役割となる。それも、適当に醜くて弱い他者である事が望ましい。

悪によってエゴを押しつけられている哀れな人造生命を助けて解放してやる。それは「善」である。「善」を行った自分は、感謝されて当然だし、客観的に見て「悪」であるはずの他者と同じ様に自分のエゴを押しつけているだけなのだが、それは結果的にそうなっているだけで、自ら選択した結果ではない。自己は潔癖なままでいられる。

能動的に自分の理想を押し付けるのでなく、自らの理想を体現した存在が向こうから求愛してくる。そうした状態を望んでいる。絶えず、自らの正義を示すための悪が存在し続けなくてはならない。だから、前提となる社会システム自体を変化させようとは思わない。

*****************

「恋愛」や「結婚」に積極的な人の意見として、草食とか自称している人間は、傷つきたくないだけのだそうだ。能動的に愛情を求めて傷つくのでなく、誰かに能動的に愛してもらい、自らは受け手でありたい。

誰かに好意を示す事は、それなりにリスクを伴うので、自然に生きていると多くの人間は防御的になってしまう。そして、そうした人間ほど騙され易いそうだ。

承認欲求の無い人間はいないが、防御的スタンスによって極度に承認に飢えてしまう。防御的な人間に対して好意や理解、受容を示すと簡単に信頼を得られるそうだ。

*****************

そういう話をされると困ってしまう部分がある。色々と言われても、新しい人間関係を構築する力が無い。

以下は、解決策?フィクションを含む。

①AKB
僕の周辺で、親族を中心にAKB48の握手会に参加する事が流行している。アイドルというのは、好き勝手に理想を投影出来るので便利なのだそうだ。

「幾ら好きになっても嫌われないんだよ」

彼等の友人の中には、アイドルデビューを狙っている人間もいるらしい。アラサーでは厳しいはずだけど、僕が間違っているんだろうか?

それについて話した時のT君の意見。

「○○君も参加してみれば?」

うーん。

②美少女ゲーム
会社の先輩に美少女ゲームが好きな人がいた。

「人間と仲良くなる前にゲームで練習するんだ」

借りてみたんだけど駄目だ。基本的に、ゲームというのは処理速度が遅いと思う。本や漫画の場合、読み飛ばしたり斜め読みが出来るんだけど、ゲームだと出来ない。

それに何といっても、練習しているはずの先輩が人間と仲良く出来ていない。なんか違う。

******************

精神的に弱っている時期なので、下らない事を考えてしまう。能動的に行動しようにも、そういうパワーが無い。自分がとても弱い状態であると自覚しながらボーっとしている。

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精神的に弱くなっている

前から何回も同じ事を書いているけど、精神的に打たれ弱くなっている気がする。

人生なんて30年くらいで充分だ。

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カスタム・チャイルドを読んで

『カスタム・チャイルド―罪と罰―』(壁井ユカコ著)を読んだ。

買わなくて良かった。

にも関わらず感想を書くのは、遺伝子に詳しい知人が読むと、突っ込みを入れそうな内容だと思ったから。

以下は、適当にあらすじ。

平行世界の2011年頃の日本が舞台。平行世界においては、遺伝子工学が発達しており、親が生まれてくる子供の遺伝子を操作する事が一般的になっている。

総領晴八郎還暦記念ジェネティクス・スクール(Sスクール)という高等専門学校への入学を目指す、3人の子供を軸に物語が進む。

総領晴八郎還暦記念ジェネティクス・スクール:
遺伝子工学を専門に教える高等専門学校。中学から入学する者は稀で、高校二年生、高校三年生の春に、一年時に入学し直す生徒の割合が多いほどの難関。

以下は、登場人物。

春田(吉一)倫太郎:
遺伝子操作で生まれた美形で長身の高校一年生。4歳の時に、望み通りの子供でなかった事を理由に返品された事がある。以来、製造先の会社の派遣社員である春野知佳に育てられる。犯罪者の遺伝子を保持しているらしい。

清田寿人:
遺伝子操作を受けていないジーン・ナチュラル。<ア>教という遺伝子操作を忌避する宗教を信望する両親に育てられる。自分がデザイナーズ・チャイルドよりも劣っている事にコンプレックスを感じている。

冬上レイ:
アニメ好きな父親に「綾波レイ」を模して造られた少女。14歳を過ぎて、父親からババアと呼ばれ始めている。

*********************

以下、読んでいて思った事。

<遺伝子操作による改良は可能なのか?>
遺伝子に詳しい知人に、遺伝子改良の可否について尋ねた事がある。

単一の遺伝子を操作する事による改良は困難であるという事だった。

例えば、多くの人間には一つの鼻と口、二つの眼と耳、手足がある。単一の遺伝子によって人間の形質が決定されるのなら、このようにはならない。人間の形質は複数の遺伝子が関わる事によって決定されるはず。鼻や口の数は、単一の遺伝子によっては決定されない。複数の遺伝子の作用の結果として、そのようになってしまっている。

多くの遺伝子が協調し合う事によって、人間は形作られる。だから、遺伝子改良のためには多くの遺伝子を操作するしかなく、長所を作り出すためには、短所を許容しなくてはならない。

望ましくない特性を無くし、望ましい部位のみの集合体を作り出す事は極めて困難。

そのような話だったと思う。

<反骨心の限界>
若くて、反骨心を持っているはずの登場人物が、結局は枠組みの中でしか行動出来ない。

清田寿人は、母親が遺伝性疾患で無くなった事が切っ掛けで遺伝子工学に興味を持つ。学ぶための手段はSスクールへの入学である。一方で、遺伝性疾患を保持しているが、自然科学の天才であるネジという人物が登場する。

物語の世界では、遺伝子操作を受けていないの多くは人間は、企業側に撥ねられ、労災の効かない危険で低賃金な仕事に就いているらしい。しかして清田寿人の父親は町工場を経営していて、裕福ではないが貧しくもない。

勉強するとなると良い学校に入学しなくてはならない。生活のためには企業に就職しなくてはならない。そのようになってしまっている。

現実のSスクールのカリキュラムは、テストが多く、成績を貼り出す事で競争心を煽り、逐一成績を家庭に報告する等、あまり学ぶ事に適した制度とは思えない。育成よりも優劣をつける事に主眼が置かれている事に疑問を持つ人間はいない。

後半になって、Sスクールへの入学が不可になった場合でも、他の学校で学ぶ選択肢を考えてしまう。

現代日本において、独学や独立起業が非現実的と思われている事を反映しているのだと思う。

<自由意志と罪の問題>
春田倫太郎や冬上レイの実母、実父は醜く描写されている。自らのエゴによって、望ましい存在を作り出そうとし、自らの思い通りにならないといって怒りをぶつけるのは理不尽であるらしい?

客観的に見て同じ事をしているはずの春田知佳は美しく描写されている?

この違いは、自由意志の問題であると考える。

春田知佳は、自分の意志によってデザイナーズ・チャイルドを作り出したのでなく、返品された子供を善意によって育てた設定である。それだから、春田倫太郎は春田知佳に恩義を感じなくてはならないのか?

読んでいてグロテスクだと思ったのは、春田倫太郎が春田知佳を「お母さん」でなく「知佳さん」と呼ぶ所と、終盤で、春田倫太郎が春田知佳に求婚する場面。

自分の意志を前提にすると、自らが責めを負う事になる。それだから、相手の側が自分を好いている事にしなくてはならないのかな?

自分の意志によって他人を操作する行為は非人道的であって正統ではない。だから、誰かの意志によって傷つけられた人間を救っているという体裁をとる必要がある。

春田知佳が正しいためには、彼女に対する悪人が必要であり、何だかそこが矛盾しているように感じられた。

**************

何か問題を引き起こし、皆を巻き込む人間は物語にとって不可欠であるのかもしれない。そして、多くの人間は起点にはなりたくないのだと思う。

問題に巻き込まれ、問題を解決する役割でありたいのだと思う。

自由意志と決定論の対立から考える?

誰からのエゴから問題が生じると考えると、自然に任せる事が最良だという事になる。しかして、既に問題が発生しているのなら、問題の原因であるエゴを別のエゴによって塗り潰さなくてはならない。

かくて、エゴは生じ続ける事になり、誰かが悪者になり続ける。

憎むべき醜い存在は、因果関係の説明のために必要とされる。

そうした世界観をどのように説明すれば良いのだろう。上手く纏まらない文章になってしまった。

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誘拐婚やら世界史ジョーク集からのコピペ

以下は、Wikipediaの「アラ・カチュー」の記事へのリンク。キルギスで行われている誘拐婚。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC

日本においても、「嫁盗み」の風習は存在し、1959年に鹿児島県大隅半島にて、「嫁盗み」のよる強姦致傷事件が発生したらしい。事件発生後、多数の地元住民から犯人への情状酌量を求める嘆願書が提出されたらしく、地元の風習に手を入れるべきでないとする意見もあったらしい。

*****************

「日常」や「普通」が存在すると、そこからの逸脱者が悪となる。人間の因果関係構築能力は厄介なもので、自らの認識が仮想現実であると認める事が出来ない。

*****************

以下は、「世界史ジョーク集」からのコピペ。

これはホンの噂だが、アメリカのホワイトハウスには、あの世とのホットラインが敷かれていて、 大統領達は、歴史上最も成功した帝国である古代ローマの指導者達に教えを請うているのだとか。

ここで、彼らの質疑応答の一例を拾ってみた。

Q.質問者:F.ルーズベルト
  海の向こうでファシスト達が暴れ回っていて、我々の同盟国達は
  今にも負けてしまいそうです。
  なのに、我が国の国民達は海の向こうの事には興味が無く、
  開戦に踏み切るムードが産まれません。
  どうすれば、我々も戦争に参加する事が出来るでしょうか?
A.回答者:大カトー
  まずは、国内の世論作りからだ。
  議会にせよ記者会見にせよ、とにかく公衆の面前で
  二言目には『ともあれ、ドイツと日本は滅ぼされるべきである』
  と言い続けたまえ。
  後は同盟国を動かして連中を締め上げていけば、
  向こうの方で暴発してくれるハズだ。

Q.質問者:レーガン
  財政赤字が深刻なのですが、良い解決方法はありませんか?
A.回答者:カエサル
  多少の借金で首が回らなくなるようではいけない。
  開き直ってドンドン借りてしまいなさい。
  目眩を起こすような額になってしまえば、
  債権者の方が逆に震え上がって
  『お願いですから経済破綻だけは勘弁して下さい』
  と泣きついてくるよ。

Q.質問者:クリントン
  妻以外の女性と交際していた事をマスコミに嗅ぎつけられて、
  色々な所から非難されています。
  こういう時は、どうすればいいのでしょう?
A.回答者:カエサル
  コソコソ交際しているから、色々言われるんだよキミ。
  こういう事はむしろ堂々とするべきだね。
  私を見たまえ、元老院で吊るし上げを食っている間にも
  愛人宛の手紙を堂々と書いていたんだ。
  政治家として大成するなら、
  こういう図々しさも必要だと思うぞ。

Q.質問者:ジョージ・ブッシュJr
  大統領になったのに、選挙の結果が怪しげだったせいか
  支持率が今一つ振るいません。
  また、国内の経済も上向きになっていません。
  どうすれば良いでしょう?
A.回答者:ネロ
  そういう時は発想を切り替えて、思い切り大きな需要を作って
  国内を活気づけると良いと思うよ。
  まずは、手近な大都市に火をつけて、
  パーッと燃やしてしまうんだ。
  そうすれば、都市の再建のために大規模な公共事業が出来るし、
  財界人や外国も沢山お金を出してくれるさ。
  え?自作自演だと疑われたらどうしようかって? 
  その時の解決策も簡単さ。
  自分の国では少数派の宗教の信者達の仕業にして、
  全部そいつらのテロって事にすればOKさ!

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今週が終わる

何も無いようで様々な事があったと思う。

今日、一日で500万円程度使った。金銭に執着が無くなるのは良い事だと思う。

現在の自分の状況として、自宅と障害者手帳があるので、あまり追い詰められるような事は無いと思っている。

多分、かなり老齢になっても仕事をする事になるので、自分なりの社会との関わりを模索する事になる。

しばらくは心穏やかでありたい。何かを心配したり、頑張ったりしたくない。

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