今年が終わる

今年が終わる。

大掃除やら何やらで疲れた。

来年の春には結婚式に出席する事になるので、礼儀やマナーを調べる事になる。相手に敬意を表明する事は難しい。

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デリダ

以下は、Wikipediaの「ジャック・デリダ」の記事へのリンク。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%80

「物語をどう語るべきか、私には全く分からない」

思い出を物語として語ると、思い出は不鮮明になり、他者に解釈を強要する事になる。

<現象学の影響>
根源的な意識は合理的証明の及ばない所にあり、直観だけが近付けるとする?本質的直観によって根本的な問題に到達可能?

1962年にフッサールは「幾何学の起源」を出版する。現象学に基づいて知識を構築する場合、個人的直観に基づいて知識を構築する事になる。それでは自らの直観に基づかない事象の真偽を把握不可能。自分の直観と他人の直観は異なると考えては、全ての意見が相対的になり、絶対的正義が存在しなくなる?

フッサールは、幾何学は相対主義に陥らない絶対的な真実を構築可能とした?幾何学の基本となる直線や点は疑念の余地が無い絶対的な真実として直観出来るとする?

デリダは、フッサールの幾何学の絶対性を誤っているとした?それは哲学自体の基盤に向けた疑念でもある。解決不能の矛盾。

フッサールは、幾何学の真理は、人間が直観する前から存在しており、既存の真理を人間が直観しただけとする?しかし、そのような真理は生きた経験に基づけないとデリダは考える?

人間が幾何学の真理を真理として受容するのは、人間が幾何学に論理を当て嵌めているからであり、幾何学の真理を直観に基づいて受容している訳ではない。

真理を直観に基づいて基礎付ける場合、解決不能な矛盾に直面する。有限な知性は有限な直観しか持たないのだから、自分が直観した真実が、本当に存在する真実と合致する保証は無い。

全ては相対主義に陥るため、絶対的真実を求める哲学は不可能になる。

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哲学的に人間の愚昧を証明しても、人間の知識は増加する。科学は因果関係、同一性、連続性等の概念に基づいて成立している。

絶対的真実を保証不可能であっても、幾何学的真実(例:三角形の内角の和は180度)は、絶対的真実として受容される。

<エクリチュール>
書く事、書かれた事。デリダの哲学は記述された文章を疑う事である?全ての文章には、形而上学的前提がある。思索に使用した言語の外側に到達不可能。言語には様々な前提や構造があり、思考を歪めてしまう。

事物の本質に含まれる真理ではなく、自らの言語に注目すべき?

言語は指し示す対象との本質的関係を持っていない。言葉に見出せるのは、対象との「差異」であり、言葉の意味は差異から生まれる。

文章によって現実を記述可能で、現実は論理によって特徴可能とすると、絶対的な真実を仮定しなくてはならない。さらに絶対的な真実は論理的であるとしなくてはならない。

実際には意識は論理以前の存在であり、人間は言葉という鏡を通じて世界を知っているに過ぎない。言葉を真とすると、実際に人間が知識を得る過程は論理や理性的推論の外側にあるので、真理の土台が崩されてしまう?

事実を論理的文章として記述すると、事実の大部分を捨象してしまう事になる。

<脱構築>
脱構築は、権威主義に抗う道具である。あらゆる構築に抗い、規範を疑う。それが脱構築である。

全ての言語は曖昧な言外の意味 = サブテキストに基づいている。それゆえに現実世界と完全に一致する事はない。文脈を成立させる習慣や前提を明らかにする。

ポスト構造主義では、全ての知識を文章として相対的に解釈可能とする?

フーコーは、知識には絶対的な前提条件 = 思考の台座 = エピステーメー = パラダイムがあるとした?それは各歴史的時期に特有な枠組みであり、人々が考える事は彼等の属する歴史的時期が決定する事になる。

デリダは、フーコーの方法論自体が近代的な理性という枠組みを使用しており、フーコー自体も理性に囚われているために自らが使用する言語の外側に立てないとする?

人間の考える事は言語の円環に縛り付けられており、質問は言語に従属して枠外に出る事は無い。

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現実は真理でも虚偽でもない。しかし、言葉が織り成された瞬間から、言葉によって紡がれた事象の真偽を明らかにする作業に巻き込まれる。現前、発話、証拠。

意識は無意識から逃れられず、知覚している自我は、過去の無意識の痕跡によって著述されている。その無意識もさらなる過去の無意識によって著述されているため、純粋な知覚はあり得ない事になる。

人間は、絶対的な真理無しに生活可能であるか?

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ごちゃごちゃ

色々な情報や思考がある。上手く形成出来ない。

自分と周囲の環境の境目、環境が変化する事による思考形式の変換、考える事自体によって作り出される事。

だj;ヵ;fkqぺwぽいえqっうぇqぽりh。

こういう感じになっている。明日から忙しい。

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来年に向けて

親族で何かイベントをする話があるらしい。

30代になると人間同士の関係が希薄になるので、こうした関係は大切かもしれない。

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低く評価されている人間や物、技術を高く売る事が儲ける方法だと思う。一部の人間だけが高く評価される体制は上手くいかないはず。

極端に高い技術や希少な品物だけを高く評価するのでなく、当たり前に存在するだけで良いとする風潮は作れないものか?

頑張っても評価される人間が一握りしかいないのであれば、誰も何もしなくなる。

社会的に存在しない方が良いとされる人間が、居場所を見つける方法は何だろう?

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プルーストとイカ

読んだ本の感想。

メアリアン・ウルフ著。2008年10月5日 第1刷発行。



PartⅠ 脳はどのようにして読み方を学んだか?
第1章 プルーストとイカに学ぶ
文字を読む脳を歴史と進化の両面から考察する。
メタファーとして有名なマルセル・プルーストと、長い中枢軸索を持つためにニューロンの研究対象となったイカについて?プルーストは読書を幾千の現実に触れる知的聖域として、イカは科学者の探求を助ける。両方とも読書の異なる側面を知る手段である。

第2章 古代の文字はどのように脳を変えたのか?
書字は、以下の閃きが相まって生まれた。

①シンボルによる表象
描画から抽象性を進めた線を刻む事による表現
②シンボルの体系化
個人の思考を時と場所を超えて保存
③音とシンボルの対応
言葉は個々の音の要素によって構成されており、シンボルによって物理的に表す

紀元前8000年~紀元前4000年頃の粘土片には記号が刻まれており、文字の元祖と推測される。数字と文字の発達は、永久記録を可能にし、目前に無い物品を数える事を可能にした。物体を視覚的記号によって象徴化する能力を可能にするには、以下の2つの脳内接続が必要。

①認知領域と言語領域の接続
②左右脳の接続

<神経学者 マイケル・ポズナー、マーカス・ライケルの実験①>
被験者に、意味の有るシンボル様の文字と、意味の無いシンボル様の文字を見せ、脳内活動を記録する。意味の無いシンボルを見た時は、脳後部の後頭葉にある視覚野しか賦活されない。意味の有るシンボルを見ると、後頭葉の角回(3つの脳葉の接合部に位置し、異なる情報を結び付ける)、側頭葉(聴覚・言語ベース)と頭頂葉(言語関連、空間認知、計算機能)が活動する。

⇒意味の有るシンボルを見ると、視覚情報を言語情報や概念情報と結び付けるよう脳内で処理が行われる。

紀元前3300年~紀元前3200年頃に、楔形文字やヒエログリフが誕生したとされる。それ以前は、ピクトグラム(表象する物体に視覚的に似ている記号)であったが、楔形文字は表語文字の要素と抽象性を増した。さらに時代が流れると、シュメール文字の多くは、口頭のシュメール文字に含まれる音節を表すようになる。ロゴシラバリー。文字が意味と発音の二重の意味を持つ。これは脳内処理の負荷が増す事も意味する。

<神経学者 マイケル・ポズナー、マーカス・ライケルの実験②>
被験者に「mbli」(意味は無い)と「limb」(手足・翼等の意味)の2つの単語を見せ、脳内活動を記録する。「mbli」の方は視覚連合野で認識された時点で、脳領域の賦活を止めるが、「limb」の方は、視覚野・視覚連合野が表象に対応し、前頭野、側頭葉、頭頂葉が単語に含まれる音素を分析し、連合野が単語の意味を処理する。

⇒同じ文字を異なる配列にするだけで、大脳皮質の半分の行動に差異が生じる。

現代では、中国語がロゴシラバシーの書記体系として分類される。中国人の脳は、表語文字を読むための空間分析機能や全体的処理に寄与する右半球の領域を活用しているとされる。物体認識を司る後頭部の37野。また、中国語を読む際に、他の言語よりも運動記憶領域が著しく賦活されるのは、漢字学習時に繰り返し書く事で漢字を学習するためとしている。

シュメール人に話を戻すと、シュメール文字の指導方法として、意味による単語分類を行う語彙リストと、共通する発音によって分類された語彙リストが見つかり、意味的・音声的に関連した単語を教える指導方法があったらしい。形態素と言われる要素に単語を分類して単語を形成する規則を体系化する等。

紀元前2000年頃にはシュメール語は死語になり始め、アッカド語に楔形文字や教育方法が継承される事になる。シュメール語の書字が姿を消すのは紀元前600年頃である。

アッカド語は日本語と同様に音節構造が単純であり、シンボルが個々の音でなく音節を表わす書字体系が適していた。古いシュメールの表語文字と言語の折衷のため、シュメールの文字を一部残し、他の単語は音節文字で表す書記体系となる(日本語が漢字と平仮名を併用している事と似ているのかな?)。

英語も同様に折衷言語であり、数々のルーツの融合である。例えば、「muscle」(筋肉)という単語では、「c」という発音されない文字が含まれる。muscleの語源はラテン語の「musculus」であり、cを発音する。さらにcは形態素(意味の単位)の側面もあり、「muscle」のcは英語の形態素の側面を視覚的に伝えている。
英語は音声言語としての個々の音の表現と単語のルーツの表現の妥協である。

第3章 アルファベットの誕生とソクラテスの主張
エジプトのワディ・エル・ホルで発見された紀元前1900年~紀元前1800年頃の書記体系は、アルファベットの原型とされる。以下の2つの疑問。

①アルファベットを構成する要素
限られた数の記号で全ての音を表す書記体系。
ワディ・エル・ホルの古代文字は、ウガリット語の書記体系より少し早いらしい。ウガリット文字は30の記号からなり子音記号と母音記号が組み合わされて使用されていた。紀元前2000年頃の原カナン文字はウガリット語と同様のアベセダリー(文字に一定の順序リスト)を持ち、フェニキア文字の子音体系となり、ギリシャ語のアルファベットになったとしている。
以下は、古典学者エリック・ハヴロックのアルファベットであるための3つの基準?
 1.限られた文字数(20~30文字)
 2.言語の音の単位を網羅
 3.個々の音素と視覚的記号が対応
②アルファベットを読む脳特有の知的資源はあるか
以下の3つの主張。
 1.アルファベットは他の書記体系よりも効率的で
   文字数を節約する。
   脳活動を解析すると、以下のようになる。
   ・アルファベットを読む脳:
    左半球の後頭領域の領域に頼る
   ・中国語を読む脳:
    両半球の多数の領域を動員
   ・日本語を読む脳:
    漢字を読む時は中国語と同様の経路を使用し、
    平仮名を読む時は英語と同様の経路を使用。
    前頭前野が賦活されない。
  ⇒日本語の平仮名は平明であるため、集中的な音韻処理に
   使用する前頭前野を活性化させる必要が無いらしい。
  ⇒左側頭葉後部周辺には、漢字・仮名から成る文章を
   読んだ時に活性化する皮質系がある。
   日本語はを読む脳は、最も複雑な読字回路?
  ⇒音節単位の仮名文字は音韻処理を省き、文節を気にせずに
   音節をマスター出来るらしい。
 2.アルファベットは斬新な思考を促進する
   文字は個人の記憶に頼った文化伝承から人間を解放した。
   しかし、それは文字全体の功績であるとしている。
 3.アルファベットは言語音に対する意識を高める
   音声を規則的に分割する特性がある。
   形態素と音素の対応に関する完全な規則

アルファベットは、口承文化を発達させたギリシャ文化と融合したとしている。脅威的な記憶力により叙事詩を保存していたギリシャは、文字によって保存されるようになる。記憶術と修辞的技巧は衰退し、別の形式の記憶資源と認知資源が生まれる。

アルファベットの書記体系が案出された後も、口承文化の方が文字文化よりも優れているという感覚があったらしい。ソクラテスによる書字への批判。ソクラテスとプラトンが活躍した紀元前5世紀~紀元前4世紀は文化の転換点と言える。ソクラテスは書字を批判したが、プラトンは会話を文字によって記録し、アリストテレスは読書を好んだ。

ソクラテスによる以下の3つの批判。

①書字は柔軟性に欠ける
話言葉を意味、音、旋律、強勢、抑揚、リズムに満ちた動的実体と考える。書字は反論を許さない。著者は、自らの思考を書く事によって思考を整理出来る事から、一世代後ならばソクラテスも意見を変えたかもしれないとしている。
②記憶を破壊する
古代ギリシャでは、膨大な資料を暗記し、吟味する事で知識を高めた。暗記した知識を教師との対話の中で磨く。個人が記憶力を鍛える機会が失われると考えた。
③知識を使いこなす能力が失われる
正しい教育を受けていない人間が知識に接続出来る。

著者は、ソクラテスが書字との戦いに敗れた理由として、①書記言語の能力を見定める事が出来なかった②新知識が普及する前の状態に社会が戻れなかった、の2つを提示している。

PartⅡ 脳は成長につれてどのように読み方を学ぶか?
第4章 読字の発達の始まり―それとも、始まらない?
子供が朗読を聞いた時間の長さは、数年後の読字レベルを知る判断材料である。生後六カ月で視覚システムが機能するようになると、視覚的に認識出来る物をラベリングの対象とする。生後十八カ月頃には、全ての物に名前があると気付く。

二歳~五歳では、一日平均二語~四語の単語を記憶する。語彙の発達が文章を理解する能力の下地となる。

読字研究者 ヴィクトリア・パーセル・ゲイツの研究では、三歳頃から読み聞かせを週五回以上して貰った五歳児は、書物特有の文学的表現を多用し、統語形式や長い言い回し、関係詞節を使える。

この後で幼児期の読字に関する研究について記述が続く。多分、仮説の域を出ないのではないか?

第5章 子どもの読み方の発達史―脳領域の新たな接続
以下の読字学習。

音韻:
単語を構成している音を聞き取り、分化し、理解する。文字の音の規則を把握。
綴り:
書記体系がどのように音声言語を表すか学ぶ。
語意味・語用:
言語と文化から単語の意味に関する知識を学ぶ。
統語:
文法的な形式と構造を学ぶ。

以下の5つのタイプの子供。

①まだ文字を読めない
生まれてから五年間は、本を読んで貰い、音・単語・概念・イメージ・物語と触れ合う。
②読字初心者
文字が言語と結び付く事を理解する。音節と単語に含まれる音素を読み取って活用する。単語解読を身に付けるには音素認識が重要で、読字能力の低い小学四年生の88%は小学一年生の時に単語解読力に難があるという意見。単語の脚韻、頭韻構造を聞き分ける童謡や、単語を手拍子やダンスで表すゲーム等で音素を認識させる対策。
読字初心者の脳は、意味処理の統合を担う角回・縁上回と言語理解の中枢であるウェルニッケ野の二つが大人よりも多用される。熟達するに連れて認知の負担は軽減される。
③解読に取り組んでいる読み手
半流暢な段階。語彙と文法の知識が蓄積される。
④流暢に読解する読み手
⑤熟達した読み手

第6章 熟達した読み手の脳
全米読字委員会による全米の小学四年生の30%~40%は、十分な読解力を備えていないという調査。

十分な読解力を供えるには、書いている内容を読み解くだけでなく、文章の伝えようとしている皮肉、意見、隠喩、視点を理解しなくてはならない。

ファンタジーは、具体的な認知処理の段階を卒業した子供の概念保持に最適である。読解プロセス向上には、予備知識を紡ぎ合わせて結末を予測し、推論を下し、自分の理解の欠陥を検討し、新事実が引き起こす変化を解釈する時である。

流暢な読み手の脳を分析すると、情動生活の中枢である辺縁系とその認知システムに接続する経路の活動が活発化している。辺縁系が感情を引き起こし、理解を支えている。
幼い脳が文字認識に苦労するのは、左右両半球の視覚野の大部分を必要とし、視覚野から側頭葉上部と頭頂葉下部を経て前頭葉に至る経路の処理速度が遅いためである。
流暢さを獲得するに連れて左右両半球の賦活から、より高速な腹側経路を活用するようになる。基本的な解読過程を左半球の特殊化された領域に任せる事で、左右両半球は意味と読解に専念する。

以下は、文字認識の500ミリ秒の間に起こる事。

①0ミリ秒~100ミリ秒:注意の神経回路の方向付け
他の対象から注意を逸らし(頭頂葉後部)、注意を新しい焦点に移し(眼球運動を司る中脳の上丘)、新しい文字に注目する(情報の統合を行う視床)。
注意の実行を司る神経回路網は前頭葉の帯状回にある。認識作業を行うために必要な情報は作業記憶に保存しておく。
②50ミリ秒~150ミリ秒:文字の認識
視覚情報によって、脳内で心的表象を生成する。中心視覚から情報を収集している間も眼球はサッカードと呼ばれる小さな運動を継続しており、その合間でに停留と呼ばれる眼球が停止する状態が起こる。読字時間の少なくとも10%は、戻り運動と呼ばれる前の情報を拾い上げる運動に割かれる。
文章の先も下見しており、数ミリ秒後に行う認識が容易になる。
読字を習得すると、側頭葉37野の一部が特定の綴りパターンを専門に扱うようになるという説。
③100ミリ秒~200ミリ秒:綴りと音素の接続
文字と音韻を結び付ける。読字出来ない人間は言語課題を前頭葉で処理するが、読字出来る人間は言語課題を側頭葉で処理するらしい。
この時、日本語と中国語の使用者は37野を中心とする左半球の後部側頭頭頂領域と右半球の後頭領野を多用するらしい。
④200ミリ秒~500ミリ秒:意味ネットワークの多様化
標準的な読み手の場合、200ミリ秒前後に意味情報の検索が行われ、意味が予測と食い違う場合は400ミリ秒前後で情報を追加し続ける。200ミリ秒を過ぎると、ブローカ野等の前頭領域や左側頭領域、右小脳からの統語情報が自動的に利用される。統語情報は、意味知識と語系情報に結び付く。

読字が熟達のレベルに達すると、ニューロンのレベルでの変化が発生し、仮説を生成し、読み手の文章に関する知識に統合するプロセスが進行する事になる。

PartⅢ 脳が読み方を学習できない場合
第7章 ディスレクシア(読字障害)のジグソーパズル
読字障害の基本的原因の候補は以下の通り?

①言語の基盤となる脳構造に遺伝的欠陥がある
角回や脳梁等の読字に必要な器官に損傷がある。或いは聴覚システムの不備。話言葉を音に分解出来ないと、文字と音を関連付ける事が出来ない。
②処理速度の不足
脳内での処理速度が遅い場合、読字回路の様々な部分が上手く機能しない。個々の要素を組み合わせて集合体にする事が苦手となる。認識した対象の名前を見つけるために視覚プロセスと言語プロセスを接続するのに時間を要する。
③ニューロン間での回路接続が出来ない
視覚情報が言語プロセスに伝達されない、左角回が機能的に接続していない等。
④異なる読字回路の使用
通常は左半球が文字の正しい向きを選択するが、読字障害者は半球優位性が生じていない等の理由で文字の向きを選択出来ない?脳左半球が受け持つはずの機能を機能代償の形で脳右半球が受け持っている可能性。

第8章 遺伝子と才能とディスレクシア
読字障害者の中に才能を発揮する物が存在する事例。非凡な空間認識能力によって、上下逆でも鏡文字でも文字を読む事が出来る等。

読字障害者の成人の脳は、側頭葉にある側等平面が左右対称である?通常は左半球が大きい。これは読字障害者の脳右半球が大きい事を意味する。

以下の二つの実験。

<ベス・イスラエル病院 グレン・ローゼンの実験>
遺伝子操作によって、マウスの聴覚皮質に人為的な病変を誘発し、読字障害者と同様の異常を視床に形成する。マウスは、聴覚情報を迅速に処理出来なくなった。

<ボストンの神経科医の実験>
脳室周囲結束性異所性灰白質の患者に、上記の実験と同様の原理。

⇒読字障害の原因となる機能障害が起こる脳領域は一つではない。読字障害者の中には脳右半球に依存する者がいるが、様々な脳左半球の弱点が、脳右半球の類似した領域を使用させる。

第9章 結論―文字を読む脳から、“来るべきもの”へ
レイ・カーツワイルへの批判。2020年までには脳全体をモデル化し、シミュレートするのに必要な情報収集と計算ツールが手に入るという予測。

著者の懸念として、コンピュータの画面に表示される情報に慣れると、読字が備えている注意・推論・内省の能力が発達しなくなる可能性があるとしている。

文字は誕生して6000年ほどで人間の脳内回路接続方法と人類の知的可能性を増加させた。読み手は記憶の制約に囚われずに認知や分析に脳内資源を注力可能になった。読字習得中に発生する脳内の基本的計算能力の並び替えが新しい思考方法の基盤となり、革新的思考を可能にする?

文字の発明によって会計システムが誕生し、意志決定技術が向上。文字は体系化と分類を促す。他人の思考を物語として理解出来る。

著者は、ソクラテスが文字に対して抱いた懸念と同様の懸念を抱くが、ソクラテスは間違っていたとしている?流暢に文字を読む脳を分析すると、推論・分析・批判的評価等の読解プロセスの間に、左右両半球の前頭葉、頭頂葉、側頭葉に及ぶ皮質領域を賦活している事が確認されている。それはソクラテスが懸念した読字による知的スキル喪失が間違っていた事を示している。

著者は、デジタルと文字の二つの形式を保存すべきとしている?

偏見に囚われた意見だと思う。本の中には、米国内に多くの学習不振児が存在する事が記述されている。一部の人間しか適応出来ないシステムよりも、より人間に適したシステムを普及させるべき。

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迷走中

調子に乗ってお金を使い過ぎた。

途中から店員の顔色が明らかに変わる。ボロボロのコートを着てボサボサの髪をした挙動不審の中年男性が大金を使うから驚いたのだろう。胡散臭そうに接していた態度が変わるのが居た堪れない。

「また来て下さい」

もう動かせる資金が少ないので、当分は来れないです。

仮想通貨を買う分の金銭は残しておいた。日本円は、ほとんど残らない事になる。

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『日本』という国家システムの終焉を予測する意見が多い。年金や介護、etcの限界。商品価格の値上がりや人口増加を前提としたシステムは崩壊しつつある。

それは『日本』の終焉ではなく、近代的な国家システムの終焉だと思う。発生するのは1秒後かもしれないし、10年後かもしれない。時期を予測出来ないが、100年以内には必ず発生する。

明日は図書館に行く。情報が全然足りない。自分は何も知らない。時間は足りないし、熱意や才覚も無い。そうした状態で終焉に向けた準備を進める。巨大な怪物との戦いだ。

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近代的なシステムというのを理解するためには、抽象と具体という区分けが大切だと思う。近代的な哲学は、抽象と具体という区分けから成立している?

そこから構築されるのは、ピラミッド型の社会構造だ。少数の抽象的思考を行う選良が、多数の具体的思考を行う人民を操作する。思考の抽象度が高まるほど、社会階層の上部に位置する事になる。

人間の知性は、抽象的思考力によって定まる事とされる。

ピラミッド型の社会階層が崩壊し、ネットワーク型の社会が誕生した場合、具体的に考える能力が必要とされるかもしれない。抽象と具体の区分け自体が無くなるかもしれない。

何が発生するかについての予測は不可能だと思う。

だから全ての人間において、成功する確率よりも、失敗する確率の方が高い。必ず失敗する前提で何かをする。今年がもう少しで終わるが、ラストスパートだ。

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年末が来た

仕事が忙しくなってきたような気がする。

暇な時間はあるので、スケジュールを予測して、必要とされる仕事を先回りする事が大切だと思う。

僕と一緒に仕事がしたくないという話はどこに行ったんだろう?

以下、やってみたい事。

①データベースやらネットワークやら
知識ではなく、思想的にデータベースやらネットワークについて理解したい。応用可能な体系を作り出したい。

②歴史的なあれこれ
歴史を軸にすると、色々な事が出来ると思う。
 ・美術館
  現在、古物を集めている。
  鑑定には相当な知識が必要だ。
  年代と量、過去に取引された値段が基本的な知識であり、
  細かい形態についても知る必要があるらしい。
 ・占い
  現代でも使用されている。
  上場企業の中には、占いによって経営方針を決定している会社が
  あるらしい。
  風水や易は、株式投資に有効活用出来るかもしれない。

③栽培
簡単に栽培し、食用や薬用に活用出来る植物がある。

⇒細かい情報を大量に集める分野に興味があるのだと思う。

*************

仮想通貨関連のコミュニティが元気になってきた。同時に、経済系のブログ等では仮想通貨は終わったという論調が目立つ。

投資環境自体は整っているので、本格的に仮想通貨を購入する準備をしたい。

最も安全に仮想通貨に投資する方法は、仮想通貨に関連するビジネスを立ち上げる事なのだと思う。

未開拓な分野だから、挑戦する人間は多いのだろう。

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はじめての言語ゲーム

読んだ本の感想。

橋爪大三郎著。2009年7月20日第1刷発行。



ヴィトゲンシュタインの哲学についての説明?

【前期ヴィトゲンシュタイン】
『論理哲学論考』について、以下の7つの命題。

①世界とは、かくある事の全てである
②かくある事、すなわち事実とは、事態が存立している事である
③様々な事実の論理的写像が、思考である
④思考とは、有意義な命題である
⑤命題とは、要素命題の真理関数である
⑥真理関数の一般形は、〔 p,ξ , N(ξ)〕 である
⑦語り得ぬ事については、沈黙しなければならない

上記①、②は、世界が様々な事実から成る事を述べている。
上記③、④は、世界が思考に反映して文章になる事を述べている。
上記⑤、⑥は、命題の性質や条件 = 論理学について述べている。

上記①~⑥は、世界と言語が一対一に対応している事を示し、上記⑦には、その事以外を述べてはならないとしている?上記⑦が記述された事により、上記①~⑥は述べてはならない事になる?メタな矛盾を示す?

『論理哲学論考』は、世界は事実によって成り立っており、思考は文章で表現可能としている。世界(事実の集合)と言語(文章の集まり)が対応する(写像理論)。

以下のように解釈可能?

(1)世界は、分析可能である
(2)言語も、分析可能である
(3)世界と言語は、互いに写像関係にある
(4)以上、(1)~(3)の他は、言語表現不可能 = 思考不能である

分析可能とは、それ以上は分けられない要素に還元出来るという意味である。より分解可能かもしれないが、意味ある物であれば分解しなくて良い。例えば、薔薇は分解しなくとも要素と考えて良い。

以下は、『論理哲学論考』のポイント。

①言語と世界が一対一に対応する
名前は物と対応する。文章は出来事と対応する。文章は、対応する出来事の有無によって真偽が定まる。

②集合論
「一対一対応」、「要素」は集合論の用語である。世界を『論理哲学論考』の中に表現する試み?

【後期ヴィトゲンシュタイン】
言語は、世界と一対一に対応しないとする。

直示的定義:
世界との対応が失われた言葉を、個々の事物と結び付ける事で対応させる試み。
例えば、「机」という言葉の意味が失われた場合、現実の机を持って来て、指差して「机」と定義する。それでは、世界中にある「机」の一つしか定義不可能なので、「机」の本質を指差す必要がある。「机」の意味が失われた状態で、「机」の本質を定義する事は不可能だ。

<言語ゲーム>
規則に従った人々の振る舞い。上記の直示的定義では、人間同士が互いの言葉を理解出来る事が不可解になってくる。誰もが本質を理解出来ぬまま、似ている事を根拠(家族的類似)に分類がなされる。

人間には、有限個の「机」を見ただけで、その他の対象にも当て嵌まる規則を理解する能力があるとする。「机」の規則を記述出来ないが、理解は出来る。

社会は、そうした無自覚の規則に従った多くの人間によって成立している。社会は、言語ゲームの集合である。

言語は、言語ゲームに複数の人間が従う事で、意志疎通の道具たり得る。言語と事物が結び付く保証は、多くの人間が規則に従う事である。

前期ヴィトゲンシュタインは、写像理論によって言葉が意味を持つ事を定義した。後期ヴィトゲンシュタインは、言語ゲームを根拠とした。考えるな、見よ。

根拠の無い言語ゲームが、根拠の終点である。言語ゲームによって意味や価値が保証されるから、世界に根拠を考える業から逃れる事が出来る?

H・L・A・ハート(法哲学者):
法とは、一次ルールと二次ルールの結合である。

一次ルールは、責務を課すルールである(文章化されない自然規則)
二次ルールは、承認・裁定・変更のルールである(文章化された規則)

一次ルールに言及するのが、二次ルールである。

どのような社会にも一次ルールは存在するとする。困った事態が誰の責任で生じたのか追及する言語ゲームだ。人々が法律に従う事が法律の基本であり、法律が文章化される事は二次的である。

法律を法律として記述する事は「承認」である。記述された法律によって社会が進行していく事が「裁定」である。そして記述された法律は「変更」する事が出来る。

このような関係は、一次ルールを言語ゲーム、二次ルールを論理学と考えると、ヴィトゲンシュタインの哲学と似ている。こうした思想を「法のルール説」と呼び、国家が強制的に法律に従わせる「法の命令説」と区別する。

「法のルール説」では、法律は人々の承認によって正統性を確保するため、国家も法律に従わなくてはならない。

*************

<悟りの言語ゲーム>
仏教を言語ゲームの観点から考える。仏教徒は、宇宙の真理を覚る = 認識する事を重視する。真理 = 法 = ダルマを覚ってブッダ(覚った者)になる事が仏教の目的である。

覚りがどれほど価値がある状態なのか分からないのに、価値があると信じて必死に修行する。言語ゲームを実行していると、言語ゲームの実在が存在し始める。

多くの人間が修行を実施する事で、覚りが実在し始める。

釈尊の死後、釈尊の悟りを信じる人々がサンガという集団を作る。やがて、出家してサンガの一員となる事を否定する大乗仏教が出現する。釈尊が生きた時代にサンガは無かった。在家でも条件を整えれば覚れるとする?

大乗仏教は、サンガを完全否定した訳ではないので、小乗仏教を一部として含む事になる。これはユダヤ教とキリスト教の関係に似ている?

<本居宣長の言語ゲーム>
江戸時代の思想について。

江戸時代は、下剋上を否定する儒学が奨励された時代だった。特に朱子学は正統性を重視するのに都合が良かった。

しかし、儒学の原則は、教育を受けた者は誰でも政治に参加可能である。身分制に縛られた江戸時代とは違う。

朱子学:
南宋の朱熹(1130年~1200年)の学説。科挙を正当化し、知識人を政治に参加させるべきとする?モンゴルの侵入で滅亡しかかっていた南宋における学説。

武士(軍人)が政治を支配する江戸時代の状況は、朱子学の原則と正反対である。そこで、現状を肯定したうえで、朱子学を取り入れる必要がある。以下の三人の学者。

①山崎闇斎(1619年~1682年)
天皇による承認を幕府の正統性の根拠とした?
②伊東仁斎(1627年~1705年)
③荻生徂徠(1666年~1728年)

朱子学は、孔子孟子の原典ではなく、宋代の中国社会に合わせた解釈である。宋代の中国は春秋戦国時代と異なり、官僚制が整備されていた。

そこで、日本の実情に合わせて儒教を実施すれば良い。伊東仁斎、荻生徂徠は、朱子学を批判して、孔子孟子の原典に帰るべきとした。

山崎闇斎の天皇による承認を幕府の正統性の根拠とする思想は、大政奉還の下地となった?

本居宣長(1730年~1781年)は、朱子学の枠を取り払い、儒学が日本に渡来する前から、天皇が日本の統治者であると証明しようとした。国学の起こりである。

本居宣長は、万葉仮名のような独特の表記を残し、口承伝承を含む「古事記」を重視した。そして、「古事記」以前の日本は、統治者の命令によって文字テキストを使用しなくとも、人々が自発的に道に従ったとした?

これは一次ルールと二次ルールの関係に似ている。

本居宣長によると、天皇は儒教が渡来する前から日本の正統な統治者であり、天皇に従う事は当然のルールであるとしている?日本には、他国と事なる言語ゲームの蓄積があり、どのような言語ゲームに属するかは、歴史的偶然である。

*************

写像理論と言語ゲームの違い。写像理論では、言葉と世界は無条件に対応している。言語ゲームでは、言葉が世界を指示して意味を持つのは、人々がそのように振る舞うからである。言語は、それ自体では存在しない。

こうして後期ヴィトゲンシュタインは、価値や意味を「語り得ぬもの」として排除する必要が無くなった。

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国家とインターネット

読んだ本の感想。

和田伸一郎著。二〇一三年四月一〇日第一刷発行。



技術の利用は、以下の三つの担い手のバランスによって成立するとする。

①国家
通常は変革を抑制するが、国際競争においては巨額の資金を投入する。
②資本主義
利益を求める。独占へ向かうか、過酷な競争に向かうか。
③創造的生産集団
技術の商用化や大衆化に無関心。

創造的生産集団の創作物が、国家や資本主義の型と適合する事が重要である。インターネットの普及は、新自由主義という国家の枠組みを超えた思想によって可能になった。

現代の三すくみを例示すると、創造的生産集団は、自由な情報共有を望む。資本家は、知的所有権を使用する事で市場を独占しようとする。国家は、危険な情報の流布や過度な独占を取り締まろうとする。

著者は、「倫理的ハッカー」という用語を用いる。創造的行為としてのハッカー精神を保有する人々。創造的生産へと向かう傾向を持たない行為はハッキングではないとしている。

ハッカーは社会を改善しようとする。問題点が社会にあると考えると、社会的ルールを改善しようとする。それは秩序を乱す行為でもある。

フランスの哲学者 フェリックス・ガタリによると、人間は社会的機構に志向を差し出して生きている。社会機構の構造を知らず、法律を常に正しい事とし、企業の提供する商品を無条件に信頼する。

ハッカー倫理は、そうした社会機械に委ねる思考を否定し、変革を引き起こそうとする。

<戦後社会の特徴>
マスメディアの普及による機械状隷属。アナログ放送は、国家によって管理された。団地等の住宅政策と補完し合い、大衆が作り出された。隔離された住居で同一の情報を受信する奴隷達。自動人形のように、会社員・学生・消費者等の役割りを機械的に演じる。

インターネットの開発は、上記の情報管理を崩す行為である。冷戦下におけるソヴィエト連邦の脅威が、米国政府に倫理的ハッカー集団の力を求める契機となった。ドゥールズ、ガタリによると、歴史上、国家は異質な外部集団を取り込んで利用したり、それによって破滅に追い込まれる事を繰り返しているらしい。

冷戦終結によって、インターネット環境を国家が所有する意味が無くなり、過剰設備を市場に開放する事になる。インターネット技術をグローバルに市場化出来たのは、新自由主義という国家の枠組みを超える思想による。

<新自由主義>
国家負担を軽減する事を目標とする。国家は様々な領域から撤退して、民間企業による自由競争に任せる。国家間の取り決めについても国際機関に任せる。

インタネットは民営化され、グローバルな競争によって世界的に普及する。

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忙しい一日

大した事はしていないけど忙しい一日だった。

自分の証明写真を何枚か撮影したけど、顔が左右非対称になっているのが気になってしまう。

僕の顔は右側が大きくて、左側が小さい。

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今日、思いついた僕の特技として他人の体温を感じ取る事が上手いと思う。相対している他人の興奮度が温度で伝わる事がある。唯、他の人間の感覚が分からないので、比較出来ない。
他人の考えている事も、自分の考えている事も分からない。

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身になる事は無いけれど、読んだり調べる事が楽しいと思う。

①データベースやプログラミング
②園芸
③占い
④歴史

本当に詳しくなれば、稼ぐ事に繋がる分野ばかりだ。そうした自分になれない前提で、読んだり調べたりする。

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考えている事が纏まらない

以下、纏まらない事。

2015年は、重要な年になると思う。来年中に金銭の使い方について目途をつける。自分の知識や技術が追い付かない事が心配だ。

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大量絶滅の後の繁栄という歴史や進化の法則があり、これからの100年間は生物が大量に絶滅する時期であり、そのために1000年、1万年の期間で考えると従来の常識を覆す生物進化が予想されるらしい。

秩序と混沌は表裏一体であり、秩序は混沌を熱源として、混沌は秩序が無ければ生成されない。極端に秩序を求める社会傾向は、社会から逸脱した存在を大量に生み出す行為であり、あらたな時代を到来させる。

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人類を永久に生かす、又は考えられないほどの長寿を実現させる研究があるらしい。自分が長生きしたくないという以上に、最低な人間が長生きする事を嫌がる人間が多いと思う。

素晴らしい生活が実在するとして、それに値する人間は存在するのか?

それだからこそ、長寿の実現を目指す志向は、別種の人間を生み出す研究なのだと思う。

素晴らしい人間が存在しないのなら、そうした人間を作り出せば良い。

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損失を出す時

何も変わらないはずだけれど、損失を出しているポジジョンを閉じる事に抵抗を感じてしまう。

500万円~700万円の損失を出す。その分だけ支払う税金が減る。

来年になったら同じポジジョンを構築する。

将来を見通す事は出来ないから、値上がる何かを買おうとすると、バランスを取るために値下がる何かを買う必要がある。

あらゆる対象は関係性の中で成り立っているので、損失や失敗は必要不可欠。

全ての局面で勝つ事は良くないが、慣れる事は出来ない。

全体を見通す事が出来ない。

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色々とあった

以下、今日あった事。

①200万円使った
ともかく今日の反省が必要。突っ走ったかもしれない

②結婚の連絡があった
10年以上前からの知り合いから結婚の連絡があった。来月にお披露目をするらしい。結婚式は春になるのだとか

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未だに興奮状態にある。

自分に分からない事が沢山あるので大変だ。もっと賢く生まれたかったが馬鹿なので仕方が無い。

情報量を多くする。データベース系の勉強が必要だ。

上手く文章が纏まらない。

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基準について考える事

以下、つらつらと書く事。

何かを買う時に、高いか安いかを何によって判断するか?

株式の場合は、株価収益率や株価純資産倍率を使用する。

株価収益率:
会社が一年間に稼いだ金額を、全て株主に分配した場合を想定する。色々な本に、分配される金額の20倍の株価が適当な株価であると書いてある。
例えば、A社の株式1単位が20円で売買されているとする。A社は、株式を10株発行しているとする。A社は1年間に10円を稼いだとする。この10円を全て株主に分配した場合、1株あたり1円が分配される事になる。

1株が20円で売買されているのだから、分配される金額 = 1円の20倍の株価という事になる。もしも、同じ金額が継続して分配されるとすると、1年間で1/20 = 5%の利回りとなる。株価が変化しなければ20年で元が取れる。

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株価収益率20倍が基準となるのは、10年期間の国債の利回りが5%である事が前提になっている?安全な国債を保有していれば、1年間に5%の利子を受け取る事が出来る。株式投資は国債を買う事よりも危険性の高い行為なのだから、5%以上の利回りが必要だ。

実際に稼いだ額を全て株主に分配する事は無いが、そのような理屈が通る事になる。

だから、株価収益率は絶対ではない。会社が急激に利益を伸ばす事が予想されるなら、成長性を加味するし、他の金融商品の動向も考えなければならない。

共通の価値基準として指標が一人歩きしているのだから、他の人間の反応も予測する。

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将来的に、共通の指標や過去の値動きを頼る事の出来ない状況が到来する。

特定の基準が幅広く普及すると信じれば、他者の動向を予測可能と信じる事が出来るが、それは不可能だ。過去は未来を予測出来ない。

それでも、過去を知らなくては一定の枠組みを構築出来ない。間違っている枠組みを間違っていると知りながら使用する。正解は存在しないからだ。

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市場のイドラと抽象性について

以下のコメントがありました。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-1702.html#comment319

明日の自分が考える事は、今の自分が考えている事とは違う。今はそういう時期です。何もしないという選択肢もありますが、良い機会なのでやってみたい。金額を制限しておけば、それほど害は無い。そんな事を考えています(何の事を言っているのか意味が解らないですね。すみません)。

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<市場のイドラ>

以下は、やる夫短編集『ウィンストン・チャーチル著 『第二次世界大戦回顧録』より』へのリンク。

http://mukankei151.blog47.fc2.com/blog-entry-8833.html

「WiLL2005年8月号」のコラム『繁栄のヒント』(日下公人)の引用。日本人は、礼儀を尽くすという欠点があるが、外交交渉においては駆け引きをするべきという話が、チャーチルの『第二次世界大戦回顧録』に書いてあるとしている。

この記事に付加されている「御感想or寝言」のNo39989に、以下のリンクが貼られている。日下公人氏のコラムは嘘であるらしい。

http://d.hatena.ne.jp/niguruta/20130126/1359208570

河出書房新社から出ている『第二次世界大戦』全4巻(佐藤亮一訳)を調べても、そのような記述は無いとしている。毎日新聞社版『第二次大戦回顧録』(全25巻)にも、そのような記述は無いらしい。

逆に、日新聞社版『第二次大戦回顧録』(全25巻)の11巻399ページには、以下のような記述があるらしい。

「長年の間、日本は凶悪な侵入と征服によって中国を苦しめて来ていたのである。そして今インドシナの奪取によって日本は事実上、そして三国条約によって公式に、枢軸国と運命を伴にした。日本は思う存分に振舞って、その責任を取れば良いだけの事であった」

参考になると思うのは、「御感想or寝言」のNo39989以降のコメントだ。嘘であるという意見があると、原書を確認しなければ分からないというコメントがあり、嘘であるという意見を無視したコメントが散見される。

○○人は礼儀正しい民族であり、我慢する美徳がある。その美徳が外交交渉においてはマイナスに作用するため、意見を主張しなくてはならない。おそらく、どの民族においてもそうした意見は支持され易いのだと思う。

信じたい意見を信じる。原典を確認しなければ分からないというコメントをする人間が現実に原書を確認する事は無い。可能性が0%で無いだけで真実だと思ってしまう。

あらゆる人間の発言について、原典を確認する事は不可能であるから、誰もが自分の信じたい意見を信じるしかない。

市場のイドラだ。権威ある人間が書いた本からの引用とすれば、確認する事無く信じ込んでしまう。やがて意見の出所は曖昧になる。交換されていく内に、正しい意見とされてしまう。

人間の認知特性がそうしたものであるのなら、僕の意見は必ず間違っているし、何が間違っているのか知る事も出来ない。

***********

<抽象性について>

以下は、『思い違いの法則』について書いた記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-656.html

『PartⅠ 体の感覚と思い違い 法則6 マップメーカーヒューリスティック』に、近距離にある事象は具体的に考えられるが、遠距離にある事象は抽象的に考えられるという説が記述されていた。

距離概念が、思考形式に影響するなら、仮想世界の普及は国民概念に影響するのかもしれない。

領土問題について考えると、係争地帯となっている領土を渡せば良いという意見が出てくる。これは抽象的な思考であると思う。あたかも、自らが帰属する民族の代表者であるかのように錯覚してしまう。

現実には、係争地帯付近には大勢の人間が住んでおり、そうした利害関係者の意見調整が必要であると思う。

自分の帰属集団が何かという感覚は無自覚的であるが、確実に思考に影響していると思う。

「○○人が無作法な行為をしても優しく接しなさい。そうすれば○○人は、私達△△人を礼儀正しい民族であると思う」

この時、礼儀正しいと思われる△△人とは意見を主張する当人である。自分の評判を良くするために他人に我慢を強要する。自民族という概念を通すと、このように奇妙な現象が発生する。

集団での話し合いにおいて、宥和策の主張が不利になるのは、自分の利益のために他人に我慢を強要するからだと思う。自民族という妄想に基づいても、結局は自分は何も損をしない。

環境変化によって具体と抽象の境目は揺らぐ事になる。

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作っていく

日々の行動や思考、今まで接した人達や情報によって自分が作り上げられていく。

今、この瞬間にも自分は変化していくし、これからも変わっていく。

今週末にかけて、色々と決断をする事になる。多分、失敗すると思う。

それでも、動くなら今だと思っている。

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欲しい物

会社の同僚が、子供のクリスマスプレゼントについて考えているらしいので、僕が欲しい物を考えてみた。

①異世界物の物語
最近、『小説家になろう』とかに掲載されている小説を読んでいる。どの話も異世界にワープして、冒険者ギルドで仕事を受注し、報酬を受け取る構図になっているように感じる。逆に、仕事を発注する側になる話が読みたい。

剣と魔法で怪物を倒すのでなく、運と常識で金銭を稼ぐ話はないものかと。

話を読んでいると、上手くいかない人間は怠け者みたいな扱いがあったり、放っておけばよさそうな魔王と戦いたがったりしている型が多いので、別の種類の話はないものかと。

②何かの技術
模型の組み立て、イラスト、コーヒーの焙煎、ミント栽培、ETCの小技が出来るようになりたい。少しだけ。でも修練はしたくない。

一般的なレベルより10倍上手く出来たり、10倍詳しい分野があると色々な可能性が広がると思う。インターネット上にはアドバイスを求める人がいたり、特殊な専門家を欲しがる人がいる。

僕も発達障害の診断持ちで、株式投機と外貨証拠金取引で2億円稼いだ経験有りとか書いて、売出してみようかな。

③会話可能な機械
自分が喋った事を文章化して記憶する機械。それに応答機能を組み合わせたい。特定のアルゴリズムを使用すれば、自分の考えている事を整理する事が出来るはず。

僕「○○について考えている」
機械「○○とは何ですか?」

(中略)

機械「状況を整理します。今の話題は■■についてですね?」
僕「その通り」

(中略)

機械「つまり、あなたは▼▼を殺したいと思っているのですね」

**************

人間社会と関わると疲れる。しかし、一人でいても辛い。嫌だと思いつつも会社に帰属して生活している。そうした状況から葛藤が生じると考えている。

現状の自分のテーマは、値段の付けられない物に値段を付ける技術だと思う。

機会があったら特殊な植物を栽培する技術を習得したい。

少なくとも今のところは、不自由な時間を必要としている。

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抽象性の廃棄

色々と本を読んで考えた事。

『人類はどこから来て、どこへ行くのか』(エドワード・O・ウィルソン著)の「Ⅱわれわれはどこから来たのか」―「11文明への猛ダッシュ」から。

以下は、人類社会の3つのレベル。

①平等主義
最も単純なレベル。狩猟採集民や小さな農耕集落等。指導者の地位は、個人の知力や勇敢さんによって担保される。指導者が死ぬと、別の個人が指導者になる。重要な決定は宗教的祝典の中でなされる。新石器時代以前の数千年に渡り採用されていた?

②階級社会
支配的地位は、家族等の遺伝的地位の者に引き継がれる。首長が褒美と罰によって支配する。支配層は、部族の生み出す余剰によって生き、余剰を利用して統制を強める。首長が権力を行使可能なのは、徒歩で半日以内に辿り着ける(最大で40㎞~50㎞弱)相手となる。

③国家
統治者は、徒歩で一日以上の距離にある、即座に連絡出来ない領土にも権力を行使する。領土が広範囲であるため、権力は首長に準じる統治者に委譲される。職務は、様々な専門家によって分業される。国家の長は、神への忠誠を誓う儀式によって権威を纏う。

人口が増え続けるほど社会の複雑性は増す。社会が安定的に存続するには、生体システムと同様に階層的操作が必要になる。国家階層は、相互作用するサブシステムによって成り立っている。サブシステムに属する個々人は、同レベルにある別のサブシステムの個人と相互作用する必要は無い。

階層構造は、複雑な社会を単純化して理解可能にする分解可能性という特性を持つ。統治者にとって、階層的組織は理解・管理が容易。工場労働者達や下士官兵達が、企画・立案をすると、階層的組織は崩壊する。

⇒おそらく、国家以降の段階がある。同レベルにある個々人が相互作用可能になり、階層構造の下部に存在する人間が意見を発信可能な環境が出現している。

**************

『具体と抽象』(細谷功著)を読んでいる。良い本だ。

具体的に考える事と抽象的に考える事の違い。

上記にある階層的組織を前提にする以上、上部に位置する人間ほど抽象的思考力を強化する必要がある?

具体を表現したはずの抽象が人間を縛るという意見が面白い。文法は、各個人の話言葉を抽象的に纏めたものであるはずなのに、絶対的な規則として君臨してしまう。ら抜き言葉や誤用(役不足、すべからく等)。

ヴィトゲンシュタインの言語ゲームに同じような考え方があったような気がする。

以下は、「ピーターの法則」についての記事。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-898.html

この本では、階層的組織の問題について書いてあるのだと思う。下部に位置するサブシステムで有効に機能した人間が、上部に位置するサブシステムで有効に機能しない理由は、抽象的思考力に限界があるからと考える?

具体と抽象の区分け自体が無くなる事があるのかもしれない。

現代経済における抽象性の象徴が通貨であるとしてみる。あらゆる物の価値を数値によって表現出来る。余計な情報は捨象する。

インターネットの普及によって、あらゆる需要と供給をマッチング可能になれば、通貨を必要としない経済圏が誕生する可能性がある。

ここで、『人類はどこから来て、どこへ行くのか』に戻る。国家システムが、即座に連絡出来ない領土にも権力を行使するために必要とされたのであれば、距離に束縛されない仮想世界上には国家システムに代わる体系が誕生するとしてみる。

人間の思考が社会システムによって定義されるのならば、全く異なる観念が誕生する。そこで活動するのは人間ではないかもしれない。

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私欲を主張する事が難しい

選挙とか色々とあったので思う事。

自分が帰属する共同体を意識する場合、自分の私欲を主張する事が難しいと思う。

共同体にとって望ましい自分であるように行動したい。

一方で自分の欲求や保身というものもある訳で、両者のバランスをとる事なのかな。

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この数週間は、自分の職場対応の事とか、自分の金銭の事ばかりを考えていたので、それで良いのかと。被災者とか困っている人もいるけれど、何もしていないし、誰かに行動して貰っている。

社会的に、自分は存在しない方が良いのではないかと思いつつ、他人に頼っているのでどうしたものかと。

そうした事を考えながら、明日も会社に行くわけです。

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世界が仮想世界である事、業務改善には大義名分が必要

以下は、『この宇宙が仮想現実である10の根拠』へのリンク。

http://karapaia.livedoor.biz/archives/52179386.html

認識出来る物理世界が実在すると考えると矛盾する。現時点では、そうした事が問題になっているのは、学問の世界に限っているような気がする。

一般的な人間は、物理世界が実在すると考えても、何も困らない。

地動説やら進化論やらは、移動技術やら医療技術の進歩に対応するために受容されたのだと思う。僕の考えている事も、僕の生活上の必要性によって規定されており、液体のように僕の思考は変化していく。

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業務改善について考える事。上手く書けない。

昔、「業務改善タスクフォース」という会社内のチームに入っていた事がある。皆で業務改善のための意見を出し合って、生産性を高めるのだ。

このチームの活動は時間の無駄になってしまった。原因は、止める事の困難さだ。

「業務改善タスクフォース」にて、最初に提案された意見のほとんどは無駄を省く事だ。「年次で各社員が作成させられる目標シートは時間の無駄だ」、「セキュリティ強化を理由にして、資料の電子化が進んでいない」、「情報漏洩防止のために、複数台のパソコンを使わせられている」、etc。

仕事の無駄は、誰の目にも付き易い。障害となる事象を取り除けば良い。誰もがそう思う。しかし、実際には無駄を省く事は難しい。

『面倒臭いからやりたくない』

上記のような意見を堂々と主張する事が出来ない。何か問題が発生すると、再発防止策を作成しなくてはならない。それが有効に機能しなくとも、止める事が出来ない。

例えば、大震災に備えるため、全ての社員にヘルメットや防災用具が配布され、所持が義務付けられたとする。置き場が無いし、管理も出来ない。そうした機能しない解決策に多額の金銭を費やす事は無駄だ。しかし、地震という問題が発生する可能性があるのだから、何か対策が必要になる。防災という大義名分に対して『面倒臭いからやりたくない』という意見を主張出来ない。何か高尚な理屈が必要になる。正義は確かに存在し、僕達を縛る。

***************

周囲に存在する発達障害者に迷惑している人間の意見を読んでいると、『面倒臭いからやりたくない』と主張出来ない事が問題のように思えてくる。

その人は、関わらなければならないほど価値のある人間なのか?

周囲の人間が囚われてしまって狂った判断がなされてしまう。

以下は、「アスペルガーは千葉へ行けない」の記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-52.html

多くの共同体において、問題のある人を「監視する」、「無視する」のどちらかの対処をしていると感じる。

凝視すれば問題が見つかる。問題が見つかった事が、凝視する事の正当性を証明した事になる。

無視すれば当座は不快な思いをしなくてすむ。それが無視した事の正当性を証明する。

それが『発達障害』の難しさだと思う。職場にアルコール中毒の患者がいた場合、監視する or 無視するという解決策は狂っていると見なされるはずだ。

しかし、「発達障害」については、仕方が無いと思われてしまう。大義名分の主張以外に、本当に有効な方策が必要なのだと思う。宇宙が仮想現実である事が本当に問題視されるのは、22世紀後半かな?同じように、人間に心が無い事が問題になるのも遠い未来の事なのかもしれない。

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地球は太陽の周りを回っていない

以下は、『え?ホントの話!?地球は太陽の周りを回っていなかった』へのリンク。

http://spotlight-media.jp/article/89829606368920560

太陽自体が猛スピードで銀河系の中を移動しているため、太陽系の惑星は螺旋を描きながら移動しているそうだ。

この話の次の展開として、銀河系自体も宇宙の中を猛スピードで移動しており、宇宙自体が移動している可能性もあるという事だと思う。

移動する事自体の????とか、時間の?????とか学問的な解釈は困難だ。

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人間の思考や認識は間違っており、正しい事は不可能だと思う。何かを理解するには、背景にある前提条件が必要になる。

自らの立つ大地を不動点と見なせば天動説になるし、太陽を不動点と見なせば地動説になる。

絶対に疑う事の出来ない確信 = 中心が説 = 理論 = 物語を形成するためには不可欠と考える。

不動点が存在しないと考えれば、僕の考える事は必ず間違っているし、この瞬間にも変化していく。

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前方後円墳の世界

読んだ本の感想。

広瀬和雄著。2010年8月20日 第1刷発行。



前方後円墳が表す以下の要素?

共通性:
首長が死後も共同体の再生産を保証するための祭祀として、各地に共通の墳墓が築造された
階層性:
古墳の規模が違うのは、国家内の序列 = 階層性を表す

プロローグ―東京の古墳公園を訪ねて―
前方後円墳の時代を三期区分すると、概ね以下のようになる。

前期:
三世紀中頃~四世紀後半頃
中期:
四世紀後半頃~五世紀後半頃
後期:
五世紀末頃~七世紀初め頃

上記の約350年間に、日本列島で約5200基の前方後円墳が築造された。墳長100m以上の大型前方後円墳は302基で、その内の140基は畿内に集中している。墳長200m以上の大型前方後円墳は35基で、その内の32基が畿内地方に集中している(残りは吉備地域、岡山県に2基(造山古墳、総社市作山古墳)、上野地域、群馬県に1基(太田天神山古墳))。

この事は、畿内の中枢に日本の中央が成立していた事を示す。著者は、前方後円墳の思想として、首長が死後も神として共同体を守護する共同観念が前方後円墳という形で、各地の首長層を覆ったと考えている?

共通性と階層性を見せる墳墓が前方後円墳と考える?

Ⅰ 前方後円墳を読む
前方後円墳を規定している要素は、以下の3つ?

①祭祀
共同体の再生産に対する願望を基軸にした共同観念
②政治
社会秩序維持が政治であり、暴力と同意が政治の属性である。共同体の紐帯が共同性である
③墓制

1 <見る/見せる>墳墓・前方後円墳―その形と立地―
各地の前方後円墳には、形や副葬品の組み合わせ等に一定の約束事があり、地域的個性を貫く共通性や画一性がある。さらに、古墳の大きさの違い等からは階層性が伺える。

少人数の墓にしては大き過ぎる事、埴輪等の飾り、交通の要衝への立地等から、墳丘を見せる機能が重要視されていた?西陵古墳、宇度墓古墳等、周囲に平野が無く、港として重要だったと推測される地に古墳が築造される事が多い?

生産性の基盤となる地でなく、交通拠点に可視性の高い墳丘を築く。

<朝鮮半島の古墳との違い>
①外部装飾
日本において6世紀~7世紀に流行した群集墳が多く、埴輪を並べる古墳は栄山江流域等の一部に限られる。可視的要素が弱い。
②形状
日本では、前方後円墳、前方後方墳、円墳、帆立貝式古墳、等の多形な墳形があるが、基本的に朝鮮半島の古墳は円墳(高句麗では方墳)で統一されている。
③規模
日本には墳長200m以上の古墳が35基あるが、新羅の皇南大塚古墳(墳長120m)、太王陵古墳(墳長66m)を除くと、朝鮮半島では直径10m~20mの古墳がほとんどである。

朝鮮半島では、巨大な墳丘に価値を認めず、可視性の弱い墳丘となった?

2 死してカミとなった首長―前方後円墳の祭祀―
時代が下るに連れて、古墳の各段において最上段が高くなる?
前期古墳の副葬品は、大雑把に以下の3種類。

①威信財
鏡や玉等の宝器。首長の権威を表す
②武具
鉄剣や甲冑等。暴力を体現する
③生産財
鋤や鎌等。食料生産に必要な器具

各種製品は共同体の存続にとって必須。首長に死後も活躍して欲しいという願望?渡来人系の古墳を除くと、食器などの生活財は埋葬されていない。東アジアの同時期の墳墓には陶質土器が埋葬されている事とは異なる。共同体的色彩を帯びた製品が埋葬される。

また、朝鮮半島では紀元前1世紀後半頃から鏡の副葬が減少するが、日本ではその頃から中国鏡が副葬され始めている。

<内方外円区画>
後円部の埋葬施設上部に内方外円区画が設けられている。三世紀末頃に造営された桜井茶臼山古墳で確認されている。埴輪が方形壇に並べられる事が多い。

この区画は、古代中国の天円地方の観念によるとしている。大地は方形で人の住む空間、天は円形で神の住む空間。前方後円墳の内方外円区画は、天円地方の観念を墳丘に再現するものであり、首長の遺骸が内側の方形区画で神に昇華し、後円部墳頂の円形区画の中で共同体を再生産すると考える。

3 弥生神殿のゆくえ―葬送観念の連続・不連続―
亡き首長が神として共同体を守護する首長は、三世紀前半頃の弥生墳墓(福岡県糸島市 平原一号墓、奈良県桜井市 ホケノ山墳墓)にも見られる。神殿と見なし得る独立棟持柱建物。

米倉のような建築様式で外部から遮断された密閉空間にて、埋葬に伴う秘儀が執り行われた可能性。

独立棟持柱建物は、側柱だけで構成される普通の掘立柱建物と違い、妻の外側に棟持柱を設けたものであり、神が住んだ神殿と考えられる。瀬戸内海地域や日本海地域では、弥生時代後期以降、首長墓が丘陵に作られるようになり、不特定多数の人間に見せる墳墓としての特性を持ち始める。

そうした弥生墳墓を大型化したのが前方後円墳と考えられる。首長層の墳墓祭祀に、中国から渡来した天円地方の観念が統合される。各地の個性が古代中国思想によって一定化、均質化する。

楯築墳墓、西谷三号墳墓、神郷亀塚墳墓、ホケノ山墳墓等には、中国起源の木槨の中に木棺を納める共通性があり、弥生時代の日本に自生しない木槨の使用は、各地の王の密接な交渉を示唆するとしている。

著者の考えとして、西日本の首長層が一個の利益共同体の結成を結成する必要に迫られ、三世紀頃に創出された前方後円墳祭祀は、各地のイデオロギー的一体性を表す儀礼装置としている?

4 古墳時代の霊魂観―装飾古墳から考える―
霊魂観を考える素材となる装飾古墳を、描かれた図文の意匠から、以下の四段階に分ける。

第一段階:象徴的な装飾文様
岩戸山古墳、八女古墳群等。石棺の装飾。三角形の棟の両側の傾斜面に同心円文が刻まれ、下面に直線と弧線を組み合わせた直弧文が刻まれる。彩色は無い。呪力で遺骸を封じ込め、邪悪を防ぐ辟邪の観念に基づく?
石棺や石障だけに図文が描かれ、石室壁面等には装飾が無い。墓室空間は観念的防御の対象になっていない。

第二段階:カラフルな色彩
五世紀後半から六世紀前半に、カラフルな図文が出てくる。鍵手文、対角線文等も現れ、石室の中の遺骸収納空間のみを絵画、文様で飾る。

第三段階:船・人・動物等の具象を描く
六世紀前半から七世紀初め。具象的な絵で壁面を飾る。玄室内部全体が辟邪の対象として装飾空間になる。

第四段階:玄室の外への線刻
七世紀の初めから七世紀中頃。金属工具で船、木の葉、格子文等を線刻する。彩色はせず、伝統的な図文も無い。文様が墳墓の外壁に描かれ、外部の人間に見せる形になっている。墳丘が無いために可視性に乏しい横穴墓を見せたい欲求?

辟邪の文様が石室空間全体に拡大したのは、動く存在としての霊魂が観念として定着したと考えられる?動かない遺骸から石室内を浮遊する霊魂へと辟邪の対象が変更される。霊肉分離の観念。この頃から北・中部九では須恵器等が副葬され、実際の食物が供献される事例が出てくる。生活容器類の副葬の一般化は、霊肉二元論が共同観念となった事を示す?

古事記や日本書紀等でも、死後の世界は可視的で往還可能、属人的で聖なる他界とされる?肉体と霊魂は不即不離の関係にあり、墳丘は可視的で日常の中の非日常である。追葬の度に現生の人々は死後の世界を覗き見る。個々の首長の属人的他界であり、誰にでも共通した他界ではない。

共通化した他界としての死後の世界は、仏教的思想?五世紀中頃以前の古墳では、首長の遺骸は政治的身体として共同体的性格の墳墓が作られた。

霊魂観の浸透によって個人性が齎され、個人に帰属する霊魂が共同の他界に生きる事になる。

亡き首長が神として生きる思想は空洞化する。畿内地域でも五世紀後半頃から須恵器の副葬が一般化し、朽ち果てる遺骸と、浮遊しながら土器を使用して食物を食べる霊魂が共存する事になる。

Ⅱ 前方後円墳どうしのつながりを読む
古墳の発生は、首長の地位の外的承認であり、世襲制の発生の現れである。古墳時代の政治構造。

5 初期大和政権の実像―畿内五大古墳群―
以下を畿内五大古墳群と呼ぶ。前方後円墳130基、前方後方墳6基が集中する。

①大和・柳本古墳群
②佐紀古墳群
③馬見古墳群
④古市古墳群
⑤百舌鳥古墳群

①の大和・柳本古墳群では三世紀中頃から四世紀中頃?にかけて23基の前方後円墳と5基の前方後方分が作られたとしている。首長の一代が20年前後とすると、6人~7人の首長が一代一墳的に四~五基ずつの前方後円墳を築造したと考える。

奈良盆地の各所に分散居住していた複数の有力首長が政治的結合を示威するために三輪山西麓に墓域を結集したとする。

6 地方首長をどのように統治したか―九州と東国の例から―
地方における前方後円墳。著者は、方形周溝墓の数から、律令制下の一~二郷程度の領地を統治した農耕共同体の首長が方形墳墓を造営し、それらを束ねた大首長が前方後円墳を造営したと考える?

神奈川県 長柄・桜山古墳群のように、周囲に可耕地の無い古墳群も多い。在地社会の生産性向上によって前方後円墳が造営されたのでなく、中央との関係性を誇示するために交通の要所に前方後円墳を築造した可能性。

また前方後円墳は三世紀中頃から三世紀後半頃に日本列島の広い地域で同時多発的に造営され始める。

①弥生墳墓の伝統の無い地域
茨城県や栃木県等の水田耕作の伝統が短い地域でも前方後円墳が突如として出現する。炭素十四年代法によれば、稲作が開始されてから前方後円墳が築造される期間は、北部九州では約1200年、近畿では約800年、南関東では300年~400年。

②共通性
墳形、施設、副葬品等に共通性がある。鉄製品や青銅製品が東国等の遠隔地にも届けられている。四世紀中頃に築造された福島県 会津大塚山古墳には三角縁神獣鏡、鉄製武器等の畿内と同等の副葬品があった。広域に及ぶ首長網が形成されていた事の証明?

③前方後方墳
東海地方などでは、前方後方墳を選んだ地域がある。しかし以下の点から二項対立にならない。
・吉備や播磨でも初期の前方後方墳が顕著だが、前方後円墳に
 比べると劣勢
・東国で前方後方墳が卓越した地域は栃木県と埼玉県に限られ、
 他の地域では併存している
 ⇒首長層の下位グループが前方後方墳を使用したため、
  畿内より東の地域で小型前方後方墳が築造された?
・三世紀頃の大型前方後方墳は畿内にある。
 下池山古墳、元稲荷古墳等
・割り竹木棺を堅穴石槨で覆う埋葬施設や、三角縁神獣鏡等の
 副葬品は前方後円墳と変わらない

著者は、墳丘規模や副葬品等が前方後円墳の方が優位である事から、前方後円墳と前方後方墳の併存は、首長層にランク付けがあり、低ランクの首長が前方後方墳を使用したとしている?東国には低い地位の首長が多かったため、前方後方墳が多い?

7 変わりゆく中央と地方―五世紀・東アジア情勢の中で―
<河内政権論>
古墳群の移り変わりから、王権が交代したとする説。
畿内五大古墳群から考えると、①大和・柳本古墳群から②佐紀古墳群を経由して、大阪平野の④古市古墳群、⑤百舌鳥古墳群へと古墳群が造営される地域は移り変る。古市・百舌鳥古墳群を使用したのは、交代後の河内政権だったのではないかという説。

イリヒコ系からワケ系への呼称変化を通じて、崇神・垂仁直系でない応神が、三輪王権に代わって河内に新政権を起こしたという説。

著者は、四世紀と五世紀の巨大前方後円墳の構造が劇的に変化していない事から政権交代を疑問視している。④古市古墳群、⑤百舌鳥古墳群は、五世紀末から六世紀初め頃に収束し、その後の大王墓は摂津・河内・大和で単独墓として造営される。

奈良盆地北部の②佐紀古墳群、奈良盆地西部の③馬見古墳群でも、五世紀を通じて巨大前方後円墳が築造された事から、河内政権と対立した政治権力が畿内地域の同じ大和水系を使用した事は考え難いとしている。

<巨大古墳の環大和政権配置>
大阪湾の北部に「五色塚古墳」(4世紀末築造)、南部に「西陵古墳・宇度墓古墳」(5世紀前半頃に築造)がある。大阪湾から住江津に上陸して、奈良盆地に移動する間に、「百舌鳥古墳群」、「古市古墳群」(両方とも4世紀末に築造)が見られる。
奈良盆地は、佐紀古墳群(4世紀後半頃に造営)、馬見古墳群(4世紀末に造営)、室宮山古墳、大和・柳本古墳群に四方を囲まれている。
五色塚古墳
(明石海峡)
 佐紀古墳群 
 百舌鳥古墳群古市古墳群馬見古墳群奈良盆地大和・柳本古墳群  三輪山
西陵古墳・
宇度墓古墳
(紀淡海峡)
 室宮山古墳 桜井茶臼山古墳・
メスリ山古墳


政治権力の大きささや政治中枢の所在を、政権拠点を訪れる人々に誇示する狙い?

四世紀末から五世紀後半にかけて朝鮮半島から文化が流入した。渡来文化が五世紀~六世紀にかけて各地に定着したと考える。東国地域では六世紀後半頃から前方後円墳が急増する事から畿内政権の文化を使用した勢力拡張が伺える。

六世紀後半~七世紀前半ころに壱岐島に国境防衛と外交の拠点が設置され、中央政権が主導性を発揮した。その流れの中で東国の首長層を再編成し、政治的結合を深めるために、集団的帰属意識を強化する墓室の革新が行われた?

七世紀初めに前方後円墳を通じた中央―地方の政治構造が廃棄されたのは、新しい国家体制である律令制への変換が理由であるとする。

隋・唐や朝鮮半島と対抗する上で、霊魂観の浸透によって共同性を旨とした前方後円墳祭祀が形骸化したために、新しい政治秩序を構築する必要があった?

8 北と南の国家フロンティア
沖縄諸島の貝塚後期文化と北海道・北東北の続縄文文化について。遺跡を調べると、交易拠点があり、政治権力の周劉生や武力に格差があったにも関わらず、異なる文化が交流していたとしている。

また、末期古墳と呼ばれる直系10m未満、高さ1m内外の円墳が七世紀前半頃から九世紀にかけて北東北に築造されたとしている。北海道の石狩低地帯にも少し見られる。青森県 阿光坊古墳群、青森県 八戸市丹後平古墳群、岩手県 江釣子古墳群等。

同時期に、防御性を高めた囲郭集落が大崎平野に出現し、律令国家の東北経営の拠点が築かれる事から、移住民の存在が契機となっている?

大量移住は、六世紀後半頃に壱岐島に対しても国家政策として行われている。六世紀後半から七世紀前半ころに壱岐島で構築された横穴式石室には権威を見せる機能があった?

エピローグ―古墳時代の新たな見方―
古墳時代の政治システムは、首長同士の繋がりにあり、人と人の連携によって政治秩序が維持された。律令国家のような領域支配は無い。制度的領域国家体制は律令体制によって構築された。

人的統治システムから領域的統治システムへの移行。著者は、古墳時代を律令制の準備段階と見なすのでなく、一つの時代として考えるべきとしている?

交易網の維持という共通利益の保持が首長層の役割であり、そのために共通の価値観を持つ政治的共同体が必要とされる。一個の利益共同体としての前方後円墳国家。

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昔の方がレベルの高かった物

以下は、インターネットの掲示板で見つけた「昔の方がレベルの高かった物」のコピペ。色々と組み変えている。

①娯楽
かつてはオタク、非オタク、男性、女性にまで幅広く人気のある作品があったが、最近は各層の支持する作品がバラバラな気がする。セル画のアニメは、1987年~1998年ぐらいが全盛期。世界一贅沢な作りのアニメはZガンダムだと思う。製作費、時間、人材が違う。逆襲のシャアとかはロストテクノロジー。一話毎のセル画が1000万越えてるから当然だけど。 アニメやゲームみたいに作業スタッフの人員と工賃を増やす事で、納期までの間にクオリティアップが出来る作品は、バブル期の方が質が良いはず 。

全般的に、売れるノウハウが蓄積されて雑味や無駄や淘汰されるようになった。媒体問わず「キャラクター」では、テンプレの幼馴染みやクール系、狂気系、ツンデレ、お嬢様。それらに申し訳程度の固有設定付け足してオシマイ。ラブひな以降辺りからレトルト量産型なヒロインが増えてツンデレとかのカテゴライズが認知され出してからは、酷いの一語に尽きる。

②スポーツ
薬物が使用出来なくなったため、投擲や中距離走等の東欧諸国によって作られた五輪記録は未だに破られない。MLBの打者も2000年代前半がピーク。卓球の試合も、1980年代後半から1990年代前半が一番何でもありでやばかった。大相撲のレベルは本気で下がっているんじゃないかと思う。白鵬は別格としても、他の力士は平成初期組より弱い気がしてならない。薬物以外でも器具の発達が競技を阻害している。

③製品
革靴等の革の品質が徐々に落ちている。ジョン・ロブもグリーンも。既製服も同じで、1980年~1990年の服は頭おかしいくらい上質な物を使っている。こんな粗悪品かつてはユニクロくらいしか扱わなかったのに、今では、布地は薄くワンシーズンで毛羽立つようなシロモノがほとんど。昔の日本製は、毛糸のベストが4980円で売っており、そら手もかかってりゃ糸も良い物使えますわ。

バブル期の大衆車は、今みたいにチープな内装ちゃうし。設計自体は今の方がずっと良いけど、昔の車は内装が豪華だったな。 昔の車(400万~)の内装は金かかってた感じはする。今の車は最低600万は出さないと内装には満足出来ないな。

20世紀は「最大限良い物を作ったらこの価格になりました」だけど、今は「決められたこの価格の中で最大限良い物作りました」だもん。

工芸品等のコストが品質に直結してる物は大体レベル落ちている。開発のノウハウ蓄積で性能は上がってるけど生産を軽視しすぎて品質は落ちてる。

④アナウンサー
特に男性アナ。
・草野仁・露木茂・久米宏・福留功男
・逸見正孝・徳光和夫・小林完吾
・大塚範一・鈴木史朗・松平定知
・生島ヒロシ・古舘伊知郎……
…みたいなアナウンサーって
 やっぱり輩出し難いのかなぁ~。

***********

昔は難解な理論を理解出来た人だけが製作者になれたが、今は理屈を知らなくてもHow toやパッケージが増えて、結果として製作者の平均の実力は下がった。

音楽では、昔は全て本物の楽器でミュージシャンが演奏していたが、現在ではコンピュータによるものが多くなった。歌詞はプロの作詞家による物語性の有る物が多かったが、歌手やバンド自ら作詞(専門家で無い)の物が増え曖昧な内容、英語混じりのもの等が目立つようになった。

機材と技術、人件費の交換で平均した質は上がったけど、ずば抜けた物は出来なくなった。昔は時間があれば少人数で最低1人いれば何でも出来たけど、今は色んな機材を使うために色んな人が参加するから限界がある。

機械の普及が人間の能力を下げる。携帯が無かった頃は友達の家の電話番号を何人も記憶していた。今はインターネットが普及してある程度情報を相互補完出来るようになった。携帯カメラや監視カメラがあるから犯罪もばれ易いけど、監視される社会になってしまった。

***********

社会的な秩序を増加させようという動きはあると感じる。秩序の形成には、混沌が必要であり、混沌の調達が課題であるのかもしれない。

関係無いかもしれないけど、引き籠りと称される人間には、保守的傾向があるとされる。それが本当であるのなら、不足している秩序を摂取しようとしているのかな。

今後も、機械が創作活動に関わる傾向は強まるはず。人間の役割は、秩序の塊である機械に、混沌を提供する事になるのかもしれない。

より混沌としている人間の価値が高まる。それなのに、混沌としている当人は超保守的なのかもしれない。

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貯蓄する事について

仕事上の信頼性や対人関係での好感度を蓄積する事が難しい。

他の人間の僕に対する信頼性は、初対面の時が最高で、共有する時間が長くなるに従って低下していくと思う。様々な事への繋がりを知る事で、トラブルへの対処方法を考える事も難しい。

将来のための布石を人間関係や業務経験以外の部分に求めなくてはならない事が自分の弱味だと思う。

技術や人間関係を蓄積出来ない場合、財産や知識を貯め込む事になる。

最初に知識系で考えると、歴史的な知識は以外と使用出来る。これが縦糸になる。横糸になるのは歴史的遺品となる。金銭も信用出来ないから、歴史的な価値がある物品を集めてみる。

東南アジアや中東等の途上国の物品は未だに割安なのではないか?

************

それとは異なるアプローチも欲しい。「価値」をどのように定義するのか?過去に投機する以上に、未来に投資したい。

自分が生き続ける事を想定するから、本当に面倒臭い。死んでも良いとは思えない。

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何だか眠い

今日も眠たい。

僕の考える事は、同じ事の繰り返しな気がする。自分の代わりに考えてくれる機械がないものか。

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物語の型

自由に考えているようで、考える事には一定の傾向があると思う。あらゆる人間が自らの帰属する歴史の支配下にあるし、自分の思想の理由を知らない。

善悪、正誤は疑う事が出来ない。

何となく思いつく、物語の傾向。

①自業自得型
中学生くらいの時に読んだ話に多い。犯罪者が落後者の人生の話。逃げた事や言い訳をする事が失敗の原因とされる。彼等が自分の危機的状況に気が付けば状況は好転したような教訓と結び付く。状況を受容する事は罰っせられて当然とされる。

⇒社会人になって思うけど、本人が気付けば嫌な性格が直ると思う人間は異常に多い。そうした人間は、立ち場が弱い人間を教育しようとする。

⇒残念なんだけど、そうした傾向が強い人間ほど、性格が悪く見えてしまう。他罰の裏側にある自罰。

②技術進歩によって人間が弱くなる話
数十年前からの傾向だと思う。便利な道具が発明された事によって、人類全体の知力、体力、精力が衰退するという話。労働の意欲や出生率の低下、機械が故障した場合のパニック等。

⇒鍛える事に対する信仰だと思う。

⇒上手くいかない人間は怠けている人間という神話。

⇒批判する人間を甘やかす思想。何も考えず、情報も取得せず、悪く言いさえすれば善行を為した事になる。結果は問われない。

****************

自己責任や鍛錬等は、批判されない聖域として扱われている。多くの人間は、自らは聖域の中にいると信じている。安全地帯の中から、他人を攻撃する大義名分として責任観念や善意、向上意欲は利用される。

****************

以下は、何となく思い出した話。

異世界が舞台だったと思う。迷宮の中に宝箱があり、魔物の群れに守られている。迷宮の中から怪物が現れるという予言があり、人々は魔物と戦う武装人形を作成している。数百年前にも魔物が暴れた事があったらしい。

武装人形の作成自体が魔物を挑発すると危険視する人々と、作成者達の対立。やがて武装人形は完成するが、武装人形こそが予言された怪物だった。

主人公は、武装人形が作成され始めた数百年前に飛ぶ。武装人形を作成する事により培われた技術が失われるため、作成を止める事は出来ない。代わりに武装人形の心臓部に弱点を埋め込む。現代から過去に飛ぶ事は出来るが、過去から未来に戻る事は不可能。

現代において、心臓部の弱点をついて武装人形は倒される。

その後、宝箱の中を確認すると主人公からの手紙が見つかる。若かった主人公が年老いて、子供を作り、孫を作る様子が記述されている。

****************

話はハッピーエンドのようだったけれど、自分は年老いていく状況で、何十年もかけて未来の知り合い達に手紙を書き続ける状況が思い浮かばない。

敵を倒すための武器を作ったら、その武器こそが敵の本体だったという話は多いような気がする。時間的逆説を扱う話も、同じような形になっていく。

皆、同じ。

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何を学ぶか?

以下は、「現在の世界経済はロシアがデフォルトした1998年に酷似している」の記事ヘのリンク。

http://markethack.net/archives/51947060.html

歴史を学ぶ事は大切だと思う。1998年を学ぶにはどうすれば良いのか?

自分の中に2つの方向性があり、仮想通貨やインターネットを介した融資等を行う方向と、歴史的な資産を持ちたい方向がある。

今年度の下期は、①データベースやネットワーク系の知識②各国史(東南アジアや中東等)を学習したい。

知識は力になっていなければならない。単純に記憶するのでなく、使用出来る力にする事は難しいと思う。

唯、面倒臭いので、本当に実行するかどうか自信が無い。

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飛鳥の都

読んだ本の感想。

吉川真司著。2011年4月20日 第1刷発行。



7世紀の日本の歴史について。601年(推古九年)は、聖徳太子が斑鳩宮を立てた年であり、701年(大宝元年)以降は年号による紀年が行われる。7世紀は飛鳥時代とも呼ばれ、中央集権国家建設や、中国からの文化が流入した時代である。

7世紀に王宮が営まれた飛鳥は、飛鳥集落、飛鳥川、ミハ山、飛鳥丘に囲まれた、南北約1キロ半、東西約500メートルの狭い地域である。

第一章 飛鳥の王法と仏法
1 飛鳥寺創建
崇峻元年(588年)に、飛鳥真神原において、倭国初の本格的寺院の建設が始まる。寺院の完成は、推古四年(596年)とされる。本尊の完成は、609年頃であるらしい。

飛鳥寺は、一塔三金堂という高句麗の清岩里廃寺に似た形態を持つが、百済の王興寺に源流を求める意見がある。飛鳥寺でも王興寺でも、塔基壇の地下に心礎があり、舎利容器が納められている。

大化元年(645年)に、蘇我本宗家を滅ぼした改新政権は、飛鳥寺に僧尼を集め、蘇我氏が主導した仏教興隆を天皇が引き継ぐと宣言する。天武九年(680年)に大化の造仏援助策が打ち切られ、天皇が経営する寺院を国大寺に限ったが、飛鳥寺は例外として同じ扱いを受ける事になる。

飛鳥寺は、日本最初の瓦葺き建築である。創建時の飛鳥寺では、百済の瓦に酷似している素弁蓮華紋の軒丸瓦が用いられた。瓦には以下の二種類があり、別のグループが作ったと思われる。

①花組
蓮弁の先端に切り込みを入れて桜花状にする型。飛鳥寺近傍の瓦窯で焼かれ、中金堂等の伽藍中枢部で用いられた。7世紀第1四半期に創建された豊浦寺金堂、斑鳩寺金堂、四天王寺の瓦にも使用されている。

②星組
蓮弁の先端を角張ったままにして点珠を置く型。葛城地方?で製作され、中門や回廊に用いられた。蘇我氏、上宮王家に関わる寺院(豊浦寺、奥山廃寺、軽寺)の瓦にも使用されている。

⇒飛鳥寺造営に関わった技術者は、畿内各地に派遣され、様々な文化を伝えたと考えられる。観勒(推古一〇年-602年に百済から暦法、天文を伝える)、曇微(推古十八年-610年に高句麗王が派遣し彩色、紙墨、碾磑の技術を伝える)等。技術者達は、僧侶として飛鳥寺に止住したと推定される。観勒の名前は、飛鳥池木簡にも見られる。

2 アジアの中の推古朝
飛鳥寺創建には、百済と高句麗の援助が必要とされた。その背景には6世紀後半のアジア情勢がある。中国では581年に隋が建国され、589年に中国を統一する。朝鮮半島では新羅が台頭し、551年には漢江流域に進出し、562年には加耶全域を領有する。

高句麗は新羅に対抗するために、570年に倭に使者を送る。高句麗は589年に隋にも攻められ緊張状態が続く。隋を中心とする国際秩序の形成に倭も影響される事になる。

倭国においては、天皇が権力の頂点として、部民(領民)が権力の基盤となっていた。王権には畿内を本拠とする豪族達が臣従し、上級豪族は大夫と呼ばれ、国政審議に携わる。王族や豪族の権力基盤は部民制である。

6世紀の倭国では、父子直系が皇位継承のあるべき姿とされ、天皇を父に持ち、皇女(歴代天皇の娘)を母に持つ人物だけが直系と認められたという説。本来ならば、蘇我氏を母に持つ天皇は一代限りの傍系であるが、推古朝の政権中枢部は、蘇我色の濃いものと想定される。

推古八年(600年)には、新羅との戦争、遣隋使派遣と倭国の外交が動いた年であった。新羅との戦争は任那復興、遣隋使の目的は仏法と礼儀の受容による倭国の文明化や新羅への牽制と考えられる。

3 小墾田宮の王権
倭王朝は、推古十一年(603年)に新羅侵攻中止を決めると、儀礼整備に乗り出す。同年には王宮を豊浦宮(甘樫丘の北西)から小墾田宮(飛鳥寺北方)に移す。遣隋使の影響により、儀礼空間としての王宮が整備された?

さらに、同年には冠位十二階が制定され、推古十三年(605年)には、聖徳太子の命令で、諸王・諸臣の全てが「摺」を着用する事になる。摺は、天武十一年(680年)まで用いられる男性装束である。唐制に近い律令衣服制の形成。

須恵器も、推古朝頃には金属器を模倣した形態が出現し、蓋に宝珠形の摘みが付くようになる。これらに、礎石建ち・瓦葺きの建築を加えると、衣食住の全てに文明化が始まった事になる?

4 二つの王家
聖徳太子の宮が置かれた斑鳩は、飛鳥の北北西十五キロほどの所にある。飛鳥と難波の間を大和川を通じて結ぶ川船は、全て斑鳩を経由しなければならない。小墾田宮と斑鳩を結ぶ道路が敷かれ、馬で一時間~二時間で到達可能になった。この道は太子道と呼ばれる。

以下は、「天孫降臨の夢」の記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-1551.html

著者の見解は、「天孫降臨の夢」の著者である大川先生と以下のように異なるようだ。

①薬師像光背
東野治之氏の実物調査で、光背は最初から銘文を入れるように製作されてた。書かれている言葉は、623年当時の史実・用語と考えて差し支えない。

②天寿国繡帳
これについては怪しいとしている?聖徳太子の異能伝承が図象化されており、聖徳太子没後の621年に製作されたとしているが、太子信仰の高まった時代に作成されたと見るのが自然。

押坂王家:
聖徳太子の属する上宮王家を蘇我系とすると、非蘇我系の王族もあり、その中で有力な王家を押坂王家と呼ぶ。継体天皇―欽明天皇―敏達天皇(宣下の皇女 石姫の子、用明・崇峻・推古は蘇我稲目の血統)―彦人大兄―舒明という王統。

彦人大兄は、押坂彦人大兄皇子とも呼ばれる。押坂(奈良県桜井市忍坂付近)には、舒明天皇の押坂内陵を始め、非蘇我系の陵墓が営まれている。押坂宮には巨大な部民集団が奉仕し、オシサカ部 = 刑部であり、戸数一万五千戸(倭国の支配人口の一割程度)を支配したとされる。

彦人大兄皇子が死去したのは、推古朝初年であり、墓は奈良県広陵町の牧野古墳であるらしい。彼の墓がある広瀬は、押坂王家の押坂以外の勢力拠点と考えられ、六世紀後半(上宮王家が斑鳩を開発したのと同時期)に大和西部の副拠点として開発された?やがて広瀬の領地は、川原寺や長屋王家の荘園として存続したらしい。

628年に推古天皇が死去すると、上宮王家の山背大兄王と押坂王家の田村皇子との間で皇位継承問題が発生する。629年には田村皇子が舒明天皇として即位する。舒明天皇は、639年に詔を発し、百済川のほとりに百済大寺、百済宮を建設する。初めての天皇家の勅願寺であり、九重塔の基壇面積は飛鳥寺の7倍とされる。

5 隋から唐へ
舒明天皇は、即位した翌年(630年)に初めての遣唐使を派遣する。唐による中国統一は628年であり、統一直後の派遣となる。舒明天皇の時代は、中国に学んだ留学生が帰還した時代であり、推古三一年、舒明四年、舒明十一年、舒明十二年と留学生の帰国が記紀に記載されている。

この時に齎された儒教知識が大化改新の思想的基盤になったとされる。

第二章 大化改新
1 乙巳の変
642年に、舒明天皇の皇后であった宝皇女(彦人大兄王子の孫)が即位し、皇極天皇となる。
この時代は、唐の版図拡大が盛んで、630年の東突厥滅亡、635年の吐谷渾敗北、640年の高昌滅亡等があった。北方、西方の諸国家が潰え、次は東方の高句麗が狙われる事になる。

こうした状況により、朝鮮半島の三国は権力集中を図る事になる。

百済:
641年に即位した義慈王は、翌年に新羅に攻め込み旧加耶地域を占拠。さらに扶余豊を太子位から退けて、人質として倭国に赴かせる。倭王権との同盟を維持しながら旧加耶地域領有の承認を得る目的?

高句麗:
642年に、大臣位にあった泉蓋蘇文がクーデターを起こし、新たに宝蔵王を擁立。自らは莫離支(兵部尚書、中書令を兼ねた役職)になる。唐と645年、647年、648年に戦うが持ち堪える。

新羅:
647年に親唐自立派の金春秋、金庾信が、真徳王を擁立。金春秋は、648年に朝貢使として唐に赴き、その後、新羅は唐制を取り入れた国家整備を巣埋める。

倭王朝が、高句麗のクーデターを知ったのは、皇極二年(643年)と考えられる。その影響か、643年冬に蘇我入鹿が天皇候補者である山背王子を廃し、蘇我系の古人大兄皇子を天皇にしようと斑鳩宮を急襲する。

そして皇極四年(645年)には蘇我入鹿が暗殺される。これが宮廷クーデター「乙巳の変」である。上宮王家の滅亡は、高句麗、百済の政変の直後であり、蘇我本宗家の滅亡は、唐による高句麗攻撃の最中である。朝鮮半島の三国が軍事力強化のために権力集中を強める中で、舒明朝以来、上宮王家・押坂王家・蘇我本宗家と権力の三極構造が継続した倭国でも短期間に権力一元化が達成されたものと思われる。

2 改新のプログラム
645年6月14日に、孝徳天皇即位、中大兄皇子の皇太子就任等により、真政権が樹立される。倭国最初の公式年号『大化』が定められる。

政権はクーデター勝利によって莫大な数の部民を統治する事になる。敗者の財産を没収した事による権力集中。

日本書紀が詳述する改新之詔は、以下の四カ条。

①部民・屯倉の廃止
②地方行政組織の改革
③籍帳制と班田収授法の創始
④税制の改革

⇒これらは、改新の趨勢を集約表現した記事と著者は考えている。

部民制度廃止:
大化二年(646年)三月に、中大兄皇子は押坂王家が伝領した刑部と屯倉を孝徳天皇に献上する。これは部民制廃しの地ならしと思われる。同年の部民制廃止の詔が発令される。支配層が領有する全ての部民を公民に転換する。
支配層に対しては、新たに位階制を発足させて叙任する事にする。公民制と官僚制の創出。

旧体制では、屯倉という施設が部民支配の拠点となり、刑部では80戸~90戸に一つの屯倉があったらしい。公民制への転換が図られると、屯倉に代わって、<国―評―五十戸>という上下三段階の公民支配機構が置かれ、地方行政区画として機能する。

評:
コホリと読まれ、大宝令以後の令につながる。約500と推定される初期の評の内、国造が官人となったのは1/3で、新興の中小豪族が登用される事が多かったらしい。

五十戸:
サトと読まれ、調の徴収や仕丁徴発の基準となる。

位階制については、大化三年(647年)に十三階冠位制、大化五年(649年)に十九階冠位制が施行される。この枠組みは大宝令制に定着し、明治まで襲用される。

⇒豪族が部民を支配するのとは異なった統一的国家業務が徐々に整備されたと考える。

3 遷都とイデオロギー
日本書紀では、大化元年(645年)に孝徳天皇が難波に遷都したとしている。王族・豪族を大和から引き離して、新天地の王権の下に結集させる。
大化五年(649年)には、中央・地方に渡る体系的制度の発令と前後して、難波の味経の原(上町台地)に新たな王宮を造営する。白雉三年(652年)に新宮の難波長柄豊崎宮が完成する。
難波長柄豊崎宮は、大化前代の王宮に比べると数倍の大きさであったと推測される。以下の革新的要素。

①朝堂院
朝堂院の中庭は臣下が列立する国家的儀礼空間であり、朝堂は「八省百官」の待候、政務の場として大きな面積が必要であった。
②官衙
「八省百官」が実務を行う場。大化前代の王宮には存在しなかったはずであり、豪族毎に分散していた業務を王宮に集約した事で必要になったと思われる。

⇒難波長柄豊崎宮は、官僚制、公民制の中枢施設である。

難波長柄豊崎宮では、読経のような仏教儀礼が、倭国の王宮で史上初めて仏事として行われた。仏教を国家イデオロギーの基軸として統制する。

さらに、儒教もイデオロギーとして活用。大化二年(646年)には、大化薄葬令が発せられ、墳墓の規模・方法等が身分に応じて細かに定められる事になる。儒教イデオロギーは儀礼という形で、古墳時代の旧俗を否定する事になる。
大化薄葬令は、葬儀以外にも様々な旧俗・悪習を否定し、列島社会の文明化を図った。

4 孝徳朝から斉明朝へ
孝徳天皇亡き後の655年に、皇祖母宝皇女が再び天皇位につき、斉明天皇となる。政治的実権は中大兄皇子が握ったと思われる。
孝徳朝から斉明朝にかけては、日本海岸を北上しながら越後・東北・北海道への進出が図られた。北征は、斉明六年(660年)に百済の滅亡による朝鮮半島情勢の急変を受けて終わる。

斉明六年(660年)に、百済の使者が人質として倭にいる皇子扶余豊を、国王として百済復興の旗印としたいと請う。斉明七年(661年)に斉明天皇は百済救援のために北九州へと向かうが同地で死去する。

第三章 近江令の時代
1 白村江敗戦
日本書紀によると、扶余豊は662年に百済王位を継承した。663年に倭国・百済の連合軍は、唐・新羅と戦い敗れる(白村江の戦い)。そして668年には高句麗が滅亡し、唐は669年に倭国征伐のために、軍船の修理を始めたと記録される。

白村江の戦いの敗戦により、倭国は国土防衛を強化する必要に迫られる。

①防人
天智三年(664年)に、対馬、壱岐、北九州に防人が配備され、狼煙が置かれる。
②太宰府移転
博多沿岸にあった筑紫大宰府を内陸部の福岡県太宰府市に移す。防塁を設置した。
③城
天智四年(665年)に、大宰府の南北に大野城、基肄城が建設される。城の建設は、亡命百済人である憶礼福留、四比福夫が担当したため、朝鮮式山城と呼ばれる。

⇒九州北部から瀬戸内海、畿内に至る地域に、百済の技術を用いた要塞を築く。駅馬の制度も軍事上の必要から整備されたと著者は考える。

近江遷都:
天智六年(667年)に、飛鳥から近江への遷都が行われる。畿内北限である逢坂山を越えた琵琶湖沿岸に大津宮を造営して朝廷機構を移転した。近江は瀬戸内海から遠く、東国への避難に便利である。

2 天智朝の国制
天智三年(664年)に中大兄皇子は「甲子の宣」を発令する。以下の2つからなる。

①冠位二十六階冠位制
十九冠位制を改めて、中下級冠位を細分化した。実務を担う中下級官人を細かく序列化し、官僚機構の管理強化を図る?
②氏上制
氏の代表者を定める制度。自立的な親族集団である諸氏に、王権の側から統制を加える。

⇒公民制を前提としながら、氏上に民部を与える等の特権を許し、王権への服従を求める。
⇒支配層を統制し、臨戦態勢を築く。

庚午年籍:
天智九年(670年)に、戸籍を作成する。以下の特徴。
①倭国全地域に渡る戸籍
②全人民に関する戸籍
③五十戸単位で纏められた

⇒徹底した人民支配台帳。大雑把な戸の単位でなく、公民各自から生産力・労働力を搾り取る。

近江令:
天智十〇年(671年)に、冠位・法度の事が施行される。倭国最初の体系的法典。太政官―大弁官―六官という大宝令官制の原型が成立する。

⇒唐の軍事的脅威に対応して、孝徳朝~斉明朝の初期律令制が、本格的な官僚制・公民制に整備される?

3 壬申の乱
670年に新羅は、唐が支配する旧百済領に侵攻する。670年は吐蕃がチベット高原から唐の西方領土に侵攻した年でもある。唐と新羅の対立関係もあり、倭国征討は棚上げされる。唐は、倭国と同盟して新羅を挟撃しようと考え、天智十〇年(671年)に唐の使者が来航する。
天智十〇年(671年)は、天智天皇が亡くなった年でもある。後継者である大友皇子は、672年に諸国に対して人夫を差し出し、武器を持たせるよう命じる。

隠遁していた天智天皇の弟の大海人皇子は、この状況を決起の機会とし、美濃を本拠として近江朝に反旗を翻る。東国を味方につけた大海人皇子が勝利する。

大海人皇子は、672年に飛鳥に戻り、後岡本宮の南側に新しい中枢施設を建設する(飛鳥浄御原宮)。翌673年に大海人皇子は天武天皇として即位する。
天武天皇は、近江令で整備された中央官制や庚午年籍による公民制を引き継いだ。天武天皇の時代になっても唐と新羅の戦いは継続し、臨戦態勢は解かれなかった。

4 白鳳寺院の展開
天智朝の飛鳥に創建された倭国第二の官大寺が川原寺である。伽藍配置は、塔と西金堂が東西から向かい合い、北側に中金堂が建つ特徴を持つ。
同じような伽藍配置は、南滋賀廃寺、観世音寺等の天智天皇と関わりの深い寺院に見られる。

天武天皇は、川原寺以外も整備し、国家・王権の護持を図る。天武九年(680年)には、京内二十四寺に布施を行っている。全国に使者が派遣され、仏教が流布された。

そして、神祀祭祀も尊重され、国家的祭祀は倭王朝が伝統的支配を受け継ぐ証明とされた。カミマツリは7世紀に大きく変化したと考えられ、8世紀以降に多用される律令祭祀具(斎串、型代、土馬)等の初現期の物が難波長柄豊崎宮で見つかっている。
神社についても、神殿を持たなかったはずが建設されるようになっている。天武十〇年(681年)に諸国の神社が修理された記録があり、7世紀後半から神殿建設が始まった可能性がある。神々が仏教の影響を受けた?

第四章 律令体制の確立
1 天武一〇年の転換
天武十〇年(681年)は、倭国の転換点である。律令改定の詔。浄御原令編纂の勅命 = 新しい国家基本法。浄御原令は、天武天皇没後の持統三年(689年)に諸国に配布された。
浄御原令の条文は一つも残っていないが、平時体制への以降が目的であったのか、皇太子である草壁皇子の即位に備えて国制を整備する意図があったのかもしれない。

天武十〇年(681年)には、「禁止九十二条」が立てられ、皇子から庶民まで身分に応じた服飾が定められた。天武十一年(682年)には、礼儀・言語に関する詔が出される。倭国の伝統を改め、中国風の礼法に拠ろうとする態度。
氏の構成員も確定し、束ねる氏上も決定し、官人制システムと連動するようにする。

著者は、天武十〇年の転換に始まる国家支配の根本に関わる政策が相次いだ時期を「法と礼と史の時代」と読んでいる。王権を中心とする体系的国制。

2 アジアの新秩序と倭国
天武四年(675年)に、670年から続いた唐・新羅戦争が、新羅の勝利という形で終結した。676年からは吐蕃との戦いが盛んになり、北方では突厥が復興した事で、680年代にはユーラシア東部に唐―吐蕃―突厥という三極構造の政治秩序が生まれる。新羅と倭にとっての唐の脅威はひとまず消えた事になる。

新羅においても緊張緩和によって新しい国家体制が望まれる事になる。681年に神文王が即位すると、684年には高句麗国を急襲し、執事部を頂点とする集権的中央官制が完成する。官人には官僚田と俸禄を支給する。<州―群―県>の地方行政組織の確立。五つの副都、九つの州が支配拠点となる。686年には神文王が遣唐使を送り、儀礼・文章に関する書物の下賜を受けた。

倭王朝が浄御原令という体系的法典の編纂に力を注いだのに対し、新羅は旧朝鮮三国の統一的支配を重視したとしている。

天武十五年(686年)に天武天皇は亡くなる。「一代要記」、「本朝皇胤紹運録」では、享年65歳としており、同母兄の天智天皇より年上になる。長子である高市皇子が白雉五年(654年)に生まれたので、実際には五十代で死亡したと著者は考える。

3 藤原京
持統八年(694年)に持統天皇は、藤原宮に遷居した。飛鳥を中心とする都を大きく拡張し、拡張部分に王宮を移す。著者は、藤原京建設も平時体制構築の一環としている。藤原京は、倭国で初めて、碁盤目状に建設された都城である。大極殿、朝堂院、大垣の門等が、礎石の上に建つ瓦葺き建築とされる中国風王宮であった。

藤原京は、周礼にある中国の理想的都城の影響により?正方形都城の中心に王宮を置き、全面に政治の場、背面に位置を設け、東西南北に九本の道路を通している?

4 変わりゆく列島社会
7世紀の倭国史は、基本的に外的インパクトによって方向性が決まった。

個別人身支配と呼ばれる律令公民制支配が成立し、文字文化が浸透する事で文書行政が進展した。中国の制度である暦が使用され、年号制、時刻制とともに、皇帝による時間支配を形作る事になる。

列島各地に方格地割と直線道路が広がるのは、8世紀に入ってからだが、その原型は7世紀であったとされる。

そして、701年には大宝律令が完成し、国家制度はより整備される事になる。国号は「日本」とされ、「倭」の時代は終焉する。

おわりに
著者の意見として、倭国の7世紀や律令体制を理解するには、前史である古墳時代を知る必要がある。大化の改新や律令体制は、外的インパクトによって齎されたが、それが倭国特有の形となったのは、古墳時代の政治システムによるものである。

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アフリカで誕生した人類が日本人になるまで

読んだ本の感想。

溝口優司著。2011年5月25日 初版第1刷発行。



第1章 猿人からホモ・サピエンスまで、700万年の旅
1 類人猿と人類の間にある一線とは?
ホモ・サピエンスの脳の大きさは1100~1600cc程度、チンパンジーは300~500cc程度、700万年前に誕生したとされる猿人の脳は300~500cc程度でチンパンジーと変わらない。猿人が人類と見なされるのは、直立二足歩行するためである。

2 1000万~700万年前、最初の人類がアフリカで誕生した
紀元前200万年よりも古い化石は、アフリカでしか発見されない。2011年時点で、最も古いとされる人類の化石は、中央アフリカのチャドで発見された猿人・サヘラントロプスである。

3 美食の猿人は生き残り、粗食の猿人は絶滅した?
人類の祖先であるアウストラロピテクスの顎や臼歯は、極端に大きく進化しなかった。後期アウストラロピテクスと同時代を生きたパラントロプスは、顎と臼歯が巨大化した。バラントロプスは、160万年も生息する。頑丈な顎を使用して、栄養価の低い食物を利用出来た。
対して、アウストラロピテクスは、栄養価の高い肉を食べる事を覚えた。粗食に適応したバラントロプスとは異なる進化を選択した事になる。

4 猿人と原人、双方の特徴を持つホモ・ハビリス
紀元前250万年~紀元前150万年に生息したホモ・ハビリスの話。形態的に猿人と原人の両方の特徴を持つとされる。
猿人:
直立二足歩行し、脳容積は300~500cc。臼歯に対する比率が小さい切歯、犬歯を持つ。
原人:
顎や歯が猿人よりも小さい。脳容積は700~1000cc。
旧人:
脳容積は1000~1500cc。脳の前頭部が小さく、後頭部が大きい。
新人:
脳容積は旧人と変わらない。頭蓋の形が丸く、眼窩上隆起がほとんどなく、下顎の先端である頤が発達している。

5 原人はアフリカで誕生し、アフリカを出た
1999年~2991年に、グルジアにて初期のホモ・エレクトス(直立猿人)の紀元前180万年~紀元前170万年の化石が見つかる。脳や体が大きくなった事で、多様な環境に適応可能になり、アフリカを出たという説は否定された。

6 謎のホビット、ホモ・フロレシエンシス
2003年9月に、身長106㎝、脳容積380ccと推測されるホモ・フロレシエンシスの化石が発見される。

以下は、Wikipediaの「ホモ・フロレシエンシス」の記事ヘのリンク。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%A2%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%82%B7%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%B9

紀元前6万8000年~紀元前1万7000年頃に生息したと考えられる。

7 ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは、同時代を生きていた!
ネアンデルタール人と現生人類は、紀元前60万年ほどに分かれたとされるが、ほとんどの現代人のDNAに、ネアンデルタール人由来のDNAが1~4A%含まれているという説がある。紀元前6万年頃の中東で交配したらしい。

8 十数万年前、ホモ・サピエンスがアフリカで生まれた
アフリカで誕生したホモ・サピエンスが、紀元前10万年頃にアフリカを出た話等。

第2章 アフリカから南太平洋まで、ホモ・サピエンスの旅
1 北京原人が現代中国人になった、わけではない
各地に住む現代人のDNAを分析すると、全員がホモ・サピエンス起源であるらしい。

2 ホモ・サピエンスはいつ、どのようにしてアフリカを出たのか?
出アフリカの話。

3 ホモ・サピエンスがヨーロッパにたどり着くまで
紀元前10万年頃に、イスラエルのカフゼーに現れたホモ・サピエンスは、紀元前8万年頃に姿を消し、紀元前5万年頃までネアンデルタール人が代わりに棲息していたらしい。ホモ・サピエンスが欧州に到達するのは、紀元前3万5000年頃である。
一旦は寒冷に気候に耐えられず、撤退したホモ・サピエンスが、技術的進歩によって気候を克服したと推測する。

4 南下したホモ・サピエンスは、どのようにして
オーストラリアに渡ったのか?
オーストラリア、ニューギニア等の先住民のDNAを調査すると、アフリカ人に近いミトコンドリアDNAとY染色体の遺伝子を持つ人々がいた。アフリカを出たホモ・サピエンスが、遺伝的変異が蓄積する前に、オーストラリアに到達したと考えられる。

5 シベリアからアラスカへ、渡ったのは氷、それとも海?
ユーラシア東岸を北上したホモ・サピエンスは、紀元前3万5000年頃には北京周辺、紀元前2000年頃にはバイカル湖周辺に到達したと考えられる。
寒冷地適応し、鼻先が凍傷にならないよう、鼻の隆起が低くなった。眼球が凍らないように、瞼に脂肪が付いて、一重瞼になる。
アメリカ大陸への到達は諸説あり、船で沿岸部を南下した説もある。南アラスカ沖で出土した紀元前1万1000年頃の歯のミトコンドリアDNAと、アメリカ先住民3500人のミトコンドリアDNAの比較から、最初のアメリカ人は紀元前1万3000年頃に北米の太平洋岸に到達したという説もある。

6 最後の未開拓地、南太平洋の島々
南太平洋の島々にホモ・サピエンスが到達したのは、紀元前1000年頃である。海上は陸上よりも気温が低いため、航海に適応したポリネシア人の身体は大きく進化したとしている。
地理的な遺伝子変異の大きなパターンは、以下の3つ。
①出アフリカ
非アフリカ人に高頻度で存在する変異。出アフリカ後の中東で発生したと見られる。
②西ユーラシア
欧州、中東、中央アジア、南アジアで高頻度で存在する変異。
③東アジア
東アジアに高頻度で存在する変異。

第3章 縄文から現代まで、日本人の旅
1 日本列島にホモ・サピエンスはいつ頃やってきたのか
少なくとも紀元前4万年頃には、日本列島に人類が棲息したと見られる。

2 最初に日本に来たホモ・サピエンスが、縄文人になったのか?
この辺りは不明らしい。様々な系統の人間が混血した可能性。

3 縄文人は、いつ、どこから日本列島にやってきたのか
以下は、前に書いた記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-1379.html

日本の縄文時代は、紀元前1万4000年頃~紀元前1000年頃とされる。縄文時代後半からは、縄文人の形質は均一化され、特徴が明確化する。

渡来系弥生人と比較すると、大腿骨の背面の筋肉が付着する突起が大きい、脛の筋肉の境界にあたる稜が発達している等、筋肉が発達した体形であったらしい。

二の腕よりも前腕、大腿よりも脛が相対的に長い、オーストラリア先住民や北アフリカ人と同じ特徴がある。四肢の身体から遠い方が長いという事は、寒冷地適応していない証拠とされる。

頭が大きく、顔は四角く、彫が深い顔立ち、切歯はシャベル型切歯(裏側が深く窪む切歯)という特徴がある。

著者は、縄文人はスンダランドを北上し、紀元前4万年頃に日本に辿り着いたと想像している。

4 背が高く、顔の長い弥生人
弥生人は、縄文人よりも2㎝から5㎝ほど背が高く(男性の平均163㎝、女性の平均151㎝程度)、前腕や脛が相対的に短い。寒冷地適応しており、彫の浅い顔立ちである。

この部分で面白かったのは、シャベル型切歯に関する記述。歯の裏側が、シャベルのように窪んでいる。こうした形状は、歯にかかる負荷が大きい生活に適応した証左であるらしい。

シャベル型切歯(中切歯)の出現率では、縄文人が83.0%、古墳時代人が90.3%、現代人は91.7%となっている。側切歯では、縄文人が76.3%、古墳時代人が88.9%、現代人が91.3%である。

弥生時代に、歯の形状に大変化が発生したらしい。歯の大きさも変化しており、縄文人よりも弥生人の方が歯が大きい。

5 弥生人は、いつ、どこからやってきたのか
縄文人には、東南アジア人の歯の特徴である「スンダドンティ(スンダ型歯形質)」が見られる。シャベル型切歯と三根性(根の部分が3つになっている)の下顎第1大臼歯が比較的少なく、四咬頭性(噛み合わせる面の凸部が4つある)の下顎第2大臼歯が多いという組み合わせ。スンダ型歯形質の人は、全体的に歯が小さい。

対して、中国北部には、シノドンティ(中国型歯形質)ちおう組み合わせが多い。シャベル型切歯と三根性(根の部分が3つになっている)の下顎第1大臼歯が比較的多く、四咬頭性(噛み合わせる面の凸部が4つある)の下顎第2大臼歯が少ないという組み合わせ。中国型歯形質の人は、全体的に歯が大きい。

著者は、男性で295遺跡分、女性で190遺跡分の情報を集め、5つの時代区分(縄文時代前半、後半、弥生時代、古墳時代前半、後半)と11の地域(東日本、西日本等)に分類して、頭蓋の最大長等の7つの計測項目で比較した。

その結果、以下のようになった。

東日本の古墳時代人:
男女ともに、東日本の縄文人と西日本の弥生人に同程度似ている。

西日本の古墳時代人:
男女ともに、西日本の弥生人に似ている。

西日本の弥生人:
男性は、縄文・弥生時代の中央アジア、北アジアの人々似ている。女性は、西日本の縄文人に似ている。

⇒日本に移住した渡来人の多くが男性であった可能性。

6 日本人はこうしてできた!
現代では、置換に近い混血によって日本人が形成されたという説が有力である。狩猟採集民と農耕民では、人口増加率が異なるため、渡来した人々が少数でも数百年で弥生人の形質が多くなるらしい。

7 弥生から古墳時代へ、そして現代へ
日本人の形質は、変化し続けている。例えば、頭は5世紀頃から長くなり始め、1000年~1500年頃には逆に短くなり、現在に至る。
遺伝子を数千年かけて変化させるのでなく、技術進歩による変化が未来を変えると予想する。

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天空の帝国インカ

読んだ本の感想。

山本紀夫著。二0一一年七月二十九日 第一版第一刷。



以下は、インカ帝国についての記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-794.html

第1章 天空の帝国
インカ帝国の最盛期は、15世紀からの100年ほどである。クスコを中心に、以下の4つの地域に分けられる。
①アンティスーユ:東部
 アマゾンに面したアンデス東斜面
②クンティスーユ:西部
 太平洋岸に至る地域。
③チンチャスーユ:北部
 現在のエクアドルを含む
④コリャスーユ:南部
 ティティカカ湖畔を経てボリビア、チリ北部、
 アルゼンチン北西部を含む

インカ帝国は、クスコを中心に上記4つの地域に広がる帝国であり、各地域には王道が通り、タンプと呼ばれる宿泊所が設けられた。
帝国の中核は、標高3000m~5000mのアンデスの山岳地帯である。クスコの人口は、最盛期で20万人程度で、帝国全体で1000万人程度の人口の2/3が山岳地帯に住んだとしている。

アンデスに人類が到達したのは、紀元前8000年ほどで、紀元前3000年には定住が進み、祭祀建造物が建設されるようになったとしている(土器や金属器の製作もこの頃?)。インカ帝国は、15世紀初頭にはクスコ盆地だけを支配していたが、100年ほどで中央アンデス全域を支配したとしている。伝説により、インカ族はティティカカ湖地方からクスコ地方に来て玉蜀黍栽培を始めた可能性がある。

第2章 なぜ高地で暮らすのか
アンデス山脈は、南北に約8000㎞、最大の幅を持つ中央アンデスでも500㎞~600㎞の細長い山脈である。中央アンデスは、熱帯圏に属しているため、高地でも気温は比較的高い。

また、ペルー南部からボリビアにかけての地域には海抜3000m~4000m前後の高原台地があり、平坦な地形となっている。高度差を利用して、多様な農牧業を営み、また、高地故の伝染病の少なさを活用した可能性。

第3章 飢える者がいなかったインカ帝国
アンデスでの農耕開始は、紀元前4000年~紀元前5000年頃と考えられる。多種多様な家畜や栽培植物を特徴とする。

玉蜀黍がアンデスに出現するのは、紀元前1800年頃。栽培食物としては芋類の種類が多い。特に玉蜀黍が栽培出来ない寒冷高地では、芋類が重要である。玉蜀黍は、海抜3500m辺りまでしか栽培出来ない。じゃが芋は耐寒性に優れ、海抜4300mの高地でも栽培可能。

じゃが芋の起源地は、ティティカカ湖畔地方を中心とする中央アンデス高地であり、数千種類の在来品種のほとんどは中央アンデスのみで栽培されている。チーニョと呼ばれるじゃが芋を干して作成した加工保存食品の存在。リャマやアルパカ等の家畜の糞を肥料として使用。

玉蜀黍は、紀元前1800年頃のペルー海岸地帯で出土しているが、本格的な栽培は、紀元数世紀頃かららしい。気温が高く、雨量の多い地方に適した作物である。中米起源である事が確実視されているが、中米と違ってアンデスでは玉蜀黍が酒として大量に使用されていた。人糞を肥料として活用。

第4章 開化した農耕文化
インカ帝国の農耕の特徴は、以下の2つ。

①灌漑
②階段耕作

インカ帝国の階段耕地は、等高線を描いて、大きな石を丁寧に積み上げている。著者は、他地域と異なる丁寧さの理由を、玉蜀黍が神聖な作物と考えられていたためではないかと推測している。

灌漑によって土壌が侵食される事を防ぐ方策が、斜面を階段状に整備する事だったのか。

玉蜀黍は、肥料の使用等により連作されていたが、じゃが芋農地は栽培後に休閑期間があった。踏み鋤を使用して、休閑地を耕作した伝承。

アンデス高地の経済の基本は、高度差を利用して多様な作物を入手した事であったとの推測。人口と権力の中心は、海抜4000m前後の高地であり、芋類や駱駝科家畜の肉を入手する。海岸地帯では玉蜀黍を栽培し、アマゾン地帯ではコカや木材を手に入れる。

インカ帝国は、征服地にミティマエスと呼ばれる移住者を送り込み、耕地を開拓したが、その耕地は玉蜀黍畑だった。玉蜀黍栽培には灌漑が必要であり、階段耕作も活用した。基本的に、玉蜀黍は国家管理され、一般民衆はじゃが芋を食べていたという推測。

玉蜀黍から作られたチチャと呼ばれる酒が、祭りや儀式の時に振る舞われ、支配維持に活用された可能性。歴史書では、食料としての玉蜀黍の記述は少ないが、酒の材料としての記述は多い。

著者は、インカ帝国の領土拡大を玉蜀黍耕地確保のためと推測する。玉蜀黍は、海抜3000m以上の地域での栽培が難しいため、ペルー北部からエクアドルまでの海抜が低い地域を支配した。他にも唐辛子やコカ等の耕作地も確保出来る。

第5章 「異形の神々」―ワカ信仰の世界
アンデス地域で多種多様な栽培が行われた原因をワカ信仰と結び付ける。異様な存在を力持つ存在と考える。アンデス地方の農民に取材すると、異常な形態の作物が収穫されると、それを重要視する傾向がある。

歴史書を参照しても、並外れた何かを神聖視して、特殊な礼拝式を行った記録がある。アンデス住民は、太陽、稲妻、海、山、丘、大地、泉、川等をワカと呼んで礼拝したという。醜怪な物もワカと呼ばれ、特別に大きな物や異常な形態を崇拝した歴史?

通常からの逸脱を神聖視する傾向は、インカ以前も存在したと見られ、チムー文化の土器には異常な形態のじゃが芋を模した物があり、チャンカイ文化の織物には六本指の模様があったりする。モチェ文化の土器の回旋異常(異常分娩)の顔位を模した土器等。

自然界の異形だけでなく、貴族階級の大耳等の人間が手を加えて積極的に異形を生み出す傾向?

第6章 インカ帝国の滅亡
インカ帝国滅亡の原因として、征服者である白人を異形者として見てしまった可能性?持ち込まれた伝染病によって多くの先住民が亡くなる。
人口減少が顕著だったのは海岸地帯であり、高地部での人口減少は比較的少ない。そのため、アンデス高地には、古くからの伝統や習慣が残っているらしい。

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