鮪の漬け丼と意思疎通の問題

最近、鮪の漬け丼を食べる事が好きだ。

理由は、スーパーで鮪のあら1パックが100円以下で販売されているのを発見したからだ。鮪の刺身1パックは300円以上するが、鮪のあらは量が多いのに1パック100円以下になってしまう。物価とは不思議なものだと思う。

買ってきた鮪のあらを細切れにして醤油をかけて一晩おく。細切れにするために鋏を買うと便利かもしれない。細かく切ったアボガドや山芋と一緒に食べると美味しい。お茶漬けにするという方法もある。一食あたりの費用は50円以下だと思う。

贅沢をしているのに、体重が減ってきて、皮が余って脂肪が皮にこびり付いているような体形になってしまった。体重自体は学生時代と同じなのに、身体は元に戻らない。

**************

発達障害者との意思疎通について考える事。何故、発達障害者との意思疎通は困難なのか?

それは感覚的な伝達方法が困難であるからだと思う。

「他人の気持ちを考えろ」という言葉で考えると、他人の気持ちとは何なのか、どのようにすれば感じる事が出来るのか、対処方法はどうするのかを具体的に説明しなくてはならない。

自転車の乗り方のように感覚的にしか説明出来ない事を伝達するのは困難だ。何気なく感覚的に行われる事が出来ない人間達と意思疎通をするにはどうすれば良いのか?

そのためには意思疎通を以下の3段階に分ける事から始める。

①伝えたい事、やって欲しい事を理解する
②理解した伝えたい事、やって欲しい事を説明可能なレベルに整理する
③相手に伝わる言葉を組み立てる

例えば、周囲の人間が忙しいのにも関わらず定時に帰宅する人間がいるとする。その場合、いきなり③の段階から始めると上手くいかないと思う。

①伝えたい事は何か
他の人間の作業が忙しい時は、定時帰宅せずに作業を手伝う事。
②説明可能なレベルに整理する
・他の人間の作業が忙しい事はどのようにすれば分かるのか?
・作業を手伝うとはどういう事か?
・自分に予定がある場合の対処
⇒感覚的な理解を言語化するのに相当な手間がかかると思う
③相手に伝わる言葉を組み立てる
最後の段階が最も厄介なのかもしれない。コンピューターのプログラミングと同様に考えるしかない。

通常の意志疎通の場合、上記①、②は無意識的に行われているし、上記③も自分の帰属する共同体内部の文法に従って行われる。無意識的に行われる事を言語化可能なのかは分からない。

*************

こうして考えてみると、やはり厄介な人間は共同体の外部で暮らした方が良いような気がする。多くの人間は、発達障害者が周囲に存在すると迷惑だと言う。

多分、そうした意見は正しい。職場内で大した仕事が出来ないし、給料以下の付加価値しか生み出さないからだ。自分が辛い思いで業務をしているのに楽に稼いでいる人間がいる事は許せないだろう。

そうした人間のために仕事のワークフローを組み替える事は大きな負担だ。発達障害者の適職として大企業のデスクワークが推奨される事があり、そうした仕事は人員を必要としなくなる事が予想されるので、問題は拡大すると思う。

発達障害者を訓練するよりも、追い出し易いように適した環境を外部に用意するべきなのだ。

そして家庭の問題も難しい。発達障害の診断を受けた結果、妻から離婚を言い渡された人がいる。障害者の子供は欲しくないらしい。

発達障害者の配偶者によって迷惑しているという人の話を聞くと、本人自身にもそうした傾向がある事が多いと感じる。自分自身が迷惑な人間だから、同様の人間としか結婚出来なかったのだ(発達障害者 = 迷惑な人という一般化もどうかと思うけれど、そう書いてしまう)。

そして、その事を認めない。障害者は自分の配偶者なのだから、変化しなくてはならない。自分は健常者なのだから現行を維持する。そうした結論を出してしまう。

まともな人間は存在するのかという議論になると、誰もに嫌な部分があるし、狂った個所がある。社会や世の中は不満を生み出してしまうので、不満を押し付ける悪者が必要とされる。

迷惑な人間を全員殺してしまうと、別の人間達が迷惑な人間となり、その人達を殺すと別の人間が迷惑になる。最終的に自分一人となった結果、自殺してしまう話が落語にあった気がする。

良い生活をしているはずなのに、どうして不満が発生するんだろう?

人気ブログランキングへ
スポンサーサイト

天地明察

読んだ本の感想。

冲方丁著。平成二十一年十一月三十日 初版発行。



以下は、Wikipediaの天地明察の記事へのリンク。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%9C%B0%E6%98%8E%E5%AF%9F

以下、ネタバレ含む。

実在した人間である渋川春海(安井算哲、保井算哲:1639年~1715年)を主人公に、日本独自の暦が作成される過程を書いた物語。著者は17世紀半ばに、日本独自の宗教、数学、思想が確立されたと考えているのかな?それまでの「武」を重視する戦国の気風から「文」が必要とされる泰平の世になっていく中で独自の文化が形作られていく。

主人公は、碁打ち衆として碁を打つ事を公務としているが、碁を打つ事に自分を見出せず、あらゆる事を探求する。そうやって主人公の学んだ学問が、目的達成の武器となる。囲碁は政治活動の教則となり、神道は大義名分を示し、数学によって理を追求する。

史実に基づいて作品を作っているのだと感じる。そうなると主人公のラブロマンスの部分が浮いてしまっているように感じられてしまう。

以下は、Wikipediaの渋川春海の記事へのリンク。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%8B%E5%B7%9D%E6%98%A5%E6%B5%B7

序章
1684年、新しい暦が確定する直前の京都。暦は、未来を見通す事が出来ると確約するものであり、暦の確立は混沌とした戦国の世から泰平の世への移行を象徴する。

第一章 一瞥即解
1661年の江戸。主人公が宮益坂 金王八幡の神社にて、算額奉納(数学の証明問題と解答が記載された絵馬)を見に行く。そこで関孝和という数学の天才の存在を知る。

以下は、Wikipediaの関孝和の記事へのリンク。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E5%AD%9D%E5%92%8C

P43:
大きな規則を運営する上で、しばしば発生する、雑音のごとき決まり事もある。
いったん作られた決まり事が、無数の小さな決まり事を生み出してゆく。さらにそれらが、互いに矛盾する決まり事を生み、その矛盾を解消するため、また新たな決まり事が生まれる。
中には咄嗟に意味が分からず、馬鹿馬鹿しいとしか思えぬものもあったが、細部にわたって守らねば城内にいる資格を失う。身分が高い者も低い者も必死である。

⇒この部分は作品の主要テーマだと思う。

第二章 算法勝負
第一章の後で、主人公が関孝和に会いに、算術の私塾に行く話。数学勝負を挑むため、自作の証明問題を提出するが、後になって解答不可能な問題であった事に気付き、再戦を誓う。

明暦の大火(1657年)が時代のターニングポイントの一つであったとしている。江戸城天守閣の再建は、大火復旧を優先するため行われなかった。天守閣は戦時の象徴であり、また、同時に進められた玉川から江戸中に給水網を構築するための水路建設も戦時が終了した事を象徴する。

主人公は老中酒井の命によって日本中の緯度算出(北極出地)を命じられ、各地に測量の旅に出る事になる。

第三章 北極出地
1661年から487日間に渡って主人公が各地の緯度を計測する話。同行者達から天文、数学について刺激を受ける。旅の途中で主人公は、使用されている宣明暦が月食の発生を予想出来ない事を知る。暦が誤っているのだ。旧弊が温存されている事に主人公は危機感を抱く。また、旅の途中で関孝和に提出する問題を作成する。

P194~P195:
もしかすると暦とは、一つに、人々が世の権威の所在をするすべなのかもしれない
江戸や京や伊勢といった世の権威を、公然と、またひそかに比較しうる道具なのである。
どの権威がより権威的であるかを、あたかも人々が自由に議論することで、決定しうるというように。いや、実際のところ暦を発行し、人々がそれを正しいものとして受け止めることによって、様々な権威の大部分が成り立っているのではないか。
(中略)
権威の所在―つまり人々は、徳川幕府というものを絶対的なものとして崇めているわけではないのではないか。帝のおわす京、神々の坐す神宮、仏を尊崇する寺院、五畿七道に配置された藩体制。人々が自由に権威を選ぶ余地はいたるところに残されており、しかもそうした余地は、決して誰にも埋めることのできないものなのではないだろうか。

第四章 授時暦
1666年に主人公が結婚する話。

囲碁の世界にも変化の兆しがあり、将軍の前で過去の棋譜を再現する従来の上覧碁から真剣勝負へと形式が変化していく。

1668年には会津藩 保科正之から改暦を相談される。新しい暦として中国で考案された授時暦が推奨される。保科正之は、作中で戦国の世から泰平の世への移行を主導した人物とされ、民の生活向上を第一に考えたとしている。この思想は、下記の山鹿素行の思想と対立するものと記述されている。

山鹿素行の思想について:
作中で「聖教要録」を出版し、思想に問題有りとして流罪にされる。抽象性を廃して武士としての道徳実践を説いた。後に山鹿素行の思想が、主人公の改暦の障害となる。
山鹿素行の思想は、「仕方なく慎む」事にあり、天候等の天意を人間が変える事は良くないのだ。法に背いてでも自己の武士道を追求すべきとする思想は治安維持の観点からは危険と見なされた。

P245:
江戸幕府という新たな世が生まれたとき、人々は過去から将来にわたり、この世がどうなってゆくのかを、抽象的に、大々的に包括する世界観を欲した。それに適合したのが朱子学である。江戸幕府による泰平の世と朱子学は切っても切れない関係にある。
仏教の論理、道教の原理、儒教の世界観という三つの支柱をもって大成された“新儒教”たる朱子学は、中国においてもまず何より“世界と人間の在り方”を解明する哲学思想として大成した。世界とは何か、人とは何か、世界と人はいかなる関係にあるか。
そして社会が安定するとともにそうした原理的な思索から、やがて“礼学”といった具体的な社会構築の思想が求められた。雄大な世界生成の原理から、より卑俗な、政治学というべきものへと変貌してゆくのである。さらにそこから徐々に抽象的な議論が廃されてゆくことで、より個人的で、かつ民衆的な、道徳実践を重んじる思想が芽生えてゆく。

⇒作品の中では、武士としての自己実現と民衆の上に君臨する武士という山鹿素行の思想と、軍事を否定して民衆の暮らしを第一とする保科正之の思想は対立するものと記述されている。

朱子学の思想では、君主が人品愚劣であっても忠誠を尽くさねばならず泰平を維持するために都合の良い思想である。山鹿素行の思想は、旧来の武士像の肯定であり、文治主義に移行する江戸幕府にとっては危険な思想であった。

第五章 改歴請願
1674年に主人公が改暦事業に乗り出す話。従来の宣明暦よりも授時暦の方が優れている事を証明しようとする。しかし、授時暦は日食を予見出来ない。主人公は、再度、改暦事業を見直す事になる。

第六章 天地明察
1677年に、主人公が再婚する話。
また、主人公が関孝和から授時暦の誤りを指摘される。日本独自の暦である大和暦を作成する事になる。

中国独自の占星術「分野」を日本風にアレンジする事を大義名分に観測データを集めようとする。

分野:
P217~P219に分野についての記述有り。
星の一つ一つを中国各地の土地を対照し、星々の動きから該当する地域の吉兆を占う。主人公は、全天の星を日本各地に当て嵌めるために、地図製作と天文観測を行う。日本独自の分野を作り出すことを大義名分として観測データを集めるのだ。

主人公の作戦が奏功し、大和暦が正式な暦となる。

***********

神道に関する記述が面白かった。無を前提とする仏教に対して、神道では死後も神となるし、他者をも肯定する。

P191~P192:
天地に神はあまねく存在し、その気は陰陽の変転とともに千変万化しながらも常にこの世に漲っている。
(中略)
神道は、ゆるやかに、かつ絶対的に人生を肯定している。死すらも“神になる”などと言って否定しない。“禊ぎ”の本意たる“身を殺ぐ”という言葉にすら、穢れを削ぎ落して浄めるという意味はあれど、穢れを消滅させる、穢れたとみなされた者を社会の清浄を保つために滅ぼすといった意味合いはないと言っていい。否定すべきものを祓い、流し去る一方で、その権威を守るために何かを根絶やしにしようとはしない。
(中略)
争いもまた神道においてはゆるやかに肯定され、より大きな“巡り合わせ”とでも言うような曖昧な偶発性のうちに包み込まれてしまう。
(中略)
神道というもの自体を思うと、布教に血道を上げるよりも、欲する者には自由にその権威を与えて使わせてやる宗教であるような気がした。あたかも天地の恵みそのままに。

************

物語の主題は主人公の自分探しなんだろうけど、その部分は良く分からなかった。

人気ブログランキングへ

組織に所属する事への不安

このままいくと会社員として社会復帰する事になると思う。収入が不安定なままではいけないので良い事なのだろうか?

組織に上手く適応出来る自信は無い。

①業務能力が無い
②気持ち悪い

こうした条件があると、どうしても迫害の対象になる。迫害された結果、僕は改善されなくてはならないが、改善されないので攻撃はエスカレートする。世の中にある正義感や常識では、悪は痛めつけられる事によって改善されなくてはならない。だから悪者である僕は攻撃されるのだ。

そうした正義が恐ろしい。ある日、誰かが僕を攻撃する。それは正しい事であるから、僕はそれに対して感謝しなくてはならない事になっている。感謝するとは自分の行動を改める事だ。

そうした事が出来ないとは思ってもらえない。

************

今後、数十年を通じて社会を維持するための活動は人間でなく機械が担う事になるという予測がある。
その理由は以下の3点。

①情報量の増加
2000年~2010年に世界中で生み出された情報量は、それ以前の2000年間に生み出された情報量を超えるという。江戸時代の農民達が一生の内に読む文章は、半月分の新聞の文章量に満たなかったと聞いた事がある。
現代社会の生み出す情報は、人間の処理形式では扱えない規模になっている。

②安全性の問題
情報漏洩や偽造の問題を防ぐには、一連の作業に人間を介在させなければ良い。人間の思考には悪意が付き纏う。だから人間の存在しない機構を作り出してしまえば良い。信頼性の観点からは、外部ネットワークと接続しない自律型のシステムだけが悪意の影響を受けない。

③責任回避の利点
社会は罰によって維持されているという思想がある。その思想は現代社会を支配している。過ちを犯した人間を処罰する事で同じ過ちを犯さなくなる。罰に対する恐怖が正確性を生み出す。現実にはそうなっていない。罰から逃れるために一連の作業を機械化する。そうすれば抗議する側が改善案を提示しなくてはならなくなる。

特に上記③の要因が大きくなるとしている。間違える事は人間の本質であり、逃れる事は出来ない。機械も人間が作り出した存在だから誤りを内在している。しかし、機械を罰する事は出来ない。

現在、あらゆる媒体で議論されている自律運転自動車が事故を引き起こした際の責任の所在が試金石になると思う。自律運転をする自動車を罰する事は出来ない。では誰が悪いのか?悪者を見つけ出す事に意味はあるのか?無意味であるとして罰を与えない欲求を制御出来るのか?現在、罰則が存在するにも関わらず、交通事故が多発している。その事をどのように把握するかだ。

*************

罰則に対する信頼性は高い。人間の思考は完璧であり、誤りがあるとすれば悪意によるもの以外は考えられないとしているのか?

互助会で知り合った人間の意見として以下のようなものがあった。

「あなたが現在のようになったのは障害者だからであり、あなたのせいではない。障害者という事を知っているのに会社側が適切な処遇をしないのなら責任は会社側にある。あなたは迫害してくる人間を殺せると思っていい」

僕のせいではないというが、僕という実体は存在しないと思う。責任の有無を問うた所で問題は解決しない。解決策を提示出来ないから不毛な責任論争が発生するのだと感じる。互助会を通して残念に感じるのは、障害者である事に権利者意識を持ってしまう人間がいる事だ。

世の中からの迫害から身を守るには過剰に権利者意識を持つしかないのだろうか?

強い立場にあり、他人を痛めつける人間は恐ろしいが、そうした人達が幸福であるように思えない。常に誰かを憎んでいないと心の平安を保てない人間が大勢いる。誰かの後ろ盾があると、過剰に他人を攻撃出来る。彼等の内部では、それは善意によるものと解釈され、自分の優しさを証明する手段となる。

誰も憎まず恨まず、平安を保ったまま生きていたい。

人気ブログランキングへ

人生をやり直した話

同じ失敗を繰り返さないように注意しても、結局は同じ事を繰り返す事になるのだと思う。

高校生と大学生の時、弓道部に所属していた。高校生の時から下手糞だった。だから大学生の時は、同じ事を繰り返さないように練習していたと思う。1年生の時は練習するだけで上手くなる。しかし、ある一定の期間を過ぎた後は、練習するだけでは下手になる。他の人達もそうだけれど、単に練習するだけでは射癖が修正されず、癖が酷くなって定着する。

僕の問題点として、「考えていない」と良く言われていた。漫然と練習するだけで何も蓄積されない。同じ事を繰り返しているだけだ。他の人間の良い所を真似たり、自分の目的や現状を考える事が出来なかったと思う。

********

社会人になっても人生をやり直す機会があった。27歳で新しい部署に異動した時だ。別の部署にいき、自分の事を知らない人間達の中でやり直す事が出来る。
今度こそは失敗しないように注意しようと思った。予定を忘れないようにメモ帳を準備したし、教えてもらった事は記録し、失敗や教訓も忘れないようにメモした。

それでも上手くいかない。特にチームを組んだ場合は必ず失敗する。

・他人と話す時に言い訳しているように聞こえる
・言われた事しかやらない
・レスポンスが遅い
・応用力が無い

僕は個別の経験を一般化出来ない。1+1=2、1+2=3、ETCと個別の事例を記憶する事は出来る。しかし、それをX+Y=XとYの合計値のように一般的な理論にして、他に適用出来ないのだ。

だから、経験した事を新しい事象に当て嵌める事が出来ないし、他者の話している内容から先を予測出来ない。

会社の上司や同僚達には、その事が通用しなかった。考える事を怠けていると言われた。僕に資料を作成させて間違い探しをする。僕の誤りを見つけるとやり直しをさせる。出来るようになるまで繰り返すと言われた。作った資料がやり直しをやらされる事は分かる。周囲の人間は僕の間違い探しや理解不足を見つけ出す事が目的化してしまい、資料は無駄に詳細になり、書いた本人でさえ何が書いてあるのか理解出来なくなる。

それがいつものパターンだ。回避する方法は分からない。

*************

盲目の人間が車の運転をしているようなものだと思う。事故を引き起こした時点で、時間軸が24時間前に戻るとする。事故を引き起こさずに目的地に到着するまで同じ事を繰り返すとしたら、その難易度は想像を絶するだろう。

どの時点で事故を起こすかは理解しても、その原因や回避方法までは分からない。さらに回避した後の行動も未知数だ。

僕の記憶は局所的に詳細だから一般化が苦手だ。一般化するためには忘れる必要がある。細かい事を忘れなくては有用な理論を作る事は出来ない。

だから、会社員として生きていくべきではないのだと思う。僕と同じように会社員として生きるべきでない人は多いと思う。内閣府の調査では、2012年9月時点で、全雇用者の8.5%にあたる465万人が雇用保蔵状態にあるとされた。雇用保蔵状態とは、期待された付加価値を生み出す事が出来ないという意味だ。

雇用保蔵状態は年配の人に多いらしい。本来であれば若手の育成が主任務となるはずが企業が採用を絞っているため、育成者の必要数が少ないのだ。

多くの企業が採用を活発化させたのは、1988年~1992年であり、2013年現在では43歳~47歳の人員が多くなる。この年代の人間がだぶついているため、知らず知らずの内に社内失業者になっているのだとか。10年後には、特に大企業でだぶついた年配社員の処遇が問題視される事が予想されるらしい。

***********

これからは、多くの人間が40代、50代で人生をやり直す事になるのかもしれない。会社内に社内失業者が滞留しているなら、そうした人間を外部に排出したいという欲求は強いはずだ。

繰り返す事に優位性のあるゲームの世界に没入するのはどうだろう?やり直す事が難しい現実世界と異なり、ゲームの世界では繰り返す毎に優位性が高まる。現実世界での不満をゲームで解消するのだ。

以下は、インターネットの掲示板からのコピペ。

(意見1)
イケメンでもなく社交性も無い僕が、現実社会で恋愛や出世を望んでも痛い目を見るだけ。ゲームの世界では女性ゲーマーからモテるんです。仲間からも尊敬されていますし、それでいいんです

(意見2)
ゲームの中でやっているように現実で御洒落したり何かを学べば人生が潤うのに勿体無い。自分の人生をゲームに置き換えて自分育成してみな。

*************

現実世界では、学びが評価や成果に直結するとは限らない。現実で自分を育成出来ず、自己実現出来ない人がいるから、仮想世界が必要とされるのだと思う。

一つだけ問題があるとすれば、僕はゲームが好きで無い。オンラインゲームに誘われた事があるけれど、適応出来なくてログインしなくなってしまった。

ゲームの世界にも入っていく事が出来ないし、現実世界でも爪弾きにされる。どうしたものかと思う。

人気ブログランキングへ

会社員になるための準備

生活のリズムや考え方を会社員にするための準備をしている。

ニートだった日々が長いので適応出来るか心配だ。

人気ブログランキングへ

もこっちの異世界冒険

最近読んだやる夫スレの感想。タイトルは、「もこっちの異世界冒険」。女子高生が異世界にワープして魔法使いになる話。

以下は、「もこっちの異世界冒険」へのリンク。

http://jbbs.livedoor.jp/otaku/15956/storage/1376150958.html

以下は、「もこっちの異世界冒険 【2日目】」へのリンク。

http://jbbs.livedoor.jp/otaku/15956/storage/1377999001.html

*************

1話を読んだ時に、完結するか微妙な作品だと感じた。それなので完結するまで待つつもりだった。案の定、作者のモチベーションが維持出来なかったようで、作品の途中でいきなり最終話が投下されている。中途半端に終了しない心意気は良いと思った。

作者のモチベーションが低下した理由として、前作を晒されたのが原因と書いてある?前作が未完成なのを気にして、別作者として投下していたのに、ばれてしまったのだとか。作者の前作は、「【信長の野望Online】やる夫の戦国幻想物語」というらしい。この話は読んでいないけれど、別作者として投下しているのに、推察出来るような熱心な読者がいるんだろうな。

以下は、「【信長の野望Online】やる夫の戦国幻想物語」へのリンク。

http://jbbs.livedoor.jp/otaku/12973/storage/1338305513.html

以下は、「【信長の野望Online】やる夫の戦国幻想物語「2スレ目」」へのリンク。

http://jbbs.livedoor.jp/otaku/12973/storage/1340021182.html

以下は、「【信長の野望Online】やる夫の戦国幻想物語「3スレ目」」へのリンク。

http://jbbs.livedoor.jp/otaku/12973/storage/1343657808.html

************

【何となくのあらすじ】
女子高生 黒木智子が異世界にワープする。魔力とサポート役の精霊を付与され、迷宮都市『ワタモテ』を探索する冒険者となるのだ。異世界の中で智子が死亡すると、自動的に時間が巻き戻り、ワープした初日の時間軸からやり直す事になる。やり直す毎に人間関係等は全てリセットされるが、鍛えた身体能力や魔力は引き継ぐ事が出来る。最終的に智子は1万3272回も死ぬ事になるらしい。身体能力や魔力を引き継げるので、最終的には異常に強い魔法使いになるようだ。

************

話の特徴は、凡人以下の主人公が同じ時間を幾度も繰り返し、経験を蓄積する事で異常な強さを身に付ける事であると思う。同様な作品は多い。

以下は、「やる夫は繰り返すようです」へのリンク。「All You Need Is Kill」というライトノベルが原作であるらしい。

http://jbbs.livedoor.jp/otaku/12973/storage/1253362095.html

http://jbbs.livedoor.jp/otaku/12973/storage/1253969250.html



上記の作品でも、死ぬたびに時間が巻き戻り、徐々に強くなっていく。これはゲーム特有の感覚だと思う。あらゆるゲームに共通する事だけれど、同じゲーム、同じ場面を繰り返す事でステータスが上昇し、先を読む事が出来る。初見よりも経験が蓄積された方が有利なのだ。

こうした話を読むと、記憶が混乱しないか気になってしまう。一度の繰り返しなら問題無いかもしれないけれど、数回繰り返していく内に、前回、前々回の繰り返しの記憶が混ざってきて、終には何も分からなくなってしまうのではないだろうか?人間関係がリセットされているのに、友達感覚で話しかけてしまうような事になりそうだ。

実生活では、経験を積む事が良い事だとは限らないと思う。上手くいくと飽きてしまうし、上手くいかないと嫌になってしまう。自分自身では、人生を繰り返す事になった場合、正気を保てないかもしれない。知ってしまうと出来なくなる事が沢山ある。身の程を弁えていないから幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、就職と進んでいった。良くなる事があると思わなければ出来ない事だった。

人生をやり直しても人間が変化しなくては同じ事の繰り返しだと思う。そして人間は進歩なんてしない。周囲の人間を見ると、人生を繰り返しても上手くいくように思えない。しかし、ゲームの世界では繰り返す事で有利になる。

現実世界もゲームと同じように、繰り返す事で上手くいくようになれば良いが、そうはいかない。ままならないと思う。

人気ブログランキングへ

進歩しないでいる事は出来ないだろうか?

何かをしなくてはならないと思う時がある。

僕はやる気が無いと常に言われる。仕事をしていて、あらゆる事が出来るようにならないのは困った事だ。一つの仕事を経験すれば、それを次の仕事に役立てる事が出来るはずだし、先の見通しを立てて予想される事態に計画を立てる。

そうした学習能力が異常に低い事が問題であると思う。

************

そうして進歩しなくてはならないという重圧が苦しいと感じる。指導的立ち場は限られている。他人に尊敬されるためには尊敬されない人間が多数いなくてはならない。

職場にいる習熟者達は、限られた環境でしか通用しない技能を持っているため、既存の環境を死守しなくてはならない。そうした人間達無しで社会は維持出来ない。

社会人になった時は、プログラマー35歳定年説という話があった。中年以上の年齢になった場合、管理職としての能力が必要とされるようになる。35歳を過ぎれば若い人間との競争に勝てなくなるから、そうなる前に付加価値を獲得しなくてはならない。そのためには勉強や業務経験、実績が必要だ。

そうした重圧を感じていたくない。

************

一生そうしゃって袋詰めの仕事をして良いのかと言われるが、現実的に考えてそれ以外の選択肢しかないと思う。後はニッチな分野で苦労や技能が必要とされない金儲けの方法を楽に探す。

同じ事を同じように繰り返す。難しい技能が必要とされない。労力をかければ労力をかけただけの利益がある。そうしたゲームのような世界は現実には存在しないのか?

人気ブログランキングへ

クラウド・ワークスでお断り

クラウド・ワークスで人員募集をしていたので応募してみたが、実績とスキルが足りないという事で断られる。

この場合のスキルというのは、自分で勉強した結果をWeb上で公開する事により証明出来るのだろうか?会社員としての経験でなくとも評価されるのだろうか?

簡単な作業は競争率が高いので、自分なりに差別化する必要があるのだと思う。ニートや引き籠りの人に聞きたい事だけれど、個人アウトソーシングで稼ぐ事と会社に就職して稼ぐ事のどちらが現実的だろうか?

************

今日、家族会議を開く。会社員に戻る事を伝える。精神科医からは、僕が恨みをコントロール出来るか分からないと言われている。会社組織に適応出来るかは誰にも予測出来ない。障害者手帳を取得して、障害者として雇用される事がどのような意味を持つのか、僕は分かっていない。

収入のイメージとしては、以下のように考えている。

①基礎収入:
 仕事による定収入。月に10万円~15万円くらい
②副収入:
 個人アウトソーシングで稼ぐ。
 月に1万円~3万円くらい
③オプション:
 株式や外貨等の資産収入

<課題と解決策>
①基礎収入について
僕が会社に適応出来る可能性は低いと思っている。ジョブコーチの派遣を二カ月間、無料で利用出来る事を知らせている。やってみなくては分からないが、社会常識や仕事上の知識等、出来る限りの事をやってみる。
②副収入について
簡単な仕事は競争率が高いから、プログラミングや外国語等の自分なりの強味を追求するべきだと思う。会社員としての経験が絶対視されないのなら可能性があるかもしれない。目指せ月収3万円。
③オプション
この一カ月で資産総額が半減している。株式のポジジョンを全面的に入れ替えようと思っている。日本株(メッセージ、共立メンテ)、etc。外国株の値下がりが思ったよりきつい。どうしたものかな?

個人間金融に資産を移すべきだと思っているけれど、何もしていない。考えてみれば、計算上は働く必要の無い資産があるのだから、全てを現金化するのが良いのかもしれない。将来的には現金が最も不安定な資産になると思っているけれど、現在の僕が上手く資産をコントロール出来ていない。

不安定と向き合う事が難しいと思う。

人気ブログランキングへ

悪者がいるって簡単だ

生きていると不幸になると思う。

幸福を夢想する事は出来るけれど、現実には不満がたまっている。人間の能力は自らの願望を上回るように出来ているから人間は不幸になるしかないと聞いた事がある。

人間の能力が自らの願望を上回る事をどのように調べたのかは分からない。

何の根拠も無い事を言っているか、個別事象を全てに当て嵌まるように一般化しているのだと思う。

そうして簡単に考えるには、出来るだけ少ない要素について考えるべきなのだと思う。

人間A、人間B、人間C、人間D、人間E、人間F、と個別の人間について考えず、「人間」と一括りにする。願望についても食欲、性欲、睡眠欲と種類があるし、食欲も甘味、辛味、和食、洋食、と様々だし、甘味についても饅頭、アイスクリーム、ケーキとあって、饅頭の中にも・・・・

こうやって細かく考えていくと、要素数が増えていく。無限にはならないけれど、同じようなものだろう。

人間の願望が自らの能力を上回ると言っても、饅頭を食べたいという願望なら、自らの能力を下回るかもしれない。一つ一つ調べる事は出来ないし、調べたところで一般的な理論は構築出来ないと思う。

***********

だから、簡単に考えるには要素数を少なくする事だ。善と悪に分ける考え方はとても簡単だと思う。良い事が発生すれば「善」なる存在が原因とされるし、悪い事が発生すれば「悪」となる存在が必要とされる。

善悪を仮定しないで構造的に因果関係を説明する事も出来るけれど、その場合、要素数が多くなり過ぎるし、あらゆる仮定を想定しなくてはならない。

***********

人間の知性の限界として、「善」と「悪」の存在が必要とされるのだと思っている。

人気ブログランキングへ

何もしないで生きる事を目指す

現在の社会が変化しないまま継続すると思うなら、全財産で高配当株を買えば良いと思う。配当金で生きていく事が出来る。

しかし、会社は倒産してしまうかもしれないから、その方法は良くない。債権も数十年という単位で考えれば危険性がある。現金も価値が変動する。

何の努力もしない。低い位置に留まる。降りていく。改善を目指さない。それが現実的な生き方だと思っている。常に戦い続け、勝ち続ける事を目指すのは現実的ではない。

負ける事や後悔する事は必然であり逃れる事は出来ない。

変化は予測する事が出来ないから、これから先も悔しい思いをするし、嫌な思いをする。

そうした事への耐性を身に付ける事は出来ない。

人気ブログランキングへ

2年前の記事にコメントがありました

2年前の記事にコメントがありました。

以下は、コメントがあった記事「向いている仕事向いていない仕事」へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-414.html#comment205

コメントの内容が、僕が考えている事と被っているいるので、コメントを読んで考えた事を書いてみます。

コメントに書かれているpaizaというのは、以下のWebサイトのようです。

http://paiza.jp/

自分のプログラミング能力が他社で通用するか腕試しするための転職サービスだそうです。こうした事を利用出来る行動力とAランクという実績が凄いなと感心してしまいます。

僕はプログラミングに何回か挑戦していますが、その度に挫折しているのでプログラミングの技能のある方が羨ましいです。

そして、高い能力を持っているはずなのに会社に適応出来ない人が大量に存在すると思います。就労訓練の場で出会った方達の中には、IT系のスキルに自信があるのに、電話応対や人付きあいが苦手なため、会社員をリタイアしたという方たちが何人かいます。

その方達の中の一人が作成したホームページを見ましたが、高い技能を持っているように思えました。そうした能力を持っているはずなのに、人間関係の問題で居場所を無くしてしまう。障害者雇用の対象となり、低い給与で生きていかなくてはならない。才能が埋もれてしまう。

こうした問題を何とか出来ないかと考えています。2年前の僕と現在の僕を比較すると、何も進歩していませんが、社会は進歩しています。

会社に帰属しないで生活費を稼ぐ方法が広まりつつあります。

以下はクラウドワークスのWebサイトへのリンク。

http://crowdworks.jp/

以下はoDeskのWebサイトへのリンク。

https://www.odesk.com/

以下はココナラのWebサイトへのリンク。

http://coconala.com/

******************

上記のような個人アウトソーシングで生活する事の現実性を僕は判断出来ません。多分、会社に勤務して定収入を確保しながら、副業をする事を経験や実績を蓄積する事が現実的なのだと思います。

人に意見する前に、僕自身が行動するべきと書いていて思いました。行動する事に負荷がかかる事を実感する今日この頃です。

人気ブログランキングへ

それはバナナの山から始まった

最近、バナナ料理ばかり食べている。切っ掛けは数日前にバナナを大量に入手した事だ。

数日前、スーパーの店内にて。

僕「すみません。この見切り品のバナナに値札がついてないんですけど
  何円なんですか?」
店員A「本当だ。値札がついてない」
  店員Aが別の店員に話しかける。
店員A「田中さん。このバナナの山は何円なんですか?」
店員B「あー。それ全部で50円でいいですよ」
僕「えー。これ全部で50円?全部買います」

*************

随分とバナナが減ってきたが、さすがに飽きてきた。

以下はバナナ料理の例。

<スムージー>
材料:
バナナ 3本
豆乳  カップ1杯
作り方:
①バナナを一口大に切る
②切ったバナナを冷凍し一晩置く
③凍らせたバナナを豆乳と一緒にミキサーにかける

最初は卵黄と砂糖を混ぜていたけど必要無い。早く食べないとバナナが溶けてしまうし、作り置きすると変色したり不味くなる事が難点だと思う。

<プティング>
材料:
バナナ 3本
卵   2個
食パン 1斤
豆乳  1/2カップ
作り方:
①バナナと食パンを一口大に切る
②バナナを炒める(火が通ったら豆乳を加えて煮る)
③卵を卵白と卵黄に分ける
④卵白を泡立てる
⑤卵黄とバナナ、豆乳、食パンを混ぜる
 (卵黄が固まらないように温度に注意する)
⑥上記⑤と泡立てた卵白を混ぜる
⑦上記⑥をオーブンで5分程度加熱する
 
卵黄に砂糖を加えた方が良いのかな?もしかすると食パンは必要無いかもしれない。豆乳の量を増やした方が良いのか?材料や分量は物凄く適当だ。

***********

こうして考えると贅沢な生活をしていると思う。一食当たり300円以下の予算だけれど、オーブンとかミキサーとか撹拌機が無いと作れない料理ばかりだ。バナナの唐揚げが好きだけれど手間がかかるし、どうしてもパン粉や小麦粉が無駄になってしまうから作りたくない。

レベルは低いけれど僕にはこうした事が出来る。それを生業として生きていく事は出来ないものか?

人気ブログランキングへ

自爆する若者たち

読んだ本の感想。

グナル・ハインゾーン著。2008年12月20日発行。



著者は、1943年にポーランドに生まれドイツで学び、ジェノサイド研究所を主宰しているらしい。ユダヤ人なのかな?そうした著者の来歴を知らないと、文章の背景を掴み辛いと思う。イスラエルに敵対するムスリムや現在のドイツに対する感情に複雑なものがあるのだと思う。

また、若年層の増加が社会不安の原動力となる理論については、単一理論で現実を説明する矛盾や反証が不可能である事を自覚しているのかもしれない。すっきりしない書き方に思えてしまう。

ユース・バルジ:
全人口に占める15歳から24歳までの青年人口の割合が20%以上になる事
チルドレン・バルジ:
全人口に占める0歳~15歳未満の年少人口の割合が30%以上になる事
以下のような社会不安が発生するとしている。
①国外への移住
②犯罪
③クーデター
④内戦
⑤少数派のポストを奪おうとする
⑥越境戦争

軍備人口(15歳~29歳)から考える国家の状態:

ユース・バルジ状態=0歳~4歳の男児の人口が
          40歳~44歳の男性人口の3倍以上。
軍備上の中立状態 =0歳~4歳の男児の人口が
          40歳~44歳の男性人口の0.8倍~1.4倍以上。
軍備上の幸福状態 =0歳~4歳の男児の人口が
          40歳~44歳の男性人口の0.8倍以下。

Ⅰ 古くて新しい世界敵―ユース・バルジからの過剰な若者たち
2003年の15歳未満の男子は、OECD30ヵ国(及びロシア、ウクライナ、ベラルーシ、EU加盟候補国)以外の国々で9億人以上になる。先進国の9倍以上の人口が存在する。
1962年~1971年の10年間に年率2%以上の増加率を示した世界人口は、2003年までに年率1.2%に低下した。長期的に見ると、人口爆発による社会不安は沈静化する見通しだが、今後、数十年は何らかの動乱を引き起こすかもしれない。

2003年時点で世界人口に占める15歳未満の人口は30%程度となる。中国を除くと年少男児は約7億2000万人であり、今後、15年に渡って低開発諸国から先進国への移動が発生すると予想される。

飢えを満たす事が平和を齎すと考えるのは幻想である。1990年~2000年にかけて世界人口は10億人増加したが、気が人口は20%から17%に低下している。絶対的貧困状態が減少しても、若者の向上心に由来する社会不安は減少しないと考える。

脅威となるのは中国でなくイスラム圏である。

中国:
2003年の15歳未満の年少人口が総人口に占める割合は24%。30%に満たずユース・バルジが存在しない。就業者と年金生活者の割合は、1995年の1対10から2050年には1対3に下がるとされている。

イスラム圏:
例えばパキスタンの15歳未満の男子は3100万人であり、中国の1/5に過ぎないが、年少人口が総人口に占める割合は40%である。社会不安が発生する可能性が高い。
サウジアラビア、パレスチナ、イエメン等のアラブ諸国も若年人口が多い。若年人口の増加が抑制される2020年代まで警戒が必要としている(この時にイスラム人口が世界人口の1/4になると予想される)。

この辺りで著者の見解に迷いが出てくるような気がする。ドイツやロシアの例を出している個所だ。ドイツがユース・バルジを経験したのは1919年~1933年にかけて1933年まではユース・バルジがヒトラーを指示していたが、1939年以降の戦争に投入されるのは一人息子が多くなっていく。

以後、ユース・バルジによって全てを説明しようとするが、説明しきれずに他の理論を見出す事が出来ないように思える。著者が主張したい意見を裏付けるデータが存在しないのかな?

Ⅱ 若者たちはどこに住んでいるか
2003年の世界人口63億人の内、40億人は1968年以降に誕生している。

1968年以降、毎年7500万人~8700万人の人口増があり、2002年には1億3400万人の出生数に対して死亡数が5400万人。超過分は8400万人であるが、2038年には超過分は4900万人に減少すると予想される。

多くの若者は上昇志向を持ちながらも、それを正当化するイデオロギーを欲するとしている。納得のいく立ち場を獲得出来るまで倫理道徳上の優位を保ちたがる。

人口減少に関する意見として、先進国において25歳~35歳は勝者となるか敗者となるかの分岐点である。競争が激しい時期に子供を作る事は難しい。それ以降の年代になると生殖は次善の事となる。

P109~P122に、15歳未満の年少人口が65万人以上ある全ての国家について、ユース・バルジと大量殺害との相関関係を調べた表が掲載されている。

表自体は面白いけれど、著者が導き出す結論が解り難い。本人自身がユース・バルジ理論を確信していないのか?

Ⅲ 人口統計にみる征服者の出自と
  ヨーロッパの世界征服という「奇蹟」

ユース・バルジによって欧州の世界征服を説明する。

1348年~1352年の大ペストによって、欧州人口は7500万人から4500万人に急減している。しかし15世紀後半から人口が急増し、一人の女性が5人~6人の子供を生涯に出産している。

イギリスの農民の記録から当時一つの家族に平均して3.35人の子供がいた事になるが急増している。避妊や堕胎等の惨事調節が行われなくなった事が原因なのか?

著者は、産児調節に関する価値観の転換の原因として1484年に始まった魔女狩りを挙げている。約10万人が犠牲になったらしい。魔女狩りの大半は産婆が対象だったとする記録が多々ある。以後、産婆が伝承していた産児調節の技術が失われ、人口爆発の原因となったのではないか。

1770年~1870年の欧州における人口爆発は大量のユース・バルジを生み出し、1490年に5000万人程度だった人口が、1900年には4億6000万人となり、世界人口の1/4となる。欧州は、第一次世界大戦によって人的資源を大量に消費し、第二次世界大戦以降は大量の死者を出す戦争を行う余力を失っている。

Ⅳ 超大国の昨日と明日―若者の増加と厳格な所有構造
「所有権」という概念を持っていた事が欧州の優位を決定づけたという話。占有権と異なり、所有権は土地を使用させて利子を稼いだり、土地を担保に借金する事を可能にした。
利子を払うためには経済活動を活発化させなくてはならず、経済が成長する。

以下は、欧州各国のユース・バルジについて。

ポルトガル:
1500年からユース・バルジを経験する。人口は1500年~1600年に100万人から200万人へと倍増している。しかし、他の欧州各国との争いによって、1650年には人口は170万人にまで落ち込んでいる。

スペイン:
人口は1490年~1650年に600万人から900万人に増加している。所有権構造が確立されなかったため、利子を支払うための産業育成がなされず、他の欧州各国に敗れる事になったとしている。

オランダ:
人口は1490年~1640年に70万人から200万人に増加している。

イギリス:
人口は1450年~1850年に350万人から1600万人に増加している。法の支配によって確立された所有権が利子を支払うための産業育成を促し、産業革命が発生したとしている。

ロシア:
人口は1490年~1750年に1000万人から2600万人に増加している。

アメリカ合衆国:
人口は1600年~1700年に80万人から100万人に、1700年~1800年に100万人から600万人に増加。同時期にイギリスは900万人から1600万人に増加しただけであり、独立の要因となったのか?

最後に中国について記述している。

ユース・バルジという不安定要因を持たないが、15歳未満の男児が1億7000万人いる。米国が3000万人であり、OECD諸国全体で1億人だから2020年以降は大国になっていると予測する。法によって確立された所有権構造もある。
しかし、米国の人口1000人あたり出生数が15であるのに対して中国は13であり、米国の総人口は2050年になっても世界大三位であると予想される事から中国が米国に置き換わる事は難しいとしている。

Ⅴ ユース・バルジと国境なきテロリズム
賃金労働が一般的になると女性が自活可能になり、出生数が減少するという意見。2003年時点では低開発国では人口の60%が農村在住のような社会構造であるが、先進諸国では25%である。低開発諸国の都市化は2030年には60%にまで上昇するという予測があり、2050年以降には世界中で出生不足が発生するかもしれない。

日本の歴史について記述:
1873年:人口3500万人
地租改正によって税金を支払う事となり、土地の所有権規定が創設される(この辺りの考え方は興味深い。他の本で調べてみよう)
1905年:人口4500万人
日露戦争
1931年:人口6500万人
満州国建設
1941年:人口7500万人
太平洋戦争勃発
1945年:人口7200万人
太平洋戦争終結

⇒日本の膨張政策は、増加していく国民の居場所を確保するためのものであったのかもしれない。

イランについて:
人口は1955年~2008年に1800万人から6500万人に増加。しかし、女性一人あたりの出生数は1990年までの6人~7人から2008年の1.7人にまで低下。ホメイニ革命やイラン・イラク戦争を戦ったユース・バルジは現在のイランでは育っていない。穏健な政権へと移行出来る可能性が高い。

パキスタン:
人口は1928年~2008年に2200万人から1億6500万人に増加。アフガニスタンと合わせると2023年の軍備人口は3900万人となり、米英を合わせた3650万人を上回る事になる。

問題は攻撃的な指導者が尊ばれる気風であると著者は考えている?1990年代にサダム・フセインがクルド人やシーア派を大量虐殺している時でもムスリムによる指示があり、金正日に対する韓国での人気は高い。18世紀のドイツ人がフリードリヒ大王を偶像化したように、多くの人間が攻撃的な独裁者の背後で活動しているように錯覚してしまう。

こうしてユース・バルジが萎むまでの20年は指導的強国は挑戦に対処しなくてはならない。

ドイツに関しての記述があるが、何だか屈折した意見が書いてあるように思える。ユース・バルジの考え方でなく著者の拘りが書いてあるのか?

Ⅵ 入れてもらえる者、もらえない者
欧州各国の女性一人あたりの出生数が平均1.4人である事。

先進諸国は国家を維持するために移民を受け入れざるをえない。影響は東欧各国に出ている。ブルガリアの人口800万人の内100万人が過去10年間に流出している。ルーマニアは人口流出によって年金生活者610万人を就業者420万人が支えている。

2003年時点で発展途上国(中国以外)には15歳未満の子供が14億人いる。その内6億人は15年以内には故郷を出る事になる?
先進国に6000万人程度が来るかもしれないが、それは現在の流入ペースの倍に過ぎない。現在の米国2億8500万人、欧州3億8000万人の人口は2050年には米国4億6000万人、欧州3億3000万人になると予想される。6000万人の移民を受け入れても、残りの若者はどうするのか?

ドイツが国家を維持するには最低でも毎年5万人の移住者が必要だという(ズュスムート報告2001年提出)。長期的には毎年20万人、子供の出生数を女性一人当たり2.1人とするには毎年50万人になる。2050年までには1500万人の移民が必要とされる。

しかも望まれる移民は母国語と英語、ドイツ語の三ヵ国語を操り、職業経験を持ち、統合を厭わない人達である。そうした優秀な移民は1960年~2000年に、毎年4万人来ている。その中には帰国した人も少なくない。2000年~2002年にIT技術者補充プログラムで海外からの専門家を募ったところ、年間6000人であり目標は達成出来そうにない。

スペインでも2050年まで年金を保証するには1200万人の移民が必要であり、現在は110万人の移民しかいない。

ここで書かれいているのは、現在の先進国と発展途上国の立場が逆転する可能性である。以下のように考える。

欧州:国連安全保障理事会で拒否権議席を3つ持つ
1900年 人口4億2000万人(世界の25%)
2003年 人口6億7000万人(世界の10.5%)
2050年 人口6億3000万人(世界の7%)

アフリカ:国連安全保障理事会で拒否権議席を持たない
1900年 人口1億人(世界の6%)
2003年 人口8億5000万人(世界の12%)
2050年 人口18億4500万人(世界の20%)

⇒人口比率から考えてアフリカ諸国が優勢になる可能性がある。

移民の問題が顕在化し易いのは第二世代になってからである。自分達が下層民である事に不満を持つ傾向がある。よって欧州が移民に頼るのでなく自力増殖路線に舵をきる可能性もある。必要となるのは技術者であり、その不足を移民が埋め合わせる事が出来るかは心許無い。

しかし、ユース・バルジへの対策をたてなければ21世紀の第一四半世紀に多くの犠牲が生まれるかもしれない。

人気ブログランキングへ

日本製造業の次世代戦略

読んだ本の感想。

山田太郎著。2007年3月8日発行。



6年以上前の本だけれど、時代を予言していたと思う。製造業で部品メーカーと組立メーカーが直接取引をするのでなく、間にサプライヤーが仲介として入り、固定的な取引関係が無くなっていくという意見が面白い。

組立メーカーは自社にとって核となる技術以外は、外注する事となり、流動的な取引関係が成立する事になる。

事務作業においても同様の流れがあるだろうか?各企業における事務作業が同一化していれば、企業を渡り歩く人間が増加すると思う。

多分、コンピューターによる業務管理がどれだけ浸透するかが鍵なんだろう。

第1章 三つの変動①製造業バブルが崩壊する
1・第二のバブル期に入った日本製造業
本が書かれた2006年度の日本製造業各社の売上、経常利益等の経営数値は1980年代のバブル時よりも規模が大きい。

2006年10月時点で戦後最長の「いざなぎ景気」(57ヵ月)を超える好景気を維持していた。

こうした好景気の背景には以下の三つの要因があると著者は考える。

①中国
中国の2006年の貿易黒字は1774億ドル。同年の経済成長率は10.5%であり、日本への波及効果が大きい。
②デジタル家電
2003年から、薄型テレビ、デジタルカメラ、DVDレコーダーという新三種の神器が売れるようになった。
③自動車
2005年のトヨダ自動車の販売台数は800万台を突破し、2006年は900万台に迫った。自動車が売れている。

2・問題を先送りにしてバブルに突入した代償
著者は、上記の三つの要因をバブルであるとしており、2008年を境にして、バブルは継続不可になると予想している。むしろ、バブルによって日本製造業各社の改革機運が盛り下がっている事を懸念している。

第2章 三つの変動②匠の危機は本当か
1・団塊世代技術者の大量退職
1947年~1949年に生まれた団塊世代技術者が大量退職して、技能やノウハウが伝承されなくなる問題を「匠の危機」と呼ぶ。別名を「2007年問題」と呼び、厚生労働省が2005年に発表した「平成十六年度能力開発基本調査」によると、企業全体の22.4%が「2007年問題」に危機感を持っていた。

著者は、匠に依存した日本製造業の体質を問題視している。人に依存した生産モデルが中心で、技能を伝承させる構造が確立されていない。

2・「匠の危機」の二つの側面
「匠の危機」には、以下の二つの側面がある。

①技能者が退職してしまう問題
②組織間で技術情報を伝達する生産技術者が退職してしまう問題

日本企業は、会社内の各部門が部門内での情報管理を最適化していて、他部門に情報を伝える仕組みが確立されていない。

部門間の情報の伝達は、コンピューターソフトでなく、紙の図面と担当者に依存している。紙の図面は、長年の経験により、書かれていない部分を読み取る能力が必要。製品の設計図を描く「設計」と図面を参照して生産する「製造」の橋渡しをする「生産技術」の役割が大きくなる。

生産技術者は、図面に足りない情報を補完して製造者に渡すのだ。こうした人力翻訳を必要としない部門間の情報伝達の仕組みが確立されていない。

3・製造業にベンチャー精神を
著者は、2003年頃から、大手企業役員の興味が「何を作るか」から「誰に作らせるか」に変化してきたとしている。社内ベンチャーや社外での新規事業等。

日本製造業のグランドデザインを再構築出来るだろうか?

第3章 三つの変動③ネットワークの恐ろしさ
1・日本のモノづくり概観
20世紀後半の日本のモノづくり史。1995年以降のインターネット普及により、ポスト産業資本主義がより進展し、製品の個性が重要視されるようになった。

終戦~1960年代:産業資本主義
1ドル=360円の固定相場制で、安い人件費を武器に、生産した製品を作るだけ海外に輸出出来た。商品の差別化競争は発生しておらず、安価で高性能ならば製品を売る事が出来た。

ドルショック(1971年)~:ポスト産業資本主義
他社製品との差別化が求められるようになる。インターネットの普及が消費者の情報量を増やし、商品の仕様情報が大きな意味を持つようになった。

日本の製造業は、業務改善(プロセスイノベーション)を得意としてきた。大量生産の効率化を業務改善によって実現する。ポスト産業資本主義の時代には、製品改革(プロダクトイノベーション)が重視され、売れる製品仕様を把握して短期間で新製品を投入する事が重要になる。

さらに売れる製品にも変化が生じており、購買力が増した新興国を中心に「安くて簡単な製品」が売れる傾向がある。日本企業の「高くて高機能な製品」は品質の定義を間違えている。

2・グローバル市場を制覇するカギは「ネットワーク」だ
グローバルなモノづくりは、ネットワークを介して生産される。一つの企業が全てを自前で生産するのでなく、中心となる企業が商社のように「部品集積-組立-販売」というネットワークを握るのだ。

企業だけでなく、国家間でもネットワーク構築の動きがある。

韓国:
朝鮮半島の幹線鉄道である京義線を整備して韓国と中国、欧州を結ぶ計画がある。2000年には北朝鮮と分断された京義線の再連結に合意。韓国政府によると、韓国-北朝鮮間の物流コストは、仁川-南浦という海路がコンテナあたり1000ドルかかるのに対し、京義線では250ドル程度になるとしている。

製造業では物流コストの占める割合が大きく、原価の2倍~3倍の物流コストがかかるとされる。

韓国では、2011年にプサン新港を釜山港に開通させる工事が終了する予定であるらしい(現在、どうなっているのかな?)。

また、東アジアにおいてはシベリア鉄道を活用する意義もあるとしている。釜山~フィンランドのハミナまで海路なら35日必要だが、シベリア鉄道を使用すれば18日~22日に短縮される。

3・新ネットワークから置き去りにされる日本
国土交通省によると、2004年の世界主要港貨物取扱量ランキングでは、1位が香港、2位がシンガポール、3位が上海であり、東京が22位となっている。日本は東アジアの物流ネットワークから置き去りにされているのではないか。

日本では、産業界が下請け構造を形成して、外部にネットワークを構築してきた。低成長期に入ると、下請けメーカーが切られるケースが増えていく。日本は部品の調達先を海外へ移行させた。

米国がネットワーク構築に成功した結果、2007年時点で、中国から北米に、日本を経由せずに製品が流れる事が多い。日本の部品は輸入超過になっている。

ここでシャープの亀山工場やキャノンの大分工場について記述。物流コストを抑え、仕様変更に柔軟に取り組むためとしているが、2013年時点では失敗とされている?

4・世界製造業ネットワークの一角へ躍り出た中国
資本や技術集積が日本から中国に切り替わっている事について。

第4章 「新製品病」では儲からない
1・日本企業が抱える病弊
企業が新製品を出し続けた事により収益構造が悪化している事について。

新製品を出し続ける事によって現場が疲弊する原因は、設計情報を社内で共有して効率化する体制が出来ていないからである。フィードバックや修正による追加修正等の情報が伝わり難い。

2・製品オプションとデータモデリング
機能を増やして高機能化しても顧客にとっての付加価値が増えるとは限らない。

顧客のニーズを以下の三つに分ける。

①ベース
製品の基本機能
②オプション
顧客のニーズに応えて選択的に追加可能にした部分
③カスタマイズ
特定顧客に合わせてオーダーメードで追加した部分

ベース部分の価格を下げて、オプション、カスタマイズで付加価値を追加する。今までの日本企業の個別受注とは違い、ベース部分を共通化した上で受注して個別販売する事になる。

3・製品ライフサイクルの問題
デフレやリサイクル市場の登場で製品が買い易くなり、商品のライフサイクルが短くなるという話。

第5章 日本のメーカーが「敗戦の日」を迎えつつある
1・自動車業界を見れば製造業の未来がわかる
トヨタ自動車も国内販売が急減しており、傍目で見るほど安泰ではない。

以下が問題となっている。
・ライフサイクルの短期化
・カスタマイゼーションの多発
・デフレ(コスト要求)
・技術進展のスピード化
・新興国メーカーの急成長

2・ネットワーク外に追いやられる部品メーカー
かつては組立メーカーと部品メーカーが直接取引していたが、現在では間にサプライヤーが仲介に入る構図になっている。サプライヤーが製品の品質保証をする事で、高品質を保つ。

サプライヤーを使用するメリットは以下の通り。

①細かい品質を気にせず、スペックだけを要請して部品を調達出来る
②サプライヤーは世界中に展開しているから、
 どの国に工場を建設しても、同じサプライヤーから部品調達可能

グローバルソーシングといって、サプライヤーが世界中の様々な企業から部品調達するようになると、日本独自の系列関係が崩される事になる。

危機感を抱いた部品メーカーが製品を受注するのでなく、設計毎売る戦略を立てている。この場合、組立メーカーにとては設計部分がブラックボックス化する可能性があるので、設計部分を外部に出さないよう対策を講じている。

複数企業がセットメーカーを通して規模の利益を追求するか、自社で一貫して製造する事で生産能力をコントロールしようとするかは各社によって異なる。

パソコンがインターフィスさえ合致していれば異なるメーカーの部品が使用出来るように、製造業の部品メーカーにおいても組立品をモジュールとして取り換え可能にする流れがある。

米国の製造業は自社工場を持たずに最終組み立て工程のみを握っている会社が多い。そのため、部品が標準化されている。対して、日本企業はあらゆる技術を持っているが故に標準化に対応出来ず、製品のライフサイクルの短期化に対応しきれていない面がある。

3・ネットワーク時代のビジネスチャンス
ネットワーク時代とは、具体的な機器や装置でなく、スペック(機能や仕様)だけが求められる時代である。製品が一体型の機構でなく、様々な企業が生産した部品の集合体となる。

そのため、かつては需要の無かった部材に売れる可能性が出てきた事になる。

第6章 これからのモノづくり戦略
1・製造業の基本に立ち返る
今までのシステムは、受注や製造等の注文に基づいて生産する「量」をコントロールしてきたが、これからは製品の特性を管理する事が求められる事になる。

そのためには、前者を通じて情報と物品を一致させなくてはならない。

BOM(製品構成情報)=材料の一覧を管理し、部品の形状以外の材質や色の違いも情報として管理可能にする。

BOMは以下の三つに分けられる。

①技術BOM―製品の物理構成を正確に表現する
      (シャーシ、バンパー、車軸、ボディ等の部品情報)
②販売BOM―顧客が購入する製品の構成を表現する
      (ボディカーラー、シートの材質、パネルの材質等)
      ⇒ベース、オプション、カスタマイズをどうやって
       売っているかが分かる
③製造BOM―製造に必要な材料情報
      ⇒同じ製品であっても製造工場やラインが異なれば
       BOMも異なる。技術BOMとは違う情報が必要。
       技術BOMは設備の違う工場の工程の違いは考慮出来ない

製品を設計するには技術BOMが必要であるが、製造には製造BOMが必要となる。上記の三つのBOMを技術、営業、製造の各部門が連携するためのツールと考える。

2・製品の戦略的自由度を高める方法
ベース、オプション、カスタマイズの切り分けを企画段階から考える事で、製品の自由度を高める。

3・モノづくり最優先か、組織の維持を優先するか
今までの日本企業では効率良く製造するための組織が重視されてきた。日本企業は、効率を良くするために、設計、製造、品質保証を専門に行うプロセス毎の組織となっている。

各部署が自部署の業務しか考えなくなり、組織を横断的に改善する事が出来なくなる。そのため、製品ごとに一貫して管理するプロジェクトマネージャー制度を導入しようという動きがある。

第7章 日本を再生させよう
1・日本製造業の新陳代謝を促すための基盤整備
中小企業やベンチャー企業が資金調達するための株式市場に対する期待。巨大企業を製品技術単位に切り分けて、技術だけを集めた専門市場を設立出来ないだろうか?

2・日本企業の大競争時代
日本の製造業は変化しない印象を持たれている。新しい事を試みる感覚が日本の製造業を活性化するために必要なのではないか。

人気ブログランキングへ

仕事が二極化する

「会社」という概念が希薄化するに伴い、仕事は高度専門職(経営者、専門技術者等)と単純作業者(介護職や飲食店従業員等)に二極化すると言われる。厳密には介護職や飲食店従業員は単純な仕事ではないと思うが。

企業内のデスクワークは機械化し易い。体を動かす単純作業は機械化し難い。人件費が安い職種ならば機械化する利点が無いからだ。

**********

別種の二極化もあると、「開発」と「保守」という二種類の形態への分化だ。

現在、多くの日本企業が取り組んでいる課題は、仕事をプロジェクトに転換する事だ。

米国のIBMでは、事業の存続を前提にしていない。現在時点において利益を出している事業であっても、将来性が無いと思えば売却し、次の事業を作り出す。

IT系の分野は、仕事をプロジェクトとして考える傾向が強く、新規企業が成功するとグーグル等に事業を売却し、次のプロジェクトを開始する。

仕事を有期のプロジェクトとして、会社は離合集散を繰り返す、チームが行う事となる。

そうなると、仕事は以下の2つに分かれると思う。

①新規事業を作り出す期限付きのプロジェクト
②既に作り出された事業を永続的に運営するシステム

上記①の場合、高い技能を持っている人間達が、多様な形で参画する事になるが、より重要なのは上記②だと思う。

多分、①と②への参加者は分離せず、企業に勤務しながら複数のプロジェクトに参加したり、その逆のパターンが一般的になるのではないだろうか?

*************

プロジェクトとか難しく考えなくても、こうやってブログを書いている事も社外活動の一種だし、インターネットを通じたあらゆる活動が短期的なプロジェクトなのかもしれない。

全体的に考えると、高度技術職の確保というのは、社会的な承認と収入が確保出来る職種であるとアピール出来れば育成体制さえ整備出来れば、問題が無いのだと思う。

難しいのは、単純作業という先入観があり、重要な仕事なのに低収入で将来性の感じられない仕事をどのようにするかだと思う。

会社員として人員を募集するのでなく、もっと柔軟な雇用体系が必要なのではないか?

人気ブログランキングへ

仕事の価値を比較する事について

僕としても世間一般としても仕事の種類の上下を感じる事があると思う。

以下のような文章をインターネットの掲示板で読む事がある。

・デイトレーダーになると言って会社を辞めた上司がコンビニの
 レジ打ちになっていた。馬鹿だと思う。
・フリーターをやりながら、小説家を目指している知り合いがいる。
 現実を見る事が出来ない奴だ。

思う事なんだけれど、コンビニのレジ打ちとデイトレーダーを比較した場合、コンビニのレジ打ちの方が格好悪いように感じてしまう理由は何なんだろう?

僕個人としては、デイトレーダーを良い働き方だとは思わない。人に誇れるような稼ぎ方ではないと感じる。それでも、コンビニのレジ打ちを仕事に選択する場合、家族や友人に仕事内容を伝える事に抵抗があるような気がする。

伝えるとしても、それは一時的な仕事で、将来的には何か別の事をするつもりだと言うかもしれない。

フリーターと小説家の比較も同じ事。何故、フリーターよりも小説家の方が良い仕事のような気がしてしまうのだろう。僕個人の感覚でも、小説家とは偉くて影響力のある仕事のような気がしてしまう。職業に貴賎は無いはずなのだが。

*************

世の中に対する貢献度で考えれば、コンビニのレジ打ちやフリーターは重要な仕事だ。そうした人が存在しなくては、社会を維持する事は出来ない。

それなのに、そうした人達が低く見られいるように感じるのは何故だろう?

日本の若者は養豚場で午前4時から働くような人間はいない。だから、海外から働き手を探す必要があるという意見を聞く。

僕の偏見では、日本の若者に根性が無いのでなく、人手不足となっている単純作業が社会的に尊敬されず、給料が安い事に問題があるのだと思う。

深夜のコンビニや牛丼屋で外国人が働くのは、日本で貯金をすれば、物価の安い母国で豊かに生活する未来を獲得出来るからだと思う。将来に希望があるのだ。

だから、そうした単純作業にも社会的な尊敬や希望があるようにするべきだと思う。

**************

何というか、単純作業が異常に軽視され、全ての人間がキャリアアップしなくてはならないような風潮は間違っていると思う。

仕事をしろ、働けと言われる場合、朝9時から夕方18時まで会社で行うデスクワークをイメージすると思う。そうした仕事は将来的に需要が縮小していくのに、供給が多い。

ちゃんとした仕事というと、会社員になる事になってしまう。

農業や漁業でさえ、博打のような印象がある。

**************

ニートや引き籠りと言われる人が、自己改善をせずに収入を獲得出来るようにするにはどうすれば良いだろう?

就労訓練施設に在籍している人達の中には、会社には適応出来ないけれど、個人事業主となれば一定の成果を出せそうな人間が結構いる。そうした人達は、会社員となるための訓練を受けるより、何か他の考え方を適応した方が良いと感じる。

ニートや引き籠りのようなライフスタイルで、単純作業で稼ぐ。もちろん、自己啓発がしたいのならやれば良い。働き方を自分で考えて、自分で稼ぐ。

やっぱり漠然としている。

役に立たない人間でも良いと思えるようにするにはどうすれば良いだろう?社会全体で考えると、生きていくための生産物は余っており、将来的もそれは変わらないはず。

そして、高度技能職や単純作業と呼ばれる職種は人手不足であるが、全体的には働き手は過剰である。人員移動と教育が機能していない事が問題なのだ。

どのように考えるのか?

人気ブログランキングへ

幻の1940年計画

読んだ本の感想。

指南役著。2009年4月6日 第1版第1刷発行。



以下は、著者のWebサイトへのリンク。

http://www.cynanyc.com/frame.html

2020年の東京オリンピックを予見した本。

著者は、1940年を日本にとって特別な年であったと考える。1930年代は高度経済成長の時代であり、1940年はオリンピック、万国博覧会、テレビ放送、高速列車等の大事業が本格化する年であるはずだった。

結局、戦争のために大事業は1940年には実現せず、戦後数十年をかけて実現していく。

そして、次の特別な年を2020年であると考えている。第二東名高速道、中央新幹線の一部開通、燃焼電池自動車の導入、立体テレビ元年等、2020年には大型のインフラ事業が集中しているらしい。

本を読んでいると、1940年と同じように2020年の大型事業も頓挫してしまうような気がしてならない。マイナス思考だ。

第1章 カーニヴァル
1940年に予定されていた東京オリンピックと東京万博が史実に反して開催されていた場合の話。テレビ放送も東京オリンピックに合わせて開始される予定だったし、東京から北京を24時間で結ぶ弾丸列車の予算も1940年に議会を通過していた。

現実には、テレビ放送は1953年開始、東京オリンピックと新幹線は1964年、万国博覧会は1970年開催となっている。

第2章 東京オリムピック
日本の外交努力により、1933年の国際連盟脱退後の1936年に東京オリンピック開催が決定した話。夏季と冬季の2回に渡って行われる予定だった。
1940年は、神武天皇が即位した年を元年とする年号で2600年となる年であり、開催しようという意志があった。

一般的なイメージとして、日本の1930年代は不景気や軍部のクーデーター等の印象が強いが違う側面もある。

百貨店業界:
1930年代は百貨店の群雄割拠の時代だった。1930年に銀座三越、1931年に白木屋、1932年に三越、1933年に高島屋、1937年に東横百貨店がオープン。
現代に至るまで続くモダニズム建築が出現した。東京の主要建築物は1930年代に完成している。

娯楽:
1927年に映画が発明され、1930年代には毎年500本以上の邦画が封切られていた。最も邦画が封切られたのは1960年の547本であり、日本の映画界は戦前と戦後の2回、全盛期を迎えていた。

しかし、1938年に日本政府は東京オリンピックと札幌オリンピックの返上を閣議決定する。1937年に発生した盧溝橋事件によって兵器の需要が高まり、スタジアム建設に必要な鉄を確保出来なくなったためである。

第3章 紀元2600年記念日本万国博覧会
日本における万国博覧会は幾度も延期された過去がある。最初は1890年開催が予定されたが財源不足から立ち消えとなり、以後、1909年、1935年と幾度も財源不足を理由に延期されている。

前売り券を宝くじにする事で財源不足を補う案が出され、1940年の万国博覧会が企画される事となる。1923年に起きた関東大震災を切っ掛けに内務大臣である後藤新平が立案した帝都復興計画が出され、1930年までには東京の幹線道路や橋が整備され、万国博覧会は大きなインフラ事業を必要としなかった。

政府は万国博覧会に向け、1934年に「国際観光事業経過概要」という報告書を纏め、低利融資によって各自治体に外国人向けのホテルを作るよう働きかけた。1930年代には日本中に外国人向け保養施設が建設されたのである。

しかし、オリンピックと同じく、日中戦争による資材不足を原因に1938年に延期が決定される。

第4章 テレビジョン
日本において、1940年にテレビ試験放送が開始された。街頭テレビは1940年には存在したのである。

日本のテレビジョンは、1926年に浜松高等工業の助教授 高柳健次郎が電子式テレビジョンの実験に成功した事から実用化に向けて走り出す。

1936年のベルリンオリンピックにおいて、ドイツが試合の模様をテレビ中継する。その事に刺激を受けた日本の放送関係者により、東京オリンピックに向けたテレビ中継が企画される。

1937年には高柳健次郎がNHKに出向し、テレビのシステム作りが始まる事となる。東京、大阪、名古屋の数十か所に公衆受像所を設置する計画だった。

オリンピック延期後もテレビジョン研究は継続され、1940年にはテレビドラマが放送されている。1941年の太平洋戦争開戦により、テレビジョン関連の予算が凍結され、NHKのテレビ放送がスタートするのは1953年となる。

第5章 弾丸列車
1940年に立案された東京と北京を24時間で結ぶ高速列車について。後の新幹線である。

蒸気機関車でなく電気機関車を想定しており、最高速度150キロを目指す。当時の日本のレース幅は1067ミリ(狭軌)であり、それを1435ミリ(広軌)に改築する目的もあった。

レール幅を広げる事で在来線との互換性が無くなる事を理由に、軍部による反対意見が出される。実施委員会は、アジア大陸との一貫輸送を実現する事を名目にレール幅を広げる事を主張して予算を通す。大陸内の鉄道は全て広軌だったのだ。

広軌は大量輸送の実現に不可欠であり、広軌を実現するために、東京と北京を結ぶ案を出した可能性。

1943年に太平洋戦争の戦局悪化を理由に工事は延期される。東海道新幹線が1959年の着工から5年で完成したのは、この時に用地の買収が済んでいたためという話がある。戦中という非常時であり、国家事業という大義名分のために、東京から下関までの用地の27%が1943年までに買収されており、新幹線のルートは弾丸列車のルートと大阪までほとんど一致する。

第6章 黄金の40年代
1930年代の日本は、高度経済成長期だったという話。

以下は、日本のGDPの推移。単位は100万ドル。

1919年:100,959
1920年:94,653(経済恐慌)
1921年:105,043
1922年:104,756
1923年:104,828(関東大震災)
1924年:107,766
1925年:112,208(普通選挙法、治安維持法成立)
1926年:113,211(昭和に改元)
1927年:114,859
1928年:124,246
1929年:128,115(世界恐慌)
1930年:118,800
1931年:119,803(満州事変)
1932年:129,835(五・一五事件)
1933年:142,589(国際連盟脱退)
1934年:142,876
1935年:146,817
1936年:157,493(二・二六事件)
1937年:165,017(日中戦争開始)
1938年:176,050(国家総動員法成立)
1939年:203,780(第二次世界大戦開始)
1940年:209,728
1941年:214,392(太平洋戦争開始)
1942年:214,853
1943年:211,431
1944年:206,747
1945年:156,805(太平洋戦争終結)

上記から見ると、1930年代後半は好景気だった。1940年に贅沢禁止令や野球での英語使用禁止等の施策が取られ、戦争に向かう事になる。

ターニングポイントは1940年だった。分岐点となる1940年にオリンピックや万国博覧会等が行われていれば、日本の歴史は大幅にショートカットされていたかもしれない。

テレビ放送は1940年に開始され、1930年代には芝浦製作所(現・東芝)が開発していた洗濯機や冷蔵庫が普及する1940年代があったかもしれない。

弾丸列車は1940年代末には東京~大阪間が運行しているだろうし、内務省土木局が計画していた高速道路が開通していたかもしれない。

第7章 2020年の東京
本の中に繰り返し登場する後藤新平という人物について。満鉄の初代総裁であり、東京市長として都市計画を作成、内務大臣として関東大震災の復興を行い、NHKの設立も画策している。

後藤新平の手掛けた事業はインフラ整備である。彼は、満鉄時代にシンクタンクである満鉄調査部を作り、調査・立案を基に事業計画を推進している。東京市長就任時も調査課を作り、アンケート調査に基づくインフラ計画を発表している。この計画は関東大震災を契機に実現する事となる。

本の中にでは、インフラ構築は多額の資金を必要とするため、災害復興や戦争等の特別な状況でなければ進み難いとしている。
以下の2点が重要となる。

①民意
大規模な市場調査に基づく民意の把握。
②ビッグウェーブ
様々な事業が1年に集中する現象。

2020年は21世紀型のインフラが花開く80年ぶりに日本に来たビッグウェーブとしている。

***************

本を読んでいると、2020年の東京オリンピックが行われない可能性を考えてしまう。

1940年の大事業が全て頓挫した原因は、当時の日本が軍事を優先したからである。それは軍事を優先する価値観が強かったからだと思う。

国家の目的は、軍事力によって多くの領土を手に入れる事であり、植民地を作る事によって国民が幸福になるという思想があったのだと思う。そうした思想が強い間はオリンピックや万国博覧会等の事業に資材や人材が集中出来なかったのではないだろうか?

本の中で紹介されている4大事業が行われるには、敗戦による価値観の転換が必要だったように思える。

敗戦によって価値観は転換したと考える。領土の獲得によって国民を幸福にするのでなく、経済成長によって自国民を幸福にする価値観だ。

他国の主権を尊重し、国家が主導する形で産業政策が遂行され、景気が悪化した場合は公共事業等が行われる。共産主義に対抗するためにも国民福祉を充実させなくてはならない。

仕事をする事、働く事が生活を向上させる事だという価値観が一般的になっていく。戦後の高度経済成長期は多くの人間が必要とされ、働けば働くほど会社は成長し、給料も上がり、電化製品を買う事が出来る。

経済成長に正義を感じる事が出来たのだと考える。

**********

現在は価値観の転換期なのだと思う。軍事的に獲得出来る領土が無くなるのと同じように経済成長にも限界がある。経済が成長しないのならば人員も必要とされず、働く事に正義を感じる事が出来なくなる。

現在の価値観は、国家が絶対的な力を持っている事を前提とする。大規模な混乱を国家が制御し正常化しなくてはならない。現状、国家への信頼感が薄らいでいく中で新たな思想が広まろうとしている。

価値観の転換は1970年代に始まっている。オイルショック等、国家によって対処出来ない事態が発生するようになったからだ。

新しい価値観は古典的自由主義経済学を柱とし、中央集権型の大きな政府から小さな政府への転換を是とした。規制を最小限にして市場の潜在力を最大化するのだ。

*************

現状は、旧来の価値観への揺り戻しが発生していると思う。リーマンショック以来、国家による規制を求める声が大きい。レーガンやサッチャーの方法は時代遅れになったと考える人間がいる。

多分、国家による規制は機能しないと思う。従来型の銀行、証券等の枠に入らない新しい金融業態や新しい産業形態、生き方が誕生しているからだ。

しかし、動乱が発生せずに人々の価値観が転換するとも思えない。2020年を前に多くの人間が価値観を変えざるを得ないイベントが発生するのではないか?

80年前と同じように、次世代型の事業は延期される事となり、価値観が再構築された後に実行される事になるのではないか?そうした事が発生する可能性を考えてしまう。

我ながらネガティブな思考だと思う。

人気ブログランキングへ

相手の思考レベルの一つ上のレベルで思考する事

「賭けの考え方」(イアン・テイラー、マシュー・ヒルガー著)を読んでいる。



「第8章 対戦相手の心の中へ」の8-4 相手の心の中に入り込む(P300~P307)と8-5 思考のレベル(P308~P313)が面白い。

対戦相手の思考レベルの一つ上の思考レベルで考えるべきである。対戦相手より2つ以上上のレベルで思考すると、それは自らの弱味となる。

ポーカーの思考レベルとは、以下のようなものである。

レベル0:自分の手札について考える
自分の手札の強さに集中し、対戦相手の手札について考慮しない。

レベル1:対戦相手の手札について考える
対戦相手の手札について思考し、手札の可能性を考慮する。

レベル2:対戦相手が自分の手札をどのように予測するか考える
対戦相手が、自分の手札をどのように予測しているか考察する。

レベル3:対戦相手が、レベル2で自分で考えた事をどのように
     予測するか考える。

対戦相手の行動を、自分がどのように考えているかを対戦相手が考えるかを考察する。とても複雑。レベル3以降も存在する。

ポーカーにおいては、対戦相手がレベル1で思考している場合、レベル2で思考するべきである。レベル0の相手にレベル2で戦おうとすると、結果的に裏をかかれる可能性がある。

<例>
サイモン(レベル0で思考するプレイヤー)とマーチン(レベル2で思考するプレイヤー)の対戦。

ポーカーのゲームは、以下の手順で行われる。最終的には、共通カード5枚と、各プレイヤーが持っている2枚のカードの中から、5枚のカードの組合せで勝敗が決定する。

①ブラインド
各プレイヤーが賭け金を提示する。
②プリフロップ
各プレイヤーにトランプカードを2枚ずつ配布する。この段階でゲームから降りたり、賭け金を増やしたり出来る。
③フロップ
トランプカード3枚を共通カードとして提示する。この段階でもゲームから降りたり、賭け金を増やしたり出来る。
④ターン
共通カードを1枚追加する。この段階でもゲームから降りたり、賭け金を増やしたり出来る。
⑤リバー     
共通カードを1枚追加する。この段階でもゲームから降りたり、賭け金を増やしたり出来る。
⑥ショーダウン
残っているプレイヤーが自分の手札を見せ合う。最も強い組合せを持っているプレイヤーが掛け金を総取りする。

マーチンとサイモンのプレーは以下のように進展する。

①プリフロップ
 サイモンの手札(クイーンと9)
 マーチンの手札(クイーンと10)
②フロップ
 共通カードとして、9、8、4が提示される。
 サイモンの行動
  共通カードの9と手札の9でペアが出来た事を喜び、掛け金を
  増額する。
 マーチンの行動
  サイモンが自分の位置を確認するために賭け金を増額した 
  と判断し、彼の手札に8か9があると推察する。
  自分にも勝算があると思い、賭けに残る選択をする。
③ターン
 共通カードとして7が追加される。
 サイモンの行動
  適当に少額の賭け金を増額する。
 マーチンの行動
  サイモンの行動を弱気の証明と判断する。
  よって、自らが多額の掛け金を増額すれば、
  サイモンは降りると判断する。
  ⇒サイモンは、マーチンの手札を予測しないので降りない。
④リバー
 共通カードに2が追加される。
 サイモンとマーチンに動きは無い。
⑤ショーダウン
 両者が手札を見せ合う。
 サイモン:9のワンペア
 マーチン:役無し

マーチンは、サイモンが自らの手札を予測しない事を考慮するべきだった。相手が自分と同じように思考すると予測する事は致命的な誤りである。

仮に、対戦相手がレベル1である場合、相手のカードが弱いと推察して賭け金を増額する事で脅しをかけるかもしれない。
対戦相手がレベル2である場合、序盤に強い手札を掴むと、敢えて賭け金を増額しない事で対戦相手がゲームから降りないようにしているかもしれない。

常に相手の思考レベルを推察し、その一つ上のレベルで考える事が肝要である。

************

双方向の意志疎通を考えた場合、相手が自分と同じように思考しない事を意識する事は重要であると思う。

アスペルガー者との意思疎通を考えると、「意味」は伝わっても「意図」が伝わらない可能性がある。

例えば、自動車が走っているのに、横断歩道を渡ろうとする人に対しては、「危ないよ」と声をかける。意味を解釈すると危険であるだけだが、意図を解釈すると行動の禁止を求めている。

複雑なケースでは、誰かの悪口を伝えてくる人がいる場合、悪口の内容自体は意味であるが、自分の味方になれという意図を持っている。その場合、同情、擁護、或いは拒絶の意図を持った言葉を伝える必要がある。

意図を判断し辛いアスペルガー者は、常にレベル0の思考でポーカーを戦っているようなものなのかもしれない。レベル1のプレイヤーには勝てない。しかし、レベル2以上のプレイヤーに対しては逆に有利になる場面もあるのかな?

人気ブログランキングへ

雇用される代わりにお金を支払う会社

「オタキングex」という会社の話を聞いた。

以下は、「オタキングex」のWebサイトへのリンク。

http://otaking-ex.jp/top.html

以下は、「オタキングex」のWikipediaの記事へのリンク。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%BF%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0ex

発起人であり、会社社長である岡田斗司夫氏の著書を発行する事が主な仕事であるらしい。岡田氏は、自分の原稿を無料で出版社に提供する。通常は、書籍の値段の1割が著者印税となるが、これが無料になる。

現在、岡田氏は、全ての仕事のギャラを無料で引き受けている。FREEexという概念であるらしい。

活動の原資は、社員一人当たりが年間12万円を支払う事で支えている。社員は、仕事をする権利を会社から買っているのだ。

以下は、岡田氏が記事を寄稿するWebサイト「クラウドシティ」へのリンク。参加は有料で、年会費は1万円。理屈っぽい話が好きな人が集うインターネット上の都市国家という位置付けである。

http://blog.livedoor.jp/cloudcityblog/

*********

会社が社員を教育する力を失っていると聞く。会社員として10年間を生きた僕の狭い経験もそれを肯定する。

米国の教育NPO TFAが2010年の全米文系学生・就職先人気ランキングで1位になった。大学の卒業生を、大学卒業後2年間、教育困難地域にある学校に常勤講師として赴任させるプログラムであり、現在、2000人以上のTFA出身者が教育界で活動しているという。

他者にアピール出来る経験に飢えている人間は多い。

現在は、ビジネスのライフサイクルが短期化しており、人間が育つまでの時間が足りない。あらゆる業務が誰にでも出来るようシステム化された結果、作業の意味を考える事が出来ず、突発的な事象に対応する能力が弱まる。

さらに、出来上がってしまった会社は保守的になる。失敗する可能性があっても、新規に事業を体感させる事で社員を成長させる余裕が無い。

*************

経験を買うという発想は面白いと思う。唯で良いから仕事をさせて欲しいという人がいるから、お金を支払うから仕事をさせて欲しいという人もいるだろう。

それにしても、新しい事を開始する事が難しい。日頃のルーティンワークをこなす以外の事を始めるのに、こんなに心理的な負荷がかかるとは思わなかった。

人気ブログランキングへ

発達障害者の働き方について

複数の仕事を持つ事が解決策なのではないか?

以下は、本に書いてあった事から。

発達障害者の雇用の問題は、インターネットの普及に伴う個人の可能性の変化に企業が追い付いていないからではないか?現在、個人の力は企業統治の力を超える可能性がある。

1990年代までは、サラリーマンになる人間の割合は現在より少なかった。統計データは知らないけれど、会社に勤務する事が当たり前となる状態ではない。多様な就業形態が存在していた。サラリーマンは年功序列の仕組みに従い、欧米から働き過ぎと批判されながらも企業に忠誠を尽くし、滅私奉公で働く事が常識だったのか?

やがて経済活動が縮小し、企業以外の農林水産業や個人商店等の働き方が駆逐された事から問題が生じる。サラリーマンとなる事に適性の無い人間が企業社会に流入し、既存の企業文化と対立する事になる。これが発達障害の本質的な問題と考える。

発達障害者が適応困難な企業の本質とは、マニュアル化であると考える。

個人商店や家族経営の農林水産業と異なり、企業におけるオペレーションは、誰がやっても品質に差が無いようにマニュアル化される。機械のように決められた指示によって、決められた働きをしなくてはならない。

どのような人間でも確実に一定の成果が出せるよう、業務プロセスは改善されていく。

*************

決められたオペレーションに対応出来ない発達障害者に一般企業は対応困難である。

一般企業の問題解決方法は中央集権的である。命令・指示を正確に遂行する事に焦点があてられ、進捗状況を管理し、オペレーションを微修正する事で問題を改善しようとする。この方法は失敗するはずだ。

業務報告や管理方法を工夫しても、発達障害者を扱う事は困難。管理によって問題は解決しない。視覚障害者に車を運転させるために助手席から指示を出すようなものだ。後付けで問題を指摘しても意味が無いし効率が悪い。何よりも問題が発生する事を防ぐ事が出来ない。

発達障害者を管理しようとすると、「スケジュール通り、◎◎日までに◆◆をやれ」と言うだけになってしまい、具体的な解決策を提示出来ない。発達障害者は解決策が出ないので、「頑張ります」しか言えず、問題が放置されたままになってしまう

ポイントは以下の3つであると考える。

①目的の明確化
成果物のイメージを明確にし、仕事のゴール、品質基準、期限、役割を具体的に決める。指示事項を最初に明確化しておけば、細かい確認が不要になり、管理者の負担が減るはずである。

②広い視野の提示
多くの場合、発達障害者は言われた事しかやらない。視野が狭いからである。特定の領域に特化するのでなく、仕事の目的や全体的な業務のイメージ等の上位概念を教育する。考えさせてはならない。彼等は多くの場合、記憶に特化した思考形態を取る。応用能力を身に付けさせたいのであれば、細かい仕事のオペレーションと同時に上位概念も関連付けて教えた方が良い。

③社外活動の推奨
迷惑な人間ほど退職しない。どれほど自信過剰に見えても、自信が無いのだから動く事が出来ない。先んじて対策を練るために、自信を持つ事の出来る社外活動をさせる。退職を推奨する場合、自分を駄目な人間であると思っている人間ほど辞め難い。自らに自信を持つ事が出来るから辞める事が出来る。嫌いな相手は褒めるに限る。

************

社会全体として発達障害者を有効活用するためにも、全体的な価値観や制度の再構築が必要であると思う。

以下は、米国の企業GEの変革について。

1980年代~1990年代:
ジャック・ウェルチの下で組織の階層を減らし、個々の事業責任者に権限と責任を付与する一方、厳しく結果を問う。事業ポートフォリオや独自の品質管理手法によってトップダウン型のマネジメント実施する。

2000年代以降:
ジェフリー・イメルトの下でリバースイノベーションというアプローチを実施。新興国の拠点に権限を委譲し、新興国で発生したイノベーションを先進国に還流させる。失敗を許容し、現場が能動的に動く体制を作る事で新規発見を促す。

⇒発達障害者についても、同様の使い方は出来ないだろうか?既存の体制に組み込むのでなく、発見や多様性を齎すために活用し、コストセンターでなくプロフィットセンターとして機能するようにするのだ。

実際、経営の世界では、コアとなる部門以外をアウトソースして、企業連合となる事が一般的になりつつあるのか?

金銭や人間、ルールで縛るのでなく、戦略を共有する事で繋がりを保つ。アップルは台湾の鴻海精密工業に製造を全面委託している。工場建設の手間を省く事で迅速な対応が可能になる。

グーグルやフェイスブックはさらに脱統治に適応している。プラットフォームのみを提供し、自社の縄張りで活動する企業や個人から収入を得る。

社会全体をそのように変えられないだろうか?発達障害者を特定の企業内に押し込めるのでなく、自立した個人として複数の仕事から収入を得るようにするのだ。

必要な価値観の変化は以下の通り。

①行動の推奨
個々人が将来に対してのビジョンを持ち、行動出来るようにする。発達障害者は失敗する経験が多いから、保守的になる傾向があると思う。周囲の人間も発達障害者には何もしない事を求める。

②失敗の推奨
失敗する事の方が多い。失敗する可能性を考えると、上手くいくはずのない過大な目標を持ちがちである。漫画家、映画監督、小説家、etcを目指す場合、失敗すると思っているから、敢えて上手くいくはずのない目標を掲げているのだと思う。失敗を推奨する事で現実的な目標を持つかもしれない。

③巻き込みの推奨
発達障害者である場合、苦手な事は他人に任せた方が有効である。多様な人間が集い、共通の目的を共有出来るようにする。

社会を個々の企業の集合体と考えるのでなく、共通のプラットフォームを基盤にした生態系として考える事が出来ないだろうか?

発達障害者への教育・訓練の問題にも解答が得られる。勉強で獲得出来る能力は応用出来ない、業務経験を得ようにも既存業務には適応出来ない。結果的に何も出来ないまま年齢を重ねてしまう人間が多いと思う。

統治から離れた個人となる事で、自らが主役となって目標や条件を提示する事が出来る。既存企業の採用条件には合致しなくとも、自らが勉強して得た能力を自らが値付けする事で仕事を獲得し、経験を蓄積出来るかもしれない。

企業内での評価は実績である。生態系としての社会での評価は市場価値である。

とても皮肉な話だけれど、アスペルガー者の適職として公務員や大企業のデスクワークが挙げられる事が多い。上意下達のピラミッド型組織の中で安定的な生活がある。オフィスに閉じ込める事で組織としての管理が出来る。

それは現実的な解決策だと思う。しかし、それでは社会全体として負担になっており、肩身の狭い思いをする事には変わりが無いと思う。就労訓練施設には、問題を起こさない普通の発達障害者の紹介を求める企業があるのだとか。法的に障害者を一定数雇用しなくてはならないので、問題の無い普通の人間が求められる。本末転倒だ。

**********

だからこそ、場所、組織、管理による統治でなく、緩やかな生態系の中で固定的な組織に所属しない生き方を推奨するべきではないか?

複数の収入源を持つ事で組織の負担を減らす。状況に応じて働き方を変化させる事で問題に柔軟に対処する。これまでの実績や能力を可視化する事で自らの扱い方を周知する。

こうした事を一般化するには、世の中全体の価値観を変化させて成功パターンを構築しなくてはならない。現在の一般企業に発達障害者を押し込める方法は周囲の負担が大きいし、発達障害者本人も自信を失って問題が拡大してしまう。

こうした抽象的な話をするのは良いけれど、具体的な解決策となると難しいな。

人気ブログランキングへ

新世紀日米大戦1

新世紀日米大戦1という本を見つけた。大石栄司著。1997年9月25日初版。



2018年の日本が舞台となる話。総務省の役人であった朝倉伸吾が昏睡状態から20年ぶりに目が覚める。20年間では行政改革は進展していないが、人口歯等の医学の進歩やロボットの導入等、科学が想像以上に進化している。

この本はシリーズになっており、新世紀日米大戦10まで続くらしい。シベリアがロシアから独立し、それを支援する日中と米露との間で戦争が発生するという展開になるのだとか。

**********

1997年に出版された話という事で、読んでいると、当時の日本には科学の進歩に過大な期待があったのだと思われる。看護ロボットの導入によって寝たきりの病人の介護が楽になったり、再生医療の成果によって人工臓器が実用化されている。

対して、世の中の価値観は変化していない。行政改革は進展せずに、中国からの移民を1000万人受け入れている。

**********

2013年現在において、1997年と比較して科学は進歩していないし、日本という国家の状況も変化していないと思う。安全保障や財政の問題も変わっていない。しかし、価値観は大きく変わっていると思う。

作者は、15年後の日本で国家主義のようなものが発生するとは思っていなかったのだろう。中国からの移民について、P91で、国家が継続するためには民族的な同一性には拘らないとしている。次の世代は日本語を話すのだから問題は無いという事だ。

当時、主敵がロシアや米国となる架空戦記がブームだったと思うけれど、現在の日本で米国と戦う話は売れないと感じる。主敵は韓国や中国となるだろう。

米国のパワーダウンや北方領土の問題は現在も存在しているし、中国の経済発展や韓国との領土紛争等の問題は当時から存在しているはずなのに、全体的な感性が変化しているから、問題を処理する優先順位が変化しているように感じられる。

いつの間にか日本は追いかけられる国会になったのだと思う。1990年代は、日本が米国に取って代わるストーリーに夢が感じられたし、中韓が日本に対しての脅威になるという認識も無かったのだろう。

**********

個人的には、インターネットの普及が価値観の変化に貢献したのだと思う。文字情報を主として行われる双方向コミュニケーションは、人々の意識を大きく変えた気がする。

インターネット上で異民族や逸脱者への攻撃活動を行うユーザーは全体の1%程度と聞いた事がある。それが事実だとしても、1%が大きな力を持っている事になる。人々の思想に影響を与える力だ。

飲み会において同僚が韓国の悪口を言い始めた時には驚いた。インターネットで収集した知識であるらしい。個人的な話をする場で政治的な話は盛り上がらないはずだった。自分と同じ思想を持つ人間をインターネット使用して集め、全体としては少数派であっても集団としての力を持つ事が出来る。

自らの思想を広げる場合、憎悪の力が役立つ。自分を憎む者を仮定し、危機感や対抗心を煽るのだ。どこの国においても通用する方法だと思う。

「◎◎人は、私達の帰属する民族を憎んでおり、私達が△△人であるだけで攻撃しようとしている。◆◆人に対しては攻撃をしないのは、私達が甘い民族であり、私達を見縊っているからだ。◎◎人が私達への攻撃を止めないのだから、私達も同じように攻撃をやり返すべきだ。それがいけないというのなら、◎◎人に私達への攻撃を止めるよう説得してこい。これは正当な抗議活動だ」

上記のような意見が時代や共同体に関わらずに通用すると言ったのはゲッペルスだったかな。新世紀日米大戦を書いた大石氏は、戦争の記憶が薄れれば再度の戦争が発生するかもしれないような事を書いている。現在の著者のブログを読むと、韓国人が日本人をチョッパリと呼んで差別しているような事が書いてあり、価値観に大きな変化があった事が伺える。

**********

インターネットの普及は、良くも悪くも「自由と権利」という近代の価値観を変化させつつあるのだと思う。

・自由
現代でも自由で多様な価値観は尊ばれている。しかし、インターネット上での意思疎通を読んでいると、一つの意見に意識を統一しようとする傾向が見受けられる。
中国や韓国のインターネット掲示板で日本を褒めると日本人認定され、日本のインターネット掲示板で中国や韓国を褒めると中国人や韓国人として扱われる。
意見は偏見をもって解釈される。人間の自由意思や合理的な判断は存在しない事が明確に示される。
自由意思と合理的な判断が存在する場合、必ず自分と同一の見解に至るはずである。同一とならない理由は悪意があるからだから攻撃しなくてはならない。そういう思想だ。
ナショナリズムの問題に限らず、異なる存在に対しては排斥活動が行われる事になる。

・権利
権利とは、自らが帰属している集団の常識に従う義務である。義務に従うために権利は存在し、秩序を乱してはならない。この事象を記述する事は難しい。インターネット上の仮想空間は、ある意味では現実世界以上に規範意識が強いと思う。多様な人間が存在するのだから逆説的に最大公約数的な常識を採択するしかない。
今まで閉鎖的な村社会で行われていた慣行が白日の下にさらされ、一般常識の審判を仰ぐ事になる。一般常識は従わなくてはならない神の言葉であり、逆らう事は神への反抗である。神に逆らう反逆者は処罰して排斥しなくてはならず、権利を遂行しない愚か者である。
権利とは、自らの常識に従う義務であると考える事になるのか。

**********

人間が愚かになったのでなく、インターネット上の仮想空間においては一神教的な価値観が一般的になっていくのだと思う。仮想空間と現実空間の意志疎通を比較すると、一神教は戦いの宗教である事が理解出来る気がする。感情や共感による補助がある現実空間では、謙虚である事が望まれるが、言語による意思疎通が主となる仮想空間では自己主張が重要視される。

そして、将来的には仮想空間に「村」が建設される事になるのではないだろうか?皆が同一の見解に至り、同種の権利を遂行出来ると思い込んでいる間は、一つの世界を建設しようとするが、それが不可能である事が明らかになるに連れて、閉鎖的な共同体を構築しようとするはずだ。

facebookの流行は、その端緒であるはずだし、やがては仮想空間で帰属する集団によって現実空間での優劣が決定されるのだと思う。

帰属者の優位を保証する共同体に参加するためには、情報収集力や態度、経験等が共同体の求める条件と合致している必要があるはずだし、閉鎖的な村々の集合体として社会が成立するのだと感じる。

村の建設は現在進行形で行われており、10年以内には、何らかの価値観の変化を齎すはずである。

人気ブログランキングへ

仕事の価値について考える事

就労訓練施設で少しだけ口論になる。

僕の話が抽象的であり、具体的でないというわけだ。その通りだと思う。

仕事をする事の意味ではなく、職場に適応する方法を具体的に考えるべきだというのだ。一理も二理もあるとは思う。

それでも、話が噛み合わないのは僕が納得していないからだと思う。

リフレ派とういのはだろうか。インターネット上で時々見掛ける概念を言っている。

国家が現金をばら撒いて需要を作り出す。近年の少子高齢化と相まって、障害者であっても必要とされるようになる。どのような人間であっても労働力としての価値が生まれるらしい。高度経済成長期の再現であるのだとか。

本当にそうなるの?なったとしても良い事だとは思わない。

僕が会社員であった時に思っていた事として、不要な人間が多過ぎるという事がある。役職者の数が多過ぎるし、年配の社員が監視するだけの無駄な業務に従事している事が多い。社内ニートたる僕自身が無駄である事はもちろんだ。

しかし、就労訓練施設にいる人達が、そのような事はないと言っていた。働く事自体に意味があるとしている。

しばらく話しても、考え方の基盤が理解出来ない。マルクス経済学の本を読んだ時を思い出す。労働価値説というのだっけ?100円の材料から、120円の商品を作り出す場合、プラスされた20円は、労働によって生み出されたものである。働く事自体に意味があるのだ。

************

仕事の価値については、僕自身が理解出来ていない。

ダイヤモンドと小麦の価値の違いについては、食料として利用出来る小麦よりも、観賞用の価値しかないダイヤモンドの方が価値があるのは何故なのかという議論がある。

ダイヤモンドは希少であり、需要と供給の関係から高い価値が生み出されているという説明がある。

仕事については違う。人手不足であるはずの介護業界は低賃金だし、デスクワーク等の人手が余っている仕事が高給だったりする。実際、会社からの給料で考えれば、世の中に貢献しているはずの介護職員よりも、僕の方が高かったし、社会的な評価も高いと思う。

**********

需要がある難しい仕事よりも、社会貢献度が低い簡単な仕事の方が高く評価される不思議がある。

知り合いに東京大学を卒業後、研究者になった人間がいる。本人曰く、研究を一生懸命にやって実績もあるのに年齢の関係から、来年から研究室に在籍出来なくなるらしい。

彼の話では世の中は間違っているらしい。社会的に貢献度の高い研究者の仕事が不安定・低評価・薄給であるのに対し、広告関係やマスコミ業界に就職した同級生達は、高い給料と高い社会的地位を手に入れている。

金融トレーダーのような何も生み出さない仕事に、後輩達が成りたがっている。数学を学んだ人間が金融業界に大量流入する事は、社会全体の損失であるのだとか。

**********

そういう話もインタネットの記事や雑誌の記述で見掛ける意見だ。頭脳労働であっても評価が低い仕事が存在する。

どんな人間でも労働力としての価値が生じる状態とは、多くの人間が奴隷のように扱われる状態ではないだろうか?仕事自体の矛盾や全体的なシステムを変えない状態で需要だけが増えても不幸な人間が増えるだけだと思う。

そして、問題をどのように解決するかという具体的な方法は分からない。

多分、企業文化の外部で解決策は既に発見されているのだろう。趣味的起業や複数の収入源を持つ人間は、想像以上に沢山いるだろうし、これからも増え続ける。

世の中全体の価値観が変化して欲しい。

人気ブログランキングへ

5億年ボタンとダニエル・カーネマンの研究

昨日は一日中寝ていた。気が付いたら寝ていた。ブログを書こうとした所で寝てしまったらしい。

寝ている間に夢を見た。夢の中の僕は会社に復帰していて、元いた課に在籍している。同じ事の繰り返しだ。もう医者はいないから、同じように扱われる事になる。かなりの悪夢だったが、目が覚めたら何という事も無い。

その後で、5億年ボタンの話を思い出した。

以下は、「やる夫で5億年ボタン」という記事へのリンク。

http://mukankei151.blog47.fc2.com/blog-entry-4175.html

1回ボタンを押すだけで100万円貰える話。ボタンを押すと別世界にワープし、そこで5億年過ごす。何も無い、誰もいない空間だ。死ぬ事も、眠る事も、狂う事も出来ずに5億年過ごす。
そして5億年経過したら、別世界での記憶は全て消去されて、元いた世界に戻る事になる。

***********

この話についてインターネットの掲示板を読むと、ボタンを押さないという意見が多いと思う。5億年も何も無い空間で意識を保ちながら生きる苦痛が恐ろしいからだと思う。

苦痛については、ダニエル・カーネマンが書いた「ファスト&フロー」の第35章P218に以下のような記述がある。

①ピーク・エンドの法則
 記憶に基づく苦痛の評価は、苦痛のピーク時と苦痛の終了時の
 平均で決まる
②持続時間の無視
 苦痛の持続時間は苦痛の総量の評価に影響を及ぼさない。

記憶と経験は相違するという意見だ。

例えば、以下の2つの実験があるとする。

A:苦痛を感じる程度の冷水に60秒間浸かる
B:苦痛を感じる程度の冷水に60秒間浸かり、
 その後、水温を1度上昇させた冷水に30秒間浸かる

文章で判断した場合、上記Aを選択する人間が多い。Bは冷水へ浸かる時間が30秒間も追加されるからだ。しかし、実際に体感するとBの方が良いと回答する人間が多い。
水温が1度上昇するだけで苦痛は緩和される。ピーク・エンドの法則により、終了時の苦痛が減少する事で、苦痛の持続時間が長いBの方が高評価になってしまうのだ。

***********

苦痛の評価について、持続時間は関係無く、苦痛のピーク時と終了時の平均によって、評価が決定される事と5億年ボタンを嫌がる人間が多い事をどのように説明するのか?

それは、5億年が終了する時の苦痛が耐え難い事が予想されるからだと思う。時間の経過によって苦痛は倍加する。

***********

5億年ボタンについては、別種の仮定もあると思う。ボタンを押す事によって報酬が得られるのでなく、苦痛から逃れると仮定するのだ。

ボタンを押す事によって、何も無い空間にワープし5億年過ごす。押さない場合、生きながら解体されるなど、恐ろしい経験をする事になる。

報酬を理由にワープを選択しない人間でも、10秒後に手足を切断すると通告した場合、逃れるためにボタンを押してしまうのではないだろうか?

利益と損失は相違するようで異なる。損失は利益よりも高く評価される。普通と異なる行動は、利益によってでなく、損失回避によって発生するのかもしれない。

***********

人生の評価がピーク時と終了時の平均によって決定されるのならば、生きている事は5億年ボタンを押したようなものなのかもしれない。大概の事は忘れてしまう。鮮烈な体験だけを記憶していて、死ぬ間際の体験との総合によって評価が成される。

若しかすると、今の僕の状態はボタンを押した後の状態なのかもしれない。別世界での記憶は全て消去されており、死んだ後に、生まれてから死ぬまでの記憶を消去されて、元いた世界に戻っていく。

輪廻転生という考え方も同じようなものだろうか?記憶が消去されて、魂が転位するというなら、その人間の本質は転位していないのではないだろうか?

死んだ後に何も無いと考えるのは、死ぬ寸前の気分を悪くしてしまうから、尊ばれないのかな?完全な終了は怖いのかもしれない。

人生が夢であれば良いのだろうか?

人気ブログランキングへ

3歳か4歳くらの時の話

3歳か4歳くらいの時に、頭が良いと言われていた事がある。

記憶力が良いという事であったらしい。僕は、昨日の両親の会話内容を一字一句まで記憶しているという話だった。

そして、4歳の時だったと思う。親戚の前で一芸をさせられた。

昨日の両親の夕食時の会話を復唱するのだ。

今でも、親戚と会うと、その時の話になる。脅威的な記憶力だと思ったと言われる。

事実は違う。大勢の大人達の前で、僕は混乱していて何も考えられない状態だった。記憶しているのでなく、適当に喋っていただけなのだ。

それなのに関心する周囲の大人達を見て、内容を誰も聞いていない事に気が付いて落胆していた思い出がある。頭が良いのでなく、周囲が勘違いしているだけなのだ。

今でも、褒める事と貶す事の違いが分からなくなる時がある。本当に脅威的な記憶力を持っていれば便利だと感じるだろうか?それとも不便だと感じるだろうか?

人気ブログランキングへ

世相の変化やら時代の雰囲気やら

最近、このブログの閲覧者数が減っている。一か月ほど前の半分くらいの閲覧者数になっている。

何故なのかと言うと検索サイトからの閲覧者が減っているのだ。具体的には、「誰からも嫌われる」とか「会社にいけない」だとかの言葉で検索した閲覧者が減っている。

全体的な検索言語のランキングは調べていないけれど、東京オリンピックが決定した辺りから変化が生じているのかもしれない。

語彙の検索数を調べる事が出来たはずだけれど、こういった統計を取ると時代毎の変化が分かるんだろう。

僕の気のせいでなければ、世の中が全体的に明るくなっているのかもしれない。

***********

時代の雰囲気や常識というものがあるような気がする。

就労訓練施設で起業について話すと以下のような反応が返って来る。

「自閉症の場合、営業が出来ないし、人付き合いも難しいから
 無理なんじゃない」

そういう人達が以下のような事を言う。

「私は、発達障害で人付き合いが苦手なので、会社で上手くいく
 方法を知りたい」

矛盾していないだろうか?

自分でも会社を創る事は経験が無いから難しいと感じる。だから、真剣に取り組んでいるのかというとそうでもない。会社の設立だけなら、多少の費用が必要なだけでリスクが無いのに尻込みしている。

社会全体の常識に反しているからだ。

就労訓練に来る人達も同じなんじゃないだろうか?全体的な常識に合わせようとしてしまう。自分の悪い所を修正しようという考え方が多いような気がする。普通の人間ではないから、普通でない所を直せば普通の人間として普通の人生を送る事が出来る。こうした思想であるような気がする。

欠点を修正するのでなく、長所に着目する事は出来ないだろうか?

漠然とした会社のイメージとしては、個人間金融を考えたい。僕には創造性も意欲も無いけれど、一定額のお金を持っている。インターネットを利用して創造性や意欲はあるけれど、現金を持っていない人達に資金提供したい。

***********

少し考え方が変わっている。就労訓練の場では、会社で失敗して自分の欠点のみに着目してしまっている人が大勢いるような気がする。僕だってそうだ。

そうした人達が組織に所属せず、個人として生きていく手助けが出来ないものだろうか?

社会に参加する意欲を持っている人達が大勢いるが、全ての人間を会社に押し込む事は良い事なのだろうか?

報告・連絡・相談の練習、パソコンの講習会、電話の取り方の練習に文章作成の練習。僕は、仕事のやり方の本に赤線を引きながら一生懸命に読んでいる人を見た。

そうまでしても、就労訓練後に就職出来る人は少ない。訓練の内容が、欠点を修正するものであり、最終目標が就職する事であるのが問題であるような気がする。

大企業を設立する必要は無い。八百屋や魚屋のように小規模な事業所を設立する方が上手くいくのではないか?何人かの発達障害者の話を聞いていると、気が合う人と少人数のグループを作ると上手くいくと言っていた。

不特定多数の大勢の人間の中では上手くやっていけない。苦手な部分をサポートしてくれる人と組んで作業をしていく事が理想的であると思う。実際、就労訓練施設の所長も中小企業への就職を推奨していた。

一人一人の適性を見極めて、チームを作る手助けは出来ないだろうか?

***********

やっぱり漠然としている。考えていても仕方が無いから、書類を集めて提出する所から始めないといけない。

人気ブログランキングへ

他人と意見が合わない

誰かと話すと、間違いを感じる。

僕の力では他人の考えを変える事が出来ない。自分の考えも変える事が出来ない。同一の考え方にはならないと思いつつも相違点がある事を不快に感じてしまう。

人気ブログランキングへ

ビットコイン暴落

以下は、ビットコインについて書いた記事へのリンク。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-1045.html

仮想通貨ビットコインが暴落したというニュースがあった。2013年9月末に1ビットコイン = 145ドル程度で取引されていたのが、10月3日には1ビットコイン = 119ドルくらいに値下がりしたらしい。

切っ掛けは、米国のオンライン市場であるSilk Roadの所有者が逮捕され、Silk RoadのWebサイトが閉鎖された事にあるらしい。Silk Roadは、銃や麻薬のオンライン闇市場として機能し、2013年7月23日には95万7079人の登録者がいたという。

Silk Roadの決済にはビットコインが使用され、約12億ドル分のビットコインが流通していたらしい。

巨大な流通市場が無くなる事によって、ビットコインが使用出来なくなる事を恐れた人々が一斉にビットコインを換金した事が暴落の原因であるのだとか。

************

興味深いと思ったのは以下の2点。

①何故、ビットコインが使用されていたのか?
Silk Roadの決済の大半は、ビットコインによるものだったらしい。国家により管理されていないので、使用者を特定され難いのだろうか?非合法の物品を扱う場合の優位性以外に、匿名性を活かした利用価値は無いだろうか?

②多分、人気は衰えていない
投資ブログの中には、今回の暴落を利用してビットコインを大量に購入したという話が書いてあるものがあった。ビットコインへの投資意欲は衰えていないように感じる。既存通貨への信認がそれだけ低下しているのだろうか?

************

ともかく、貯蓄は難しい、若しくは不可能という事なのだと思う。

古来、大量に収穫した食物を保存しようと思い、保存食が考案された。現在の富を未来まで持続しようという欲求は強い。やがて、有機物よりも長持ちする金属の貨幣が流通し、摩耗しない紙幣が生み出される。

紙幣は為政者の都合によって、大量に発行され、常に値下がりの危機に脅かされている。全ての通貨は長期的には下落するという論理である。電子データが普及しても、それは変わらない。

現在時点で大量の富を保有している人間ほど、それが次の瞬間には何の価値を持たない可能性に脅えているのだと思う。

富を増やすための投機と保存するための投機は区別する必要がある。投資とは、恐怖を操作するための技法であり、究極的には恐怖を完全に無くす事は出来ない。

投機は勝敗がはっきりする。損得で判断するからだ。短い期間で連続的に判断を下し、保有資産を細かく移動する。瞬間的な判断と行動を連続させる。本質的に勝利する事は不可能だ。

投資は確率で判断する。損を許容する。自分の一生、或いは子孫の代までに富を持続させる事を考えると、保有資産は動かし難い。基本的には、熟考の上で布石を打つ。100戦100勝は目指さない。勝つためには負けなくてはならない。

************

ビットコイン系の何かを買う事は出来ないだろうか?うだうだと書いているけど、僕は何もしていない。

人気ブログランキングへ

アイフルについて考える事

資産運用の対象としての個人間金融をどのように考えるのか?或いは、株式投機の対象としてのアイフルをどのように考えるか?

自分がアイフルに興味を持った切っ掛けは、2009年10月6日(火)の日経ビジネスの記事「アイフル、リスケでなくADR、の不可解 帳簿上は自力で利払いができるが・・・」だ。

以下は適当な意訳・抜き出し・要約。

2009年9月24日、消費者金融アイフルが、事業再生ADR(裁判外紛争解決手続き)の申し込みが受理された事を公表した。同時に過払い引当金の積み増し等により、予想当期純利益を81億円の黒字から、3110億円の赤字とした。

アイフルのADR申請は一般には当然の事とされるが、バランスシートを計算するとイメージが狂う。

アイフルの営業キャッシュフローの推移は以下の通りである。

2007年度:2475億円、2008年度:2405億円、2009年(初期3ヵ月):643億円(4倍すると2570億円)

アイフルの2009年6月末時点での有利子負債残高は8265億円であり、上記の営業キャッシュフローのデータから、年間2600億円の営業キャッシュフローが継続すると仮定すると、有利子負債は3.2年で完済出来る。

フリーキャッシュフローでの有利子負債返済可能年数は、10年以内なら上出来だから短期間で負債の返済が出来る事になる。

8265億円の有利子負債の内、1年以内に弁済期限が来るのは4152億円(社債が1080億円、借入金3072億円)。

年間の営業キャッシュフローを2600億円を3割減と見積もっても、社債の償還分と、借入金の利払分を余裕で弁済出来る。

残りの有利子負債の内訳は以下である。
社債:
2011年償還期日:856億円
2012年償還期日:976億円
2013年償還期日:200億円

借入金:
2009年~2011年までに弁済期限到来:1473億円
2011年~2012年までに弁済期限到来:625億円
2012年以降に弁済期限到来     :125億円

⇒2012年以降は負担が一気に減る。それなのにADRを申請したのは、アイフルの借入先は約70にも上り、個別交渉が不可能であるためという意見がある。しかし、貸金業者と銀行の関係は貸金業者優位である。未上場のノンバンクが、取引金融機関に対し、「貸付債権全てを担保実行して持っていけ」、と言ったら、取引金融機関はお手上げだったという話がある。貸金債権の回収効率は、第三者による回収では大幅に落ちる。

そして不可解なのは、今回の業績予想の下方修正の理由になっている、過払い引当金の積み増しである。予定年間発生額の5倍を積み増している。

過去2年間のアイフルにおける過払金の発生額は以下の通り。

2008年:
過払金を504億円返還。過払い引当金の期末残高は994億円(過払い金の年間発生額の1.9倍)

2009年:
過払金を550億円返還。過払い引当金の期末残高は843億円(過払い金の年間発生額の1.5倍)

今回、アイフルは過払い引当金を1820億円積み増した。引当残高は約2600億円となり、2009年度発生実績の4.7倍となる。昨年までは、年間発生額の1.5倍程度の引当金残高だったのを約5倍とするのは、意図的に株価を暴落させ、企業買収を実施するためではないか。

個別交渉でリスケ可能なのに、ADRを実施するのは、MBO(経営陣による企業買収)を実施し、手仕舞いするからではないか。

過払い請求は過大であり、経営者の個人資産まで要求される可能性がある。会社を手仕舞したい場合、上場していては制約がある。

アイフルの福田吉孝社長一族の持株割合は約4割。今の株価水準なら、150億円あればMBOは可能だろう。150億円という金額は、昨年1年間の過払い発生額の3分の1以下だ。

現在の株価水準は、1997年の株式公開時の公募売出価格である7480円の1.4%程度でしかない。

だが、アイフルは「(福田社長の)事業意欲は、依然として極めて旺盛」であると強調。「銀行の姿勢は極めて厳しく、当社が立ち直るために必要なリスケには、ADRを使わなければ応じて貰えないと判断した」と語るのみだ。

***************

以下は、週刊ダイヤモンド 2013/10/05のP114~P115(数字で会社を読む アイフル)から。

2014年7月10日がアイフルの運命の日となる。2009年9月にADRを申請したアイフルは、2009年12月のADR成立により、借入金2721億円の内760億円を分割返済すれば、残りの債務の返済を5年間猶予して貰える事となった。

その債務の弁済期限が2014年7月10日である。

アイフルは、2014年7月10日までに、残りの債務約1900億円を全額返済するか借り換える必要がある。

<現在の債務の状況>
現在の残債は1785億円。2014年6月末までに760億円を分割返済する計画だったが、既に936億円を返済しており、計画を上回っている。2014年6月末には、残債は1620億円に減少する予定。

現在のアイフルに残債を一括返済する余裕は無い。借り換えか債務の肩代わり先が必要になるが、過払い金返還は月間6000件~7000件のペースで推移しており、想定より減っていない。アイフルは、2013年3月期に172億円の追加引当金を繰り入れた。

<外資系債権者>
アイフルにとってのリスクは、外資系債権者の存在だ。ADR成立時に全体の2.4%しかいなかったヘッジファンド等の外資系債権者の割合は2013年6月末で29.8%となっている。短期的な利益を求めるヘッジファンドがアイフルを破綻させ、資金回収をする可能性がある。

<Jトラスト>
アイフルの残債の引受先候補として注目されているのが、ノンバンクのJトラストである。2013年7月に増資によって約1000億円の資金を調達し、アイフルの残債を肩代わりする資金を保有している。武富士を買収した過去もあり、アイフルを買収する可能性がある。

******************

週刊ダイヤモンドの記事では、アイフルの新規成約件数は、2006年度の33.8万件から2012年度の8.8万件となり、営業貸付残高は、2006年度の2兆円程度から2012年度の5000億円程度と激減している。

以前から不思議に思っている事だけれど、個人間金融が消費者金融を駆逐しない理由は何だろう?インターネットを利用したマイクロファイナンスの方が、消費者金融よりも健全ではないのかな?

かつては、銀行から融資を受けられない人達が消費者金融を利用したと聞く。そうした需要を個人間金融が取り込むと思っているけれど、実情はどうなんだろう?

人気ブログランキングへ

何となく疲れている

疲れていると感じる。

何もしなければ何も感じないし、自分には何もしないという選択肢があるのだと思う。

何もしない状態になるには、様々な手続きが必要で、それは何かをしているという事だ。

何もしないためには何かをする必要がある。短い期間であっても何かをしたくない。何もしたくない。

人気ブログランキングへ

体が上手く動かない

体調が良くないと思う。

人気ブログランキングへ
プロフィール

ABCDEFG

Author:ABCDEFG
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
フリーエリア
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード