警部補、ホモブログ…750万円荒稼ぎ

以下は、2012年1月28日(土)のサンスポの記事を適当に省略したのもの。

【開始】
自分のブログに男性同性愛者向のアダルト画像を貼り付け、広告収入を荒稼ぎしていたとして、京都府警警備部の男性警部補(52)が減給10分の1(6カ月)の処分を受けていた事が27日、同府警への取材で分かった。処分は昨年7月14日付で、男性警部補は既に依願退職しているという。最初はかわいい小鳥のブログが、いつの間にやら“エログ”に進化を遂げ、終いにはネット上で羽ばたいていた。

元警部補は、府警の警備部警備隊1課に所属。災害警備などが主な業務だったという。

元警部補は2007年2月~11年5月ごろまでの約4年3カ月、インターネット上で「ゲイ♂ホモ画像倉庫」というタイトルのブログを作り、男性同士の画像、計500枚以上を貼り付けた。閲覧者がこれらの画像をクリックすると、別のサイトに接続される「アフィリエイト」と呼ばれる手法で、広告収入計約750万円を得ていた。元警部補は「家のローンや小遣いに充てた」と話したという。

ブログは「オリジナル女装画像をはじめ『♂同士のからみ』を中心にマニアックなエロ画像を集めました」等と紹介され、一部の熱狂的なファンから支持されていた。

このブログは元警部補が飼っていた小鳥「インコ」の飼育過程を紹介する内容だったが、ゲイ・ホモ系画像を貼り付けた途端、アクセス数が飛躍的にアップ。いつしか男性同性愛者のファンが集まるブログに“転換”していった。

京都府警は27日、サンケイスポーツの取材に「画像の内容ばかり注目されているが、処分はあくまで『無届け兼業による収入』でのものだ」と前置きし、「私行上の問題で、減給10分の1は公表規定には当たらないため発表しなかった」と説明した。

画像には無修正に近い画像もあり、京都府警はわいせつ図画陳列の疑いで書類送検。京都地裁は起訴猶予とした。

京都府警の松本明弘首席監察官は「厳正に調査し、厳しい処分をした。職員への指導を徹底する」とコメントした。
【終了】

なるほど。と感心してしまった。アフィリエイトの本を読んでいると、『インターネットの特性を生かし、狭く深くマイクロトレンドを狙い撃ちせよ』と書いてあったが、こういう事なのか。

4年で広告収入を750万円。凄い。こういう事は推奨すべきと思うけれど、ルールだから処分は仕方がないのかな。

こうした手法を研鑽していけば、仕事をせずに定収入を得る事が出来るだろうか?僕の場合、『社内ニートの僕でも出来る簡単投資法』とかで情報商材を売るやり方だろうか?

難点は以下の3点。

①大した実績が無い。
②手法を文章化出来ない。
③手法に自信が無い。

無理がある。株やFXで定収入を得るのは大変な事だから安定的に稼ぐ手法が必要だ。不動産投資とか海外移住とか、本を読んでシミュレーションしてみると、人間関係が致命的に出来ない僕には困難な気がする。

個人での自営業も営業能力が必要だ。引き籠ってニートをするには人間関係を清算する必要がある。そうした覚悟は僕に無いのだと思う。

明日、会社に行く事が出来るか?今日も心配をしている。

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相変わらずの日々

どうすれば働かないで生活出来るかを、とりとめもなく考えている。

今日は課長から帰れと言われる。当面は残業は禁止だそうだ。迷惑をかけていると思う。携帯電話を持ち歩かないようにしてみた。持っていると、株価を見てしまう。これは非常に良くない事だ。しばらくは思考と行動が噛み合わないままなのだと思う。

現実逃避として、以下の本『年収100万円の豊かな節約生活術』を買ってしまう。



30歳の時から働かずに年間100万円の不労所得で生活する人の話。正直、羨ましい。

以下は、自分とは違うと思った点。

①仕事能力がある。
 大学卒業後は酒類メーカーに所属し、会社を辞める30歳まで
 十分それなりの仕事をこなしていた事。
 社内ニートの僕とは違う。
②人間関係
 中高の同窓生から勤め人時代の同僚に至るまで、現在でも関係を
 続ける友人が大勢いる。
 定期的にホームパーティーを開催し、居酒屋感覚で知り合いが
 訪ねて来る?

*********

真似出来るかもしれない点。

①不労所得100万円
 多分、著者は家は持ち家であり、親の残した不動産からの家賃収入が
 あったとの事。この辺りは勉強して経験を積めば自分にも真似が
 出来るかもしれない。(甘いな)
②妻子を持たない
 持たないではなく、持てないが正しい。

********

本を読んでいると、日々食事を工夫したり、楽しい事を見つけたり、根本的な心のあり方が自分とは違うと感じてしまう。『思索、瞑想、妄想、何も考えない』、素晴らしい。老子のような生き方だ。僕の場合は『施策、迷走、妄想、何かを考えてしまう』、下手な考えは休むのと同じなのだ。

先行きが不透明なまま、何もせずに生きているのだと思う。

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舌禍よりも怖い「不寛容」

タイトルは2011年12月12日の日経ビジネスのP172に記載されている、まつもと ゆきひろさんのコラムから。SNS(ソーシャル・ネットワーキング・システム)での炎上事件について書いている。

【適当な要約】
ツイッターやフェイスブックでの書き込みが発端で「炎上」する例が相次いでいる。その理由は『想像力の欠如』にあると思う。従来ならばメールで行ってきた「会話」がSNSに置き換わってきた事により何が起こったか?

ツイッターは書き込んだ瞬間はフォロワーにしか見えないが、検索されれば世界中のユーザーに内容を知られてしまう。閉じられた世界の中で完結するはずの会話が、見知らぬ人間に「あっという間に拡散してしまう」SNSの怖さに気づいていない人間がいる。

閉じられた世界であると思っているため、不用意な発言を控えようとする意識が働かなないのか?個人間のコミュニケーションに赤の他人が踏み込んでくる。

かつては有名人が対象となっていた、個人情報やプライベート写真の流出などの「ネットいじめ」が一般人にまで降りかかる。

さらす側がその行為を「正義の鉄槌」と思い込んでいる事も問題。ネットという道具が手に入った事で書き込む側も、さらす側も未成熟な行為を繰り返してしまう。

個人的意見として、本人の意図しない段階での他人が個人情報をさらす行為には何らかのペナルティがあって良いのではないかとしている。啓蒙で状況を改善するか、法整備を検討するか?

【終了】

個人的には「狭い社会」の中の常識が「広い社会」の中の常識と激突するようになった結果、発生している現象と思っている。僕の感じている良識や善意は、本当に良識や善意なのか?

粘着してしまうけれど、以下のリンクにある漫画にも問題は現れているのだと思う。自分でもしつこいと思う。



内容は、アスペルガーの夫を持つ、漫画家の日常の話。表紙を見ると、夫が台風で家族が巻き込まれて迷惑しているように見せているのか?

実際に、漫画を読むと、著者の意図としては『非常識で心の通じない夫』に対して、『常識があり心を持つ自分達』という対比で書いているつもりなのか?(違っていたら申し訳ない。)

が、レビューを読むと、多くの人間達が非常識で心が無いのは著者の方だと感じるのか?

正直、僕は漫画を読んだ時点では、もやもやとしたが、確かに周囲の人間の僕に対する反応は著者と同じようなものなので、違和感を感じつつも良くある話と思った。そして、僕はamazonのレビューを読んで安心してしまったのだ。良かった、違和感は僕だけが感じたのではなかった、少数派ではなかった。そういう感覚だったと思う。そうした自分を怖いと思う。

僕は著者や著者の家族、出版に関わった編集者、本を監修した大学教授等の関係者に聞いてみたい。全体的な反響はどのようなものだったか?そして反応を見て、どのように思ったのか?

おそらく、本を作っていく過程では、内容を差別的であるとか、反対意見が出てくる事を予想する人間はいなかったのでは?内容に共感する人間が大勢存在し、本が売れて印税で儲かり、自らの評判も向上する。こうした予想を持っていたのでは?本当に人間に道徳を判断する理性などあるのか?そして自分の判断は不確かであると認められるのか?

現実がどうであったのかは分からない。

それでも思うのは、本当に良識や常識はあるのだろうか?それは「狭い社会」の中で、どうしようもなく形成され、人々を支配するものなのでは?そして、もしかすると「広い社会」の中では「狭い社会」の中の常識は非常識とされてしまうのでは?

スタンフォード監獄実験を僕は信じる。ミルグラム実験、群集心理、同調、ETC。人間は環境や遺伝子の奴隷だ。不寛容は人間の宿命だろう。

それならば、環境を変えるしかないと思う。人と人が関わり合わない世界。軋轢が生まれないような構造。それは、どのようなものか?

①「意識して自覚すれば行動は変えられる」

②「努力すれば、思考を変えられる」

上記の①、②の意見は本当に難しいと思う。人間の意識や可塑性を、どのように考えるのか?

僕は思う。目が見えない、或いは足が動かない、ETCといった場合には問題は物質的な問題とされる。

こうした人達に対し、

「なおそうとすればチャンスがある。なおそうとしなければチャンスがない」

こうした言葉を投げ掛ける事は残酷な行為だと僕は感じる。

そして問題が脳や心の問題になると、そうは思わない人間が大勢いるのか?

努力すれば修正される。本人が意識すればなおる。教えれば良いのだ。

本当に?これは僕が間違っているだろうか?自信がない。

出来ない前提で考える。環境を変える。物質的に考えれば当然な解決策も、心の問題として把握すると、当然ではなくなってしまう。

人間は自分と他人が異なる事が許容出来ないのだと思っている。それは僕も同じだ。集団を前提としない新しい構造は存在しないだろうか?人間を修正するなんて、無理がある思想だと思う。

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論理は支配する

以下は掲示板の記述をコピペ、書き直したもの。

【意見1】
論理的かどうかって、0か1かってもんじゃないでしょ。全く論理的でない思考や、完全に論理的な思考があるわけでなし。

【意見2】
論理とは人間に先天的に与えられた理性に訴えかける事。勿論誤った論理もあるだろう、自分本位の考えもあるだろう。しかしそう考えたからには何か理由があるわけで、正しく説明しさえすれば大枠や、些末ごとが間違っていたとしても、それは共感を生み得る。

【意見3】
前提1 A=B である。
前提2 B=C である。

結論  A=C である。

前提1 A=B である。
前提2 B=C である。
前提3 前提1、前提2が正しいとき、A=Cが成り立つ。

結論  A=C である。

「A=B、B=Cならば、A=C」という基本的な論理に対しても、 そうなるべき必然性などなく、 それを論理的だと信じている人も、結局は、 「だ・か・ら~、成り立つんだってば!てめえ、いい加減にしろよ!」という非論理的な部分に依存している、という事を示している。

結局のところ、 「論理性というものも、暗黙の了解によって成り立っており、それは証明不可能な前提の一つであって、本質的に公理と同様である」という事であり、我々が行う論理的思考とは、 実は、「証明不可能な思い込み」の一つなのである。

例えば、以下の考えはどうだろう?

①私の家には芝刈り機がある。
      ↓
②芝刈り機があるという事は家には広い庭がある。
      ↓
③広い庭があるという事は一戸建ての広い家だ。
      ↓
④一戸建ての広い家に住んでいるという事は結婚して家族がいる。
      ↓
⑤という事は私は同性愛者ではない。

⇒では、①で家に芝刈り機が無い人間は、全てが同性愛者なのかというと違う。①→②、②→③と進んでいく中で、思い込みは排除出来ない。

【意見4】
そうなんだよな、論理というのは結局は人間が考え出したもの。もっとも多数の人間が納得しうる共通項を抜き出したとも言える

問題が複雑化複合化している中でこの問題は顕著になる。人間もまた統計的生き物である人の考え方が他者には全く理解出来ないなんて事もある。

複合化した議論に対しても論理が実効的であり続けるのは議論の成分を分解し、簡単なものに還元する、ただそれ故である。

デカルト時代より始まる近代の基本は、分解と統合である。分解した結果を論理的に演繹し、その産物を統合すれば統合したものは、分解する以前の問題の論理的演繹になるという前提より始まっている

もし論理性に無力さを感じるとすれば、現代という最早、分解と統合では説明がつかないような非線形事象に相対したときであろう

*********

人間の思考というのは、どうしても何らかの前提条件、型、概念の制約を受けてしまうのだと思う。フレーミング。常識。全ての事象が発生し得ると考えると、判断が困難になる。

*********

【意見①】
そんな事をしてしまったら、処罰が不可能になってしまう。 現行の法律は、身体的な自由を奪うことで罪を罰するが、 身体が無効化してしまったら、どうして罪を罰するんだ? 無理だろ。妄想だが、これは国がやらせない。

⇒現行でも罪を罰する事が出来ているのか?犯罪者は必ず捕まるのか?捕まったとして、それに見合う刑罰を受けているのか?刑罰を受けたとして行動を矯正する事は可能か?本当に処罰に抑止力はあるのか?処罰する事に意味があるのか?意味がないとして、それを認める事が出来るのか?

【意見②】
愛情や道徳は、人間が互いに傷つけ合わないように、後天的に植えつけられた価値観である。他者に対する愛が欠落した人間は殺人を起こし、自己に対する愛が欠落した人間は自殺する。それに気がついた時に、人は価値観を覆す事が出来る。

⇒本当に価値観を覆す事は可能なのか?人間の思考は神経回路によって物質的に規定される。自らの意思が結果に過ぎないなら、思考を人為的に変える事は不可能なのでは?そもそも人為的な自己は存在するのか?さらに脳が可塑的であるなら、常に思考は変化し続けるのでは?

何よりも、本当に人間は互いに傷つけ合っていないのか?

⇒全ての人間は自分の行動を意味づけするために、道徳や愛情を使用しているのだと思う。他人を痛めつけた場合、通常の人間の心は少しも痛まない。それを説明するために、『愛情』や『道徳』、『共感』という概念が利用されるのでは?自分が△△という行動をとったのは愛情に基づいたからだ。だから自分の行動は称賛されるものである。その結果がどうなろうと知った事ではない。

⇒少なくとも、僕は他者を痛めつける事で心が痛む人間を一人として見た事が無い。(自分自身を含む)

⇒言い方を変えると、自分は他人を平気で痛めつける事が出来ると認識出来る人間を見た事が無い。稀に他者の痛みを知覚(錯覚?)出来た場合でも、そこには理屈がついてしまう。自分は○○という理由で××をしたのだ。そこで思考は停止する。それとも理屈すら必要がないのか?何にしても自らに善意も悪意も無い事を認識するのは不可能なのだと思う。

⇒或いは、こうだろうか?『自分は◇◇を傷つけた事で痛みを感じている。だから自分は善人だ。』

⇒その痛みは何の抑止力にもならない錯覚だ。そんなものを感じたところで、倫理的には何の意味もない。痛みを感じながら、何も行動は改善されないのだ。そして改善されない事を認める事は出来ない。

⇒そして、それは必ずしも悪い事ではないのでは?何か問題がないのならば、無理矢理に愛情や共感を持つ事はないのでは?

*******

何を書いているのか、自分でも良く理解出来ない。

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狩るか狩られるか

本を10冊くらい買ってきた。読めるのは、どれくらいだろう?

会社では相変わらず、空のバケツで水を汲んでいる気分だ。

僕の思考形式と、彼らの思考形式は大幅に異なっているから、絶対に同一にはならない。

それを理解させる事は不可能だ。

自覚すれば行動は変わる。

意識すれば改善出来る。

そうした妄想を打破出来ない。

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行動をコントロール出来ない

精神的に不安定になっている。

やらなてくてはならない。やらなくてはならない。やらなくてはならない。

それが何か自分では分からない。

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人を不愉快にさせるために生きている

そういう気分だ。以下は幾度も書いた事。

『理解する』と『我慢する』は別の事。それでも同じ意味に受け取られてしまう。

自覚がないから、努力しないから、教えれば直る。

こうした思想に、どれほどの真実性があるのか?僕が生きている内は結論が出ないだろう。

『努力』・・・・それは否定が不可能な思想だと思っている。それは素晴らしい事であり、尊ぶべき行動であり、暖かいものであるらしい。

本当に?

発達障害関連の本だけではなく、多くの本に書いてある言葉。

「発達障害という概念を認めると人間は努力をしなくなってしまう」

奇妙な発想だ。無駄だと知る事が何故いけないのか?理解出来るだろうか?この言葉は虐待するための方便なのだ。彼らが無自覚の内に恐れているのは以下の事なのでは?

「発達障害という概念を認めると合法的に人間を痛めつける事が出来なくなる」

人間の脳機能が物質的に規定されていると仮定する。するとどうなるか?表情を認識する部位が機能しない場合、表情を認識出来ず、言葉を認識する部位が機能しない場合、言葉を認識不可能になる。(局在論を採用してしまっている。)

⇒努力によって改善出来るとすれば、具体的な方法論を提示し検証しなくてはならない。

さらに恐ろしい事がある。人間の脳構造は遺伝子や環境により、一人一人が大きく異なっている。この事から考えると、人間同士では同一の認識が保有出来ず、全ての人間に欠陥がある。

最も優れた人間も最も劣った人間も異なっているだけで、同列になってしまう。怠け者も努力家も同じになってしまう。見下してはならない。

200年前の欧州では神が存在しない事が、大きな問題であったらしい。

「神がいない場合、人間は自分を律する事が出来なくなる」

多分、違う。彼らが真に恐れたのは、以下の事だろう。

「神がいない場合、合法的に人間を痛めつける事が出来なくなる」

神が存在しない場合、自分達は神によって作られた特別な存在ではなくなってしまう。インディアンを殺して土地を奪う事、アボリジニ-をスポーツ感覚で殺す事、黒人を奴隷にする事、ETC。それまで「神」によって肯定された美徳が悪徳になってしまう。

そして当時の社会構造は、そうした悪を基盤にして成立しており、彼らの思考は神経回路によって物質的に規定されているから、思考を変える事や問題を認識する事が不可能だったのでは?

異人種が自分達と同じ人間である事は脳構造上、認識不可能だったのでは?

「努力」というのは、非常に良く出来た宗教だと思う。彼らは必ず、抽象から入る。「努力をしろ」⇒それが具体的な行動として提示される事は無い。そして上手くいかなかった場合、行動を精査して彼らは言うのだ。「○○だから上手くいかなかったのだ。努力のせいではない」

言っている事が理解出来るだろうか?「努力」とは抽象概念であり、具体的な行動ではないのだ。中身は空っぽだ。

とても遠いと思う。

フランス革命が発生したのは、1789年。現代の『国家』という抽象概念の誕生はこの時か?ならば1989年のベルリンの壁崩壊は『国家』崩壊の端緒と後世では記録されるのか?

ダーウィンの「種の起源」の出版は1859年?神を否定する思想。21世紀におけるパラダイムの転換は今世紀の半ばなのか?

アメリカ奴隷解放宣言は1863年?工業社会においては、製品を作り続け、売り続けなければならず、無給の奴隷よりも購買力を持つ労働者が必要とされたのか?奴隷を必要とする農耕社会と労働者を必要とする工業社会の対立。奴隷解放を可能にしたのは社会の変化だった?

工業社会と情報化社会の対立は起こり得るか?おそらく現代とは異なる種類の人間が必要とされるようになる?

そして米国の公民権運動が盛んになるのは、20世紀半ば頃?

時代の進みは遅すぎると思う。

確かに『神』は死んだ。それでも『自我』は『神』よりも強大な敵だ。僕にしても『自我』の支配下にあり、努力やら愛情やらを否定出来ない。

事態が決着するのは100年後だろうか?200年後だろうか?遠すぎると思う。

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良くない状態

落ち着きが無い。

何かに追いかけられている気分。

何もないのに、気ばかり焦っている。

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今日、注意された事

文章について。

①修正しろと言われた事を修正していない。
②項目と内容が合っていない。
③主語が無い。

確認したところ、

①メールが何通もきていて、罵詈雑言と指摘の区別がつかない。何が修正しろと言ったところなの?

②確認したけど、自分の感覚では合っている。明日、どう修正するのかを確認する。

③主語はあるように見える。これも確認する。

予想はしたけど、エンドレスだな。意味が無いと言っても通用しないだろう。向こうは上手くいかない原因は僕の怠けと甘えにあるとしている。

どうしても、そう見えてしまうんだろう。だから、この行為にも意味があると思えてしまう。

発達障害の本を読むと、対処方法が書いてあるが、彼らが本を参考にする事はないだろう。そもそも、本に書いてある手段を実施しても上手くいく可能性は低い。なるべくならば僕のような人間は社会と関わらない方が良いのだと思う。

自分も他人も不幸にする。何か手段はあるはず。解決策は何だろう?

別に誰かを憎みたいのではない。上手くやっていきたいと思っている。それを伝える事が出来ない。

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WEDGE February 2012

「WEDGE February 2012」の記事『「うつ100万人」は減らない』について。

P23にオリンパスソフトウェアテクノロジーで実施している休職者対策について記述している。

社員の意見を聞き、能力以上の仕事をしている人間は配置転換する。明るい職場環境やメンタル相談室。

そして施策の一つに「スキルナビ」がある。

社員の適性に合った仕事を見つけ異動させる。適性に合った仕事がなければ積極的に転職を勧め、会社が後押しする。

施策を実施した天野常彦社長が就任した2006年と比較して、仕事の生産性は倍になったという。

*******

僕は実体を知らないけれど、良い対策ではないだろうか?問題に対して対象や自らを変えようとするのでなく、変わらなくとも良いように環境を変える。

出来れば、会社組織に合わない人間のためにも、生き方のモデルを構築できないだろうか?

*******

「アスペルガー症候群」、「ADHD」、「ADD」といった分類に無理があるのは、こうした基準に合致しなくては、甘えであると認定され、やれば出来るのに怠けているから出来ないとレッテルを貼られてしまう事にあると思う。

人間の思考・行動は脳の物理的特性によって規定される。思考は結果だ。原因ではない。論理的な思考とは妄想に過ぎない。

「やる気」とは何か?

それは脳の活動だ。脳内の側坐核というドーパミンを産出するニューロンの束が、電気的信号を前頭前野に発信する。その結果としての前頭前野の活動が、「やる気」として認識される。

この時に側坐核を活性化させるための刺激を見つけ出す事が重要であり、個人の意志は結果なのだから、重要ではない。本人が「やる気」を出そうとして「やる気」を出すとする思想は妄想だ。そもそも本人なんて存在しない。全ては肉で構成された機械の出力の結果だ。

自由な意志・論理的な意思は存在しない。

表情を処理する分野が機能しなければ、人間の表情を認識できない。当たり前だ。その事を前提に対策を立てる。

そして『普通の人間』は存在しない。誰もが脳が課す限界の下で思考・行動しており、その限界故に自らの誤りを認識できない。

機能不全は誰もが持っている。

そして、その事を社会全体として認識出来るようになるのは、生きている人間の脳を計測・分析・操作・改造出来るようになる100年後の話だろうか?

それまでは人間を直そうという思想の下で活動しなくはならない。そして上手くいかない。我慢するしかないのか。

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自己満足のFX

久々にFXの話。

現在の口座清算価値:20,292,835円。

株やREITと合わされば、資産総額は年内に5000万円を超えるかもしれない。会社では課長から、これからどうするのかと聞かれている。何も出来ない。人間関係でトラブルを起こす。家で会社の話をすると努力をしろと言われる。頑張れば出来るのだと。頑張らないから出来ないと。

人間関係を割り切ってしまえば簡単なんだろう。それでも自分は見栄っ張りなのだろう。

資産の大部分を高配当銘柄に集中させれば、アルバイトをしながら僕1人で生活していく事が出来るだろうか?あまり現実的でないように思える。それに僕がこうした事を考える時は、大抵、大損の前触れなのだ。

現状のポジジョンは主に以下の3通り。

①円安ドル高に賭けるポジジョン
 ・カナダ/円の買いを190万通貨
②ユーロ安に賭けるポジジョン
 ・ユーロ/ドルの売りを90万通貨
③資源高に賭けるポジジョン
 ・豪ドル/スイスを40万通貨
 ・NZドル/スイスを20万通貨

******

警戒すべきは、ユーロ高と円高だろうか?現状の1ユーロ=1.2930ドルは未だに割高だ。売りポジジョンが逆流しているに過ぎないと考える。それが間違っていた場合どうするか?

米国の景気が底堅く推移した場合、円に対しては米国経済と連動するカナダドルの方が値上がり余地が大きいと判断。現状では1ドル=1.0129加ドル=77.00円。

カナダドルの適性水準は1ドル=1.03加ドル程度。そう判断すると、円安に振れない限りは、僕のポジジョンは相当な損が出るのかもしれない。

カナダについては株式も面白いと思っている。

スイスフランを豪ドル、NZドルに対して売っているのは、ユーロをオセアニア通貨に対して売るため。現状、1ユーロ=1.2083スイスフラン。これ以上のスイスフラン高は通貨介入があるはず。問題は来月にオーストラリアが政策金利を引き下げる可能性。処分した方が良いだろうか?この辺りは歪みが大きいと思っている。

********

現状のポジジョンを正当化するためには、世界的に景気が良くなる事が前提条件になるだろうか?ユーロがキャリートレードの対象となり、景気の上昇局面で売られ、景気の下降局面で買われるようになると、別の防御手段を考える必要がある。

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FXについては変動を考えると、株を買っておいた方が良いかもしれない。日本製鋼所の値上がり余地は大きいだろうか?REITをもっと買ってみる?それよりも米国株だろうか?

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こうした事を考えてみても自己満足にしかならないのだと理解はしている。それでも会社でも家でも先が見えない。月曜日から会社に行く事が出来るだろうか?

僕がこうした事を考えるのは、大損の前触れだ。せいぜい、ショックを受けないように注意しよう。

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大切な事を忘れていた

思考と行動を構造化する事。

何故、文章が書けないのか?普通の人間が無意識に行っている作業を僕は意識的に行わなくてはならない。思考と行動をプログラミングする。

・項目を決める
 ⇒文章を構成する項目をノートに書きだす。概要、目的、使用用途、
  時間、異例処理時の対応、ETC。
 ⇒思いつかない場合、過去の資料を参考にする。

・項目の内容を決める
 5W1H = 何時、誰が、何処で、何を、どのように。
 これらをノートに書き出していく。

・文章の大枠を決める
 ○○が△△をする。××のために??を@@に\\する。ETC。
 どのように文章を書くのか決定する。

・ルールを決める
 語尾、用語、文章規則などをノートに書いておく。
 プログラミングのコーディング規則と同じだ。
 統一しておかないと、書き方が一定しない。

********

全体図を決めた後、全てを俯瞰する。僕は全体を一覧する力に乏しい。隣り合う項目、各項目の全体図が矛盾しないよう、特定項目だけ細かすぎず、粗すぎないよう、曖昧な書き方はしない。

********

文章の枠をノートに書いた後、パソコン上の文書に情報をコピペしていく。関係のありそうな情報だ。この時、情報源を確認出来るようにしておく。

********

コピペして集めた情報をノート上の枠に従って再構成する。この時に、意見や文章の根拠を作り出す。何故、この値になったのか?何故、この時間なのか?何故、この頻度なのか?何故、この事を実行するのか?

5Wの最後は、ここで決める。WHAT、何故。

********

これでは具体性が足りないだろうか?ここしばらくは、自分自身をプログラミングする事を忘れていた。何を聞くべきか?、情報を当て嵌める理論は何か?確認すべき項目は何か?どのように確認するのか?これらを事前に考えておかないと、僕は漫然と行動してしまう。

怠けている、甘えている、やる気を出せ、ETC。何時の間にか、こうした言葉に支配されていた。やる気を出そうとすると、無意味に早く会社に行き、やる気を見せようと無意味に休みを取らず、無意味に残業をしてしまう。

大切な事は、どのように作業するのか工程を考える事。上手くいかない場合は工程を改善する。それでも上手くいかない場合は前提に立ち返る。

来週はどうなるだろう?

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仕事の真似

仕事をしている真似をしているのだと思う。それが真似にすらなっていない。書く、修正する、書く、修正する、書く、修正する、その繰り返しだ。

根本的な問題は自分の考え方や行動の癖だろう。それは何か?

無視をしている。怠けようとしている。そういったメールが送信されてくる度に、やりきれなくなってくる。向こうの言う事を否定出来ない。それでも、やる気がある振りをしようとしているのだ。

何を書いても納得させる事が出来ない気がする。何を読んでも自分の頭は笊のように何も吸収出来ないのだ。

質問に回答するほど、質問内容が細かくなっていく。そして怠けていると言われる。終りはあるのか?そして目的は何だろう?

目前の事に集中出来ないのもあるが、自分が何かをする度に、怠けていると言われる事が辛い。何も出来なくなっている。気がつくと、何もやらないまま、気ばかり焦っている。

最近は、携帯から株価や為替相場を確認する癖がついている。非常に良くない傾向だ。落ち着きがない。何をしても否定される気がする。

などと書きながら明日も会社に行くわけです。汲めども汲めども水が減らない。いつかは船は沈むのだろう。

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経済成長という麻薬

今日、会社に行く事が出来なかった。何のために会社に行くのか?それを考えてしまうと何も出来なくなってしまう。明日、会社に行くと、メールで罵詈雑言が大量に送信されているのだろう。気が重い。自分でも実感出来るくらいに精神的なダメージがあると思う。僕は精神的に脆い。

タイトルは2012年1月18日(水)の朝日新聞のコラム。

【コラムの内容】
適当にコピペ。

経済学者 ダニエル・コーエンへのインタビュー。(「悪徳の栄え」、「迷走する資本主義」)

経済成長は人間社会で自然な事ではない。18世紀までは経済的、技術的進歩は人口の増加に寄与するだけで1人あたりの所得を増やす事はなかった。経済成長は産業革命や17世紀の科学革命によって欧州で発明された。

産業社会 = 物質社会 = 1人あたりの所得が増える社会が形成された。

しかし、経済成長の結果、豊かになっても人間は幸福になっていない。幸福の源泉は『豊かさ』ではなく『成長』だからだ。到達点ではなく成長を味わう事が重要である。

成長がなくては、豊かさは感じられない。

経済が成長する事で幸福を実感した社会が経済の停滞に対して対処する方法は何か?

経済成長は麻薬のようなものだ。多くの人間が他人よりも働かなくてはならないと思っている。出来ない人間は外される。貧しい人間だけでなく、余裕のある人間も働く事を求められる。人間が自分達の欲望を操っている法則を理解するのは、パラダイムが変化し、まさに法則の支配から抜け出せた時だ。

経済成長という麻薬から抜け出すには、知識や医療など、物質的な成長ではない別種の路線への転換を図るべきなのか?人間が成長の無い世界へ向かうとは考え難い。

*******

コラムの最後に遺伝子革命について記述されている。遺伝子によって人間が定義付けられている。それは「努力」という発想に疑問を投げかけている。それは現状に対する解決策となるかもしれない。

*******

ダニエル・コーエンは『発達障害』という思想に、どういった見解を持っているんだろう?

僕が違和感を感じているのは、「発達障害者は努力して向上しなくてはならない」、「周囲の人間は発達障害者を理解して支援しなくてはならない」、ETCという意見だ。

「努力」とか「理解」とかを意図的に実施しなくてはならない時点で、その方策は失敗しているのだと思う。

そうした事が意識的に実施されなくてはならないとしたら人間は不幸にしかならない。努力や理解を求められない社会は構築出来ないだろうか?

僕が生きている間は決着がつく事はないだろう。自分自身であっても許される。他人を許容出来る。そうした事は無理なんだろう。何にしても明日、会社に行く事が出来るか?会社に行って謝る。メールに対して謝る。障害者として働く事に、どれだけの現実性があるか?それを見極めるまでは簡単に会社を辞めるわけにはいかない。下らない見栄だと思う。

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針の上に座っている気分

相変わらずの質問攻めの嵐。

回答すると質問がきて、回答すると質問がきて、・・・・・。

穴を掘って埋める作業を延々と繰り返している気分だ。

気分としてきついのは、必ず返信に「自分の都合の良いように考えている」、「怠けている」、という攻撃的な文章が含まれている事。回答期限をメールを受信してから30分以内とかされるのも辛い。

課長の話では「はたから見ると、これはいじめだが、いじめではない。お前が理解するまで続ける。もちろん返信には課員全員をccに入れるようにしろ」との事。

正直、僕の手には負えないレベルになっている。誰かに質問する事も駄目だと言う。自分の仮説や予測として答えるしかないが、そうすると適当な答えであるという。

アスペルガーの話はしている。本も渡している。それでも怠け病だと思われているのだろう。僕の返す回答が自分達の思い描く答えになるまで続けるとしているが、資料を調べても書いていない事を誰にも聞かずに回答する方法を教えて欲しい。

会社を辞めるべきなのだろう。病院の精神科で障害者手帳を発行してもらえるか相談をした後で会社を辞めたい。それまで精神を維持出来るだろうか?

本当に僕は他人から嫌われる名人だな。

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同じものを見せる事

人間は皆、自分が感じられる感覚に『意味』、『理解』、『愛情』と名前を付けて尊んでいるのだと思う。

だから、彼らと同じ感覚を持っているように見せかける必要がある。

そのためには、どうすれば良いか?

そして、彼らが持っていると思い込んでいる『愛情』、『思いやり』は現実には一人一人の中では異なっているはずだ。相互に伝達される情報量が過小であるため、その事に気付く事が出来ない。

人間は肉で出来た機械だ。

それでは、無機物を人間化する事は可能なのか?

これからの100年、それとも200年は、人間を望ましい存在に作り替える技術(遺伝子操作、若返り、性格の整形、ETC)と、人間より望ましい存在を作りだす技術(ロボット、人口知能、仮想現実、ETC)が発達するのだと思っている。

人間には『自我』がなく肉で出来た機械である事が周知されるのが先か、無機物で出来た人間が作り出されるのが先か。

そこには何があるのか?

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ローレンス・H・サマーズのコラム

以下はロイターのコラム『資本主義はなぜ人々を失望させているか』へのリンク。(ローレンス・H・サマーズ)

http://jp.reuters.com/article/mostViewedNews/idJPTYE80906P20120110?sp=true

やっぱりサマーズ氏も、社会の構造変化を体感しているのか?

「モノの生産」に関しては生産性が向上し、少ない人員で効率良く需要を満たす事が出来るようになったが、「医療や教育」については、生産性が向上していない。

結果としてテレビは安くなったが病院への通院費用は安くならず、テレビを生産していた人は自分の給料が値上がりせずに損をしている事になる。

******

コラムでは一番の問題は問題点を的確に把握出来ない事にあると見ているのか?

僕はコラムを読んで彼の主張を以下のように解釈する。

「現状では公的管理の下で生産性が低くなっている分野(医療、教育、社会的保護、ETC)について、市場資本主義を取り入れるべきだ。ここでいう市場資本主義とは、金儲けを至上とする考えでなく、試行錯誤や異端を許容する文化だ。現状を変えたければ試みる事が一番良い」

⇒この解釈は、おそらく彼の主張したい内容から大幅に離れているのでは?それでは彼の真意を僕は把握出来るのだろうか?僕が受け取れる情報量は極端に少ないし、脳内の神経回路の構造に僕の思考は規定されている。どうあっても僕の理解は仮説にしかならない。

⇒それでは他の人間はコラムを正しく解釈出来るだろうか?不可能だろう。どんな人間でも思考は脳内の物質的構造に規定されており、完全に正しい理解・解釈など出来るはずがない。

*******

それだから一番の問題は以下のようになる。

『自分の思考が間違っている事を認識出来ない。』

意識すれば出来るのではない。それは単に自分は自分が間違っている可能性を知っていると思い込んでいるだけだ。

そして、『知』は本当に存在しているのか?

違う。存在しない事を認める事が出来ない。それに対しては、どういった態度が望ましいのか?

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基本的な事を知らない

世の中には知っていて当然の事と、知らなくとも良い事がある。

僕は何も知っていないように見える。言語を知らないのではない。上手く抽象化して、事象を記述出来ないのだと思う。

どうやって周囲に情報を伝えるのか?どうやって周囲から情報を取り込むのか?

多分、不可能な事は自分の『理解』を周囲に伝える事だろう。それは言語化出来ないからだ。

社会全体として、一番良いのは、僕のような人間が仕事もせずに、人と関わらないでいられる体制を作る事だと思う。

二番目に良いのは、適性を見つける事。何か居場所を作り出す事。

三番目に良いのは、既存の会社や学校の中に、そうした人間を取り込むシステムを作る事。多分、一番、熱心に取り組まれている事は、これなのかな?仕事の枠組みを決める。出来る事と出来ない事を整理して、出来ない事は割り振らない。伝達の仕方を工夫する。障害者として扱う。そのための手間を考えれば、最上ではないのだろう。

四番目に良いのは、周囲が我慢する事。それは不可能だと思っている。納得は出来ない。

そして一番悪いのは、人間を変えようとする事だろう。

『道』がないため、『徳』が必要とされる。『徳』は意識されては『徳』とは言わない。『徳』がないから『仁』があり、そこに能動性は必要無い。『仁』がないから、『義』が必要になる。『義』には意識的な動機付けがあり、それは脆いものだ。そして『義』がないから『礼』が求められる。

他者に「礼儀」を求める者は、無理矢理に実行させようとする。彼らは自らの「感覚」を最上として、自分と同一の思考・行動を行わない事を罪と考える。

それは人間の「業」であり、自らの想定出来ない存在は罪として、変化しなくてはならないと思えてしまう。それは、個人的な感覚で無く、絶対的な正義として知覚され、疑う事が出来ない。

自分と異なる事は『罪』であり、断罪して罰しなくてはならず、罰して修正されない場合、さらに罰を与える事になる。

目が見えない人間に信号機を見る事を強制するようなものだ。『見ないから分からない』、こうした思考が出来あがってしまうと、それは疑う事が出来なくなってしまう。そして対象を変えようとする。何故、怠けるのか。そうやって責め立てる。結果的に相手が悪いと結論付けられて、そこで思考は停止する。

こちら側の選択は見ている振りをする事しかなくなってしまう。本当には見えない。唯、見えている振りをして、やり過ごす。考えている事を装う。努力しているように見せる。思いやりや愛情を持っているように演技をする。僕の言葉はセリフを喋っているように聞こえるだろう。

それが察知されると相手は怒り出す。それは本物ではないからだ。それは尊くない。出来ないと言っても認められない。では逆に問うと彼らの持っている「共感」、「愛情」、「理解」、「努力」は同じなのか?本当に尊い事なのか?多分、彼らの保有している概念は、根本的には僕の演技と大差はないはず。

それでも現行の社会は「礼儀」=「形」に規定されているから、それを実践しなくてはならない。意識的にモノマネをやり続ける必要がある。

見えていないのに、見えているように見せかける。そして彼らに聞こえていないのだ。聞こえていない事を伝える事は出来ない。僕の感覚は誰にも伝わらない。同様に周囲の感覚は僕に伝わらない。

僕に出来る事は、横断歩道の位置を直観的に決め打ちして、その前で停止して、顔を動かして信号を見た振りをする事。そして見ている演技をしながら周囲の音を聞いて、動いて良いか判断をした上で歩き出す事。

無意味だと思うけど、やらなくてはならなくなっている。見えないと伝えると見えるように努力する事を求められる。出来ない前提で道を作ってもらえないだろうか?

それが出来ないなら歩かなくとも良いようにしてもらえないか?

それも出来ないと言うなら殺して欲しい。好きで生まれてきた訳ではない。そして、やっぱり死ぬ事は選択出来ない。生きたいと思ってしまう。

意識的な「修行」や「智恵」は実際的ではなく、実際的ではないから、その限界を自覚出来ない。

努力を強制されず、また、自分が他人に改善を求めない世界は無いのかな?

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何故、伝えられないのか?

自分なりに考えた、自分の話を上手く伝えられない理由。

具体から抽象に向かう思考パターン。

『○○という作業について説明せよ』

上記のような命題があったとする。僕が最初に思い出すのは、言葉ではなく、断片化されたイメージや映像や単語の数々だ。作業をする時の段階や、イメージの断片が想起される。

僕の次の作業は、イメージの数々を言語化する事だ。

○○という作業について、入力する情報名は何か?押すボタンの名前は何か?出力されるメッセージは何と名付けるべきか?ETC。

作業の一連を言語化すると、さらに抽象化の度合いを上げるため、目的や意味を考える。慣習なのか?利益なのか?個人的な趣味なのか?大体において、この意味や目的を考えるのは難しい。

こうして、実際に体感した具体的な作業を言語化して、汎化していく事で抽象の度合いを上げていくが、難点は以下の通り?

①用語選択の間違い
 言語化されていない、映像やイメージを言葉にする際に、適切で
 ない用語を選んでいる可能性がある。

 例えば、以下の通り。

 ・次の工程で、キーボード上の一番上の段の左から数えて3番目の
  キーを押下する。
          ↓
 ・次の工程で『F2』キーを押下する。
          ↓
 ・次の工程で『??』ボタンを押下する。
          ↓
 ・△△を目的とする、次の工程で『??』ボタンを押し、◎◎を
  可能にする。

 ⇒この時、『??』は概念としてはF2キーだけでなく、他のキー
  も含む可能性がある。
  また、△△を含むものが他にもある可能性がある。
 ⇒『抽象』である言葉には、通常は複数の意味がぶら下がっている
  が、『具体』である実物は意味とは1対1の関係だ。
 ⇒だから、僕が当て嵌める言葉は、適切ではない可能性がある。

②過度の一般化
 実際の作業、細かい経験から、詳細を意図的に省いて抽象化して
 いく過程で、実際には重要ではない事を一般化している可能性が
 ある。

 例えば、僕が『Aさん』という特定の人物と仕事を実施した場合、
 他の人間でも出来る事なのに、『Aさん』でなくては出来ないと
 仕事を達成するのに、必要な条件を誤って認識している可能性が
 ある。

③想像力を使えない狭い認識
 通常の人間は『言葉』つまり抽象から思考を開始するのか?
 『言葉』は通常は複数の意味や概念、様々な情報をぶら下げている。

 それだから、『アメリカ人』、『柴犬』、『空豆』、ETCという
 言葉には、無意識の内に膨大な外情報が付加されている。

 狭い因果関係だけでなく、事象が広がりを持って、影響力を考察
 出来る。

 対して僕の認識は、具体から出発するから、どうしても狭い世界
 しか描き出す事しか出来ないのだと思う。

********

知識を記憶する事は出来ても、経験を積む事が出来ない。だから年相応の常識が身につかない。

言葉を圧縮・要約する際に、適切ではない言葉を選択してしまう。逆に受け取った言葉を解釈する際には、暗黙の前提を上手に利用出来ない。

この辺りを考えていくと、暗い気分になってくる。現行の職場にいる事は無理がある。どうしても仕事をこなしている自分を想像出来ない。何も出来ない気分になってくる。

経験した事は、僕の中で溶けてしまい、エピソードとして活用される事はないのだろう。学習能力のない『混乱する人』の役割は試みをやり続けることだろうか?

学ぶ事が出来ないからこそ、新しい事を実施し続けるしかないとしている?どちらにしても僕には何も出来ないのだと思う。

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無駄だと知っているが

しばらくの自分の仕事は『理解しているかどうかチェック』の相手をする事だ。

課員全員をccに入れて僕に細かい質問をする。僕が返す返答は相手の納得出来るものでないから、考えさせる返事が来る。返答すると、納得できないからさらに返事がくる。

こんな下らない事をするために、誰よりも早く出社して、誰よりも残業している。他にやる気を見せる方法を知らない。もちろん、周囲は認めない。分かっているが、責められないために仕事時間を長くしている。

「まだ、こんな質問しているの?また中途半端な答えが返ってくるじゃん」

「断片的な理解で分かったつもりになるな」

「以下の①、②で返答して下さい。
 ①どうせ、いい加減にするから、分かってないけど返事をする。
 ②どうでもいいから投げる。」

⇒①、②のどちらで返答しても、後でそれを証拠に責め立てられる事が分かっているから、謝るしかない。

ちゃんとした答えを返さないのが悪い。彼らは異口同音に言う。

自分の中の理解を返答すると、彼らは納得出来ないから、彼らの口に合うように情報を加工する必要がある。

不毛な作業だが、彼らの目的として、僕に嫌がらせをして会社を辞めさせる事にあるから合理的な考えだろう。病院の精神科への予約はとれたが、随分と予約日は先の事だ。

それまで持つだろうか?そもそも会社を休ませてくれるのか?誰も使用しないだろう資料を作り、それに関する間違い探しをされる。彼らが何を理解していないのかが、分からない。

質問のための質問。これはどうすれば止める事が出来るんだろう?

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周囲の人間が恐ろしい

①考えていないという事か?
 会社では僕に考えさせる事が流行っているのか?
 何も考えていないから、細かい事を質問して考えさせるとしている?

 彼らの思考をトレースし、どうすれば考えている事になるかを
 先回りして予測し回答する必要がある。

 直観的に決め打ちするしかないから、話をする時は怖い。

 どのような反応が返ってくるか予測出来ない。

 ⇒自分の思考形式に関して、詳細な分析が必要。実際に測定している
  のではなく、本の中から拾い出すだけだ。
  具体的な意見に組み直すのは難しいと思う。

②日本ビジネスプレスからのコピペ。
 
 為替取引に関して以下の可能性。 

 去年のパターン:リスクが「オン」の状態の時は米ドルが売られ、
         米ドル以外のすべての通貨が買われる。
         リスクが「オフ」の状態の時は米ドルが買われる。
 今年のパターン?:リスクが「オン」の状態の時にユーロが
          売られる可能性。

理由①:米国経済の好転に伴い、欧州利下げと米国の量的緩和終了の
    可能性。(失業率に注意?)
理由②:購買力平価では1ユーロ = 1.2ドルが妥当?
    ⇒ユーロは不安定であったため、キャリートレードの調達通貨
     にはならなかった?

自分の感覚では歪みは随分と大きくなっている気がする。それは何か?多分、豪ドル、NZドルは高過ぎる。ではどうするのか?

今は防御的なポジジョンを構築すべき。変動に備える際に有効な布陣は何か?それはどのように見つけ、検証するべきか?

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百聞は一見に如かず

自分で考える僕の弱点。

「全体としてのまとまりを把握する力が弱い」

詳細を省略して大きく意味を把握する事が苦手なのだと思う。

「注意」が一点に集中していて、狭い思考なのだと思う。出来事をまとまった全体として把握出来ないのだと思う。僕の認識は『一見』でなく『百聞』なのだと思う。いや、実際には『百聞』には至っていない。僕の注意力や認識は貧弱だ。

まとまりとして把握出来ないという事は、僕には情報が優劣をつけられずに並行して入力される事になる。結果として、『重要な事を把握していない』、『細かい事がクローズアップされる』という事象が発生するのだと思う。

*******

問題点は以下の通り?

①情報を圧縮して、分かりやすい形で他者に伝える事が出来ない。
②他者から伝えられた情報を解凍して、文脈に沿った理解が出来ない。
③一つ一つの情報を統合して概念化する事が出来ない。
 ⇒結果として、経験が積み重ならない。
  多くの事が、一度経験してもリセットされ、
  もう一度実施する時には最初からやり直しになる。

『アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか?』のP81。
ここでいう深い概念という表現は少し微妙なのですが、要するに、知識の一つ一つがバラバラのままでなく、もっと大きな概念の中に結合され、また他の類似の概念とも結合して、有機的な知識になっているということです。そういう有機的な知識は、実際の問題解決の際に上手に働いてくれるし、仮に問題解決が頓挫した場合でも、他の知識を動員する際に役立ってくれるのですが、バラバラの知識は失敗したらそれっきりです。

******

どうすれば、他者が納得する言葉を喋り、文章を書く事が出来るのか?どうすれば他者の発する情報を、伝えたいように把握出来るのか?情報の重要性、何を聞くべきなのか?どうすれば納得されるのか?

分からない。そしてどうすれば分かるのかも分からない。

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『名前』を作りだす目的

以下は、間違いや勘違いを含んでいるだろう僕の意見。

アスペルガーとは概念だ。

以下は、「アスペルガー症候群」に関するWIKIPEDIAへのリンク。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%BC%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4

以下は、「精神障害の診断と統計の手引き」に関するWIKIPEDIAへのリンク。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E3%81%AE%E8%A8%BA%E6%96%AD%E3%81%A8%E7%B5%B1%E8%A8%88%E3%81%AE%E6%89%8B%E5%BC%95%E3%81%8D

上記を見れば「アスペルガー症候群」とは分類にすぎない事が理解出来ると思う。実際に概念の未整理の問題から、2013年版の「精神障害の診断と統計の手引き」からは「アスペルガー症候群」という分類は削除される事になっている?

*******

精神科医は「精神障害の診断と統計の手引き」の基準に従って患者を分類している?この事に起因する問題は、以下の3通り?

①ステレオタイプ
 人間は一人一人が異なっているのに、同じ特性を持っているものと
 されてしまう。
 『アスペルガーの特徴は○○である』という記述を掲示板で
 見かける事がある。
 唯の分類形式にすぎないものに、一般的な特徴など存在しない。
 それは唯の思い込みだ。
②見過ごされる人々
 実生活で問題を抱えているのに、診断基準に合致しないだけで
 見過ごされる人間が出てくる。
 脳の構造、神経伝達物質の分泌、ニューロンの発火、ETCという
 物質的現象が人間の心理や行動を決定している
 ⇒例外は無い。しかし診断基準に合致しないだけで、本人の努力
  という抽象的な解決策を押し付けられる人間が出てきてしまう。
 (僕には解決策を提示出来ないが)
③見下ろす人間達
 こうした分類形式の存在自体が『普通の人間達』の存在を前提に
 している。普通の人間達は脳の物質的構造に左右されない自由意志
 を持ち、自分の行動をコントロールして、他者の感情を読みとる力
 を持っている事になっている。
 そんな人間は現実には存在しない。

********

問題の根源は脳や神経を物質的に測定する技術が未発達な事だと思う。例えば『癌』や『糖尿病』、『インフルエンザ』等の病気については、患者の体を調べてウィルスの存在有無や癌細胞の存在有無によって、病気であるかどうかの基準とする。

それに対して、精神科医は「精神障害の診断と統計の手引き」に従って患者の行動様式が基準に当て嵌まるかどうかで発達障害の基準としている?

『脳の構造、神経伝達物質の分泌、ニューロンの発火、ETCという物質的現象が人間の心理や行動を決定している』

それだから、本来であれば人間の脳構造を詳細に分析して、その特性から解決策を模索すべきなのだ。そうなれば粗い分類形式よりも有効な方策を見つけられるはず。そして全ての人間に長所と短所があり、完璧な人間は存在しない事が明らかになるはず。発達障害でない人間は存在しない。

それでも今後数十年の間、技術はそこまで進歩出来ないのだと思う。だから不完全であり、不充分であるが、発達障害という概念を作りだし、「ADD」や「ADHD」という『名前』を作りだすべきなのだと思う。

現状では、「ヤルキガナイ」、「アマエテイル」、「ダラシガナイ」、ETCと理屈づけた事で、何の対策もとられなくなってしまう。本人の意識に訴えるのでなく、情報の伝達方法、割り振る役割、周囲の環境、ETCを変える事で対処するしかない。

最終的な目標は社会構造の変革だ。教育制度から就業形態までを大幅に変える必要があるはず。

それを実現するには、裏付けとなる「概念」が必要になってくる。不完全ではあるが、「発達障害」という考え方は無いよりは存在した方が良いと感じている。

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検証は出来るのか?

人間の脳は以下のように動く?

①認識
 何らかのパターンが複数回連続して発生すると、それが以降も
 発生すると、神経回路が形成される。
②思考
 形成された神経回路に外部からの情報が入力される事で、
 思考という出力がなされる。
 この時、本来使用されたロジックとは異なる洗練された言葉が
 付加される。
 (実際に使用された論理は言葉では記述不可能?)
③後付けされた意志
 新しいパターンを認識し、それが情報として蓄積されて、行動の
 基準となり、能動的な意志となる?
 (すなわち能動性を捨てる事は出来ない?)

******

脳に依存している限りは思考の枠の中にいるしかないのだろう。出口は存在するだろうか?そして出て行ったとして、外には何があるのか?

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解決策を模索するには

何回も繰り返して書く事。

以下は以前に書いた『知性誕生』に関する記載。

http://nonono7.blog12.fc2.com/blog-entry-255.html

「第4章 知識と行動を結ぶもの」で、規則を守る事が出来ない被験者について記述されている。

<実験>
被験者にヘッドフォンを着用してもらい、ヘッドフォンの右耳と左耳に違う音を聞かせ、数字が聞こえた場合、復唱するよう指示をした。高い音が聞こえたら右耳の音を、低い音が聞こえたら左耳の音を聞くように指示をし、注意力を測定する実験。

<奇妙な被験者>
実験を進める内に奇妙な被験者が出てくる。規則を説明しても、テスト中に高い音や、低い音が聞こえているのに注意を切り替えようとしない。
脳内の前頭葉の構造上、行動を能動的に支配し、注意を必要する部分に集中し、行動に反映させる能力が低いのでは?前頭葉に損傷を受けた人間は、しなくてはならない事と知っていても、知識と行動を結びつける事が困難になる。

<解決策>
本の中では検証中としているが、解決策が提示されている。実験における規則を口で説明する代わりに、紙に規則を書いておき、本人の目の前に貼っておく。頭の中にある規則と行動を結びつける事が困難でも、目の前にある情報と行動を結びつける事は出来るのでは?

*******

「脳の構造、神経伝達物質の分泌、ニューロンの発火、ETCという物質的現象が人間の心理や行動を決定している」

だから、迷惑な人間に対して、「説明をする」、「やる気を出させる」、「自信をつけさせる」、ETCといった心構えを変える方法論を実施しても効果はないのかもしれない。(あるかもしれないが)

それは諦める事を意味しない。何か別種の観点から解決策を模索する必要があるのだと思う。

この時に障害になるのが、「努力」、「愛情」、「共感」、ETCといった観念だろう。

「前頭葉が上手く動かない?じゃあ動くように努力すれば良いじゃん」
「説明しても前頭葉が動かないという事は、話を聞く気がない
 という事だろ」
「自分は胎児であった時は、前頭葉が動かなかったが、今は動く。
 それは努力をしたからである。」
「前頭葉を機能させようとすればチャンスがある。
 やろうとしないからチャンスはない」
「脳を機能させようと助かる努力をする人間しか助からない」

⇒こうした主張をする人間は、自分自身の脳から前頭葉を切り離し、努力とやらによって問題を解決してみてはどうだろう?神経科学上の大発見だ。全ての人間において、切り離す前と後で何の困難も無い事を証明してみれば歴史に名が残るだろう。確かに実際にやってみなければ分からない問題ではあるが、少なくとも僕はやりたくない。

********

別に我慢をする必要はないのだ。我慢しなくて良いような方法を探す必要がある。

確かに脳には可塑性があり、刻一刻と変化するのだから、何らかのトレーニングは有効かもしれない。だから何かを試みる事は意味があるのだろうか?。それは何だろう?どういった方法が有効なのか?

多分、現実に自分に出来る事を見定めて、出来る事を利用して出来ない事を実施する方法論が必要とされている。具体的な事は提示出来ない。どうすれば良いのか?

********

そして多分、保有不可能な認識は、自らの脳もまた、脳構造上の制約を受けており、何らかの欠陥を持っているという事。人間は一人一人が違うはず。全ての部位やシステムが上手く機能し、全ての分野が適性の範囲に収まる人間など存在しないはずだ。

********

神経科学の発展によって、以前には本人の「心構え」が「性格」に起因するとされた行動が、脳の構造的特性や化学によって説明される時が必ずやってくるはず。

発生するとして、それは100年後だろうか?200年後だろうか?その時、人間社会が保有する観念はどのようなものだろう?

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それは選べないのではないか?

以下の2つについて考えてみる。

①本質主義
 『普通』という基準があり、基準に当て嵌まらないものが
 異端となる。
 ⇒『普通』とは脳内で情報処理に使用するシステム1、すなわち
  イメージの事だろうか?それは生まれてから蓄積された情報が
  詳細を失った事で、纏められたパターン情報?
 ⇒演繹的な思考?

②実存主義
 ものが存在する事が先にある。詳細が知覚されるため、全ては
 異端である。『フツウ』は個々の詳細を切り捨てなければ存在
 しない。すなわち、個々の異端から『フツウ』は生まれる?
 ⇒ここで言う『フツウ』は論理的な思考の結果、誕生するので
  あり、上記①の『普通』とは異なっている?
 ⇒帰納的な思考?

********

上記のような思考が、脳の構造的特性に由来するならば、思考は選べない事になるだろうか?

最初に前提条件があり、当て嵌める事を論理的思考と呼ぶ?

以下は掲示板で読んだ記述。

『いい加減な事をやった人間は、徹底的に攻撃するんだ。そうやって社会は成り立っているんだし、これからもそうするべきだろ。』

⇒こうした主張は、否定する事が不可能だと思う。失敗した人間の行動を丹念に分析すれば、確かに「ダラシガナイ」、「イイカゲン」、「ナマケテイル」、ETCという解釈が成り立つのだろう。

⇒では、そうした思考が間違っていた場合はどうだろう?上手くいかなくとも自らの行動が誤っていた可能性は考慮出来ないはずだ。

⇒思考の盲点。前提条件を否定不可能。

*******

多くの人間が「概念」を当て嵌める演繹的な思考を実施していると仮定すれば、自由意志に関する不可解な議論を説明出来ると感じている。

以下のような不思議な意見。

【意見】
自由意志が存在しない事になると、皆が自分の行動に責任を持たなくなる。自分は悪くない、脳の構造によって動かされてしまったと言い訳をするようになってしまう。

⇒不可解な意見だ。自分は悪くない?自我は無いのだから悪くない自分など存在しない。

⇒何故、こうした見解を持つのか?おそらく概念を通してしか思考出来ない場合、前提となる概念を否定されると存在をそのまま認知してしまうのだ。概念による修飾を得ない「存在」は非常に無秩序に感じられるのでは?

⇒そして、自己責任によって秩序が保たれていると錯覚している人間は、「存在」をそのまま認知した場合、全ての人間が無秩序に行動すると思い込んでしまうのでは?

⇒こうした人間の意見を変えるには別種の前提条件となり得る「言葉」 = 「概念」 = 「理論」 = 「法則」 = 「想像」を入力してあげる必要があるのだろう。そうでないと彼らは不条理に耐えられずに古い概念に縛りつけられてしまう。 

やっぱり上手く書く事が出来ない。

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異なって感じられる事

何回もネタにしてしまう話。

『旦那さんはアスペルガー ウチのパパってなんかヘン!?』のamazonでのレビューに以下のような言葉がある。

「また、満員電車でスペースを詰めない女性の手をつかんでしまったアキラさんと、それを批判しつつも、
(旦那さんの行為を女性に)謝りもせず「子供がいるんで詰めてよ!」と怒った著者と何か差はあるのでしょうか?」

⇒何か差があるように主観的には感じられてしまうのだと思う。

【前提条件】
脳の構造、神経伝達物質の分泌、ニューロンの発火、ETCという物質的現象が人間の心理や行動を決定している。

【仮定】
人間は事象を理解する際に、『存在』をそのまま認知するのでなく、パターン情報の集積からなる『概念』を当て嵌める事により理解している。システム1を使用する事で成り立つ素早い判断を可能にする。

上記から考えた場合、目の前に自らの『概念』から乖離した存在がいた場合、認知に『概念』が使用不可能なために、脳内でエネルギーを多量に消費する事になる。それが不快感として認知される?

ならば『美』、『善意』、ETCは脳内のエネルギー消費が抑えられた状態を認識しているのであり、『醜』、『悪意』、ETCは脳内のエネルギー消費が多量になった状態を認識しているのだろうか?

認知した時点で、脳内のエネルギー消費量に比例して「快」、「不快」が感じられて、それがインプットとなり、脳構造に由来するアルゴリズムを通して「思考」というアウトプットが出力される?

この事がもたらす仮説は以下の通り。

【仮説】
思考は結果である。物事を認知した段階で結論は出ており、理屈はそれを後付けするに過ぎない。思考の自由は無い?

********

そして論理が自己への言及を孕む限り矛盾が生じ、主観的な自己を客観的に評価する事が不可能な以上は矛盾に気が付く事が出来ない。

だから自らの主観的な判断が間違っている可能性は0に出来ないのだと思う。

そして思うには、主観的な自己をさらにインプットとして、思考というアウトプットを出力する事は可能だろうか?自我は結果であるかもしれないけれど、原因にも成り得る?

それならば「自分」は存在する事になる。

自分で書いていて思うが、意味の理解出来ない文章だ。

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『システム1』と『システム2』

以下は、経済学者ダニエル・カーネマンに関するWIKIPEDIAへのリンク。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%8B%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%9E%E3%83%B3

彼は人間の認知過程を2種類に分類して、システム1、システム2と呼んだ?

システム1:
直観的で、心の原始的な部分に相当する。脳内に構築されたパターン情報、イメージ、規則に従って事象を認知する。
⇒既知の事象に対して有効?

システム2:
意識的な認知。時間を費やして分析を行う。論理的に事象を認知する?
⇒未知の事象に対して有効?

このように人間の認識を2種類に分類する方式は多いと思う。ハイエクは知的な人間を2種類に分けた?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%AF

学科の達人:
専門とする分野に完璧な知識・理論を有しており、問い掛けに対して即座に応答する事が出来る。

混乱した人:
基本的な事実を覚えていない事がある。「学科の達人」ならば即答出来る問い掛けについても一から考えなおさなくてはならず、見聞きした事が再現困難なため、自分の型に当て嵌めなくてはならない。

*******

ハイエクは自らを「混乱した人」に分類した?学科の達人は言葉による意志疎通や思考に長けているが故に、時代の雰囲気の影響を受けてしまい、暗黙の前提に支配されてしまう。

「混乱した人」は言葉による思考を不得手とするが故に新しい言葉を生み出す事が出来る。自らを言葉で表現不可能なために、思考を完全には表現不可能としている?

⇒未知の事象に対して対応策を作り出せるか?

*******

現状の世の中では、システム1が評価される傾向があると思う。例えば人が死んだ際には『悲しみ』を感じなくてはならない。論理的に死後の常識を予測し、確率的に行動するだけではいけない。自らの行動の背景に『悲しみ』があるように感じさせる必要がある。

他にも『気配り』、『優しさ』、『思いやり』、ETC。別に僕が何をされても平気という訳ではない。それでも世の中で人と交わる事は苦手だ。『理解』を他者に感じさせるにはどうすれば良いのだろう?

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授業をさぼる学生の話

大学で講師をやっている高校時代の同級生から聞いた話。

以下は、適当に再構成した彼の発言内容。

「最近の学生は本当に考えなくて言われた事しか出来ない。説明した内容を他に応用出来ないんだ。だから講義で配布する資料は歯抜けにして、講義中に歯抜けの部分を説明していたんだ。歯抜けの部分の説明を聞く事で考えるようになるはずだった。そしたら奴らは講義に出ないで出た奴に資料を借りるようになったんだ。だから講義で使った資料は講義後に回収するようにして、絶対に講義に出て説明を聞かなくてはならないようにしてやった。おかげで講義がスムーズに進むようになったんだ」

********

彼には悪いけれど、本当に効果があるのかな?否定は出来ない。あるのかもしれない。

僕が興味のある点は、学生の努力の問題にしてしまう思考形式だ。

①講義に出ないのは怠けているからだ。
      ↓
②講義に出席しなくてはならないように資料を歯抜けにする。
      ↓
③講義に出席していない学生が出席した学生から資料を
 借りるようになる。
      ↓
④講義に出席しなくてはならないように講義後に資料を回収する。

⇒何かがおかしくないかな?学生を怠けさせない事が主目的になってしまい、内容を理解しているかが重要で無くなっている?

********

最初に考えるべき事は、講義の内容そのものに学ぶ価値があるのかという点だと思う。学校の講義なのだから将来の役に立たないと割り切る事も一つの考え方だと思う。学生個人が単位を取得出来れば内容を理解しなくとも問題がないのかもしれない。

その後で講義内容が本当に理解しやすいものなのかを考えるべき。ついていけない学生が出てくるのは仕方がないと考えるべきか?

さらに学習の目的、目標、どのようになれば内容を理解した事になるのかを明示する。

学ぶ目的を探す事は難しい問題だと思う。

********

『ウェイソンの選択課題』を応用出来ると思う。数字の論理で事象を把握した場合、上手くいかない時点で前提条件を疑うようになる。しかし、物語の論理で事象を把握した場合、前提条件を疑わずに、対象の努力不足・甘え、ETCが上手くいかない原因となり前提条件は疑われないままになってしまう。もちろんそれは長所でもある。

********

『発達障害』という考え方は、こうした盲点に対処する手段なのだと思う。だから発達障害者とは決して特殊な人間ではないと思っている。迷惑な人間がいる。アドバイスをしても改善されない。それは本人の努力不足ではなく、情報の入力の仕方や脳の構造的特性によるものなのかもしれない。自分自身や他者を変えるのでなく、仕事の方法論や連絡方法、ETCの環境を変える。もちろん具体的な方法論は、これからだろう。

努力などしなくて良いと割り切る事が出来れば、それが一番良いと思っている。

********

残念だけど、現状はそうなっていない。出来ないという事は怠けているからだ。○○という事は思いやりを持たないからだ。△△という事は他人の事などどうでも良いからだ。ETC。そして責め立てる事で問題が解決した事になってしまい同じような事象が繰り返されるのだと思う。

僕にしたところで解決策は提示出来ないから、どうすれば良いか分からない。明日は会社に行くけれど今から憂鬱だ。周囲の人間が僕の間違い探しをする。そして異なる理由は、自分の都合の良いように考える性癖があるからとして性質を矯正しようとする。そして改まらないから攻撃はエスカレートしていく。そんなに嫌いだったら無視すれば良いのだろうけど、僕の事が気になって仕方がない。

理解はしている。役立たずが会社に在籍している以上は向こうは悪くない。自分のイメージ通りに動かない存在は認識するだけでストレスだから、周囲のストレスは凄まじいのだろう。

それでも考えると嫌な気分になるばかり。何よりも現状の間違い探し大会は、やるだけイラつくだけなのだから、止める事は出来ないのか?出来ないのだろう。

気が重いけれど、明日も会社に行くのだろう。それと早く精神科に予約を入れないと。

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上手く伝えられない事

未だ定まらないし、上手く説明出来ない自分の考え。

以下は『自閉症児の脳は過度に発達?』という記事へのリンク。

http://www.scienceplus2ch.com/archives/3667731.html

「自閉症の少年の脳は前頭前皮質にあるニューロンの数が対照群の脳より67%多く、脳の重さも各年代の平均より18%近く重かった。」

⇒自閉症者の脳構造の特質よりも、一番重要な観点は以下の認識だと思う。

脳の構造、神経伝達物質の分泌、ニューロンの発火、ETCという物質的現象が人間の心理や行動を決定している。

これは僕の生きている内は、答えの出ない問いなのだと思う。問いかけ自体が以下のように、誤認される?

「唯物的に人間の行動が決定される事を認めたら人間の自由が否定されてしまう。そうした考えは自由である事の不安から逃避し、劣った人間を差別するものだ」

⇒違う。実際に脳構造を調査した場合、現状の認識とは全く違う因果関係で人間の思考や行動は決定されている。選択の自由など最初から存在しないのだ。だから現状とは違う仕組みを構築する必要がある。

記事にあった意見のコピペ。

【コピペ開始】
そもそも、現代社会への適応力なんて観点で、人間を分類しようってのに無理がある。現状じゃ分布の中心となる原点X0Y0から離れすぎてる奴等は、全部一纏めに扱ってるんだからな。そんなドーナツ状のカテゴリに、一体何の意味があるのやら・・・
【コピペ終了】

⇒疑問はもっともだと思う。「自閉症スペクトラム」や「ADHD」といった分類には無理がある。同一の人間などいない。それでも言葉を通してしか思考出来ない人間には、こうした方法でしか情報を入力出来ないのだと思う。

多くの人間は、自分のイメージと異なる思考・行動をとる人間に対し、言葉による説明を求める。しかし、行動が脳構造に基づいている以上は、本人にも自分の思考・行動の理由など説明出来るはずがない。だから、意識によらない解決策が必要になってくる。痛めつける、自信をつけさせる、説明する、考えさせる、ETCといった意識による解決策を否定し別種の解決策を模索するには、不充分な理解に基づいてでも言葉を作るしかないのだと思う。

以下は『マンガで分かる心療内科・精神科in新宿』へのリンク。

http://yusn.net/man/486.html

この漫画で気になったのは、以下の3つがセットにならないと発達障害(アスペルガー者)にならないとする考え方?

 ①コミュニケーションの障害
 ②社会性の障害
 ③想像力の障害

考え方は否定できない。それでも、特殊な病気ではなく人間全体の行動原理に関わる話だから、発達障害ではない人間なんて存在しないんじゃないかな?厄介な人間への対処方法は、これからも変化し続けるんだろう。

もし不安を感じる人間がいる場合、自分の行動が脳によって規定されているとする話が、自らの脳内の前提条件(自我の存在)と噛み合わず、脳内の誤り検知機能が発動しているからだろうか?

多分、この話に関してはカウンセリングの有効性も含めて、新しい発見が生まれ続けるんだろう。僕には何も分からないままだ。

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