『血の翳り』と『虐殺器官』

30年で世の中は、どういう風に変化するのか?小説の中の常識から書いてみます。

『血の翳り』

西村寿行著。1980年出版。

【あらすじ】
この話は、現代と江戸時代の2つの時間軸を舞台に展開されます。「生来性犯罪者説」という説が物語の主軸になります。遺伝的に犯罪者を生み出す家系は存在するのか?生まれつき犯罪者になり得ると目された人間は殺すべきなのか?

<現代編>
警視庁の刑事、霜月の妻子が殺害される。事件を調査する内に、犯罪者を排出する家系を調査し、根絶する組織の存在が明らかになる。妻子は遺伝的な犯罪者であるために殺されたらしい。
<江戸時代編>
犯罪者家系が生み出された経緯が記述されている。乱交やら近親相姦やらを数世代に渡って繰り返した結果、犯罪者家系になったのだとか。

【感想】
30年前の小説です。今の感覚と違うと思うのは、犯罪者家系が存在するとする根拠です。根拠=ある家系から、犯罪者が大量に生み出されている。
これは、現代の感覚では否定される思考であると思います。日本には、5000万世帯の家族が存在し、年間200万人の犯罪者が認知されているらしいです。これだけ、大量の家族・犯罪者が存在すれば偶然に犯罪者を大量に生み出す家系があって当然です。

誕生日のパラドックスといって、23人集まれば、その中に同じ誕生日の人間が存在する確率は50%らしいです。だから、犯罪者家系というのが存在する事を相関的にでも説明するには、全ての犯罪者の内、何%が遺伝的に犯罪者となるかを統計的なデータを取得して解析しなくてはいけません。

昔読んだ小説の「ドグラマグラ」、「黒死館殺人事件」とかでも、犯罪者となり得る遺伝子が存在するかを証明するために、特殊な家系の人間を観測する例が出てきます。昔は、そうやって 観察や観測によって、データを集め、その背後にある論理・法則をつまびらかにしていく事が常識だったのだと思います。

でも現在では、それは物珍しい特殊例と言われてしまうかもしれません。全体的な統計データを調査し、傾向を明らかにした上で解決策を見つけるのが2011年現在の常識なのかな?

仮にそうした家系が存在したとしても、全体的な傾向として、さらに巨大な問題が存在するのであれば、そちらを問題視すべきでしょう。

P363:
かつての社会生活は報復を重んじた。肉親を殺されたらその相手を殺すことで均衡が保たれた。
⇒いやいや、小説内の江戸時代では乱交やら近親相姦やら強盗やらで少しも均衡は保たれていないじゃないですか。(現実がどうなのかは知りません。)

P349:
一人なら人間は絶対に正しい。だが、二人になると矛盾が生じる。三人なら派閥が生じる。四人になると対立が生じる。
⇒この言葉が好きです。哲学者とかなら、一人なら人間は絶対に間違っている。だが、二人になると矛盾が明らかになる。三人目で矛盾が拡大する。四人以上で状況は混沌とする。その混沌が真実だ。とか言うんですかね。

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『虐殺器官』

伊藤計劃著。2007年発表。

【あらすじ】
2020年頃?の世界。米国の特殊部隊員として暗殺行動を実施する主人公は、後進国で内戦と民族衝突を扇動する米国人ジョン・ポールの存在を知る。彼は自分の発見した、特殊な言葉(文法?)を人間に聞かせる事で意図的に争いを引き起こす事が出来るらしい。彼が内戦を扇動する理由は、後進国で内戦が増加すると、先進国でテロが減少するとする独自理論に基づくものであるらしい。

【感想】
主人公が悩んでいる。これが第一の感想です。その悩みが物語の主題であり、メインだとは思いますが、良く理解出来なかったので、印象に残った点を書いてみます。

①何故、イルカの肉?
物語の中でロボット等に使用される人工筋肉について語る場面。

P231:
あれは遺伝子操作された鯨やイルカの筋肉さ。淡水で成長できるように改造された水生哺乳類だよ。彼らはヴィクトリア湖で養殖されて、解体され、その筋肉繊維だけが食用でなく工業用に出荷される。

⇒何故、牛や豚でなくて鯨やイルカなの?何故、アフリカのヴィクトリア湖なの?と思えてしまいます。多分、読者の感情を喚起するための記述なんでしょう。どういった感情を喚起するつもりなのだろう?

②信じてしまう主人公
P371~P373でジョン・ポールが自分の理論を語ります。なんでも、後進国で内戦が発生すれば、先進国が安全になるらしいです。その根拠として、統計的データを上げます。自分が虐殺を扇動してからは先進国でのテロ発生件数が0になったとか。非常に疑わしい理屈であると感じてしまいます。それは、バングラディッシュでの乳製品と、アメリカの株式市場の平均値が連動するとする説以上に無理があるのでは?統計データなんて多種多様なんだから、どうとでも理屈付けができてしまうのでは?

それでも、主人公は、その理屈を信じてしまいます。そして彼は、争いを誘発する言語(文法?)をアメリカ国内に撒き散らします。アメリカで内戦が発生すれば、他の国が安全になるという理屈らしいです。本当にそうなるの?と思えてしまいます。

が、良く読んでみると一つの事に気が付きます。彼は自分の引き起こした米国での内戦によって他の国が安全になった事を確認していません。確証バイアス。自分の思考が間違っている可能性を無意識の内に拒否している?結局、最初から最後まで彼は自分の思考の檻の中から出て来れなったのかもしれません。自分の望むようにしか世界を把握出来ない。

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作品のメッセージを上手く汲み取れなかったんですが、統計的データが本当に有効なのかどうかが現代の課題なんですかね。多種多様な事象が存在し、多種多様な理論が存在し全ての人間の思考が異なっている。30年後の常識はどうなっているんでしょう?

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